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銀行員柴崎の憂鬱  作者: kkkkk
不動産あるある
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不動産(本編1)

「やっぱり素人には難しいのね」


 外の灼熱地獄から帰宅した柴崎が、リビングの冷房で体を冷やしていたら、妻の声がした。


 妻はいつも唐突に話し始める。だから、何が素人には難しいのか、柴崎にはわからない。しかし、焦ってはいけない。こういうときは、妻の話をじっくりと聞けばいい。そうすれば、自ずと答えはでる。テーブルの上に置いたペットボトルの麦茶を一口飲み、「どういう話?」と柴崎は訊いた。


 どうやら、近所に住む佐藤さんの話らしい。2年前に定年退職した佐藤さんは蕎麦屋を始めた。


 引退したら蕎麦屋を、それを目標に佐藤さんは定年まで勤めあげた。開業準備として、定年前から蕎麦打ち教室に通い、腕を磨いたそうだ。柴崎は、去年の大晦日に佐藤さんの打った蕎麦を食べた。なかなかの腕前だったと記憶している。 佐藤さんが友人と登った山の麓に閉店した蕎麦屋があった。雰囲気のある建物だったから、佐藤さんは管理会社に連絡した。居抜きで(内装をそのままで)借りられるから初期投資を抑えられる。それに、賃料も手頃だった。佐藤さんは退職金を元手に、そこで蕎麦屋を始めた。


 開店当初は職場の同僚、先輩や部下が休祝日のたびに来店した。それなりに繁盛していたそうだ。しかし、開店からしばらく経つと、毎週だった会社関係者の来店が2週間に1回になり、1カ月に1回になった。開店から1年経ったころには、誰も来なくなった。

 結局、佐藤さんは蕎麦屋を開店してから1年半後に店を閉めた。


 蕎麦職人は「そば打ち3年、こね8年」といわれるように、一人前になるまでに何年も修行する。店の蕎麦打ちを任されるようになってからも、常連客との付き合い、集客のための広告宣伝、同業者との情報交換など店舗運営に関わる。そして、一人前といえるだけの技術、経営ノウハウ、人脈が備わってから蕎麦職人は独立する。


 プロがひしめき合う飲食業界に、素人の佐藤さんが参入しても勝算はない。世の中、そんなに甘くないのだ。


 **


 柴崎が代々木銀行に出社したら、部長の若杉に呼び止められた。


「ちょっと、厄介な事態が発生してな。新しいプロジェクトを立ち上げることになった」


 銀行では突発的にプロジェクトが立ち上がる。どの部署も参加したくないのが本音だが、そうはいかない。あれはたしか……DXデジタルトランスフォーメーションのプロジェクトだった。


 DXプロジェクトの説明をするシステム部の専門用語を理解できず、人数合わせで参加した人事部の担当者が「それで結構です」と返事をした。その結果、人事評価や配属先の決定などをAIに任せる制度が進められることになった。人事権を奪われた人事部など、給与計算をするだけの雑用係に成り下がる。まずいと思った人事部長が猛反対し、DXプロジェクトを消滅させた。

 それ以来、部署の既得権益を守るためにはエース級人材を出席させるべき、という共通認識ができた。無能な担当者を参加させて部署が不利益を被っても、文句は言えない。


 次長の柴崎は部長の代わりに、何度も会議に参加している。その度に、本来の業務時間が削られるのだが、優秀な人材と認識されているのだから、複雑な心境だ。気乗りしないものの「どういうプロジェクトですか?」と若杉に尋ねた。


「今回のプロジェクトは、住宅ローンの借り換え案件だ。リテール(個人)部門に好き勝手にさせないために、融資部からも参加してほしい、と松井常務に言われている」


 法人部門のトップである松井常務からの指示であれば断れない。松井常務はリテール部門トップの金井専務と、次期頭取の座を競っている。それに、柴崎の所属する融資部は住宅ローンを扱わない。融資部はプロジェクトの成否のリスクを負わないし、もし実績を残せば松井常務へのよいアピールになる。


「承知しました。詳細が決まったら教えてください」


 柴崎がそう返答すると、若杉は満足したように自席へ戻っていった。


**


 それから3日後、柴崎はリテール企画部の主催する会議に参加した。参加者は、個人部門から3名、審査部と主計部から各1名、法人部門は柴崎だけだった。部長職の参加者はない。参加者の中では、柴崎の職位が一番上だ。

 メンバーが揃ったところで、リテール企画部課長の二宮が説明を始めた。


 支店では、住宅ローンの借り換え(リファイナンス)に来店する顧客が増えているそうだ。そのほとんどは、渋谷銀行からの借り換えだ。来店者数の資料を見て、柴崎は目を丸くした。想像したよりも10倍は多い。 リテール部門は住宅ローンの借り換えで融資残高を増やしたい。だが、支店が提案する融資条件が顧客の希望と合わず、契約に至らない。


 住宅ローンの借り換えの目的は、一般的には金利を引下げることだ。しかし、顧客は金利引き下げのために来店したのではない。渋谷銀行から借りた住宅ローンを返済することが目的だった。


 借り換えにきた顧客は、区分所有建物マンションを貸し出していた。賃貸マンションは自分が住む物件ではないから、住宅ローンを融資できない。支店の担当者は不動産投資ローン(賃料収入を得る目的の収益用不動産を購入するためのローン)しか提案できなかった。不動産投資ローンは、住宅ローンよりも融資額が小さいし金利が高い。顧客の希望額に達せず、融資は不成立となった。

 リテール部門は個人向けの融資残高を増やしたい。借り換えにくる顧客に融資する方法を検討してほしい、これがプロジェクトの目的だった。


「これだけの数がリファイナンスにくる、ということは何か事情があるはずだ。先に原因を調べた方がいいと思う。どうかな?」


 柴崎が発言したら、審査部の担当者も「私もそう思います」と同調した。

 他の参加者も異論がなかったから、会議は一旦終了し、後日、顧客にヒアリングをすることになった。



【後書き】

次回、不動産投資の失敗が明らかになります。

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