第八話 固有魔法
固有魔法――厳密には固有魔法『系統』――というのは、星の数だけ存在する。
人の数だけ、とも言っていい。
かぶることもなくはないが、それでも滅多にない。
固有魔法系統にはレベルの概念がある。
最初は1で、最後は10。
レベルが上がるにつれて単純に威力が上がったり、ものによっては全く毛色の異なる魔法を使えるようになったりするのだ。
使っていくうちにレベルが上がり、固有魔法系統の名称自体が変わることもありうる。
固有魔法の多様性の要因として、固有魔法を「創れる」ということが挙げられる。
ステータスカードに記載される固有魔法系統に応じてどんな魔法が創れるかは縛りがあるが、自由度はまあまあ高い。
例えば、【禁呪】という固有魔法系統を持つ者がいたとしよう。
というか、まあマリーのことなんだけど。
彼女の固有魔法は俺の知る限り、現時点で三つ。
【獄炎】、【獄雷】、【獄獣】、という固有魔法を彼女は創った。
【禁呪】という系統の名前とレベルはステータスカードに記載されているが、具体的にどういう魔法が使えるのかはステータスカードには書かれていない。
だから、【禁呪】という二文字を見てどのような魔法が使えるかをマリーは『想像』し、『創造』したのだ。
【獄炎】と【獄雷】、それから【獄獣】。
これら三つの固有魔法は、まさしくマリーの固有の魔法なのである。
そして、俺も。
念願の固有魔法を成人してからようやく使えるようになった。
固有魔法は生まれつき使えるわけではない。
成人前後間近の年齢になってステータスカードに記載され、使えるようになるのが分かるのだ。
中にはマリーみたいに比較的早めに開花する者もいるが、少数派だ。
【虎の威を借る狐】。
それが俺の固有魔法系統だった。
レベルは、1。
今のところ、創造した固有魔法は【真似:固有魔法】の一つだけ。
文字通り、他者の固有魔法を真似する能力。
これだけ聞くとチートな固有魔法のように聞こえるかもしれないが、制限が少し多いのだ。
まず魔法を真似する、というより借りるためには、借りる魔法のことをよく知り、その人の魔力をもらう必要がある。
その際ストックできる魔法の回数は一つの魔法につき一回分ずつ。
一回使ってしまったらまた同じように魔力をもらい直さなければならない。
しかも、借りることができるのは一度に一人だけ。
そういうわけで、今回の旅の前。
俺はマリーにお願いした。
固有魔法を貸してほしい、と。
別に俺が【真似:固有魔法】で彼女の魔法をパクったところで彼女がその魔法を発動できなくなるということもないので、許可が下りるかどうかは完全に気持ちの問題だ。
マリーの固有魔法は、本当に強い。
お前の魔法には人を魅了する美しさも兼ね備わっている。
そんな魔法を、俺も使ってみたい。
だから、お前の力を貸してくれ。
多弁におべんちゃらを加えて、頭を下げた。
彼女は頭を下げた俺を一瞥し、一言。
『試したい魔法がある。貸す魔法一つにつき一つ。それならいいよ』
俺は白目になりながら頷いた。
マリーにとって俺はあくまで実験台だった。
さて、三度にわたる拷問の末。
俺はついにマリーの固有魔法を借りることができた。
そのうちの一つ、【獄雷】。
その威力は、腐花猿が身をもって証明してくれた。
「ああ……おぉおお」
紫電に染まった世界が元通りになる。
辺りは静まり返り、むせかえるような腐臭と、ミルナの荒い息遣いだけがあった。
直径十センチ。
大きな風穴の空いた大猿の右腕。
腕の付け根の部分に、ぽっかりと綺麗な真円が出来ていた。
これでもう、あの右腕は使い物にならない。
流石、禁呪。
流石、マリー。
流石、俺。
至近距離で見ていたミルナも、俺の放った魔法の威力に驚いているのだろう。
目を見開いて、固まっている。
魔法のストックは【獄炎】と【獄獣】の二つになってしまったが、やむを得ない。
残り二つはしばらく活躍する機会がないことを祈ろう。
してやったり、という気持ちになりながら俺は叫んだ。
「あとは任せた、ミルナさん!」
「……ッ!! うん!!」
腕一本に空洞ができただけじゃ、致命傷とは言えない。
魔物は人間よりもはるかに頑強なのだ。
今の俺の魔法はあくまでコンボを意図したもの。
【獄雷】という禁呪の器は、その破壊力だけに甘んじない。
この魔法には凶悪な追加効果もあった。
状態異常の『麻痺』。
ゾンビのような腐花猿の体に効果があるのかという疑問はあったが、どうやら杞憂だったらしい。
地獄の雷は、その魂をも感電させる。
たとえ死者の体を持つゾンビ猿でもそこに殺意という意志がある以上、禁呪の効果は満足に発揮されるのだ。
致命傷を与えるまでには至らなかったが、足止めには十分すぎる。
もはや神経が通っていないかのようにだらりと揺れ下がる千切れかけた右腕に壮絶な痛みを覚えているのか、頭の花弁だけを激しく開閉させていた。
そこに戦意という意思はない。
ただ、苦痛にもがき苦しむ醜態を魔獣は晒していた。
当然、隙だらけ。
猿ご自慢の腕力も、速度も何の役にも立っていない。
Aランクが聞いて呆れるほどだ。
だからこそ、確実に。
急所を一撃で破壊できるように。
狩人は、歩みを進める。
「カオル君、すごいなぁ……こんな魔法も使えるなんて。私もいいところ見せないとね」
数歩分の間合い。
痙攣するのみとなった巨躯を、彼女は見据える。
「白竜の力、一弦の光と、一弧の光となりて、魔を穿つ弓となれ……【白弓】」
彼女は量ではなく、質で勝負を決めに行く。
三つの白い魔力の塊が、溶けるように形を変えて、一つに混ざり合う。
滑らかな魔力の流れの行きつく先は、純白の弓だった。
神話のワンシーンのような光景。
女神が聖なる弓と矢を以てして、邪悪の化身を打ち倒す。
白い衣服に身を包んだミルナは、まさしく女神のようだった。
弓と同じように、魔力で一本の矢を作る。
白魚のような可憐な指で矢を引っかけ、つがえる。
大きく弦を、耳のあたりまで引いて。
最後に、真っ直ぐと。
矢を、放った。
矢を放つまでの時間。
魔物の猿には永遠にも感じられただろう。
もちろん、自らの走馬燈で、だ。
とはいっても、その記憶は殺戮一色にそまったもの。
何の哀愁も、何の感慨もわかない。
無機質な記憶の濁流に身をもまれながら。
腐花猿は、倒れた。
静寂は変わらない。
ミルナの荒い息遣いも変わらない。
ただ、それまでこの場に充満していた身の毛のよだつような魔力が消えていた。
……倒した、のだろうか。
頭の代わりにあるラフレシアもどきの真ん中。
パール色の水晶には、矢が突き立っている。
Aランクの魔物を、ギルド役員試験に受かったばかりの新人役員が討伐。
想定外の事態の想定外の結末。
不思議と胸が熱くなる。
俺のできたことと言えば人から借りた魔法で足止めくらいだが、それでも強敵を倒したという達成感のようなものがあった。
俺でこうなのだから、ミルナはなおさらだろう。
彼女の方を向くと、目があった。
にっこりと微笑まれる。
やったね、と玉の汗を浮かべながら表情で語っていた。
どうやら、ギルド役員としての最初の試練は乗り越えたようだった。
… … … … …
腐花猿の死体から適当に素材を回収し、討伐の証となる『魔石』をはぎ取った後。
他の魔物たちが寄ってこないように俺の魔法で死体を燃やす。
Aランクの魔物というだけあって、その素材は非常に価値が高い。
依頼で討伐したならともかく、今回のようにたまたま遭遇してたまたま倒したという場合はその報酬は討伐した人間が100パーセント回収してよいことになっている。
結果だけ見れば良い素材が手に入ってホクホクであるが、あんな死闘はそうそうしたくない。
「そう? 私は結構楽しかったけどな」なんて言うミルナはまさに討伐員の鑑だろう。
間違ってもミルナと喧嘩しちゃいけないなと心に決めた瞬間だった。
これからカールの町のギルドで一緒に働く仲だし、意見が食い違うことがあるかもしれない。
なるべく話し合いだけで済むようにしたいものだ。
喧嘩になったら間違いなく一方的にボコられて終わるだろう。
「それにしても、さっきのカオル君の魔法凄かったわね」
エルフィリアがわざわざ言う機会を待っていたかのようにそう言った。
実際は俺の魔法ではなくマリーの魔法をパクっただけなのだが。
そもそも、エルフィリアは俺のデータはあらかじめ書類で見てるはず。
だとしたら俺の固有魔法についても知っているはずなのだが……。
「知識としては知ってはいたけど、実際にみるとやっぱり驚くわよ」
「『虎の威を借る狐』……だっけ? だれからあんな魔法借りたの?」
「それはまあ……秘密かな」
あんなヤバい魔法をバカスカ撃てる人間が家族にいることは、なるべく知られたくないし。
俺はミルナの質問に曖昧に答えるだけでとどめておいた。
「さて……これからどうしようかしら」
「馬車、壊れちゃいましたね」
俺たちがここまで来るのに使っていた馬車は見るも無残な木片と化していた。
このまま放置するしかないだろう。
馬に関しても、転倒した際に足を骨折してしまったようで走るどころか立つことすら不可能な状態だった。
「かわいそうだけど……置いていくしかないわね」
下手に生かそうとする方が、無理を強いることになる。
エルフィリアが、苦しそうに喘いでいる馬に近づき、
「『風刃』」
瞬きをする間に、馬の首と胴体がすっぱり別れた。
残酷だが、生きたまま放置すれば魔物にとって格好の餌食だ。
治癒魔法でどうにかできる範囲を超えているし、息の根を止めてやるのが一番の慈悲だろう。
ミルナの方に目をやると、彼女もうろたえている様子はなかった。
彼女は彼女で、討伐員を志望するような人材だ。
いくら残酷な行為でも必要な処置だと割り切れる人間でなければ、身内を失う危険を承知の上で魔物の命を刈り取るの生業とする討伐員には絶対なれない。
揺らぐことのない強い瞳に、俺は頼もしさを感じた。
彼女は、今後のギルド生活を送っていくうえで必要不可欠な存在になるだろう。
そう、確信できた。
腐花猿と同様に馬の死体を燃やして、今後のことを会議する。
ちなみに、馬車を操縦していた御者は背中を強く打撲したせいで激しい移動は困難そうだった。
内臓とかにももしかしたらダメージがいっているかもしれない。
まあ、生きてるだけでも幸運だ。
「徒歩だと大分時間がかかりますよね」
「ええ……二日は野宿しないといけないわね」
森林地帯を抜ければ、カールの町はすぐらしい。
一応道のようなものは整備されているので迷うことはない。
だから、町への障害となりうるのは魔物だけなのだが……。
「休む暇もなさそうね」
「『鉄蟷螂』……!」
鈍い光沢を放つ、ギザギザの刃を持った前足を掲げた鋼色の昆虫がいつの間にか木々の陰から出てきていた。
Cランクの魔物で、先ほどの腐花猿に比べれば強さに関して雲泥の差であるが、いかんせん数が多い。
ざっと見ただけでも20匹はいそうだ。
緑狼と同じく、この森で報告されている魔物は群れを成すという特徴も考慮してCランクの危険度に位置付けされていることが多い。
この鉄蟷螂もその類で、一匹一匹はEランクの域を出ないが単体で出現することはそうそうない魔物だ。
「ミルナさん、任せてもいいかしら」
「はーい」
「え?」
腐花猿との戦闘の後での鉄蟷螂の襲撃。
また修羅場かと身構えたが、ミルナが暢気に声をあげる。
何の気負いもない、街中でいるような体で。
「大丈夫。雑魚は、私一人で十分だから」
彼女は俺に向けていったのか、視線も向けずに言葉を漏らす。
そして、その一言は数秒後には何ら誇張の無い彼女の実力として証明された。
腐花猿でようやっと相手になる、というレベルなのだろう彼女の戦闘力は鉄蟷螂の群れを蜘蛛の子を蹴散らす勢いで蹂躙した。
光の奔流としか形容しようがない彼女の魔法は立ち並ぶ木々の陰に潜む鉄蟷螂たちを優しく包み込み――消滅させたのだ。
戦闘になる余地すら与えない――圧倒的な強者の裁きに俺は呆然とするばかりだった。
「頼もしい限りね。彼女は」
「腐花猿の時も助け要らなかったんじゃないすかねこれ」
「念のため、よ」
おどけたように言うエルフィリアの言葉には、何ら説得力がなかった。