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第7話『二閃』

―――**―――


「いやいやいやっ。それにしても昨日はすごかったですねぇ。あっし、未だに心臓バクバクいっていますよ! 相手は魔族で、逃げ場もなく、正直もう終わりだーっ! って思っていたら、いきなりどかーんですよ!?もう何が起こったか目で追えませんでした。ふふふ、アッキーもお人が悪い。やっぱり勇者様ともなると、お強いんですねぇ、今度あっしにもいろいろ教えてくれると嬉しいです。世のため人のため、立派にお仕事できるなんて、もう、もう、言葉も無いです!!」

「はは。そうか? そうだよな?」

「……なんであの声量に耐えられるのかしら?」

「さあ。ねーさんで慣れているからじゃないっすか?」


 見慣れたとも、見飽きたとも言える森林を“勇者様御一行”は歩いていた。

 サクは、今日はしんがりを務めているのだが、最前列のふたりの会話はよく聞こえる。


 その先頭は、サクにとっての主君であり、世界の希望とも言える勇者様と、そのアキラに未だ興奮冷めやらぬ様子で話し続ける少女が務めていた。

 アルティア=ウィン=クーデフォン。

 昨日出逢ったその少女は、腕を伸ばしたり身体を踊らせたりと、全身を使って感動を表現していた。


 地元が自分たちの目的地のヘヴンズゲートらしく、案内を買って出てくれたのだが、それなりに距離がある。

 見た目の服装や携帯品も、動きやすそうとはいえ普段着のようにも見えるその少女は、そんな軽装で、たったひとりで大分離れたところまでやってきたようだ。

 それは彼女の活動力を表しているとも言え、同時に、あの声量にまだまだ付き合わなければならないということを示しているとも言えた。


「……止めなくていいのか?」


 賑やかしいふたりを眺めながら、サクは一言漏らした。

 どこにそこまでの元気があるのか、じゃれつく犬のようにアキラの周りを駆け回るティアの様子を、エリーは口元を強く結んで眺めていた。


 彼女だけがそうなのか、あるいは普通そうなのか、勇者様であるアキラにただただ感心して目を輝かせるティアに、アキラの表情はかつてなく明るく見えた。

 エレナがアキラを調子付かせるためによく持ち上げているのを見るが、ティアのそれは声量も相まって本当に心の底から出てくる賛辞だ。

 アキラも気分がいいだろう。


「……別に、いいんじゃない。ヘヴンズゲートまでの付き合いでしょう?」

「ふ。そうじゃなくて、アキラ様が調子に乗らないようにするべきでは? それに、あれだけ騒いでいると魔物にも気づかれる」

「……そうね、そうよ……!」


 いくつか理由を出してみると、エリーは大股でふたりに近づいていく。

 従者を務めているが、なかなか難儀なものだ。

 婚約破棄をすると言ってはいるものの、エリーはやはり、アキラに執着しているように見える。逆もまた然り。

 極力安全圏でやり過ごしたいとサクは思っているのだが、気づけばこの場には6人もいる。

 関わりを薄く持てるほど、サクは器用ではなかった。


「……声量が増えたっすね」

「たまには賑やかなのもいいさ」


 マリスの呟きに適当に応えて、サクは前方の3人を見やる。エリーが怒鳴り、アキラが不満を喚き、そしてティアはからからと笑って騒ぎ続ける。

 アキラが“あの力”を使いこなし、昨日終わってしまったと思った日常の光景が、今あることにサクは改めてほっと息を吐いた。


 そしてそんな日常に、昨日出逢ったばかりのティアが当たり前のようにいることにもさほど違和感は覚えなかった。

 随分と打ち解けている。

 それは心を開く力があるらしいアキラの日輪属性だけが理由ではなく、積極的に話しかけてくるティア自身の振る舞いによるものなのかもしれない。

 人見知りというものが無いのか、昨日からずっと、彼女はこの中の誰かと話している。


 サクは騒々しいのはあまり好まないはずだったのだが、前方を歩く賑やかしい3人には惹かれるものがあった。


「……あ! さてさてさて、皆さん……!!」


 しばらく歩き続けて、ティアは突如として立ち止まった。

 くるりと振り返り、小さな身体で胸を張り、不敵に笑う。


「……言っておくけど、私は無駄な話に対して異常に沸点低いわよ?」

「ひっ!? い、いえいえ、お、落ち着いてください……」


 ティアの視線がこちらに向いたのに対し、極力距離を取っていたエレナが低い声で返した。

 騒がしいのを好まないのはあるいはサク以上かもしれない。

 サクの記憶では、昨日から特にティアに絡まれていたのはエレナだ。

 そのたびに悲鳴やらなにやら聞こえてきたが、それでもティアは変わっていない。多少怯えるようになっては来ているが、エレナをもってしてもティアの態度の矯正は失敗しているらしい。


「こ、こほん。では改めまして。……もうすぐ、到着いたします!!」

「え? うん、分かっているけど」


 エリーが、とっくに視界に入っていた高くそびえる険しい岩山を見上げた。

 ここまで近づくと頂上は見えない。

 空に浮かぶ雲を突き抜けるように高いその岩山の周囲が、自分たちの目的地であるヘヴンズゲートだ。

 思ったよりも早く着いたとサクは思った。ここまでの道もある程度踏み慣らされていて歩きやすく、どうやら地元民らしいティアの道案内はそれなりに優秀らしかった。


「到着したら、是非あっしのお家にきてくださいな! 誠心誠意、持て成しますぜぃっ」

「行くのは天界への門だけ。みんないいわね?」

「当然ね」

「エリにゃん、エレにゃん!? そんな冷たいこと……、あれ、似てる!? どっちか諦めないと!!」

「……そう」


 エレナがティアに向かってずんずんと詰め寄っていく。

 殺しかねないと思ったが、サクは関わらないことに決めた。


「ふっ、甘いですよ!! 散々食らいましたからね―――へぁ!?」


 エレナが伸ばした右手をくるりと回って回避したのち、ティアは転んで後頭部を木の根に直撃させた。


 ざまあみろと見下すエレナに、大泣きするティア。

 漫画のような光景に、アキラとエリーは笑っていて、マリスは治療するか迷いながらとぼとぼと近づいていった。


 いつの間にか、本当に騒がしい旅になってきた。

 サクも高くそびえる岩山を見上げて、誰にも気づかれないように小さく笑った。


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


―――ヘヴンズゲート。


 天界への門があるとされるこの街は、その岩山を中心に栄えており、遥か上空から見下ろせばドーナッツのような形状をしている。

 高さからすれば圧倒的に麓の面積が狭い岩山を囲い、まるで神の護衛のように、東西南北と街並みが広がっていた。

 それゆえに人口も多く、不用意に街を歩けば行き交う人の波に飲まれてしまう。


 だから、エリーはきちんと計画を立てようとしていた。


「あれ?」

「おおっ、エリにゃん! おかえりなさいです」


 到着したヘヴンズゲートの東部の町で、ひとまず手ごろな宿を見つけ、荷を下ろし、これからの計画を練ろうとしたのだが、集合場所として指定したアキラの部屋を訪ねると、にっこりと笑う少女だけが出迎えてくれた。


「……え。他のみんなは?」

「はい。アッキーとマリにゃんとエレお姉さまは、あっしに伝言を残してお出かけしました」


 びしっと敬礼し、役目を果たしたティアは満足げに笑った。

 分かったのは目も覆いたくなる現状と、不名誉な愛称がエレナから譲り受けられたということだけだった。

 代わりに新たな愛称がついたことを、エレナは知っているだろうか。


「……え、じゃあ、サクさんは?」

「エリーさん! 来てくれたか」


 今度は背後から、息を弾ませたサクが駆けてきた。

 来てくれて、ほんの少しは救われたような気持にはなったが、彼女もひとりきりのようだ。


「おお、サッキュン、どうでしたか?」

「止めてくれ、その呼び方は」


 彼女もティアの犠牲になったらしい。

 サクは息を整え、とりあえずはとアキラの部屋に入る。

 ベッドの脇に荷物が放り投げられているだけの質素な部屋だ。

 旅費節約のため、エリーはいつもマリスと同部屋だった。仕方ないとことではあるが、たまにひとり部屋が羨ましくなる。

 ただ、現実逃避をしたくて部屋を見渡しても、やはりこの部屋にいるのはティアだけのようだった。


 部屋に入ると、サクは息を吐き出し、頭を抱えた。

 様子からして、エリーよりも早く現状に気づき、いなくなった3人を探しに行ってくれていたようだ。

 だが、その成果は、その様子から見て取れた。


「……く、やられた。あたし最近エレナさん甘く見てたかも……。マリーはお目付け役で行ってくれたみたいね」


 到着したらすぐに打合せと伝えたはずなのだが、面々の半分以上がこの場におらず、いるのは元気な少女だけだった。

 エリーは、ここしばらく大人しかったエレナへの警戒が薄れていた自分を呪った。

 ずっと樹海の中の小さな村を転々としていた中、大きな町に到着したら、彼女が何をしだすか予想できそうなものだったのに。


「わわ、エリにゃん。安心してください。あっしならここにいますよ?」

「うん、そうね」

「冷たい!!」

「というか、いたなら伝言なんて受けてないで止めて欲しかったわ……」

「はっはっはっ、何を言っているんですか。あのときエレお姉さまを止めていたら、あっしは今、物言わぬ存在になっていましたよ……」


 元気に笑ったり、顔を真っ青にしてカタカタと震えてみたりと本当に表情豊かな少女だった。

 エレナには相当な恐怖を刻まれているらしい。

 だが、そんなティアを見ていて、エリーははっと気づいた。


「……そういえば、家に帰らなくていいのか?」

「ふえ?」


 エリーが考えていたことと全く同じことをサクが言ってくれた。

 当たり前のように行動を共にしていたから思わず見逃すところだった。

 椅子に逆に座り、カタカタと鳴らしていたティアは、サクの言葉にピタリと動きを止め、またも表情が変わっていく。


「…………って、あ! あ! あああ!! ぬかった!! そうですそうです、あああ!! やばーいっ!!!! わわわわわわっ、あっしはどうしたら!?」


 もしかしたら、自分たちは爆弾と話しているのだろうか。

 起爆スイッチがどこかも分からぬそれは、突如として頭を抱えて絶叫した。

 ほど遠くない未来、宿屋の主人が怒鳴り込んでくるだろう。

 エリーとサクは顔を見合わせ頷くと、即座にティアを両脇から掴み、部屋を後にした。


 あの3人は、どうせしばらく帰ってこない。宿屋に伝言でもしておけば足りるだろう。

 落ち着いて計画を立てるためには、まずこの少女を家に送り届けることから始める必要がある。


―――**―――


「うーん、やっぱりこういう町の方がいいわよね!」

「わ、エ、エレナ……!」

「エレねー、ストップす」


 アキラの腕に絡みついてきたエレナは、その裾をぐいぐいとマリスに引かれていた。

 エレナに半ば強引に誘われた町の探索にはマリスも同行しており、エレナの過剰なスキンシップを何度も止めてくる。

 エレナに迫られるとされるがままになりかけるアキラにとってはありがたくはあるのだが、多少はもったいなく感じてしまう自分を誰も責められないとアキラは思う。

 何しろエレナは今、その美貌を輝かせ、一層可愛らしく町を謳歌しているのだ。

 今までずっと田舎のような村ばかりにいたから、相当鬱憤が溜まっていたのだろう。


「もう、天才ちゃん。水差さないでよ。私、最近アキラ君と話せてなかったから、寂しいのよ?」

「……ま、まあ、確かにそうだったけど……。でもさ、俺たちバックレてていいのかよ?」

「あら、私と一緒じゃ、い、や?」

「エレねー、エレねー」

「ちょっ、放してよ!」


 マリスがエレナの服をぐっと掴む。

 意外にも強引なマリスだが、宿でエレナを強く止めなかったのは、あのときのエレナを止めることは命に関わると思ったのかもしれない。

 事実エレナの背中越しから見えたティアの表情は凍り付いていた。


「……まあ、でも、そういえば。確かににーさんと話すの久しぶりな気がするっすね」

「あ、そうか。そうだな」


 確かに、眠たげに見える眼も、とぼとぼと歩く仕草も、アキラは久しぶりに見たような気がした。

 最近エリーが考案したアキラ育成計画が理由だろう。

 そう考えると、せめて依頼ではないときくらいは、このふたりと一緒にいるのも悪くない。

 同じ顔で、この街のどこかで烈火の如く怒っているであろう彼女の姉をどうするかという問題は残るが。


「あ、あれ見てこっ!」


 アキラの腕にあった感触が消えたかと思うと、エレナは露店に駆け出していった。

 歩いているのは宿屋から幾分離れた商店街で、宿屋の周囲よりもずっと人気は多い。

 静まり返っていた村を転々としてきたアキラにとって、クロンクランと同等程度に栄えている町は久しかった。

 しかし、酔いそうになるほどの人の波の中、生き生きとするエレナはやはり輝いて見える。

 慌てて走り、珍しく通行人とぶつかり、可愛らしく謝るお茶目な様子も、エレナに見とれながら謝り返して去っていく男性の胸元に手を伸ばしていた手際も、いつしか手に持った男物の財布の中身を確認し、舌打ちする表情も、


「……」

「にーさん?」

「いや、途中まででいい。俺、幸せだから」

「…………」


 とりあえず見なかったことにして、アキラは改めて、現状を振り返った。

 エレナもそうだが、隣のマリスも文句の付けようもない美少女だ。エレナやマリスを見て、歩幅を緩める通行人を見るたび、アキラは優越感を覚えていた。

 要するに、自分は今、両手に花でデートしていることになる。


 最近やたらと戦いに明け暮れていたが、この異世界は、基本的に優しいのだ。

 女性に囲まれ、毎日賑やかに暮らしていく。

 戦闘物も悪くないと思ってはいるが、たまにはこうしたサービスが無ければやっていられない。

 明日は誰とどこへ行くのだろうか。

 そう考えるだけで胸が躍る。


 戦闘の方は順調であるし、まさに順風満帆だった。


「……にーさん。ハーレムに近づいているとか思っているんすか?」

「おうっ、……」


 元気よく返事すると、マリスが半開きの眼で、じっと呆れたように眺めてきた。

 今更ながら、アキラの夢というか願望はマリスにはしっかりと聞かれている。

 女性受けは最悪だろうが、最早遅いと開き直ってアキラは高々と笑ってみた。

 久しぶりだからか、マリスの視線がやたらと痛い気がする。


「……ていうかさ、もう魔王とか倒そうとしなくてよくね?」

「とんでもないこと言い出したっすね、この勇者様は」


 頭痛を堪えるように、マリスは眉間に指を当てた。

 とはいえ、無責任だから言い出したわけではない、と思いたい。

 昨日遭遇したあのリイザス=ガーディランという魔族。

 力はほとんど分からなかったが、普段のアキラよりずっと強いエリーが殺されかねなかったのだ。

 あのときのことは頭に血が上ってあまり覚えてはいないが、目指す魔王も当然魔族だ。

 遭遇すれば即座に滅ぼせるとは思うが、下手に刺激をするよりも、こうしてのんびりと旅を続け、時折こうした街で日々を過ごせるのであれば、わざわざこちらから出向く必要も無いように思えた。


「…………、でも、にーさん。このままだと、ねーさんと」

「まあ、それがネックだよな」


 マリスの言う通り、アキラも気がかりなことはある。

 エリーとの婚約だ。

 アキラたちは魔王を討つ特権としてその解消を目論んでいるのだ。


「というかさ。“しきたり”とか言っているけど、いつまで経っても俺ら結婚する羽目になってないんだが」

「……それは、今旅をしているからっすよ。言い方はあれっすけど、最優先事項があるから、うやむやになっているだけっす」

「……え? じゃあ、旅を続けていたら……」

「っ、にーさん!!」


 びくりとした。

 物静かなマリスが、鋭く大きな声を出した。

 通行人の何人かが、足を止めたのは、マリスに見とれたからではないだろう。


「ちょっと、何やってんのよ……?」


 エレナも通行人をかき分けて何事かと戻ってくる。

 アキラは、肩に力を入れて表情を険しくしたマリスの前から、一歩も動けなかった。


「……にーさん。ついてきて欲しいところがあるんすけど」

「……え?」

「こっちっす」


 マリスはそれだけ言って歩き出した。

 その背中に寒気を覚えたのは、彼女が戦っているとき以外では、初めてのことだった。


「……ち。目を離すんじゃなかったわ。……何やったの?」

「いや。俺のせいだ。……俺が、また、調子に乗って」


 しどろもどろになりながら、アキラはマリスを追って歩き出した。


 きっと自分は今、彼女の怒りに触れることをした。

 いつものように調子に乗って、また、誰かを苛立たせたのだ。

 自覚はしているのに、いつまで経っても治せない悪癖に、アキラは自嘲した。


 マリスの背を追い、足取り重く歩くアキラには、最近の自分の成長が、途端に矮小に見えてきた。


―――**―――


「ほんっっっとうに申し訳ないっ!! 不肖ティアにゃんことこのわたくしは―――」

「~~~っ,ああもうっ!! この娘ったら!!」


 勢いよくドアを開けた直後、深々と頭を下げたティアを、妙齢の女性が力いっぱい抱きしめた。

 ティアに似て青みがかった髪を束ねた女性は、僅かに煤汚れたエプロンのようなものを身に纏っているところから見て、この店の人間だろう。


「おぅっ、締まるっ、締まるーーーっ!! お母さん!! いだっ、いだだだだだだっ!?」

「……って、あら? そちらの方々は?」


 ようやく気づいたのか、耳元からティアを離し、目を丸くしてこちらを眺めてくる。

 エリーは、どうやらティアの母親らしい女性に小さく会釈をした。


「よくぞお気づきになりましたねっ!! おふたりはあっしを!!」

「そう、送り届けてくださったのね。わざわざありがとうございます」

「……え、ええ、は、はい」


 そのティアの母親は、ぐいとティアの頭に手を乗せて抑え込むと、深々と頭を下げてきた。

 ティアが勢い良く駆けていくのを追いかけていただけだったから、あまりそういう自覚は無かったが、確かにそうなる。

 だが、そこまで頭を下げられるのはむず痒く、エリーは気まずさから視線を泳がせた。


 剣、槍、斧に盾や鎧もある。エリーがよく使う、身体に纏うプロテクターも並んでいる。

 入るときに見た看板の通り、ここは武器屋のようだった。

 あまり広くは無いが、商品は規則正しく並び、ヘヴンズゲートに店を構えるだけはあって、なかなかに上質な武具が揃っているようだ。


「あ! サッキュンご興味ありますか? よければあっしがご案内しましょう!!」

「……ん? いや、いいよ」

「冷たい!! ―――へうっ!?」

「ティア。お客様に失礼でしょう」


 母にたしなめられるように叩かれ、ティアは頭をさすった。

 この少女の親だからどういう人物だろうと戦々恐々としていたのだが、どうやら良識人らしい。

 一方、こうした場合礼儀正しいサクが、意外にも上の空で武器を眺めていた。

 ティアの実家の店はサクの関心を引くものらしい。


「……ええと、そうね、せっかく御足労いただいて……。ここでは何ですし、どうぞ上がっていってください」

「えっ、いえ、あ、あたしたちは、」

「おっとエリにゃん。遠慮は無しだぜ!? あっしのお部屋にご案内しましょう!!」


 勢いに飲まれ、エリーとサクは小さくお邪魔しますと呟いて、ティアの後を追った。

 どうやら家と店が一体になっているらしい。


 駆けていくティアに倣い、奥の暖簾をくぐると、まず大きな炉が目に入った。

 今は火が点いていないが、その近くに乱雑に並ぶ器具を見ずとも、用とは容易に分かる。


「……ああ、そこは主人の仕事場です。お気にせずに」

「やはりそうなのか。……失礼だが、金曜属性なのか?」

「え、ええ。まあ、そうです。私もですけどね。魔術師隊で知り合って」


 ピクリとエリーの背筋が伸びた。

 自分が入り損なった場所だ。

 もし自分が普通に日々を送っていたら、彼女のような生活が待っていたのかもしれない。

 今は想像も出来なくなっているが。


「はっ!? そうだった!! すみませんお母さんっ、あっし、おふたりの大切な結婚指輪を取り戻せませんでした」

「ああ、あなたが書き殴っていた手紙にはそう書いてあったのね。落書きかと思ったわ」

「ひどっ!?」

「まあ、いいわ。無事戻ってきてくれたし」

「でもっ、でもっ」

「い、い、の」


 ティアの母は、娘の頭を優しく撫でた。

 猫のように表情を緩ませるティアを見て、エリーはエルラシアのことを思い出した。

 飛び出すように旅立った故郷に残る自分の母は、今も息災無く過ごしていてくれているだろうか。


「…………あ、そうだわ。主人に連絡しないと。ごめんなさいね、この娘を探しに行っていて。……ティア、後のことはお願いできる?」

「おうさっ、私にっ、ま、か、せ、と、けーーーっ!! ―――へぅ!?」


 元気に返事し、元気に柱に頭をぶつけたティアにくすくすと笑い、ティアの母は慌ただしく店を出ていった。

 いきなりいなくなった娘が戻ってきたにしては、てきぱきと行動するものだ。

 元魔術師隊だからなのか、冷静なのかもしれない。


「……はっ、そうだ、お父さん……。うう、どうしましょう、あっし、次は拳骨じゃすまないって言われてて、もう、3回目です……」


 そうではなく、常習犯だったらしい。

 己の未来を憂いて涙ぐむティアだが、ある意味運がいい。

 彼女が過去、どんなことに巻き込まれたというか首を突っ込んだかは知らないが、昨日の事件はそれとは別格の魔族との遭遇。

 もしあの場にアキラがいなければ、彼女は今こうして家に戻れてはいなかっただろう。


「…………まあ、過ぎたことは仕方ないです。めっちゃ謝りましょう。お母さんもお出かけしましたし、こうなったらあっしの本気をお見せしましょう。徹底的におもてなしです!!」

「お邪魔しました」

「どぞーっ!!」


 騒音にかき消され、エリーの声は聞こえなかったようだ。

 ティアはにこにこ笑いながらエリーとサクの手を引いてくる。

 自室は2階にあるのか、階段を勢いよく登っていくティアは、何が彼女をそうさせるのか底抜けに元気だった。

 こちらには、あの元気に抗う元気は無い。


 打合せが順調に遠ざかっていくのを感じながら、エリーは、目の前のティアのように階段で転ばないことを考えてついていった。


―――**―――


 明確に違う場所だと思った。


 倒壊しないのが不思議なほど高く険しい岩山。

 自然物でありながら、しかし、近づいても、落石の懸念がまるで浮かんでこない。

 それはこの辺りの住民も同じのようで、建物の距離が思った以上に近かった。


 一応、ある程度距離を取ってはいる。

 だがその距離は、危険を感じているからではなく、この岩山から感じる神聖さに気圧され、自ら一歩引いているようにも見えた。


 いや、あるいは。


「……ここ、か」


 アキラは、その岩山を呆然と眺めた。

 足場は白一色の砂が敷き詰められ、土色の巨大な岩山がまるで宙に浮いているような錯覚を起こした。

 まるでヤスリにでも削られたように整えられた岩山は、自然物と人工物の中間に位置しているような印象を受ける。

 アキラが見た中で、これは、最も巨大で精緻な“作品”だった。


「……あれが、中への入り口っす」


 隣に並んだマリスが、だぼだぼのマントから出した指先でアキラの視線を誘導した。

 土色の岩肌に、まるで白い直線でも引かれているように、途方もないほど長い階段があった。

 岩に比すれば細いようにも見えるが、太さは建物数軒分ほどもあり、ただただまっすぐに上へと伸びている。

 首が動く限界まで視線で追っていくと、遥か上に白く巨大な門が見えた。


「岩をくり抜いて、中に神族が住んでいるとかなんとか。それであの門から入って、さらに登っていくと、天界へ行けるらしいっすよ」


 マリスがつまらなそうに呟き、とぼとぼと巨大な階段に近づいていく。

 階段が伸びる麓には、仰々しい鳥居のような支柱が左右にはめ込まれており、両脇に、白いローブの服装の男たちが立ち並んでいた。胸には、太陽を模したような奇妙な文様が刻まれている。


「それで、あれが門番っす。あそこに入ろうとすると、追い返されるんすよ。まあ、あの人たちは人間っすけどね。国に雇われているらしいっす」


 淡々と説明を続けるマリスの言葉を、アキラは半分程度しか聞いていなかった。

 彼女もあえてそうしているのだろう。

 この場に来て、最初に目を引いたのは、巨大な門でも屈強な門番たちでもない。


「……あの人たちは、あの門番に追い返されたのか?」


 その、表情を動かさない門番の前。

 白い砂地の上に、浮浪者のような人の群れがあった。


 50人以上はいるのではないだろうか。

 薄汚いマントを羽織った者ばかりかと思えば、ここまでの道中で目に入ったような普通の服を着た者もいる。あるいは、質が良さそうなスーツのような姿の人物までいた。

 老若男女問わず、その数のそれらが一様に、その場から動かず、膝をついて手を固く結んでいる。


「……あの人たちは、祈りを捧げているんすよ。滅多に出逢えない、神族に」

「祈ってるっていうか、呪っているように見えるんだがな」


 乾いた声で冗談を言った。

 その人の群れには共通点がある。

 表情が歪んでいた。

 苦しんでいると、言ってもいいかもしれない。


 しばらくすると、街の方から、また何人かが近づいてきた。

 そして暗い表情のまま、何人かがこの場から立ち去る。


 みなこの町の住民なのだろう。

 代わる代わる現れては、マリスの言うところの祈りを捧げていた。


「あいつら、一体、何をやってんだ……?」

「……ち。声を聞いてみなさい」


 苛立ったようにエレナが言った。

 言われるまま、アキラは耳を傾ける。

 すると、彼らが呟くように言う何かが聞こえてきて、身体が震えた。


 家族を失った。村を滅ぼされた。夢を奪われた。希望を無くした。


 各々理由は違えど、それらの内容はすべて魔王を倒してくれ、というものだった。

 その当時のことを思い出しているのか、涙を浮かべている者もいる。


 この世界は、神族の教えによって成り立っているとどこかで聞いた。

 だが、それに信仰する存在というのは、外から見ればここまで異様に映るものなのか。


 この異世界に落とされて、順風満帆だったアキラは、初めてこの世界の影を見たような気がした。


 共に旅するエリーたちからはそうした様子を感じていなかったが、少なくとも、数で言えばアキラの目の前の人々の方がずっと多い。

 もしかしたらこの光景の方が、この世界にとっては自然なことなのだろうか。


「信仰というのは、多かれ少なかれ絶望から生まれるんすよ。気分、悪くなったっすよね」

「…………あ、ああ、はは。悪くなったよ。……なんて」

「私から言わせれば、あんな“人任せ”のことやってる場合じゃないでしょう、ってなところだけど」


 エレナの声が遠く聞こえ、そこで、アキラはようやく気付けた。


 この異世界は優しくできている。

 今までアキラが見えてきた世界では、確かにそうだった。

 だが、自分は、所詮数か月前にこの異世界に来たばかりなのだ。


 “魔王”が何をしているのかは知らないが、その脅威に自分はまるでさらされていない。

 以前、サクからマーチュに滅ぼされた村があるというのを聞いたが、現実感は浮かばなかった。

 魔王の脅威は確かに世界を蝕んでいるはずなのに、アキラの目の前の世界だけは輝いていたのだから。

 だが今、自分はようやく知れた。


 慣れてきたなど口が滑ってももう言えない。アキラは、この世界のことをまるで知らなかった。

 いつも以上に、自分の世界が小さく見えてくる。


 自分はたまたま力を持っていたに過ぎなかった。

 もし自分にあの銃の力が無ければ、巨大マーチュに、ゲイツに、巨大ブルースライムに、思い返したら切りがないほどの数多の脅威たちに、必ず何か大切なものを奪われていた。

 自分の力だけではない。マリスがいなければ、エレナがいなければ。いや、ふたりに限らず、エリーやサクがいなければ。


 自分はあくまで幸運なだけに過ぎなかった。

 アキラが幸運でなければ、とっくの昔に命を落としていたか、あるいは今目の前にある陰に、この身を落としていただろうか。


「にーさん。にーさんは、勇者っすよね?」

「そうだ、な」

「それなら、勇者の旅っていうのが、どういうものか、これで分かったっすか?」

「……ああ」


 自分が笑っている間も、そして今こうしている間も、幸運でない人々は何かを失っている。

 そんな彼らにとって、魔王討伐というものはどういうものか。

 神に祈ることしかできない彼らにとって、自分の旅は、どういうものなのか。

 婚約破棄を目的に始めたこの旅は、身近で見ればふざけたようで、しかし遠くから見ると縋りつくほど眩い希望の旅なのだろう。

 断じて、アキラが現実逃避のために雑に扱っていいものではなかった。


 マリスに視線を向け、申し訳なさそうに頭を下げると、彼女はようやく表情を緩めてくれた。

 仮にも勇者を名乗ったのだ。希望にはそれなりの責任が付きまとう。

 まだまだ足りないかもしれないが、少なくとも今だけは、この胸に刻まなければならないような気がした。


「……ち。気分悪くなったわ。もう行きましょ、二度と来ることはないけど」

「いや、あとでまた来ることになるっすよ。ねーさんたちも連れて」

「い、や。私パス。遊んでた方がいいもん」

「なら今行こう」

「え」


 アキラは胸の中に浮かんだ感覚に従い、足を踏み出した。


「に、にーさん。いいんすか? ねーさんたちが、」

「今行きたいんだ。いいだろ?」

「…………私も今でいいわよ。二度手間だし」

「……了解、っす」


 アキラは自分が抑えられなかった。

 今まで呑気に旅をしていた自分は、きっと何も見えていなかったのだ。


 このふたりが、アキラの銃に肯定的だったのは、こうした意味もあったのかもしれない。

 一刻も早く魔王を倒せば、当然それだけ救われる者は増える。


 この街での目立った用事は、神に逢うことだけだ。神に逢えば、もしかしたら魔王の情報を聞けるかもしれない。ならばすぐにでも済ませておきたい。

 すぐにでも魔王討伐へ向かいたくなった今、妙に時間が惜しくなった。


「……!」


 群衆を追い抜き、ずんずんと進んでいくと、門番たちが警戒するように構えを取る。

 だが関係ない。こちらは勇者様だ。


 さっさと神に逢わせてもらおうではないか。


―――**―――


「あっ、これ新刊出てるの?」

「おおっ、エリにゃんお目が高い。今回もなかなか過激な内容でしたよ!!」


 座る場所を作るためべく思わず手に取った漫画を、エリーは雑念を払って隅にどけた。

 口走ってしまったが、エリーも何度か目を通したこののある少女漫画だ。それなりに過激な内容だったこともあり、妙にむず痒い気持ちになる。


 エリーとサクが通されたティアの部屋は、想像通り、想像以上に物が散乱していた。

 個人の部屋にはいささか大きい本棚がいくつかあり、しかしそれらにはほとんど本が並んでいない。取り出された後放り出されたのか、床や奥の勉強机に積まれており、散らかり放題のその部屋には、辛うじてベッドまで、つまりはティアだけの通行ルートが確保されていた。


 これでまだ散乱している書物が辞書や参考書ならばまだ格好がついたのだろうが、視界に入るものは漫画ばかりで、少女漫画だけでなく、少年漫画や雑誌など娯楽方面に特化している。

 持ち主の性格と頭の中身がよく分かる部屋だった。


「……こ、これは」

「サクさん、そっちに積みましょうか。……本棚に戻してられないわ」


 とりあえずスペースの確保をと、本の整理を始めたのだが、サクはまだ部屋の入り口で居心地悪そうにしていた。

 エリーは割と漫画は好きな方で、リビリスアークでの自分の部屋でもそれなりに読んでいた。だが、今まで共に旅をしていた限り、サクの方はあまりそういうものに触れてはこなかったらしい。

 サクは呆れ半分、興味半分に本を手にとり、緩慢な動作で崩れないように積み始めた。


「おっ、サッキュンはそういう本にご興味おありですか! それならお任せくださいな!」


 その瞬間に、エリーはこの部屋を整理する手順を間違えたと思った。

 サクが手に取りながらもおもむろに本を開いたのを目ざとく見つけ、ティアは折角隅に積んだ本の中腹から1冊引き抜いたのだ。

 この部屋を整理するには、まずこの部屋の主を行動不能にしなければならない。


「これなんかお勧めですよ!!」

「……ぇ、っ」


 短い悲鳴が聞こえた。

 ティアがサクの目の前に突き出したのは、エリーも以前一度だけ読んだことがある、先ほど見たよりもずっと上級者向けというか、そういう漫画だ。

 ぴしりと固まったサクは目を泳がせ、ゆらりと背筋を正した。


「どうですかどうですか!」

「…………下。武器。見る」

「んえ……? えっ、わわわっ、サッキュンどうした!?」


 片言でそれだけ発し、サクは顔を伏せてふらふらと部屋を出ていった。

 より一層恥ずかしい気持ちになったエリーは、首をかしげながらしょんぼりと目を伏せるティアに僅かばかりの恐怖を覚え、その胆力にも戦慄する。

 エリーも以前そういう本を買ったとき、母は勿論マリスにすら見つからないように、部屋の奥に隠すようにしまったのだ。それを人に勧めるとは。


「んん~? 面白かったんですけどね。サッキュンは漫画お好きじゃないんでしょうか?」

「そういう本は、あんまり人に勧めるもんじゃないでしょう……」


 ティアも年頃の少女であるはずだ。

 そういうことに興味があるだけならエリーは理解できるが、この少女の言動を見ていると、羞恥心というものが欠落しているような気さえしてくる。


「あはは、でも、あっしのこと、色々知ってもらいたいんですよ」


 手に持った漫画を部屋の隅に積み、エリーが確保して座ったスペースの正面に腰を下ろした。

 正面から見ても、横から見ても、この少女はいつもにこにこ笑っている。


「私はですね、人の役に立ちたいと日頃から思っているんです」

「へ?」

「それには、まず信用されないと駄目かなぁ、と思うわけですよ。そうなるためには、あっしのことを知ってもらうのが一番だと思いまして。えへへ、久しぶりですね、あっしの部屋にお客様が来たのは」


 落ち着きなく膝をついて別の漫画を物色し始めたティアは、鼻歌でも聞こえてきそうなほど上機嫌だった。

 確かにこの部屋を訪れた生命体はティアを除けばしばらくいなかっただろう。部屋の惨状がすべてを物語っている。


「人の役にって、どうしてまた」

「あっはっは、立派なことじゃないですか。あっしのお父さんもそういうお仕事していましたし」

「え、ええ、まあ……。ん?」

「あ、エリにゃん、こちらなんかどうですか、お勧めですよ! あっし大興奮でした!」


 差し出された漫画の背後で、また積んだ本が崩れていた。

 気にし続けると気を病みそうだったので、エリーは素直に受け取る。

 少年漫画らしいそれは、以前大きな街で見かけた覚えがあった。

 田舎であるリビリスアークと違い、このヘヴンズゲートではこういう本はいくらでも売っているのだろう。


 概要だけは知っている。

 主人公たちが、仲間と共に脅威に立ち向かい、人々を救い、想いや絆を育んでいく、ありふれた物語だ。


 人の役に立ちたいとティアは言う。立派なことだからだと言う。

 単純な言葉だった。

 まさしくその通りで、そうした物語はキラキラと輝いているが、魔王の脅威にさらされている現実で、それはあまりに難しい。

 だからそれは夢物語で、ティアが語ったことも空想だった。

 それでも少しだけ、下手に誤魔化そうとせず本心を言うティアが羨ましく感じた。

 エリーたちは今、まさにその夢物語のような旅をしている。


「だからエリにゃん、お困りのときはすぐにでもあっしに言ってください。ティアにゃん、って呼んでいただければ、一瞬で駆け付けますよー」

「それは無理。……人として」

「あれ!? デジャブ!?」


 相変わらず騒がしい少女と話しながら、エリーは久しぶりに漫画の世界に旅立った。

 打合せが後ろ倒しになり続けていることからくる、現実逃避でもあったが。


―――**―――


「ここにはその刀以上のものはおいていないぞ」

「……いや、見ていただけだ。それに、そうは言ってもなかなか上質だろう」


 鉄の匂いが漂う店の中。ティアの部屋から逃げるように降りてきたサクが、ようやく先ほどの漫画のショックから立ち直った頃、ひとりの男が店の中へ入ってきた。


 年は三十代から四十程度。屈強な体躯に、ぼさぼさの髪に無精ひげを蓄え、目つきは鋭い。

 白いタンクトップが煤で汚れた様子を見て、サクは先ほど会ったティアの母を思い出した。


「今日は店仕舞いのはずだが、開いていたか?」

「……やはりここの主人か。邪魔をしている。先ほど奥様にも会ったよ。私たちは、娘さんをここに連れて来たんだ」

「ああ、あんたらが娘を」


 母の様子とは対照的に、その男は落ち着いた物腰で歩み寄ってくる。

 鋭い視線は、たびたび腰に下げた愛刀に向くが、サクは不快感を覚えなかった。

 こうした職人ゆえの雰囲気には馴染みがある。


「グラウス=クーデフォン。ここの店主だ。娘が世話になった」

「……サク、だ。ファミリーネームは、無い」

「……」


 ほんの僅かに眉を寄せ、しかしグラウスは何も言わなかった。

 そして今度こそ、その瞳でサクの愛刀をじっと見てくる。


「立派な長刀だな。……見せてもらってもいいか?」

「……ああ。留守中、家に上がった詫びもある」


 主君以外にはあり得ないのだろうが、サクはあっさりと刀を鞘のまま抜き、グラウスに手渡した。

 もしかしたら自分は単純なのではないかとサクは思った。

 あのティアの親とは思えないほどの落ち着いた佇まいに、妙な信頼を寄せてしまっていた。

 グラウスは、鞘を眺め、ゆっくりと引き抜き刀を眺め、真剣な眼差しのままそれを収めた。

 妙な緊張感を覚える。


「タンガタンザ製、か。お前、サク、だったか。“あの武家”の生まれか?」

「……その話はしたくないのだが、分かるのか?」

「カマをかけただけだ。だが、当てずっぽうに言ったわけじゃない。俺も昔そこで腕を磨いたからな」


 サクは何も言わなかった。相手がどれほど信頼できようが、その話はするつもりが無い。相手の問題ではないからだ。

 だがグラウスはそれ以上聞き出すつもりもないらしく、サクに刀を差し出した。

 受け取ろうとすると、グラウスが力を込めているのに気づいた。


「手入れは完璧だが、随分刃零れがあるな」

「……それは私の未熟さ故だ」

「そうか。……娘を助けてもらった礼だ。この刀、鍛え直してやろうか?」

「できるのか?」

「ここは鍛冶もする。このまま旅を続けたら、この刀、折れるだろうな」


 サクが小さく頷くと、グラウスは刀を持って店の奥に歩いていく。

 背中から見ても姿勢がよく、屈強な身体付きが妙に目に付いた。


 ティアの母の話では、この男は元魔術師隊だったそうだ。

 サクは旅の途中、何度も魔術師隊の者たちを見てきたが、グラウスはその中でも上位の部類の魔術師だろう。

 武器屋を営んでいるのに違和感があるほどの雰囲気がある。


 背後を歩くサクに対しても一定の注意を払って進んでいるように見え、まるで隙が見当たらない。

 とてもあのティアという少女の父親には見えない。


 だが、ふと、サクは気づいた。

 この男はグラウス=クーデフォンと名乗った。

 対してその娘はアルティア=ウィン=クーデフォンだ。

 ミドルネームは親から継がれるか、親が変わった場合に付くのがこの世界では一般的である。

 母親の方の名は聞いていないが、あるいは。


「そうだ、ティアは?」

「上にいる。私の連れと談笑中だ」

「そっちも、あんたみたいに強いのか?」

「…………そんなところだ」


 サクにとって、というより、今の自分たちの面々にとって難しい質問だったのだが、グラウスの方は単なる世間話程度だったらしく、それ以上は何も言わなかった。

 炉に火を付け、よどみなく焚き木を投げ込み、手際よく準備を進めていく。たまに漏れる魔力の色は、サクと同じく金曜属性のそれだった。

 こうした仕事は、やはりこの属性が向いている。

 ひと通りの準備を終え、グラウスは炉の前に座り込んだ。炉が温まるのを座り込んで待つつもりらしい。

 グラウスがその位置に座り込んだと途端、サクには乱雑に見えていた器具が持ち主の体躯に合わせた位置で整列しているように感じた。

 愛刀の修復をこの男に任せたのは正解だったらしい。


「……娘に会わなくていいのか?」

「あれの失踪は今に始まったことじゃない。誰かの役に立つ、って言いながら、どこまでも走っていくような奴だ」


 分かるだろ、とう表情で、グラウスは首だけで振り返った。

 たった一晩共にいただけの相手でも、娘のことを相手が分かっているだろうという確信を持っているようにも感じる。

 事実そうだった。

 サクの耳にもあの大声と、どこまでも駆けていく彼女の姿がすぐにでも脳裏に浮かんでくる。


「変わらんよあれは。義兄によく似ている」

「……そうか」


 金曜属性の両親の、水曜属性の娘。

 それはやはり、そういうことらしい。


「あんたも金曜属性か?」

「ああ。……だが、私は魔術の方はからっきしだ」

「そうか。珍しい、と言うべきだろうな」


 グラウスはそこで話を切り、立ち上がった。

 炉は十分温まったらしい。

 意図を察し、サクは足元にあったバケツを拾い上げて差し出す。流れるように受け取ると、グラウスは水場に向かっていった。


「大分熱くなるぞ。そこに立っているのは辛くなる」

「見るのは慣れている。それとも気が散るか?」

「お前で気が散っていたらティアの親は出来んよ。……随分執着があるみたいだな、刀に。目を離したくないか」

「……そんなところだ」


 下手に誤魔化すのを止め、水を汲むグラウスにそう言った。

 頭にタオルを巻き付け、グラウスはバケツを持って再び炉に向かっていく。


 炉の様子を伺いながら、刀を抜き、破損個所を真摯な眼差しで見つめるグラウス。

 その後ろ姿が、サクの脳裏で過去の何かと重なった。


 そして。


「火事だぁぁぁあああーーーっ!!!!!?」


 爆弾のような大声にサクの追憶はかき消された。

 グラウスの言う通りだった。恥ずかしい。自分が立って見ている程度で、この環境で仕事をしてきたグラウスに影響を与えるなんて過信するとは。


「ティア。仕事中だ」

「え!? わわ、おっ、お父さんでしたか!! びっくりしたびっくりした……、あ。おかえ……ただい……、おかいま!!」


 一層明るく元気よく、両手を上げて騒いだティアに、グラウスは振り返りもしなかった。これがこの家族のいつもの光景なのだろうか。ティアも変わらずにこにこしている。その後ろから、エリーがおずおずと顔を出した。


「お、お邪魔しています」

「……ん。おお、あんたもティアを、」

「そうだそうだそうですよ! ご紹介しますよお父さん。エリにゃんとサッキュンです!!」

「ティア」

「うっ」


 グラウスがちらりと睨むと、ティアは静かになった。

 こうした光景は、やはりこの家族の日常なのかもしれない。


「……ええと、どういう状況?」

「彼が私の刀を鍛え直してくれるらしい。ありがたいことだ」


 小声で聞いてきたエリーはグラウスの様子をちらちらと伺っていた。無理はない。グラウスはすでに作業を始めていて、その背中に気軽に声をかけるのは躊躇われた。

 ギャラリーが増えてもグラウスは目の前の武器に、つまりはサクの愛刀に集中し、修復を淡々と続ける。その手際に一切の淀みは無い。

 サクにとってはありがたい。このまま作業を続けてもらえれば、自分の刀は修復される。だが、一時委縮して黙り込んだティアが、うずうずとしている様子が目に入った。

 本当に分かりやすい少女だ。騒ぎ出そうとしているのがすぐに分かる。


「……ティア。お前に頼みたいことがある」

「はい!! お任せください!!」


 どうしたものかとサクが思案していると、グラウスの低い声が響いた。


「買い物だ。表通りの雑貨屋に、いつものと言えば分かる。ついでに街の様子も見てきてくれ、ゆっくりでいいぞ」

「おうさっ、私にっ、ま、か、せ、と、けーーーっ!!!!」


 サクは、凄い、と2回思った。

 ティアの厄介払いを心得ているグラウスと、それに気づけず迷わず買い物に出かけようとするティアの頭に。

 サクは僅かに身を捩ると、またグラウスの仕事を見守る定位置に戻った。

 ずんずんと店の外へ進んでいるティアは、エリーの腕をがっちりと掴み、意気揚々と歩いていく。


「ちょ、ちょっと」

「一緒に行きましょうおふたりとも! いろいろご案内しますよ。……って、あれっ、サッキュンがいねぇぇぇえええ!?」


 店頭まで進んでようやくサクがティアの手を回避したことに気づいたらしい。

 エリーには悪いが、自分は武器の修復を見届けたいのだ。

 小さく手を振ると、エリーが恨めしいような表情を浮かべたが、恐らくティアの相手に向いているのは、同レベルのサクの主君か、面倒見の良いエリーだろう。

 サクにとっては放っておくのが吉だ。


「むぅ、まあ、いいでしょう。ではエリにゃん、行きま―――へうっ!?」


 嵐のような騒がしさがやっと静かになると思ったのだが、その低気圧は突如開いた店のドアに頭を打ち付けた。

 客が来たのか、と様子を伺いに行くと、その見知った顔にサクは目を見開く。


「ぅぅぅ……、え、あ! エレお姉さま!! ……へ?」


 エレナの後ろには、アキラやマリスもいる。

 行方知らずだった3人は、宿の伝言を聞いてここに来たのだろうか。

 だが、仲間を探しに来たという割に、エレナの瞳はいつも以上に冷え切っていた。目の雨で倒れ込んでいるティアを今にも殺しかねないと思うほどに。


「……、ちょ、ちょっと、3人とも今までどこに」

「あんた、水曜属性だったわよね?」


 エリーの言葉も無視し、エレナは表情のままに冷め切った声を出した。

 様子だけを見れば店を襲撃しに来たかとしか思えないエレナに、しかしティアの顔がパッと明るくなる。


「おっ、そうですそうです!! エレお姉さま!! あっしに何か御よ―――いだっ!? いだだだだだだっ!!!?」

「これで6人、と」


 ティアの顔を口ごと掴み上げ、宙づりにしながらエレナは店の中を見渡していた。

 ちらりとサクの顔を認めると、ティアを掴み上げたまま、今度は店の外へ向かおうとする。


「ちょっと、ええと、マリー? なに、何かあったの?」

「それが、自分たちは、」

「さ。次は土曜属性ね。適当に見繕うわよ」

「エレねー、それはともかく、そろそろ離さないと……」

「……きゅぅ……」


 エレナが思い出したように解放すると、失神寸前だったティアは蹲って荒い呼吸を繰り返していた。ティアの相手は、もしかしたらエレナが最も向いているかもしれない。強制的に黙り込ませることが出来るのだから。

 そんなティアの様子には目もくれず、エレナは店を出ていこうとする。一瞬見えたその瞳は、次の獲物を探す狩猟動物のそれだった。


「ストップ!! 何!? 何が起きてるの!?」


 エリーは叫び、サクは静かにアキラに視線を投げた。彼は珍しく何かを考え込んでいるようだ。

 どうせまた、何か起こったのだろう。


 サクは不安になった。

 ティアもティアだが、この面々なかなかどうして賑やかである。


 グラウスの仕事の邪魔にならなければいいが。


―――**―――


「門番たちの睨みも意に介さず、“勇者様一行”はヘヴンズゲートに踏み込んだ。長い階段を何とか上り、白く巨大なドアの前で振り向けば、まさに壮観。小さく見える町並みは、いたるところから願いの声が聞こえてくるようだった。『魔王を倒してくれ』。そう、祈るような声が、確かに聞こえる。足元の悲痛に歪む人々の顔も僅かに明るくなった。それは、勇者の到来に、魔王への積年の恨みが晴らされる足音が聞こえてくるとでも言わんばかりの―――「ねーさん、もう少しそっちに行けないっすか?」―――「あ、ごめん、って、あたしもこれ以上、ああっ、本がっ、」―――「うわわっ!! すみませんっ!! いやいや狭くて済すまんねぇ」―――希望に満ちた顔だ。そして、重々しくも、確実に、巨大なドアが開いていく―――「ねえ、お邪魔しといてなんだけど、客間とかなかったの?」―――「はっ!? その手があった!!」―――「いいわよ。今さら移動すんの面倒だし。それよりこの空間で喚かないでくれない?」―――「アイアンクローはっ!! アイアンクローだけはーーっ!!」、…………」


 アキラが最初にティアの部屋を見たときは無理だと思ったのだが、敷き詰めれば意外と収まる。

 愛刀を修復してもらっているらしいサクを除き、計5人。

 漫画と思しき書物が散乱している空間で、何と顔の尾の居場所を見つけて座り込んでいた。


「で。何があったの? 特にエレナさん」

「今それを説明してんだろ」

「どうもこうもないわよ」

「無視はよくないな、無視は」


 エリーは器用にも、これほど狭い空間で、アキラを視界から外す術を心得ているらしい。

 だが、話しかけている相手は、アキラは失敗していると思っていた。

 今のエレナは機嫌が最悪だ。


「ほんっっっとに、あっっったま硬いっつーの、あの門番!!」


 申し訳程度に出された目の前の小さなテーブルを叩き割る勢いでエレナは拳を突き立てた。

 アキラもびくりと震えた。こうなった原因の一端は自分にある。いきなり家に押しかけられ、カタカタと震える羽目になったティアに申し訳ない気持ちが浮かぶ。


「……マリー。お願い」


 この状態のエレナに話を聞くのは命に関わるとようやく判断してくれたのか、エリーは妹を頼った。

 マリスは部屋の隅に押し込められ、窮屈そうに身じろぎすると、いつものように半分の眼で窓の外を眺める。

 先ほどアキラたちが訪れた天界への門の方向だ。


「実は自分たち、話の流れで神族を訪ねようとしたんすよ」

「みんなで行きましょうって言わなかった?」

「……そこで何故俺を見る」

「まあ、入ろうとしたのはにーさんなんすけど」

「ほーら」

「お前嬉しそうだな」


 全く信用されていないことがよく分かった。

 マリスに案内されていったとはいえ、確かに入ろうとしたのはアキラである。

 だが、すでにアキラは、烈火の如く怒るエレナの様子に、あの岩山にいたときに覚えたもどかしさを手放していた。


「それで、入ろうとしたんすけど」

「なんて言ったと思う? あの門番……!!」


 再びテーブルが叩かれる。衝撃で、背後に積まれた漫画がばらばらと崩れ落ちた。アキラの見立てでは後1発でこのテーブルは損壊する。

 だが、この場の誰もエレナの行動に口を挟めなかった。


「薄汚いものは消えろ、よ? ふふ。初めて言われたわ」

「エレねー、もう少し表現はソフトだったじゃないっすか」

「同じようなものでしょう。……街中じゃなかったらそれが奴らの最期の言葉になっていたわ」


 アキラたちは、結局のところ、岩山を守っていた門番たちに追い返されたのだった。

 エレナの記憶ほど酷いことは言われなかったが、アキラも少なからず憤りを覚えるような対応だったのを覚えている。

 こちらは“勇者様”だというのに、あの塩対応。

 エリーたちの故郷の村長ほど敬えとは言うつもりもないが、ここは優しい異世界なのだと思っていたアキラにとって、思った以上にショックだった。


「私はねぇ、下っ端なのに偉そうにしている奴らが大っ嫌いなのよ。……大体、こっちにはアキラ君もいたのよ? 何で入れないのよ」


 その理由を、アキラはここまでの道中マリスに教えてもらっていたのだが、エレナは半分も聞いていなかったらしい。

 ただ、門番の話やマリスの話から、とりあえず、アキラには、いや、この面々には、“宿題”が課せられていることだけは分かっていた。


「まあ、“人間が言う勇者様”に、神族もいちいち会ってられない、ってことなんすよ」


 マリスがエレナをなだめるようにゆっくりと言った。

 その言葉に、エリーも眉をひそめていた。彼女も“勇者様”というものがどういうものか漠然と捉えていたのだろう。


「ほら、“勇者様”って何人もいるじゃないっすか」

「……え? ごめん、もう1回言ってくれる?」

「だから、勇者様って何人もいるんすよ。……ほら、自分たちの村ですら、村長が、何年かに1度勇者を輩出しているじゃないっすか」


 エリーが思い出したように目を大きくした。

 アキラも何となく聞いた覚えはある。別段意識していなかったが、つまりはあの村ですら、アキラの先輩にあたる勇者が排出されていたことになるのだ。

 また妙な後付け設定だった。今まで勇者ともてはやされてきたというのに、急に特別感が無くなってくる。


「色んな村で、街で、地方で、大陸で。勇者様っていうのは現れているんすよ。中にはちゃんとした人もいるだろうけど、正直ピンキリで」

「じゃあ、こいつは」

「お前今下の方だろうな、って思ったろ」


 一応踏み留まれたのか、エリーは視線を外すだけにしてくれた。その態度で答えは分かるのだが。


「暴論っすけど、“勇者を名乗ったらもう勇者”ってことになるんすよ。神族にしてみれば、そんな人たち、全員通していたら切りないっす」

「……でも、“勇者様”には最大限の敬意を、って“しきたり”にあるじゃない」

「ああ、お前が気にも留めていないやつな」

「それは人間たちに課した“しきたり”っす。だけど今回は、神族相手っすからね。少なからず“証”が無いと」

「証?」

「そう、一応、神族から見ても勇者様と認められる条件がいくつかあるんす」


 また無視された。

 だが、アキラはふと自分が過去に関わった事件を思い起こす。

 なかなかの大事件が立て続けに起こったと思うのだが、マリスが見せてくれた地図を考えると、この広い世界のごく一部の場所で起こったものばかりだ。

 世界から見てどれくらいの事件だったのかすらアキラには分からない。

 そうなってくると、“自称勇者”と言われても、何も文句は言えなかった。


「だから私は、んな面倒なことしてないで、門番ごと入口にぶっ飛ばせって言ったのよ。アキラやマリサスならそれが出来んでしょう。これが証だーって言い放ってやればいいわ」

「エレねー。そういうことをする存在を、人呼んで魔王って言うんすよ」

「……エレお姉さまの荒れ方が半端ないですけど」

「自分も止めるのに苦労したっす」


 一向に機嫌が治らないエレナにマリスはため息を吐いた。

 本当にマリスについてきてもらってよかったと思う。恐らくアキラだけでは、今頃展開への門周囲で死傷者が出かねない騒ぎを起こし、このヘヴンズゲートを逃げるように後にしていた可能性すらある。


「証……、証、ね。あれ。でもこいつ日輪属性でしょ? それは駄目なの?」

「歴代の勇者を見ると、確かにほとんど日輪属性っす。でも、中には日輪属性じゃない勇者もいるんすよ。別の道を見つけて、魔王を討った人たちが。だから、日輪属性、ってだけじゃ、絶対に勇者とは言えないっすね」


 道中マリスに聞いた話は、アキラの中でも未だに納得しきれていなかった。

 この異世界に落とされて、あの村で勇者ともてはやされたまではよかったのだが、村の外に出た途端、急にその他大勢になったような感じがするのだ。

 希少らしい日輪属性だが、この世界のどこかには同じ力を持った者がおり、勇者の証としては不十分。

 そしてそもそも、勇者というのは名乗ればなれるものらしく、下手をすれば街中ですれ違った中にも同業者がいたかもしれない程度の存在らしい。


 誰の目から見ても文句の付けようのない勇者というのは、まさしく魔王を倒した者だけなのだろう。

 そうなると、勇者を名乗るのが恥ずかしくなってきたような気もする。

 だが、一応、勇者と認められるだけなら、魔王を倒すより早く達成できるらしい。

 物語には段階がある。勇者になるためにはステップを踏めばいいのだ。

 それが、マリスの言う“証”だ。


「とにかく、私はあの門番たちをぶっ殺さないと、」

「エレねー、本当にやりかねないから止めて欲しいっす。あそこを通らないと、ってさっきは言ってたじゃないっすか」

「はっ、そうね……。あいつらを上から見下さないと収まんないわ。……というわけで、ティア、だっけ?」

「ひっ!?」

「あんた、私たちと一緒に来なさい」

「……………………へ?」


 エレナの殺気を孕んだ睨みに硬直していたティアは、恐る恐る首を傾げた。

 そう。自分たちへの“宿題”には、このティアも関わってくる。


「エレナさん、さっきも言っていたけど、それって、」

「……七曜の魔術師」


 アキラは聞きかじった言葉を口にした。

 今度は無視されなかったようだ。

 自分に視線が集まるのを感じながら、アキラは、ものの見事に属性が異なる彼女たちを眺めた。


「それぞれの属性の魔術師を集めれば、それが勇者の証になるらしい。つまり、日、月、火、水、木、金、」


 順々に指差し、最後は1回のサクで指を止めた。


「あとは土曜日だけ。お決まりっぽいよな」

「土曜“日”って……」


 エリーは呆れかえった表情で見返してきたが、流石にアキラも面倒な宿題が生まれたと感じていた。

 魔王討伐を志す、それぞれの属性の魔術師を集めること。

 特に日輪属性と月輪属性は希少らしく、現にアキラも、ここまでの旅で自分とマリス以外に噂すら耳にしていない。

 そこまでして、勇者だと名乗れば、確かに神族にも認められる“証”に相当するのだろう。


「あれ。えっと、あれ。……こ、これは、もしや」

「あん? あんた水曜属性でしょう?」

「う、うぉぉぉおおお……!! あっしの出番ですね!!」

「ええ。ま、あの階段上るまでの短い付き合いだけどね。あとは誰でもいからその辺の土曜属性の奴かっさらって、事が済んだら一緒にその辺に捨てればいいし」

「ひどっ!?」

「悪いけど私、水曜属性と土曜属性の人、その属性ってだけで嫌いなのよね」

「それ本当に悪いっすよ」


 エレナにじゃれつき、相変わらず絞められているティアを見ながら、アキラはじっと考えた。


 さっさと魔王を倒そうと考えていたアキラにとって、手順が増えるのはあまり歓迎したくはない。

 土曜属性というのも、巨大マーチュやゲイツのせいで、あまりいい思い出は無かった。


 だが、それと同時に、アキラには予感があった。

 すべての属性の魔術師を集めるというのは、まさにお決まりの展開だ。

 となるとこの優しい異世界は、そうした手順をきちんと踏めるようになっているのではないかと思える。


 そして、すでにティアを入れて5人の女性と行動を共にしているのだ。

 ならば残るひとり、土曜属性の魔術師も、女性かもしれない。いや、定番なら間違いなくそうだろう。

 そう考えると、きっと旅の中、もうひとつ運命的な出逢いが待っていることになる。

 本当にハーレムを達成してしまうかもしれない。

 アキラは拳に力を入れた。だが、顔がにやけてしまう。


「……気持ちわる」

「お前は本当に見逃さないな」


 エリーの軽蔑したような目を受け、表情を正し、アキラはエレナよりずっと優しくテーブルに拳を置いた。


「探すぞ。土曜属性の魔術師」


 エレナには悪いが、もはや神に逢えるかどうかは、アキラの中では二の次だった。


―――**―――


「あとは魔術だ」

「……!」


 グラウスが鍛え直したサクの刀に手をかざした。

 サクも手入れでよくやっている、金曜属性の魔力による武器の補強。イエローの光が答申を包んで、沁み込むように消えていった。


「どうだ?」

「流石の手際だな……。魔術師隊にいただけはある」


 この場合は、鍛冶屋としての腕を褒めるべきだったかもしれない。

 毎日丁寧に手入れしていたつもりだったが、グラウスに鍛え直してもらうと、別物のように見えた。

 お礼ということで修復してもらったのだが、この出来なら金を払ってもいい。


「気に入ってくれたようで良かった。……お前は上に行かなくてよかったのか?」

「今から行くつもりだ。本当にいい腕だ。ありがとう」


 腰に刀を収めると、いつしか聞かなくなっていた澄んだ音が響いた。

 生き返ったような愛刀の様子に思わず顔がほころぶ。武器の手入れは習得しているつもりだが、本格的に鍛冶を学ぶのも面白いかもしれない。


「……ひとつ、いいか?」


 サクが階段に足をかけたところで、グラウスに呼び止められた。

 彼は、また炉の前に座り、炭になりきっていない焚き木をかき出していた。


「あんたら、ティアを連れていくのか?」

「……!」

「さっき、お前の仲間が来たとき、そんなようなことを言っていたろ」


 エレナの言葉はグラウスにも聞こえていたらしい。

 細かな事情を今から聞こうと思っていたのだが、あえて今聞いてきたグラウスに、サクは階段にかけた足を戻した。


「……もしそうだとしたら、いいのか?」

「旅に出るか出ないかは、俺が決めることじゃないだろう。別に珍しいことじゃない。……ただ、ついていくなら、あんたみたいな奴がいる方がいい」

「……」


 ガリガリと炉をいじるグラウスは、振り返る気はないようだった。

 別に珍しいことじゃない。

 世間一般から外れていると思っているサクだが、その言葉の意味は理解できる。


 アルティア=ウィン=クーデフォンの年頃は、そろそろ明確な職を見定める頃合いだ。

 一応は魔術師であるようだから、手に職を付けるよりも、依頼を請けて魔物を倒すか魔術師試験の勉強を始めるのが通例だろう。

 あの部屋を一目見れば、彼女が魔術師を目指していないのは分かる。

 そうなると、まずは旅の魔術師になるのが適性のような気もしていた。各地を周り、経験を積んでから、さらなる将来のことを考えるのもまた通例だった。


 だが、サクはグラウスの心境が分かっていた。

 短い付き合いのサクでも分かる。あの少女は、ひとりで旅をするのは向いていない。

 自己管理うんぬん以前に、厄介事に迷わず首を突っ込む性分なのだ。


「元気だけが取り柄でな。……人の役に立ちたいと言っているだけで、やりたいことも本人が分かっていない。たびたび町の外まで駆け出していって、数日戻ってこないのも当たり前」


 それが、グラウスから見た娘の様子だった。

 そしてそんなことをされれば、“親”はどう思うだろう。サクは、それも自分が世間一般から外れていると思っているが、理解はできた。


「あいつはな。いつか必ず、“やらかす”。治癒魔術が使えるからか大事には至っていないが、いつか必ず、だ」


 確信めいた物言いに、サクも心から同意できた。

 彼女からは自分の身の丈も分からないまま、危険なものに飛び込んでいく危うさを覚える。

 現にティアは、“やらかしかけた”。

 目の前のものだけを追い続け、“魔族”に遭遇したのだ。


 表情の見えないグラウスは、もう必要ないであろうに、炉をかき回していた。


「ヘタレなのに、変に度胸だけはあってな。理想を追って、ただただ走って、甘くない現実を見ていない。その差は寿命から引かれるんだ」


 背を向けているグラウスの表情が見えたような気がした。先ほどのサクと同じように、何かを追っているような声色だった。


 もしかしたらそれは、サクに言っているわけではないのかもしれない。

 あるいは、ティアのことですら無いのかもしれない。


「あいつは本当に、義兄によく似ている」


 最後にグラウスがそう呟いたところで、店のドアが勢いよく開いた。


「あっ、あなたっ!! よかった、戻って来てたのね……!!」

「どうした?」


 入ってきたのはティアの母だった。

 髪を振り乱し、息を弾ませ、一心不乱にグラウスに詰め寄ってくる。


 ただ事ではない様子に、サクは鋭く店の外に視線を走らせた。

 そして痛烈に感じる、“魔力の気配”。


「魔物だ!!」

「ああ……!」


 サクとグラウスは弾かれたように店の外に飛び出した。

 そして同時にびくりとする。


 ランドエイプやクンガコング。

 依頼では姿を見なかった野犬のような魔物までいる。

 それが、我が物顔で街を歩き、いたずらに街灯や建物を殴り付けていた。

 建物からは蜘蛛の子を散らすように人々が逃げ惑い、いたるところで悲鳴が上がっている。

 先ほどまで平穏だったヘヴンズゲートは、いつの間にか多数の魔物のテリトリーと化していた。


「まっ、魔術師隊は何やっていた……!? それに街の防御策は!?」

「それが、急に大量に押し寄せたみたいで、あっという間に突破されたって……!!」


 グラウスの怒鳴り声に、ティアの母が緊迫した声で返した。

 だが、ふたりとも魔物との距離は一定に保ち、互いの死角を補うように立っている。

 元魔術師隊と言うだけはあり、ふたりとも腕に覚えはあるようだ。

 こうなると、ティアの母がここに戻ったのは、避難誘導ではなく、戦力確保と見るべきだろう。


「グラウスさん」


 ならばサクも、この事態の鎮静に当たった方がいいだろう。

 即座に店の中に戻り、素早く目を走らせた。

 そして目を付けていた剣に手を伸ばす。


「なんだ!?」

「この剣、いくらだ?」


 怪訝な顔つきになったグラウスに、サクは見繕った剣を掲げて見せる。

 気づかなかったが、それなりの値段が商品棚に刻まれていたのが見えた。

 自分の目利きもなかなか達者らしい。


「? お前?」

「いや、これは私用じゃない」


 奥の階段から騒がしい足音が聞こえてくる。

 その中にひとり、手ぶらの男がいるのだ。

 今の急務は戦力確保。


「これは私の主君用だ」


―――**―――


 ゴギュ、と気持ちの悪い音が響いた。

 エリーが恐る恐る視線を送ると、すでに原形を留めていない魔物がボトボトとエレナの足元に落ちる。

 戦闘不能の爆発も、魔力を根こそぎ吸い取られていては、耳をそばだてても音すらほとんど聞こえなかった。


「……で? 次は?」


 エレナの冷めた瞳に僅かにでも理性のある魔物たちは尻込みし、本能そのままに行動する魔物たちは離脱を試みる。

 ヘヴンズゲートに突如として表れた魔物の群れたちは、不運なことに、彼女の不満の刷毛口になっていた。


「ようっし!! みんなエレナから離れるな!! ここは安全だ!!」

「あんたも戦えって!!」


 そのエレナの近くで騒いでいる男が目に留まったので怒鳴りつけ、エリーは目の前の魔物を殴り飛ばした。

 エリーを襲うために接近してきたのか、エレナから逃げた末に行きついたのかは分からないその魔物は、吹き飛んで民家の壁に激突する。

 有事ではあるが、目を覆いたくなるほどの傷跡を街並みに残し、エリーはつい、見られていなかったか周囲を伺った。


 店から飛び出た直後、エリーたちは即座に行動を開始した。

 通常、村や町には魔物対策の罠に守られている。ヘヴンズゲートほどの規模となるとなおさらだ。

 だが、このアイルーク大陸は他の大陸と比べると魔物の脅威は低いらしい。目の前を埋め尽くす魔物の群れが一斉に襲ってくれば、機能しないこともあるのだろう。


 そう。これは異常事態だ。

 それも、クロンクランで見たように、大型の魔物が忍び込み、そこから発生したものではない。

 クンガコングやランドエイプ、そしてレッドファングという野犬のような姿の魔物もおり、樹海に生息する魔物たちが一気にこの街に襲い掛かってきたのだ。

 野良の魔物は、そういう行動をほとんど取らない。


 また異変が起きている。

 そうは思うが、目の前のことに対処せざるを得ず、他のみんなとも散り散りになってしまった。

 一際魔物の討伐が進んでいるエレナの位置は、やたらと目に付いたが。


「うぉぉぉおおおーーーっ!! エレお姉さまめちゃめちゃ強ぇぇぇえええーーーっ!!!!」

「あら。次はあなたね」

「わわわっ、ヘルプ!! ヘルプ!!」


 もうひとり居場所が分かった。

 あるいは魔物以上にエレナから距離を取ったティアが、悲鳴を上げながら駆けていく。

 危なく魔物に襲われそうになるも、逃げた先にいたアキラが即座に切り裂いた。


「わっ!? アッキー、助かりました!!」

「お前も戦えんだろ!?」

「へ? ……あっ、そうですそうです!! よっしゃ任せろ!!」


 思い出したようにティアが放った魔術が魔物を打ち抜いた。

 4人の位置は概ね掴めた。

 姿の見えないのはマリスとサクだが、あのふたりなら問題は無いだろう。

 異常事態ではあるが、魔物自体はさして強くない。

 大型のクンガコングには注意が必要だが、所詮有象無象である。

 だからこそ問題なのは、何故勝機もないのに街をこの魔物たちが街を襲ってきたのかだが。


「これはもしかしてあれですかね!? 昨日の魔族の弔い合戦ですか!?」

「やっべ、まじでそうっぽい!!」


 魔物の雄叫びよりもエリーの気を散らせるふたりの声が届いてくる。

 アキラの視線を追うと、まだまだ魔物たちがこちらに向かって駆けてきていた。


 エリーの頬に汗が伝った。

 昨日アキラが撃破した魔族、リイザス=ガーディラン。

 あの魔族は、魔王直属だと言っていた。

 魔王軍の事情は分からないが、それこそ異常事態だろう。リイザスが討伐されたことを受け、魔物が凶暴化したとしてもおかしくはない。

 下手をすれば魔王そのものが攻め込んでくる可能性すらある。


「なあっ、俺悪いことしてないよな!?」

「はい!! あれはあれでばっちりでしたぜ!!」

「……ああもう、いい加減集中して―――」


 騒ぎ続けるふたりに、エリーは怒鳴りつけようとした。

 だが、アキラもティアも、手際よく魔物を討伐していく。


 エリーは素直に感心した。

 あのアキラが真面目に戦っている。

 サクに手渡されたばかりの剣を操り、的確に魔物を斬りつけ、それでいて深追いはしていない。昨日ようやくまともに戦えるようになったばかりなのに、あの魔族戦が何らかの糧となったのか、防御膜も、身体能力強化も、淀みなく発動させていた。

 そしてティアの方も適宜魔術を放ち、アキラの動きをフォローするように立ち回っていた。


 頭のレベルが近いだけかもしれないが、意外にも息が合っている。

 魔術の腕はともかくとしても、ティアは曲がりなりにも依頼を見学してきたアキラより経験は薄そうだ。

 だがそれを補うようにアキラは立ち回り、そしてティアもそれを見て合わせるように行動している。

 ティアはアキラが敵を討つたびに大げさに褒めたたえ、アキラも気分が良さそうだ。

 エリーはなんとなく、目の前の魔物を思い切り殴った。


「……ある意味いいコンビかもね」

「え、ひっ」


 変な声がエリーの口から出た。

 背後からの声に振り返れば、エレナが変わらず魔物を絞め殺しながら立っている。

 見るも無残な魔物の顔が脳裏に焼き付いて、しばらく忘れられそうになかった。


「ま、今は放っておきましょう。……あっちと違って、陸路は大変なんだから」

「あ……!」


 エリーがエレナの視線を追って見上げると、建物の間に見える空に、シルバーの飛行物体が通った。

 時折雷のように降り注ぐ閃光が見え、それに合わせて各地で爆音が聞こえる。

 エリーが思っていた以上に遠くまで魔物の被害が広まっているようだが、あの自慢の妹が大概は処理しているようだった。


「ちっ、いいわねぇ、楽そうで」


 機嫌が治りきっていないのか、エレナが掴んでいた魔物を乱暴に投げ飛ばすと、別の魔物が物理的な遠距離攻撃に成す術なく魔物が爆発する。

 そして今度は気だるげに近くの魔物に放ったその蹴りは、当然のように命を奪った。

 エレナが少し動くだけで、魔物が虫のように吹き飛ばされて消えていく。


 エリーはエレナの動きを横目で見ながら、改めて戦慄する。

 木曜属性は、身体能力の強化に長けた属性だ。

 だが、エリーの知る限り、こんな“化け物”とも呼べるほどの力を持つわけではない。


 クロンクランではあの巨体のオーガースを片手で締め上げ、依頼ではクンガコングを蹂躙し、今は攻撃ではないような所作ですら魔物にとっては必殺の一撃となっている。

 魔力にあかせた、強引で、暴力的な戦闘は、間近で見てさえ、とても人間ができるものとは思えない。

 その上エレナは、魔力どころか命すら奪い取るキュトリムという魔術を操るのだ。


 ほんの少し旅をしただけで分かる。

 エリーの妹と同じく、エレナほどの魔術師は、この世界に片手で数えるほどしかいないだろう。


 もし仮に、本当に自分たちが“七曜の魔術師”を集め、打倒魔王を目指すとしたら。

 木曜属性の魔術師はエレナ=ファンツェルンしかあり得ない。


「っ、ノヴァ!!」


 何故か脳裏を蝕むように悪寒が浮かんだ。

 それを払うように魔物を殴り付けると、魔物は倒れ、四散した。

 エリーはエレナとは違い、技術も用いて敵を攻撃している。だが、隣にエレナがいると分かる。自分の攻撃は、エレナが雑に手を払った程度の攻撃より、はるかに劣る。


「ふっ」


 エリーは逃げ出すように駆け出した。裏通りの魔物はあらかた片付いた。

 これ以上魔物の群れに付き合ってはいられない。

 今度は表通りで戦っているらしいマリスと合流し、さっさと終わらせてしまいたかった。


「……?」


 表通りに出て、エリーは足を止めた。

 案の定、いたるところに魔物がいる。


 だが、その場所の異様な雰囲気は、人気の無かった裏通りとは違った。


 戦っている魔術師隊。町の警護団や旅の魔術師らしい者たちもいる。

 空からマリスが全体に目を光らせ、魔物たちにこれ以上の進軍を許してはいない。


 だから、それは別にいい。

 問題なのは、その他の住民たちだ。


 魔物たちが暴れ回る街の中、彼らは、逃げもせず、膝をついて、一心不乱にひとつの方向に向いている。

 固く握った両拳を掲げ、震わせ、目を固く閉じ、まるでそうすることが義務であるかのように祈り続けていた。


 彼らが向いている方向を、エリーはすぐに察した。

 このヘヴンズゲートのシンボルである、神族が住むと言われる岩山だ。


「恥ずかしいところを見られたな」


 ティアの父、グラウスが歩み寄ってきた。

 手に持った斧には魔物の返り血が付いている。

 後ろにはサクの姿も見えた。ふたりはこの表通りで戦っていたらしい。


「あれ、え、何をやっているんですか、逃げないと……!」

「あれがこの街の奴らの……、“癖”、だよ」


 エリーも、彼らが何をやっているのかは分かった。

 彼らは、神族に、神に、祈っているのだ。


 ヘヴンズゲートともなれば、神への信仰心も高いのかもしれない。

 エリーにとっても、神族は雲の上の存在だ。思わず祈ることだってある。


 だが、これは違う。

 彼らは何もせず、神の救いを待っているのだ。

 その本質は、祈りではない。“頼っている”。


「……はん。ほっときなさい。こういう奴ら、前にも見たことあるわ。珍しくもない」


 エレナが吐き捨てるように言った。

 いかにもエレナが嫌いそうな光景だ。

 そして彼女は、そんな光景はここに限らないと言う。


 エリーは動悸が収まらなかった。

 この街には、グラウスのように魔物に抗える者もいる。力が無くとも、逃げてくれる者もいる。

 だが、今、エリーの目に映る、祈るばかりで何もしない彼らも、確かにこの街の一部なのだ。


 当たり前に見えていた街並み。

 魔物の襲撃に遭って剥がれ落ちたそれが、あまりに薄っぺらく見えた。


 そう思うと、身体中が冷えていった。

 神族を敬い、“しきたり”に準じた生活。

 生まれてきてからずっと続けてきたそれに、エリーは一切の不自然さは感じていなかった。

 だが、異世界から来たアキラや、“しきたり”を気にも留めぬエレナと出逢い、目の前の光景が歪んでいく。


 自分が見てきた世界は、本当に、正しい世界だったのだろうか。


「ねーさん!! にーさんは!?」

「! マリー?」


 目の前に同じ顔が下りてきた。

 表通りは概ね制圧できたのか、空から戻ってきたマリスは、しかし息を荒げている。

 何をと思ったのも束の間、エリーの眼に、明確な脅威が映った。


 遥か遠方の空。

 黒雲のように巨大な塊が浮かび、接近してくる。

 東の空を一色で染めるそれは、大量の魔物の群れだった。


「は……?」


 あまりに馬鹿馬鹿しい光景に、エリーはしばし我を忘れた。


 巨大な獣王に翼が生えたような姿のザリオン。鋭く嘴を尖らせた巨大な翼竜を思わせるガブスティア。竜族の姿もちらほら見え、他にもほとんど名前も知らない獰猛そうな魔物が群れを成していた。

 それらはほとんど禍々しい赫の魔力をその身に宿し、急速にヘヴンズゲートに接近してくる。


 認識できた魔物ひとつとっても、今街を襲っている魔物とは一線を画す化け物たちだ。

 アイルークに存在していい魔物ではない。


 規格外すぎた。

 この街が、消滅する。


 容易に浮かんだその想像に、表通りの魔術師もすべて動きを止め、そして魔物たちですら、接近してくる絶対的な破壊に身体を硬直させていた。


「っ、ほんとに昨日の魔族の弔い合戦っぽいわね……!!」

「にーさんを探さないと……!」

「えっ、あ」


 エリーが頭を振って気を取り直したところで、背後の裏通りから騒がしい声と足音が聞こえてきた。


「あれ? みんな揃ってんじゃん」

「ぬおおおぅっ!? アッキーアッキー!! 空っ!! 空っ!!」


 空の光景にようやく気付き、アキラも顔を青ざめさせた。

 絶対に街への接近を許してはならない魔物の大群だということは理解してくれたらしい。


「来たわね。アキラ君、出番」

「え、あ、ああっ!!」


 エレナに肩を叩かれ、我に返ったアキラは右手に魔力を集め始める。

 そこで、アキラがちらりとエリーの方を見てきた。

 エリーは口を結んで、小さく頷く。

 事態が事態だし、それを使っても、彼はいつもの日々を選んでくれるのだ。


 自分も変わったものだな、とエリーは思う。

 今も周りで、逃げもせずに神に頼る人々が目に入るが、気にはならなかった。

 こちらも人頼りだが、その対象は、姿の見えない神などではなく、目の前にいる仲間なのだから。


「……っし」


 ヒダマリ=アキラが、具現化を現出させた。

 クリムゾンレッドのボディの銃。

 改めて見ても、玩具のような造りだった。ようやく、目を背けずに見ることができた。

 そしてアキラは、魔力を操り身体能力強化を施す。

 その行動には、エリーは細心の注意を払った。だが、随分と自然に発動することが出来るようになっている。


 アキラは銃を、空の赫の塊に向けた。


「いくぞ―――」


 全員が固唾を飲んで見守る中、アキラの銃から、巨大なオレンジの光線が射出された。

 膨大な魔力が、赫の大群を一瞬で飲み込んでいく。


 そのとき。


「―――!?」


―――その赫に、同じオレンジの光が、空から撃ち下ろされた。


「は……?」


 呆けた声を出したのは誰だったか。

 すべてを無に帰すおびただしい魔力の砲撃が、赫の大群を洗った。

 大気を揺らす爆音が轟き、目を焼く閃光がヘヴンズゲートを包み込む。

 だが、エリーには確かに見えた。


 二閃。


 赫の大群を襲った、“もうひとつ”の閃光を。


「っ―――」


 エリーは鋭く視線を走らせた。

 背後にそびえる巨大な岩山。

 その頂上を覆っていた雲が、巨大な輪を開けられ、不自然に漂っていた。


「お、おおお」


 街から、声が漏れた。

 逃げもせずに祈りを捧げていた群衆が、身体を震わせ、深々と頭を下げる。


 その岩山は、窮地を救ったその絶対的な存在の住処である。


「……あれ。えっと、あれ。俺、俺は?」

「いやいや、アッキー。あっしはちゃんと見てましたよ。すごいすごい」

「お前はいいよ。棒読みだし……」

「ひどっ!?」


 アキラとティアだけが空々しく騒いでいる。

 他の者は、目つきを鋭くして岩山を見上げていた。


 今の力は、初めて目の当たりにした“奇跡”。


 神による一撃だった。


―――**―――


『ああ、お前らは“そういうパターン”か』 


 エレナの機嫌が良くなり、そして、もっとずっと悪くなった。


 “門”に入った直後にそう呟きながら現れた男に案内され、アキラたちは宮廷のような廊下を歩いていた。

 岩山の中とは信じられないほど白く輝く廊下は、ここを歩く全員が横並び出来るほど広く、天井も透けているように高い。


 あの、赫をオレンジに染め上げた出来事の後。

 腑に落ちないながらも魔物の残党の対処をしていたアキラたちの元に、白いローブを纏った“使者”たちが息を切らせて訪れたのだ。

 慌ただしくもその男たちの話を聞くと、なんと、“神”が直々に“勇者”を呼び出したらしい。


 恐らく神もアキラの力を見ていたのだろう。

 流石にアキラも戸惑ったのだが、エレナの一言により、全員で神の元へ向かうことになったのだ。


 そのときのエレナの機嫌はとても良かった。

 笑みを絶やさず、アキラの腕に抱き着いてきたり、岩山に敷かれたように造られた階段を上るときは見上げることしかできない門番たちを、ゴミを見るような目で見下したりしていた。

 途中、すでに目的を達し終えたと引き返そうとしたエレナをなだめるのには苦労したが、少なくともアキラの言うことを聞いてくれる程度には、エレナは使者たちの態度に満足していたようだった。


 そして現在、エレナはにっこりと笑いながら、殺気を隠そうともしていなかった。


 門番への逆襲をやり遂げ、気分よく岩山の中腹に備えられた巨大な門をくぐったエレナの目の前に現れたのは、門番の態度など生易しい、人間を見下し切った様子の男だった。


 迎え入れられはしたものの、少なくとも前を歩く男に歓迎はされていないことがアキラでもすぐに分かった。

 白いローブに身を包んだその男は長身で、色が薄く長い髪を首筋で束ねている。よくよく見れば妙に白い肌の耳が、後ろからでも少し尖っているように見える。


 人間と言うにはあまりに妙な姿のこの男は、恐らく“神族”とやらなのだろう。

 人間に“しきたり”を広めたこの世界を収める種族である。


 神族の男は、アキラたちが入ってきたときに着いてくるよう促しただけで、名乗りもせずに歩き続けていた。

 エレナほどとは言わないが、この男の態度にはアキラも少なからず反感を覚えた。

 だが、どこまでも続いているように見える長い廊下、埃ひとつ落ちていない黄金の絨毯、壁や随所に上品に配置された神話を連想させる見事な絵画や精巧なアンティークの荘厳な空間で、姿勢をまっすぐに伸ばして歩く様は、異様なまでの雰囲気を纏っていた。


「……な、なんか胃が痛い……」

「…………俺もだ」


 緊迫した空気に耐えかねたのか、隣を歩くエリーが弱音を吐いた。

 エリーの気持ちには全くもって同意できた。

 もし不用意に動いてそこにある壺をひとつ割ったらいくらになるのか。そう考えるだけで周囲が地雷原になったような気もしてくる。

 そして、あのティアすら、目を見開いて下を向きながら歩いている。

 小市民の感性から言えば、高級品に囲まれているだけで息も詰まる思いになっていた。


 そしてその上で。

 壺のひとつどころか視界に入るすべての物体を壊しかねない、機嫌最悪のエレナがいるのだ。時折彼女が身じろぎしているのは、目の前の神族の男の隙を狙っているわけではないと信じたい。

 極度の緊張に、アキラは意識が遠くなりかけていた。


「そう緊張するな。その程度では主の前で立ってもいられない。不敬であるぞ」


 そんなアキラたちの様子に、嫌味のある表情で首だけ振り返った。

 改めて顔を見ると、確かに人と大差ないが、耳や目、鼻先や口といった顔を構成するパーツがそれぞれ微妙に異なるような違和感を覚える。

 だが、ある種異形との会話とも言える経験に、アキラはさほど感動しなかった。

 何しろ昨日、目の前の男よりもずっと攻撃的な異形と会話している。


「そういえば、さっきのどういう意味なんすか?」


 張り詰めた糸のような空気の中、間延びした声が聞こえた。

 姉の方はガチガチに固まっているが、マリスは相変わらず、とぼとぼと歩いている。


「さっきの、とは?」

「そういうパターン、ってやつっすよ。自分たちが入ってきたとき、言ってたじゃないっすか」


 神族相手でも、マリスの様子は変わっていなかった。

 いつもの調子のマリスには頼もしさを覚えるが、隣の姉がその様子にさらなる胃痛を患っていて、見ていられなかった。


「言った通りの意味だ。ここに招かれたお前たちは、ぞろぞろと群れを成した勇者一行。初代の勇者もそうだったらしいが、七曜の魔術師を集めるパターンは今までで一番多い」


 七曜の魔術師というものは、マリスの話にあった、勇者たる“証”のひとつらしい。

 別の形もあるとマリスは言っていたが、やはり七曜の魔術師がお決まりのパターンというやつなのだろう。

 だが、目の前の神族の男は、それを遠い昔から見ていたような、つまりはアキラたちをありふれた存在として捉えているようだった。

 またエレナの機嫌が悪くなり、そしてエリーの胃痛はもっと酷くなっていく。


「お前らは……、ひとり足りないようだが、まあ、主が通せとおっしゃるのなら仕方がない。人の身には過ぎた待遇だ」

「その主ってのは、さっき加減も考えず上から光線撃ち落とした奴?」


 ついにエレナが口を開いた。

 アキラの背筋に冷たい汗が伝う。

 エリーは固く目を閉じていた。目元に小さな涙を見つけると、彼女はアキラの方を見返してきた。

 同じく居心地の悪さを覚え続けている仲間を見つけたような、僅かに明るい顔だった。


「……私は見ていないが、魔物の大群が押し寄せてきたのだろう? それを葬ったのだ、ありがたく思え」

「あら。そんなのうちの“勇者様”だけで十分だったわよ。もしアキラ君が同時に撃って相殺してなかったら、森の一角まるまる消えてたかも」


 森の一角ではなく、アキラに被弾した。

 じろりと神族の男に睨まれ、アキラは乾いた愛想笑いを浮かべた。

 エレナの方は、相手が神族だろうが愛想を振りまかないらしい。

 その結果、神族の男は、アキラを捉える眼を怪訝な表情からより一層鋭いものに変えた。


「相殺……だと……?」

「うぇ」


 小さな悲鳴が聞こえた。

 声の主は、顔が青くなっているエリーか、同じく委縮しているティアからか。

 もしかしたらアキラ自身からかもしれない。


「そ。街の危機だってのにちんたらやってたあんたの主とやらの攻撃は、全然、まったく、かんっぺきに、要らなかったわね。余計なお世話、ってやつ?」

「……エ、エレお姉さま。あ、あっし、この空気もう耐えられないんですけど……」

「なんとなくついてきた罰よ。甘んじて受け入れなさい」

「きゅぅ」


 自分たちはまもなく神に接見することになる。

 この空気のまま辿り着けば、本当にエレナが何をしでかすか分からない。

 まさに神をも恐れぬ態度に、アキラは心の底から、麓で待っていると言ったエレナを止めたことを悔やんだ。


「まあ」


 神族の男は、短い息を鼻から吐いた。

 ようやくアキラから視線を外してくれ、そして今度は目の前を呆然と眺め始める。

 何を、と思ったのも束の間、神族の男が短く何かを呟くと、どこまでも続いていくような廊下、アキラたちの正面に、巨大で透明な“輪郭”が現れた。

 それは徐々に全貌を表し、それが白塗りの扉だと分かったころには、あたかも最初からそこにあったように廊下の道を遮断していた。


「ここに入れるのだから、それくらいはできてもらわねば困ると言っておこう。……この扉は見えなかったようだが」


 エレナが何かを言いかけた。

 だが神族の男は、それに構わず機敏な動作で片膝をつき、首を垂れる。


「ヴォルド=フィーク=サイレス。主の命により、現れた勇者一行を連れてまいりました」


 この男はヴォルドというらしい。

 ようやく名前を口にしたが、それはすなわち、この高慢に見える神族がかしずく存在が、この扉の向こうにいることになる。


 この扉の先には。


「そう。通しなさい」


 静かな、女性の囁きが聞こえた。

 だがその声は、この場にいる全員に等しく届くような、不思議な声色だった。



 高圧的なようで、しかし逆らう気も起きないその声は美しく、アキラの耳を通って抜けていく。

 いつの間にか、暴れかねないエレナに気を張っていたとき以上に、アキラの背筋に冷たい汗が伝っていた。


 ズ、と、扉が開いていく。

 その中からは、光が溢れ出しているようにも見えた。

 この場で最も利口なのは、恐らくヴォルドというこの神族だろう。

 膝をつき、首を垂れていなければ、身体中がその気配に押し潰される。


 扉が開ききり、ヴォルドは、そのままの体勢でアキラたちに視線を投げた。

 この先に向かえということらしい。

 尻込みしていたアキラの脇を、いつもの様子で、あるいはいつもより機嫌が悪く、エレナがあっさりと抜けていった。

 それに底知れぬ恐怖を覚えたアキラも硬直が解ける。

 エレナを皮切りに、他の皆も、緩慢な動作で、扉の中へ足を踏み入れた。


「ヴォルド。ご苦労だったわね」


 入ると、廊下とは比較にならない空間が広がっていた。

 ここは岩山の中だと思っていたのに、両脇にずらりと並ぶ巨大な窓からは、太陽の光が差し込んでいる。

 天井は高く、眩いばかりの光を放つシャンデリアのような照明が浮かんでいる。

 部屋全体が輝いているようだった。

 アキラの正面には廊下と同じ絨毯が続いており、正面の短い階段まで伸びていた。


 そして。

 視線を合わせて会話することなど許していないとでも言うように、見上げる位置に来る玉座。


 そこに、ひとりの女性がいた。


 簡単に言い表せる存在ではなかった。

 黄金職の玉座に座るその女性は、纏った薄い銀のローブから雪のように白い肌を覗かせている。

 王座に溶け込むような同色の長い髪をトップで結わい、よく見える顔はエメラルドの大きな瞳が印象的だった。

 口を開かなければ、創作品にしか見えない。

 いや、創作品では届かない。

 ありとあらゆる芸術家が、不可能と知りながらも“その存在”を描く理由がよく分かる。

 僅かに尖った耳も、高い鼻も、ヴォルドと同じように人とは違うと感じるも、彼とは違い、まさに完璧に配置され、まったく違和感を覚えなかった。


 想像を絶する美が、そこにある。

 だがエレナのそれとは違い、目の前にいるそれは、アキラにとって、遥か遠くの存在に思えた。


 彼女が、今、天界を統べる者。


「女神……、じゃん」


 ぼそりとアキラが声を漏らすと、エリーが力なく小突いてきた。

 夢かどうかの確認なら、自分に攻撃して欲しい。


「よく来た勇者。入りなさい。……ヴォルド」

「はっ。……お前たち、失礼の無いようにな」


 ヴォルドが外にいるまま扉を閉め始めた。

 熱に浮かされるような、あるいは身体の芯から冷え切るような、言い表せない感覚に苛まれていると、いつしか扉は締め切られていた。


「……従者がひとりもいなくていいのかしら?」

「ちょっ」


 最初に声を発したエレナの服の裾を、エリーが力任せに引き寄せた。

 エリーの容体は青い顔を通り越して真っ白に見える。


「私は女神、アイリス=キュール=エル=クードヴェル。天界を統べる者です。勇者、お前の名は?」


 しかし、女神アイリスは、そんなエリーやエレナを一瞥もせず、アキラにその瞳を向けてきた。

 暖かなようで、しかしどこまでも冷たくも見える宝石のような不思議な眼から、アキラは何の感情も読み取れなかった。

 人間が神を計ろうなど、おこがましいのかもしれない。


「……ヒ、ヒダマリ=アキラ、です」

「そう」


 アキラの声は想像以上にか細かった。

 見えていないだけで、自分もエリーと同じような顔色を浮かべているのかもしれない。

 だがやはり、神は何も気に留めず、そのまま玉座で見下ろしてくる。


「では訊こう、アキラ。あのとき日輪の魔法―――“プロミネンス”を放ったのはお前で間違いないな?」

「……」


 神の威圧を全身で浴びながら、アキラは目を丸くした。


 プロミネンス。

 あの正体不明の銃が放つ巨大な光線に、そんな中二臭い名前が付いていると今知った。

 アイリスがあっさりと告げるあの具現化の魔法の正体に、アキラはこくこくと頷いた。


「そう」


 アイリスの瞳が僅かに狭まった。

 思考を進めるように沈黙したアイリスに、アキラはまるで尋問でもされているような気分を味わい、一歩後ずさる。

 こうした相手と対面していると、本能的なものか、怒られるような気がしてくるのだ。


「……失礼ですが、アイリス、さ、ま。その日輪属性の魔法について、教えてくれませんか?」


 しばらく沈黙する神に、エレナは最低限言葉を選んで問いかけた。

 エリーがエレナの腰にがっちりと抱き着いているが、エレナの瞳の色は変わらない。


「…………」

「あの……?」

「…………」

「……っ」


 やはり無言で思考するアイリスは、エレナの様子を気にも留めていなかった。

 新たにサクがエレナを止める役に加わったが、一触即発の雰囲気に、神以外の誰もが焦りを感じていた。


「…………。その力なら」


 長い沈黙ののち、アイリスが、ふわりと笑った。

 神は、やはりアキラだけ顔を向け、やはりアキラだけに話しかけてくる。

 聖母を思わせるその温かな笑みに、しかしアキラは、何故か威圧されていたとき以上の恐怖を覚えた。


「十分に魔王を倒せるでしょう」


 今まで散々マリスやエレナには言われていた。

 アキラの持つ具現化は魔王すらをも凌駕すると。

 事実そうかもしれないが、所詮は目算のような気もしていたのは事実である。


 だが今、“神”という存在もそれを認めた。


 ヒダマリ=アキラの持つ力は、本当に、魔王を凌駕しているらしい。


「今回の魔王は英知の化身―――“ジゴエイル”。何を企んでいるか分かりません。早急に倒す必要があります。……頼みましたよ」


 最後に。

 女神アイリスが、魔王の名前と、お決まりのような台詞を口にして。


 神との面会は終わった。


―――**―――


「ねえアキラ君。私、あの岩山が消し飛ぶとこ、見たいなぁ」

「……」


 翌朝。

 宿屋の前で、アキラはしな垂れかかってくるエレナを珍しくも押し返した。

 女神アイリス。昨日面会したその存在は、未だかつてなくエレナの怒りに触れたらしい。

 憤るエレナをあの手この手でたしなめて、天界への門から戻ってきたころにはすでに日は落ちていた。

 あの面会に毒気を抜かれたような面々は、会話もそこそこに眠りに就いたのだが、一晩経った今も、エレナは執拗に岩山の撤去をねだってくる。


 だがアキラも、エレナほどではないが、昨日から妙な違和感が浮かんでは消えていた。


 昨日の面会は、一体何だったのか。


 大した情報も得られず、質問も許されず、ただ、本当にゲームのイベントのように消化された神との邂逅。

 これがRPGなら、アキラも経験がある。神様がいるんですよ、という情報を与えるためだけのどうでもいいイベントがあったこともあった。

 だが、この異世界での生活に慣れてきたのか、アキラは妙な悪寒を感じていた。


 異世界に落とされ、勇者とあがめられ、不思議な力を持ち、美少女たちと出逢い、順調な旅をする。

 アキラはその世界の優しさを浴び続けてきた。

 だが、今までアキラは、それに喜ぶばかりで、深く考えはしなかった。


 まるで小学校のときにやった、読書感想文のようなものだ。

 物語は、楽しむためだけに存在するわけではない。現実に生かせるように、視野を広げる意味もある。

 アキラはその手のものが嫌いだった。

 アキラにとって物語とは、楽しむためだけのものであって、深追いすれば何事も濁ってしまうと知っているから。


 しきりに岩山の破壊を要求してくるエレナに曖昧な笑みを浮かべながら、アキラは呆然と、高い岩山を見上げた。

 昨日のことは、魔王の名と、自分の力の正体の一端を知るという、単なるイベント。


 そう、考えておこう。


「……エリーさん」

「うん。……もしかして、サクさんも?」


 エリーは、アキラとエレナの様子に注意を払おうとして、失敗していた。

 昨日の神様との邂逅は、未だエリーの中に、妙な違和感を蠢かせている。

 そして、サクも昨日の出来事が消化しきれていない様子で、エリーに話しかけてきた。恐らく今、自分も彼女と同じような表情を浮かべているのだろう。


 アキラやエレナと同じように、エリーとサクも高い岩山を見上げた。

 あの神の一撃に穴の開いた雲はもうどこかに漂っていったのであろう。だが、エリーには今もまだその影響を受けているかのように、岩山の周囲の雲が歪な形をしているように感じた。


「あの神は、言っていたな。……その力ならば十分に魔王を倒せる、と」

「そうなのよね」


 やはり同じことが気になっていたのだろう。

 エリーの胸に残る大きなしこりは、まさにそのことだった。


「ならば何故、“早急に倒す必要のある魔王”を、神は倒さないのだろうか」


 ヒダマリ=アキラと同じ力を持っているにもかかわらず、確かに神はそう言ったのだ。


 勇者が魔王を倒すという構図。

 エリーも、今まで何の疑問も持っていなかった。

 そういうものだと、当たり前に思って生きてきた。


 だが、自分がその世界に飛び込むことになった今、あらゆるものが歪に見えてくる。

 神族は人間界に“しきたり”を広め、正しく導いてくれる存在だ。

 そして魔族は、神族、人間の共通の敵である。


 由来としては、争い合った神族と魔族の力が拮抗していたため、人間を味方につけたためにそういう構図になったという説がある。

 だが、昨日の力、そしてあの神様の言葉が真実だとすると、そもそも現在、神族と魔族の力は拮抗していないことになるのだ。

 ならばサクの言う通り、人間の勇者が魔王を討つのを待つまでもなく、神が魔王を討伐してしまえばいいはずだった。


 魔王を討伐するのは人間の義務。そう言ってしまえばそうなのかもしれないが、合理的でないと感じてしまう。


「まさかとは思うが、神は“魔族説”をとっている、なんてことは……」

「そ、それは流石に、ね」


 否定しながらも、サクの考察にエリーは納得しかけた。


 “魔族説”。

 それは、人間界を魔族に明け渡すべきである、という説だ。


 もともと天界と魔界が存在し、その中間で人間界が発見された。

 それならば、人間界は天界と魔界で分け合うべきであり、長年人間界を統べてきた神族は、同等期間、魔族に人間界を引き渡すべきではないか、と考えられている。


 あまりに魔族側の理屈であるその説は、神族を是とする“神族説”や、冷静に歴史を捉える“中立説”と比べ、支持する者は少ない。


 だが、人間が魔王の討伐を行えなくなったときを、魔族による支配が開始される機会と定めているとしたら、昨日の神の言動も理解できてしまうのだ。


「どの道、私は神族を好きになれそうにない」


 サクは、流石に声量を落としていた。嘘が苦手な彼女らしく、率直な言葉だった。

 そしてエリーも、エレナほどではないにしろ、あの神様の言動にはあまり好感が持てなかった。

 だが、今まで雲の上の存在で、当たり前のように敬っていた神族という存在の像が揺らいだことで、それ以上の恐怖を覚える。

 自分が前提として生きてきたものが、足元から崩されるような不安が、昨日から何をしていても拭うことが出来なかった。


 そして、結局、自分たちをわざわざ呼び寄せた理由も、分からないままだ。


「……はあ。じゃ、とっととこの町出ましょうよ」


 アキラを使って岩山を消し飛ばすことを諦めてくれたエレナが、地面を蹴った。

 彼女からそう言ってくれるのはありがたい。


「ねえ、魔王ってどこにいるの? とっとと殺してあの神の無能っぷりを全世界に知らしめましょうよ」


 人通りの少ない朝だからよかったものの、ヘヴンズゲートでよくそんな言葉を吐き出せる。

 エレナの声に、ひとり静かに立っていたマリスが顔を上げた。

 エリーの妹は、数千年にひとりの天才と言われる少女は、昨日の神との邂逅に、何を思ったのだろう。


「中央の大陸、ヨーテンガースっすね。ここからだと……、北の船着き場が近いっすかね」

「……んじゃ決まりね」


 マリスの返答にエレナは大股で歩き出した。

 珍しくエレナが旅に積極的になってくれている。

 違和感や不安が渦巻いた昨日の神との邂逅は、少なくともエレナにとってはいい刺激になってくれたのかもしれない。


 エリーは頭を振り、その背を追った。

 形はどうあれ神様のお墨付きをもらったのだ。自分たちは今まで通り、魔王を目指して旅を続けよう。


「って、ちょっとぉぉぉおおおーーーっっっ!!」

「ち」


 突如聞こえた大声に、エレナが強く舌打ちしたのをエリーははっきりと聞き取れた。

 振り返れば彼女の体格にはやや大きいサイズのバッグを背負ったティアが、息を弾ませていた。

 昨日の神との邂逅の後、岩山から降りてくると、彼女は逆に元気になり、つまりはいつも通りになり、大きく手を振りながら実家に駆けていったのをようやく思い出した。

 両親に旅立ちの許可を取ってくると言っていたが、ここにいるということは許してもらえたのだろうか。


「待っててください、って言ったじゃないですか!」

「あら。あなたもお出かけ? それじゃ」

「ちょっとちょっとちょっと、ほら、あっし、水曜属性ですよ? この先も何かあるかも!!」

「いいわよ。必要になったら現地で適当に見繕うから」


 涙目で足元にしがみついたティアを引きはがすエレナの表情に、諦めの色を感じた。

 ここで無理に置き去りにしたところで、後を付けてでもついてくるティアの姿が容易に想像できる。


「変な縁出来ちゃったしね」

「そうだな」


 エリーも諦め、サクもため息交じりに同意した。

 視線を移し、アキラを見ると、彼は珍しく、目を細めていた。

 その視線は、ティアに向いているのかとも思ったが、違うらしい。

 ぼうっとしているのはよく見るが、神妙な顔つきをしているのは珍しかった。


「……ねえ」

「ん? …………いや。うん、順調だな」


 話しかけると、アキラはだらしない表情で笑った。

 これ以上付き合い切れないが、とりあえず、エリーはアキラを小突いておくことにした。


 ヒダマリ=アキラの好み通り、気づけば女性ばかりが集まっているこの“勇者様一行”は、次は北の大陸を目指すことになりそうだ。

 声量を、増しながら。


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