2-46 急に皇女が来たので
この国におけるトップクラスの貴人を前に、メルーミィが反射的に跪いて礼をする。カインとネルフィアもそれに習おうとするが、それを止めたのは第三皇女殿下であった。
「よい、今は公式の場ではない。直答も許す。」
「……お久し振りです、殿下。」
「随分と壮健そう……いや、以前より健勝と見える。奴隷暮らしも悪くなさそうだな、メランルーミィよ。」
この皇女殿下がメルーミィをそう呼ぶのは、それが彼女の研究者としての名前だからだ。これは同時に森人族としての彼女の名前でもあるらしい。
変わり子と親が馴染まない場合、生まれ落ちた種族のコミュニティでの暮らしを選択するケースもある。メルーミィが森人族コミュニティでの生活を選べば、その名前で暮らしていたのだろう。或いは初恋に破れなければそうなっていたのかもしれないが、今更であった。
「今の私めはただのメルーミィです、殿下。」
「……ではそう呼ぶとしよう。そなた等も掛けるがよい。」
通されたこの部屋は会議室のような場所で、促されるままに長机の脇の椅子に並んで座る。あらためて長机の反対側にひとり腰掛ける皇女殿下の様子を見やれば、堂々とした皇族としての気品と威厳が漂っていた。
歳の頃は三十路前で、メルーミィの記憶にある通りの美人であるが、同時に厳しい顔つき。編み込み混じりの縦ロールの銀髪は、整えるだけで相当な手間が掛かっているのが素人目にも分かる。服装はお忍びだけあって派手ではないが、それもよくよく生地やボタン飾りなどの仕立てを観察すれば、高級品であることは瞭然。
そして傍らに侍る護衛の重装騎士はうっすらと虹色に輝く全身鎧を身に着けており、ミスリル製の強靭極まるものであることは明らかだ。二メートル近い巨躯もあいまって、この貴人に不敬を働かんとすればただでは済ませぬという問答無用の威圧感がある。護衛騎士の頭部をすっぽり覆った円柱状の兜には目元に穴さえ空いておらず、何らかの方法で視界を確保してはいるのだろうが、それが一層の畏怖を掻き立てさせていた。
(しかも他にもう二人……いや三人か。)
探心によって部屋の隅に誰かがいることは分かっているが、姿は見えない。魔道具か何かで透明になっているのだろう。通常ならば罪になることも、この人物を守護るためには認められるということなのだ。
これらのものを身の回りに置いて泰然という態度こそが、彼女の気品の源ではないか。
そんな人物が何故こんな辺境の街に来たのかと言えば、思い当たることはひとつしかない。とりあえずなるべく低姿勢を保つことにする。
「殿下、恐れながら御用の向きをお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「その方、カインと申したか。今のメルーミィの主人であるな。」
「はっ。」
「今日そなたらを呼びつけたのは間違いを正すためだ。メルーミィが奴隷となった経緯は知っておるか?」
「事故を起こしたことによる賠償のためと聞いております。」
「うむ、それについて調査の結果、事故は仕組まれたものであり彼女の過失ではなかったことが判明した。」
何か奇妙だとは思っていたがやはりそうだったらしい。犯人は既に捕縛され沙汰を待っているとのこと。犯行の理由はメルーミィの研究者としての実績や、美貌に対する嫉妬もあるが────
「我が配下からあのような者が出てしまったことは痛恨の極みだ。済まぬことになった。」
犯人の動機のひとつは「殿下を煩わす下賤な小娘の排除」であり、皇女殿下に対する忖度であったのだという。
「殿下、何も殿下が仮にも奴隷に謝意を示すなどと……。」
「構わぬ。これも人の上に立つ者の責というもの。」
護衛騎士が低い声で皇女殿下を諌めるが、意にも介さぬという態度である。というのもこの皇女殿下、メルーミィの健康そうな様子に対しては『安堵』していたし、先程の『謝意』も心からのもの。何より本人は純粋に物事の道理を正そうとしている。少なくとも研究者としてのメルーミィの価値を認めているのは確かだ。
研究員時代のメルーミィに行っていた叱咤は、やはり皇女殿下なりに当人を思いやってのことだったのだろう。
それだけにしようとしていることは面倒であった。
「ついてはメルーミィを奴隷の身分より解放してもらいたい。無論、ただとは申さぬ。」
メルーミィを買った時の倍近い値を、新品の金貨で積まれてしまった。正規の手続きで奴隷を購入したに過ぎない主人に落ち度はなく、それを曲げさせることに対しての迷惑料込みといった具合か。
ついでにメルーミィを様々な用途に使用してしまったことについても、不問にしておいてくれるらしい。その分は誤って奴隷にされてしまったメルーミィへの補償金が増えるという形になるらしい。
「随分遅れることになったが、それでも物事を正道に戻す必要はある。承知してはくれまいか。」
「……少し、仲間内で相談してもよろしいでしょうか。」
「よかろう。」『即座に了承しないのは金の問題ではないということか……?』
三人で席を立ち、誰もいない部屋の片隅で顔を突き合わせる。とりあえず主人から意見を表明していくことにした。
「向こうの言い分はまあ正しいんだろうな。」
実際、皇女殿下の言い分は筋が通っているし、メルーミィを解放するのが道理なのだろう。金銭的な補償もされるのだから損はないと言えばない。
「だが俺はメルーミィを手放したくはない。金を積まれても、皇族の意思を無下にしてでもだ。」
間違いなく従った方が無難だとは思うし、内情を知っている人間を放逐するわけにはいかない事情は別にしても、今更メルーミィがいない生活など考えられない。それが何よりの損と言えるだろう。
「ご主人様の思う通りにするのがよろしいかと。」
ネルフィアは相変わらずイエスウーマン。この話を突っぱねると帝国にいるのが難しくなるとは思うが、それを伝えられても特に意見は変わらなかった。
そしてこの件の当事者と言えば、自分よりも主人を優先しようとしている。
「そうまで言っていただけて恐縮の至りです。ですが、私めのためにマスターが不利益を被ることだけはあってはなりません。」
「まあ今回最大の不利益は君を失うことだろうしな。」
自分が奴隷を脱せられるチャンスだとは微塵も思わない辺り、好感度やら依存度やらを上げてきた甲斐はあったようである。
また一から冒険者をやり直すのは面倒だが、他国へ移ることを真面目に検討しようとした時、メルーミィの思考が高速化したのを感知する。一瞬で多量の情報が脳内を駆け巡り、考えが一気にまとまるといったことは常人にも稀にあるが、森人族の地頭の良さのためかメルーミィには度々この現象が見られた。
早速その思い付きを披露してもらう。
「まずは私めを解放してください。お許しいただければ、私めは解放されてもマスターと共にありたいと思います。解放された時点で自由となるのですから、研究員には戻らず冒険者を続けたいという私の意思を、殿下と言えどそう阻むことはできません。」
「そう上手くいくかな……どちらにしても殿下の顔を潰すことにならんか、それは?」
「少なくともマスターが潰すことにはなりません。この件は元は私めの問題です。私めが引き受けるのが筋というもの。」
どちらにせよ、単に突っぱねるよりは向こうの望む通りにした上でこちらも筋を通した方がいい、というのがメルーミィの意見だ。
ただしこの案はひとつ穴がある。メルーミィが自由になった時点で裏切る可能性だ。前にもこんなことがあった気がするのは単なる既視感ではあるまい。
「あとは私めがマスターの信頼に値するかどうかになります。どうか私めに、それだけの価値をお認めいただけますでしょうか。」
「……分かったよ。」
探心による心理分析では問題なさそうなので、メルーミィの決断を支持するという形で話はまとまった。あの自己評価の低かった彼女がこんな決断をできるようになるとは、中々に感慨深いものがある。
とりあえずネルフィアが、『万一メルーミィが裏切ったら何があっても私が仕留めねば』などと『殺意』を漲らせてるのには、流石にちょっと閉口した。「一度自由になってまた奴隷に戻ったお前がそれ言うんか」とツッコミたいのをなんとか堪える。
主人のことを第一に考えてくれるのは嬉しいが、もうちょっと後輩奴隷のことも信頼して欲しいものだ。




