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第十話 ミルナのお話

 

 ミルナ・レオンハート。

 桃色の、さらさらとした長髪を一本に纏めた、優しい雰囲気の少女。

 

 彼女はオーガニア王国の中でも辺境の湖地帯、北部のドーナツ湖という湖周辺にある村の出身らしい。

 ドーナツ湖は規模の大きい塩湖の一つであり、その地元に住んでいる人々は塩田を作って塩の生産を生業としている。

 都市などに流通している塩などはドーナツ湖が位置する湖地帯からの輸入も多く、比較的重宝されている地域だ。

 それゆえに経済的にはそこそこに豊かだという話は聞いたことがあるが、実際のところはそうでもないらしい。


 金に困ることはないが、村の人々が直接金銭を扱うことはないのだ。

 湖地帯の村々の取引相手である諸都市の商人たちはしっかり金を払うが、それ以外の部分は当然ながら考慮しない。

 売買契約自体は王都を含めた都市の方で村の領主が行っているため、現場の声が届きにくい。

 食料を含めた村に届く物資の購入の手続きも都市の方で行うので、都市で塩を売ることによって得られた金はそのまま都市で領主が消費する。

 そのため村に物理的に銭が入ることはなく、行われるのはせいぜい家畜などの物々交換くらいだ。

 

「まあ、どうせ使い道もないからいいんだけどね」


 あっけらかんとミルナが言う。

 生活するための食糧や衣類品などは満足に送られてくるらしいし。

 生きることにさえ困らなければ問題はないのだろうか。


 ……しかし。


「塩害とか、大丈夫なのかね」

「えんがい……?」


 思ったことをポツリ言うと、ミルナが不思議そうな顔をした。


 あれ。

 地元の住民でも意外と知らないのだろうか。

 

「村とかって他には作物栽培してないだろ?」

「え、うん。種とかを植えても育たないってお父さんが言ってた」

「塩湖周辺は基本的に土壌が枯れてるからな。過剰な塩分は生物にとって有害だし、ドーナツ湖の辺りは乾燥地帯だ。ろくに雨も降らない」

「そうなんだ……確かにめったに雨は降らないかな」


 あくまで本で得た知識だから、現実にはどれくらい問題になっているか分からない。

 ただ、ミルナの話を聞く限り村の環境はあまり住みやすいものではなさそうだった。


「食料は都市から輸送してくるとして……水はどうしてるんだ?」

「井戸水を使ってる人たちがほとんどだよ。砂漠みたいな土地だけど、掘ると結構出てくるんだよね……」

「……飲料水も井戸水?」

「そうだけど……どうして?」

「水、もしかしてしょっぱくないか?」

「うん……湖の近くだし。でも飲めない程ではないよ」


 生活水は完全に井戸水に頼っているらしい。

 ほかに水源もないし、仕方はないが……。


「村で病気とか流行ってないか?」

「えっ!?」

「うぉっ」


 急に隣で大声を出されたので、危うく枝から落ちそうになってしまうのをすんでのところで防いだ。

 びっくりしたが、それ以上にミルナは驚いていた。


「なんで、分かるの?」

「いや……さっきも言ったけど、あまり塩分摂りすぎるのはよくないし、年がら年中塩水を浴びて生活すれば、病気の一つや二つにはなってもおかしくない」

「……そうなんだ」


 ミルナは呆然とした顔で俺のことを見ていた。

 俺にとっては割と当たり前のことだったし、それにあくまで他人事というのもあるので淡々と話してしまったが、どうやらミルナにとっては割と大きなことだったらしい。

 塩害という概念を知らなかったのは、単純に教育を受ける機会に恵まれなかったからだろう。

 いやでももしかして結構マイナーな知識のほうかこれ?

 常識的な知識であればギルド討伐員の試験の勉強のために学習しているはずだし。

 そういえば塩害のことが載ってた本も、ちょこっとしか書いてなかったな。

 

 というか俺の場合は前世の知識も混ざっている。

 朝から晩までインターネットで遊んでいただけあって、雑多な知識は無駄に身についている。

 王都内で過ごしているうちは正直筆記試験以外であまり役に立つことはなかったが……。


「私のおじいちゃんも、そのせいなのかな」

「おじいちゃん?」

「私が、強くなれたのはおじいちゃんのおかげ。本当に、感謝してるんだ……私に夢を持たせてくれて、お父さんとお母さんと一緒に私を外の世界に送り出してくれた」

「王都には、一年前くらいにやってきたんだっけ」

「そうだね。それまでは、ずっと村で暮らしてた」


 曰く、一番最初に驚いたのは王都周辺の魔物が村の周辺に出てくる魔物よりもはるかに弱いことだったらしい。


「スライムなんて見た時には、最初魔物なのかどうかも分からなかったもん」


 弱すぎて、スライム程度だと魔物としてすら認識できないようだ。

 スライムといっても、前世の某国民的RPGにでてきたあのスライムとは一線を画した存在だ。

 一番弱い種類のスライムでもCランク。

 強酸性の体と、伸縮自在の触手。

 捕まればまず命はないので接近戦を挑むのは愚策。

 遠距離から魔法などで攻撃するのが効果的となるが、遠距離が弱点だとスライム自身も理解しているのか、魔法を跳ね返す魔法をよく使ってくる。

 慣れないうちは厄介な魔物だという知識が俺の頭にはあるのだが。


「なんか、びよーんって腕をこっちに伸ばしてきたから『白剣』で切ってみたんだけど一瞬で蒸発しちゃった」

「……かわいそうに」


 手を前にばねみたいに伸ばして真似をする姿は可愛らしいが、やってることは結構えぐい。

 ナメクジに塩をぶっかけるようなものだ。

 ナメクジとは違って敵意はあるが……哀れなり、スライム。

 挑んだ相手が間違いだった。


「それで、そのおじいちゃんが病気になったってことか」

「そう……『俺のことは放っておいて、楽しんでこい』って。おじいちゃんも連れて行こうとしたんだけど、長旅には耐えられそうになかったから……」

「なるほどね……」

「領主様にどうにかできないか王都に来てから頼んでみたけど、個人のためにお金は使えないって断られちゃって……だから、私がいいお医者さんを連れて帰るしかないかなって思ったんだけど……」

「……」

「王都には情報もたくさんある。両親は仕事で忙しいし、王都には知り合いもいなかったからで私一人で調べるしかなかったけど……自分の頭の悪さ加減にうんざりしちゃった。文字は村に本があったから読めたけど……図書館の本とか、何が書いてあるかチンプンカンプンで」


 自嘲気に笑って、ミルナは続ける。

 一方で、俺はミルナの話を聞きながら考え事をしていた。


「この一年間で、ギルド討伐員の試験に受かるための勉強をしたけど、結局筆記はあまりできなかったし……実技試験の方で飛びぬけてたから首席は取れたけど、あんまり嬉しくなかった」

「……」

「結局、私の強さっておじいちゃんがくれた物だっていう思いがあって……自分の実力で受かった気がしないんだ」


 ミルナの話声をかき消さない程度に、風で森がざわめく。

 少し、肌寒くなってきた。


「……その点、すごいなあ……カオル君は」

「え?」


 急に話の矛先を向けられたので考え事が中断された。


「私、おじいちゃんの病気についても試験勉強の傍らで調べてたんだけど、全然分からなかった……でも、カオル君は一瞬で当てちゃったから」

「いや、本当に塩害が原因で病気になったのかは分からないし」

「それでも、可能性を挙げられるのはすごいことだよ。私には、湖の塩のせいだなんて考えもしなかった……ちなみに、その、えんがい、ってどういう症状が出るの?」

「そこまではあまり知らないけど……目に見えて分かるとしたら、多分体のむくみとかじゃないかな」

「……! ……正解だよ。手足がむくんでる人が、私の村にはたくさんいる。流行り病って言ってる人もいるけど、疫病だったら、私みたいな子供にもかからないとおかしいし……やっぱり、そうなんだ」


 塩分の過剰摂取。

 一時的なものであれば脱水症状程度とか高血圧くらいで済むだろうが、長期的に曝露されるとなると腎臓の方がやられてしまう。

 身体にとって余分な塩分を体外に排出するのも腎臓の役割の一つだが、日常的に塩分を多量に摂取すれば腎臓の働きにいずれ影響がでる。

 腎臓の働きが鈍くなれば、塩分以外の老廃物などの排出もはかどらなくなり、結果として尿の方に影響が出たり、体中にむくみが生じたりする、というわけだ。

 

 俺は医者ではないので詳しいことは分からないが。

 これらの知識は前世でネットで得た情報であるから、本当かどうかも知らない。

 だが、異世界に転生したときに役に立つように、とアホみたいな動機から蓄えていた知識が火を噴くときがきたかもしれない。

 

「……ありがとう、カオル君。私のやってること、やってきたことが、無駄じゃなかったって、今あなたのおかげで証明された」

「え?」

「王都に来て、ギルド討伐員を目指した理由は三つあるの。そのうちの一個が、おじいちゃんの病気を治すためなんだ。今まで何の手がかりもなかった……というか、私が馬鹿で情報収集ができなかっただけなんだけど、今カオル君が教えてくれた」

「……」


 なんだか、照れくさい。

 俺としては適当にミルナの話に相槌を打って感想をポロっと漏らしただけなのだが。

 漏れた感想が彼女の探し求めていたものだったようだ。


「それで、教えてもらってばかりで本当にごめんなさいなんだけど……治す方法って、あるのかな」


 弱々しい声で、俺に尋ねる。

 恐る恐る、と言ってもいいかもしれない。

 

 もし、治す方法はない、という答えが返ってきたとしたら、その瞬間彼女は絶望することになるだろう。

 大切な祖父を、救うことはできない。

 どうすることもできず、看取ってやることしかできない。

 そう言い放つのに等しい。


 しかし、実際のところ治せるかどうかなど分からない。

 慢性的な病気であるとすれば、言わずもがな治すのは難しい。

 今まで溜まってきたマイナスを、ゼロにするにはやはりプラスを積み重ねていくしかないが、年齢的にも厳しいだろう。


 だが。

 一応のあてはある。

 さっきまでの考え事をそのままミルナに伝えることにした。


「ミルナさんは『メディシナ』って都市は知ってる?」

「——ううん、知らない」

「オーガニアの応急箱って呼ばれてる、科学都市。医療技術を中心に研究が盛んで、他の学問も色々研究されてるんだけど……」

「そこに行けば、もっと情報が得られるっていうこと?」

「ああ」


 ミルナの顔が輝かんばかりに笑顔になる。

 こちらとしては脳みそに染みついている知識を吐き出しているだけなので、いつも通りだ。


「それと、俺の学生時代の友人に医者の卵がいるから、そいつにも連絡を取ってみるよ」

「え!?」

「カールの町に着いたら、手紙を出してみる。確かメディシナの大学に進学したはずだし、頼りになってくれると思う」


 ついでに王都の方の医者にも手紙を出しとくか。

 15年も都会に住んでいればかかりつけの医者くらいはいる。

 というか、そっちの方に先に手紙を出した方がいいか。


 脳内のto doリストに新たな項目を加え、王都の方にも伝手があるということを説明しようとしたら、手が何か柔らかいものに包まれぇぇぇ?!


「ちょちょちょ、どうした!?」

「本当に、本当にありがとうございますっ!」


 目の端にうっすらと涙を浮かべ、瞳を潤ませて、ミルナは俺の手を取っていた。

 柔らかい……っていうか、同じ人間の肌とは思えない。

 何これ。マシュマロか何かですか?


「えっと、どういたしまして?」


 感極まっているミルナに対してどう反応したらいいか分からず、とりあえずお礼を言われたので返答する。

 まさか泣かれるとは思わなかった。


「お願いします……私のおじいちゃんを助けてください」


 まっすぐ目を合わせられて、手を包まれたままお願いされてしまった。


 ……ううむ。

 こういう展開は予想外だったな。

 

 余程、追い詰められていたんだろうか。

 Aランクの魔物と互角にわたりあう強さを持っていても、精神的にはまだ弱い部分があるのかもしれない。

 十分礼儀正しい女の子だし、話し方や考え方など、かなりしっかりしているが。

 ちょっと、優しすぎる気もしなくもない。

 俺の言っていることを疑ってる節もないし。

 

 一年間。

 短いが、病気の人間が死ぬには十分な時間でもある。

 ミルナが村を出たときの祖父の状態にもよるが、病状は時間の経過とともにどんどん重くなっていくだろう。

 果たして、今も無事かどうかは不明だ。


 けれど、もちろん。

 俺は頷いた。

 

 その時の彼女の顔は、きっといつまでも忘れることはないだろう。

 桜が満開になったような笑みを、涙でやや赤らんだ顔に浮かべていた。

 可愛すぎて、失神しそうになった。


 

 そんな感じで俺は、ミルナの話を聞き終えた。


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