不動産(本編3)
翌日、柴崎たちは対応策を話し合うために会議室に招集された。司会の二宮が参加者に訊いていくが、よいアイデアは出ない。
「柴崎次長から代々木不動産の話がありました。具体的にはどういう対応をイメージされていますか?」と二宮は柴崎に質問した。
お前も考えろよ……と柴崎は眉間にしわを寄せるものの、口に出すとパワハラと言われる。
「鈴木さんの汐留のマイホームの住宅ローンは残高が3百万円。借り換えかリースバックを提案したらいいと思う。余剰がでるから、それを渋谷銀行への返済にまわせる。汐留のマンションは築年数が経っていても、担保価値は十分なはずだから」
※リースバックは正式には「セール・アンド・リースバック」といいます。保有する不動産物件を売却した後、賃料を支払って住み続ける取引(売買契約+賃貸借契約)です。
「不動産担保ローンとして借り換えしても、3百万円以上は借りられる。ということですね?」
「そうだね。2千5百万円は借りられるんじゃないかな。もちろん、渋谷銀行の借入を完済するためには、投資用不動産を売る必要がある。入居者が退去した後になるけど」
「どうして、入居者が退去した後なんですか?」
「購入者が住めないからだよ。マイホームを買うときは、物件利回りよりも、学区、日当たり、住環境を重視する。つまり、物件価格が高くても条件が合えば買ってくれる」
「たしかに、そうですね。僕もマイホームを購入するときは子供の学区で探しました」
「家族が住みやすい物件を選ぶからね。一方、投資用不動産は物件利回り重視だ。同じ物件でも、マイホームとして購入するのと投資物件として購入するのとでは価格が違う」
「マイホームのほうが高いわけですね?」
「そういうこと。鈴木さんが購入した中古マンションは5千万円だった。これはマイホームの価格。投資用不動産としての価格は2千万円だ。物件は同じだけど実需物件から投資物件になると価格は3千万円下がる」
「あのー」と二宮が遠慮がちに言った。
「どうしたの?」
「いえ、ちょっと思ったのですが……僕たちは不動産取引に詳しくありません。いっそのこと、この件は柴崎次長にお任せしたほうが、いいんじゃないでしょうか? そのほうが鈴木さんに良い提案ができると思います」
二宮の顔を見た。冗談を言っているわけではない。
柴崎はテーブルの一点を見つめる。たしかに、一人で動く方が効率的だし、プロジェクトに協力するのは松井常務からの指示だ。余計な仕事が増えるのは不本意ではあるが、柴崎は「いいよ」と承諾した。
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融資部に戻った柴崎は代々木不動産に出向中の同期の岩城に電話を掛けた。こういうときに同期の繋がりは役に立つ。
『まいど。どないした?』
緊張感のない岩城の声が聞こえた。しばらく会っていなかったから、関西弁が懐かしい。それにしても、関西弁だと暇そうに聞こえるから不思議だ。
「ちょっと、相談したいことがあってね。五反田不動産って知っているかな?」
『あー、知っとる。素人にしょうもない物件ばっかり売りくさって、評判良くないな』
予想した通り、五反田不動産の評判はよくない。
「その五反田不動産にカモにされた人が浜松町支店に借入の申込みにきたんだ」
『へー、どういう物件?』
柴崎は岩城に鈴木のことを掻い摘んで話した。
『なるほどなー。高値で売りつけた後に、入居者を入れて安値で買い戻す戦略か。それか、最初から汐留の物件が目当てやったかもな』
「そうかもね。ちなみに、鈴木さんが購入した中古マンションの価格は割高だと思う?」
『そんなことない。相場は5千万円くらいや。マイホームで買うなら妥当な水準やろな』
柴崎が調べた周辺相場と概ね一致している。やはり、鈴木は不当に高値で五反田不動産に売りつけられたわけではない。
「それで、何かいい案がないかな?」
『入居者が賃料を延滞しとんのやろ? やったら、まず追い出すべきやろな』
賃料未払いを理由として、明け渡しや強制執行する方法はある。しかし、督促状の送付、明け渡し訴訟、強制執行の申し立てなど、手続きが大変だ。鈴木ができるとは思えない。
「素人が強制退去させるのは大変じゃない?」
『確かにな。弁護士に依頼するにしても、賃貸管理を五反田不動産に委託しとるからな。五反田不動産はオーナーに安値で不動産を売らせるのが目的や。素直に協力するとは思えん。面倒やな』
やはり、鈴木にはハードルが高い。
所有者が代々木不動産であれば、明け渡しの強制執行するのは簡単だ。代々木不動産にメリットがあって、鈴木にもメリットがある方法……柴崎は解決策がひらめいた。
「停止条件付売買はどうかな?」
※停止条件付売買とは、将来発生することが不確実な事実を契約等の効力の発生要件とする売買です。たとえば、「1週間後に雨が降ったら買う」は停止条件付売買です。
『どういうことや?』
「まず、鈴木さんの中古マンションのローンは残高が4千5百万円。汐留の住宅ローンを不動産担保ローンで借り換えすれば、2千万円余分に借りられる。つまり、中古マンションが2千5百万円以上で売れれば渋谷銀行からのローンは完済できる」
『そやな』
「入居者がいない状態で、代々木不動産が買取る金額はいくらになる?」
『フルリノベーション済みとしたら、4千万円くらいやろか』
「4千万円ね。じゃあ、中古マンションの売買代金を2千5百万円として、滞納者が1年以内に退去すれば追加で1千万円を支払う。という、停止条件付売買契約はどうかな?」
【図表:柴崎が提案する停止条件付売買契約のイメージ】
岩城の声が聞こえない。この条件が有利なのか不利なのか考えているのだろう。
『滞納者が出ていかんかったら、投資用不動産として2千万円で買える物件を2千5百万円で買うことになる。この場合、うちは5百万円損する。逆に、滞納者が出ていったら、4千万円の実需物件を3千5百万円で買えるから、5百万円得する。そういうわけやな?』
「そういうこと。代々木不動産が対応すれば、滞納者が退去するまでに1年も掛からない。だから5百万円得するはずだ。鈴木さんは少し損するけど、このまま五反田不動産にカモにされるよりもマシじゃないかな」
『そうかもな。ええで、その物件はうちで買取るわ。他にもこういう話はあるんやろ?』
予想した通りの反応だ。この1件だけでは大して儲からない。渋谷銀行からの借り換えに来ている顧客は多いのだから、条件の合うものを拾っていけば相当な利益になる。岩城はそこに興味がある。
「もちろん、あるよ」
『ほー、詳しく聞きたいな』
電話口から嬉しそうな岩城の声が聞こえた。
後日、柴崎は不動産担保ローンの融資と中古マンションの買取りを鈴木に提案した。中古マンションを手放してしまえばローン支払いの心配をしなくていいし、滞納者が退去すれば売却価格が1千万円増える。鈴木はこの提案をとても喜んだ。 こうして、代々木不動産での不動産買取り、代々木銀行での不動産投資ローンの融資が始まった。
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代々木不動産での不動産買取りが始まってから3カ月後。柴崎は部長の若杉に呼ばれた。
「例のプロジェクトは儲かってるんだって? 松井常務から『お前に任せてよかった』と言われたよ」
「それはどうも。たまたまです。代々木不動産が協力してくれたおかげで、収益機会を取りこぼさずにすみました」
「そういえば、同期の松井と話していたら、五反田不動産が『代々木不動産に気をつけろ』と個人客に吹き込んでいるらしいぞ」
若杉の同期の松井は代々木不動産の社長をしている。顧客を代々木不動産がかっさらっていくから、五反田不動産は妨害しようと必死なのだ。
「五反田不動産がカモにしている個人を助けているだけですよ。人助けなのにひどいですね」
「でも、カモにしているだろ?」
「五反田不動産と渋谷銀行から救った手数料です。みなさん喜んでいますよ」
「大きくカモるか、小さくカモるか……そんなところか」
若杉は機嫌が良さそうだ。銀行は慈善団体ではない。いかに顧客が気持ちよく損してくれるか、それが重要だ。
「素人はどこでもカモにされます。代々木不動産なんて、五反田不動産に比べればかわいいものです」
「まあな。素人が手を出しちゃいかんな」
素人が成功するのは難しい。飲食店でも、不動産でも。
<不動産編:本編おわり、解説につづく>
実際には、親切な不動産会社や銀行はありません。一見さん相手だと、私もカモります。逆に、長期的な付き合いができる、と判断すれば対応は良くなるのではないでしょうか。
なお、本文に「停止条件付売買契約」がでてきますが、これは鈴木さんを救済するためのイレギュラーな対応です。一般的な不動産売買契約には、このような契約条項はありません。