17. love of beauty
レオンに母上と呼ばれた女性はレオンの握っているグラスを鋭い目で睨みつける。
すると、さっきまでレオンがしっかりと握っていたグラスが灰のように砕け散り跡かたもなく消えてしまった。
「誰に許可を得てこんなことをしているのですっ!?」
身体の向きを変え、王に向かって噛みつくように怒鳴る声は華奢な見た目からは想像できないほど太い声で私の身体はびくんと跳ねた。
「許可などいらぬ。レオンが望んだことだ」
王の声は少し弱ったように聞える。
「レオンは私の子です。母親に許可なくレオンを奪おうなんていくらあなたでも許しません」
「側室の分際でなにを言う、お前の子がインペラトルになるのだぞ?喜ばんか」
王が面倒くさそうに言った途端、女性の透き通るような水色の瞳がかっと見開かれた。
「一人息子がインペラトルに人格を奪われて喜ぶ母親はおりません」
シンとした空気の中飛ばされた悲鳴にも近い声にさらに部屋中の空気が静まり返り、皆が息をひそめたのが感じてとれる。
ただ一人、王だけはずっと不敵な笑みを浮かべている。
この男は常に人を遥か上空から眺め、そしてそれを見て嘲笑っているようだ。
それがインペラトルというものなのか、それとも……。
「……だ、そうだ。どうする?」
そして誰に聞くともなく言うとレオンと競うようにしてシャクラが口を開く。
「ですから、僕が」
「シャクラっ!」
レオンは非難めいた声を出す。
私を握りしめた拳からゆっくり力を抜くとレオンに向かって微笑んだ。
「レオン、私はあなたがインペラトルになっても幸せにはなれないわ」
レオンの顔つきが変わる。
「それはシャクラも一緒よ。それに、悲しむ人だって沢山いると思わない?」
私は部屋にいた人たちの微妙な表情をさっきから見ていて気がついた。
王の前で逆らうこともできず、しかしレオンのことを祈るような眼差し見つめる多くの人たちがいる。
「関係ないだろ」
レオンは突き放すように冷たい声を返すが、その声は震えている。
感情を隠すことが苦手になってしまったレオンを愛しいと感じる。
「もっと……自分を大切にしてよ」
私の瞳に溜まった涙が限界を超えるとぼろぼろと流れ落ちる。
「ティラ……」
「お前……」
シャクラは私を抱いたまま頭を抱きかかえるように力を込めた。
レオンは急に椅子から立ち上がり、足を踏み出そうかどうか迷っている様子だ。
「あら、女の子を泣かすなんてダメね」
「泣いてません」
私は笑顔を作ることもせず涙でぐしゃぐしゃにしたままの顔で訴える。
「まぁ、可愛いお嬢さんね」
くすくすと笑う彼女はとても温かく肩を揺らす度にさらさらとなびく金髪が美しすぎる。
「名前はなんて言うの?レオンのお嫁さん?」
「ティラです」
私が答えるより早くシャクラが言う。
すると彼女は今しがたシャクラの存在に気がついたらしくシャクラの姿をしばらく凝視してから大きく瞬きをひとつした。
「あ、なた……リア?」
リア?女性の名前のようだけど、初めて聞いた名だった。
「いえ。それは母です。僕は息子のシャクラです」
「シャクラくんっ!?」
「はい。セネアさん、お久しぶりです」
ああ、レオンのお母さんはセネアさんと言うのか。
「リアにそっくりになったわね」
「母さんに……?」
シャクラの柔らかな雰囲気は確かに王には全く似ていない。
シャクラはセネアさんの言葉を噛みしめるように繰り返した。
「ええ。その髪もその可愛らしい唇も」
セネアさんはぱちりと片目を閉じて悪戯っ子のように言った。
シャクラは自分でコンプレックスだと思っている下唇に指をやるとすっとなぞった。
シャクラのお母さん……きっと優しくて可愛らしい方だったのだろうと思う。
「リアが生き返ったのかと思ったもの……」
セネアさんは瞳を伏せてそう言うと大きく息を吐きだした。
気がつくと王の姿が椅子から消えていた。
扉はひとつしかないのに、どこへ行ったのだろう。
「ティラちゃん?」
くるりと私のほうを向いたときにはもう哀しそうな表情は消えていて、私はセネアさんの強さが大好きになった。
「はいっ」
「……」
セネアさんは私の顔をじっと見ると途端にきりっと引き締まった唇から力を抜いた。
「母上っ!!」
麻痺したように動かなかったレオンが急にこちらに駆けてくる。
「セネアさん?」
私は目の前で私を観察する綺麗な人にどうしていいか分からず彼女の美しい水色の瞳を見つめた。
「……可愛いっっ!!」
「きゃぁっ」
すると急にシャクラから私を奪うとありったけの力で抱きしめられた。
こんな細い身体のどこにこんな力があるのだろうと不思議になるくらい強く。
「母上、離れてください。ティラが壊れます」
レオンが慌てて駆けつけた意味が分かった気がした。
レオンが必死に私とセネアさんの間にはいるので、渋々離れたセネアさんはなおもにやにやしながら私を見ていた。
「黒い髪に黒い瞳って初めて見たわ。白い肌に黒の髪に瞳ってとても魅力的ね。それに、まんまるい瞳がすっごく可愛らしいわ」
「え……、あの」
私は自分より遥かに美しい女性に褒められてなにがなんだか分からなく、ただ顔を真っ赤にしてあたふたしてしまう。
「セネアさん、ティラが驚いてしまうじゃないですか」
シャクラは苦笑して私の頭をぽんぽんと叩くと耳元で囁く。
「セネアさんは可愛い女の子が好きなんだ」
「えっ」
どういう意味か分からないけれど、目を輝かせて私を見つめるセネアさんに悪い気はしなかった。
「それで、レオンのお嫁さんになってくれるの?」
「違います」
レオンが即答する。
「じゃあ、シャクラくんの?」
「そのつも……」
「シャクラっ!」
シャクラが答え終わらないうちにレオンが噛みつくように叫んだ。
「ふふっ。取り合いっこしてるのね」
面白そうにふたりを交互に見て笑うセネアさんの顔はとても穏やかだった。