2-47 決意の行方
主人と後輩を秤に掛ければ迷いなく主人を選ぶネルフィアの判断は、彼女の厳しいまでの覚悟の表れだ。他人の心を知る以上、身近な人間の善良なだけでは済まない部分にも直面せざるを得ないのが、この能力の欠点ではあろう。
それもちょっと離れたぐらいで甘味が増してしまう程度には、好意と依存が深化した結果ではあった。これもやむを得ないと受け入れつつも、できればこの覚悟が無駄にならない日が来ないようにしたいものである。
そんなしがらみを脇に置き、今は皇女殿下に当たらねばならない。
「殿下、メルーミィは解放しようと思いますが、ひとつお願いがございます。」
「ふむ……これでは足りぬと申すか?」
「いえ、むしろ逆です。彼女を買った時以上の金銭を受け取る気はありません。」
「……まあよかろう。」『欲がないだけか?』
値上げ交渉かと考えた皇女殿下が思惑を外されて頷く。
もちろんカインにとっても金はあって困るものではないが、これは必要なことであった。
そうしてあっさりメルーミィの首輪を解除すると、自由になった彼女が自分の意思を語り出す。
「殿下、私めのために骨を折っていただいたこと、まことに恐れ入ります。ですが私めはこのまま冒険者を続けたいと思っております。」
「何……? 院には戻らぬというのか?」
「はい。このままこの方の御側にと思います。」
「……なるほど、そういうことか。」
メルーミィを解放するために積まれた金貨は言うなれば手切れ金。であれば、必要以上に得てしまうと彼女が戻らないことは、利益目的なのではないかと見られてしまう。
「私めは己の生きる道を見つけたのです、殿下。どうかお許しください。」
誰に強制されるでもないメルーミィの意思を示すために必要なことであった。
「ふむ……面白いではないか。」『あの「人嫌い」をよくもここまで手懐けたものだ。』
(お、意外にセーフ?)
殿下の反応は想定より悪くない。正直メルーミィが戻らないことを表明したら、最低でも不興を買う覚悟はしていた。最悪は部下に命じて即打首だったが、捕縛される以上のことになれば煙玉を撒いて窓から逃げられるよう備えてはいたのだ。
しかと殿下を見据えて自分の意見を述べるメルーミィに、「人嫌い」と評された帝国魔導院時代の鬱屈とした面影はもうなく、それがお気に召したようである。
しかし、当然それで終わるわけもなかった。
「要望は分かった。カインとやらが過度な金子を受け取らないことからも、そなたらの絆は強いと見える。だが我もこのままただで諦めるわけにはゆかぬ。そこでだ……」
『あっ。』
『またか。』
『この流れは……。』
『悪い癖ですねえ。』
何事か提案しようとする皇女殿下に対し、護衛連中の心がひとつになったのが印象的であった。
「そなたに決闘を申し込む、メルーミィよ。」
帝国のみならずこの世界の多くの国では、問題を解決する方法のひとつとして決闘が存在する。そしてこの皇女殿下、ここぞという時に決闘を厭わないことで有名なのである。流石に当人が戦うことは滅多にないようで
「我は代理人として、我が騎士アスカタロウ・シドウミョウインを指名する。」
なんだか日本人っぽいような、そうでもないような名前の騎士が代理に指名されていた。その騎士とは他ならぬこの全身ミスリル鎧の護衛騎士のようで、顔を寄せて何事か内緒話をしだす。
『殿下、何度も申しますがそう都合良く決闘で物事を解決されては……。』
『よいではないか、そなたの母君からも機会があればそなたを決闘に用いるよう言付かっておるしな。それにそなたに勝てる手合はあの中にはおらぬだろうよ。』
『確かに壁を超えたばかりの冒険者など、物の数ではありませぬが……。』
探心で拾った内容によれば、負ける要素はないと踏んでいるようだ。カインが三級になったばかりという情報も既にギルドから得ているようで、護衛騎士の成長回数が二十にも達していて、明らかに装備の面でも上回っていればその判断も妥当か。
「ではメルーミィよ、師職のそなたでは流石に我が騎士には敵うまい。我が代理人を指名した以上、そなたにもその権利はある……そなたが身を寄せようという男に頼んではどうかな?」
「それは……。」
「元よりそなたが持つ知識と技術は、国としてはみだりに外には漏らせぬもの。であれば、そなたが仕えるべき相手はそれなりの人物でなければならぬ。そなたが奴隷でなくなった以上、この国を治める一族の者として、我がそれを見極める必要もあろうな。」
メルーミィの奴隷の首輪には、研究者として知り得た一定以上の機密を誰に対しても話せなくなる、という条件の呪いが存在していた。研究員としての機密を抱える彼女の身売りを可能としたのも、この呪いあってこそだ。
これは彼女を奴隷商人から購入する際に説明されていたので、カインも承知のことである。というか今思い出した。その気になれば探心で分かってしまうので余り意味がなく、それ故に忘れていたのだ。
皇女殿下がメルーミィを取り戻したがっているのは、彼女がいれば研究段階の反重力魔法の実用化に、大きく近付くと考えているためである。それは国としても莫大な利益を生みそうな魔法技術。例え個人としてはメルーミィの変わり様を気に入ったとしても、それだけで諦めてくれるわけもなかった。
また決闘────平たく言えば暴力による裁定は横暴にも思えるが、問答無用で権力を振りかざして言うことを聞かせるよりは、まだスマートであるという考えが一般的ではあった。
それに本来立場が弱い方であろうと、勝てば要求を通せるのも事実なのだ。決闘の結果は例え皇帝と言えど覆せない。その程度にはこの国での決闘行為は神聖視されてもいた。
決闘自体を拒否することもできなくはないが、皇女殿下に機密漏洩を防ぐという大義名分がある以上、それこそ権力を盾にメルーミィが奪われるだけであろう。そんなこと知ったこっちゃねえよと思わなくもないが、今回は殿下の方が一枚上手であったと言わざるを得ない。
「分かりました、メルーミィの代理としてこの冒険者カインが決闘に臨むことを承諾します。」
「そんな、マスター……!」
「いいんだ、俺に任せとけ。」
『マスターにこれ以上のご迷惑をかけるわけには』などと考えていたメルーミィの機先を制して代理人に収まる。その心には確かな決意があった。
「話はまとまったようだな。ではここのギルドマスターにでも立会人を頼むとしよう。」
そこからは皇女殿下に呼び出されて立会人となった影の薄いギルドマスターを交え、細かい条件が詰められていく。
決闘は明日、冒険者ギルドの訓練場を借り切って行われることに決まり、その日は解散となった。
「即日でも構わぬのだが我も忙しい身でな……では明日また会おうぞ。」『それにしても兄上にも困ったものだ。ロードを生み出し自作自演で実績を作ろうなどと……。』
殿下の去り際にとんでもないことが読み取れてしまう。
先日のゴブリン退治にやたら進化種がいたのは、皇位を狙う皇子の一人が意図的に起こしたものであったらしい。皇女殿下がこの街に来たのは、その件を皇女としての立場と、研究者としての知見と技術を用いて調査するためであった。
そもそも第三皇女という立場の人間が、旧知とはいえ奴隷を一人解放するためだけに、わざわざこんな辺境の街まで足を伸ばすわけもないのだ。
(やっべえな……事の次第では知ってるのがバレただけで首が飛ぶ情報じゃねえかこれ。)
知らない方が幸せなことを知ってしまうのもまた、探心の欠点であると言えた。
こうなってしまったからには更に決意を固めざるを得ない。
(やっぱり逃げるしかないな……!)
決意に必ずしも勇敢さが伴うとは限らないのである。




