2-48 クリフハンガー式究極選択
「ご主人様。」
「ああ、つけられてるな。」
ギルドを出て尾行が二人いることにはすぐ気付いた。ネルフィアも片方────透明になっていた皇女殿下の護衛の方は察知したが、流石にもうひとりは距離もあって無理なようだ。
(ギルマス業務も忙しいだろうにご苦労なことだな。)
何せ尾行者のもうひとりは影の薄い冒険者ギルドマスターである。この男は少なくともネルフィアの眼と耳を持ってしても捉えられぬほどの隠形の手練らしい。
逃亡しようとしていることを見抜かれたわけではなかろうが、この尾行はその可能性を看過はしないということだろう。この分ではとっくに門の方にも話がいっているだろうから、正面からの脱出は無理と考えた方がいい。
この国での決闘は神聖な行為である。それ故、決闘を汚そうとすれば重罪となるのだ。逃亡などその最たるものであろうから、その素振りを見せただけでも捕まりかねない。
むしろ殿下側からすれば、カインたちがそうしてくれた方が都合が良いと言える。余計な手間を掛けずにメルーミィの身柄を押さえる名分を得られるのだから。
「単なる見張りだろうし放置でいい」とネルフィアには指示を出し、仕方ないのでひとまず宿に戻ることにした。旅立つつもりで従業員と別れを済ませた宿に再び泊まるのは、少々気まずかったがこれもまた仕方ない。
(まずいな……完全に後手後手に回ってる。)
宿の一室である程度考えを巡らせたが、カインは突如脱出のアイデアがひらめく、などということはなかった。別にハンサムでもないし、仲間が来て助けてくれるなどということもなく、現実は非情である。
門から出れない以上、ゴーレム馬を使うことはできない。街を覆う壁を乗り越えることは可能だろうが、足がなくてはすぐに追いつかれる。
外にいる相手から買うなり奪うなりするには不確定要素が多過ぎだ。どちらにせよ、悠長にそんなことをしている間にギルマスにも追いつかれるだろうし。
いっそのこと尾行を消してから脱出という手も考えたが、それも難しい。護衛とギルマスはお互い離れて宿の外から窓を含む出入り口を見張っており、どちらか一方を仕留めようとすればもう一方に見つかる位置取りだ。
[冷眠]を使って眠らせることは可能かもしれないが、同時にとなると無理があるし、そもそも睡眠への対抗装備をされていれば無意味である。都合良くそんな装備をしているとは限らないが、街の中で事態が露見した時点で逃亡は絶望的となるため、博打に踏み切るにはリスクが大きい。
透明化魔法は逃亡に有効そうだが、護衛たちも使っているのだから当然それぐらいの警戒は普段からしているだろう。メルーミィが使えることぐらいは承知しているはずだし、看破するための魔道具も持っているはずだ。
残るは相手が非常に間抜けなことに期待するぐらいだが、いくらなんでも楽天が過ぎる話であった。事前に脱出計画でも用意しておけば違ったとは思うが、今はそれを練るにも準備するにも時間がない。
(所詮は凡人、か。)
非才な我が身を呪っても仕方ないが、今まで何につけ物事が上手くいっていたのは、事前にそれなりの準備ができていたからだという実感がある。
成功の前には成長なり鍛錬なり策なりを準備できたし、失敗の前にはそれらが足りなかったように思えた。今の状況はまさに後者と言えるだろう。
こんなことなら休みを後回しにしてさっさと出発するべきだったのかもしれないが、レベルを上げて昇級という一区切りまでしっかり働いてしまったので、その分しっかり休みたくなったのだから仕方ない。
それにここで皇女殿下を避けられたとしても、帝都に行けば結局似たようなことになっただろうから大差なし、とも思えた。
「あの……申し訳ございませんマスター。私めの案では上手くいかず、結局マスターのお手を煩わせることになってしまいまして。」
考えに集中する余り、難しい顔をしていたためだろう。メルーミィがか細い声を上げたのはそんな時だ。
「あー、まあ上手くいかなかったのは残念だが、俺も承諾したんだからそこは気にしなくていい。なし崩しにメルーミィを持ってかれなかっただけでも、ひとまずは上出来だ。君はよくやったよ。」
実際、こうして多少は時間稼ぎができたし、案を打ち出せたのもメルーミィの精神的な成長あってこそだ。買ったばかりの頃の彼女なら皇女殿下に萎縮し流されるまま、消極的に研究員に戻ることになっていたかもしれない。
結果は思惑通りとはいかなかったが、苦手としていたあの殿下相手に、正面切って意思を示せるようになっただけでも大した進歩ではないか。
それも今の生活に満足していることの証左であろう。部隊の一員としての誇りある仕事や、毎晩『女に生まれて良かった』と思わせるほどの幸福感が、それに起因しているのは間違いない。主人としては、頑張ってこれらを与えた甲斐もあろうというものである。
ただメルーミィの方はそれだけでは納得しなかったようだ。
「……過分なお言葉、まことに恐れ入りますマスター。ですが私めには罰が必要だと愚考する次第です。」
「一応、今の君は自由なんでそうする理由はないはずなんだがな。」
「例えどうなろうと、私めにとってマスターはマスターです。どうかお願い致します。」『これが最後かもしれないから。』
彼女が奴隷でなくなっても深々と頭を下げて罰を望むのは、教育係の誰かのせいなのは間違いあるまい。
「……分かった。では覚悟するように。」
教育係の『それでこそご主人様の奴隷』という偏った感想はさておき、冷静な思考で物事を検討するためには丁度いいのかもしれなかった。
「ふぅ……もう昼か。」
大した失敗ではないのでメルーミィへの仕置きは軽めに実行。そのまま考えを巡らせていると、昼を知らせる鐘の音が聞こえた。
冷静な思考をもってしても成果は芳しくない。せいぜい下水道から逃げるアイデアが浮かんだぐらいだ。だがそれも下水道の詳細な地図でもなければ、成功率が低いぐらいのことは冷静でなくても分かりそうなものである。
考えるほどに準備不足であるという現実が認識できるだけだった。ここに至って逃亡は不可能である、と判断せざるを得ない。となれば狙うは次善策だ。
(……こうなったら勝つしかないんだろうな。)
決闘に勝利さえすればメルーミィを合法的にモノにできるのは確かだ。それしか道がないというのなら、その道で力を尽くすのみである。最初は逃げようとしてたことは一旦棚上げしておくとして。
それに戦いこそ、現状最も準備が整っていると言っていい。魔物を狩りまくって成長し、探心を含む戦闘技術に磨きを掛けてきたのは、まさに今直面しているような避けられぬ戦いを制するためだ。
もちろん最初から戦いを選択しようとしなかったのは、それなりのリスクあってのこと。
「……マスター、私めのために命を懸けなくても、マスターの秘密は必ずお守り致します。ですから……」
「それ以上は言うな。」
軽めだったのでなんとか受け切ったメルーミィが、身を挺して戦いを思い止まらせようとするのを遮る。
決闘は言うまでもなく命のやり取り。当日は癒術師を用意してくれるらしいが、敗者が死に至ることは十分に起こり得る。それを考えれば決闘は避けたかったのが正直なところだ。
ネルフィアの命も背負っている分、メルーミィを切り捨てるのが数の上では正しい選択とも言える。
「言ったはずだ、俺に任せろとな。」
「……はい。」
だがそれでも、カインにこの愛すべき奴隷たちを手放す気などなかった。
奴隷二人が同時に崖から落ちそうなら、三人揃って落ちるリスクを負ってでも両方助けたいと思ってしまうのは、紛れもないこの主人の甘さであろう。
『離れたくない……離れたくないよう……。』
涙を流しながら抱きついてくるメルーミィの、いじらしいまでの想いが伝わってくる。かつて主人に抱かれている際、『捨てないで』と心の奥底で小さく願っていた彼女はもういない。
甘いのだとしても、この主人の傍らこそが自分の居場所だと自覚するようになったメルーミィを、捨てるなんてとんでもないのであった。




