10. the instinct of imperator
「……俺もシャクラも一角獣なんだ」
――私が一角獣を草原で見たのは幻想ではなかった。
シャクラが一角獣に対して異常な反応をして私を止めようとしたのも理解できた。
でも、どうして……シャクラも一角獣なの?
そもそも一角獣のことについて私はなにも知らない。
知っているのは彼らの角が強力な解毒作用を持っているということだけだ。
一角獣が人間の姿になれるなんてことも知らなかった。
「なにそれ」
そんなこと信じられない。
ふたりとも人間の姿をしている。私の知っているふたりは仮の姿だと言うのだろうか。
レオンの言っていることが無茶苦茶なら笑って済ませられるのに、振り返ると色々なことがパズルのピースのようにぴったりとはまっていく。
「……」
レオンは静かに首を横にふった。
その動作だけで私の心臓は尋常じゃない速度で鼓動を刻みだす。
「じゃぁ、その姿は私たちを騙すためのものなの?」
静かに言葉を選んで聞いたのは一角獣と聞いて警戒心が一気に芽生えたからだ。
一角獣はその見た目とは裏腹に攻撃的で傲慢だと聞いている。
「騙す……。違う、俺たちは生まれたときからこの姿なんだ。一定の年齢に達すると一角獣になることもできるようになるんだ」
「……」
「幻の動物と呼ばれてるのはそのせいだ。一角獣は人でも動物でもない」
「じゃあ、なんなの」
「神格だ」
神格……。人間が崇めるべき四百四種いる神の総称だ。
一角獣が神格だったなんてこと聞いたことがない……。
神格は人間の前にありのままの姿で現れることはないが、人間に紛れて時折生活している神もいると聞く。
私は生まれてこのかた神格に会ったことはないし、一生会う事もないだろうと思っていた。
会うことが許されるのは人間の中でも上級貴族、王族などだけで、彼らは神格と婚姻を結びより地位を確実なものにしようとしているのだ。
人間と神は時として交わる、そうしていまある世界はできてきたのだ。
いまや純血の神格もほとんどいないと言われている。
「なにそれ……」
「黙っていて悪かった。きっとシャクラもあいつなりに考えがあって黙っていたんだろ」
「考え、ね」
私はシャクラやレオンに対して怒りや悲しみという感情は湧いてこなかった。
ただ、疑問だけが頭を支配していた。
「なにから聞けばいいのかわからないの。頭が変になっちゃいそうよ」
「これだけは知っていてほしい。俺たちはお前を騙そうとしていたんじゃない、信じてほしい」
私はレオンの瞳を見つめる。
いまは深い青色をしているその目はとても嘘をついているようには思えなくて私はゆっくりと頷いた。
「ありがと」
「それで、シャクラは病気じゃないっていうのは?」
「あいつがあんなに苦しんでいるのは目覚めようとしている本能を無理矢理押さえこんでいるからなんだ」
レオンがそこまで言い、息を吐いた時湿った風が私とレオンの間に吹いた。
草がざわざわと揺れる。
「目覚めようとしてる……本能?」
「あぁ。一角獣の、じゃない。一角獣のインペラトルとしての本能だ」
「シャクラが!?」
インペラトルは各神格種にひとりいる者で、自分の種族の者たちを従わせることができる絶対的権限を持った人物……人間の世界でいう一国の皇帝である。
しかし、彼らのような階級の神格が人間の前に姿を現すことは御法度であり、人間界の王族ですら謁見を許されない相手である。
「インペラトルの本能が目覚めようとしているのにそれを無理に理性で抑え込もうとすれば身体がもたない。あいつは必死に耐えていたんだ」
「でも、レオンが来てから少し回復したじゃない」
「……すこし、力を貸したんだ。でも、それも気休めでしかなかったな」
レオンは私の手首を握ると歩きだした。
私はそれに素直に従い歩を進める。
「インペラトルの本能がなんなのか聞かないのか?」
「いいの」
私は俯きながら首を横に振った。
「……そうか」
各神格種の間には上下関係が存在しない。すなわちそれぞれのインペラトルが上手く他の種と関係を築き、より自分の種族の地位を事実上高めていく必要がある。
だから、いつの時代も有能なインペラトルを求めているのだ。
神としての特殊な能力はもちろん、頭脳明晰で外交力がずば抜けて高いことがインペラトルの最低基準だが、本人が力を失った後も有能なインペラトルに引き継いでいくことがなによりも重要だと考えられている。
そのため、インペラトルには次の有能なインペラトル候補を可能な限り沢山作ることが義務とされていた。
神格界の古風な制度のことは小さい頃からお父様やお母様に教えられてきたからよく知っている……こんなやり方はおかしいといつもふたりは憤っていた。
「シャクラのお父様もインペラトルっていうことよね」
「そうだ」
レオンの返事でさっきまで驚きで麻痺していた感情が一気に溢れ出してきた。
下を向いて歩いていても嗚咽を隠すことはできなくて肩が揺れる。
「……悪い」
レオンは何も悪いことなんてしていないのにか細い声で私に詫びる。
「うっ、あやま……んないでっ、よ」
「……」
私はできる限り強がって声を出したけれど、自分の発せられた声があまりにも震えていて惨めな気持ちになった。
シャクラとはもう一緒にはいられないと言われたようなものだ。
重い病気だと言われるまでずっと一緒だったから、きっとこれかもお互いがよぼよぼになって杖をつくようになっても毎日同じベッドで手を繋いで寝れると思っていた……。
だからこそ、私はこんなにも泣いているのだろう。
悲しさからくる涙ではなくて喜びだった。
「シャクラは生きられるのね」
「本能に従えばな」
「よかっ……たぁ……うぅっ」
膝の力が抜けて私の身体は夜の空気で湿った草の上に投げ出された。
シャクラが生きていてくれるだけで私は他になにもいらないほど幸せを感じて生きることができる。
例えそれがシャクラの傍でなくても、シャクラが遠い所にいて会う事がなかったとしても私には生きているシャクラのことを考えることができるのだ。
病気だと言われ、口にはしなくとも死に近づいて行く彼を見ているより随分と心が軽くなった。
私は大声でしばらく泣いていた。
こんなに遠慮なく泣いたのはいつぶりだろう、覚えていない。
心の濁っていた部分が涙になって体の外に出て行くのが分かる……だんだんと心が綺麗に落ち着いてきた。
レオンは地面に抱きつくように倒れている私の身体をそっと起こす。
「風邪、ひくぞ」
「ねぇ、レオン?」
レオンは私の腕や足についた草を不器用な手つきでひとつひとつ払っていく。
「ん?」
「ありがとう」
レオンの手が止まって私の顔をじっと見つめた。
私は涙でぐしゃぐしゃにした顔を心からの笑顔で満たした。
「教えてくれて、ありがとう」
いまはもう、なににでも感謝したい気持ちだったのだ。
それを聞いたレオンの顔が苦痛ともとれる表情に歪んだ。
「……なん、で」
「えっ?」
レオンが急に私の上体を正面から抱きしめると首が苦しくなるほど腕をきつくまきつけた。
「くっ、るし……」
「なんでそんな顔できんだよ。あいつとは一緒にいられないんだぞ」
私は頑張ってレオンの背中に腕をまわすと背中を優しくさすってやった。
レオンの力が少し抜けて息が楽になる。
「生きれるんだもの。私が望んでいたことはそれだけよ?ワガママ言っちゃだめでしょう」
私の首筋に水が流れた。
「なんで……あいつに出逢ったんだよ……。なんで俺じゃなかったんだ」
「……っ!?」
身体を急に離すとレオンは涙でいっぱいにした瞳をゆっくり閉じて私の唇を奪った。