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第6話『声が届く場所』

―――**―――


 時間の流れが目に見えた。


 振り返れば、幼い自分が歩いてくる。

 おぼつかない足取りのその赤毛の子は、それでも必死に歩いてくる。


 見ていると、その子の姿が滲むように歪んだ。

 気づけばいつの間にかその子は増えていた。あるいは、最初からそうだったのかもしれない。

 その自分の分身は、風のように今の自分を追い越して、図る気が起きないほど遠くまで駆けていった。

 その光景に、どうしようもないほどの恐怖を感じ、それでも未だ懸命に歩く幼い自分を見つめ続ける。


 次に、誰かが隣に落ちてきた。

 顔を向けると、その男は、こちらを気にもせず、自分の目にはもう見えない自分の分身を見ているようだった。


 思わず、手が伸びた。

 触れられるほどの距離にいるのに、彼の腕を掴むことがどうしてもできない。身体が、動かないのだ。

 あるいは自分の分身が去っていったとき以上の焦燥感を覚え、暴れるように身じろぎし、ようやく彼に触れられたとき、冷えて乾ききった喉から、言葉が出てきた。


『お願いだから、あんたはあっちに―――』


 男は、振り返りもしなかった。

 何も届かない。

 身体が奥から冷え切っていく。


「―――、……いか、ないで……?」


 エリサス=アーティはそこで目を覚ました。

 鼓動が妙に早い。そのままベッドから鏡を見ると、端に映った自分の顔は長い赤毛と同じく真っ赤だった。


 脳が再起するまでの時間は多く必要で。


「う……、うなーーーっ!!」


 そして、悩みも多かった。


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


「悪夢よ悪夢。ナイトメア」


 もやもやした気分を振り払うように言い切って、エリーは宿の廊下を大股で歩いていた。

 早朝の空気を胸いっぱいに吸い込み、何もかも流れ出てしまえと強く念じる。


 思い起こすのは数日前の自分の痴態だ。

 “あのふたり”のいる場所へ歩き出そうした“あの男”を、自分は縋るように止めてしまった。

 なんなら、別に送り出してもよかったのかもしれない。具現化だろうが勇者の力だろうが存分に震わせ、そのまま魔王の牙城へ特攻していっても何の問題もないはずなのだ。


 だがエリーがどうしようもない焦燥感を覚えたのは否定できない事実で、また同じことがあってときに自分がどういう行動を取るのかまるで分らない。


 いったい自分は何を考えているのか。

 だが最近、四六時中同じ人物のことで頭を悩ますことになっている。


 これではまるで。


「う、……あああーっ!!」

「お前いつも発声練習から始めるけど、なんかのおまじないだったりするのか?」

「!?」


 ビダッ、と大地に足を響かせ、エリーは急停止した。

 いつしか庭に到着していたようだ。

 今日もまた、鍛錬から一日が始まる。

 件の男ヒダマリ=アキラは、すでに準備を整えているようだった。


「……随分早いじゃない」

「はっ、今日で勝ち越しだからな。3勝2敗」

「あんたも数えてたってわけね……!」


 アキラが早朝庭に顔を出すようになり、エリーはいつまで続くことやらと思っていたが、意外にも彼は習慣付けていた。

 エリーの中で、早起き対決のようなものが始まっていたのだが、どうやらアキラも同じことを考えていたようだ。


「ほら、走って来いよ」

「……はっ、上等じゃない。これからは遅く来た方が長く走るってのはどう?」

「勝てると思っているのか?」


 アキラはまっすぐにエリーを見据えてきた。

 その鋭い視線に並々ならぬ自信を感じて狼狽するも、ふと、その後ろに最も早く起床する人物を見つけた。


「ああエリーさん。おはよう」


 朝から特徴である赤い衣を纏い、眠気を感じさせないまっすぐな瞳を向けてくる。

 このサクは、信じられないことに、ヒダマリ=アキラの従者である。


「早く起きるのにはコツがあってな」

「……人に起こしてもらうって?」


 だからどうしたと言わんばかりにアキラがにやりと笑う。

 本気で人を殴りそうになった。


「ひっ、卑怯よあんた……!」

「何とでも言え。勝つには手段を択ばないのが大切なんだ」


 その様子を呆れたように笑って伺っているサクは、異常なほど朝に強い。

 それなりの期間寝食を共にしているが、彼女が朝寝坊している姿を見たことは無く、そもそもエリーは彼女より早く庭に出たことさえない。

 長く旅をしているらしいが、そういうところも含めて立派で、そしてアキラの従者というのはエリーの中で強烈な違和感があった。


 そんなサクを味方につけた相手に早起きで勝てるとは思えないのだが、それでもベッドが恋しいことがあるのか時折遅れてくるアキラであれば、エリーが付け入る隙はいくらでもありそうという妙な信頼があった。


「ほら、ダッシュ」

「おっ、覚えてろーっ!!」


 それでも人の力で得意げになられるのは腹が立つ。捨て台詞を吐いてエリーは駆け出した。


「あれだと村の人たち起こして周りそうだな」

「……そういえば」

「ん?」


 サクは、叫びながら駆けていくエリーの様子をぼんやりと眺めるアキラを、これまたぼんやりと眺めた。

 幾度かエリーに対する様子がおかしくなることがあったアキラだが、最近は自然に感じる。

 彼の中で何らかの折り合い付いたのかとも思ったが、我が主君のことだから、どうせ何も考えてはいまい。

 折り合いも何もなく、何も考えず、そのままの彼でいるだけだろう。これは美徳かもしれないが。

 一方でエリーも、アキラに対しては自然に接しているように思えた。


 婚約破棄を目論むふたりは、サクの目からはそうは見えない。

 間もなく到着する次なる目的地のヘヴンズゲート。

 そこで仮に神族に逢えたとして、彼らはそれを口にするのだろうか。


 ふと気になったが、言えばまた話が妙に拗れるかもしれない。

 そもそもサクはそういう話題が苦手だった。

 どうせ、犬も食わない話題だろう。


「……いや。それより、そろそろ始めましょうか」

「ああ、頼むよ」


 アキラは意識を集中し、魔力を展開する。

 アキラの魔力は、魔術の道に明るくないサクの目から見ても、日を追うごとにずっと安定してきていた。

 それは彼が特別なのではなくて、当たり前のことを当たり前にやれば、当たり前に伸びる。

 しかしサクは、それが正しく、何よりも価値があることのように思えた。


「……そのくらいでいいでしょう。構えてください」

「ああ」

「……違う。あ、ええと、こうやって」


 次なるステップは、自分が教える武具を用いた戦闘の習得だ。

 数日前から森で拾ってきた枝を剣に見立てて指導しており、ほんの少しずつだけでも、彼は身に着け始めている。

 勿論、まだまだ甘く、突出した才能は感じられない。それでも、確かに進んでいる。


「では、いきますよ」

「お、おう、こ、来い……!!」


 腰が入っていないのはすぐに分かった。隙も多いし、容易く頭を打ち抜けそうだった。

 だがそれでも、サクは木の棒で切りかかる。

 どちらかでいえば身体で覚えた方が早いのが我が主君のスタイルらしい。身をもって学んでもらおう。

 そうすれば、彼はきっと、当たり前に伸びていく。


 庭の隅に、彼が村で買った安物の剣が立てかけてある。

 値段の割にはまずまずのその一品は、未だ魔物の1体も倒していない。


 だがそれでも、その剣は、ヒダマリ=アキラの勇者としての第一歩だった。


―――**―――


「もう。最近アキラ君との朝のスキンシップが取れない……」

「魔力を奪えないの間違っすよそれ」

「言葉に棘が出てくるようになったじゃないの……!」

「ふたりとも、聞、い、てっ!!」


 マリサス=アーティとエレナ=ファンツェルンが並んでベッドに座ってなんやかんや騒いでいるのを、エリーはぴしゃりと制した。

 朝、宿屋のアキラの部屋を打合せの場にするのは最早定番となっており、そして全員が揃っている貴重な時間だ。そろそろこの宿も出なければならないし、時間を無駄にはできない。

 下手に放っておくと、特にエレナ、そしてもちろんアキラだが、当たり前のように騒ぎ、何の計画もないまま村を後にする羽目になる。

 エリーは以前あった悲劇を繰り返さないという使命感に燃えていた。

 堅苦しいとまでいくつもりもないが、もっときちんと、計画的に行動したいのだ。

 この面々に合わせていたらいつまで経っても旅が進まない。心を鬼にする必要がある。


「とりあえず、今日の依頼のことだけど」

「それより、まだ着かないのかよ、あれ」


 アキラがうんざりしたように窓の外に視線を投げた。

 樹海の中にある村なのに、それでもそこからは雲を突き刺すような岩山が見えている。


 あれが今、エリーたちが目指しているヘヴンズゲートの目印だ。

 見えたときには随分とはしゃいでいたというのに、進めど進めど到着しない岩山に、アキラの興味はすでに薄れつつあるらしい。

 それもこれも日々、この面々、特にアキラやエレナが騒ぎを起こしているせいだ。自分のせいではないのだが、旅の管理をする役どころになっているせいか、エリーは責められているように感じ、お詫びとして殺気を込めた視線を送ってあげた。


「明日には多分着けるわよ。とりあえず、今日の食いぶち稼ぎましょう」

「はあ。だから私が上手いことやっとくって言ってあげてるのに」

「いい? みんな。この人から食べ物とか貰っちゃだめよ」

「了解っす」

「この双子は……!!」


 エレナがいきり立ったが、援護する者は誰もいなかった。

 それどころか唯一エリーの話を真面目に聞いてくれていたサクも、エレナに冷ややかな視線を向けていた。


「……聞いたところによれば。昨晩この村に盗賊が出たそうだ」

「エレナさん……。ほんっっっとにお願いしますよ……」

「ちょ、私じゃないわよ?」


 まるで信用が無いことはエレナも分かっているのか、不機嫌に口を尖らせ、むすっとした表情で窓の外を眺めた。


「……なによ。そんな風に扱われると。あーあ。いいこと聞いたのに、教えたくなくなっちゃうわ」

「はい。じゃあ、今日の依頼だけど、」

「アキラ君、あなたの奥さんが虐める……」

「ちがーうっ!!」


 その話題を出されると、エリーは無視を決め込もうと思っても、エレナを注視せざるを得なかった。口を滑らせたのが悔やまれる。

 エレナは頬に指を当てて得意げに微笑んだ。

 中身を知らなければ可愛らしく見える。中身を知らなければ。


「私さぁ、聞いちゃったのよ。最近この辺りで起こっている盗難事件の犯人」

「自白っすか?」

「だから私じゃないって言ってんでしょうがっ!!」


 マリスのエレナに対する態度がエリーには随分と珍しく見えた。

 きっと旅を通し、絆が深まっているのだろう。悪い方向に。


「そりゃ多少は“ご協力”いただいてるけど、盗まれたものの中には武具とかもあるんでしょう? そんな使い道の無いもの私が盗んでどうすんのよ?」

「うーん。確かに……、あ。売り払っている、っすか?」

「クイズじゃないのよ! 私が犯人の前提で考えんなっての……! ああ、ったく」


 エレナは頭をガシガシとかき、全員に、特にマリスに睨みを効かせ、ぐいと顎で窓から見える樹海を指した。


「私が聞いたのは、最近この辺りにシーフゴブリンの巣がいくつもでき始めたんだって」

「? なんだそれ。盗賊?」

「そう!」


 唯一の理解者であるアキラに明るく笑い、エレナはしな垂れかかった。

 マリスがぐいぐいとその腕を引いているが、エレナは気にもしない。

 懐柔した相手とも言い換えられるアキラの表情が緩むのを見て、エリーは拳に力を込めたが、生憎と、エレナの話は自分がしようと思っていた話の前振りにもなった。


「確かに今日の依頼も似たような話ですけど」


 この村にあった唯一の小さい依頼所は、件のシーフゴブリンの巣を駆除して欲しいという依頼で溢れていた。

 シーフゴブリンは、強さで言えば危険な魔物ではない。流石にマーチュと比べると別格ではあるが、魔力的にも最下位層に位置する魔物だ。

 だが、それゆえに町や村の防御機能を掻い潜ることがあり、また知能も比較的高い。

 そして貴金属を集め込む習性があるせいで、人間たちの経済的にはかなり深刻な悪影響を及ぼすという。

 魔力が高ければ村の防御機能が作動し、知能が低ければ村で騒ぎを起こして魔術師隊に即刻駆除されているであろう。

 シーフゴブリンは、人間たちが備える一般的な危険の予防を掻い潜る、面倒な魔物なのだ。


 そしてそんな知識があったエリーは、村で盗難被害が発生したと聞き、依頼所でシーフゴブリン討伐の依頼を見て、我らがエレナ=ファンツェルンを迷わず疑っていた。

 彼女には深い信頼を寄せている。


 だがどうやら、昨今の事件は、本当にシーフゴブリンの仕業らしい。

 エレナは得意げになって続ける。


「ま。私が聞いたのはそれだけじゃないんだけどね。何でも、数年前、この辺りを有名な武器商人が通ったんだって。その途中に襲われて以来、積み荷は行方不明。その中に、すっっっごい武器があったらしいわ」


 エレナはやたらと胡散臭い話を始めた。

 それっぽく言っているが、彼女自身大して信じていないであろう。冗談交じりに言っていますと顔に書いてある。エレナとしても、退屈な依頼を請けるよりは多少興味が乗る程度の話でしかないらしい。

 エリーもそんなお宝のようなものがあるなら、とっくの昔に誰かが探し当てていそうな気がするし、なにより出自が曖昧過ぎた。


 だが、エリーはまずいと思った。目が輝き始めている男がいる。


「ほう……。伝説の武器、か……!」

「え?? ……え、ああ、そうそう、伝説の武器!」


 エレナの想像以上に乗ってきたアキラは、変わらず目を輝かせて身体を震わせている。

 しばらく一緒にいて、この男がこういうお決まりのような甘い話に弱いことをエリーは良く知っていた。

 彼の頭の中ではすでにエレナの話から数段階上の、伝説の武器とやらに話が発展している。


「決まったな」

「そうね。でね、今日の依頼だけど」

「おいおいおい。折角エレナが調べてきてくれたんだぜ?」

「ど、どうどう」


 興奮状態のアキラをなだめながら、エリーは努めて冷ややかな視線を送った。

 まったく信じていないエリーに対し、アキラは不満げな顔を作っている。


 だが、その実、エリーの想像は逆だったりする。


 しばらく一緒にいて、だ。

 この男は確かに数奇な運命を辿っているということをエリーは良く知っていた。

 この男が現れてからの日々を簡単に振り返るだけで、異常事態といえる事象が乱立している。勇者の血がどうとかいうのも頷けるほど、この男は“そういうもの”に巻き込まれると認めざるを得ない。


 つまり、いかに胡散臭い話であろうとも、この男が介入すると現実のものになってもおかしくは無いのだ。

 そんな異常とも言える事象を、曖昧なまま前提としておくと、もしかしたら本当に伝説の武器とやらがあるかもしれないとエリーは感じてしまっていた。


 最近は、せっかく身の丈に合った鍛錬を繰り返し、ようやく成長を見せ始めているアキラだ。

 そんなときに、またそんな不釣り合いな伝説の武器とやらを探し当ててしまったら、いったい彼はどうなるか。


 考えれば考えるほど、エレナが言うその胡散臭い話が、エリーの中で妙な信憑性を帯びてきてしまった。


「サクさん。サクさんもそんなの要らないと思うわよね?」

「あ、ああ。今は必要ないと私も思う」


 同じようにその噂話が真実である可能性があると感じ始めているのか、サクも前提として扱っているようだ。

 彼女はエリーと共通認識を持っている。昨今のアキラの様子をよく知っているのだ。

 今のアキラにとって余計な力が介入すれば、きっと碌なことにならない。それが本当に伝説の武器とやらだったらなおさらだ。


「? 別にいいんじゃないっすか? 持ってるだけでも」


 だが、口を挟んだマリスは、同じような前提を置いた上で、エリーとは違う答えを出してきた。

 話を持ってきたエレナも当然、たとえその武器が本当にあったとしても、だからどうしたと思っている側であろう。


 エリーの背筋が妙に冷えた。

 宿屋の一室に集まった、共に旅する仲間たちの中で、アキラに対する評価が完全に二分している。


「じゃあ、そういうわけだから。ねえアキラ君。私と一緒に、」

「じょ、条件があります!!」

「?」


 多数決でも取れば3対2だ。その眉唾物の噂を追うのは止められないであろう。

 エリーにできるのは、先手を打つことだけだった。


「探しに行くのは、あたしと、こいつと、サクさんだけ。ふたりは別の依頼をお願いします」

「えー、それじゃ意味ないじゃない」


 エレナの魂胆は見えている。大方アキラを誘い出して遊びに行くか魔力でも吸収しようと企んでいたのだろう。

 本当に武器を探しに行くつもりだったのかもしれないが、いずれにせよ認めるわけにはいかない。


 マリスからも少し不満げな空気を感じたが、エリーとしては絶対に譲れない線だ。

 本当に伝説の武器とやらがあった場合が最悪で、ふたりがいればそれこそアキラはなんの労力も払わずその力を手に入れてしまいかねない。


「そういうこと言うと、私が聞いた話、詳しく教えないわよ?」

「それならそれで結構です! どうせその辺りをふらついて聞いたような話、探せばいくらでもみつかるだろうし」

「……ちっ、流石にガードが硬いわね、正妻は」

「正妻言うなーっ!!」


 朝からごっそりと体力を奪われながらも、何とか最後の一線は死守したエリーは、はたと気づく。

 計画的にいきたかったヘヴンズゲートへの旅。

 どうやら今日の自分たちは、そんな根も葉もない噂話に振り回されることが決まったようだった。


―――**―――


「そういやさ」

「?」


 マリス、エレナのふたりと別れ、アキラたちは今日も今日とて仕事のために、樹海の中を歩いていた。

 目論見通りにならなかったエレナが渋々語った話は、元々どうでもいいと思っていたのか東西南北で言われた方がまだマシな程度の精度で、結局シーフゴブリンの大きめの巣の駆除依頼をいくつか選んで村を後にすることになった。

 そんな中、アキラはふと、最早見慣れた光景となった樹海の中のふたりの背に声をかけた。


「最近このメンバーで依頼すんの多いよな」

「……気づいてなかったんですか?」


 従者であるサクが、驚いたように目を丸くする。

 本人はそのつもりは無いのかもしれないが、馬鹿にされたような気がしてアキラは口を尖らせた。


 別に気づいていなかったわけではない。

 連日の依頼がこのメンバーになっていることは、数日前から気にはなっていた。


「あんたはさ。……まず、自覚することから始めてよ」

「自覚はしてたって。たまたま言っただけだろう」

「そうじゃなくて、その意味よ」

「?」


 やはり偶然ではなかったということか。

 エリーは疲れたような表情を浮かべていた。


「はっきり言っといた方がいいわね。あんたの成長、……あの銃に阻害されてる」

「は?」

「強すぎるのよ、今のあんたには。……あっさり敵を倒しちゃうから、何の経験にもならないし」

「? そりゃあ……、いや、別にいいだろ、それはそれで」

「良くないの!」


 エリーにぴしゃりと言われ、アキラはびくりと肩を揺らした。


 あの銃は、あの具現化は、ヒダマリ=アキラが勇者たる最強の力だ。

 諸事情によりいつでもどこでも使えるわけではないが、別次元の力を持つ唯一無二の兵器だ。

 確かにアキラのイメージしていた勇者の戦い方ではないが、そうした低レベルの思考を蹂躙し尽くすほどの絶対がある。

 アキラの大きな心の拠り所だった。


「その力であっさり進んでいったら、あんたどんどんダメ人間になっていくわよ」

「な、そ、そんなことないだろ。最近ちゃんと剣とか、魔力だか魔術の練習だってしてるし」

「……本当にそう?」


 エリーがじっと見てくる。隣のサクも、アキラの瞳の色を伺うように目を細めていた。

 そういう瞳の色を浮かべられると、自分の言葉に自信が無くなってくる。

 最近は、きちんと鍛錬を積んでいる、とアキラは思っている。

 だがそれは本当だろうか。


 思考が黒く覆われる前に、アキラは振り払うように首を振った。

 問題ない。

 銃が使えないときに備えての鍛錬はきちんとしている。いざとなれば銃を使えばいい。

 その考え方でいいはずなのだ。


「とにかく、あんたは身の丈に合った成長をして。……あの銃は、しばらく使用禁止」

「……なんでそんなことを、」

「あんたの外れた肩、あたしたちは力ずくでしか治せないけど、どうする?」

「……あ、てめっ、それでか……!」


 ふと思い起こすと、アキラが強敵を討つために必要なのは、あの銃だけではない。

 討つためだけならいいのだが、その後アキラが生き残るには、マリサス=アーティが必要となる。

 最近マリスと共に依頼をしていないのは、そうしたエリーの思惑があったのだろう。


「……じゃあさ、エレナとは組んで良くね? 治療は出来ないっぽいし」

「…………。あ、あの人とあんたが組んだら、それこそ何が起こるか分かったもんじゃないわよ」

「めちゃくちゃ私情入ってたのかよ、この編成」

「まあアキラ様。エリーさんも色々と考えているんですよ」

「……らしいけど」


 すたすたと歩いていくエリーを追い、サクにフォローされながら歩くも、アキラは妙に釈然としていなかった。


 確かにエリーの言わんとすることも分かる。

 あの銃の力は、それこそ過剰なほどだ。

 それを封印することで、アキラ自身の成長も促させるというのは分かる話でもある。


 だがそれは、アキラの視点から、あるいは世界の視点からはどうだろう。

 魔王がどんな存在かは知らないが、今この時点で、あの力を使えば撃破できるとさえ言われている。

 それなのに、それを封じ、その上同じく異次元の力を持つマリスやエレナとも行動を共にせず、地道に依頼をこなして旅を続けているのだ。

 こんなのは最早縛りプレイである。


 もし魔王とやらを一刻も早く倒す必要があるのなら、今の行動は無意味なのだ。


「はあ」


 エリーがいきり立っているように肩を上げて歩く背を見て、アキラは自分が口にした言葉が引っかかっていた。

 私情。


「……お前は俺に、どうなって欲しいんだよ?」

「っ」

「―――アキラ様、下がって……!」


 エリーがぴたりと止まり、それと同時にサクがアキラを庇うように前へ出た。


「……いたようだな。エリーさん」

「……、え? え、ええ」

「なにっ、なにっ、なんだよ……!?」


 サクの気配が鋭くなり、エリーも遅れて身体に魔力を張り巡らせていた。

 突如として臨戦態勢になったふたりに遅れ、アキラは慌てて防御膜を展開した。

 サクはアキラが魔力を展開したのを確認すると、前方の茂みを注視する。


「……え、なに。何でお前ら分かんの……? てか何がいるんだ……!? まさかあれが巣?」

「……いえ。シーフゴブリンはよく洞窟に巣を作るそうです。……あれは」


 正体を探ろうとサクが目を細めたと同時、茂みの中からガサリと土色の肌の小動物が姿を現した。


 リスのような顔付きで、額には渦巻き型の模様が付いている。

 突然現れた人間たちを、愛くるしい瞳で見上げてきていた。


「……よう、マーチュ」

「きゅう?」


 茂みの中で食事でもしていたのか、マーチュは満足げにお腹をさすり、幸せそうな顔を浮かべていた。


 アキラが初めて遭遇した魔物は、改めて見ても群を抜いている。

 次点ではクロンクランで出遭ったリトルスフィアだが、マーチュはそれ以上に愛玩動物に極度に寄っていた。

 超大型に遭遇はしたが、今目の前にいるのは背丈も膝ほどまで届かないほど小さく、どうにかして旅のお供にできないだろうかとアキラは思案した。


「ちょうどいいわね。……ねえ、倒してみてよ」

「だからできるかぁっ!!」


 マーチュはびくりと震え、未だこちらをつぶらな瞳で見上げていた。


「ああ、マーチュごめんな、大声出して……。おい、お前マーチュが何をしたってんだよ」

「あんたねぇ……。相手の姿に惑わされちゃだめよ。エレナさんがいい例でしょう。ほら、早く」

「こいつだって精一杯生きているんだぞ……!?」

「あんたがマーチュの何を知ってんのよ……。というか、あんた前に殺されかけなかった?」


 そんなことを言っても、生きるための食事をしていただけのあんな愛くるしい小動物に剣を振り下ろそうものなら、アキラの良心は完全に破綻する。

 今こうしてアキラたちが揉めている間にも、マーチュは大人たちの難しい話が終わるのを大人しく待つ子供のように、首をかしげて微笑んでいるように見えた。


「あのさぁ……。あんた朝サクさん、そろそろ戦えそうとか言われて喜んでなかった?」

「そ、そりゃ、そうだけど」


 あの銃の力を除くと、最早部外者になりかけていたアキラは、ようやくサクからそう言われてこみ上げてくるものがあった。


 だが、冷静に考えると抵抗がある。

 今まであの銃が一瞬で決着をつけていたから分かっていなかったが、自分の持った剣で、魔物とはいえ生物を切り裂くのだ。

 命を奪うということを軽く考えていたつもりは無かったが、いざ目の前に迫るとたじろいでしまう。

 その上、相手はあの愛くるしいマーチュだ。


「……今更だけど、お前らよく魔物バンバン殺せるよな……。生き物なんだろ?」

「言い方……! あのね、マーチュは動物じゃなくて、魔物なの。分かる?」


 サクも別段口を挟まなかった。

 その辺りの差は、アキラが時折触れる、元の世界とこの異世界の感覚の違いなのかもしれない。


「アキラ様」

「?」

「確かに、マーチュは魔物の中では普通の動物に近い姿をしています。抵抗があるのも分かります」

「あ、ああ、そうだよな」

「ですが、マーチュといえども、成長すれば村を襲います。実際、マーチュに滅ぼされた村を見たことがありますし」

「……」


 サクの諭すような口調に、アキラは震えた。

 エリーもサクも、アキラよりは年下だ。

 それなのに、アキラよりもずっと多くの魔物を殺し、ずっと多くの経験を積んできている。

 そして、遥かに長く、この世界のルールに従ってきているのだ。


「……魔物を倒せば、それだけ救われる人がいるのよ。……そういう“倫理”っていうのも、試験科目のひとつにあったわ」

「……わ、分かった、よ。どうせ今さらだ……!」


 アキラは足取り重く前へ出た。

 本当に今さらだ。

 自分はすでに、巨大マーチュやアシッドナーガを倒している―――いや、“殺している”。


 今さら綺麗なままでいることは出来ない。

 そしてもし自分がそれを拒んだら、代わりにふたりが手を汚すだけだ。


「……マーチュ」

「きゅう……」


 未だ何が起きるのか分かっていないような表情で、マーチュが見上げてきた。

 今からアキラは、この小動物に剣を振り下ろさなければならない。


 アキラが見てきた異世界来訪者の主人公たちは、そうしたことが前提としてできていた。

 いやそんな空想に頼らずとも、元の世界ですら、狩りを生業として生きている者はいる。

 そしてアキラとは言えば、世界の裏側で、その恩恵を授かりながらぬくぬくと生きていたのだ。


 彼らは一体、その刃を振り下ろすとき何を思うのだろう。

 誰かのために振るうのだろうか。それとも自分のために振るうのだろうか。あるいは、そんなことは考えてもいないのだろうか。

 だがアキラは、今、自分で決めなければならないような気がした。

 せめて最初の一刀は、何のために振るうのかを考えなければ、目の前の命に失礼なような気がした。

 だからアキラは、


「あの、アキラ様」

「……ちょっと待ってくれ。今、結構良いこと言おうとしてるんだ」

「そうじゃなくて、マーチュが」

「へ? あ」


 顔を上げると、マーチュが短い手足をばたつかせ、必死に走って逃げていた。

 時折転びかけ、それでも懸命に離れていく。可愛い。

 アキラが発する不穏な空気を、ようやくマーチュは嗅ぎ取ってくれたようだ。

 もう人に見つかるなよ。そんなことをアキラは心で呟いた。


「よし、勝った」

「勝ったじゃないでしょ!? 追いかけて!」

「いや、何言ってんだよ、あんな愛らしい―――」

「ぎゅうっ!?」


 悲鳴が聞こえ、アキラの表情が強張った。

 必死に、懸命に走っていたマーチュが、突如として側面から鋭い爪に貫かれ、吹き飛びながら爆発する。

 木々の間から飛び出てマーチュを襲ったのは、アキラの胸ほどの高さの、濁った赤い体毛の魔物だった。

 先日のランドエイプの姿に近いそれは、妙に手足が長く、顔はより皺だらけで、髪の無い頭部に小さく角が生えていた。

 その魔物は、足を折りたたんで座り込み、手を振ってマーチュの血を払うと、苦々しげにマーチュが爆発した地点を睨んでいた。


 その姿の、なんと憎々しいことか。


「…………おや? 魔物じゃあないか。殺さないと」

「急にどうしたの」

「俺は勇者だ、俺は勇者だ、俺は勇者だ」

「ひっ」


 アキラは剣を乱暴につかんで引き抜いた。そしてまっすぐに歩いていく。

 世に達人と言われる者ほど、自分の世界があるというが、もしかしたら今がそういう感覚なのかもしれない。

 アキラは、目の前の赤い魔物と自分以外、世界には何もないような感覚に陥った。

 あとは簡単だ。残った世界の異物を排除すればいい。


「魔物同士が殺し合い……? ……! もうここはシーフゴブリンのテリトリーなのか……!」


 やはりあれがシーフゴブリンとやららしい。その名の通り強欲そうな顔つきをしていやがる。

 アキラの脳裏には未だ、マーチュが貫かれた瞬間の光景が焼き付いていた。

 その光景を思い起こすたび、身体中の血が暴走した。


 間合いに入ると、アキラは剣の切っ先をシーフゴブリンに向けた。


「お前は、やってはならないことをやった」

「やるなら真面目にやりなさい!! マーチュよりはずっと強いのよ!?」


 エリーの怒声に背中を押され、アキラは剣を放った。


「―――!?」


 マーチュのときの反省から、腰を落として横一線に振り切った剣は、しかし空を切った。

 目の前にいたはずのシーフゴブリンはたたんでいた足を一気に延ばし、背後へ跳躍する。


 反射的に追おうとしたアキラは、しかし身体を強引に引き留めた。

 そして即座に身体の前へ剣を構える。


「はやっ」

「ギィ!!」


 アキラが認識するより早く、シーフゴブリンが今度はアキラ目掛けて跳びかかってきた。

 木漏れ日にキラリと光るかぎ爪を鋭く振ると、アキラが構えた剣にガチリとぶつかる。

 構えていなければ、マーチュのように身体を貫かれていたかもしれない。


「く―――」


 攻撃の衝撃を抑え込み、アキラは攻撃に転じようとするも、妙な悪寒と共に背後へ跳んだ。

 すると寸前までアキラがいた場所を、シーフゴブリンの足が薙いでいた。

 両手両足を伸ばせば2メートルはあるかもしれない。

 人を襲うことがあまりないと聞いたが、それは騒ぎが起こりかねない町や村の中なのであろう。テリトリーに侵入した敵に対しては、その体躯を活かして攻撃する、獰猛な魔物なのかもしれない。


「はあ……、はあ……、って俺は何をやってんだ?」


 再びシーフゴブリンが跳びかかってくる。

 なんとか攻撃を掻い潜り続けるアキラは、しばらくして、離れたところからエリーとサクがこちらの様子をじっと眺めているのがようやく分かった。


 あのふたりからすれば、シーフゴブリンは本当に大した敵ではないのだろう。

 以前マーチュの洞窟でも、エリーとマリスが必死に戦うアキラの姿を、特に気にもした様子もなく見ていた記憶がある。


「……いや」


 アキラは頭を振った。

 そう考えてばかりはいられない。

 こう考えるべきなのだ。

 今のアキラであれば、撃破できると信じてくれていると。


「……!」


 無茶苦茶に見えるシーフゴブリンの攻撃は、人間の身体では不可能な動きで2段攻撃を行うことだ。

 逆に言えばその連続攻撃だけが、シーフゴブリンの危険性なのだろう。

 それもさほど速くはない。落ち着いていれば目で追えるし、攻撃範囲も直線的で分かりやすかった。


 アキラは、こんな魔物などよりもずっと速い相手に鍛えてもらっているのだから。


 サクの剣の授業。

 教わったのは、とにかく敵の攻撃を受けるな、というものだ。

 あるいはそれは、剣の戦い方ではないのかもしれない。

 刀を操るサクの戦い方なのだろう。


 だが、アキラはそれでも納得できた。


 もし相手の強い攻撃を受ければ、それだけで腕が痺れる可能性が上がり、戦闘に支障をきたすことになる。

 足で回避できるのであれば、可能な限り走り続けろとアキラは教わった。

 だが、それに固執するあまり身動き取れない状況に陥ることも避けろとも教わった。


 第一優先として回避。次いで防御。

 避けられる攻撃と、受けるしかない攻撃の区別を反射的につける鍛錬を中心的に行ってきたのだ。

 アキラは武具の扱いを習いたかったのだが、今更ながらに、素直に聞いておいてよかったと思う。

 まだまだ攻撃の区別を明確に付けることは出来ないが、少なくともシーフゴブリンの行動は区別しやすかった。


「ふー」


 息を吐いて、冷静に、シーフゴブリンの攻撃を見切り続ける。

 攻撃に転じようにもシーフゴブリンがすぐに離脱してしまうせいでアキラは攻撃を放つことが出来なかった。

 だが、焦りは無かった。


 エリーの魔力の授業。

 基本中の基本である防御膜を延々と繰り返し反復練習させられていた。

 身体能力強化の方法も多少は教えてもらえたが、その時間よりも身を守る方法がほとんどだった。

 だがその理由も実戦になれば分かる。

 もし仮に、アキラが判断を誤って、シーフゴブリンの攻撃を受けたとしても、数発程度なら耐えられそうな気がしていた。


 アキラは、こんな魔物などよりもずっと重い拳を放つ相手に鍛えてもらっているのだから。


 勿論痛みはあるだろうし、鋭利な爪に切り付けられることになるであろうが、この世界に来たばかりのときのように即死はしない。

 散々繰り返した練習のお陰で、今やアキラは転ぼうが何をしようが防御膜を途切れさせないほど安定して発動させ続けることが出来る。


 ゆえに、焦る理由が無かった。

 相手に確実に攻撃を放てる機会を、待ち続ければいいのだから。


「……って、なに俺はマジバトルしてんだ……?」


 我に返ったアキラは、しかしシーフゴブリンの攻撃を難なくかわした。

 依然としてエリーとサクは見ているだけで、手を貸そうとはしない。

 あるいはアキラが危険になってから動こうとでも思っているのだろうか。


 少し面白くないものを感じ、アキラはちらりと右手を見た。

 しかし、首を振る。


 シーフゴブリンに勝つだけなら簡単だった。

 森ごと吹き飛ばせばいいのだから。

 だがエリーの言うように、確かにそれは使ってはならないと感じた。


 今、戦闘の中にあって、アキラが感じている、言葉にできない何かは、きっとそれでは手に入らない。

 あの力は、それすらも容易く吹き飛ばしてしまう。


「グ……、グ……」


 息が切れたのか、シーフゴブリンが長い手を構えながら慎重に構えた。

 アキラも合わせるように剣を構える。


 この魔物は、確かに強くはない。

 そんな相手に、ここまで苦戦するのは、アキラの思い描く勇者の像とは大きく乖離している。

 だが、それでも、アキラはこの手に握る剣で戦わなければならないと思った。


 ふたりの師に、報いるためにも。


「グルルッ!!」

「―――、」


 息を整えたシーフゴブリンが跳躍した。

 アキラがひたすらに回避を続けていた攻撃行動だ。だが、さんざん見続けていたせいか、アキラは直感的に異変を感じた。

 跳びかかりながら、両手を大きく掲げ、アキラに向かって力いっぱい両手を振り下ろそうとしている。

 悪寒とは違う何かを感じたアキラは、反射的に足を前へ動かした。


「っ……!!」


 思わず踏み込んだアキラは、剣を横に構えた。

 シーフゴブリンは回避を続けるアキラにしびれを切らして、乱暴に攻撃してきたのだ。

 この世界で最初に出遭ったマーチュには、アキラの姿はこう見えていたのかもしれない。


「それは―――」


 接近戦で、大きく腕を振り上げると、何が起こるか。

 アキラの眼前には、無防備にさらされた腹部がある。


「―――まずいだろっ!!」


 サクに習った通りに踏み込み、剣でシーフゴブリンの腹部を捉える。

 習ったのはここまでだった。

 剣を放つ瞬間、シーフゴブリンがアキラを倒せないように、アキラもまたシーフゴブリンを一撃では倒せないと感じた。


 だが、ひとつだけ、アキラは思いついた。

 この世界に来てからずっと見ている。その光景だけは、いつでも思い出せる。


 攻撃が当たる瞬間に、魔力を流し込む光景を。


「ギッ!?」


 目をこじ開け続けたアキラは、薄暗い樹海の中、オレンジの光が爆ぜたのを確認した。

 迷わず振り切った剣は今度こそ砕けずにシーフゴブリンの胴を両断する。

 シーフゴブリンの死骸が吹き飛んだ先で爆発すると、アキラはその場にどさりと座り込んだ。


「か……、勝った……、勝った……!! うっっっしゃ!!」

「お……、お見事、です」


 アキラは身体を震わせながら、叫んでいると、サクが目を丸くしながら歩み寄ってきた。


「いや、凄くね? まじで、なあ……!!」

「あ、ええ、その、本当に倒すとは。攻撃はまだ教えてなかったですし」

「はっ、侮ったな。俺が何度殴り殺される魔物を見てきたことか」


 そう言って、反射的に怒鳴られるような気がしたアキラは身を強張らせたが、怒声は飛んでこなかった。

 視線を向けると、ほとんど放心状態になっているエリーと目が合った。


「……え、なに。え。さっきの、やっぱり」

「あ、ああ。その、お前がいつもやってるやつ、というか」

「すごい……、すごいよ。シーフゴブリンは戦うだけならすごく弱い魔物だけど、……すごいよ」

「どっちの意味で言ってんだ?」


 未だ放心している様子のエリーは、相変わらず信じられない目つきでアキラを眺めてくる。

 だが事実、アキラもあそこまで上手くいくとは思っていなかった。

 命を奪うことがどうだとか考えていたような気がするが、もうどうでもいいほど感動している。


「……って、ま、まあそうね。とりあえず、戦えるようになった、ってことで良さそうね」

「よしよし、なるほど。じゃあそうだな、確かにこれなら銃はしばらく封印でいいな。俺これでいくわ。ああ、ようやく戦えたって感じがする……!! ああっ、めっちゃかっこいい倒し方した……!!」

「調子に乗らないでね」

「分かってるよ。だが安心しろ。勇者の覚醒だ、世界の平和は約束された」

「……そう」


 エリーがふいに、身体に魔力を巡らし、目つきを鋭くした。

 サクもすでに腰を落としている。


「え、なにっ、なにっ、なんだよ……!? …………あれ、さっきもあったなこれ」

「それじゃあ覚醒したらしい勇者様」


 アキラもようやく気付いた。

 たった今、アキラが必死になって戦い続けていた魔物が、木々の間、そして木の上にも、“わらわら”と現れ始めている。

 テリトリーで暴れられたのが、大層お気に召さなかったらしい。


「手を貸さなくても大丈夫ね?」

「…………殺さないで」


 命乞いをしてみると、エリーとサクは聞きもせずに跳びかかっていった。


―――**―――


「私さぁ、見飽きたんだけど、こいつ」


 エレナは眼前で苦悶の表情を浮かべるクンガコングに冷ややかな視線を向けた。

 この樹海の中でも危険度が高いこの魔物は、首を絞めて吊るし上げるだけで死亡するらしい。

 あのとき“大掃除”はしたが、アイルークの樹海の広さからして、まだまだ生き残りはいるらしい。


「エレねー、悪趣味っすよ」

「そうかしら? というか、さぼってないで手伝ってくれる?」


 エレナは適当にクンガコングを群れに投げつけ、自分の分の仕事は終えたマリスに振り返る。

 背後の爆発や怒りをあらわにするクンガコングの群れを一瞥もせず、マリスは半分の眼でぼんやりとエレナを見つめてきていた。

 エレナはその瞳の中に、不満があることに気づけるようになってしまっていた。


「エレねーがそうやって倒しているから、時間がかかるんじゃないっすか」

「え? だってビビらせたら逃げてくれるかもしれないじゃない? 真面目にやるのも馬鹿らしいし」


 マリスから魔力を感じ、エレナは道を開けた。

 あと数体ほどエレナのノルマの魔物が残っているが、飽きてきてしまっていた。真面目な娘に任せた方が早く済む。


「レイリス」


 ほとんど一瞬だった。

 シルバーの光が幾重にも走り、クンガコングの群れを容易く貫く。

 エレナにとっては見飽きた光景だった。

 爆発を待って、エレナはのんびりと歩き始めた。


「そっちも手、抜いてんじゃない」

「自分はちゃんと詠唱はしてるっすよ。上位魔術はエレねーに不評だったし」

「しっかし、あんたとこうやって歩くのも飽きたわね」

「自分もっすよ」

「…………こういう会話もできるほど、か」


 ふたりのため息が同時に吐かれた。

 エレナは最近ずっと、双子の姉に言われて双子の妹と共に依頼をしている。

 そしてそのせいで、あらゆる依頼が退屈どころの騒ぎではなかった。

 この樹海の基準で最高難易度の依頼であろうが、まだ自分で身体を動かしていた方がマシな程度の運動量である。絶対にやりはしないが。


「……まあ、ねーさんの言うことも分かるんすけどね」


 マリスがぽつりと言った。彼女から話題を出すのは珍しい。


「にーさん、確かに少しずつ強くなってきているんすよ。でも、自分たちといると絶対具現化を使うだろうし」

「そりゃ、……ね」


 流石に双子の意思疎通ができているようだが、エレナも同じことは考えていた。

 アキラの具現化は超常的な力を誇るが、彼自身の力は低い。とはいえ、エレナやマリスから見て誤差の範囲ではあるが、彼自身の力は伸びてきている。

 それはここ最近の彼の周囲の環境によるものだろう。

 あのエリーやサクと共に、当たり前の鍛錬や依頼を、当たり前の労力を払ってこなしているからこそ、当たり前に成長している。

 だがあの見栄っ張りのアキラのことだ、エレナたちと行動をすれば間違いなくあの力を乱用するだろう。そうなると、彼には何の経験も入らない。


「ま、それでも私は、バンバン使っていいと思うけどね」

「……」

「あんたもそのクチだと思ってたけど」

「……」


 エレナがそう言うと、マリスの半分の眼が僅かに泳いだのが見えた。

 マリスの考えはまさに彼女の瞳のように、半分半分、といったところなのかもしれない。


 事情を知らない世界中の人々から見れば、アキラやエリーたちは婚約破棄のために魔王を倒そうというわけの分からないことを言う集団だろう。

 だが確かに、この集団を近くから見れば、ヒダマリ=アキラ、そしてマリサス=アーティという存在は、それに現実味を帯びさせている。

 魔王討伐の最短ルートが、エレナの目にも確かに見えた。

 ならば余計なことを考えていないで、さっさとその力を行使すればいいのだ。


 魔王討伐だけを考えるのでああれば、だが。


「まあ、ねーさんにも考えがあるんすよ」

「婚約破棄ねえ……。私にはあの正妻、アキラ君にぞっこん、って感じに見えるんだけど」


 マリスの足がぴたりと止まった。


「ダメ男好き、って感じ?」

「またそういう話っすか」

「あら。女の子同士の会話なんてこんなもんなんじゃないの?」


 エレナは適当に呟き、マリスの正面に立った。

 無表情に見えるマリスだが、数日顔を突き合わせると、徐々に考えていることが見えるようになってきた気がした。


「愛しの彼には自分の思った通りになって欲しいー、ってなとこでしょ。この分だと婚約破棄するんだかしないんだか」

「…………。ことあるごとに、するって言っているじゃないっすか」


 困っているような、怒っているような、そんな様子に見えるマリスに、エレナは僅かにうろたえた。

 虐め過ぎたような気がするが、曖昧なままでいるのはエレナの性に合わない。

 ここまで話したついでだ、この際はっきりさせておこう。


「ねえ。あんたはどっち? アキラとエリサス。婚約破棄して欲しい? して欲しくない?」

「……エレねーはどう思ってるんすか?」


 質問を質問で返された。

 これ以上は執着し過ぎだと頭を振り、エレナは歩き出す。

 この双子は放っておくと思った以上に拗れそうな気がした。


「私はどっちでもいいわ」

「……エレねー、それ、答えなんすか?」

「答えよ。略奪愛って、燃えない?」


 適当に言って、目の前の木の根を大股で飛び越え、猫のような身のこなしで着地する。

 マリスが呆れたのが分かった。


 エレナには大きなしがらみがひとつある。自分の人生の大半がそのしがらみと共にあるせいで、他のことに固執し過ぎないのがポリシーになっているほどだ。

 ただ、この面々には妙な縁を感じるのも事実。

 そしてアキラの力に魅力を感じるのもまた事実だ。

 だからやはり、エレナは自分が思うままに行動することにしている。


「……あれ。エレねー、どこ目指しているんすか?」

「え? あの夫婦の様子を見に行こうと思って」

「……!」


 気づかれないように進路を変えていたのがついにマリスにばれたらしい。

 自分たちに怯えて逃げていくシーフゴブリンたちがちらほら視界に入る。

 そろそろ彼らに合流できるかもしれない。


「エ、エレねー、依頼は、」

「あんだけ殺れば十分でしょう? あんたと違って、私は全滅にこだわらないの」


 というか正直飽きてきた。

 そして事実、アイルークの普通の旅の魔術師なら音を上げているほどの数は討伐しているのだ。職務放棄と言われる筋合いはない。

 自分も真面目になったものだとエレナは感激しているのだが、マリスは納得していない様子だった。


「あんたも気になるでしょ?」

「……」

「いや、さっきの話の続きじゃないわよ。……なーんか、嫌な予感がするのよね」

「? …………まさか」

「そ。アキラ君、放っておくと変なことに巻き込まれるでしょう」


 この理由はマリスも納得したようだった。


 曖昧なままでいるのはエレナの性に合っていない。

 だが残念ながら、曖昧なものがこの面々には確かに存在しているのだ。


 異世界から現れたというヒダマリ=アキラ。

 彼は、運の良し悪しという次元を飛び越え、やたらと面倒事に巻き込まれる。

 彼自身はそのたびにご都合主義だとか言って喜んでいたり、後付け設定だとか言って困惑したりしているのだが、行動を共にしている自分たちも巻き込まれるとなれば他人事では済まされない。


「けど、ねーさんたちも一緒にいるんすよ?」

「そうだけど、そろそろ、って感じがしない?」


 自分で言い出したことだが、エレナが聞いた伝説の武器という胡散臭い話に、ヒダマリ=アキラが加わると、まさにその面倒事が生み出されるような予感がしていた。

 エリーの組分けのせいで目論見通りとはいかなかったが、この依頼はエレナにしてみれば検証の意味もあるのだ。

 こちらの依頼がどうなっても、エレナはアキラを放っておくつもりは無かった。


「知らない間に女の子増えている、なんてこともあるかもね」


 表情が険しくなっていたマリスに冗談交じりに言ったら、歩幅が微妙に広まった。

 分かりやすい。

 だが、エレナも自分で言って、本当にありそうな気もしてしまった。


「……確かに。私も変な余計な虫に付かれても……、……」


 急ぐと決めたエレナは、垂れ下がった木々を払いのけると、ぴたりと止まった。

 後ろのマリスがぶつかりそうになる。


 エレナの目の前は、樹海の木々が若干開けており、水溜まりとも言えるほどの小さな池があった。

 小高い岩山からチロチロと水が溢れ、それが溜まったものだろう。

 元は雨水かなにかだとは思うが、溜まった水は意外にも澄んでおり、旅人が飲み水に使うこともあるのかもしれない。


「……」

「……」


 そしてその池の中、ひとりの少女が立っていた。

 青みがかった短い髪に、健康色の肌。背丈はマリスよりも少し低い程度だろうか。歳も同じくらいかもしれない。

 ただ、身体の凹凸はあまり発達していないことは分かった。彼女の向こう側の岩に衣服が干されており、一糸まとわぬ姿で入浴中だったのだから。

 そんな彼女は、僅かに垂れ目な眼をこれ以上ないほど見開き、彼女にしてみれば突如現れた自分たちをじっと見返してきていた。


「ぬっ、ぬおうっ!?」

「!?」


 唖然としていたエレナに、その少女は悲鳴なのか何なのかよく分からない奇声を上げた。

 動き出そうとした彼女は、しかし、足が滑ったのか激しい水音を立て、見事なバク転に見える動きですっ転んだ。


 そして、エレナが目を覆いたくなるほどの勢いで背後の岩山に。


「きゃふっ!?」


 彼女の頭からはゴヂッ、という生々しい擬音が、彼女の口からは奇声が響き、ぶくぶくと水溜まりに沈んでいく。

 喜劇なのか悲劇なのかよく分からないものを見せられたエレナは、何も見なかったことにしようかと迷ったが、生憎と同伴者は常識人だ。

 見て見ぬふりは出来ないだろう。


「……どうする?」

「にーさんに話したら、そこにいるべきなのはお前たちじゃないだろ、とか言いそうっすよね」

「…………はあ。とりあえず引き上げましょうか」


 もしかしたらヒダマリ=アキラの厄介事を引き寄せる性質は、伝染するのかもしれない。

 これは曖昧なものを曖昧なままにしておいたツケだろうか。

 エレナは頭を抱えながら、池に近づいていった。


―――**―――


「―――、」


 アキラは脇を締め、剣をコンパクトに振った。

 いつしか湧いて出てきたランドエイプを斬り払うと、即座にその場から離脱し、再び剣を構える。

 その直後、戦闘不能の爆発が起こった。

 決まったと思ったらその場から離脱。散々言われてきた通りに行動しているが、今のはたまたまだ。

 未だに決まったかどうかの判断は曖昧で、数度討ち漏らしている。だが、迷ったら離脱しろとも、散々言われている。


 今度はシーフゴブリンがアキラに飛び掛かろうとしているのが目に入った。

 危険な鉤爪を振りかざし、アキラをけん制しつつも攻撃態勢に映っている。

 あの変則的な動きにも多少は慣れてきた。あとは上手く隙を作ればいい。


「ノヴァ!!」


 目の前のシーフゴブリンがスカーレットの閃光にさらわれていった。

 容易く吹き飛ばされて宙をきりもみしながら飛んでいく。あれは分かりやすかった。明確に決まっている。

 ならば次だと視線を泳がせたアキラの目の前で、今度はイエローの閃光が走った。所々で戦闘不能の爆発が起こり、アキラがターゲットを探している間に次々とそれが消え、いつしか戦闘は終わったようだった。


「……あのさ」

「なに?」

「俺、やる気なくなってくるんだけど」

「集団戦でわがまま言わないでよ」


 エリーが一息吐き、アキラに近寄ってきた。今までも散々獲物を横取りした相手である。


「ま、でも、ほっといても騒ぎ出さなくなったわね」

「実はお前らが俺から離れて戦うようになってから、魔物が嬉々として俺を襲ってくるようになったんだが」


 アキラは慣れない手つきで剣を収めた。

 初めての戦闘で味わった息苦しさも次第に薄れ、本当にレベルが上がってきている気がする。

 だが、自分が必死にやることを目の前のふたりが事も無げにやっていると、アキラは今まで以上の疎外感を覚えたりもしてきた。


「……駄目ですね。中には特に何も無いようでした」


 アキラの背丈ほどのシーフゴブリンの巣の入り口から、サクが現れて首を振った。

 いつの間にか探索も終えていたようだ。

 聞いたところによると、シーフゴブリンはあらゆるところから物を盗み、その巣に蓄えるという。だが、見つかるのは壊れた家具や彼らが集めた食料ばかりらしい。

 アキラたちはもういくつも同じような巣を探索しているのだが、未だに成果らしい成果は上げられていなかった。


「じゃあ次に行きましょうか」

「なあ、次、俺に巣を探索させてくれないか?」


 あっさりと歩き出そうとしたエリーとサクを、アキラは引き留めた。

 このまま自分だけ低レベルの戦いを延々と繰り返しているというのも面白くない。


「は? どういう風の吹き回し?」

「いやさ、なんか俺が介入する前に、目の前で話がどんどん進んでいくのが耐えられなくて」

「えっ、めんどくさっ」


 エリーは表情を歪めるが、アキラにとってはまとわりついてくる疎外感を払うためには重要だった。

 何しろ戦闘では自分に向かってくる最小限の魔物しか倒せず、気づけばサクが巣の探索を終えており、機械的に次の巣へ向かっていく。

 いくつか前の戦闘など、アキラは同じ場所から動かなかったような気もする。


 ようやく真っ当な戦闘が出来るようになってきたのだ。

 自分でも色々とやってみたくなってきた。


「あんた探索って……、目利きとかあるの? 正直あたしもあんまりだけど」

「ざっと巣の中の様子を見てくるだけだろ? できそうじゃね?」

「……うーん、とはいえ……。ええと、アキラ様、中はその、酷いことになってますよ?」


 それは何となく察している。

 魔物も大まかには自然動物と同じだ。中はシーフゴブリンの異臭が漂っているようで、何度か入っているエリーが顔をしかめて出てきたのも覚えている。

 サクの気配りからか、極力彼女が率先して入るようになってくれているが、むしろそのせいで手際が良く、アキラが介入する前に探索が進んでいってしまうのだ。ありがたいことではあるのだが。


「何事も経験だろ」

「…………はあ。分かった。じゃあ次はよろしくね」


 渋々と言った様子でエリーは頷いた。やはりいまいち信用されていない気がする。

 サクからも案じるような不安げな視線を感じた。


 アキラはその保護者のような視線を振り払うように、樹海を進んだ。

 そんなに上手くはいかないだろうが、次の探索では何かを見つけてふたりを見返してやろう。


―――**―――


「はっ!?」


 溺死しかけていた少女が、パチリ、という音が聞こえるほど勢いよく目を開けた。

 そしてガバリと身体を起こすと、マリスたちの方をきょろきょろと見つめてくる。


「あれっ!? えっと、あれれっ!? なにっ!? なんだぁっ!?」

「ちっ、いいから落ち着きなさい」


 少女の大きい声量に対し、エレナは低く冷たい声を出した。アキラ、というより取り入ろうとした男性に対する甘い声ではなく、ドスの効いた脅すような声だ。

 マリスは底冷えするような瞳を浮かべるエレナを見張っているような気分になった。

 面倒ごとに巻き込まれるのが嫌いそうなエレナだ、生死の境をさまよっていた相手とは言え何をするか分からない。


「ええっと、あれっ!? あなたたちは……、どなたでしょうか?」

「はあ。私は、」

「そして私は誰……? なーんて……痛っ!? うおお、あ、本当に頭が痛いです!! うううぅ……!!」

「…………」


 彼女にとってあのまま気を失っていた方が幸せだったかもしれない。

 頭の痛みを味わうこともあるが、声量と態度にエレナが既に臨界点を迎えつつある。

 最近の組分けは妥当なものだと思っていたが、もしかしたら、マリスは姉と行動を共にすべきかもしれない。

 姉がいなければ、こうしたときに、マリスが間に入る役回りになってしまう。

 とりあえず混乱している少女に向き合い、マリスは半分の眼を頭に向けた。


「頭打ち付けて気を失ってたんすよ。コブとかできてるかも」

「んえ? ……って、いづっ!?」


 少女は頭に手を伸ばし、背筋を震わせた。やはり怪我をしているようだ。話せているから大丈夫だとは思うが、場合によっては治療が必要かもしれない。


「……ぅぅぅ……。いったぁ……」

「!」


 マリスは手を降ろした。

 頭にかざした少女の手のひらから、スカイブルーの光が漏れたのだ。

 瞳に涙を浮かべながら彼女が使用しているのは、水曜属性の治癒魔術だった。


「魔術師なんすか?」

「……え? ふふふ、それはもう、現役バリバリです!!」


 復活したらしい少女は胸を張った。そしてからからと笑う。

 そしてこの声量は、どうやら頭を打ったせいではなく、普段通りのものらしい。

 マリスは一歩少女から離れた。


「で。あんた……、何?」

「何とな!? ふっふっふっ、よくぞ聞いてくださいました。……あれ。誰、じゃない。酷くないですか?」

「名前でもなんでもいから答えろって言ってんのよ」

「おおっ、決闘、ですかね?」

「…………止むを得ないと思いつつあるわ」

「うけなかったっ!!」


 ぴょんと立ち上がり、少女は不敵に笑った。

 マリスはさり気なくエレナと彼女の導線に身を入れる。


「私はアルティア=ウィン=クーデフォンです。呼ぶときは、アルちゃん、とか、ティアにゃん、とか、親しみを込めて呼んでくれると嬉しいです」

「私はエレナ=ファンツェルン。さ、始めましょうか、決闘を」

「わっわっわっ!?」

「エレねー、ストップっす」


 マリスを容易くすり抜け、エレナは少女の首根っこを猫のようにつかみ上げた。

 マリスは慌ててその手を抑える。エレナの額に青筋が浮かんでいるのは気のせいではないだろう。殺しかねない。

 無事着陸できた少女は、カタカタと震えている。


「自分はマリサス=アーティっす。アルティアさんは、ここで何をしてたんすか?」

「いやいや、マリにゃん、あっしのことは、ティアにゃんとか呼んでくださいな」

「…………エレねー」

「うし」

「ひっ、わわわ、せっ、せめてティアと呼んでください……」


 マリスは臨界点も思った以上に近かったらしいと自覚した。

 すでにトラウマになりつつあるエレナが近づくと、ティアはびくびくと怯える。

 エレナに任せた方が多少は大人しくなるようだ。話も進むだろう。マリスはさらに一歩ティアから離れた。少し近くにいただけで、どっと疲れが出てくる。


「で。そこのうるさいガキはここで何してたの? 保護者は?」

「ひどっ!? わたしゃこれでも15歳でして、もう立派なレディですよ?」

「……いいから何をしていたのか話せっつってんでしょ。ひとり?」

「ふっふっふっ。よくぞ聞いてくださいました」


 声量は姉に近いが、単純にうるさく感じるティアは、再び同じセリフを胸を張って言った。

 彼女は分かっているのだろうか。これ以上下手なことをすると本当に殺されかねない状況にあることを。


「実はあっし、朝、何かの物音に目が覚めたんですよ。まずそこがおかしいんです。昨日遅くに寝たっていうのにぱっちりと、ですよ? わたしゃこれでも寝つきがいいことで有名でして、いつもならぐっすりのお時間にです。そうしたらですね、……あ、いやいや、昨日遅く寝たって言っても、えと、あんなことやこんなことをしていたわけじゃないですよ? そ、そりゃティアにゃんももう15ですから、多少の興味もありますが、……って、はは、何言わせんですかまったく」

「…………一人称を統一して、あと5秒で話し切りなさい」

「え、まだ始まってもないじゃないですか。それでですね、何かな? って思って台所へ降りたんです。あ、あっしの部屋は2階にあるんですよ」

「ねえ。このままこのガキあの池に沈めて見なかったことにしない?」

「エレねー、一応、一応話は進んでいるみたいっすよ」


 本格的に殺処分を考えつつあるエレナをなだめ、マリスは先を促した。

 もう犬に噛まれたと思って諦めるしかなかった。


「そしたらですね、何といたんですよ! 不敵に笑うシーフゴブリンが……!! 町外れの裏通りとはいえですよ!? それで私びっくりしちゃって、寝起きだったし、きっと顔も酷いことになってたと思います。いやいや、あんなに驚いたのはちっちゃい頃に、」

「その辺どうでもいいからさっさと進めなさい」

「あ、ええと、それでですね、もうばっちりあんにゃろうと目が合いましたよ。で、おっ、やんのかっ、って思ったら、シュタッ、って逃げていっちゃって。……でも、それだけならまだ良かったんですよ。でも見ちゃったんですよね、奴の爪に光る何か。その正体こそが、あっしのお父さんとお母さんの大切な指輪で、」

「……つまり、何か盗まれて、それを探しに来たね」

「あ、そうですそうです。流石エレにゃん、以心伝心ですね……いだっ!? いだいいだいいだい!?」


 魔物を絞め殺せるエレナの手が、ティアの口を塞ぎ、そのままぎりぎりと絞めていく。

 流石に殺しはしないだろうと願い、マリスはじっと苦悶に歪むティアを見つめた。

 物を探しに来たというのは分かるが、この樹海の中にシーフゴブリンの巣がいくつあるのか知っているのだろうか。

 見たところひとりのようだが、その計画性の無さは、ある男を連想させた。


「そ、それで、その、空の巣とかを探し回っていたんですが、転んでしまいまして……」


 ようやく話を終えたティアは、真っ赤になった顔をさすりながら泣いていた。

 要するに、何かを盗まれて、探索していたところ、汚れたので池で身体を洗っていた、ということらしい。

 マリスはようやく息を吐く。随分と時間を使ったが、まったくもって中身の無い話だった。


「じゃ、行きましょうか」

「そうっすね」

「あ、ちょっと待ってください、あっしはまだ、あれ……? 服着てる?」


 今更気づいたのか。

 アンダーウェアとハーフパンツに上着を羽織っただけの服装は、よく言って運動着、悪く言えば普段着だ。

 そんなところも、まさしくあの男のようだった。


「私たちが着せてあげたのよ。あんたの凹凸の乏しい身体にね」

「きっ、気にしているのにっ!!」


 止めとばかりにエレナは優越感を含んだ笑みと共に、自分の胸をせり出した。


「ず、ずるいです……!!」

「そんだけ騒げれば大丈夫でしょう、あんたはとっとと帰りなさい」


 これ以上関わりを持ちたくないとエレナの顔にはっきりと書いてある。

 マリスも同意見だった。騒がしいことも多少はあるが、そもそも自分たちは仕事中である。

 しかし、立ち去ろうとしたふたりの前に、ティアは回り込んできた。


「ちょっと待ってください。ここで逢ったのも何かのご縁。おふたりは、依頼でもしているのでしょうか?」

「違うわ」

「いやいやいや、あっしの目は誤魔化されませんぞっ」


 エレナの舌打ちが聞こえた。

 話からして、ティアはこの周辺で暮らしているらしい。そうなると、この辺りは旅人もほとんど通らないことを知っているのだろう。それこそ依頼でも無ければ。


「あっしは朝から駆けずり回っているせいでくたくたで、魔物に襲われたら危なくて、でも指輪を探さなければいけなくてですね。だから、良ければご一緒させていただけないかなーって。あの、雑用でも何でもお任せくださいな! そうしないと実際あっし、危ないんです」

「かわいそうね。こんなところで死ぬなんて」

「いやいやいや。早すぎますよその結論!! まだまだいろいろやりたいことがあるんです!! ってええと、そういう話じゃないですよ? まあ、その、そういう話のものも含まれたりはしますけど、きゃは、って何を言わせんですかまったく………………って待ってぇぇぇえええーーーっ!!」


 振り払う気力も失せ、マリスたちは無言で歩き続けた。


―――**―――


「……防御って、大切だな」


 異臭漂う暗がりの中、むくりと身体を起こした。

 身体は泥だらけになり、両手は頭を庇っていたせいで擦り切れ、特に手の甲が鋭い痛みを発している。背中も、何度も収めた剣がぶつかったせいで、ひりひりと痛んだ。


「……おーいっ!!」


 ゴワンゴワンと響く自分の声に応えるものは無かった。

 音の響き方から、自分がかなりの距離落下してきたのだと実感し、それで動きはする自分の身体に、防御膜の性能の良さに感動した。

 だが、状況は最悪だった。


「どうするよ、俺」


 ヒダマリ=アキラは、シーフゴブリンの巣と思われる穴に落下していた。

 ここは岩山の地下とでも言うべき場所に作られた巣のようで、中はサクが今まで探索してくれていた巣のどれよりも遥かに大きい気がした。


 今までを遥かにしのぐ数で現れたシーフゴブリンをエリーとサクのふたりと協力して討伐したまでは良かった。


 問題はその後だ。

 その巣は、奇妙なことにアキラの背丈の倍ほどもあり、妙な予感は確かにした。

 だが、次は行くと宣言した手前引っ込みがつかず、訝し気な視線を向けてくるエリーを無視し、表面上は意気揚々とアキラが足を踏み入れた瞬間、それは起こった。

 てっきりあると思っていた足場が無く、身体を強烈な浮遊感が襲ったのだ。

 それが落下によるものだと分かったのは、幾度か転がった後だった。それでもなお転がり続け、突然のことに悲鳴も上げられないままアキラは暗闇の中に落ちてしまった。


 侵入者を防ぐための罠だったのかもしれないが、そうだとしたらアキラはそれにまんまと引っ掛かり、曲がりくねった坂を転がり落ち、今に至る。

 持ち込んだ松明は、転がっている途中で手放してしまい、足元で砕けるように壊れているのが感触で分かった。

 光もない。絶望だった。


 マリスとエレナどころかエリーやサクとすら突然切り離されたアキラは、何も見えない暗がりも手伝い、身体中がひんやりと悪寒に支配されていった。


「…………あれ。もしかして、俺、いけんじゃね?」


 アキラは手をかざし、精神を集中させた。

 何度も見てきたエリーのスカーレットの光。

 防御膜が出来たのだ、似たようにすれば、あるいは。


「……ぉ」


 一瞬だけ、パッと手のひらが光った。

 力加減が違うらしい。原理は分からないが、もし今のを、もう少し慎重に行えれば、できるかもしれない。


「……、……、……、あ」


 力を入れ過ぎず、抜きすぎず、しばらくじっと手のひらに集中していると、ボッ、ボッ、ボッと火付きの悪いライターのようにオレンジの光が漏れ始めた。

 視力が悪くなりそうな光源だが、一寸先も見えない闇の中にいるよりは遥かにましだ。


「できんじゃん、俺。……!」


 そして、断続的に照らされる光の先、洞窟のような穴がさらに奥に続いているのが見えた。

 アキラが落ちた場所から3つほど大穴が空いており、いずれも奥は闇に包まれている。

 先ほど外で討伐したシーフゴブリンでこの巣は空になったのか、あたかも死後の世界のように静まり返っていた。


「よし、よし、よし」


 暗がりで追い詰められている精神から、わざとらしく言葉を呟き、アキラはよろよろと立ち上がる。

 このままじっとしていたら、気が狂いそうだった。

 アキラはとりあえず正面の穴を選び、歩き出す。

 上る術はない。ならばとりあえず、本来の目的の探索でもしていた方が気も紛れるだろう。


「……出るなよぉ~」


 身体を強張らせ、アキラは恐る恐る足を動かす。


 こうして。

 ヒダマリ=アキラは人と逸れたときに最もしてはならない、その場から勝手に動き回るという行為を開始した。


―――**―――


「……!」

「あら?」


 サクは慌てて足を止めた。

 直後、彼女たちに構われていたのか複数の魔物たちが戦闘不能の爆発を起こした。

 木々の間から姿を現したマリスとエレナは、その爆発を気にも留めずに歩み寄ってくる。

 良かった。


「ふ、ふたりとも、何でここに?」


 ふたりはここから距離のある場所で依頼をしていたはずだ。

 だが、目の前には確かにマリスとエレナの“ふたりだけ”がいた。


「私たちの依頼は終わったから、ま、見学よ」

「それより、サクさん、にーさんたちは?」

「そうだ、都合がいい」


 今走っていたのはこのふたりを探すためだった。

 サクは息を整えると、ここからでも見える小高い岩山に視線を投げた。


「聞いてくれ。アキラ様がシーフゴブリンの巣を探索しようとして、穴に落ちたんだ。それに、エリーさんも、私にふたりを探す用に伝言して、後を追って降りていったんだ」

「……」

「……」


 マリスとエレナのふたりともが、怪訝な表情を浮かべた。

 腑に落ちないような、しかしそれでいて、妙な危機感を覚えるような表情だった。


「サクさん。もしかして、にーさんたちが落ちていったのって、あの岩山っすか?」

「……? あ、ああ、そうだ」


 エレナが舌打ちした。

 そしてやはり、怪訝な表情のまま口を歪ませる。


「実はさ、私たちも探してんのよ、この山の穴への入り口。ちょっと面倒なことになっててね」

「サクさん、前ににーさんたちがスライムの洞窟に閉じ込められたの覚えてるっすか?」

「あ、ああ」


 忘れるわけもない。

 その上、先ほどアキラが消えていったときにも脳裏をよぎったのだ。

 もう今後、あの男を得体の知れないものに単身乗り込ませないと固く誓ったばかりだった。


「自分たち、たった今、同じようなこと経験したんすよ」

「?」

「そ。うるさいのがひとりいてね、そりゃあもう元気に騒ぎながら穴の中へ消えていったわ。で、その後様子を見ようと近づいたら、ガララ、って崩れて」


 ふたりは誰かと行動を共にしていたのだろうか。

 気にはなったが、今は後回しだ。

 それよりも重要なのは、あのスライムの洞窟と同様、“異質”を拒んだ事実である。


「やっぱりこの山、入り口はひとつじゃないみたいね」

「そうっすね……。サクさん、にーさんたちはどこから落ちたんすか? 案内して欲しいんすけど」

「ああ、こっちだ」


 サクは駆けながら、自分に浮かんだ思考と向かい合っていた。

 ふたりを見た瞬間、自分は心の底から安堵した。これでもう、解決したも同然だからだ。

 しかしそれと同時に、得体の知れない恐怖も覚える。


 落ち着いて考えれば、起こったことと言えば、空になったはずの巣に落ちたに過ぎない。あの場所で粘っていれば、もしかしたら自力で救い出すこともできたかもしれなかった。

 ふたりの話を聞き、ようやくあの岩山がきな臭いと思えたが、それよりも早くサクは自分の出来る範囲のことを諦めた。エリーもだ。


 この岩山で起こっていることは、異常なのか、そうでないのか。

 このふたりの力を借りる必要があるのか、そうでないのか。


 日常と異常が入り混じり、自分の出来ることすら境界が霞んでいく。


 今優先すべきことは、我が主君の救出である。手段を問わないのであれば、このふたりに頼ることは間違いなく最善だ。

 だが、案内をしているはずのサクは、速度を上げた。

 まるでふたりを引き離すように。


―――**―――


 いる。


 アキラは身をかがめ、必死に息を殺した。

 右手に照らしていた光は即座に収め、自分の存在を可能な限り消し去る。


「……」


 アキラは耳を傾ける。

 アキラが進んできた道は幾度も分岐があり、今は背丈ほども無い、屈んで通るほどの小さな穴にいた。

 そしてその小道が合流する大きな穴の先、アキラは確かに足音を聞いた。

 カチリと鉤爪が岩にあたる足音。シーフゴブリンのものだ。3,いや、4体だろうか。

 点滅するような光源にいたのが幸いしたのか、多少は暗がりに慣れてきた目が、薄ぼんやりとその影を捉えていた。

 こちらにはまだ気づいていないようだが、時間の問題だった。

 徐々に足音が近づいてくる。


 1体を倒すにも相当な集中力と時間が必要だというのに、複数体ともなればまともな勝負になるとは思えなかった。


「…………」


 アキラは先ほどまで光源にしていた右手を、目の前に広げた。


 “負けは無い”。

 この力を使えば、シーフゴブリンだろうが何だろうが負けることは無いだろう。


 だが、“勝ち”はどうか。

 アキラは左手で壁をさすり、即座に答えを出した。やはりごつごつと荒く、衝突すればただでは済みそうにない。


 具現化を使えば、あの4体を葬った後、アキラは間違いなくこの壁に身体を打ち付けることになる。

 ここにはアキラの怪我を即座に治療してくれるマリスも、アキラを支えてくれるその双子の姉もいないのだ。


 冷静に考えれば、一縷の望みを託して具現化を使う方がいいだろう。

 まともに戦って勝つ確率と、具現化を使用して生き残れる確率なら後者の方が高いような気がする。

 だが、前者もゼロではないはずだ。


 それに、具現化を使うことを、彼女は、嫌っている。


「…………」


 間もなくシーフゴブリンがアキラに気づく。

 この右手は、何を掴むべきか。


 剣か、銃か。


「―――!?」


 アキラが決断を下す前に、閃光が走った。

 先頭のシーフゴブリンを貫いたのは、スカイブルーの光。

 反射的に立ち上がったアキラは頭を打ち付けそうになった。


「ふふふんっ、どんなもんだいっ!!」


 視線を走らすと、アキラがいる小道を挟んでシーフゴブリンたちの向かい側、手に煌々とした松明を持った胸を張って少女が立っていた。

 一瞬唖然、したのも束の間、残りのシーフゴブリンたちがいきり立ち、現れた攻撃者に飛び掛からんと腰を落とした。


「ってあれ!? 1体だけじゃなかった!? や、やばばばばばばっ!!!! って、しかも決まってねぇぇぇえええーーーっ!!!?」


 洞窟に大反響する声に顔をしかめ、アキラはシーフゴブリンの様子を伺った。魔術攻撃を受けたシーフゴブリンもよろよろと立ち上がり、怒りを露わにしている。

 どうやら不意打ちに失敗したらしい少女は、逃げることも忘れて混乱していた。


 少女に飛び掛かろうとシーフゴブリンたちはじりじりと距離を詰めていく。

 間もなくアキラのいる小道を通過するだろう。

 このままやり過ごせばアキラには気づかれないかもしれないが、その選択肢は流石になかった。


「よっ、よっしゃ、来いやぁっ!! 倒すっ、それはもう倒すとも……!!」


 声で虚勢を張っていることもアキラはすぐに分かった。

 そしてその言葉が、シーフゴブリンたちへの威嚇として受け取られていることも同時に分かった。


 少女もそれに気づいたのか、震える手を銃のように形作り、人差し指をシーフゴブリンに向けた。


「シュロート!!」


 次の瞬間、少女の指からスカイブルーの閃光が走った。

 アキラの目の前を、軌跡を残して通過し、再びシーフゴブリンに命中する。

 当たり所によるのか、吹き飛ばされたシーフゴブリンは今度こそ倒れ込み、小さな爆発を起こした。

 だが、それは、開戦の合図だった。


「っしゃあ!! どんなもん……、っていっぺんにはダメぇぇぇえええーーーっ!!」


 残った3体のシーフゴブリンが駆け出した。仲間をやられた報復か、洞窟で再三騒ぎ続ける威嚇行為への怒りからかは分からない。

 少女の方は連発は出来ないようで、顔面蒼白にして慌てふためいていた。


 ならば。


「っ―――」


 シーフゴブリンが横穴から見えた瞬間、アキラは剣を横なぎに振った。

 そして同時に込める、日輪属性の魔力。

 剣を振り切り、強引に立ち上がったアキラは、小道から飛び出て構えを取った。


「ギ」


 2体。

 アキラはシーフゴブリンと対峙しつつ、状況を把握する。

 先ほどの不意打ちは、幸運にも2体まとめて捉えていたようだ。

 仲間の爆発に、残る1体は跳ぶように退き、それでも跳びかかろうと腰を落とす。

 先ほどまで4体で絶望的だったが、今なら勝機がある。


「き、きたっ、きたきたっ、助かったぁっ!! ここで助っ人が来てくれるなんて!」

「お前っ!! 下がってろ!!」


 確かに真剣にやろうとしているときに、後ろから“応援”されると気が散る。

 今更ながらに自分がやっていたことが後悔と共に浮かんでくるが、すぐに脳から追い出した。

 今は目の前のシーフゴブリンだ。

 少女の松明のお陰で、見にくく歪む貌も、危険に光る鉤爪もよく見える。


「ふー」


 これなら。


「あっ、隙あり!! シュロート!!」


 アキラの脇を、スカイブルーの閃光が走った。

 アキラに集中していたシーフゴブリンは容易く貫かれ、吹き飛んでいく。

 最後の戦闘不能の爆発が、洞窟内に小さく響いた。


「いよっしゃぁっ!! 見たか!!」


 振り返ると、少女は高らかにガッツポーズを取っていた。

 そのまま駆け出しそうな勢いで身体を躍らせ、危ないことに松明もブンブン回している。


「いやいや、まじで助かりましたよ。めちゃくちゃかっこよかったです!! あっしはもう不覚にもキュン、ってときめきましたよ!」

「……嫌いだ。お前なんか」

「わわっ、振られた!?」


 せっかく真剣になったというのに、オチがこれでは収まりがつかない。

 アキラは悲しげな瞳を目の前の少女に向けた。


 その邂逅を、松明だけがメラメラと照らしていた。


―――**―――


「あ、の、バカ……!!」


 エリーは壊れていた足元の松明を苛立ち紛れに蹴飛ばし、スカーレットの光で洞窟内を照らした。

 松明が落ちていた以上、アキラも同じくここに落ちたのは間違いない。

 一瞬連れ去られでもしたのかと思ったが、周囲の様子を伺うに、争った形跡が無い。

 だがそうだとすると、何故動き回っているのか。


 大方、魔力で灯りをつくりでもして、歩き出したのだろう。

 防御膜と同じく、再三見せてきた魔力の使い方だ。覚えていても不思議ではない。


「はあ」


 自分は慎重に穴を下りてきたというのに、アキラはその間にずんずんと先に進んでいってしまったようだ。

 エリーは先ほどまでしがみつきながら降りてきた穴を見上げる。外の音が全く聞こえない。随分な深さもあったが、シーフゴブリンの巣にしてはやはり妙だった。


 そしてそんな異変がありそうな空間で、異変を引き寄せるあの男はひとりで歩き回っているのだ。


「……」


 エリーは目の前の穴を照らし、3つの洞窟のような穴の内、真ん中の道を選んだ。

 あの男のことだ、どうせ何も考えずにまっすぐ進もうとするであろう。


 一刻も早くアキラを見つける必要があった。

 確かに最近のあの男は成長している。

 だが、それは飛躍的なものではなく、あくまで一般的なものだ。何年も魔術の鍛錬をしていた自分や、長く旅をしていたサクとは比べ物にならない程度の僅かな変化だ。


 だが、エリーにも経験がある。

 一番危険なのは、そうしたほんの僅かな一歩を踏み出したときなのだ。

 強くなったと高をくくって油断し、痛い目を見る。


 自分が経験したそれが、今まさにアキラに降りかかってきそうな気がした。

 いや、もしかしたら、エリーの比ではないかもしれない。

 あの男が引き寄せる異変はそれこそ規格外だ。


 それがもし、今のアキラの前に表れでもしたら。


「……っ」


 ぶるりと身体を震わせ、エリーは駆け出した。

 そして気づく。自分のスカーレットの灯りが、岩陰の何かを照らした。


「……ぇ、っ、ノヴァ!!」


 一瞬期待し、しかし現れたのがシーフゴブリンだと判断すると、エリーは即座に拳を放った。

 そしてそのままの勢いで駆け続ける。


 巣の中というだけはあり、まだシーフゴブリンが隠れ潜んでいるらしい。

 自分にとっては取るに足らない相手だが、今のアキラにとっては苦戦する敵である。

 とにかく自分は足を使って、この巣の中の危険を可能な限り排除しつつ、奴を探し出さなければならない。


「……ふー」


 走っていると、道が二股に分かれていた。

 エリーは一旦息を整え、今度は慎重に歩き出す。


 人のことは言えない。

 今、自分は冷静ではなかった。

 高をくくっているのは自分もそうだ。敵がシーフゴブリンという弱い魔物でも、ここはその巣である。油断は禁物だ。


 実際、先ほどシーフゴブリンにも気づくのが遅れれば奇襲を仕掛けられていたかもしれない。


 そして。


「……?」


 普段の自分ならこの違和感に気づくのももっと早かっただろうか。

 異臭が立ち込めるシーフゴブリンの巣だというのに、妙に空気が澄んでいるような気がしてきた。

 奥へ進めば進むほど、じめじめとした洞窟内の空気が乾いていく。


 そして改めて考えてみると、いくらなんでも巨大過ぎる。

 岩山の穴に落ち、随分進んできているのに、未だに全貌が分からなかった。


 奥へ、奥へ、下へ、下へ。


 進み続けるエリーは徐々に自分の足取りが重くなっていくのを感じた。

 疲労とは違う何かが、身体をまとわりついて離れない。


「え……?」


 どれほど歩いてきただろう。

 自分の手のひらから漏れる灯りと同じ光が、通路の遠くにぼんやりと見える。

 進めば進むほど、それが奥から漏れ出して、エリーの光と混ざり、溶けていく。


 いや、“圧し潰されていた”。


「っ」


 奥から漏れる光は、最早スカーレットではなかった。

 毒々しいほどの“赫”が、曲がりくねった道の先の奥から漏れ出し、光り輝いている。

 それは魔力の光だった。だが、見たこともない、いや、見たいとは思えない、終局の色だった。


 危険だ。

 エリーの頭で警鐘が鳴る。

 足は震え、脳は即座に撤退するようがなり立ててきた。

 決してその赫の出所へ向かってはならない。


 だがもし、この明らかな異変に、あの男が巻き込まれていたとしたら。


『ここまで来たのだ。行くしかない。そうであろう?』


 聲が響いた。


 男のものだろう、低く、そして洞窟内をエリーごと縛り付けるように鋭い。

 人間のものではないかもしれない。“言葉持ち”だろうか。

 だが少なくともそれは、エリーの存在を察知している。


「……」


 目を付けられた。引き返そうにももう遅い。

 逃亡しても相手は追ってくるだろう。この聲には逆らえない。


 エリーは僅かでも時間を稼ぐように1歩ずつ足を踏み出した。

 いつしか燃え滾るように熱くなった空間で、赫に包まれながら、しかしエリーの身体は冷え切っていた。


「!?」


 息を呑んだ。

 感覚的にはあっという間に最後の曲道に到達し、エリーは赫の部屋に足を踏み入れた。


 その瞬間に目に飛び込んできたのは、うず高く積まれた金銀財宝だった。

 巨大なホールのような空洞の奥、これだけで一国を買えるほどと思える財が、ぞんざいに転がされている。

 シーフゴブリンが集めたものだろうか。金銀財宝に留まらず、精緻な造りの武器や防具すら乱雑に散らかされており、最早大陸中の貴重品を押し込んだ、夢のような空間だった。


 “だが、そんなものはどうでもよかった”。


 問題なのはその手前、そのすべてを見渡し、横顔から光悦した表情を覗かせる、ひとりの男―――いや、“存在”。


「どうだ、美しいだろう」


 こちらを見もせずに語り掛けてくる存在に、エリーはただの一言も発せなかった。

 後姿だけなら、ただ黄金の甲冑を纏い、赫のマントを羽織っている大男にしか見えない。

 だが、その存在は耳が尖り、鬼のような貌を浮かべ、肌は魔力がそのままにじみ出ているかのような赫。

 漆黒の瞳を携え、黄金の髪をたなびかせ、その存在はようやくエリーと正面から向き合った。


 それは、エリーにとって初めての―――


「よく来た。魔王様直属―――リイザス=ガーディランの第72番宝庫へ」


―――“魔族”との邂逅だった。


―――**―――


「いやいやいや聞いてくださいよ。何とか役に立とうと張り切って巣に飛び込んだらすぐに穴にまっさかさま。ごろごろ転がり何度も頭をぶつけて、それでも九死に一生を得たわけです。なんてついていないんだとあっしは嘆いたんですが、そんなとき、シーフゴブリンが盗んできたのかは知らないですが、足元に松明が落ちていたんですよ。これぞ神のお導き! すぐにポーチから火付け道具を取り出してカチッとねっ! あ、そだそだ、ふふ、そういえば昔、お父さんの仕事場で松明を付けようとしたら思い切り頭を殴られたことがありました。いやぁ、あっしも若かったですねぇ。今はもう大丈夫ですよ、大人のレディですから!」

「…………」


 延々と止まらない言葉を浴びながら、アキラはアルティアと名乗った少女の話を頭で要約していた。

 どうやら彼女も、自分と同じようにこの岩山で仲間と逸れたらしい。

 少なくともこの岩山の巣は、入り口がいくつもあるほど巨大のようだった。


「あ、そうそう、何度お礼を言っても足りません。ありがとうございました。驚きましたよ、先ほどの不意打ち。あっしの位置からだと、こう、にょきっと剣が岩から映えてきたように見えましてね。ふふ、ときめきましたよ」

「あ、ああ……」


 アキラは辟易しながら、それでも松明に照らされる少女の顔を見つめた。


 これはエレナ以来の出逢いだ。

 落ち着きの無さも相まって、いくらか年下に見える。顔付きも、童顔と言った方がいいかもしれない。

 絶世の美女と言えるエレナとは違うが、可愛らしいと思える。


 このアルティアも、異世界のご都合主義によるヒロイン候補だろうか。

 どちらかと言えば攻略対象というより、攻略ルートの無い友人にも見えてくるのだが、境遇が同じだからか不思議と親近感が湧いてくる。


「……あ、駄目だな。俺、頭の中腐ってるかも」

「あれっ、だっ、大丈夫ですか!? あっしがうるさいからですか!?」

「自覚はしているんだな」

「ひどっ!?」


 あほらしいことを考えていないで、真面目にこの洞窟から脱出することを考えるべきだ。

 アキラは頭を振って、慎重に歩き始める。

 隣を歩く少女は、表情豊かに頬を膨らませ、しかしからからと笑っていた。

 耳は痛いが、絶望的な状況でも、ここまで元気だとこちらも気落ちしている場合ではないと感じる。

 そういう意味では、ありがたいと思った。


「あ、そういえば、さっき魔力の色を見たんですが、オレンジ、でしたか?」

「え? ああ。ふ。実は俺は、勇者なんだよ」

「おおっ、マジですかっ、うわー、ほんも―――」

「!?」


 元気な少女が、一瞬で視界から消えた。即座にびたーんと耳を覆いたくなるような音が洞窟内に響く。

 松明を放り投げ、地面を抱くように見事に倒れ込んだ少女は、ぴくぴくと痙攣していた。


「……、ひっ、う、い、いや、泣き、泣きま、せん。……ふ、ふ、ふー。……わわっ、転んじゃいましたっ、恥ずかしーーーっ!!」


 涙目になりながら、蠢いて身体を起こすと、誤魔化すようにまた騒ぎ始めた。


 まさかこんなドジを踏むとは。

 ドジっ娘というものは定番である。少々ずれている気もするが、やはり彼女はこの異世界でアキラが出逢う女性のひとりなのかもしれない、と、アキラは可能な限りこみ上げてくる笑いを抑え込んだ。

 大人のレディとやらが誤魔化そうとしているのだから、協力くらいはしてやろう。


 だが。


「あ」

「あれっ!?」


 ふっと洞窟が暗くなった。

 ドジっ娘が投げ出した松明が消えたことに気づくのに、アキラはしばらく時間がかかった。


「わ、わ、わ、あれ、あっし手を放して、わわわ、やべえぜアッキー!! どっ、どこだーーーっ!?」

「おっ、落ち着けって、多分この変に、……あった」


 唯一の光源が消えたことに焦りはしたが、アキラは残像を頼りに松明を拾い上げた。

 妙あ呼び方をされた気もしたが、この際どうでもいい。


「じゃあ、ほら」

「はい……、?」


 松明を手探りで渡すと、暗がりで、首を傾げられたのが分かった。


「俺、どっかに道具落としてきてさ、頼む」

「おおっ、気が合いますね!」

「……、…………。!?」


 会話の意味をアキラが理解するのに、先ほどよりもさらに時間がかかった。

 輪郭だけぼんやりと見える少女の笑顔が固まっていくのも感じる。


「アッキー、まじっすか」

「こっちの台詞だ」


 ドジというのは自分に関係の無い、遠い世界で見ているのが正しい距離感なのだとアキラは思った。身に降りかかればただの厄災だ。

 だがアキラは、まさにそんな遠い異世界に来てしまっているらしい。


 アキラは頭を抱え、渋々手に魔力を集めた。

 すると再び、目に優しくない断続的な光が現れる。不慣れな様子は見せたくは無かったが、手段を選んでいる場合ではなさそうだった。


 しかし、松明とは質が随分と落ちる灯りが、キラキラと輝いた瞳を浮かべる少女の顔を映した。


「お、おおお! 凄いです!! あっし、灯りを付けるのは全然できなくて、すぐ消えちゃうんですよ。アッキー、流石です!!」

「……え? ……だ、だよな? そうだろ!?」


 心の底から感激している様子のアルティアに、アキラは気分が良くなったのを感じた。

 どうやら自分はどんどん成長しているらしい。

 先ほども最後にケチが付いたとはいえ、シーフゴブリンを2体もまとめて葬っている。

 それをもたびたび思い出し、感激しきった様子で語るこの少女と行動を共にしていると、この状況でも不安が薄れていった。


「いや、アルティア。お前マジでいいやつだな……。いやさ、お前と同じくらいの声量の奴いるんだけどさ、そいつから飛んでくるのは全部怒号なんだ」

「はは、それはそれは苦労されてますねぇ。……あ、でもあっしのことは、ティアにゃんとか、親しみを込めて呼んでいただけると」

「悪い、俺、それはできないんだ。人として」

「人として!? ぅぅぅ、せっ、せめてティアと……!!」

「分かった、分かったから騒ぐなって……!」


 縋りつくように歩くティアを見て、アキラは気を引き締めた。

 彼女がこの様子では、自分がふざけていたら間違いなく全滅する。

 もしかしたらエリーやサクが自分を見る目はこうなのかもしれない。


「あ、でもそういえば、アッキー、……あっ」

「ん? どうした、また転んだのか?」

「い……痛いです……」


 蹲ったティアにアキラが灯りを近づけると、彼女は涙目で膝をさすっていた。

 先ほど転んだときだろうか、擦り剝け、血が滲んでいる。


「ま、待てよ、なんか……ええと」


 傷に当てられるようなものを持っていただろうか。

 アキラがポケットを探り始めると、しかし、目の前でスカイブルーの光が灯った。


「え?」

「うぅぅぅ……、よしよし」


 スカイブルーの光は、アキラがいつも見ていたマリスのシルバーの光のように患部にまとわりつき、まざまざと傷を癒していく。

 あっという間に傷が見えなくなった膝をぐいと拭い、ティアはまた元気に立ち上がった。


「……ティア。お、お前、治癒魔術が使えるのか?」

「んへ? ふふふ、おうともさっ!!」

「……脱臼とか治せるのか? 打撲は? 骨折は?」

「えっ、どこか怪我されているんですか?」

「いや、違うけど。……で、どうなんだ?」

「ふっふっふっ、そりゃもう一発ですよ! ティアにゃんに任せればぽぽんっとね! あっしにかかって治せないのは、女の子の一度だけの傷、ってきゃは、ははは、何言わせんですかまったく」


 変わらず騒がしく笑うティアの言葉を半分以上聞き流し、アキラはその肩を強く掴んだ。


「ど、どうしました!?」

「安心しろ。俺とお前の平和は約束された」

「へっ、え、わわわっ、告られた!? ど、どうしよっ」

「そうじゃなくて……!! よし。とにかく、見てろよ……!!」


 こうなれば脱出優先でも文句は言われないだろう。

 自分だけならともかく、今はティアもいるのだ。


 アキラは誰に対してか、心の中で言い訳を繰り返し、右手をかざした。

 今から起こるのは、ただの突貫工事だ。


 だが、アキラが手のひらに光を集め始めた、その瞬間。


「なっ!?」

「ひっ!?」


 洞窟内に、爆音が響いた。


「……なん、だ……!?」

「……あっち。向こうの方から聞こえましたよ……?」


 流石のティアも神妙な顔つきになって、感覚的に音が聞こえた方を指差した。

 それを追ってアキラは光で照らしたが、曲がりくねった洞窟はやはり先を見渡せない。


「…………行く、か」

「まじですか」


 アキラの背筋が冷えていく。

 気のせいならそれでいい。だが、嫌な予感がした。


 言葉にできない絶対的な悪寒が、身体中にまとわりつき、アキラの足を前へと進める。

 次第に走り出したアキラは、シーフゴブリンが潜んでいるかもしれない岩陰を無警戒に駆け抜け、ただただ音のした方へ向かった。


 この悪寒が、外れてくれることを願いながら。


―――**―――


「……それでだ。どう思う? 私の財を」

「か……は……っ、は、……」


 エリーの眼前、リイザス=ガーディランと名乗った魔族は、仰々しく手を広げ、マントをはためかせた。


 金の鎧から覗かせる肌は赫く、禍々しくも鋭い瞳のその顔つきは、人外のそれである。

 だが。背後の財を眺め、光悦した表情を浮かべる表情は、あるいは人間のようにも見えた。


 “魔族”。


「ぐ……ぅ」


 身体中が金縛りにあうほどの恐怖を覚えながらも、エリーはよろよろと立ち上がった。動きを止めていたら即死する。

 だが、先ほど受けた魔術の威力に足は震え、今にも倒れ込みそうだった。


しかしリイザスは、赫の世界で、そんな満身創痍のエリーの返答を静かに待っていた。

 敵とすら認識されていないのかもしれない。


「…………、だから、盗んだ、ものでしょう?」


 それでも、精一杯の虚勢を張って、先ほどと同じ答えをエリーは素直に吐き出した。

 目も眩むほどの財宝を前に、それでも、それは別のどこかから盗んできたものだ。

 それがリイザスの望む答えでは無いとも感じたが、それ以上に、この魔族を前に嘘を吐く方が許されないような絶対的な威圧を感じていた。


「……」


 リイザスが、パチンと指を弾いた。

 するとリイザスの周囲に、一抱えほどある赫の球体がひとつ浮かび、ふわふわと漂い始める。

 先ほども見た光景だ。


「アラレクシュット」

「……!」


 リイザスが詠唱すると、赫の球体は色の濃さを増し、ゆらゆらとエリーに接近してきた。

 エリーは満足に動かない足をそれでも強引に進ませ、離脱を試みる。

 しかし漂う球体は、ふわふわと追尾を続け、エリーの背後に迫ってきた。


 先ほどよりは少し遅い。だが、今のエリーでは逃げ切れない。

 意を決し、未だ痺れる拳を握り込み、先ほどのようにその魔術の正面で構えた。


 生半可な攻撃では意味が無い。

 余力を振り絞ってエリーは上位魔術を組み始めた。


「っ、スーパーノヴァ!! ―――っ!?」


 エリーの右の拳が命中した瞬間、球体は破裂し、目の前の景色を赫一色に染めた。

 鼓膜が破れたかと錯覚する轟音と、拳はおろか身体ごと吹き飛ばされたような衝撃がエリーを襲う。身体中が焼き尽くされたかのような熱気に当てられ、一瞬意識が飛びかけた。

 だが、辛うじて魔力で身体を守り、エリーは踏み留まった。

 また無様に倒れ込むわけにはいかない。


「ほう。……まあ、ひとつ目くらいは何とかしてもらわなければつまらんな」

「!?」


 しかし、最早立っているだけのエリーの眼前、同じ球体が先ほどよりもさらに遅く接近してきていた。

 追尾性があり、触れれば身体が吹き飛ぶほどの爆弾と化すのが、リイザスが放つ魔術の特徴だ。

 それは分かっている。だが、最早エリーは、上がらなくなった右手の代わりに、左手を差し出すことしかできなかった。


「ノッ、ノヴァッ―――っ!?」


 直撃したのとほとんど変わらないだろう。

 まったく力の入らない身体は軽々しく飛ばされ、エリーは地面に背中から落下した。

 肺から熱し切られた空気の塊が喉を焼きながら吐き出される。


 魔力の色から、エリーと同じ火曜属性の魔術であるようだが、エリーの魔術などまるで障害にならないほどの威力を誇っている。

 そんな魔術を、リイザスはその場から1歩も動かず、こちらを弄ぶように容易く放ってきていた。


 エリーにとって、魔族は、リイザス=ガーディランは、力の差があるとすら表現できない、別次元の怪物だった。


「か、は……、ぅ、ぅぅ、ぐ」


 身体を蠢かせ、それでもエリーは起き上がろうとした。

 倒れ続けることには意味が無い。

 だが最早腕はまるで上がらず、焼けただれた身体は僅かに動かすだけでも激痛が走る。

 せめてもと顔だけ上げてリイザスを視界に収めると、その貌に僅かな愉悦の感情を浮かべていた。

 倒れ込んだエリーに止めを刺すことすらせず、ただ悠然と、まるで背後の財宝の番人のように立っているだけだった。


 相手にされていない。遊ばれている。

 そう思うも、リイザスの小手先の行動にすら、エリーはまるで対抗できなかった。


 “魔族”という存在を、エリーは知識としては知っていた。

 あくまで使い魔に過ぎない魔物とは隔絶した存在。

 膨大な魔力と人間とは比較にもならない強靭な身体を持ち、街や村など瞬時に消し飛ばすとまで言われている。

 全世界でも目撃例はごく少数であるが、ひとたび現れれば僅か1体でも甚大な被害を人間界にもたらすほどの化け物だ。

 “魔王”になりうる存在だとも聞く。


 しかも、リイザスは“魔王直属”と名乗った。

 歴代の魔王の中にも魔族を従えた者はおり、その際も魔王討伐のための最大の障害として立ち塞がったという。

 過去には魔王の力を凌駕する魔族すら“魔王直属”となっていたこともあるらしく、魔王攻略のための絶対条件とまで言われている存在だった。


 話には聞いていた。だが、実際には、話半分に聞いていたのだとエリーは思った。

 僅か数度魔術を受けただけで、人間の研鑽や努力の果てに辿り着ける領域にいる存在ではないと分かってしまった。

 だが、それでも、今の自分は、それをそのまま受け止めてはならないともエリーは思っていた。


「……ふ。金、銀、財宝。……素晴らしいとは思わんか?」

「……?」


 喉は焼き切れたのか、声が出ない。

 瀕死に近いエリーの様子を伺いながら、リイザスは低い声を洞窟内に響かせた。


「シーフゴブリンなどという下等な存在にもその価値が分かるのだ。貴様ら人間も、最も重要視するものだろう?」


 やはりこの財宝は、この魔族の指示で行動したシーフゴブリンが集めてきたものなのだろう。

 だがこれほどの量を集めるとなると、一体どれほどの年月が必要なのか。

 熱に浮かされた頭では、まともな思考が出来なかった。


「魔界にも、等しく金は存在する。……そう、万物共通の魅力があるのだ」


 周囲から奪い続けた宝の山を、リイザスはざっと眺めて呟いた。


「下等な者は、感情にすがろうと下らんことを言う。だが、そうしたものは必ず裏切る。“財欲”こそ、あらゆる者が最後に到達する心理なのだ」


 言葉の意味は理解できる。だが、エリーはまるで納得できなかった。

 単なる暴論だ。

 しかし、リイザスの持つ静かにも凶暴な空気が、その反論を圧し潰すかのようにエリーの身体中を抑え付けてきた。

 そんなエリーの様子を伺いながら、リイザスは嗤った。


「……そう睨むな。別に私はお前を殺そうとは思っておらん。平和的に解決しようとしているだけだ」


 魔術で痛めつけておいて何が平和的なのか。

 力も、感覚も、倫理も別のリイザスは、エリーを見下しながら睨みを利かせた。


「分からんか。私が欲しいのは“財”。すなわち、お前が持つすべての財を置いて立ち去れば、私の欲はそれで満たされる」

「……?」


 この魔族は何を言い出しているのか。

 神族や人間に憎悪を抱いているとされる魔族が、人間を見逃すと言ったのか。

 だが、魔族のことなど分からないが、リイザスは本当のことを言っているように感じた。

 リイザスは、今エリーが持つ財を渡せば、本当に見逃すつもりのようだ。


「命など、取るに足らん。摘めば財を集める能力さえ失ってしまうのだからな」


 リイザスの眼が威圧するようにエリーを睨みつけてきた。

 身体中が恐怖で震える。

 だが、エリーはようやくリイザスの意図が分かってきた。

 圧倒的な力を見せつけ、財を差し出させようとしているのだろう。


「さあ、どうする?」


 リイザスにとって、エリーの力など何の意味も持たない。

 それならば、殺して奪えば済む話だ。

 だが、リイザスはあえて屈服を迫ってきていた。

 そうしたことに愉悦を覚えるのか、あるいはそれこそエリーの存在などどうでもいいと思っているのか。


 ただ、魔族という存在のことはまるで分らないが、少なくともリイザスの言葉に嘘は無いような気はした。

 財を差し出せば、リイザスは本当にエリーを見逃そうと思っているのかもしれない。


 エリーの懐には、大切にしまってある旅費が確かにある。これを差し出せば、この身体中を縛り付けるような恐怖から解放させるのだろうか。


「……まだ動けんか。いいだろう、しばし待つ。“賢い選択”をするがよい」


 ぐ、とエリーの拳に力が入った。

 今リイザスに屈服すれば、命だけは助かる。魔族の力は、別次元だ。リイザスの言うように、賢い選択を取るべきなのだろう。

 だが、やはりリイザスの言う通りだった。

 感情が邪魔をする。

 あまりに不遜で、見下し切ったこの魔族に膝を折ることを選択した過去の人々は、何を思ったろうか。


 そして自分がそれを選択したら、何を思うだろうか。


「……!」

「ぐ、ぅ」


 抵抗したと見なされれば、またあの魔術が襲ってくるかもしれない。

 だが、エリーは何度も蠢き、立ち上がろうとし続けた。


 もしこの場にマリスやエレナがいたらどうしただろう。

 彼がいたら、どうしていただろうか。

 リイザスに対抗できていただろうか。


 そしてもし、今エリーがこの魔族に屈して戻ったら、彼らはどう受け止めるだろうか。

 敗走ならまだしも、屈服だ。


『お前じゃ仕方ない』


 あり得ないと思いたい幻聴が聞こえた。熱し切られた空間の中、エリーの身体中が冷え切った。

 妹のマリスを追い続ける、凡人でしかないエリーは、しかし自覚はしていても、はっきりとした結果が出てしまうことを何より恐れる。

 例え誰にも言わなくても、少なくとも自分の中に、魔族に屈したことが事実として残ってしまう。

 ここで屈したら、自分は一生、マリサス=アーティの姉を名乗れないような気さえした。

 そして、あの男の魔術の師も、名乗れない。


 だが、今のエリーに、リイザスに対抗できる手段が存在しないのもまた事実だった。


 前にも後ろにも進めない。

 赫に染まった財宝が、滲んできた。


「……ふん。泣くほど悔しかろうと、財で解決すべきであろう?」


 ギリ、と歯を食いしばった。

 そんなエリーの葛藤になどまるで関心を示さぬように、リイザスは淡々と屈服を求めてくる。


 暴力的な力を行使し、相手の事情も構わず自己の要求だけをしてくる魔族に、エリーは心の底から恐怖している。

 許されるなら今すぐにでも逃げ出したい。

 しかし、別の何かが、自分の背中を確かに押すのを感じた。リイザスが見下してくるたびに、その手の力は強くなる。

 リイザスの言うところの、下らない感情だ。

 自尊心か、劣等感か、名前は分からない。

 だが自分にとって、それはきっと大切なもので、今まで姉を名乗れていた唯一のものだ。


 強引に身体を動かして、地べたを這うように四肢を蠢かせ、エリーは立ち上がり続けた。ここで動きを止めることだけは絶対にしたくはなかった。


 そんな芋虫のように蠢くエリーを見下し続けたリイザスは、不敵に笑った。


「ふ。……ならば―――っ!?」


 またも赫の球体の魔術を放とうとしたのか、腕を掲げようとしたリイザスを、突如として飛来したスカイブルーの閃光が襲撃した。

 その事態にエリーは背後に視線を向ける。


 そこには、ひとりの少女が立っていた。


「うっしゃ!! 見たかカツアゲ野郎っ!! これがあっしの……―――って、決まってねぇぇぇえええーーーっ!?」


 空洞に響き渡る大声が、恐怖一色に染まった。

 魔術攻撃と思われる光が直撃したはずのリイザスは、ただ埃を払うように黄金の鎧の胸を撫でている。

 理解が追いつかないまま硬直していると、エリーの肩が抱き寄せられた。


「へ……?」

「ちょっ、お前!! 絶対決めるって言っただろ!?」


 ヒダマリ=アキラは、唯一にして最大のチャンスを逃したと理解した。

 曲がりくねった洞窟内を、爆音を頼りに進んできて、ようやく辿り着いたこの場所に、エリーと怪しげな“存在”がいたのだ。

 魔力が理由と思いたくないほど熱し切られた赫の空間、乱雑に詰め込まれた金銀財宝の世界で、しかしアキラの視線は倒れ込んだエリーに向いていた。

 すぐにでも飛び出そうとしたアキラは、ティアが一撃で倒すと宣言して引き留められたのだが、残念ながら効果は無いようだった。

 確かにティアが止めてきた理由も分かるほど、あの“存在”からは得体の知れない何かを感じた。だからこそ、本当にティアには決めてもらいたかったのだが、様子を見る限り、何ら損傷を負っていないようだった。


「あ、あい、つ、」

「……って、お、おい、お前大丈夫か?」

「ま、まぞ、く、よ」


 腕の中のエリーは、息も絶え絶えで身体を蠢かせていた。

 身体中の皮膚は焼けただれ、装備も衣服も爆弾にでも吹き飛ばされたように損傷している。

 そして、目じりには今にも蒸発しそうな涙を見つけた。


「……っ、い、今すぐ、」

「わわわっ!! お怪我ですか!? 私に任せとけぇぇぇえええーーーっ!!!!」


 叫び声と共に慌ただしい足音が鳴り響いた。

 エリーの様子を見たティアが餌に群がる野犬のように駆け寄ってくると、流れるようにスカイブルーの光でエリーを包み込む。

 これがティアの治癒魔術なのだろう。

 もはや攻撃でも仕掛けているのかと思いたくなるような光の漏洩に、しかしエリーの表情は和らいできた。


「……って、お、お前、足止めはどうした!?」

「……へ? …………ぬっ、ぬかった!!」


 明らかに危険そうな存在を前に、アキラも無策で突撃してきたわけではない。

 第一波としてティアが奇襲し、第二波としてティアがけん制している間にエリーを連れてこの場から離脱する算段だったのだ。


 ほぼティア頼みのこの作戦は、それゆえに、その中核を担うティアが治療を始めるとどうなるか。

 アキラの背後で、身体中を縛り付けるような殺気が立ち上った。


「…………よく来た。魔王様直属―――リイザス=ガーディランの第72番宝庫へ」


 ティアの攻撃など何も意味をなさなかったように、身にまとう鎧には、傷すら入っていなかった。

 この様子だと、ティアが作戦通りにけん制しても、何の意味もなかったかもしれない。


 “つくづく作戦通りにいかない”。


「ぎゃーっ!!まっ、魔族!?やっ、やっぱりだーーーっ!! どどどどどどっ、どうします!?」

「そ、……そこ、の、うるさい女、しば、し、黙っていろ」


 異形の貌の存在は、声を震わせながらティアを睨んだ。

 それだけで、あれだけ騒がしかったティアが蛇に睨まれた蛙のように身体を硬直さる。

 魔力に疎いアキラも感じた。これ以上ないと思っていた熱気包まれる空洞が、リイザスから漏れ出す赫の魔力にすべての空気を焼き尽くされているかのように、更なる灼熱地獄へと変貌していく。


「さ、っさっそく、で、悪い、が、……“交渉中”に、邪魔をするような存在にっ、おっ、“教え”をくれてやるほどっ、私はっ、寛容っ、ではない」


 身体中を震わせ、額にはどす黒い血管が浮かび上がり、臨界点間際で自分を抑え込んでいるようなリイザスは、辛うじて踏み留まりながら言葉を紡ぐ。

 自分たちの横槍が余程気に入らなかったのであろう。

 あと僅かにでも刺激すればアキラたちはおろか背後の財宝すら消し飛ばすほどの強大な“力”の奔流が暴れ出しそうだった。


 いや、もう手遅れのようだ。


「こっ、殺すっ、ことにっ、しったっ。―――グ、グガァァァアアアーーーッッッ!!!!」

「き―――」


 身体の正面から暴風を叩きつけられる。

 アキラたちは吹き飛ばされぬようにその場で身をかがめることしかできなかった。


 リイザスが吠えると同時、アキラですらはっきりと分かる高濃度の魔力が殺気と共に解放された。

 あまりに膨大なその魔力に、リイザス自身が纏っていた金の鎧すら軋みを上げて弾き飛び、リイザスの背後の財宝すら崩れ落ちていく。


 そして、はじけ飛んだ黄金の鎧に変わり、異常に隆起した赫の筋肉の鎧が姿を現した。

 人間が作り出せそうな鎧など、リイザスにとっては装飾品に過ぎないのか。魔族の体躯も、そこから直に発される魔力の気配も、先ほどよりもずっと強く、赫の空間は一瞬で死の匂い一色に染まった。


「アラレク―――」


 目では終えなかった。

 リイザスが呟くと同時、その横に、一抱えほどもある赫の球体が一瞬で展開される。

 数は、4。

 それらは隊列するようにならび、リイザスの号令を今か今かと待つかのように、徐々に膨張していく。


「―――シュットッ!!」

「っ、あれに触らないで!!」


 あの魔術をエリーは知っているのか、アキラの腕から弾けるように立ち上がると、飛来してくる赫の球体と向き合う。

 だが、まだ傷も癒えていないであろう。

 ふらつきながら、力ない動きで構えを辛うじて取っているが、表情は苦痛に歪んでいた。


「なっ、ならっ、私にっ、任せとけ!! ―――シュロートッ!!」


 硬直が解けたティアが、両手を銃のように構え、そこからスカイブルーの閃光を射出した。

 放たれた魔術は、飛来する球体を正確に撃ち抜く。

 するとその瞬間、赫の球体は爆発し、空洞が震える振動させた。


 この魔術は、どうやら触れると発動する爆弾のような攻撃らしい。

 遠距離から攻撃出来るティアにとっては、対処は容易なのだろう。


 そうだとしたら、とアキラはエリーに視線を走らせた。

 まさか、彼女は。


「ふん、それで十分と思うか!?」

「いっ!?」


 球体は全部で4つある。

 ティアも魔術を放った直後ゆえに動きを止め、残るふたつを顔面蒼白にしながら眺めることしかできていない。

 動けたのは、満身創痍のエリーだけだった。


「―――ノヴァ!!」


 “これ以上ないと思っていた”。

 アキラの背筋がぞわりと震える。

 近接攻撃しかできないエリーは決死の覚悟で赫の球体に突撃すると、生贄のように自分の腕を差し出した。

 直後、爆音。

 直撃したのとほとんど変わらない衝撃に、エリーは身体中を焼かれて容易く吹き飛ばされ、飛ばされた先で痙攣しながら倒れ込んだ。


 目の前で淡々と進行した出来事に、アキラは、自分の表情が消えたのが分かった。


「まっ、まだ!!」

「―――もういい」


 ティアが焦るが、残るひとつの球体など、アキラは最早見ていなかった。

 何の問題もない。


 アキラは剣を抜き放った。

 そして、飛来する赫の球体目掛け、“投げつけた”。


「―――っ」


 剣は爆撃され、熱気にねじ切られて破壊された。

 安物の割には質がいいとサクは言っていたが、魔族の魔術にさらされては原型など留めようもない。

 壊れた剣はエリーの倒れた近くまでからからと転がっていった。


「ぁ……」


 エリーの声が聞こえた。

 だが、アキラは気にせず、淡々と“作業”を始める。


 右手をかざし、魔力を纏わせる。

 そしてそれは、徐々に形を成していく。


「む……!?」

「……すぐに終わる」


 リイザスの表情が変わった。

 ティアが呆然と見つめてくる。


 それらすべてがアキラの意識の外に追い出された。

 無音の白黒の世界で、呼吸さえままならない灼熱の空間にいるのに、アキラは自分の身体が芯から冷えていくのを感じていた。


 やはり思った通りにいかない。

 できればエリーを救出して脱出したかったのだが、今にも倒れそうなエリーの姿を見たときから、まともに頭が働かなかった。

 例えこの身がどうなろうとも、この魔族を見逃すことは出来ない。


 いや、“そもそも”。


「―――、」


 身体中に防御膜を展開させた。

 そして身体能力も強化する。


 身体中ががっしりと抑え込まれたような気がした。

 しかしそれすら、今のアキラには遠い出来事のように感じた。


 そしてその遠い世界で、アキラの右手に、確かな物体が形作られていく。


「消えろ―――」

「き、貴様―――」


 アキラは作業を続けた。

 顕現した銃の口を、力すら図れぬ存在に向け、引き金を引く。


 ただそれだけで、赫の世界はオレンジ一色に染まり、目の前の光景が塗り替えられる。

 リイザスも、財宝も、岩山も、すべてが消し飛ばしていく。


 アキラは、この光景を始めてまともに見た。

 魔力によって強化された身体は、その反動すら抑え込む。

 エリーたちはこの光景を何度も見てきたのだろう。


 総てを無に帰す絶対の力が存在した。

 魔王直属だか何だか知らないが、所詮、そんなものなのだ。


「…………」


 だが、初めて見て、少しだけ思った。

 この、誰もが絶句するその光景が、もの悲しいと。


「!! にーさん!!」


 アキラが銃を下ろすと、後ろから足音が聞こえた。

 逸れていた3人がここまで探しに来てくれていたようだ。

 マリスの顔を見て、もし身体の強化に失敗して、いつものようにアキラも吹き飛ばされていたら、下手をすれば死んでいたかもしれないと、アキラは他人事のように思い出した。


「い、今の、にーさん、が……?」

「あら。あんたもここに……、って、ちょっと、あれ!!」


エレナが鋭く叫んだ。

 アキラの光線の無残な傷跡の中、黒ずみとなった何かの身体がバチバチと赫の魔力を漏らしている。

 この光景は幾度も見た。魔物と同じく、魔族も息絶えると、同じように爆発するらしい。


「ひっ、引き返すぞ!!」

「―――上だ!!」


 脱出ルートを探ったサクの声を、アキラは叫んで止めた。

 そしてリイザスを討ったその銃を、今度は空洞の天井に向ける。

 迷わず引き金を引くと、今度はその強大な光線が、岩山を容易く貫いていく。

 膨大なオレンジの光線の先に空の色を見たアキラは、視線をマリスに投げた。


「了解っす!! フリオール!!」


 アキラたちの身体は瞬時にシルバーの光に包まれた。

 目の前の景色が一瞬で変わる。

 赫の部屋が、高速で通過する岩山に空いた穴に変わり、気づけば夕焼け空の世界にアキラたちはいた。

 めぐるましく変わった景色が落ち着くと、思い出したように眼下の岩山で大地を揺るがす爆音が轟き、玩具のように崩れ落ちていく。


「……あのさぁ。私、状況掴めてないんだけど」


 シルバーの光に浮かびながら、エレナが苛立ったように一言漏らした。

 眼前に広がる、自然構築物の現実離れした消滅を前でも、彼女は変わらない。

 マリスも瞬時に適応しただけはあり、やはり表情は落ち着いたものだった。


 そして、そんな落ち着いた様子の彼女たちのように、今日敵を討ったアキラも心が静まり返っているのを感じていた。

 きっと今この瞬間、アキラは、彼女たちと同じ目線でものを見ているのかもしれない。


 あの銃の力を、ついに何の代償もなく使いこなすことができた。

 その事実がどれだけ大きいものなのかをアキラはよく知っている。


 だが、それについての感動は、何故か浮かばなかった。


 身体中を火傷だらけにしながら、今にも気を失いそうなほど傷ついて、それでも意識だけは保ち続けているエリーとは、顔を合わせることが出来なかった。


―――**―――


 今日は夢を見なかった。

 それはそうだ。いつの間にか朝になっている。


「……」


 エリサス=アーティはベッドから起き上がると、黙々と身支度を整えた。

 昨日あれだけ負傷したのにもかかわらず、マリスの癒してもらった身体は十分に動く。

 だが、昨日以上に身体中が重く感じた。


 緩慢な動きで宿屋の庭に出ると、機械的に身体を伸ばす。

 まだ日も昇りきっていないそこは、凍えるほど寒かった。


 起き抜けのせいで、景色が滲んで見える。もう一度顔を洗ってきた方がいいかもしれない。


 昨日遭遇したリイザス=ガーディランは、エリーの理外の存在だった。

 今までも危険な魔物に出遭ってきたが、そんな存在たちとすら比べても、あの魔族は別格だ。

 身体のサイズだけで言えば、あの巨大マーチュと比較にすらならないが、それでも魔力の気配や魔術の威力、そしてその威圧感も、抗うのが馬鹿らしくなるほど、リイザスは別次元の存在だった。


 婚約破棄のために魔王を倒すと言い放ったものの、まさか魔族という存在があれだけの力を持っているとは夢にも思わなかった。

 書物や人の話から知ってはいたが、正直なところ誇張されているのだろうとエリーは思っていた。

 だが実際は、その話すら遠く及ばない。

 正面で向き合ったエリーだからこそ、世に広まった魔族の印象が過小評価されている者なのだと断言できた。


 だが、そんな魔族の頂点に君臨する魔王を討伐するという、自分たちの目的を遂行する方法は、やはりある。

 “彼”からは、あのリイザスという存在がどう見えていたのだろう。


 意識ももうろうとしていたエリーの脳裏に焼き付いているのは、あの強大なリイザスの最期ではなく、壊れて転がってきた剣の残骸だった。


「……使わせちゃったな」


 自然と口から零れた。

 あれだけ偉そうに、具現化を使うなと言っていたというのに、自分はと言えば、現れた魔族にまるで歯が立たず、結局あの力頼りになってしまったのだ。

 魔術の師を、あるいは、彼にとっては異世界のこの世界のことを教える立場を務めていたのに、まるで役に立てていない。

 強いて言えば、魔力の使い方を教えたことで、彼があの力を使うのに何らリスクを払わなくなれたくらいか。


 素直に考えれば、ついに勇者としての絶対的な力を手に入れられたということになる。

 最早マリスが傷を癒す必要も、そしてエリーが支える必要すらなくなった。

 魔王直属とやらのリイザスを一撃で葬ったことから、やはり妹の言うように、彼は十分に魔王を倒す力を持っているということになる。

 魔術や剣など、今のアキラには必要は無い。


 だが、それにどうしようもないほどの虚脱感を覚える。

 決して達成感ではない何かが、胸に広がり、しかし穴の開いたようなもの悲しさを感じた。


 酷く惨めな気持ちだった。

 リイザスに屈服を迫られたとき以上に、自分が情けなくなってくる。

 結局マリスやエレナの言う通りだった。力があるなら、それをただ使い続ければいい。

 それに反発し、彼をまっとうに魔術を学ばせようとしたのはエリーだ。

 こうなると、自分は邪魔をしているだけのような気さえしてくる。

 いや、事実そうなのだろう。


「エリーさん。もう来ていたのか?」

「……ええ。……サクさん、眠れた?」


 足音と、彼女にしては珍しい力の抜けたような声を聞いた。

 現れたサクは首を振る。

 実際に彼女はアキラがひとりで銃を放つ光景を見たわけではなさそうだったが、あの場で何が起きたのかは察していたようだった。


「……あのティアって子はどう?」

「それなら来るときに部屋の前を通ったが……、静かだったよ。流石に眠るときは口を閉じるらしい」


 昨日いつの間にかアキラと行動を共にしていた少女は、時間も遅くなっていたので自分たちと行動を共にすることになっていた。

 どうやら彼女の家はヘヴンズゲートらしい。

 目的地の地元民なら案内をしてくれるかもしれない。そんな少女に偶然出逢えるとは相変わらず出来過ぎている。

 至って順調な旅だった。

 そう思おうと、より一層、エリーが何もしなければ、このまま容易く魔王を撃破してしまえそうなほどに。

 何しろ、ヒダマリ=アキラ、マリサス=アーティ、エレナ=ファンツェルンという異常な力を持つ人材が揃っているのだから。


「……あの男の、……アキラ様の部屋の前は、通らなかったよ。いや、通れなかった」

「……」


 エリーが思い浮かべていたことが分かったのか、サクも同じことをと考えていたのか、あるいは両方か。

 サクが呟いた言葉は、エリーには痛いほど分かった。


 魔族の討伐。

 そんな偉業を成し遂げようものなら、まさにマリスのように無条件で魔導士隊に招き入れられるほどの功績だ。

 だが、エリーやサクにとって、その身近で起こった奇跡が、まるで他人事のように感じられる。

 たまらなく怖かった。

 目の前にあるのに、伸ばした手も、上げた声も届かない、どうしようもなく遠いものを、エリーはよく知っていたからだ。


「…………ま、やりましょうか」

「……そうだな」


 そんな恐怖を振り払うように、エリーは立ち上がった。

 身体中を襲う虚脱感に抗い、今日も自分の日常が始まる。


 例え決して届かなくとも、自分はひたすら前に進むしかない。


「……、!?」


 顔を上げて、エリーはびくりと固まった。

 宿屋のドアがゆっくりと開き、そろりと顔を覗かせたのは、自分とは別の世界の住人だった。


「……や、やほ。……って、早くね?」

「……あ、あん、た」

「お、おはようございます……」


 気まずそうに視線を外し、そろそろと近づいてくるのは、ヒダマリ=アキラ。

 寝ぐせの残った髪を撫でつけながら、まるで怯えるように歩み寄ってくる。


「……ええと、さ」

「う、うん」


 目の前で立ち止まり、しばらくじっとしていたアキラは、聞き取りにくい小声で呟いた。


「いや、さ。悪いとは思ってるよ? ……でもさ、しょうがなくね? あのときは」

「ちょっと、何の話をしてるのよ?」


 言いにくそうに口元を歪めたアキラは、覚悟を決めたように息を短く吸った。


「だからさ、お前が使うなって言った銃、俺、連発しただろ?」

「……は?」

「わ、悪かったって。……それに、せっかく選んでくれた剣も壊しちまったし」


 エリーとサクの機嫌を伺うように、アキラはふたりの顔を交互に見てきた。

 頭の中が多大な混乱で包まれる。

 この男は一体何を言っているのか。


「だ、だから、なに、よ。それに、あんた何でここに……?」

「ぐ、そこまで怒ることないだろ……!? 俺は破門されたってのか!?」


 言いつけを守れなかった子供のように目を伏せていたアキラが、今度は子供のように喚いた。

 ころころと変わるアキラの表情を見て、エリーはようやく身体に血が回っていくのを感じた。

 サクも目を丸くしている。

 エリーは感情を抑え付けながら、口を震わせた。


「あ、あんた、ひとりであの銃を使えるようになったんなら、もうここに来る必要ないじゃない」


 言うべきじゃない。そう思った言葉を、エリーは止めることは出来なかった。

 だが、エリーが震えながら精一杯吐き出した声に、アキラは不敵に笑って見せた。


「は、……言ったろ。勇者の武器は、剣って決まっているんだよ」


 木々の隙間から零れてきた朝日に、エリーの身体が僅かに汗ばんだ。


「……鬱陶しい顔ね」

「なんだと……!?」

「で、覚えてる?」

「?」

「今日で、3勝3敗よ。負けた方は、どうなるんだっけ?」

「……サク。何故起こしてくれなかった」

「ふ。申し訳ありません」

「おっ、覚えてろーっ!!」


 どこかで聞いたような捨て台詞を吐いて、アキラは駆け出していった。

 身体をいきなり動かして、あんなに無茶して走ったら、きっとすぐに息切れするだろう。

 だがエリーは、これ以上何も言えなかった。


 ヒダマリ=アキラが真面目に魔力の鍛錬を始めたこの数日。

 その日々は、無駄ではなかった。

 そう感じてしまっただけで、足元がおぼつかないほど震えてくる。

 彼の中では、この自分たちとの鍛錬が、確かな習慣として根付いていた。

 それだけで、救われたような気持になる。


「…………ふ。怒らなくて良かったのか? 言いつけを聞かずに具現化を使ったこと」

「もう強くは言わないわ」


 冗談めかして言ってきたサクに、エリーはいたって真面目に返した。


 声が届く場所。


 彼はあの力を有しながらも、それでも、この場所にいてくれる。ならばとやかく言わないし、とやかく言えば聞こえるだろう。

 あの力を使いこなしながらも、彼自身の力を伸ばす道を選んでくれたのだ。

 油断をするとまた怠慢な生活に戻りそうだから、そこには目を光らせなければならないが。


「……もしかして、本当に凄いことになるかもね」

「そうかもな」


 案の定早々に息を切らして、未だ目で終えるアキラの背をふたりで眺める。

 尋常ならざる力を持つアキラが、それ以外にも武器を持ったら、果たしてどうなるか。

 彼が選んだ道は、どこまで続いているのだろう。


 もしかしたらとエリーは口元を緩めた。

 自分が師を務めた存在が、どこまでも伸びていく様を、おぼろげながらに想像する。

 その先の成長を思うと、同じように、決して達成感ではない何かが、胸に広がった。

 しかし、身体は暖かい。


「……教え子の成長は、嬉しくもあり、寂しくもある。そんなことを、私は師から聞いたよ」

「そう、かもね。……サクさん?」

「いや、昨日の木刀、どこにいったのかと思ってな。しけてなければいいが」


 テキパキと準備を進めるサクに倣い、エリーも照準を見定める。

 流石に遠くに見えるが、アキラの背は、妙に近く見えた。


 すぐに追い越してやろうと気合を入れ、その背に向かって駆け出した。


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