8. lose control of oneself
私はふと目を覚ました。
爽やかな森にいるような香りが鼻をかすめる。
レオンの香りだ……レオンのベッドにひとり横になっていた私は上体を起こしソファに目をやる。
レオンはソファの肘置きに頭を預け長すぎる脚を折り曲げてソファに横になっていた。
いつもは私が目を覚ました時はレオンの起きてる姿しか見たことがなかったので、私は首を傾げて時計に目をやるとまだ夜中だった。
レオンがぐっすり眠っているのが珍しくて私はそっと彼に近寄った。
「毎日、私を見張ってたんだもの。疲れるわよね……ごめんなさい」
起こさないように小さな声で謝る。
金色の長い睫毛がふせられている。引き締まった唇に寝ていてもレオンの意志の強さを感じた。
「……。……くっ」
レオンの寝顔を観察していると遠くの方から誰かのうめき声が聞こえてきた。
「はっ」
私は息を呑む。
私が起きたのはきっと彼のうめき声のせいだ。一枚の壁越しに聞えてくるシャクラの苦しむ声は正直耳を塞ぎたくなる。
でも、傍にいてあげた。そう思う感情の方が強かった。
それと同時にシャクラやレオンに言われた言葉を思い出す。
シャクラのことを想っているなら……本当に想っているなら、もう一度ベッドに潜りこみ夢の中の住人になるのが一番。
ふたりならきっとそう言うだろう。
「うっ……てぃ、ら。ティラ……っ」
真夜中の静まり返った空気は一枚の壁など取り払ってしまうかのよう。
「シャクラっ」
呻きながら自分の名前を確かに呼んでいるシャクラをほうって眠りにつくことなんて私には絶対にできない。
私はすぐに部屋を飛び出し、シャクラの部屋の扉を開ける。
もう二週間もシャクラの姿を見ていない。
真っ暗な部屋には細い月のわずかな明かりさえはいっていない。
「シャクラ?大丈夫っ?!」
手探りで毎日使っていたベッドへ向かう。
「ティラ……どうして」
ベッドに辿り着くと暗闇に慣れてきた私の目にシャクラらしい影がベッドにうずくまっているのをとらえた。
「ごめんなさい。でも、どうしてもシャクラをひとりにできなくて……私」
ベッドの傍に膝をつこうとした時、勢いよくなにかに動きを封じられベッドに引きずり込まれた。
「……っ」
間違いない。シャクラの熱い身体と速すぎる鼓動が私に伝わってきた。
「うぅっ……くそっ」
シャクラが苦しみ始める。
「苦しいの?シャクラ、私が傍にいてあげる……」
そう言い、シャクラの身体に腕を回そうとする。
「やめろっ」
突然身体を弾きとばされ、私はベッドから落ちる。
意味が分からなくなって混乱する私をシャクラが起き上って睨みつける……赤い、赤い、真っ赤な瞳が暗闇の中光っていた。
「ど、したの?」
急に病人とは思えない力で私をベッドに引きずり込んだかと思えば今度はベッドから投げ飛ばすシャクラはどう考えてもいつもの彼とは違っていた。
それに、日にあたりもしないのにどうして彼の瞳は柔らかな茶色でなく血のような真っ赤な色に染まっているのだろう……。
床に投げ飛ばされた私をシャクラは見据えたままゆっくりとベッドから起きあがった。
「だめよっ!さっきまであんなに苦しんでいたのに……っ、寝ていないとまた」
「黙れ」
シャクラの声が低く放たれると、周りの空気が一瞬にして静かになる。
ゆっくりとこちらへ近づいてくる彼は以前よりさらに線が細くなっていた。
私の目の前まで来ると膝をおり、座り込んでいる私の目の高さまで顔を持ってくると器用そうな指で私の顎を荒々しく掴んだ。
「……んっ」
唇と唇が触れたかと思うと噛みつくようなキスをされる。
いつものシャクラと明らかに違う様子に私は逃げようと後退りをするが、シャクラに床に抑えつけられる。
「シャク……ラっ!どうしちゃったの?」
シャクラは答えようともせず私の首筋に唇を寄せ、噛みつく。
「いたっ!シャクラ、やめてっ」
腕を振り回し逃れようとすれば手首をシャクラにぎりっと握られ力が出なくなる。
シャクラが噛みついたところから血が出ているのか顔をあげたシャクラの口には血がついていた。
ふくれている下唇が血で赤く染まり、口紅をさしたようで妖艶になる。
シャクラは血を拭おうともせず私の寝着を無理矢理剥がしとっていく。
「やぁっ!シャクラっ!こんなの、嫌よっ」
大好きなシャクラに裏切られた私は涙を堪えることができない。
いまなにをされようとしているのかも分からない。
こんなことをしてシャクラが楽になるとも思えない。
シャクラは嫌がる私をよそにどんどん露わになっていく私の肌を貪るように舐め、噛みついく。
強く噛みすぎて血が滲む。
シャクラはその血を舐めとると満足気に微笑んで私に目をやる。
その笑顔がいつものシャクラの笑顔をシンクロして私はさらに混乱する。
「……いやっ」
「おいっ!理性を失ったか!!」
その時、部屋の扉が開きレオンが現れたと思えば、物凄い速さで私に覆いかぶさっているシャクラを引きはがす。
レオンは髪を乱し、服をほとんど脱がされ体中を血だらけにしている私を見て目を大きく見開いた。
シャクラは私から離れるとぼんやりと空を見つめる。
「うぅ……どうして……?」
シャクラは頬に伝う私の涙に目をやるとはっとしたように顔を歪ませた。
「……なにを」
自分の手についた血と私の姿を見比べるシャクラの瞳はいつもの茶色に戻っていた。
「ティラ……」
私の涙を拭おうとシャクラは私に手を伸ばす。
私は咄嗟に身を固くして肩を震わせた。
「……っ」
シャクラは空中で手を止めると悲しそうに目をふせた。
いまにも泣きだしそうなシャクラを助けてあげたいと思うのに私の身体は勝手に彼を拒否してしまう。
胸が裂けてしまうように痛む。
レオンが私の服を整え優しく抱え上げた。
「その血、はやく流してこい」
シャクラの顔についた血を一瞥するとレオンは私を抱いたまま素早く部屋を出た。
扉が閉まる直前に見たシャクラの顔は苦痛に歪んでいた。
「なぜあいつの部屋に勝手にはいったっ!よりによってこの時間にっ」
レオンは自分の部屋に戻るなり大きな声を出した。
「ごめっ、なさっ……」
嗚咽で上手く言葉にできない。
「……くそっ」
レオンは悔しそうにベッドに拳を叩きつける。
「服、脱げ」
レオンは短くそう言うと、洗面所に消えて行った。
私は呆然としてなにもできないままベッドに座り込む。
「早く。消毒するぞ」
「あっ」
私は自分の傷のことを思い出し、素直に従う。
血を優しく拭き取り、丁寧に消毒されていく自分の身体を客観的に眺める。
「痛むか?」
「少し」
身体の痛みなんて正直感じることのできないくらい胸が痛んでいた。
レオンの不器用な優しさが傷に刷り込まれていくような錯覚を感じながら、いつの間にか意識を失っていた。
レオンの声が意識を手放そうとしている私の頭に響いた。
「あいつが悪いんじゃないんだ……許してやってほしい」
レオンがシャクラをかばうなんて私の頭はどうかしてしまったのかもしれない……。