2-49 爛れざるを得ない決闘前日
奴隷でなくなってしまったメルーミィに罰を与えるという名目ではあったが、好き好き言われながらの触れ合いはやはり嬉しくも楽しかった。探心で分かっていても「好き」だの「お慕い申しております」だのと言葉にされると、また違った喜びがある。
それに言った当人の心情にも影響が出るのがこれまた面白い。自身の言葉に責任を負える真っ当な人間が好意を口にするというのは、『自分はこの人が好きなんだ』という自覚────もっと言えばある種の自己暗示ともなろう。
好きと言うから好きになる、といった心の動きも実に心地良いものである。やはり感謝や愛情を言葉にするのは重要だ。
メルーミィの後でネルフィアとも楽しんだのだが、それがついでではないことを証明せんとばかりに好意を言葉にしてぶつけ合ってしまった。相変わらずネルフィアは言葉にも行為にも愛情たっぷりなので、素晴らしく満足である。
熱が入る余り昼食が少々遅めになったのはやむを得まい。
ともあれ戦いを決意したからには備えねばならぬ。気を取り直し、食事を取りながら情報収集のためにメルーミィへと言葉を投げ掛けた。
「それで、止めようとしたからには相手に心当たりがあるわけだな。」
「はい。殿下が代理人として指名した相手は、恐らくシドウミョウイン戦爵家縁の者でしょう。」
戦爵、それは魔物溢れるこの世界独自の貴族位である。
都市の結界を維持するためには多量の魔素結晶が必要になるが、結晶は社会全般にとっても必要不可欠のエネルギー資源でもあるため、どうしても貯蓄するより運用した方が経済的に潤ってしまうのだ。
しかしそれでは有事の際に不足しないとも限らない。そのための備えは必要であった。
戦爵家の役割とは、都市防衛のための結晶を一定量稼ぎ出し保有、或いは統治者へと献上することにある。
侯爵や伯爵といった貴族階級は地球にもあったが、戦爵の立ち位置はそれらとは一線を画しており、皇帝家の軍事顧問的な役割も担っているらしい。
「戦闘力は折り紙付き、というわけか。」
『紙……?』「はい、とにかく強いという認識で間違いないかと。その役割の性質上、何よりも強さが求められる一族ですので。それとシドウミョウインの祖は、かつて異界から喚び出された勇者であったとも聞き及んでおります。」
名前が日本人っぽい理由がなんとなく判明した。ただ本当にその勇者が日本人だったかまでは疑問だ。人の名前が似た感じの世界から来ただけかもしれない。
勇者の子孫だから強いというわけでもなかろうが、少なくとも皇女殿下の護衛を任される程度の腕前はあるのは確実か。帝の剣と称されるシドウミョウインの強さは市井にまで響き渡っているという。
相手は相当に強いことが分かったところで、パンにメルーミィ手製のジャムを塗りながら護衛騎士の姿を思い浮かべる。
(どうしたもんか……[光刃]が使えたら割となんとかなりそうだが、そうもいかんしな。)
あの全身ミスリル鎧は飾りではあるまいが、立会人がいる決闘で勇者の技能を使うわけにもいかない。なんとか攻略法を編み出さねば勝ち目はないだろう。
食事を続けながら対策を練ったが、これといったものはそう浮かばない。他に現時点で分かるのは相手の外見ぐらいだ。左右の腰に下げていた剣が得物と思われるが、果たして戦型は如何なるものか。
一方でこちらの主な手札は探心のみだが、今はその力を信じて勝負するしかない。勝負は水物、やってみるまで分からないのもまた事実であった。
「それにしても相変わらず美味いなこのジャム。」
「はい、恐れ入ります。」
食事に集中すると、酸味の強い果物を皮ごと砂糖と一緒に煮込むことで不思議と甘辛くなったジャムの味わいが、シンプルなパンのそれを何倍にも引き立てているのが分かる。
狩りをしている時の昼食は軽めのものになりがちなので、少しでも彩りを増やそうと作らせたものだが、これも中々に良い出来だ。バリエーションもいくつかあり、少なくともそこらで出来合いのものを買うよりは、良質かつ安上がりであった。
本来なら瓶詰めにしたこれを旅先でパンに塗っていたのだと思うと、人生のままならなさを痛感せざるを得ない。
「これからもこのジャムでパンを食いたいもんだな。」
「……はい。」
あらためてメルーミィを手放すまいと決意を固める。男を落とすには胃袋を掴めという言葉は、カインに対しても当然のように当てはまるのだ。
口いっぱいにジャムパンを頬張ったネルフィアが、頷いて同意していたのが微笑ましいような気はしないでもなかった。
皇女殿下という嵐の訪れたその日は、食事と風呂を除いて宿の部屋に籠もった。これは決闘の結果はどうあれ、せめて悔いを残すことだけはないようにという、まあ至って小物めいた理由ではある。
軍師でもいたら「ほかにすることはないのですか」と諌められること請け合いであろうが、奴隷たちと体温や心を通わせる以上に重要で幸福なことなどないのだから仕方ない。
小物ついでに今の内に謝っておくとしよう。
「……付き合わせて悪いな。」
「私はご主人様のものですから……どこまでもお側にいさせてください。」
ネルフィアとてメルーミィに対して親愛の情がないわけではないし、主人の手から後輩奴隷という財産が失われることなどない方がいいとも思ってはいる。だとしても主人の勝手で自分の命を賭けられるのを当然と受け入れてくれるのは、ネルフィアの忠誠の証だ。
むしろ当人は決闘に際し、主人の代わりを務められない程度の強さでしかない己を恥じているほどであった。
そして主人と共に死ぬよりは、再び首輪を外されることの方を『恐れて』いるのだから、奴隷根性ここに極まれりといったところか。
「ありがとう。」
「んっ……。」
この忠誠心溢れる奴隷に対してはひたすら感謝しかない。言葉だけでは足りなかったので唇を奪い、舌同士を絡めることで感謝を伝える。もちろんそれだけでは感謝を伝え切れなかったことは言うまでもない。
そのように過ごす間も、奴隷たちは主人の勝利を祈ってくれている。一方でこの主人と言えば「先に逃げることを伝えなくてよかった」などとこの期に及んで考えており、そんな己の小物振りをそっと心の棚にしまい込むのであった。
翌日、気分は若干重かったが奴隷たちの前で無様は晒せないと、気合でベッドから起き上がる。惚れた女たちに格好良いところを見せたいという低俗な理由は、常に男の身体を動かすのに十分な原動力足り得るのだ。
気合のままに指定時間よりかなり前に冒険者ギルドに到着。決闘に遅れれば基本そのまま不戦敗である。普通に勝利を確信している皇女殿下側が妨害してくるとは思わないが、念には念を入れてのことだ。
昨日練った策の中には、わざと遅れて相手に精神攻撃を仕掛ける巌流島作戦なんかもあったが、事前に破綻していたので意味がなかった。宮本武蔵の遅刻は創作らしいのでさもありなん。むしろ佐々木小次郎が律儀に待ち過ぎではないのか。閑話休題。
逆にこちらが殿下側が遅刻するよう妨害を仕掛ける方法も考えたが、明らかに無理があるため断念した。
動かせる人員が奴隷二名では手が足りないし、この国で最高クラスの貴人は元より襲撃への備えを怠るまい。逆に捕まれば決闘どころの話ではなくなる。何よりそんな卑怯な手に打って出たら、奴隷たちからの好感度は間違いなく爆下げであろう。
待ってるのも暇なので、軽く身体を動かすことにした。
「ここで待つのは自由だが……おかしなことはしないようにな。」
決闘場所の見張りに駆り出されたギルド職員に注意される。
決闘の舞台となる訓練場は朝から封鎖されており、関係者以外は立ち入り禁止となっていた。事前に罠などを仕掛けるのを防ぐためであろう、訓練場内でも見張りの注視が途切れることはない。
逆に罠がないかも一応調べておく。ギルドマスターが自ら尾行してきていたことからも、ギルドは皇女殿下寄りだろう。またぞろ妙な忖度があっても困るのである。




