4. the language of flower
「ティラ……」
耳元で名前を呼ばれて私は横で眠っている綺麗な顔を見つめるが、本人は完全に夢の中の住人のようだ。
「どんな夢を見てるのかしら」
私は名前を呼ばれたのが嬉しくて自分でも頬が緩むのを感じる。
シャクラの穏やかな寝顔を見ていると彼が病気だということが信じられなくて、その事実を思い出すと胸が苦しくなってしまう。
けれど、レオンがきっとなんとかしてくれる。レオンを信じてみよう、と村のお医者様に手の施しようがないと言われ絶望していた私の胸には微かな希望が宿っていた。
急に現れたレオンをここまで頼るのは可笑しいと分かっているし信用しきっているかと聞かれればはっきりと頷くこともできないが、まさに藁にもすがる思いだった。
「シャクラ、絶対に良くなってね……」
私はそう言いながらシャクラの柔らかな癖っ毛を撫でると私は再び睡魔に誘われるままに瞼を閉じていった。
「……大丈夫、僕は死なないって言ってるだろ」
遠くの方でシャクラの声がした気がしたけど、気のせいだろう……か。
レオンとシャクラは相変わらずあまり仲が良くないみたいだけど、レオンが来てからシャクラは毎朝早くベッドを抜け出している。
私が起きる頃にはシャクラはもういなくて、食堂で私を待っているのだ。
もちろんレオンも一緒に。
最初の頃こそその光景を見るたびに首を傾げてシャクラになにをしていたのか聞くけれど、いつもふわりと微笑まれ、「なにも」とはっきり言われてしまう。
「今日も早いのね」
「お前が遅いんだろ」
レオンが欠伸をする私を見て鼻で笑う。
「うるさいわねーっ」
「そんなことないさ。ティラ、気にすることないよ」
シャクラはいつも優しくて、私は優しくされる度に胸の中がじんわりと温かくなる。
「いや、遅いだろ」
レオンはシャクラに寝癖を直されている私の頭をぼんやりと見つめながら呟いたが、私は聞えないフリをすることにした。
「ねえ、今日はお天気もいいし皆でお庭で日向ぼっこしない?」
髪を整えてもらった私は窓の外を見ながらシャクラとレオンの顔を交互に見ながら提案した。
「いいね。ウィル、庭でくつろげる用意をしておいて。あと、ビビアンは軽い食事の用意を運んでくれるかな」
「かしこまりました。すぐに用意いたします」
食堂の扉の傍にいたウィルは無表情で恭しく頭を下げるや、物凄いスピードで静かに食堂から出て行った。
「食事はおまかせください。焼き立てのスコーンを紅茶と一緒に運びますね」
ビビアンは温かく笑うと台所へ向かっていく。
「やったー。私、ビビアンのスコーン大好きなのっ。すごく美味しいのよ」
「スコーンってのは食べたいけど、庭でお前らと遊ぶなんて面倒なことしたくないな」
レオンはそう言うと、椅子から立ち上がり食堂を出て行った。
「え?レオン?」
「ほっておいたらいいよ。それとも、僕だけじゃ不満?」
追いかけていこうとした私の手を後ろからそっと握るとシャクラは悲しそうな声で聞いてきた。
「そんなことないけど……」
「なら、問題ないよ」
レオンはこの静かな屋敷でなにもすることがないはずなのに、寂しくはないのか気になった。
「シャクラっ、見て見てっ」
私は庭で大切に育てていたチューリップを紅茶を飲んでいるシャクラに差し出した。
「綺麗だね」
シャクラはチューリップに目をやると微笑んで、チューリップを持ち上げると長い指でくるくると回した。
「でしょう?ピンクと白のチューリップってすごく可愛らしいのね」
「そうだね。ティラみたいだ」
何気なく子の人はいつも甘すぎる言葉を口にする。他の人が言ったのならくさいかもしれないが、シャクラが言うと憎らしい程かっこよく、真っすぐに胸にささるのだ。
「どうしたの?顔が真っ赤だよ。紅茶がそんなに熱かった?」
動揺を隠そうと傍に置いてあった紅茶を下品だと分かっていながらぐいっと飲みほすと、シャクラが面白そうに私の頬に指を滑らせる。
頭のよく、空気の読める執事はそっとその場から離れ、どこかへ行ってしまった。
「なんでもないわよ。えっと……あっ、そうだ!レオンにもチューリップ見せてくるわね」
これ以上シャクラの玩具にされる前に私は小走りで屋敷の中に戻った。
「って言ったのはいいけど、レオンどこにいるのかしら」
勢いよく屋敷の廊下に飛び出したはいいが、レオンの部屋に行ってもレオンの姿はなく手にチューリップを一本握りしめたまま立ちつくしていた。
~~~♪
どこからか、耳に優しく響くハープの音色が聞えてきた。
楽器の置いてある部屋はひとつしかない……。そう思った私はゆっくりとその部屋へ向かう。
この屋敷にはさまざまな楽器が置いてはいるものの、それを嗜む者はシャクラと私だけ。
それに、私はピアノでシャクラはおそらくヴァイオリンしか弾かない、となるとハープは誰が弾いているのだろう。
皆は庭にいるし、レオンがハープを弾いている姿を想像するとつい吹き出してしまう。
音楽室の前まで来ると、扉をノックする。
――コンコン
「……」
返事はなく、ハープの音色は止まない。
多少の恐怖は持ちつつも、こんな美しい音を出せる人が悪いことをするようには思えないのと好奇心とでゆっくりと扉を開ける。
「……えっ」
扉の向こうにはハープを奏でるレオンがいて、私に気付かないのか気にしていないのか、目を閉じてうっとりと弦を指で触っている。
先ほどまで、レオンがハープを弾いている姿を想像するだけで可笑しかったが、実際その姿を見てしまうと嘘のように絵になる彼がいた。
金髪の髪が曲調に合わせさらさらと時折揺れ、美しい横顔はハープを愛しているかのように艶やかに微笑んでいる。
それに、なによりハープの心地いい音色に聴きほれる。
私は、傍にあった椅子に腰かける。聴けば聴くほど演奏に吸い込まれていく……と、思い出す。
どこかで前にもこんな感覚があった気が……す……る……
「おーーいっ」
「きゃっ」
「お前、いつからそこにいるんだよ。ていうか、なんで寝てんだ」
目の前に背を曲げ私の顔を覗き込むレオンの顔があって驚く。
「え?」
「え?、じゃねえよ。その手に持ってんのは?」
私は自分の手元に目を落とすとハッとした。
「あっ!私、ハープの音色に誘われて来たらレオンがいて、それで演奏を聴いてるうちに寝てしまったのね」
「お前ってどこでも寝るんだな」
そう言うとレオンにフッと鼻で笑われた。
「で?その花はなんだ」
「そうそう。これをレオンにも見せに来たのよ。綺麗でしょう?」
ピンクの可愛いチューリップをレオンの目の前に差し出す。
レオンは整った顔を少ししかめて見せるとぷいっと横を向いてしまった。
「……んで……」
「え?」
レオンが小声で何か言ったが聞き取れなくて聞き返す。
「いや、なにも」
「そう?はい、これあげるわね。後でお部屋に花瓶も持っていくからちゃんと差してね?」
そう言い、レオンの手を掴み無理矢理チューリップを握らせるとなぜか少し顔の火照った彼がなんだか可愛くて微笑んで見せた。
「花なんて興味ないけど……わかった」
私はレオンの返事をきくとシャクラに遊ばれて火照っていた顔が元に戻っていることに気付き、部屋を出て庭に行こうとした。
「じゃあ、お腹が減ってスコーンが食べたくなったらお庭に下りてきてね」
「はいはい」
「……ありがとな」
扉を閉めた時、そう聞えた気がするがたぶん気のせいだ。