1-1 予算の許す限りの待遇を持って迎えられる転生
気付いた時には足元が光っていた。床に描かれた複雑な模様に覚えはなかったが、漠然と魔法陣か何かだろうかと思う。アニメやゲームなどで似たようなものを目にする機会があったためである。
「大丈夫ですか?」
掛けられた声に顔を向けると、ローブを纏った身なりのいい男が立っている。よくよく見渡せば部屋には何人もの人間がいた。特に目を引いたのは声をかけてきた男の横にいる女───メイドのような服を着た少女だ。ローブ男を除けば他が軒並み屈強な西洋風の鎧姿の男たちであるからなおのことであった。
「ご自分の名前などは思い出せますでしょうか、勇者様。」
「勇者? ああ……ノアだ。」
とっさに偽名が出る。ゲームで善人プレイをする時のものがでたのは、唐突な勇者呼ばわりによりこれはゲームか何かの夢ではないかと思っていたのもあるが、ローブ男がなんとなくこちらを『見下している』ように思えたからだ。慇懃に接してくるその姿勢からはそのような悪感情は全く見えないのだが、何故かそれが分かることにノア自身も首を傾げた。
「それでこれは何?」
「はい、まず勇者様は命を落とされました。」
「え? 俺死んだの? 」
ローブ男の説明によれば、元の世界で死んだ勇者をこの世界へと召喚する儀式によってノアは今ここにいるらしい。
「異世界転生か……特に死んだ覚えはないんだがな。」
「死の直前の記憶がない方は珍しくありません。」
記憶を探ってみても最後に思い出せるのは、明日もコンビニのバイトがあるから早めに床に就いた春先のある晩のところまでである。召喚は夢ではないとしても、本当はまだ死んでおらず誘拐されただけなのではないか。そのような考えが顔に出ていたのだろう。
「ご不満があればお帰りいただいて結構ですよ。」
「あ、帰れるの?」
「勿論そうです。我が国はお越しいただいた勇者様を不当に扱うようなことはございません。ただ、勇者様の元いた世界では死者の蘇生技術などはおありになりましたでしょうか?」
「……創作でなら。」
自分が知らないだけで実は現代日本の技術ならあるのかもしれないと少し思ったが、仮にあったとしてもコンビニのバイトが受けられるようなものでもないだろう、とも思ったのでないということにした。
「であれば、戻るのはお勧めできません。そのまま死亡するだけでしょうから。」
「ううむ、まあそうか。それで俺に何をしろと?」
意図しない急激な環境の変化に思うところがないわけではないが、死ぬかもしれない帰還を試す気にもなれず、とりあえずこれが夢か何かである可能性も捨てずに話を進める。
「勇者様には魔物と戦っていただきたく思います。」
「まあ何となくその呼び方で想像はしてたが……だがコンビニ店員の俺にそんな力があるか?」
「おそらく問題はないかと。」
ローブ男によると、召喚はこの世界での勇者の素質を持っていて、死んだばかりの男性の魂を選ぶのだという。
「魂だけなのか。じゃあこの身体は?」
「それは素体と呼ばれるものです。一晩も経てば馴染んで勇者様の生前とそう変わらないお姿になります。」
兵士の一人が持っている鏡のようによく磨かれた盾で確認すると、特徴のない顔の白髪の男が映っていた。もし勇者が召喚を拒んで帰ったとしても、素体には別の勇者を召喚して入れるらしい。何故そんなシステムなのかと思えば、
「予算の問題がありますので。」
「……異世界も世知辛いな。」
なるべくコストを抑えようとこのようなシステムが確立したようだ。他にも召喚対象が男性に限定されるのは、女性型の素体も用意するのにコストが嵩むためとか、戦闘を生業とするには女性勇者では拒否される公算が高いなどと解説もされた。コストカットに努めた甲斐もあってか、勇者召喚は月に一度か二度程度と結構な頻度で行われるとのこと。
「そして心苦しいのですが……予算の問題で勇者様にお渡しできる装備も限られたものになってしまうのです。」
「具体的には?」
「銅の剣と銅の盾、そして奴隷が一人になります。」
「奴れ……ッ。」
思わず声が詰まる。どう考えても剣や盾よりもやたら高そうな初期装備だが、命の価格が安い世界だったりするのだろうか。そう思っていると、今まで控えていたメイドの少女が一歩前に出て頭を下げた。
「ネルフィアです、よろしくお願いします。」
ネルフィアと名乗った少女が頭を上げたので、あらためて観察する。くすんだ茶髪にショートボブのような髪型と碧眼、地味めな顔立ちだが悪くはない。メイド服を着せられた素朴な田舎娘と言った風情がある。身体つきは服の上から見ただけだが、薄いし平坦で女性的な特徴に乏しい。というか中学生にさえ見える。
「彼女がこれから勇者様のお世話を担当します。促成ですがメイドとして一通りの教育は施しましたし、彼女の天職である賦活師として戦いの役にも立つでしょう。是非お連れください。」
「随分若いようだが……?」
「彼女は今年で十八です。」
ならセーフかもしれない。異世界に来てまで児ポ法を気にする必要もなかろうが。というか奴隷自体がまずいだろうと思ったが、この世界では別に違法というわけでもないらしい。
「お気に召しませんでしたら別の奴隷をご用意も出来ますが、できることなら彼女を勇者様付きにしていただくことが彼女のためにもなります。」
「というと?」
「彼女は借金のために奴隷落ちすることになりました。私どもは彼女が勇者様付きになることを条件に、一定の額を払うことになっております。もちろん彼女を選ぶかは勇者様のご自由ですが、そうでなければ彼女には別の仕事をしてもらうことになり、条件が違えば私どもが支払う額も当然少なくなります。」
次の召喚は短くても半月後。一月がどのぐらいなのかは知らないが、その間奴隷に無駄飯を食わせる余裕はないということなのだろう。あらためてネルフィアを見れば、不安そうにこちらを見つめる眼が正面衝突してきた。ややぐらつく心を自覚しながらも、とりあえず決断を先延ばしにする。
「とりあえず、奴隷の扱いについて注意事項はあるか。」
「契約を結んだ奴隷は基本的に主人の命令に従いますが、奴隷が心の底から拒否する命令は受け付けません。」
犯罪行為の強制や、余りにも無体な命令から奴隷を護るための措置なのだとローブ男は説明する。
「とは言え、滅多なことでは命令を拒否されることはないでしょう。奴隷をまともに扱っている限りは、ですが。」
「あまり酷い扱いをしていると反抗を招くわけか。」
「それでも主人の命を奪うほどではないでしょう。奴隷は主人が死んだ時に殉死しますので。」
「そんなことが可能なのか?」
「こちらの奴隷用首輪を用います。奴隷契約は一種の呪いであり、それで命令への服従や殉死を制御するのです。」
近くの台の上に乗っていた一部が開いた黒い輪をローブ男が手に取って見せてくる。革製だろうか、光沢があってちょっと高級そうに見えなくもない。他にも主人は奴隷に衣食住を保証したりする必要があることなどを説明された。
「勇者様がこの王城に逗留していただける期間はおそらくそう長くありませんし、その後も世話する奴隷がいることは勇者様にとっても都合がよろしいかと。」
「ずっとここにいられるわけじゃないのか。」
「ええ、それも予算の問題でして。そう遠くない内に勇者様には自活していただくことになるかと……。」
「本当に世知辛いな異世界。」
当然だが、よくあるネット小説のようにはいかないようだ。ここで駄々をこねてもいいが、そうなると帰還を促されるのだろう。多分強制的に。なんとなく気付いていたが、周囲を囲む武装した兵士たちは、反抗的な勇者を力づくで送り帰すためのものなのだ。ノアは過度の束縛を受けないで済むと思うことにした。向こうの言うことを信じれば、死んだところに第二の人生を与えてくれたようなものなのだし。
奴隷を受け取らなければ王城で過ごせる期間は延ばせるという選択肢も提示されたが、そんな気にはなれなかった。
「彼女は処女ですし病気の心配もありません。避妊の魔法も覚えさせていますし、きっと勇者様の生活を豊かなものにするでしょう。」
ローブ男のこの耳打ちがあったからである。別に処女にそこまでのありがたみを感じてるわけではないが、慣れない異世界において性生活の充足はきっと重要だろう。あと借金のことも忍びないしな、とノアの中で理論武装が完成していた。
「……分かった、彼女を奴隷にする。」
「あ、ありがとうございますっ。」
弾かれたように再び頭を下げたネルフィアからは確かな『感謝』の気持ちが伝わってきて、ノアの心に染み渡っていく。それが人一人を背負うという重荷を一時忘れさせた。悪いことばかりではないだろう、とノアは前向きに考えることにした。
それにしてもさっきから感情らしきものを受信しているのはなんだろうか。まさかこれが転生特典なのだろうか。