思い出、ぬるいコーヒー、しじまの中で。
思い出は甘くて、ほろ苦いものだ。それは一生のものだったり、あるいは一過性のものだったりする。脆かったり、いつまでも頑丈に心のなかに残り続けたり、あるいは崩れ去ったかけらがいつまでも心のなかを綺麗にしてくれなかったり、それとも一年もたてば綺麗さっぱりなくなってたりする。
人の記憶というのは面白いもので、どんなに楽しかったり、悲しかったりする記憶でさえ、また新たな感情を得ればその輪郭もぼやけてしまう。忘却というのは忌むべき能力と思われがちだけれど、この忘却の機能があるからこそ、人は平静を保てるのかもしれない。
缶コーヒーを音を立てながら飲む。飲みくちから湯気の立つコーヒーは熱くて、舌がひりひりしてしまう。自販機から買ったばかりで、熱気はまだ冷めていない。手袋をつけて持っているからほんのりぬくもりを感じる程度だけれど、素手だととても持てるものじゃないと思う。
ほろ苦い、微糖コーヒーを嚥下する。ごくり、と音を立てて、熱を持った液体が喉から食道を通り、胃の中へと入ってゆくのを感じる。そしてそのうちに、体内にあったはずの熱を発する液体は、今どこを通っているかもわからなくなっている。
僕にとっての思い出は、きっとそんなものだ。今まで流されながら生きていた僕に、確固たる思い出があるかというと、僕はすっかり首を傾げてしまう。小学生の初恋は? 中学生の親友は? 高校生の修学旅行は? 初めての恋人とのデートは? 第一志望に合格した時は? 好きな音楽は? 嫌いな食べ物は? ふるさとの味は?
分からない。存在していないわけじゃない。現に、初恋があったことは確かに覚えているし、親友が非実在というわけではない。修学旅行にも行ったし、恋人との胸を苦しくさせる思い出はあるけれど、果たしてその輪郭を今まぶたに思い描けと言われたら、僕はたとえ一日経ったとしても、一つの線を紡ぐことさえ難しいと思う。
そんな自分が嫌いなわけじゃない。
……いや、嫌いだ。
同じ大学に行く友達と遊びに出かけた。数人いて、それぞれ確かな高校生活を送ってきた人たちだ。部活。あるいは勉強。あるいは生徒会。あるいは塾。あるいは習い事。
彼らには、語ることの出来る思い出がある。語ることが出来るということは、輪郭がはっきりと見えるということだ。もちろん最初はぼやけたものかもしれないけど、そのうち焦点があってくる。彼らには見るものがあり、見るために思い出すことが出来る。彼らは眼鏡を持っている。青春を、少しセピアに、そしてより色鮮やかに見ることが出来る眼鏡。
遊びにいった時の話だ。
カラオケを歌いながら、友達の一人が全く知らない曲を歌い出した。誰も知らないようだ。ギターとボーカルの激しい、パンク・ロック。僕は、こういう曲が嫌いなわけではない。知らないながらも、軽く首を振りながら、テレビに流れる歌詞に思いを馳せる。失恋ソング。男のうだつのあがらなさを描いた、リアルな曲。
曲が終わってから、軽く拍手があがる。そして誰かが、曲の詳細を尋ねる。友達はちょっとした冗談も交えながら、歌手の名前だったり、曲のストーリーだったり……を語る。僕らは頷く。あるものはメモをする。あるものは動画サイトでタイトルを調べる。僕は、そんな彼らに同調し、スマートフォンの液晶を覗き見る。かっこいいPV。みんなで感想を言い合う。かっこいい、だとか。歌えるかな、だとか。
僕はどこかぎくしゃくした自分を感じながら、彼らに同調する。
「かっこいいよね。お前なら歌えるよ。俺も歌ってみよう」
ぎくしゃくした自分。中学生のころから、僕の心のなかに住む自分。原因はわからない。たぶん、クラスの中心グループに溶け込めなかったからだと思う。けど彼らはそんな僕を歓迎してくれて、いつもカラオケだったり、ボーリングだったりに誘ってくれる。僕は、不思議に思う。そして、この知らない曲を歌った友達を羨ましく思う。彼は、クラスの中心グループの中でも中心だった。クラスのリーダー的存在だった。
今はこうやって、一緒の大学に行く友達(それは彼と同じように中心グループの一員だったり、そうじゃなかったりする)と遊んでいる。そのグループの中でも、リーダー的な存在かもしれない。
彼は最初から確かな輪郭を持って、過去を語ることが出来る。部活の話。クラスの話。授業の話。恋愛の話。うわさ話。すべて彼の中では生きた記憶なんだろうと思う。彼の記憶は人を楽しませ、人をいきいきさせる。だから、きっと生きている。
彼は、……僕のように、自分のことが嫌いだろうか。
コーヒーをまた啜る。少し冷めたコーヒーは、舌の上で転がすのにちょうどいい温度になった。ほんのりと感じる甘さ、そして缶コーヒーのチープな苦味を味わいながら、また嚥下する。今度は、すぐに場所がわからなくなる。
恋愛の話をさせてほしい。僕の中で、消し去りたい過去だ。だからこそ話したい。話したら、きっと忘れられる。別に、恥ずかしいというわけではない。けどこのことを考えてると、僕の中で、ぎくしゃくした自分が消えてしまうから。
僕は結局、ぎくしゃくした自分が好きなんだ。嫌いだけれど、好きなんだ。
……高校二年の時だ。初めての恋人が出来たのは。珍しく僕と馬の合う子がいた。僕は別に嫌われものというわけでもないし、話が苦手というわけではないけれど、やっぱりぎくしゃくした自分を感じながら人と話すのが常だった。
彼女は違った。彼女は、僕に、僕の中のぎくしゃくした自分を消し去ってくれた。彼女と話している時だけ、僕は、ただの僕でいられた。その時の僕なら、きっとあの彼のようにリーダー的存在になれるかもしれない。
馬鹿なことをしたし、馬鹿なことを言い合ったりした。バカップルというわけでもなかったけれど、恋人同士がやるようなことはだいたいやった。チャットアプリで好きと言い合ったり、長電話をして親に怒られたり、一緒に帰ったり、学校の帰りの公園でデートをして、クリスマスの日にはプレゼントをしあって、休日の夕方、キスをした。
結構、長続きしたのは、彼女が僕の全部を察していたからじゃないかな、と思っている。彼女は、ぎくしゃくした僕とあったことはないけれど、けどその存在を確かに知っていたと思う。だからこそ僕は安心して彼女と話し、だからこそぎくしゃくした僕は、少なくとも彼女の前には存在できなかったんだと、勝手に思っている。
同時に、僕は彼女のすべてを知った気でいた。彼女のお腹がすくタイミングは必ず分かったし、不機嫌になった理由もいつも分かっていた。何を言ってほしいかもわかっていたし、何を言いたいかもわかっていた。
今になって思うけれど、いいカップルだと思う。学生がよく、結婚するとか言ったりする。僕らにとって、それは馬鹿らしくて、そして愛おしい言葉だったけれど、少なくとも僕の知っている中では、その言葉に一番現実味を持てるカップルだったと思う。
けど、別れた。
喧嘩したわけじゃない。受験シーズンになって、自然と会う時間が減っていった。高校最後のクリスマス、僕らは会って、かつてのようにデートをして、好きと言い合って、プレゼントをして、一緒のバスで帰った。バスの中は、僕達だけだった。静寂の中で、僕らは自然に手を重ねて、当たり前のようにキスをして、そして彼女が降りていった。それが最後だった。
お互い、退き時がわかっていたんだろう。きっと、受験の結果もわかっていたんだと思う。僕は受かり、そして彼女は落ち、第二志望の東京の女子大に行くことになった。
最後にあったのは、受験シーズンも卒業式も終わり、春休み。またバスの中。今度は偶然に。
座席が埋まりかけている中で、僕は二人席を確保し、そして乗った次のバス停で彼女が乗ってきた。彼女と僕はびっくりして、しばらく見つめ合ったあと、少しだけ微笑んだ。
「隣、いい?」
「うん」
あまり、喋らなかった。手を重ねることもなかった。一緒に窓に流れる風景を見て、赤信号の時に彼女がぽつり、静かだね、と言って、僕が頷いて、それで終わり。それで、良かった。
良かったんだ。
良かったんだよ、きっと。だって僕は地方の大学。彼女は東京の大学。会うことも少なくなる。
なあ、良かったよな? そう言ってくれよ。
……大学に入学する直前の今になって、そのころの風景が良く思い浮かぶんだ。静かなバス。2つのシーン。あつあつのカップルが冷めて、そのうちお互いどこにいるのかわからなくなった。
コーヒーを飲む。すっかり冷めてしまった。一気に飲み込んだ。雑味が舌の裏を鈍く押す。僕はしかめながら、缶をゴミ箱の中に捨てた。ゴミ箱は溢れかけていたので、缶をぐっと入り口へと押し込んだ。




