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「う〜ん」
蛍の冷やかな鳴き声が響く畳部屋。
きたろう館の一室で、桃果は頭を抱えていた。
「これを合わせると、どうだ?」
手に持つのは、色とりどりの洋服。いや、正確に言うならコスプレ用の服だ。
「だめだ。これも似合わねぇ。これもだめだ」
一つ手に持ってはお気に入りの鏡で体を合わせ、違うと思えばすぐに投げ捨て、他の服を合わせる。鬼でも女性。見た目だって気にする年頃だ。
「お、これは……」
とある服に手が止まる。
ワイン色を主軸とした服で、華やかなリボンとエプロン様式で縫われた、まるでファンタジー物に出てくる、お店の店員と似た格好だ。
「ちょっとやってみるか……。リ、リOOット武具屋へようこそ〜」
桃果は下界で得た書物の台詞を唱え、鏡に向かい、これでもかと営業スマイルを見せつける。仕草もどこか丁寧極まりない。
「こ、これは!! 今までで一番にあっているかも」
しばらくきめ細かにポーズを取る。立ち姿勢、座り姿勢、はたまた正座やセクシーポーズなど、様々な姿勢を試みたが、そのどれもが効果的で、宇宙の歯車と歯車が噛み合ったような、そんな奇跡さえ感じた。
「で、でもなぁ」
桃果は鏡に映った自分自身の、おっきくて太い眉毛を見る。
「眉毛さえ……眉毛さえなければ! くぅ〜〜っ!」
桃果は両目に涙を流し、唸るように手の拳を握る。そして、悔しさと怒りのこもった右拳を入口の麩に向かって放った。
瞬間、岩を砕くような衝撃音が鳴り、恐ろしい風圧とともに麩がブッ飛んだ。
「きゃあぁつ!」
しかし、すぐさま桃果の耳に、女性の声が響き渡った。
女性は地べたに体を打ち、桃果はその女性の影を捉えた。
つぶらな目に背丈の高い、グラマラス性が光る女性……もとい、悪魔であるデュラハンの『リアン』が桃果を見ていた。
「あぶないよ……。桃果」
「あ、リアリアじゃねえか。わりぃわりぃ! ってやっべー、また壊しちった……」
「もう……。鈴奈に怒られるよ」
「だってよぉ〜」
桃果は唇を尖らせ、心配するリアンを見つめる。
しかし、開き直ったかのようにころっと表情を明るくした。
「それよりリアン! 今、絶妙に良い服見つけたんだけどよ! これ、どうだ?」
桃果は自分のきている服をリアンに見せる。男らしい桃果だが、コスプレをしている合間は健気な少女に変わるのだ。
「も、桃果……」
「おう! どうだ?」
「か,可愛い……」
リアンは両手を組み神の御膳を拝めるような視線を桃果に向ける。
「か、可愛いって!? そ、そんな、照れるぜ……」
「ううん。今の桃果、すごく可愛い」
「う……」
いつものリアンとは思えない強情さが、逆に桃果の心を揺さぶる。リアンの眼差しは、悪魔とは思えない、天使に似た温かさを醸し出し、潤った瞳が桃果の心臓を捉えた。
「リ、リアリア……」
桃果は表情を逸らす。目の前の、可憐な聖者が持つ眩しさに耐えきれなかった。瞳をじろじろと下に逸らし、段々と頬が火照り始める。
対してリアンは、そんな、女々しい桃果の仕草に心を掴まれ、甘い吐息が漏れた。
「桃果……」
そして、二人はゆっくりと近づき……。
「おーい、色ヶ島、リアン、飯だってよ」
襖を開けたのは、一人の男であった。
種族は人間、名前は葉山界。
何も知らない界は、自分の空気の読みなさに気づくことなく、二人のときめいた空気を遮断する。
「は、葉山さん」
リアンは驚きと、邪魔された微かな怒りを込めた声で反応する。
「お、お前! いきなり入ってくんなよ!」
桃果は未だに心臓の高鳴りが止まらず、ホッとしたような表情で界を見る。
界はそのまま、二人の様子を見て一言呟いた。
「お、桃果。またコスプレしてるのか。……なんか、変わった服だな」
「ぐ、ぐはぁぁっ!」
花畑に一陣の炎を燃やすが如く、一撃必殺技でKOされた如く、桃果は激しい衝撃が心臓を襲った。
「テ、テメエ……アタイのお気に入りだったのにぃいぃぃぃぃ!」
自分の、今まで一番似合っていたコスプレ服を『変』の一言で吐き捨てられ、その怒りは、桃果のライフゲージを蘇らせる。
「桃果、今のは、怒っていいと思う、うん」
はっきり、きっぱり答えるリアン。
彼女たちの様子に『はぁ?』と言いたげな顔をした界は困惑する。
「お、おい? お前ら一体何を言ってるんだ?」
「うるせえ! この野郎! アタイの怒りの鉄拳を喰らいな!」
月を持ち上げるかのような風圧、華奢な体から発する剛腕な力が界を捉える。
「破滅の鉄槌ぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおお!」
岩が砕け、大地が砕け、空が砕ける。
未曾有の破壊という破壊力。それが桃果の能力。『剛力』である。
簡単に言えば、力が物凄く強い。
辺り一帯を潰す程の破壊力が、界の体にヒットした。
「ぐほぉぉぉぉぉぉぉつ!?」
吹き飛ばされ、空中で参十回転を回ったところで部屋を突き抜け、壁を突き抜ける。
一撃必殺技をまともに喰らった格ゲーキャラクターの痛みを、リアルに感じた界である。
◆
御山の館に、夜が訪れる。
俺は軋む体を押さえ、美味しい香りに誘われながらも部屋に着く。
中央には大きな円形の蛍光灯、白い光が照らすのは、10畳はある大きな和室だ。俺の部屋よりやや大きめの襖を横に開けると、蛍光灯の光で一瞬眼がくらむ。
温かな温度と、並べられた料理の数々の臭いが、独特の優しさを放った。
蛍光灯より大きい円形の座敷テーブルがどっと構えており、焼き魚のこおばしい臭いが鼻をくすぐる。
その中、先に座っていた一人の女性を見つける。
見る者を圧倒、または虜にするような空気を放つその女性はしたたかな正座をしている。背が高く、肌蹴た巫女服を着用しており、律儀な耳が天井を向いていた。
「ぬ?」
化け狐、恋ヶ窪深化は俺の存在に気づき、凛々しい瞳をこちらに向ける。
「よ、相変わらず早いな」
「青年か。うむ。今日は収穫がなかったからの」
「収穫?」
「無論、決まっておろう……」
深化は哀しそうに溜め息を吐く。その様は化け狐とは思えない、狩り失敗した普通の狐のようだった。
「今日はいい和菓子が手に入らなかった……全くもって失敗じゃ」
「そっちの失敗かよ……」
深化の喜怒哀楽は、全て和菓子に直結しているのだろうか、そんな憶測さえしてしまった俺がいた。多分、冗談なのだろうけど。
「おーっす」
次にやって来たのは、小ぶりな角を立て太い眉毛が生き生きと動く、赤鬼の桃果である。
「お! うまそうな焼き魚の臭い! ここにすーわろっと!」
桃果は軽い身のこなしで、ひょいっと座布団に座る。胡坐をかき、興味津々に料理を凝視していた。
桃果は物事に純粋で、子供のような無邪気さが彼女自身の明るさをいっそう際立たせる。
「こんばんは……」
桃果の後にやってくるのは、首から上がない、Tシャツ姿をしたデュラハンのリアンであった。
リアンはきょろきょろとあたりを見回し、右手に持つ大鉾を降ろす。左手に持つ『顔』を首に持っていく。
「う……ん、よい……しょ」
「リアリア、ぜーんぜん届いてないぜ? もっと上だって」
「そ、そんなことないよー……。ほら、首はこの辺に……」
リアンはぎこちない動きで離れた頭を首に戻そうとしている。かなり辛そうな様子だが……。おかげで
リアンの腕に挟まれた胸が……ゲフンゲフン。
「あ、ここだ」
ポスっ。小鳥の鳴き声と間違えそうな可愛い音と共にリアンの頭が首に入った。
しかし、頭の方向が逆である。
「あははっ! リアリア! お前、顔の方向違うぞー! 首の骨が折れた人みたいだ!」
「ふむ、人間同士の大道芸なら達人の極みを絶する見事な芸よ」
「お前ら、言い放題だな……」
「ま、間違えた! う、よいしょ……」
リアンの首が少しずつ回転する。
ギギギギギギギ……。古びた扉をゆっくりと開けるような恐れる響きと共に、リアンの顔は回る……………怖い。
「も、もう少し……」
「がんばれー」
「ほれ、あと一息ぞ」
応援はするものの、二人の様子は気まぐれな遊び人のようで声が軽い。完全に面白がっている。
リアンはそんなことには気づかず、律儀に顔を動かした。
そして。
ボキッ!
「あ……はまった」
骨の砕ける音とともに、リアンの顔は定位置へと戻った。安心を込めたリアンの表情は赤い。
「いやいやなんで骨折音!?」
「知らぬのか? デュラハンの一族は、顔を隔離したり回転を行う場合、ああいった音が鳴る。妖怪達の間では常識だ。青年」
「いや俺、妖怪じゃないし」
「わ、私……デュラハンなのに初めて知った……」
「アタイも初めて聞いたー」
「嘘じゃねぇぇぇえかおい! 何が常識だ! 二人共『初めて』知ったっていってるじゃねーか!」
「この世は全て、真の理とは限らぬ。青年も教訓として刻んでおくといい」
「お! がくぽん、今のなんか名言っぽいなー! 決闘に勝った時の台詞とかに使えるかも!」
「この野郎……うまいこと締めやがって……」
ため息を吐く俺をよそに、深化と桃果、リアンの談話は華を咲かせる。
「そういえば、リアリアはその大きな鉾をいつも持ってるよな」
桃果の質問に、リアンは目を丸くする。
「鉾って……これのことで?」
リアンが丁寧に鉾を持ち出し、桃果と深化の前に見せる。
「それしかねーじゃん」
「これは鉾じゃないよ」
「ぬ? 違うのか?」
「はい。これは、私の一族が代々使用してきた、巨人の槍なんです」
「え!? それ槍なのか!? リアリア!?」
「本当はこの木の部分が長かったんだけど……なにせ古い槍だったから折れたの」
「確か、首無騎士はその薪割りに使っていると、存じたことがあるが?」
「うん」
「なるほどなー。つまり! きたろう館の、日頃の風呂の気持ちよさは、全てリアリアおかげなんだなー」
「え、えへへ……」
三人の微笑ましい様子を、俺は横目で眺める。……リアンの、薪割り姿か……。両手で大鉾を持ち、思い切り振り下ろす様子が浮かぶ、特に、胸の動きが(以下略)。
「界様、なかなかに破廉恥な顔をしておりますわよ」
「うぉっ!? いきなり現れるなよ、ヴィオレット」
「ごきげんよう」
突如、俺の横に現れたのは、帽子をかぶり、黒色に包まれたドレスを着た少女。サキュバスのヴィオレットだ。
ヴィオレットは部屋に入ると一礼し、俺のすぐ隣に座る。
「やましい殿方は吐き捨てられますわ」
「なにも言ってねえよ……」
「とにかく。いずれ貴方も私の真の姿を、そのお体で感じていただければ、ありとあらゆる妄想などどうでもよくなります」
「真の姿って……ああ、あれか」
俺は少し前の記憶を思い出す。その日は、霊力の回収に行くと騙されヴィオレットに襲われそうになった日だ。
「って……まだ諦めてねえのかよ」
「当たり前でしてよ。わたくしも高貴な悪魔。夢ならず、必ず魅惑の体を手に入れますの」
「余は、その姿が似合っていると思うが。小悪魔」
ふと俺たちの間に、深化が割って入ってくる。桃果とリアンは二人で何か盛り上がっているようだ。
「なんか……テンション高いな、彼女たち」
「赤き鬼と首無騎士は、今し方恋路物語を進んでおる」
「こ、恋路、なんですの。それは」
「所謂、いちゃいちゃ、というやつだ」
「あ、なるほど……」
「話は戻るが、青年。小悪魔の真の姿を見れたとて、きたろう館の住人に比べたら対したことはないぞ」
「化け狐……貴方はよほど、わたくしの怒りを買いたいようですわね」
「なら小悪魔よ、首無騎士の胸をみてみろ」
「え?」
深化にならって、ヴィオレットはリアンを見つめる。特に胸。
その瞬間、ヴィオレットは顔を俯けた。また深化もどこか儚い形相を浮かべる。
「確かに勝てませんわ」
「……余も同感だ」
二人揃ってため息を吐く。……何が?
俺の疑問は晴れぬまま、しばらくして、部屋の奥、料理場の襖が開かれる。鈴の着物を着た、猫耳を生やした少女が現れた。
「さてと。みんなー。ご飯食べますよー」
どこまでも生き生きと、深くまで明るい声は部屋を通して俺の耳元に伝わる。
彼女は猫又、双尾鈴奈である。
鈴奈は、生える二つの尻尾を健気に振りながら、囲んだ丸テーブルに一つ空いた場所、俺の前の座布団に座る。
住人達は一斉に手を合わせた。
『いただきまーす』
可憐な声が駆け抜け、各々が食事を始める音が進む。
「う〜んにゃ! 魚ほどこの世に美味しい食材はないにゃぁ〜」
「全く……鈴奈は本当に魚料理がお好きなのですね。程良く肉料理も混ぜてほしいですわ」
「肉料理は昨日食べたばかりであろう」
「昨日の飯も美味かったよな〜」
「私は……魚料理の方が好きかな」
「そうですよー。昨日はヴィオレットがどうしても肉が食べたいって言うから、作ったんですよー」
「いつも魚料理を食べているわたくしの身にもなっていただけません?」
「余は、毎日魚料理でも構わないが? 鈴奈の料理の腕は一品じゃしの」
「ヴィオレット……肉肉言っていたら、太っちゃうよ」
「リアンはお黙りなさいましっ! 悪魔たるもの積極性が大切。ひっそりと海底に籠っている生き物ばかり食べていたらアグレッシヴさが減ってしまいますわ」
「ヴィオっちは大人の体になりたいんだもんな〜。でも肉ばっかりじゃ、逆の意味で体が大きくなるんじゃね?」
「逆? それはつまり、わたくしの胸のことを……」
「心配せずとも、小悪魔の胸はそれ以上成長せんだろう」
「あっさりと傷つくことをいいますわね!」
妖怪達の談話が、あらぬ方向へと話題が変化すれば、にぎやかな喧騒が生まれる。
その最中、俺はちらりと鈴奈の顔を見る。
手を頬に添え、神が与えたかのような至福を込めた、幸せな表情をしていた。
「ん?」
トクン。
ふと、鈴奈と眼が合う。
世界を全て見通す、つぶらで聡明な瞳。
彼女の眼を見ているだけで、彼女の世界に引き込まれそうだった。
体がふわりと浮くような、そんな温かさを感じる。
心臓が早鐘を打つ。大きな緊張感のある響きが体細胞を通して、体全体に伝わる。
「界さん? ……どうしましたか?」
気のせいだろうか。少しだけ鈴奈の頬が赤いように見えた。
「―――え? ああいや、なんでもない」
俺は我に帰り、慌てて鈴奈の質問を断った。
「そういえば、先ほどから界様、やけに口数が少ないですわね……。もしかして、わたくくしが隣の居座るため、恥じらいを感じていたり? いやですわねぇ! そんなに照れなくても、今日の夜、しっかりとお相手して差し上げますわよ。この、マ・セ・ガ・キ」
「悪い、遠慮しておく」
俺はきっぱりとヴィオレットの誘いを断った。
「青年の反応を見る限りだと……。うむ、小悪魔よ。お主完全に、厄介者払いされておるぞ」
「ぐっ……一言多いですのよ、化け狐ぇ……」
怒りに燃えるヴィオレットをよそに、深化はいつも通り、澄まし顔で魚を箸で取る。
俺はその晩、無言で鈴奈の作った料理を食べ続けた。
脂身の乗ったお腹を満たす味とは別に、淡くも甘い味を感じた気がした。