ごっこ遊びは終わらない(おわり)
あの後、僕たちは、怪我をした四枝さんを部室に運んでいった。四枝さんの腕は、大きく腫れ上がって、まるで紐でしばった特大のハムの塊のようだった。他は、奇跡的に擦り傷や打撲程度で済んでいた。
矢来の必殺技をまともに受けて、死に至らなかったのは、空中に浮かんだ水のおかげだろう。鏡の部屋で僕と水上さんが抱き合って、僕が、力を発揮できたと同じに彼女の力も引き出されたに違いない。(四枝さんの受け売り)
驚いたことに四枝さんは、イタイイタイと言いながら、誰も入れないように、旧校舎の鏡の部屋を頑丈に施錠しなおした。
もちろん、僕も手伝った―四枝さんのマスターキーは破壊できたけれど、僕のマスターキーは健在であるので、鏡の部屋に誰かが入れば、力を与えてしまう可能性もあるからだ―そして、彼は、知り合いの医者のところまで軽トラで運転して行った。
僕は、本当に四枝さんの力がなくなったのかどうか疑わしく思った。あの膨れ上がった腕を見れば、車を運転などできるわけがない大怪我だということは、誰でもわかる。
僕は、四枝さんにマスターキーを預けた。(壊れた方のマスターキーも、彼は、コンビニのビニール袋に入れて持っていった)僕のマスターキーは、微妙な熱を放っていた。持っているのが、怖くて、見たくもなかった。あれには不気味で嫌な印象しかない。
水上さんは、ずっと僕の側にいた。僕が帰っていいといっても、彼女は、聞かないのだ。四枝さんが、病院へ行った後、僕たちは、リコさんがどこにいるか、詳しいことを聞き出すために矢来が倒れている裏山へ戻った。
だけど、矢来は、元の場所にはいなかった。あのふらふらな身体で、一体何ができるというのか。動けるだけでも、大した精神力だと思った(四枝さんもそうだが)。あんなに大事そうにしていたカミカゼのベルトが、やつの倒れていたところで、転がっていたのを見つけた。
僕たちは、日が暮れるまで山林を歩き回った。矢来を探すのに、あきらめかけたとき、山小屋があることを思い出して、そこに向かうと、なんと、リコさんがなかに閉じ込められていた。あそこで矢来が、化け物になった先生を閉じ込めていたように入り口へドラム缶を置いて塞いであった。
リコさんは、雷を呼んで山小屋を壊し、自力で脱出しようとしたが、雨しか降らなかった。僕たちの足をひっぱったと思っているようで、申し訳なさそうに終始、無口だった。
僕は、そんなことはないと励ましてあげたかった。雨が降らなければ、水上さんの力も発揮できなかったかもしれない。とにかく、色んなことがありすぎて、疲れ果て、みんな話す気も起きなかった。それは、また後日、話そう。そう思った。
山を降りたと、同時に日が落ちた。あれだけ、旧校舎が、破壊されたというのに、先生や、生徒の誰一人、寄ってこないのが不思議だった。四枝さんが、前もって手回ししたのだろうか?
部室で一時間ほど休み、僕たちは解散した。
けれど、僕は、帰るふりをして、旧校舎にもどってきた。
矢来が、鏡の部屋にやってくることを考えたのだ。四枝さんは、矢来が、鏡の部屋に入ったとしても、すでに歳を経ているので、再び力を得ることは出来ないとは、言っていたが、僕は、パラライザーを当てる瞬間のあの時のやつの顔が、気になった。僕には、矢来に、なにか言ってやることがあるんじゃないかと思った。今は、うまく言葉で考えられないけれど。
そんな考え事をして、ずっと旧校舎の前の広場の石段に座り、月明かりに照らされたボロボロの旧校舎を眺めた。鏡の部屋の入り口が、外からでも見えた。だいぶ待ったが、結局、そこに矢来は、現れなかった。僕は、裏山で拾ったカミカゼのベルトを家に持って帰った。
僕は、次ぎの日、高熱を出して、学校を休んだ。あんなことが、あった後だから、どうせ難癖つけて休むつもりだったので、ちょうどよかった。しかし、思いもよらず、四日も熱が下がらなくて、散々苦しんだ。
日曜日になり、ようやく熱が引いた朝、家に四枝さんから電話が掛かってきた。四枝さんは、ずっと病院に入院していたようだった。
「治ったんなら、こっちにきてくれ。その…これからのことを話すべきだろうと思うんだが」
「電話じゃだめなんですか?」
「あ…ああ、大切なことだ」
こんなに口ごもっている四枝さんは初めてだ。そういえば、うんうん唸って床に伏せっていたので、自分のことについて考える暇もなかった。
四枝さんが、教えてくれた道筋で駅前の病院へ出向いていった。そこは病院というより接骨院だった。日曜なので、扉にクローズドの札が掛かっていた。ノックすると、禿げたおじさんが出てきて、僕をなかに入れてくれた。
奥の病室で四枝さんが、ベッドで横になっている。キャスターのついた物干しが、ベッドまたいで、四枝さんの腕を固めたギブスを吊っていた。ギブスは、四枝さんの肩口にまで撒きつけてあった。
症状を聞いてみると、あの日、手首から前腕の骨がバラバラに骨折して、肘の関節も外れ、肩が脱臼していた。しかも、粉砕した骨が、腕の肉を内部からずたずたにしてしまっているらしい。禿げたおじさんによれば、完治するまで、何ヶ月もかかると言う。最悪、腕が満足に動かせない状態になるかもしれなかった。聞くも恐ろしい重傷だったが、四枝さんは、特に気にしていないようだった。力がなくなったことをしみじみ感じていた。
禿げた医師に退室してもらい、四枝さんは大事な話を切り出した。
「それで、その、これからのことだが…」
「傷が痛むんでしょう?また今度でいいですよ」
「俺のことはいい。問題は君だ」
「なんなんです?」
「矢来に俺のマスターキーを壊させるようにしただろう?」
「ええ」
「とっさに、ああするしかなかった。あのまま戦い続けて日が落ちてしまえば、矢来にやられていた。太陽の光がないと、マスターキーは、武器として役に立たなくなる。それは言ったか?」
あごをさすって弁解をしている四枝さん。
「聞きました」
「だから」
「四枝さんらしくないですよ。はっきり言って」
感情に流されず、改めて彼は、説明を始める。
「君の力、失わせる手段がなくなったかもしれない。俺のマスターキーが壊れ、矢来は力を失ったし、リコのも消えただろう。俺のマスターキーが、あいつらの力を与えていたからだ」
僕は、黙って、四枝さんの言うことを理解に努める。
「だから、君のマスターキーを壊す方法がないんだよ。正確には、君と水上湯々の力を消せないということだ―水上湯々の力は、君のマスターキーが与えている。それは、君が鏡の部屋に入り、新たなマスターキーの持ち主になり、その次に水上が、部屋に入ったことによって力を得たからだ―前にも説明したと思うが、俺は、最終的に君のマスターキーと俺のマスターキーの力をぶつけ合って、両方同時に破壊するつもりだったんだ」
うまく物事が考えられない。この病室は、すごく静かだ。時計の秒針の音が聞こえる。
「僕は、一生このままってことですか?四枝さんみたいに?」
「…歳を取らないというのは、時間が経ってみないとわからんものだからな。俺だって、力を失ってから身体がどうなるか」
また奥歯に物が挟まったような言い方をする。こうなったことに負い目を感じているらしい。それで四枝さんは、あんな言い訳をしたのか。しかし、僕は、どう思っていいのか、よくわからない。矢来と四枝さんの殴り合いを目前で見ていた自分としては、怒るのも筋違いが過ぎる気がする。
「まあ、今のところ代謝は順調だ」
四枝さんは、枕もとの空の尿瓶を僕に見せた。そんなもの、頭に置かないでくださいよ…
「ほ、本当に、どうにもならないんですか?」
「あるにはある」
「なんだ!」
「水上湯々の力で、君のマスターキーを壊す。とはいうものの、望み薄の方法だよ」
「え…」
「彼女の力、どうやら水に干渉するタイプらしいが、攻撃という側面では、期待は持てそうにないな。威力なら、さして修練を繰り返し、力を制御して出力を上げる必要のないリコの雷が最適だったんだが…今となっては、ないものねだりだ」
「水上さんの力に頼るしか、僕が元に戻る方法はないんですか」
「可能性では、それが第一だ。しかし、矢来のレベルにまで、修練を積むとなると、長い時間がかかるし、力が消えるまでの三年間、彼女が耐えられるのかどうかわからない。それに力の完全な制御に、彼女が成功したとしても…矢来の二の舞にならんとも限らん」
力を制御しようとすると人格が、力に乗っ取られるということか。あのおっとりした水上さんが矢来のようになるなんて想像もつかない。
「一応、方法は、もう一つある」
四枝さんは、尖った角のような黒い物体を布団の中から出した。四枝さんの壊れたマスターキーの片割れである。
「これを直す」
「直るんですか?」
四枝さんは、いつも、もったいぶる。直るなら、話が早いじゃないか。
「直るかもしれない。直らないかもしれない。ただ、いくつか思いあたる方法はあるよ」
「やってみましょうよ!」
「しかし…このマスターキーが直るということは、矢来に力を戻してしまう恐れが出てくる」
「あ…」、それだけは絶対にごめんだった。あんなことを何度もやっていられない。
「なにをするにしろ…ふう…時間はある。傷が治るまで、こうして、いろいろ考えてみるよ」
四枝さんは息を付いて、枕に頭をうずめ天井を仰いだ。
「君には、本当にすまないと思っている」
「いいんですよ。矢来を止められただけでも、よかったんです」
怪我人を責められないし、四枝さんは、頑張った。それは、僕が一番わかっているつもりだった。
「そうだな…そう言ってくれると助かる」
四枝さんは、声を震わせ言った。
週明け、学校へ行った。行きたくなかったが、身体の調子はよかったし、親に嘘をついて休むくらいなら、行った方がましだと思った。
教室に席がないことを思い出し、登校して、すぐ矢来が、放り捨てた椅子と机を外まで取りに行くはめになった。椅子と机は中庭の低木に埋もれていたままだった。
やれやれ。僕は、せっせと、それを四階の教室まで運び、授業を受けた。気にすることなんてなにもない。自分にそう言い聞かせた。
そして、昼休みにカミカゼのベルトを持って、屋上へ、駆け上がった。なぜだか、これを返したかった。やつは、現れなくて、一人で昼飯をとった。
放課後、僕は飼育部の部室にベルトを飾った。
部室に誰か来るかもしれないと思ったけれど、誰もこなくて、寂しさだけがつのった。心にぽっかり穴が開いたような感じだった。
リコさんや水上さんは、学校に来ていたのだろうか。矢来なんか、ほっておいて、昼休みにたずねて行けば、よかったと後悔した。特に水上さんには事情を説明しなければならないことがある。でも、その役を四枝さんの変わりに僕がやるのは、気が進まなかった。
ここにいて、やることは、犬に餌をやるくらいだ。部室にいて、犬の世話をする。僕は、立派な飼育部だった。
僕は、犬を自分の家につれて帰りたくなくなっていた。犬がいないと、リコさんや水上さんが、部室に来てくれないような気がした。
今となっては、矢来の言葉を恋しくも思った。
『俺たちは、仲間だ。一人じゃない』
五月が終わり、六月、七月と月日は流れ、何度も腕の手術を受けた四枝さんが、ようやく退院した。経過は良好で、一度、学校に顔を出してくれた。僕は、試験期間中だったから、勉強で忙しく、あまりゆっくりと話していられなかった。
試験が終わってからの休日、犬を散歩させるために学校へ向かった。季節は、すっかり夏で、夏休み前の特有の解放感が学校に漂っていた。正門から新校舎までの中道で、運動部の人たちが、部活仲間とふざけあっている。そこを顧問の先生がやってきて、注意した。部でどこかへ行くらしい。
ふと、五月の終わりごろにやっていたテレビのニュースが頭に浮かんできた。ニュースは、隣の県で突然変異の猿が見つかったというもので、発見された時、猿は、すでに死骸だったようだった。猿は、日本に生息するどの種類の猿にも当てはまらない特徴があり、イエティーだの、野人だの、河童だの、どこかの動物園から逃げ出したオラウータンだのという噂がテレビや新聞で飛び交った。猿の死骸は、有名な大学の研究室に引き取られ調べられるということだった。
そう、失踪した先生が、帰ってこない理由を僕は知っていた。その猿が先生なのだ。熱心に昼のワイドショーの録画をしたり、何紙も新聞を読んでみたり、変種の猿についての話を集めたが、続報などあまりなく、二週間もすれば、話題にもならなくなった。僕には、どうしようもなかった。たぶん四枝さんに話してもこういうだろう。
黙っておけ、と。
犬を連れて、旧校舎を眺めてから、学校の敷地内を出た。破壊された旧校舎の修繕は、六月ごろから徐々に始まって、今は、壊れた部分がビニールシートで覆ってある。僕は、ひとりだけ大工さんを見たが、あまり張り切っている作業している様子では、なかった。夏休み中に直るんだろうか。
いつものように水上さんの家の近くの公園の方へ向かう。道中は、暑い。犬は、散歩にはりきっていて、僕をぐいぐいひっぱっていった。子供たちが、公園を走り回って笑い合う声が聞こえる。水上さんがゴムボールで四人の子供とキャッチボールをしていた。
「あ、草加さん。こんにちは」
「暑いね」
僕は犬の首輪からリードを外して、公園へ離してやった。走り出す犬に子供たちが群がっていく。額の汗を拭ったら、水上さんが首に巻いていたタオルを差し出した。
「使います?」
「え、あ、ありがとう」、水上さんは相変わらず、気兼ねない子だ。誰に対してもわけ隔てなくこうなのか、俺だけなのか、わからない。時々、彼女にとって、僕も公園の子供たちを同じなのかも知れないと思ったりもする。深く悩むほどじゃないけど。
「ね。矢来さんが、来てますよ、ほら、あそこ」
なんだって!
僕は滑り台から駆け下りていくTシャツと短パン姿の男を見た。
たくさんの子供と一緒に楽しそうに笑って、犬のところへ駆けていくではないか。僕が、最後に見た矢来と、様子が違っていて、なんというか、無邪気に振舞っている。やつは、子供たちの列に並んで犬を撫でる順番を待った。
「矢来さん?ほんとに?」
「はい。すごくいい子で」
彼は、高校三年生であって、周りの子供たちとは、背丈が違いすぎる。が、ずいぶん、ここの子供たちと馴染んでいるようだった。同じ無垢な子供のように。
「いつからここに?」
「さあ…でも、わたしが公園で遊ばない時も来てたみたいです」
矢来が犬をなでていた。犬は、矢来のことを忘れているみたいで大人しかった。
「あ、それから、四枝さんも来てて」
水上さんの目線を追うと、遠くの木の陰で腰を下ろして眠っている四枝さんがいた。水上さんが、そこへ走っていったので、俺もついて追いかけた。
「草加さんが来ましたよ」
四枝さんは、包帯でぐるぐる巻きになった腕を抱えていた。
「やあ、座れ座れ」
「ユーユー!ボール!」
子供たちが水上さんを呼んでいた。
「はーい」
ボールを投げて、犬に取りに行かせるみたいだ。
「子供はどうも苦手でね」
首を鳴らす四枝さん。僕がくる前に子供たちの相手をしたらしい。
「これから結婚して、子供でも生まれりゃ、また違うんだろうが」
「え、四枝さん結婚するんですか?」
「いやいや、これからの話だ。相手はいない」
僕は、黙り込んでしまった。なんで、こんな話を僕にするんだろう?
「そう深刻な顔をするなよ。君の恋路の邪魔はせんさ。ふははは」
これ見よがしに水上さんのいるところを指差す。
「なに、いってんですか!それより、怪我早く治してくださいよ。こんなところで」
なんだよ。この人、そこいらのオヤジと変わらないじゃないか。
「あいつを世話してやらなくちゃいけない。何を置いても」
急に真剣な顔をして四枝さんは言った。
「驚いたか?」
「ええ…そりゃ」
「だろうな」
「矢来さんはいったい…」
「わからない」
四枝さんは、子供たちと犬とじゃれあう矢来を見つめていた。僕もみんなを眺めた。しばらく深く沈黙してから、四枝さんが口を開いた。
「思うに……やめよう」
「なんですか。もう気なんか使う仲じゃないでしょ?」
照れ臭そうに鼻の下を指で擦って、話を続けた。
「激しく力を求めるあまり、力を失ってしまったことを認められなくて、あんなふうに精神を歪めてしまうしかなかったんだろう」
「力のせいなんですか?」
「憶測だよ。まあ、力のせいではなかったとしても…」
四枝さんの言うことがあまりよく理解できなかった。かといって、再度、聞き返す気も起きない。僕がそれを理解できたとして、矢来を元に戻してやるなんてことは、できないのだから。
「あいつは、ああして自分の望みを叶えたのかもな」
四枝さんは、つぶやいた。
犬へ投げたボールが僕たち二人のいるところまで転がってきた。僕たちが話している間に、ボール遊びのルールが変わって、犬に誰が一番早く追いつけるかの競争に変わっていた。
「まてー」
矢来が、先頭を切って、犬を追っかけてくる。本当にやつは、心が、子供に戻ってしまったようだった。以前の人をあざけるような笑みは消え、目が輝いていた。
「エヌニ・オクス・ア・カーデ…」
突然、それを聞いて、僕は、中腰になって固まった。矢来が、あの呪文を口にして、駆け込んで来る。
嘘だろ!
「アンサルディアン」
やつが、犬の尻に向けて手を突き出した。犬は、僕の足元にあるボールをくわえて、じゃれて身体をぶつけてきた。なにも起きなかったけれど、呆然として矢来から目を離せない。
「し、四枝さん?」
「癖だよ。四六時中、あの呪文を言っている」
矢来は、犬からボールを奪い取って、横になった四枝さんを揺さぶった。
「ねえ、カミカゼやろうよ」
「またか?腕が痛いんだ。痛いよー」
わざとらしく痛がる四枝さん。
「仮病のくせに!ミイラ男は、つまんない」
「そこの兄ちゃんに頼め」
兄ちゃんって僕ですか?
「この人、カミカゼ知ってる?みんな知らない」
矢来は、僕のことを赤の他人として扱った。僕を覚えていなかった。
「カミカゼ、知ってるけど…」、あなたが教えてくれたんだよ。
「ほんと!?エヌ二…えーっとオクスアーディーン…」
これは…もしかして、僕が敵で、やられてあげなきゃならないパターンか…勘弁してくれ…
—おわり




