第五話 旅立ち
王都の出入口の検問所。
朝早くでも人の多さはすさまじいものがあった。
邪魔にならないように場所を調整して、いよいよ生まれ故郷との別れの時を迎える。
15年。
十分長い年月だ。
学生時代もここで過ごしたし、成人するまで本当にお世話になった町だ。
日本でいうところの中学校を卒業すると、この世界では成人したとみなされる。
俺はもう立派な大人として見られるのだ。
もちろん、精神的にはまだまだ未熟な部分が多いので、実質的にはガキのままだが。
慣習的にはもう一人前なのだ。
先日、評議会の評議長室にて。
部屋には評議長と、手紙の書き主のアルベルト、そして一人の女性がいた。
評議長以外の三人でソファに座って面談が行われた。
主に話をしたのはアルベルトだった。
評議長はずっと自分の机で執務を行いながら聞き手に回っていた。
まあ、正直野郎二人のほうはどうでもいい。
俺の関心は話の最中、完全に女性の方に向いていた。
彼女は、俺が配属されることになるギルドの現ギルドマスターだった。
面通しのために同席したらしい
名前は、エルフィリア・ロストフェアリー。
翠の正装に身を包んで、彼女はアルベルトさんとやらの隣に姿勢よく座っていた。
もう何が言いたいって。
めっちゃ美人だった。
一言で言ってめっちゃ美人だった。
こんな人間がいるのかと思うレベルで、女神だった。
というか実際、エルフの血を引いているそうなので純粋な人類ではなかった。
彼女の補佐をするという事実を理解して俺の脳みそは興奮しっぱなしだった。
アルベルトが評議長の代理として話している最中。
彼女をずっとガン見するのは流石に狂っているので、チラ見を何回か繰り返す程度であったが、それでも自分が彼女に見惚れていたというのが客観的に見て分かるほどには見ていた。
幸いなことにその場では何も注意されなかったが。
ああいう公式の場での振る舞いはもうちょっと考えたほうがいいだろう。
せっかく試験に合格したのに視姦してクビを飛ばされるのはごめんだからな。
話の内容についてももちろん気はそぞろながら聞いていた。
まず、俺だけがわざわざこういう形で面談を行うに至った理由。
首席だから、というのもあるが、どうやら俺の配属されるギルドの方に問題があるらしかった。
というか、問題があるからこそ、成績優秀な俺を当てることになったらしい。
王都から北に進んで、森林を一つ挟むとカールという町がある。
町の名前を初めて聞いたとき、麦わら帽子をかぶったおっさんの姿が思い浮かんだのはご愛嬌。
名前はともかく、そのカールという町に件のギルドがあった。
王都スーサはオーガニア王国にとって一番重要な都市の一つだ。
当然魔物の脅威から遠いところにある必要がある。
だから王都の周りにはいくつか防衛拠点のようなものがあって、カールは北部の防衛を担当する形で所在していた。
東西南北のそれぞれに似たような町があるのだ。
ところが、ここ最近。
どうも北部からの魔物の侵攻が多いらしい。
この世界ではどこもかしこも魔物が出没するので、王都周辺も例にもれず強力な魔物が出現する。
王都の北部にはさっきも言ったように森林があり、この森林を通って魔物が侵入してこないようにするのがカールという町の役割だ。
にもかかわらず、魔物が森林を通ってやってくる。
どういうわけかカールの町のギルドに事情を聞いたところ、なぜか王都北部の魔物が活発化しているらしいとのこと。
魔物討伐の依頼が増えすぎて、人手がとにかく足りない。
しかし、狩り損ねた魔物が王都から町までの道に蔓延っていて、戦闘能力の低い新人のギルド役員は送り込めない。
ベテランどもを北部だけに送ることもできないので、新人を差し入れるなら少数精鋭で頼む。
そんな経緯で俺はカールの町のギルド、『白雪のかまくら』に送り込まれることになったそうだ。
少数精鋭の一人に選ばれ、随分と光栄な待遇を受けているようだが。
要するに俺はこれから人手不足の現場に送り込まれるということなんだろうか。
そう疑問に思うも権力には逆らえない。
まあギルドマスター志望だし、そんなもんかと思って快く承諾した。
何より、エルフィリアと一緒に働けるというのが最高の労働条件だった。
それ以外の話については手続きとかの形式面の話が主だったので省略しよう。
最後に「期待してるぞ、頑張り給え」と評議長に言われてその場は退場することになった。
そして、今日が配属の日。
王都からカールの町までは馬車を使って丸一日の距離。
ただ、現在は状況が状況のため、魔物の出没具合によってはそれ以上の距離になるかもしれない。
そう説明された。
だが、いくら旅の日数が伸びても正直構わないと思っている。
何でかって?
よくぞ聞いてくれました。
それはですね……
「カオル君。そろそろいいかな?」
「もちのろん。ミルナさんは?」
「私もオッケー。それにしてもカオル君の家族は見送りとかに来ないんだね……」
「一応昨日送迎会みたいなことはやってくれたし、別に見送りはいいってこっちから頼んだんだよ。なんか気恥ずかしいし」
「しばらく会えなくなるんだし、ちゃんとしたほうがいいと私は思うんだけどなぁ……カオル君がいいならいいけど」
真夏の公園にいそうな白い衣服に身を包んだ少女。
朝にしては高い気温に、馬車への荷物運びで汗が瑞々しい肌に浮かんでいた。
「エルフィリアさんは?」
「もう少しで来るんじゃないかな……あ、ほら。噂をすれば」
「ごめんなさいね、二人とも。準備はいいかしら?」
「私は大丈夫です」
「同じく、です」
「じゃあ、行きましょう」
貴族が乗るような馬車だと魔物が出た際にエライことになるので、荷台と御者台だけの簡素な馬車だ。
俺たちは荷台に荷物と一緒に乗ることになる。
決して広くはない荷台に三人。
それと、御者が外に一人。
今回の旅路の面子だった。
これが、旅の日数が増えてもいい理由である。
おわかりいただけただろうか。
揺れる桃色の髪と翡翠色の髪を眺めながら、俺は二人の後に続いて馬車の荷台に乗り込んだ。
「では、出発してください」
「はいよ、道中の安全は任しやしたぜ」
「ええ、安心して運転してください」
御者の掛け声とともに外に見える風景が動き出す。
揺れはそれなりに大きいが、そこそこに鍛え上げられた体ではそれほど気にならなかった。
それよりも、遠ざかっていく王都に、言い知れぬ感動を覚える。
やっと、親元を離れて、一人で生活していくことになる。
前世も含めて、生まれて初めて自立するのだ。
感慨を抱かないはずがなかった。
しみじみと馬車の外を見つめていると、隣に座っている少女が口を開いた。
「やっぱり、家族に見送りしてもらったほうが良かったんじゃない?」
「……どうだろ」
正直に言うと、あのキチガイどもと一緒にいるところを見られたくないというのが見送りを断った理由だった。
断っても下手したらついてくる可能性はあったが、今回は驚くほど聞き分けがよくて、来なくていいといったら素直に受け入れてくれた。
真意は分からないが、何かしら彼、彼女らなりに思うことがあったのだろうか。
謎だが、それを知る機会はしばらく来ないだろう。
でもまぁ。
愛着もないわけではなかったからな。
彼女の言うことも一理あった。
……いや、全裸の兄とか見られたら俺の人格まで疑われかねないからやっぱ一理もないな。
思ったよりもあっさりとした門出。
俺の心には、期待と興奮と、少しの緊張があった。
俺と、同じく門出をする少女。
二人してガタゴト揺られながら、変わらない速度で離れていく王都をしばらく眺めていた。
… … … … …
前世と違ってスマホやらゲームやら便利なものなんてないので、道中は手持無沙汰になる。
当然馬車の中では会話が生まれた。
「じゃあ、ミルナさんも首席だったんだ。すごいな」
「いやあ、そんなことないよ。ギルドマスター試験の首席様にはかないません」
茶化した感じでミルナが言う。
彼女は討伐隊員志望の娘なようで、俺と同じ『白雪のかまくら』に配属されることになった。
温和な雰囲気に反して、討伐隊員というのがギャップを感じる。
こんな可愛らしい女の子が魔物と戦うのか。
そして俺はそれを黙って見ていると。
情けない気もするが、適材適所という言葉もある。
討伐隊員試験に首席で合格するだけあって、実力は高いはずだ。
最低限の手助けだけして、出しゃばらない方がいいだろう。
俺のスペックは前世に比べれば相当高くなったが、この世界の人間の平均と比べてそこまで高いわけではない。
身体能力も、魔法の才能も、どちらも人並み。
唯一他の誰も持っていないものはある。
この世界の人間がそれぞれ生来持つ、『固有魔法』というものだ。
けど、俺の固有魔法は最近になってやっと使えるようになったので、実戦投入するにはちょっと怖い。
今回の旅路でも、やむを得ない場合は使うことがないだろう。
「それにしても、二人だけなんだね」
「余り人数が多いと困る理由があるのよ」
少数精鋭とはいえ、俺と彼女だけ?
と疑問に思ったが、エルフィリア曰く「安全を期するため」とのことだ。
余り大人数だと魔物と遭遇したときに逃げづらくなったりして被害が大きくなる、ということだろう。
もう一つ理由はあるらしいが、それは秘密らしい。
「まだしばらくは魔物が出ることもないわ。森林地帯に近づくまで、二人とも沢山お話して、親睦を深めてくださいね」
「はーい!」
元気の良い返事を聞きながら馬車の外を見る。
とっくの昔に、王都は地平線の境界すれすれに小さく見えるだけとなっていた。
そういえば、ミアとキールはどうなったんだろう。
結局合格発表の時以来会っていないので、彼らは俺の合格を知らない。
ミアに仕返しをする機会は当分こなさそうで残念だが、まあいいか。
彼女らは彼女らで元気にやっていくだろう。
クァーレのご加護がありますように(笑)。
「ねぇ、カオル君?」
「はい、何でしょうミルナさん」
「スノウホワイトの噂、聞いた?」
「ああ……あれね」
「なんか、女の私もちょっとドキドキしてきたよ」
カールの町唯一のギルド、『白雪のかまくら』。
このギルドにはある噂があった。
こっちでの学生時代の友人からついこの前聞いた話である。
カールの町のギルドに配属されるからしばらく会えなくなる、という話をしたところ、こう返された。
『お前、あのアイドルギルドに行くのか。そうか、頑張れよ』
アイドルギルド。
どういう意味だろうか。
当然の疑問を抱いて彼に聞くと、今度はこう返ってきた。
『何でも、カールの町のギルドは美人ぞろいらしい』
『その話詳しく』
『討伐隊員も、事務員も、そして現ギルドマスターも全員女性なんだそうだ。お前、ホントくじ運良いよな』
全員女性のギルド。
あれ、これ俺の夢もう叶う寸前じゃね?
彼のうわさが本当なら、実際そうなる。
よほど下手なことをしなければ、ギルドマスター補佐は研修期間のようなものを終えればそのままギルドマスターになれるのだから。
俺がギルドマスター補佐であるうちにセクハラとかで訴えられなければ、夢は叶うのだ。
異動とか転勤とか言う可能性も無きにしも非ずだが、可能性は低い。
彼と別れてから、他のツテでも色々聞いてみた。
すると、やはり同じような情報が出回っているようだ。
何で俺だけが知らないのか疑問に思うほどに。
まあ、ここしばらく勉強詰めだったし、本にアイドルギルドの情報なんて書いてるわけもない。
それで損することもないだろうし。
むしろ、ますます期待が高まってきた。
噂の真偽はどうあれ、エルフィリアとミルナと一緒に働けることは少なくとも保証されている。
俺の未来は光で照らされているも同然だ。
「一緒に配属される人がカオル君みたいな優しそうな人でよかった」
「へ?」
「ちょっと無愛想な顔してるから、どんな人か不安だったんだ」
「それは流石に傷つくけど……」
「あはは、ごめんごめん」
楽しそうに淡い桃色の髪を揺らして、笑う。
ミアの時は衝動的に粗相をしてしまったが、どうやら今回はうまくいったらしい。
猫かぶりの効果があったようだ。
素の性格があまりよろしくないという自覚はあるので、今後も優等生ぶって行動することにしよう。
下衆い思考だけど、何とでも言え。
俺は目的のためなら手段を選ばない男だ。
「これから、よろしくね?」
「こちらこそ」
俺の濁った欲望とは対照的に、外の柔らかい日差しと、ミルナの太陽のような笑みが溢れる清らかな旅路であった。