不動産(本編2)
後日、浜松町支店の顧客の鈴木が話を聞かせてくれると連絡があった。柴崎は業務の合間をぬって浜松町支店を訪れた。
浜松町駅を降りると、蝉の鳴き声が、焼きつくコンクリートの歩道に降り注いでいた。ビルの谷間を縫うようにして、柴崎は歩いた。これからヒアリングなのに、ワイシャツの背中は汗でべたべた。手にジャケットと鞄を持ち、浜松町支店を目指した。自動ドアの前に立つと、ひんやりとした冷気が、柴崎を迎えた。
浜松町支店は近隣エリアの企業、飲食店、住民を顧客にする店舗だ。浜松町は再開発ですっかり様変わりした。駅前の世界貿易センタービルの建て替えがその象徴だろう。
大小雑多なビル、路地裏に昔ながらの居酒屋が立ち並ぶ新橋エリア、貨物駅跡地を再開発して誕生した高層ビルが建ち並ぶ汐留エリア。鈴木は汐留エリアの住民で、人柄の良さそうな中年女性だった。
鈴木へのヒアリングは、年長者の柴崎が担当することになった。
「まずは、渋谷銀行から住宅ローンを借りた経緯について、お聞かせください」
鈴木は緊張した様子であったが、咳払いした後、説明を始めた。
「20年前に購入したマイホームの住宅ローンの完済が目前になったので、投資用不動産を購入しようと考えました。投資用不動産を所有している友人がいて、羨ましかったんです。インターネットを検索すると投資用不動産を扱っている五反田不動産を見つけました。自宅から近かったので、店舗に訪問しました」
余裕ができた人が不動産を買う、よくある話だ。
「投資用不動産を購入されたのですか?」
「ええ。3LDKのファミリー物件です。新築マンションはちょっと高すぎました。だから、何件か内覧して手頃な中古マンションに決めました。価格は5千万円です。内覧した中古マンションはフルリノベーション(改装、フォーム)済みでしたから、とてもきれいでした。内装は新築物件と遜色がありません。間取りも良くて、これだと思いました」
不動産投資とマイホームの購入は根本的に異なる。不動産投資の目的は利益。投資金額を低くして、投資利回りを上げる必要がある。だから、コストの掛かるフルリノベーションは必要ない。
「物件購入資金は、渋谷銀行から住宅ローンを借りたのですね?」
「ええ、五反田不動産の担当者が渋谷銀行を紹介してくれました」
鈴木が購入した時点では、中古マンションには賃借人がいなかった。この場合、渋谷銀行は住宅ローンまたはセカンドハウスローンとして融資できる。
「住宅ローンとして借りれば、全額借入で購入できますよ」と五反田不動産の担当者に言われて、鈴木は渋谷銀行に申し込みをした。そして、住宅ローンとして購入代金5千万円の全額を借入れた。購入したマンションに移り住む、と鈴木は銀行の担当者に伝えたそうだ。これは、五反田不動産の入れ知恵だ。
「入居者はすぐに見つかったのですか?」
柴崎の質問に対して、鈴木は「最初はすぐに決まりました」と曖昧に答えた。
五反田不動産の仲介で、入居者はすぐに決まった。しかし、半年後に賃借人は退去した。賃料収入はなくなり、鈴木には住宅ローンの返済だけが残った。
退去後すぐに五反田不動産に賃貸募集を依頼した。そして、入居者が現れることを期待して、鈴木は貯蓄を取崩して住宅ローンを払った。
「他の不動産業者に賃貸募集を依頼しなかったのですか?」
鈴木は首を横に振った。五反田不動産と代理契約(賃貸借契約における専属媒介契約に相当するもの)を結んでいたから、他の不動産業者に依頼できなかったそうだ。
中古マンションの空室は半年ほど続き、ようやく入居者が見つかった。賃料が入るようになり、鈴木の住宅ローンの返済は楽になった。しかし、半年後、入居者は賃料の支払いを滞納した。
延滞当初は数日遅れで賃料が振り込まれた。その後、1カ月遅れ、2カ月遅れと延滞期間は増えていった。入居者から賃料が全く振り込まれないのではなく、賃料の一部は振り込まれていた。このため、賃料不払いを理由に契約を解除できない、と五反田不動産の担当者から説明された。
「賃料保証会社と契約する、という方法もありましたよね?」
「そうなんですか? 五反田不動産から説明がありませんでした」
貯蓄を取り崩して住宅ローンの返済を続けたものの、いつまで貯蓄がもつかわからない。賃料収入が見込めないのなら中古マンションは売却しよう、と鈴木は考えた。
五反田不動産に売却の相談をすると、成約予想価格が2千万円と書かれた査定書を渡された。鈴木が購入した金額の半分にも満たない金額だ。
「他の不動産業者に査定を依頼しなかったのですか?」
「もちろん、他社にも査定を依頼しました。でも、出てきた査定額は五反田不動産と同じでした」
鈴木が投資したのはファミリータイプの物件だ。ファミリータイプの物件は、空室であれば買手は実需物件として購入する。一方、入居者のいる物件は自分が住めないから、純粋な投資物件となる。同じ物件であっても、投資物件よりも実需物件のほうが価格は高い。
鈴木は実需物件として高値(5千万円)で中古マンションを購入し、投資物件として安値(2千万円)で売却することになった。査定額が大幅に下がるのはやむを得ない。
【図表:不動産価格のイメージ】
※実際には、実需物件と投資物件の価格差がここまで大きくはありません。少し極端な例として書いています。
「2千万円では売らなかったわけですね?」
「売りませんでした。でも、今思えば、あの時売っておいたほうが良かったのかもしれません」
その後も入居者からは賃料の一部だけが入金された。一部でも入金があるので賃貸借契約を解除できない。そしてついに、鈴木は住宅ローンを返済できなくなった。
中古マンションを売却しても2千万円。5千万円の住宅ローンを完済できない。汐留のマンションも売却してはどうか、と渋谷銀行の担当者から提案があった。ご丁寧にも、五反田不動産の査定書を渡されたそうだ。査定書には成約予想価格が5千万円と書かれていた。
「藁にも縋る思いで代々木銀行に住宅ローンの借り換えに行きました……ダメでしたけどね」
中古マンションには入居者がいる。だから、代々木銀行が融資できるのは不動産投資ローンしかない。それでは、鈴木の借入希望額には達しない。
「災難でしたね。今後どうするおつもりですか?」
「まだ、どうするかは決めていません。逆に、いい案があれば教えてもらいたいです」
鈴木は引きつった笑みを浮かべた。柴崎は五反田不動産と渋谷銀行にカモにされた鈴木に同情した。ヒアリングに参加した他のメンバーは鈴木と目を合わせず、視線を逸らした。
「そうですね……グループ会社に代々木不動産があります。そちらに相談してみます。ただ、よい提案ができるかは分かりませんから、その点はご了承ください」
期待させるのは良くない。だが、何か助ける方法があれば鈴木に提案してあげたい。
こうしてヒアリングは終了した。
実際には、実需物件と投資物件の価格差がここまで大きくはありません。少し極端な例として書いています。
ちなみに、日本では区分所有建物を「マンション」といいますが、これは英語ではありません。英語のマンションは戸建てです。英語ではコンドミニアム(Condominium)またはコンド(Condo)というので、外国人と話すときは注意したほうがいいかもしれません。
次回は、不動産投資に失敗した鈴木さんを救済する話です。