怪盗VS戦闘狂
退魔師見習いさんの作品です。
あとがきには二人のキャラ性能を記載しておきました。
怪盗と戦闘狂が出会ったのは、まさに突然の出来事だった。
都市部の大きなスクランブル交差点の中央で二人は向かい合っていた。
「……夢でも見てるのか?」
要領を得ないな、と顔をしかめて呟いたのは怪盗ルパンを騙る男だった。
白いシャツの袖口から延びる引き締まった腕。安物のジーパンにベルトは奥まで差し込まれておらず、ずり落ちないように引っ掛けているだけで、余った部分がだらしなく垂れている。
寝起き、もしくは風呂上りといった様子である。
「んー、よく分かんない」
怪盗の言葉に受け答えした少女は、口角を引き上げて笑っていた。首を傾げる際、朱の紐で結えられた色素の薄いポニーテールが揺れ、口調と相まって子どもらしい。
しかし細身ながら決して体格は子どもという訳ではなく、メリハリがある。それを際立たせるのを狙ってか、西洋の白い大きなシャツを、襟元をはだけさせてまとい、起伏のある胸が主張している。
ただ珍妙なのはここからで、少女はシャツの上に緋色の着物を羽織り、腿まである靴下。足は鼻緒の紅い下駄を履いていた。
とんだ和洋折衷である。
「君、名前は?」
途方に暮れる様子の怪盗は頭を掻きながら訊ねた。
「うちは聞いてきたおじさんが名乗るのが筋な気がするんや」
「ん、そうか? こんな状況、筋もへったくれもねーと思うけど、俺は……あー、そうだな。タケハヤ。竹に早いって書いて竹早」
「なんや適当やねぇ。ま、ええよ。うちは三船小雪路。三に船で小雪、に路地の路やよ。ほな、よろしく。おじさん」
「そうかそうか。三船ちゃんね。丁寧にどうも」
それで、と怪盗は辺りを見回しながら言う。
「これ、どういう事?」
「どうって、うちが聞きたいよ。何? おじさんの術か何かなん?」
「術? いやいや、俺でもこんなマジックできねぇって。あれー、マジで夢でも見てるのか? いやいや、こんな童顔の美人さんと一緒にスクランブル交差点でお見合いって、意味が分からん。溜まってんのかなぁ……はぁ」
真剣に頭を抱えて悩み始める怪盗を尻目に、三船は歩いていく。
「お、おい! 勝手に歩かない方がいいぞ!」
と、三船を引き止めようとした矢先だった。
突如、声が響いた。
『闘技場へようこそ!』
脳髄に直接語りかけるそれは、冒険心溢れる少年のような明るさで喋る。
『ここは強者が集う場所! 血湧き肉躍る原始的なエンターテインメント! 君達は選ばれた!』
「……なんだ?」
急にどこからともなく響く声に怪盗は眉間にしわを寄せる。それがまさか頭に直接響いているとは思えず、周りを見渡して声の主を探している。
三船は立ち止まり空を見上げた。
『ここでは何も恐れる事はない。ここは君達しかいない。君達だけの舞台。戦い、そして勝った者にはこの世界を出る権利が与えられる。でも決着をつけないと、一生そこからは残念だけど、無念だけど、出られませんっ! ごめんね! そういうルールだからさ!』
「何言ってんだ、こいつ」
「戦わなくちゃ、うちらこの変な場所から出られへんみたいやね。原理のよー分からん術やけど、でも実害はなさそうやね。ここから出られへんって事以外は」
「随分と冷静だな。まさか殺し合いでもやろうって腹積り――」
なのか? と訊ねようとした矢先だった。
怪盗は鼻先に刀の切っ先を突きつけられたような怖気を覚え、背筋を逸らし身構えた途端、三船の下駄が鼻骨を砕こうと迫っており、紙一重、怪盗は掌で奇襲を払う事に成功した。
「ッ、危ないじゃない? 三船ちゃん」
「へぇ、意外にやるやないの。おじさん」
「可愛い顔して結構えげつない攻撃するのな。君」
「おじさん、只者やないね? じゃあうちも本気で行かせてもらおかな」
やる気満々の三船とは違い、怪盗が肩をすくめる。
『それじゃあ試合開始ってことで!』
間抜けな合図で危険な試合は始まった。
先に動いたのは怪盗だった。三船は少女らしからぬ足さばきで、最早避けようのなくなった戦いを前に怪盗の出方を伺っていたのだが、怪盗の取った行動は彼女の予想を容易く裏切った。
逃亡である。
「あ、ちょっと待て――!」
怪盗は敵前逃亡を一寸の迷いなく選択したのだ。
――準備も無しに戦えるか、っての!
怪盗は内心、愚痴をこぼしながら一番近い洋服店に飛び込んだ。後ろを見ている暇はない。
そのまま入り組んだ商品棚を進み、合間で袖の長い服を掻っ攫い、レジのテーブルを乗り越えて奥の従業員室に侵入する。そこで開きかけのダンボールからはみ出たハンガーを一つ失敬し、奥にあるだろう非常口を目指す。
後ろでは棚が崩れ、踏み壊され、三船の「おじさんどこー? 逃げちゃ面白くないでしょー?」鬼ごっこを楽しむ子どものような声が聞こえ、怪盗は更に足に力を込めた。そして非常口を見つけたその時だった。
「みぃつけた!」
凄惨な笑みを浮かべ、下駄で滑るように背後から三船が迫る。
「ッ!? くそッ!」
ドアノブを回し、思い切り開いて閉じる。押さえ込み、打開策を探っていこうと怪盗が考えた最中、「―――――――ッ!」と、扉越しに何かが聞こえたかと思うと、ドアノブがギギギと呻き、力強く握っていた怪盗の手がつるっと、まるで氷が手の平から逃げるようにドアノブが滑った。
驚く間もなく、どんと扉が乱暴に開かれ、咄嗟に怪盗は体当たりし、三船を室内に押し戻すとハンガーを目の辺りに投げつけ、再び逃走を図る。
細い路地を抜けながら先程盗んだ袖の長い服を着て、次に彼が目指したのは家電量販店だった。
三船はハンガーを弾くと、体勢を立て直して目先の扉から外へ繰り出し、怪盗を探した。しかし彼は既に路地裏の闇の中に消えており、三船は追跡に失敗したと言わざるを得ない。
「あのおじさん、タケハヤ言うたっけ。うちから逃げおった。なんの術もなく、それでも逃げきりおった! くははは、おもろい! おもろいで! タケハヤ! うちを楽しませてぇな! くうぅ、久々に胸がじんじんする! おじさん、うちを失望させるんやないで!」
纏え天地摩る力の流れ、と三船は唱え、あろうことか下駄で壁を駆け上がっていく。そして目の前にあった薄暗いビルの壁面を駆け上がると、高い場所から獲物を狙う鷹のように三船は怪盗の影を探すのだった。
状況は暫く膠着していた。
三船自身、高層ビル自体が初めてで慣れない土地での捜索は困難を極めた。相手は警察の手を何度も颯爽と逃れる怪盗である。そもそも逃げたり隠れたりが十八番な怪盗をこの広い都市で、しかも一人で見つけ出すのは土台からして無理な話だ。
故に三船は最初、それを見つけた時、罠だと直感した。日も没しかけ、人のいない街は静かに眠っていく。
その中で一際輝くビルがあった。
三船のいる場所から大して遠くない、市柱電気という家電量販店の大きな看板が、愉快な音楽と共に煌びやかな装飾で存在をアピールしていたのである。
「誘ってるんやね。くくく、ええやろ。乗ったる。その心意気、うちは好きやで。ちょっと待たせすぎやけどな」
纏え天地摩る力の流れ、と唱えると三船は空に身を躍らせ壁面を滑り降りていく。
勢いそのままに国道を進み、家電量販店の前にたどり着くと、ゆっくりとその奇妙な術を解いた。
「さぁ、どんな仕掛けがうちを待っとるんや?」
下駄を鳴らし、舌なめずりをしながら堂々と三船は正面から歩いていく。そして彼女は驚いた。
自動ドアに。
「うおっ! なんなんこれ!? ……けったいな戸やなぁ!」
そう、明治の四つ葉という危険な島に生きる彼女は知らなかったのである
自動ドアという存在を。
故に怪盗にとってそれは突いておきたい隙だった。とは言っても、この様子を見つめていた怪盗も、流石にその反応は予想しておらず、ただただ三船小雪路の不思議さに驚き半分呆れ半分の溜息をこぼすだけだったのだが。
気を取り直して三船小雪路は広い店内を見回した。武器らしい武器を持たない彼女は拳をぎゅっと握りしめて警戒しつつ、纏え天地摩る力の流れ、と再び術を下駄に付与し、店内を滑っていく。
「おらんなぁ……。上なん?」
黒い革が持ち手となった鉄の階段を上っていく。二階、三階、四階、五階、そして最上階である六階まで来た彼女は、しかし怪盗を見つけるに至っていない。
仮にも術を用いる特別な存在である彼女が、怪盗を見逃す訳もなく、窓らしき場所はダンボールなどで塞がれている。やがて空城の計という可能性を考え始めた時、少し開けたテレビ売り場の真ん中でパイプ椅子に座る怪盗を見つけた。
「なんや堂々としてんね。素手でうちに勝てる思てんの?」
「まさか! 三船ちゃんが只者じゃないって事は織り込み済みさ。そこで、だ。始める前に少し俺の考え、というより推察を聞いてくれるかな?」
「要らんなぁ。うちは戦えればそれでええねん。うちは自分の骨が折れる音も相手の骨が折れる音も福音や。刹那で命の有る無しが決まる戦い、最高やろ?」
「……賛同しかねるな。まあいい。勝手に喋らせてもらうよ。俺はね。ずっと不思議だったんだ。君の変な力はいったいどういう原理なのか。まあ、まだ実際よく分かってない。でもある仮説は立てられる。それは物を滑らす力だ」
何を根拠に、と言うかもしれないね、と怪盗は言った。
「それは二つ。一つは服飾店で三船ちゃんが、俺に追いついてきた時。俺は結構足に自信があってね。逃げられると踏んでいた。だって相手は下駄だ。逃げられないわけがない。でも逃げられなかった。次にドアノブだ。最初はがっちりと掴めていた筈のドアノブが、まるでローションでも塗りたくったかのように滑った」
その時、俺は声を聞いた、と怪盗は席を立って言った。
「呪文を唱えて、っていうファンタジックな魔術が実在するなんて、まだにわかには信じられないが、一応、こんな稀有な状況だ。馬鹿げた推察なのは百も承知だが……その反応を見る限り当たらずとも遠からず、か?」
「ふふっ、あはははははははは! おじさん、ただのおじさんにしてはよく見てるやん! まあええわ。御託並べんのはええ。さっさと始めようよ。纏え天地摩る力の流れッ!」
「それが呪文か、っと!」
下駄で滑りながら間合いを詰め、辻斬りのような回し蹴りを怪盗は躱す。三船はそのまま怪盗の横を通り過ぎると、その場にあったパイプ椅子を持った。
「纏え天地摩る力の流れッ!」
そして、一回転からのハンマー投げのような体勢で投げられたパイプ椅子は地面にぶつかり、派手な音を立てて止まるのではなく、氷のように床を滑って怪盗の足元へ殺到する。
「うわっ!」
迫り来る椅子を飛び越えて束の間、三船が右腕を怪盗の胸めがけて突き出す。本能的に回避動作を取るも、小指が肩口を掠る。強力なゴムの上を強引に滑るように服が裂け、中のシャツが露出する。
怪盗は顔を歪めながら、身を翻し、テレビが乱立する売り場へ、バク転をしつつ三船との間合いを図る。しかし、怪盗が体勢を立て直した頃には術をかけ直し、下駄で床を滑って急接近する三船がいた。
「うちを甘く見たら死ぬで!」
怪盗の顔面を三船の手のひらが捉え、肉食獣に飛びかかられたかのようにそのまま床に押し倒される。怪盗はそのまま三船を押しのけようとして、しかし少女にしてはやけに強い握力に手こずり、次に彼は何故か両手を耳に持っていく。
「なんや降参? でもうち、降参は嫌いなんよね。纏え天地摩る――」
そうして三船が致命的な一撃を放とうとした最中、怪盗の反撃が始まった。
まずテレビコーナーのテレビが一斉に点灯した。三船の注意が一瞬逸れ、怪盗は華奢な三船の腹を膝で穿ち、拘束から逃げ出す。追撃しようとした三船を、次に音の暴力が襲った。テレビから鼓膜を破りかねない砂嵐が溢れ、三船は耳を抑えて呻く。
「い、痛いっ……! お、おじさんはどうして平気なん!?」
喉から搾り出すような声で、聞こえている筈もない中、三船は訊ねずにはいられなかった。すると怪盗は口を開くのではなく、耳元に手を当てて首を傾げた。そして彼の唇はこう語った。
――あ、わりぃ。耳栓してるから聞こえねぇんだわ。
「なッ!?」
読唇術を習得していない三船でも彼の様子から察した。
それから三船の行動は単純だった。
ただただ音の暴力のない場所を求めた。窓を突き破ろうとでも思ったのだろう。しかし、ダンボールの山などが窓ガラスを守っていて、一見出られそうにない。
音により冷静さを欠いた三船が階下を目指すのは当然の成り行きで、上ってきた鉄の階段に着地し、そのまま音の暴力が薄まった五階に駆け降りようとした途端、おおん、と音を立てて三船の望む方向とは逆に鉄の階段――エスカレーターが登り始める。
「えっ、何っ!?」
体勢を崩された三船は尻餅をついた。そして更に不幸が彼女を襲う。着物がエスカレーターの隙間に挟まり立てないのである。三船はがむしゃらにそれを振り解こうとして、しかし、焦りに焦る彼女の手つきは羽織っていた着物をエスカレーターから救い出す事はできなかった。
着物を脱ぎ、とにかく五階へと降りる。
階層を一つ隔てると、音の暴力は随分と弱まった。
鼓膜にダメージを抱えながらも、三船の目にあったのは強い意志だった。一杯食わされた借りを返そうと、耳の痛みに耐えながら血走った瞳で上を見つめている。
もしも降りてくるならばここからだとエスカレーターから暫し距離を取り、待ち構える。
――だが、わざわざここで待つんはそこまで読んだ怪盗の罠やもしれん。
三船はそう考え、怪盗の牙城と化している家電量販店を脱出せんと更に階下へ降りようとした最中、五階――いや家電量販店から一斉に光が消えた。
暗闇に放り出された三船は身構えた。無闇に動くのは返って危険だと判断したのである。それは三船がその場に縫い付けられた事も意味しているとは知らずに。
「くっ、搦め手ばかり……まともに殺し合いしてくれへんのやったら楽しない!」
戦闘狂の素直な感想をあざ笑うように、じりりり、と警報が鳴り響いた。鈍った鼓膜では一枚壁を隔てたように遠く聞こえるそれを前に、今度は冷静に周囲を警戒する。
――いったい次はどんな罠や?
暗闇で目が使えずとも、元来、彼女の生きてきた場所は危険が付き物だった。この程度の状況、攻勢に出た相手を捌くだけなら耳と目が使い物にならずとも術師という特別な存在である彼女には造作無い。
だが、次に来たのはがらがらと何かが降りる音だった。三船は嫌な予感を覚えた。音の出処が、三船にとって唯一の逃げ場だったエスカレーターからだったからだ。
警戒しつつ、暫くして目が暗闇に慣れると、その音の正体を知った。
「逃げ道が……ッ!」
目の前にあったエスカレーターを覆い隠すようにして、鉄の巨大な扉が立ち塞がっている。怪盗は火災報知器を鳴らし、自動防火扉を作動させたのである。
一見、同じ色に同化していて、暗闇のせいもあり防火扉の扉を三船は認識出来なかった。度重なる不意打ちに彼女自身、冷静だと思っていてもそうではなかったのが原因の一つであり、彼女は当たり前のように存在している防火扉の扉に気付かず、勝手に完全なる密室を心の中で作り上げてしまっていた。
そうなると次の行動はただ一つだった。
怪盗を殺す。
追い詰められて逆に単純化された目的は、三船の性に合っていた。
急速に上っていた血が降り、冷静さが舞い戻る。好きな事に異常な集中力を発揮する。
少女と呼ぶべき年齢なら好きなものしか見えないのは可愛いものだが、それが殺し合いである辺り、やはり三船小雪路という少女はまともでない。
暗闇の中、ろくに視界の利かない状況で、三船は少しずつ回復している聴覚に期待した。彼女自身の能力は摩擦係数を変化するだけなので、もうこういった追い詰められた状況となれば、実際、怪盗となんら変わりない。
特別な術を持とうが、人間、やはり最後は地力が物を言う。
遠くからそれは響いた。靴の底が床に擦れる音だ。三船は戦闘狂の本能か、鈍った聴覚でも目敏くそれを聴き、迷いなく飛んでいく。視界が少しずつ夜目に切り替わっていたからだ。
「回りくどいで! ええかげんにしいや!」
それが三船の本心であり、願いだった。
「纏え天地摩る力の流れッ!」
両手に力を付与する。今の三船の手は彼女の男に勝るとも劣らない握力の助力もあって、下手に触れば紙やすりのように肌を削り落としかねない凶器へと変貌していた。
多少鍛えた程度の怪盗にはナイフより恐ろしい。その凶器をぶら下げて走る彼女は、大きく地面を蹴り、商品棚を飛び越えて音の出処に直進する。
――靴の音でバレバレや!
虎のように音の出た地点にたどり着いた彼女を待っていたのは、ぽつりと地面に置かれた黒い何かだった。
――怪盗がおらん……。ん? なんや、あれ。
暗闇の中、彼女がそれに気づけたのは僥倖だ。偶然、下駄に当たったそれを拾いあげようとして、再び後ろから音が鳴る。今度は商品を間違って倒す大きな音だ。
――しくじりおった!
三船は狂気的な笑みを湛えて駆けた。しかしまた誰もいない。どういう事かと首を捻る間もなく、彼女は全身を流れる電流を感じた。
「うぐっ!?」
バチバチと空気の焼ける音を響かせて三船の首筋に一瞬押し当てられていた。それはスタンガンだった。首筋に押し当てられても尚、意識を喪失しない三船はまさしく異常だった。
異常な精神力と戦いを渇望する本能が、寸での所で彼女を持ちこたえさせてしまったのだ。
「っ、ああッ!」
腕を振るう。ざしゅ、と肉の裂ける音。狙いもなく、ただただ振り回された腕は偶然にも、虚を突く形で怪盗の腕を浅く擦る。
「ぐっ!?」
怪盗も予想だにしなかった反撃に苦悶の声が漏れた途端、三船が手に付着する血に気がついた途端、彼女は狂喜した。
「そこにいるん!?」
口角を引き上げ、目を限界まで見開いて彼女は腕を振るう。
夜目が利くといっても限度がある。
今の彼女に怪盗の姿は見えていない。
しかし付着した血が、怪盗の腕からこぼれた血が戦闘狂を引き寄せる。
ざしゅ、ざしゅ、と肉を裂く嫌な音が暗闇に響き、その度に三船は嬉しそうに鳴く。
「ふふっ、あははははははははは、やっと見ぃつけた! もう逃がさんよッ! タケハヤさん!」
と、言って目でも遂に苦しむ怪盗を見つけた最中、決死の反撃とばかりに放たれた蹴りが華奢な三船の腹を打つ。怯んだ隙を見逃さず、怪盗は駆ける。三船は音を頼りに怪盗を追った。
こうなると最早、関係は逆転する。
翻弄する者とされる者が今、追われる者と追う者に。
好機を得た三船は生き生きとしていた。久々の獲物に獣が興奮するのと同じだ。
戦いが始まって、気がつけば日が暮れ始めていた。
それまで三船はお預けを食らう子どものようにもどかしい気持ちでいっぱいだった。玩具を得て、思い通りにいかなかった前とは違う。掌で相手を弄ぶ全能感は、じれったく待たせていた三船を満足させるには、些か強すぎる刺激だった。
「待ってえな! なあなあなあ!」
少女は我が儘に言う。にこやかな笑顔はそれだけならいじらしい。
しかし、その手は凶器である。触れられれば皮膚は捲れ、肉は削げ、骨は削れる。そんな手だ。生半可な凶器より痛いだろうことは想像に難くない。
三船の指先は怪盗の首筋へと迫っていた。彼女は頚動脈を裂いた時の血しぶきが見たくて仕方ない、といった表情で必死に手を伸ばす。
だが意外な事に彼女の表情は一抹の迷いがあった。
誰よりも殺し合いを愛する彼女は、殺しを好む訳ではない。ただ大好きな事を長く、長く、それほど永久に楽しんでいたいが為に、相手の命を絶ってその時間を終わらすのは、彼女の本意ではない。
その時、矛盾が生じる。
この闘技場の主は殺し合いを望む節があった。殺さなければ出られない、とも受け取れる発言をしていた。
三船にとって戦いとは命を賭すものだ。しかし、命を奪うまでに至らないそのスタンスを邪道だとも認識している。故に三船は現代社会では考えられない暴力と平和が紙一重で同居する街、四つ葉でそのギリギリを行き来している。
楽しんでいる。
四つ葉で三船が関わる戦いにスポーツ的な行儀の良い喧嘩はない。
命は取るか取られるかに二極化している。
二者択一。
『勝った、負けた』が『殺す、殺される』の話ならば、三船はその手で目先の獲物の命を散らさねばならない。それは悲しい事だ。永久に戦いを望む彼女には、だが。
――悪う思わんでや。うち、あんた以外と戦いたいねん。だからあんたを殺さなあかん時は、容赦なく殺させてもらうで。
腹を括り、遂に手が怪盗を仕留めようと迫る。
獲物の絶命の時だ。少なくとも三船はそう思い、ほんの少し、本当に少しだけ油断した。勝利を確信し、心に僅かな隙を作った。
彼女は侮っていた。相手を。術を持たない一般人だから、と。
それは次の瞬間、撤回せざるを得なくなる事も知らずに。
突然、照明が一斉に点灯した。
暗闇に慣れていた三船の目は、圧倒的光量を前に悲鳴を上げ、視界は白で染まった。
「うっ!? な、なんや!?」
想定外の出来事に三船が驚く中、足音はどんどん遠ざかる。そしてもう一度、目を開けた途端、再び暗闇が戻る。決着の着きかけた戦いは、怪盗の一手で容易く仕切り直された。
「……ははっ、まだ諦めへんか。ええ度胸やね。気に入ったわ!」
見えない中、三船の声が響く。そして彼女は大胆な手を打ってみせる。
「纏え天地摩る力の流れッ!」
摩擦係数を変化させる能力を下へ。床にかける。すると途端に床はスケートリンクさながらに滑らかになる。滑りの良くなった床は、逃げようと駆ける怪盗の足をもつれさせるには容易い。三船はそう思っていた。
しかし、彼女の耳に届いたのは違う『声』だった。
「あっはっはっはっはっはっはっはっは! あはははははははははははははは!」
怪盗の笑い声。しかも『全方位』からそれが聞こえるのだ。
――なんやのそれはッ!?
流石の三船も冷静さを失った。どこに顔を向けても怪盗の嘲笑が響くばかり。同じ声が同じように、至る所から聞こえる。暗闇に慣れた目を照明で潰されて一時的に視界を故障させられ、その上聴覚をも封じる。
怪盗は初めから本気を出していなかった事を、今更に三船は知る。
もしも床の奇襲が成功していたとしても、怪盗が転ぶ音は笑声にかき消されてしまうだろう。
すると三船に残るのはもう摩擦係数を弄った片手だけだ。そもそも同時に二つしか能力を掛けられない『摩纏廊』という能力は、トリッキーな動きをする為の材料に等しい。
接近戦こそが彼女の最も得意とする間合いであり、怪盗に翻弄される形となった今は最悪の状況と言ってもなんらおかしくないのだ。
「……ッ!」
歯噛みして、三船は備えた。そうするしかなかった。
背後で一際大きく笑声が聞こえた。先程まではなかったものだ。
三船の行動は早かった。振り返って迎撃する。しかし彼女の手が掴んだのは、怪盗の声が出る機械――ボイスレコーダーだった。しくじった、と三船が後悔するよりも早く、怪盗はボイスレコーダーを掴む三船の手を抑えて首にスタンガンを押し当てた。
ばちばちと空気が焼け、三船の身体が大きく痙攣する。
「う……あっ……」
視界の黒が更に色濃くなる。まぶたが降り、三船は自分が膝を屈し、床に倒れ込んだのを知った。
「な、なんで……あんたは、見えるん?」
三船は最後の力を振り絞って、あの激しい照明と暗闇の変化の中でも動けた怪盗の謎を訊ねた。上半身を起こし、何とか怪盗を見つめている。
照明が点き、一瞬、白んだ視界が色を帯びる。
怪盗は目の辺りを覆う大きな機械をつけていた。
「なんだ。まだ意識があるのか」
そう言って怪盗は目を覆う機械を外して、最後にこう言った。
「暗視ゴーグルだよ。暗闇の中でも目が見えるんだ」
なにそれ、せこいなぁ……。
三船は最後にそう言って目を閉じた。
怪盗は意識が無くなったのを確認すると、血が流れる腕を見つめながら立ち上がってうつ伏せになる三船をそっと仰向けにした。彼女が意識を失うと、術はその効力を失っていた。
「ったく、いい寝顔しやがって。これだから見てくれの良い奴はやりづらいんだよ」
誰に向かって吐いたのか。怪盗は小さく愚痴をこぼし、その場を去った。
この腐った闘技場を運営する親玉を探しに。
そしてきっちりと落とし前をつけさせるために。
名前『怪盗ルパン』
全体ランク:B+
体力:B
知力:S
攻撃:C
防御:B
運勢:A
敏捷:A
精神:A
総評:『白黒の盤上で僕らは踊る』から高水準だが、超能力がないのが欠点。人は殺さないので、武器も強さに欠け、基本体術から不意打ちの目くらましコショウ、スタンガンなどがポピュラー。入り組んだ市街地なら、鉄拳に肉薄できる実力はある。
キャラ:怪盗ルパンの名を語る不届き者。年齢不詳だが二十歳後半という説が一般的。飄々としていて掴み所がなく、犯罪者としては義賊に近い。相手を翻弄する物言い、仕草をし、声真似、鍵開けと器用な面も。面倒くさがりで、戦いには消極的。盗むのなら話は変わるが。一人称は俺。黒髪。
特技と道具:
『知り合いお手製の発明品』
仕込みカメラ、ワイヤー、スタンガン、ガム型発信機、ボイスレコーダーなどなど。
『究極の収納術』
四次元ポケットの如く、色々なものを仕込める。
『三船小雪路』
全体ランク:B
体力:B
知力:C
攻撃:A
防御:C
運勢:C
敏捷:B
精神:B
キャラ:
明治中期が舞台の「明治蒸気幻想パンク・ノスタルヂア」より、アンテイクに務める少女。殺しは好かない殺し屋殺し。だが殺しを好かない理由が、殺したらそいつの雪辱戦を戦ってやれないから、というほどに戦闘狂の十六歳。
色素の薄い髪を朱の紐でポニーテールにしており、瞳は黒く細く、体躯は細身ながら高身長で一七〇センチを満たすかどうか、体型はメリハリがある。服装は西洋の白い大きなシャツを襟元をはだけさせてまとい、下は黒い足袋の裾が腿まで届いている珍妙な品。上から緋色の着物を羽織り、足元は鼻緒の紅い下駄。一人称はうちで口調は子供っぽい。
特殊能力:
『摩纏廊』
なんらかの神道系術式。「纏え天地摩る力の流れ」の詠唱と共に彼女が触れた物体に魔力を付与し、摩擦係数を変化させる。魔力付与がなされたものは手元を離れてもいつでも摩纏廊の効果を発揮できるが、同時に発現できるのは二つが限界。これを下駄に用いて、滑るような移動や壁走りなどといった、空間を立体的に使う移動術が可能となる。
直接攻撃としては強靭な手の平の握力と上げた摩擦係数に任せることで肉を削ぎ取る〝衣我得〟や、服に指一本触れただけで摩擦によりかかる投げ技〝一指不纏〟など、力に物言わせることが多い。強力な体術と曲芸じみた動きが彼女の強みとなる。