香島湊VS廉太郎
戦闘描写のサンプルです。
あとがきに二人の能力設定が記載されてますので、先に知っておきたい方はどぞ。
常在戦場。
それは言うは易く行うは難し。常に心がけなくては到底辿りつけぬ高み。
武術に身を置く者ならば、いずれ来るかもしれない「いざ」というときに備え、心の片隅に、身体の意識に、置いておかねばならない思い。ゆるぎない精神、たゆまぬ鍛錬に包まれた肉体、これらを余すところなく使いこなすための極地。
「……やべえ」
だが。
想定すらし得ない奇怪な状況におかれてまでなお平常心を保つには、廉太郎はあまりに若すぎた。
道場で一人稽古をしようと道着と袴に着替え、準備運動をはじめ、体前屈で柔軟をなし、顔を上げたときには、どこともしれぬ場所にいた。どこまでも真っ白で、天地があることさえ不思議に思える、視覚に頼っていたらまいってしまいそうな空間。
前後左右上下、どこを見てもなにも変わらず、廉太郎は腰に手を当て、深く嘆息した。
「……こりゃ、死んだかな。命がけの戦いで会長守って死ぬとかならともかく、柔軟やってて死ぬとか悲しすぎるんだが。トラックが道場にでも突っ込んできたか」
「ごめんなさいそういうSSみたいなテンプレじゃないです」
上から声が降ってきて、見上げる。
視線の先には、古代のローマ人とかが着ていそうな……トーガという奴だろうか。貧相で起伏に乏しい身体にこれをまとい、長く、かかとを越えてしまいそうな緋色の髪をなびかせた少女が、浮いていた。いや、見えない足場があったのか、そこから飛び降りてくる。
くりくりとした、髪と同色の瞳が廉太郎を見ている。顔つきも丸く幼く、年の頃は十歳に届くかどうか。もとより長身の廉太郎と比べれば、腹くらいまでの背丈しかない。
頭の上には、針金で輪を作り固定した、パルックがみょんみょんと浮かんでいた。
「じゃあなんだよ」
臆せず廉太郎は少女に問う。まぶしい笑顔の少女は、けれど頬の肉の引きつり方や、目尻のしわの間に、なにか隠しきれない黒いものを押さえこんでいると見えた。
「おめでとうございます」
「はあ?」
「古流武術倉内流の使い手であるあなた! 同じように戦いの力を持つ人ばかりの、猛者の集いへご招待。一夜限りのカーニバル、真夏の夜の夢です!」
「……はあ」
「驚かないんですね? 尋ねないんですね?」
たずねる気力もわかないからだ、と答えそうになって、少女の顔を見るうち、これは夢なんだろうか、と思って自分で自分の足を踏んでみたのだが、痛い。夢ではないらしい。
「ゲームとかでもよくあるアレだろ、一夜限りの夢の共演、ってやつだろ……あー、くそ、俺にとっちゃ戦闘は趣味なんだ、自ら進んでやる以外は勘弁願いたいものなのだぜ」
「だいじょーぶ、ではあなたには、死なず血も出ずの安全設計です。存分に力を振るってください!」
「痛みはあるんじゃねぇか。死なず血も出ず苦しみ続けるとかごめんだぞ、たとえこれが夢でも」
「一定ダメージで気絶して終了の安心設定です! 模擬戦としてお楽しみを!」
ではでは、とうやうやしく頭を下げた、と廉太郎が認識したときには、すでにどことも知れぬ控室の中だった。
がやがやとしたざわめきの中、居並ぶ人々は皆思い思いの格好をしていて人種も国籍も、果ては世界までちがうことすらうかがわれたが、少なくともこの場にいる人々は、廉太郎と同じような心境でいるらしかった。
「どんまい」
頭ひとつ廉太郎より背の低い、ぼさぼさ頭で目つきのよろしくない少年に言われて、肩を落とす。全員が全員、廉太郎と同じように無理やりに連れて来られた、猛者というやつなのだろう。
よく見ればこの少年も、歳は廉太郎と大差ないのだろうが、居ずまいが尋常でない。常人でない。
「チュートリアル、見てきなよ」
少年が部屋の奥に数台並んだ、パソコンを指差している。こんなとこになぜ、と思いながら近づいて画面を見ると、「開演の挨拶」とサブタイトルのついたなにかの小説の章が、廉太郎の前に開かれていた。演劇の台本のような章だった。
「そこに細かい注意事項とか載ってるから。よく見て戦うといい」
「はあ」
「次のページに、きみの戦いを文章にして打ちだすらしいよ」
「マジか。え、じゃあなんだ、俺の戦い全国配信か」
「いや、元の世界には影響しないはずだから、ここと、あとどっか他の世界で見れるだけなんじゃないかな。こうして俺と話してる間も、記録されて打ちだされてると思うよ」
頭をかきながら少年は言い、それを聞いた廉太郎は周りを見渡す。特別、不審なカメラなどは見当たらないが。
「なんだそれ……」
「とにかく順番が来たら戦えってことらしいね。俺は、まだみたいだけど……じゃ、ちょっとなにか腹にいれておきたいから、もう行くよ。ああそうだ、きみを連れてきた女の子、名前は蒔苗っていうらしいけど。蒔苗にチュートリアルやってもらえなかった人見かけたら、いまの俺みたいにそのパソコンのことを教えてあげてくれるか」
「まあ、いいけどよ」
「うん。俺も先に来てたちっちゃい女の子からそう言われてさ、ずっと待ってただけなんだ。きみもなるべくそうしてあげると、あとから来た人困らなくて済むと思うし……ん、言うことはこれだけか。戦いで会ったらまたよろしく」
「お、おお」
絶対に勝てそうにない相手から言われて、若干の萎縮を覚えながらも廉太郎は彼の着るミリタリージャケットの背を目で追いかけた。ふっと出入り口の向こうに消えて、はあと息をつく。
「やべえとこ来ちまったなー」
つぶやきが大きかったためか、控室の中にいた数人が同意するようにうんうんとうなずいてくれた。でも意見が同じこの人たちとも、場合によっては戦わねばならない。
なるべく、楽しく戦える相手に当たればいいな、と思いつつ、廉太郎はベンチに腰掛ける。ここで、ブーっとなにかのブザーが鳴った。それから、スピーカーより放送が流れた。
《それではー、阿と……じゃなかった、廉太郎選手バーサス香島湊選手、まもなく試合ですのでコロセウム入口までお願いします》
「おいいま本名呼びかけたぞ」
《なお、廉太郎選手は幼少期に眼鏡と髪型で滝廉太郎そっくりだったがために、この名で呼ばれるようになった次第です。本編でも本名で呼ぶ人間はひとりもいなかったので、今回もこれで通す運びとなりました》
「なんで説明いれてんだよ!」
《それではみなさんカウントにご唱和をー。さーん、にーぃ。いーちぃ、》
ぜろ、
で、廉太郎はまた位置を移動させられていた。目の前には入場口、おそらくは、ここがコロシアムなのだろうが……背後を見ても戻る道はなく、仕方なしに、明かりの見える前方へ向かって歩いた。と、腰のあたりが重たくなっているのに気付き、左手をやる。手になじんだ、稽古用の愛刀が差さっていた。
「げぇ、拿枕一文字……なんでここに……いや、そうか、刀剣・銃火器・魔術やらの使用も可能だとか、物騒なこと書いてやがったな……」
でも真剣だぞこれ、と言いながら抜きだし、刃を眺める。やはり、切れるとしか思えない。峰で戦わにゃならんのか、とぼやきつつ、ちょっと左手の甲で触れると、薄く引いて切った部分からは、出血しなかった。皮膚を押さえて押し出そうにも、血が出ない。かゆい痛みがあるだけだ。
「安全設計ってこれか」
だからといってやたらと抜く気にはなれないのだが、相手だけ刀を持っていて防戦一方になるのも困るため、結局持っておくことにした。
やがて入場口を、抜ける。スタジアムなどで観客席に入ったときのような、抑えられていた歓声が解き放たれたような音量が、廉太郎の鼓膜を打った。
正面には、見慣れた日本の広葉樹が立ち並ぶ森。暑くも寒くもない、過ごしやすい気温。広さも自由自在だったか、などと思い返しながら、廉太郎は森に足を踏み入れていった。途端に、歓声は聞こえなくなる。代わりに、割れんばかりの音がどこかのスピーカーから鳴り響いた。
《――レェディースエーンジェントルメーンッ!! ただいまよりエキジビションマーッチ、廉太郎ヴァーサス香島湊の一戦をとり行います!!》
「いちいちうるせえなあいつ」
《今回の舞台は森! 開けた場所も用意してありますので、刀と体術を主な武器とする二人にとっては、それなりに戦いやすいステージですー。まずはお互いの位置を探るところからはじめていただき、接敵してすぐ戦闘開始という形をとりたいと思います!》
「勝手なことばっか言いやがって……」
《では準備はいいですかー? いいですねー? トイレ休憩などございませんのでまばたきも厳禁でお願いします。それでは~……れーっつ……すとらごぉぉぉぅるッッ!!》
ピーっとホイッスルの音がして、試合開始らしい。
廉太郎は一度だけかぶりを振って、現状に対する雑念やぼやき、もやもやとした心地を、とりあえずすべて頭から払った。気持ちを切り替えていかねば、まず戦いに臨むことができない。
(――う、わ)
などと考えたのだが、雑念もなにも持っていられる状態ではなかった。
森の奥から、ざわりと肌にまとわりつくように、相手の気配が感じられたためだ。これまで廉太郎が相対してきたあらゆる仇敵を秤に比べても、なお重い気配。常とはちがう強敵の出現に、廉太郎は自然と体が引き締まる思いがした。
(……こりゃ、楽しめそうだ)
勝てる気はまったくしなかったのに、それだけが心に浮かんだ言葉だった。つくづく自分が戦いに溺れた人間であると自覚しつつ、行動を開始する。森という地形を利して、相手より早く相手を見つけ、先手をとることが肝要と思われた。幸い、足場は落ち葉などではなくきちんとした土で固められているため、道を選べば足音を消すことは難しくない。
慎重な足取りで、傾斜のついた位置をのぼりながら廉太郎は迫る。向こうも探しているのだろうか、と思うと少し構えてしまい、自然と腰の刀に手がゆく。いざというときは抜き打ちか、相手の来る方向によっては左手で左に差した刀を鞘ごと抜いて防ぐ倉内流の技〝八咎〟を用いるべきだと考えていた。
ゆっくりとした足取りで、廉太郎は相手を探す。じりじりとひりつく空気の中、刀を携える己の手だけが、たしかなものとして認識できていた。ゆるやかな傾斜の向こうへ辿りつき、森の行進は続く。頭上にいたら嫌だな、と考えつつも、歩幅に気をつけ、木々の死角へ目を巡らす。
やがて、道として作られたと思しき、まっすぐにひらけた場所へ出る。踏み固められた土と両側の木々の枝も手入れされた痕跡がうかがえ、道幅五メートルほどで、遠く続いていた。
彼方から、歩み来る。
「……いたか」
予想よりも早い接敵だ、もとから二人の距離はそれほど離れていなかったのだろう。思いながら近づき、木々の影に身を隠しながら、廉太郎は相手を観察した。
直毛の髪は若干長めで、垂らした前髪の奥にのぞく顔からして、歳は廉太郎と大差ないだろうか。体格は一八〇ある廉太郎より、少し低い程度。けれどシャツの下にある筋肉の付き具合は悪くない。ボディビルダーのような見せるためのものではなく、必要とする分だけを淡々とたくわえた、そんな鍛え方をしていると見える。ウエイトトレーニングではないだろう。なんらかの、武術だ。
そしてこれが一番の特徴だが、少年は、ジーンズと革靴に包まれた右足を、引きずるようにしていた。右手にはステッキが携えられており、これを支えとしながら、ゆっくり、ゆっくり歩んできている。……一見すると隙しかないように思える。だが、引きずる足も含めて、全身が活きている。攻めるに易い、死に体の部分が、存在しない。
観察が一通り済んだところで、少年の目が辺りを睥睨し、ステッキから左足と右足へ、重心を分散させた。
「……いる?」
少年がぴたりと足を止め、声をかけてきた。気配を読まれてるな、と知った廉太郎は小細工の奇襲をやめ、おとなしく林から出てくると、特に構えることもなく道の真ん中へ陣取った。彼我の距離は六メートルほど、互いに構えるには少々遠い。
「いたな」
「ああ。いたのだぜ」
「ってことは、対戦相手はきみか」
「そのようだな。で、なんだ、試合は武器ありなのか」
気安い感じで呼びかけあい、互いに現状を確認し合う。常識人が相手でよかった、と思う廉太郎だが、相手も同じように思っている様子が、なんとなく見受けられた。
続く会話も、ゆるく気だるげに繋がった。
「あり、なんじゃない? そっちだって刀持ってるじゃんか」
「素手の戦いがお望みなら捨てるぜ」
「いや、気にしないから自由にしよう。じゃあ剣と体術だけ?」
「他になんかあんのか」
「霊能力とか」
「俺持ってねぇし」
「そっか。うらやましい。じゃ、始めよっか。合図は?」
「なくていいんじゃねぇか」
「そうだな、そのほうが真剣っぽいね」
「ああ、真剣勝負だ。でも名乗りあいはしとくか」
「どっちから?」
「じゃあ俺から。倉内流門下、廉太郎」
「どうも。香島湊だよ」
「今度こそ始めるか」
「ん。よろしくお願いします」
「こっちこそ」
言葉を切って、あとは対峙に移った。ざ、と構えをとり睨みあい、六メートルあった距離を、廉太郎は擦り足で詰める。
右半身にとって、抜き打ちが可能な状態にした廉太郎は、あまり構えた様子もなく、ただ小刻みに両足、ステッキ、と重心を移動させ続けている湊に、どう攻めるか考えた。リーチの問題で言えば、そもそもステッキはさほど長いものではなく、また湊自身も身長は一七〇前半と見えるので、廉太郎の腕の長さには及ばない。よって間合いはこちらが広い。
けれどあの足で戦いを挑もうという時点で、察することができる。彼の戦法は待ちの一手、迎え撃つ間合いの持ち主であろうことは明明白白だ。近付くにあたって、気をつけなければ一瞬で打ち落とされる可能性もある――だからといって、攻めないわけにはいかないのだが。
三メートルまで迫ったところで、廉太郎は打って出ることにした。どうせ相手は格上だ、考え続けても仕方が無い。左手で腰から鞘ごと刀をとり、低く屈んで駆けだす。湊が構えるのが見えたが、打ち込んでくるのならそれで構わない。
「くらいやがれ」
寸前で歩幅を縮めて相手の出を誘い、鞘を掴んだ左手をうごめかす。瞬時に、湊のステッキが跳ね起き、右手で鋭い突きが放たれた。これを鞘で払い、ステッキに鞘をこすらせながら、廉太郎は左手を鍔へ寄せる。片手で鯉口をきって抜き放ち、親指と人差し指で鈨をつかむようにして、現れた刀身を逆手で跳ねあげるように振るう。
「〝八咎〟!」
横を通り過ぎざまに薙いだ切っ先は、湊が上体を逸らしたことでかわされた。前髪数本を断ち切るにとどまった太刀だが、ゆきすぎてすぐ、廉太郎は右手でとり、今度は頭に向けて袈裟に切り下ろす。
かぁん、と音が弾けて、切り下ろす途中で切っ先が逸らされた。突きから帰ってきたステッキで、軌道を変えられている。そのまま勢いで体を反転させた湊は、正面から向き合うと、地面に突いたステッキに重心を預け、左足刀で横蹴りを繰り出してきた。
「く、おっ」
「悪いね」
右肩で受けてしまい、たたらを踏む廉太郎に向け、さらに連撃。戻した足を地面につかせると同時、爆発的に攻撃の気配が増し、後ろ回し蹴りを打ちこまれた――右足で!
「てめっ! 使えない、んじゃ、」
「ほんと悪いね。限定的にだけど、使えるんだ」
とんとんと右足だけでステップを踏む。なにがかはわからないが、なにかが変わった。抽象的すぎる表現だが、単純に『強くなった』と廉太郎には感じられた。先ほど彼が言っていた、霊能力だろうか。少なくとも廉太郎の知る霊能力には、こんな力はないのだが――。
さらに続けてステッキの突きが襲いかかり、頭を振って横にかわしたものの、倒れこむ。普通に歩む湊は、手首のスナップを利かせて軽快な動きで左右に打ち込んでくる。バトントワリングで八の字に回しているような動きだが、打ち込みの瞬間は釣りざおを振るうようにしなりのきいた一撃だ。
後ろに転がってこれを脱した廉太郎へ、湊は低く屈んで膝をつき、すねを狙うステッキを振るった。刀で防ぎ、押し込まれるようにして後退しながら立ち上がると、ステッキは通り過ぎて、湊の左手が柄をつかむのが見えた。
そこからグリップをひねり、同時に膝立ちの構えが変わる。ステッキを深くかいこむようにして、右足に重心が乗る。見慣れた形態に思い、この違和感の正体に気づいてすぐ、廉太郎は正眼に刀を構えなおした。
「ふっ!」
鋭く息を吐き、屈んだ体勢をばねに跳躍をなしてから空中で抜刀、相手のこめかみなどを横薙ぎに狙う〝抜附之剣〟という技だ。とっさに刀を引き付けて、右から跳びかかる刃を弾くが、紫電一閃の残光は目に焼きつく。
「……っかしいな、仕込みの初太刀でかわされるなんてさ」
「香取神道流か!」
「あ、知ってるんだ。どうりで」
たまたま他流派について学ぶ機会があった際に、見栄えのする奇襲の技であったため、その後独学で習得してみた技だった。知識は何物にも勝る武器であることをあらためて実感しながら、廉太郎は構えなおす。
「くそ、こうなりゃ」
刀を地面と水平に、切っ先を後ろに向けて構える。肘を前に突き出して、左半身になった。倉内流においては斜の構えと呼称するもので、この名は実際には読みを変えたものであり、「車の構え」が真の名である。車が転じてシャ、さらに転じての斜。
動きとして、車の回転のごとく体をひねって放つ横薙ぎの一閃を主とする構えたることが名の由来で、これを他流派に漏らさないための仮初の名が斜の構えという呼称なのだ。
そしてここから放つ技は。
「――〝尾背廻〟!!」
低く一足飛びに踏み込み、片手で下段、無形の位に構えていた湊に斬りかかる。湊は間合いを測って半歩下がり、廉太郎を見ていた。このまま振りぬいても、当たりはしないとでもいうように。
横薙ぎに、こめかみを狙って斬りつける一撃。その、振りぬく途中で、廉太郎は右手を柄頭へ滑らせる。これにより、若干ではあるが間合いは伸びる。それでも刀は届かない、湊の体に触れることはない。
しかしこの技の狙うところは間合い伸ばしだけでは、ないのだ。引く左腕から肩にかけての力の入れ方と、右手の内の握りこみによる精妙な動き、加えてこれら動きを隠し通す、突きだしていた左肘の存在感。湊の前を過ぎる一瞬に、すべてが噛みあって意味をなす。軌道がわずかに、下へ落ち込む。切っ先は、わずかに体よりも前に出ている、踏み込んだ右足のひざを狙っていた。
いけるか、と廉太郎が判じた瞬間に湊が眉をひそめ、ひゅ、と空間を断つように、仕込みの刀身が、割り込んできた。
「っはは、大した――」
ぎし、響く軋みの音が、湊の防御が成功したことを示していた。膝の真横へ地面を突くことで支えとし、重たい廉太郎の斬撃に対して、右手のみでの防御を可能としていた。
「――技だね。じゃあ、こっちの番だ」
ぎょっとした廉太郎が引く気勢を見せると右手を柄頭まで滑らせ瞬時に間合いを伸ばし、廉太郎の刀に押さえられ、地面に突き立つことで溜められていた力を、腰をきって振りぬくことで放つ。
防ぐことかなわず、地面から立ち上る雷光の斬撃に、左前腕をざっくり切り裂かれた。血は出ないが、鋭く焼けるような痛みが走る。
「い、ってえええ!! ンだよそれ、無明逆流れか!」
「なにそれ」
思わず漫画の技名を叫んでしまった廉太郎だが、余裕は無い。腕の怪我は浅くないらしく、刀を持つこともおぼつかない。うあ、とつぶやいて、右手で肩に担ぐようにすると、だらりと体の横にぶらさがる左腕を見て、弱り切った表情になる。腱を断たれたのか、動かない。
「まいったな……剣ではかなわんらしい」
「霊能力使ってるから、褒められたもんじゃないよ」
「でも剣術体術は自分で身に付けたもんだろ。右足使えるようになったのは驚いたがよ」
「一応十年近く、稽古したからね」
「じゃ誇っていいだろ。修業の成果努力の成果はその人のモンだ……とにかく、剣はやめとくか、左腕がこれじゃ歯がたたねぇ」
「降参?」
「いんや。根が負けず嫌いなもんでな……こっからは外道の勝負といかせてもらうぜ」
「霊能力はないんじゃないの」
「環境利用闘法は身につけてる!」
言うが早いか、廉太郎はきびすを返して逃げた。こうなってしまうと、走ることに慣れていない様子である湊には、追いつけまい。
普段から山を駆けて体力作りをしている廉太郎だ、あっという間に置き去りにして、その間も使えそうな枝を刀で落とし、つる草を集めるなどして、ブービートラップの製作にとりかかった。向こうに機動力がないとはいえ、次出くわしてしまえばこの腕ではロクな戦いができない。
ところどころに草を結んだトラップを仕掛け、愛刀をほっぽり出して地面に鞘で穴を掘りながら、廉太郎は策を巡らすこととした。
「なめんなよ、こちとら暴走族十人に追いかけられて、山で夜戦繰り広げたことだってあるんだ」
さりげなくきつかった経験を思い返しながら、つる草を結んで枝数本を束ねた剣山のようなものを作る。樹上に設置し、つる草で仕掛けをなす。茨を切って輪をつくり、足元に見えないよう落ち葉に隠す。
「十分も時間稼げりゃ、ある程度は罠が作れる」
左腕が思うようにならないせいで数はどうにもならなかったが、ひとまず四か所、罠を仕掛けることに成功した。近くにあった木立の中に隠れ潜み、あとは湊の来襲を待つ。
「よし、来るなら――」
と身構えた瞬間、廉太郎のいた木立の近くに、風切る音と共に飛来するものがあった。
重く地面にめりこんだそれは、木製の杭であるらしい。え、と表情が固まって、飛来してきた方向を見てしまいそうになる。直前で声が聞こえてきたため、愚行を停止することはできたが、果たしてそれは助かったと言えるのかどうか。
「悪いけど、剣と体術の尋常な勝負でないなら、むしろ俺のほうに分があるんだ」
続けて三本、杭が落ちる。結構な速度で飛んできているが、まさか投げているのか。恐ろしい想像に身もだえして、廉太郎は縮こまった。けれど、怖いモノ見たさという奴で、おそるおそる見やる。
湊はなにも見当たらない手の内から木片を取り出し、杭となし、ステッキを持たない手で手当たり次第に投げている様子だった。いや、それだけではない。彼の歩いたあと、林の中によくわからない植物が咲き乱れ始めている。
「ほんと悪いね。一瞬で終わらせるから」
そして少し離れた位置で、ぼうと火があがった。再び仰天しながらパニックになっていると、湊が声をかけてくる。
「オーストラリアでは山火事が頻繁に起こるらしいね。俺はドイツにいたんだけど、ドイツでも日本でも山火事ってそんなに起きないだろ? で、なんで頻繁に起こるかっていうと、コアラも食べるユーカリの木ってやつが、葉っぱに油分が多いんだと」
火事の燃え広がるスピードというのは、人間が予想しているよりはるかに早い。遠く白煙があがっている、と思っていたら、黒煙が近付いてきている。
「だから風が吹いて、葉っぱが擦れあうだけで、自然発火するんだって。ユーカリは表皮が固いから燃え尽きることはなく、温度上昇に応じて弾けた種で子孫繁栄。焼き尽くした他種の樹木の灰で栄養ある土壌に、ますます増える。らしいよ」
ごうごうと燃え上がる火の手。湊はこちらの気配に気づいてはいるのだろうが、近付いてくる気配はない。たまに訪れる無言の時間に、廉太郎は焦りを覚え始めていた。
「申し遅れたけど、俺の霊能力は植物の成長を司るものだ。とはいえ、持ち歩いてる種から成木になるまではさすがに時間かかるから、一人にしてくれて助かったよ。……さあどうする。俺が罠にかかるのが先か、きみが火事に焼かれるのが先か。勝負といくかい?」
「いや……さすがにそりゃちょっと、な」
廉太郎は姿を現して、仕方なしに刀をとった。右片手で肩に担ぐようにして、湊との距離は再び、三メートルにまで縮んだ。
「まいるぜ。そこまででたらめな能力の持ち主だったとは」
「好きで手に入れたものでもないけどね。で、どうする、降参?」
「いんや……まだ、奥の手がある」
「いま俺の手前三十センチにあるトラップなら、あてにしない方がいいよ」
ちらりとうかがえば、成長したホウセンカの茎と葉によって落ち葉がめくりあげられ、トラップは露出してしまっていた。道に種をまき成長させることで、罠の感知にも使っていたらしい。いままた、ホウセンカが弾けて、廉太郎のほうに向けて成長の行軍を続けている。
「……ホント、すげえな」
「お褒めにあずかり光栄だよ。じゃ……奥の手、見せてもらおうか」
「おう」
廉太郎は腰に差していた鞘に一旦刀を納めると、また鞘ごと抜いて、そのまま刀を右肩へ担いだ。
「間合い伸ばし、かな」
「どうだろうな。ご覧あれ」
ぱちぱちと爆ぜる炎の音が、遠くから近付いてくる。焦げ臭いにおいは、もう周りを取り囲んでいた。
時間は無い、機は熟したと廉太郎は思い、一気に駆けだす。そして、三歩目で右足を出したと同時、強い踏み込みの制動に載せて右腕を振りぬく。遠心力に負けた鞘が刀身から離れて抜けるが、鞘に結わえられた下緒という紐を手元に握り残したため、切っ先から抜け落ちることはなく、リーチだけを伸ばして叩きつけられようとする。
これに湊、またも抜刀で応じることにしグリップをひねる――が、理解不能な事態となった。
グリップが元の位置へ半回転した。抜くことが、できない――廉太郎が頬を歪め、笑う。
「〝回天竺〟ッッ!!」
視界に於いて、回転させる用途で作られたものを、一度につきひとつだけ回すことができるという、廉太郎の異能。ここにきて、隠し通してきた――というより、用途が見つからなかったはずの能力で、活路を見出した。なまじステッキ術と抜刀術を併用しようと凝ったギミックにしていたために、よもやこんな微能力に足元をすくわれるとは、思ってもみなかっただろう。
「俺の勝っ、」
だがそのとき、廉太郎は頭頂部に打撃を受けて、体勢を崩した。
「ち、が……」
「……自分だけがトラップ仕掛けてるとでも?」
上から落ちてきたのは、人が腰掛けられるくらいのサイズの、丸太。なんで、こんな、と思いながら目を回し、刀を取り落とすと地面に転がった。
「ユーカリもそうだけど、手元を離れても成長は続けられる。樹上に木片を設置しといて、徐々に成長させてたんだ。枝が重みに耐えきれず、しなって落ちるまで。向かってくるように声をかけたのも、きみの最後の攻勢のタイミングを操るためさ」
声が遠のいていく。ちくしょう負けた、と歯噛みしたい気持ちになるが、もう力は入らない。
……むう。善戦では、あったと思うのだが。
反省点をいくつか浮かべながら。廉太郎は、最後の意識を手放した。
《劇終》
名前『香島湊』
全体ランク:B
体力:B
知力:B
攻撃:A
防御:A
運勢:D
敏捷:E
精神:C
キャラ:異能力バトル&恋愛モノ、『アザレア』の主人公。舞台は現代。ドイツ出身。日本語はしゃべれるが、まだ日本に帰化して2年ほどなので文化として抜けきらないところも多々ある。
髪はやや長めで前髪は眉にかかるていど、後ろ髪はうなじにかかる感じで全体的に癖はなく直毛。色は焦げ茶。身長は173cm。服装は淡い緑や暖色系統のシャツにボトムはジーンズ、靴は革靴が多い。
先天性の障害で右足が動きづらく、霊力の補助なしに長時間激しい運動は控えている。現在17歳。8歳の頃よりリハビリのため、夫婦揃って武術家という知人に弟子入りしている。妻がサバットやカポエイラ、ムエタイの足技を取り入れた我流武術、夫が香取神道流や柳生新陰流などの剣術を収めた人の二人組です。どちらも30代。
一人称は俺。結構外交的。
特殊能力:
状態関連
・霊力による肉体強化および武器強化
・『生命の樹』
自身の生命力を糧に能力を底上げする。二段階まで引き上げ可能。三分間持続する。おもに自分以外の物や人に用いるが、自分にも使用できる。
技関連
・霊力による植物の急速成長
例えば、種子に霊力を流し込むことで蔦をはやして相手の足を絡め取ったり、木片を再生して投擲武器にする。また、地面に落ちた木片も霊力を流し込むことで成長可能。攻撃・防御に関して汎用性が高い。
・『サバットを中心とした体術』
リハビリを兼ねて稽古しているうちに練り上げられた。サバットから派生した杖術のラ・カーンを組み合わせることにより足のハンデを補う。
サバットとは元来、治安が悪化していたフランスの路上において紳士たちが己の身を守るために鍛えた謂わばケンカ武術である。そのため、その時代嗜みとして持っていたステッキも武術に加えられる形となった。現代においては危険なため別々にされているが、この「サバット」と「ラ・カーン」は二つでひとつの技である。
某週刊少年ジャンプでのサバット描写は誤りで、実際のサバットは「パンチ5:キック5」の割合が基本となる戦闘スタイル。湊は待ち・もしくは誘いの戦法であるが、この戦闘スタイルは変わらない。ステッキで体幹を支えつつ、蹴りを出したりそのまま続けざまにパンチを繰り出す。ステッキは相手の首やら足を引っ掛けて倒したりにも用いる。
得意技は相手が踏み込んでくる足の膝を蹴ることにより体制を崩す(もしくはそのまま折る)カウンター技。
・『抜刀術を基本とした剣術』
リハビリをかねて稽古しているうちに練り上げられた。これもあまり激しい動きを控えていることから待ちの抜刀術を習得している。得意技は行動の起こりを隠しながらの抜刀。見えているのに反応できないということが起こる。ラ・カーンのフェンシングじみた直進的な突きに、抜刀術の円の攻めをおり混ぜる。用いるステッキは一旦持ち手をひねらなければ刀身が出ないようになっているので、相手の体に引っかける技の際に抜けることはまずない。
『廉太郎』
全体ランク:C
体力:C
知力:D
攻撃:B
防御:C
運勢:D
敏捷:C
精神:C
キャラ:
現代が舞台の「百奇夜行で鬼天烈な。」より、とある高校の民俗学研究会メンバー。自分の好きなことしかやりたがらない享楽的な性格で、部活に入ったのも好きな人が会長を務めていたから。民俗学には一切興味無い一七歳。
黒ぶちの眼鏡にワックスで立たせた黒髪、一八〇センチを超える巨躯、服装は作務衣でいることが多い。趣味は鍛錬と和菓子作り。一人称は俺、口調は語ってきかせるようなものが多く、たまに語尾に「なのだぜ」とつける。
特殊能力:
『倉内流』
戦国の世から連綿と受け継がれてきた由緒正しき流派。これをならう彼も剣・槍・弓・鎖鎌・馬術・泳術・体術など武芸十八般に近い技が扱える。特に体術と剣術に力を入れている模様。精神鍛錬は怠けている。
〝鍵戒〟相手の引き際を見定め、防禦の姿勢に入ったと判じた瞬間に打つ技。右フックを斜め上から打ちおろす形で、相手の左腕のガードをすり抜け鎖骨に打ち込む。さらに続けてその腕を引っぱり相手の左側に死角を生みだしつつ左こめかみを露出させ、右上段回し蹴りで仕留める。
〝机吊〟低空のタックルを仕掛けて着物相手の時代なら帯、現代なら相手のベルトを両手でつかみ、上体を反らして相手の攻撃から逃れつつ、両腕の間を通すようにして鳩尾へひざ蹴りを放つ。寝技に持ち込まれる瞬間にも受け身をとりながら使える。
〝小分〟相手の左拳を右半身でかわしざま側面へ入りこみ、上から右腕を肘に巻きつけ、左手で手首を捉えて押し下げることで肘を破壊する。加減無しの場合は続けて右肘で喉を潰し、さらに左拳で心臓を打つ。
〝八咎〟抜刀術。左に差した刀を左手で抜く技。逆手で持つような形で鞘ごと帯から抜き、相手の打ち込みを鞘で防ぐ。そして鞘に食い込んだ相手の刀に抜かせるように刀身を逆手で放ち、頸動脈を狙って横を通り過ぎる。殺しを狙わない場合は柄頭で鼻を潰す。
〝尾背廻〟左足を前に出し、地面と水平に刀を構えて左肘を相手に向ける。横薙ぎに振りぬく瞬間に右手を柄頭へ滑らせて間合いを伸ばし、かつ微妙な手の内の動きで軌道の変化をうながすことで、横薙ぎからわずかに斜め下への斬撃に変える。出だしを見切る戦術の相手ほど引っ掛かる。
『無拍子』
長年の鍛錬が彼に可能とさせた、初動の無い体術。たとえば人間が立ち上がる動きは、「頭を前に出す」「重心を頭から足へ移動」「尻をあげる」といった動作の連続である。同様に殴るモーションも「踏み込む」「腰をきる」「背筋を利して肩を出す」「肘を伸ばす」といった動きの連続だ。
無拍子は、これらの動作をすべて「ほぼ同時に」一定速度で行うことで、「どこから動くか」「どう動くか」という間接駆動の継ぎ目を消滅させる。相手の初動をつかむことに慣れた歴戦の猛者ほど惑わされることになる、高等技術。
『回天竺』
彼の持つ妙な能力。「回す用途で作られたモノを」「視界内において」「彼の腕力で可能なレベルで」「一度につき一つだけ」「回転させる」能力。使いどころがよくわからないので、彼はスケボーやキックボードを時速五〇キロで走らせて遊んでいるらしい。