24. efficacy of yarrow
「はい、ハーブティーよ。疲れたでしょう?疲れがとれるようにヤロウをいれたの」
私はレオンくんとシャクラのカップに琥珀色の液体を注ぐ。
「ヤロウは苦いから俺はいらないからな」
私の隣でアドニスが唇を尖がらしてカップの口を手で蓋をしている。
いつまでたっても子供な彼に私は怒った顔をして見せるが、子供っぽい彼が好きでもあるのは黙っておこう。
「ふたりとも、少し苦いかもしれないからハチミツいれて飲んでね」
そう言うとレオンくんはごくりとハーブティーを飲むとびくりと肩を揺らした。
レオンくんの金色の髪は信じられないくらいに美しく、動くたびに揺れる様はまるで麦畑が風に揺られているようでさすが神格と言いたくなる。
「すごい……。美味しいです」
「よかったわ。ふたりともなんだかすごくやつれて見えたから……。ヤロウには栄養もたっぷりあるし、血を浄化してくれるのよ」
シャクラも一口飲むとほうっと息を吐きだした。
「やっぱりイオさんのハーブティーは美味しいです」
「ありがとう。それでティラのことでなにか聞きたいのでしょう?」
私がそう切り出すと目の前にいるレオンくんとシャクラが同時にカップをテーブルへ置いた。
「はい。イオさんとアドニスさんにはとてもお世話になってきて、こんな失礼なことを聞くのは気がひけるんですが……何故一角獣の僕をティラの傍に置いていたんですか?」
単刀直入に聞いてきたシャクラの茶色の目は真っすぐ私とアドニスを見据えていた。
この子はいつも私たちの心の奥底まで見透かしているような目つきをする。
恐れているようでも見下しているようでもなければ、悲しんでいるようにも見えずただ諭すような視線を送ってくるのだ。
「ティラは正真正銘僕とイオの娘だよ。それは真実だ」
真剣な表情をしたアドニスが私の膝にごつごつした男らしい手を添えた。
「それなら、ティラが身にまとっている独特の雰囲気がおふたりにないのはどうしてです?」
レオンくんがアドニスと私を目を細めて見つめてくる。
どこか、シャクラと似ている気がする。
「それは、ティラがルナだからよ。ルナは特別な血筋にひょっこり現れるの……百年に一人出てくるかこないかくらいの頻度でね」
ふたりの目が見開かれた。
「ルナは本当にいるんですか?……そもそも、『魔法使い』なんて……」
「あら、レオンくん。目の前にいる者を信じないことほど愚かなことはないわ。ちゃんと感じなさい、魔法は目に見えたり見えなかったりするの。あなたの飲んでいたお茶にも魔法ははいっているのよ」
レオンくんは息を止めて私の顔に見入っている。
シャクラが急に頭を垂らし、聞いたことのないくらい低い声で呟く。
「イオさん、アドニスさん……、じゃあ僕を拾ってくれたのはティラの盾になるためですか」
「違う」
アドニスが居てもたってもいられなくなったのか立ち上がるとうなだれるシャクラの隣にしゃがみこむ。
「違う。シャクラはうちの子だと思っているんだ。ただ、母さんの神託が……シャクラが来た頃にはもう亡くなったティラの祖母が言っていたんだ。ティラが5つになると連れてくる一角獣の男の子をティラから離すな。さすれば彼はティラを守るだろう、と」
「あぁ……。それで」
シャクラが暗い声のまま続けようとするとアドニスが力いっぱい逞しい腕で白く細いシャクラくんの身体を抱きしめると、背中をさすり出した。
シャクラはしばらくして嗚咽をもらし始めた。
こうしていると容姿は全く違うのにまるで本物の親子だ。
「私たちはおばあさまの神託がなくても、あなたをこの屋敷でティラと一緒に育てるつもりだったわ。ティラもあなたのことが気に入っていたし、あなたもティラみたいに能天気な子供といればきっと面倒見が良くて優しい男の子になると信じていたから。そして、本当に予想以上に素敵になったわ。これ以上嬉しいことはないの、親としてね」
「そうだよ、シャクラ。お前は俺の息子なんだ」
涙もろいアドニスの顔は涙でぐしゃぐしゃで、顔を上げたシャクラの美しい顔に幾つもの涙の筋が通っている。
レオンくんは抱き合っていたふたりの様子を呆然と見つめていたが、ゆっくりと瞼を閉じてしまった。
「イオさん、アドニスさんは魔法使い。ティラはメデイアの生まれ変わり……」
「生まれ変わりとは違うのよ。私たちの血には大魔女メデイアの血が少なくとも入っているの。でも、稀に大量に入っている者が生まれるの、それがルナよ。人間でいう遺伝子異常みたいなものね」
「ただの伝説だと思っていた……」
レオンくんが瞼を持ち上げると吸い込まれそうなほど美しい海色をした二つの瞳が揺れていた。
「本当に稀にしか出てこないもの。そう思われても不思議じゃないわ……それに、ルナだと分かれば存在を隠したりもされてきたから」
ティラのひとつ前のルナは今から百八十年ほど前に現れたと聞いているが、存在が知れると大事な娘が野蛮な種族に奪われると恐ろしく感じた親が城に閉じ込めて娘を一生涯要塞のような部屋で暮らさせたという。
もちろん、それが本人にとってなによりも辛いことだということは分かっている。
だからこそ、ティラには普通の女の子のように育ってもらいたかったのだ。
でも、もう限界なのだろう。というより、こんなに長い間普通の女の子として暮らせてあげれたことに満足しているし、シャクラにも感謝しつくせないほど感謝している。
「ルナについて詳しことを教えて頂けますか?」
レオンくんの引き締まった口元がさらにきゅうっと締まる。
この子もティラのことを大事に想ってくれているのだと少し嬉しくなる……いや、すごく嬉しい。
「ええ。まずふたりはルナについてどんなことを知っているの?」
私が問うとふたりは少し口をつぐんだ。
「ルナは大魔女の能力を受け継いだ魔女のことで、魔族や神格を惹きつける香りがあるというのは有名な話ですよね」
シャクラが一言一言確かめるようにゆっくりと喋った。
「それに、月の女神アルテミスとの関係もあるとか」
シャクラの言葉に頷いたレオンくんの瞼に長めの前髪がかかる。
「あら、そんな噂が流れているのね。でもね、月の女神でもアルテミスではなくて闇月の女神ヘカテーと関係があるのよ」
「ヘカテー……、そうかっ!メデイアが慕っていた女神だ」
レオンくんが細長い指を顎のところへ持っていき納得したように深く息を吐いた。
「ええ、メデイアはしばしば彼女から魔術を習っていたそうよ。でも、あなたたちが本当に知りたいのはこんなことではないでしょう?」
「これからティラがどうなるか、知りたいんだね?」
念を押すようにアドニスがふたりに聞くとふたり揃ってはい、と短く返事をした。
その返事に応えるようにアドニスは微笑みを作って話しだす。
「実はティラはまだルナとして目覚めていないんだ。君たちの世界でいうインペラトルみたいなものだと思ってくれればいい。ただ、決定的に違うのはインペラトル候補は何人かいてもルナの候補はひとりしかいないということだ」
「ひとり……しか。じゃあ、ティラがルナとして目覚めたらどうなるんですかっ」
「美しい者を集めるだろうね。この屋敷には薬を求める人々の他に魔族や神格のトップに君臨する若者が沢山くる」
レオンくんが愕然とした表情を浮かべているのに比べ、シャクラは無表情で話に聞き入っている。
一角獣の次期インペラトルとしての余裕かもしれない。
「そこから、ルナが選ぶのさ。ティラに相応しい相手をね。それだけだ」
「まあ、ルナが現れるのは有能な血を絶やさないようにするためだから、目的はそれだけなのよ」
ただし、それだけで済むはずはない。
ルナに惹きつけられすぎた者たちが無理矢理ルナを我が物にしようとしたり、他の婚約候補者を消し去ったりするのはもちろん、種族同士の争いから人間を含む戦争にまで発展することがある。
さらに、ルナに対する狂愛でルナと共に心中しようとする物も大勢出てきたことがあるのだ。
「そこに至るまでの混乱は想像できます。ティラが婚姻を結んでしまえばそのようなことはなくなるのですか?」
物分かりのよいシャクラは本当によく出来た子だ。
「いいえ、今度は側室争いが起きるわ」
「くそっ」
レオンくんが苛立った声をもらし、シャクラがすかさず手を挙げてそれを制す。
「ティラになにか伝えることは?」
「あなたたちに任せるわ。この話をしてもいい、しなくてもいい。どっちにしても、このことが分かってしまうのはそう遠くないから」
シャクラがひとつ頷くとレオンくんが立ち上がった。
「俺、ティラを守りますから」
この気の強そうで真っすぐな目をした彼の一人称には俺がよく似合うなとしみじみ思う。
アドニスがレオンくんの肩をぽんと叩いた。
「ありがとう。よろしく頼んだよ」