11. wrong answer of ...
「ティラ様っ!?どうされました?」
ビビアンは私たちの遅い帰りを心配していたのか玄関の大理石の上でエプロンの裾をぎゅっと握って右往左往していた。
扉が開くとすぐに駆けよってきて私の露で濡れた身体をぎゅうっと抱きしめた。
ビビアンのゆらゆらと波打つ豊かな赤髪が私の顔にかかってくすぐったい。
「ビビアンったら、大丈夫よ」
そう言うのに、ひとりであたふたするビビアンを見て私はふふっと笑みをこぼす。
「それより、早くお湯に浸かられるのがよろしいかと」
ウィルがビビアンと私の間にはいると、ビビアンをきりっと睨む。
細く鋭い目つきがさらに細められ迫力を増す。
「そうですわねっ!さ、ティラ様急いでご用意しますからお部屋へ」
「ふふっ。二人とも、ありがとう」
ウィルとビビアンは少しの間の後微笑んだ。
「でも、大丈夫よ。ビビアン、身体を温めたら食堂へ行くから」
残念そうに頷くビビアンに少し悪い気はしたがもう少しレオンと話すことがあるから仕方ない。
「ティラ。早く温めないと風邪をひく」
「うん」
私はレオンに手をひかれ部屋に向かう。
ウィルとビビアンが私たちの握られた手を見て不思議な表情をしているのが気配で分かった。
「髪までびしょびしょなんだな」
「だって、水遊びしたじゃない?レオンだって濡れてるわ」
部屋についた私たちは早速お湯を溜めた。
「俺の髪は短いからすぐ乾くんだよ。ほら、さきに入れよ」
「でも、レオンだって寒そうよ?」
私はウィルがレオンに見立てた白いカッターシャツが濡れて肌が透けている胸に目をやった。
「一緒にはいるわけにはいかないだろ」
レオンがはぁと息を吐き出して呆れたように私を見る。
「じゃぁ、私が入ってる間脱衣所にいるといいわ。少しは暖かいでしょ」
嫌がるレオンを無理矢理脱衣所に押し込むと私はワンピースの裾に手をかけた。
「ちょっ、脱ぐなよっ」
振り返ると真っ赤な顔をしたレオンがあたふたしている。
「え?でも、脱がなきゃ入れないわ。あっ、ねぇ背中のリボン解いてくれる?」
いつもはシャクラかビビアンに手伝ってもらっている服の脱ぎ着がひとりでは上手くいかないことに気がつく。
レオンの動きがぴたりと止む。
「お前……俺のことなんだと思ってるんだ」
「ご、ごめんなさい。そうよね、使用人じゃないものね」
誰でも自分の手伝いや言う事を聞いてくれると思いこむことはいちばん良くないとよく教えられてきていたのになんて失礼なことを言ってしまったんだろうと反省する。
「そうじゃなくてっ!せめて、俺のこと……男として見ろよ」
私は自分の身体とレオンとを交互に見る。
昔から周りにいる異性と言えば兄妹のように育ったシャクラか使用人しかいなかったから肌をさらすことになんら抵抗は感じていなかった。
「そ、そうよね。じゃぁ、少しあっち向いてて」
そう言うと唇をとがらせたレオンが扉の方を向いて小さく膝を折って床に座る。
小さくなったレオンの後ろ姿があまりにも可愛くって私はつい笑ってしまった。
「なんだよ」
「なんでも……んっ、ねぇ?」
私は背中に手を伸ばして一生懸命リボンの端を探すがなにがなんだか分からなくて困ってしまう。
「ん?」
「リボンだけ、解いてくれない?」
レオンの肩が大げさに上下するとくるりとこちらを向いた。
「貸せ。……ほら」
レオンはするりとリボンを解くとまたすぐに扉の方を向く。
「ありがと」
私はさっさと服を脱ぐとお風呂場にはいる。
湯につかると冷たくなっていたつま先がじんわりと温まっていくのが分かる。
曇り硝子の向こうでレオンが近付いてきて座り込むのが見えた。
「ティラ」
「なにー?」
「さっきは急に悪かった」
私はさっきのキスのことだと分かった。
シャクラ以外の人にされるのは初めてだったけど、なぜか嫌な気持ちにはならなくて自分でも驚いていた。
それどころか落ち着くと感じてしまう私がいた。
「お互いさまよ?私だってレオンに沢山水かけちゃったでしょ」
私はどうしてこういう時に話をわざとらしく変えてしまうのだろう。
さっきレオンに素直だと言われたのに、本当の私はきっと腹黒い。
「……そうだな」
レオンから返ってきた声は少し低かった。
こんな風に声色を隠せないレオンのほうがよっぽど素直で純粋だと私は思った。
「シャクラがインペラトルになりたくない理由が分かったよ」
レオンが言う。
「どうして?」
「俺が最初ここに来た理由はシャクラを説得して城に連れ帰るためだったんだ。でも、お前と一緒に幸せそうに笑っているあいつを見ているとそんなことできなくなって、いつの間にか苦しみを和らげるために力を貸してしまっていた。皆はインペラトルになれるなんて羨ましいとか言って、それを拒んでいるあいつのことを理解できないとか贅沢だとか言ってる。俺もそう思ってた……シャクラが羨ましくて、憎くて仕方なかった」
一気に話すレオンの言葉に耳を傾ける。
シャクラは毎日幸せそうににこにこ笑っていた。
きっとシャクラは一角獣だとかインペラトルの地位だとかに全く執着はなくて、日々の平凡すぎる生活を愛していたんだろう。
眩しく暖かい太陽を見れば太陽を愛し、庭に咲く草花の健気さを見て草花を愛し、青い空も時々降ってくる雨にも屋敷の中のものにもなんでも愛することができるのだ。
シャクラは隣の部屋で一体どうしているのだろう……。
本当は屋敷についた時から駆けだしてシャクラの様子を窺いに行きたかったけれど、なぜだか足が進まない。
私が真実を知ってしまった今、どうして彼に接すればいいのか自分でも全く分からなくなっていた。
「でもな、この屋敷で平凡に暮らして満足してるお前らを見て、あいつの気持ちが理解できたんだ。あいつが地位を捨てて、苦しんでまで守りたかったものがなにかよく分かった」
シャクラが守りたかったものは私の守りたいものと一緒なのだろうか、いや……違う。
「シャクラは……インペラトルなんかになることに幸せは感じないわ」
「そうだな……」
「でも、シャクラはインペラトルになっても幸せを感じることはできるわ。絶対に」
お風呂場の中で自分の声が響く。
「……」
「シャクラはどこにいても幸せになれるのよ。シャクラは私たちとの生活を守っていきたいのかもしれないけど、私の守りたいものは違うわ。私はシャクラがどこかで笑っていてくれるだけでいいの。私の見えるところじゃなくてもいいの」
湯に浮いた薔薇の花弁を一枚救うとそっと唇を寄せる。
とても良い香りがして心が癒された。
「ティラ……」
「おかしいかしら?私はシャクラが間違っていると思うわ」
「お前は、それでいいのか?」
いい訳がない。でも、それ以上なにを望めばいいのだろう。
「レオン、もうのぼせそう」
私は曇り硝子の扉を開けた。
「うわっ」
扉を開けるとレオンが小さく座って扉に額を預けていたのか急いで飛びのくと後ろを向く。
「ごめんなさい……ふふっ」
「だから、俺だって男なんだって言っただろ!」
「はいはい」
私はビビアンが洗濯してくれたふわふわのタオルで身体を包む。
とても柔らかくて気持ちがよかった。
「レオンも早く入りなさいよ」
私は着替えて脱衣所を出る。
レオンがまだお湯にも入っていないのに真っ赤な顔をしながらこちらを睨み、扉を閉めた。
私はベッドに座るとシャクラの部屋の方の壁を見る。
「シャクラ……」
いま何を考えているのだろう。
昨夜のことを気にしていなければいいけれど……。
私はそっとベッドから降りると乾ききっていない腰まで伸びた黒髪にタオルをかける。
--ガチャ
「……ティラっ!?」
小さな灯りのついた部屋に弱弱しいシャクラの姿がベッドに横になっている。