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第5話『異物たちの共演』

―――**―――


「はあ……、ふふ」

「……?」


 荒くも甘い息遣いに、ヒダマリ=アキラは目を覚ました。

 差し込める朝日に顔をしかめると同時、人のぬくもりを感じる。


「……あら。お目覚め? アキラ君?」

「う……ん、うおっ」


 目を開ければ当然のようにいるその女性は、高揚した悩ましい表情をアキラに近づけてきた。

 宿屋のベッドの上、アキラに覆いかぶさるように乗ったその女性は、薄いアンダーウェアだけを纏い、柔らかな感触のする豊満な胸をアキラに押し付け、甘ったるく笑う。


「エ……エレナ、さん?」

「もう。エレナ、でしょ?」


 エレナ=ファンツェルン。

 容姿や身体つきは、遠目で見ても理想の女性と確信できるほど美しいその女性が、鼻と鼻が触れるほどの距離で、妖艶に笑う。

 その扇情的な仕草に一瞬で覚醒したアキラの心拍数は、なおも上がり続ける。

 エレナは、ひんやりとした手を、アキラの頬に当ててきた。


「ねえアキラ君。忘れられないの」

「……な、何が」

「ちょっと吸っただけで、私、あんなに……」


 エレナの吐息がかかる。甘い匂いがする。意識ははっきりしたはずなのに、アキラの視界はまたぼんやりと何かに包み込まれるように霞がかった。


「……いい? 動かないでね。……絶対に」

「ちょ、ちょっと……!」


 エレナは慎重にアキラに手を当てたまま、ゆっくりと長いまつげの目を閉じた。

 その表情が、また、なんとも欲情を駆り立てるもので、柔らかそうな頬や、ぷっくりとした唇に目を奪われ、アキラは時が止まったような錯覚を起こした。


 素晴らしい。

 本当に素直に、アキラは心で呟いた。

 この異世界はかくも優しいことか。

 こういうことがあってこその異世界物語だ。


 ほんの少し、エレナの手からライトグリーンの光が漏れ、ほんの少し僅かに残った理性が警鐘を鳴らすが、アキラの本能がそれをすべて覆い隠した。

 アキラもゆっくりと目を閉じた、そんなところで。


「はいっ!! しゅーりょーっ!!」

「……ちっ、正妻か」


 これもお決まりのパターンなのだろう。

 ドアが力強く開け放たれ、息を弾ませたエリサス=アーティが飛び込んできた。


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


「今日は実戦形式よ。全力で殴り掛かるからうまく守って」

「お前最近そればっかだな!! 他に言うことないのかよ!?」


 現在、一行はクロンクランから北上した小さな村にいた。

 その宿屋の裏庭で、サクは、主君が命の危機にさらされているのを遠目にのんびりと眺めていた。


「……今日は何を?」

「あら? 別にいつも通りよ」


 庭のベンチに礼儀正しく座ったエレナが、烈火の如く怒るエリーの様子を事も無げに眺めていた。

 クロンクランから旅に同行するようになったこの女性は、その日から頻繁にサクの主君の部屋を訪れ、毎度毎度騒ぎを起こしている。


 いつも赤い衣を纏い、黒髪をトップに結わっただけのサクと違い、エレナはころころと服装を変えている。

 機能性重視の服を好むエリーや、いつも同じようなマントを纏う彼女の妹と共に旅をしているから感覚は鈍いが、女性というのは本来そういう変化を好むのかもしれない。

 化粧や衣服には詳しくないサクだが、旅の経験から言っても、エレナは美しい女性だと思えた。またその男性に媚びるような仕草は、サクの主君を見るに絶妙なのだろう。


 それについてどうこう言うつもりは無いのだが、サクにとってエレナは頭痛の種だった。


「おらぁっ!!」

「ばっ!?」

「避けてどうすんのよ!!」

「殺す気か!?」


 殺伐というよりも賑やかなふたりの様子を伺い、サクも身体に魔力を巡らせ始めた。

 最近アキラの様子が少しおかしい気がしていたが、すっかりいつもの調子に戻っているように見える。

 となればサクとしても、あまり周りにかまけてはいられない。頻発している異常事態に対抗できるよう、少なくとも、この朝の鍛錬は集中して自己研鑽に臨まなければならないのだ。


「……もうみんな揃っているんすね」


 そこで、眠たげな眼のマリサス=アーティがゆっくりと現れた。

 エリーをそのまま増やして色だけ変えたような姿の双子の妹は、アキラとエリーの様子を眺めると、小さく息を吐く。


「エレナさん。また何かやったんすか?」

「もう、そればっかり聞かれるわね。……やったけど」

「……」


 ピリ、とした空気がマリスから発されたのを感じた。

 サクは、そういう話題は苦手だ。極力関わらないように半歩離れたると、現れたマリスに気づいたエリーが駆け寄ってきた。


「マリー、おはよう」

「……おはようっす。エレナさん、やっぱりまたにーさんに?」

「そう! ……エレナさん」

「なに?」

「本当に勘弁してくださいよ。防御膜もまともに張れない勇者様に、遊んでいる暇なんて無いんですから……!」

「流石にうるさいわね……、正妻は」

「ちがぁぁぁあああーーーうっ!!」


 頭を抱えて悶絶するエリーは、サクの目からも哀れに見えた。

 正直なところ、最初はどこまで本気かと疑っていたのだが、アキラとエリーは婚約中で、どうやら本当にその解消のために魔王討伐を目指しているらしい。

 しかし、そんな下らない夢物語のようなことを信じさせる、信じられないような理由は、この場にいくつかあったりする。


「おいおいおい。甘く見るなよ? 防御膜はもう……、あっ」

「あっ、じゃない!! 展開できるようになるまで下手に動くなって言ってんでしょう!?」


 アキラの身体から不規則に漏れるオレンジの光は、アキラが身じろぎするとあっさりと朝の光に溶けていく。

 この鍛錬も1週間は続けているのだが、アキラは未だ、魔術どころか魔力を使いこなせていないようだった。

 サクも力になりたいとは思うのだが、魔力方面については操れこそはすれ教えられるような域にはいない。


「……あ。ねえアキラ君。私が教えましょうか?」

「まじで? 助かるよ」

「いい! いいです!! オチはもう見えているんで……!」


 エレナの行動を全力でブロックするエリーの向こうで、マリスがアキラと何かを話していた。

 すると、アキラの魔力が格段に安定する。

 マリスににっこりと笑ったアキラは、得意げに、エリーの背後まで歩いてきた。


「ほら、出来てるだろ?」

「ん? ……あれ、なに、出来てるじゃない……!!」


 一部始終を見ていたサクには、それこそオチが見えた。

 驚愕しながらもアキラの防御膜を確認するエリーが、何を言い出すか読めたからだ。


「うん。じゃあちょっと試してみましょうか」

「よし来い!!」


 サクは主に、この朝の鍛錬では、刀や脚力を鍛えることにしている。

 だが毎日こうして魔力の授業をやっていれば、自然と知識が身についてきた気がした。

 自分はあまり苦労しなかったのだが、魔力を身体に維持することは、少なくとも、魔力の経験のない異世界来訪者には苦労することのようだ。


 なにせ。


「てぃ!!」

「いっ、……ぎっ!?」

「あれ?」


 少しでも動くと消えてしまうのだから。


「あ……、うっ、うっ、うっ」

「に、にーさん……!」


 動かなければよかったものを。反射的に避けようとしたアキラは、防御膜を途切れさせ、エリーの拳をまともに受ける。

 倒れ込んで悶絶するアキラに、マリスが駆け寄っていった。


 随分賑やかになったこの旅は、今日もまた、いつも通り始まった。


―――**―――


「え? だって最初に北に行ったんだろ? だからてっきりそのまま北を目指すもんだと」

「自分は、にーさんが自信満々に進んでいったからっす」

「私はアキラ様についていくだけだからな」

「あら奇遇ね。私もそうよ?」

「……答えが出たわね。あんたのせいじゃない」


 エリーは、己の浅慮を後悔しながらも、アキラに当たらずにはいられなかった。


 朝食を終え、宿舎のアキラの部屋に集まった面々は、ベッドの上で呆けたような表情を浮かべる勇者様をじっと見ていた。


「いや、それは違うだろ。ほら、俺はこの世界を知らないわけだし」

「だったら何でそんな自信満々に進んでいったのよ……」

「まあまあそんなにアキラ君を責めなさんなって。いいんじゃない? どこを進もうが魔王を目指すつもりなんでしょ?」

「エレナさんのせいでもあるんですけど……」


 クロンクランから北上した一行は、というより、エリーは、昨夜、改めて旅の計画を立てようとした。

 当初の計画では、クロンクランで情報を集めつつ、じっくりと旅の計画を立てるつもりだったのだが、エレナの一件で飛び出すように町を出ることになってしまい、仕方なく近隣の村を転々とすることになってしまった。

 エリーはほとぼりが冷めるのを待って、クロンクランに戻ろうかと漠然と思っていたのだが、毎度の出発の旅、妙に張り切るアキラが先陣を切り、気づけば随分と人の賑わう地域から離れてしまっていた。


 こうなってくると、最早目的もなく放浪していただけのような気もしてくる。


「ま、こんな話し合い、いつでもできるでしょ。ねえアキラ君、ちょっと村を周ってみない?」

「ああ、いいな」

「あんたたちがそんな調子だからいつまで経っても進路が決まらないんでしょう!? お願いだから真面目に考えましょうよ……」


 人が増えれば何事も思い通りにいかないこともあろう。

 だが、その舵を切っているのがこの世界の知識が無さすぎるアキラとなると、転覆するのが目に見えている。


「……よし。分かったよ」


 憐みの瞳を浮かべたアキラが、理解を示してくれた。

 エリーはその救世主に、誰のせいだとと毒付いた。


「マリス。俺たちどこへ行けばいいかな?」

「……またマリーに頼って」

「しょうがないだろ」


 確かにエリーも、もうマリスに頼らざるを得なくなっていた。

 エリーだって旅などまともにしたことは無い。マリスもそのはずだが、彼女の才能がそうさせるのか、この辺りの地理をはじめに旅の知識もそれなりに持っているようだった。


「じゃあ、地図を見た方がいいっすね」


 マリスがだぼだぼのマントを蠢かせた。

 妹のマントの中には、肩掛けの小さなバッグがあり、その中に旅の道具が入っていることをエリーは知っていたが、知らぬものにはマントから何かが生み出されているように見るかもしれない。


「広げるっすよ」


 ベッド脇の机を引き寄せ、マリスは何度も折り畳まれた正方形の地図を開いて置いた。

 エリーも地図は持っていたが、マリスのそれは、いたるところに細かな書き込みがされていて、随分と使い込まれていた。


「今自分たちがいるのは、ここっすね」


 マリスの細い指が、地図のやや右寄りの中部を指した。

 エリーはこの大陸の広さを改めて感じた。

 この村は、小さいとはいえそれなりに人が多いと思っていたのだが、もともと地図に書かれていたクロンクランや、マリスが書き足したのであろうリビリスアークと記された故郷の村と違い、名前すら載っていない記号だけの存在だった。


「これ世界地図なのか?」

「いや、アイルーク大陸だけの地図っすね。ああそうか、ええと……、この世界は大きく5つの大陸があるんすよ。ざっくり東西南北それぞれと、中央の大陸。アイルークは、東の大陸っすね」

「ふうん?」


 よく分かっていない表情をアキラが浮かべた。

 エリーは、他の大陸のことや、自分たちがいる場所の領土などを説明しようと思ったが、とりあえず今は飲み込んでおいた。

 今の急務は、この無計画な旅を正常に戻すことにある。


「それで、こっちには近づかない方がいいっすね。……魔門がある」

「魔門?」

「魔界への門があるらしいんすよ」


 マリスがするすると指を動かし、アイルーク王国の首都より、やや南西に外れた一で止めた。

 その物騒な存在をエリーも教養レベルで大まかな位置を把握していたが、地図には細かな位置まで記されている。よくよく見ると、マリスの書き込みのようだった。今更ではあるが、我が妹ながら恐ろしい。


「魔界への門、か」

「ちょっとそんなの今はどうでもいいでしょ? 魔王は地上にいるんだから」

「逆に、この大陸の天界への門はどこにあるんだ?」


 エレナと違い、サクの方は興味深げに身を乗り出す。

 全員が細かな書き込みの多い地図を覗き込むように見ている光景に、エリーは目頭に熱いものを感じた。

 自分は、こういう話し合いがしたかったのだ。


「? サクさん知らないんすか?」

「ああ、私はこの大陸の生まれではないからな」

「そういやそんなこと言ってたな」

「私は、……タンガタンザ出身なんです。西の大陸ですね」

「へえ……。じゃあ、エレナは?」

「私はシリスティア。……南の大陸ね」


 出自を語るふたりの様子を伺うと、妙な空気をエリーは感じた。

 思った以上に出身にばらつきがあるのを感じる。

 となると、あとは。


「よし。ならやっぱ、このまま北へ行こう」

「その理由を、そこだけ出身者がいないって理由以外で説明できる?」

「いや、まあ、いいだろ。理由なんか」

「はあ……。そんな理由で行先を選ばないでよ。だからこんなことになっているんでしょう」

「ど、どうせ、お前だって似たようなこと考えただろ……!」

「む」


 図星を付かれて、面白くなかった。

 ついでに言うと、アキラの無計画な行動の通りの結果になりそうなのもエリーとしては面白くない。

 しかし、最愛の妹は、そんなアキラの言葉に頷いてしまった。


「……そうっすね。北の大陸を目指す、というより、このまま北西へ向かうのはありっすよ」


 マリスが地図上を指で滑らす。

 そして、一際書き込みの激しい位置で指を止める。


「うおっ、見にくい……」

「そうっすかね?」


 文字がごちゃごちゃと密集し、詳しく書かれてはいるが、エリーには最早地図として読み解けないほどだった。

 妹の所有物は、どうやらエリーには難しいようだった。

 しかし、密集した文字の中、かえって目立つようなスペースがある。それは、街の規模を表していた。


「ヘヴンズゲート。ここにアイルークの天界への門があるんすよ。大きな町だし、クロンクランに戻らないなら、とりあえずここを目指すのがいいと思うっす」

「よし、そうしよう。ほらな、北を目指していて良かったろ?」

「……むぅ……」


 エリーは唸った。

 結局アキラが適当に言った通りになっていくのが気に入らない。

 気に入らないが、確かに合理的に感じた。


 自分たちの婚約解消を正当に行える神族に会えるかもしれない、というのは悪くない。

 それに、他に大きな町となると、マリスが苦手としているアイルーク国の首都へ向かうことになってしまう。

 サクも、そしてエレナも異論はないようで、いつしか難色を示しているのはエリーの小さなプライドだけになっていた。

 そして、これ以上無駄に時間を使うわけにもいかない。


「わ、分かったわよ。行ってやろうじゃない、このまま北へ……!」


 多少は計画性を持った行先は決まった。

 だが今は、やることがある。


―――**―――


 アキラが、異世界の旅というものに持つイメージはいくつかある。

 戦闘もそうだし、ダンジョン探索や自然との闘いといった苦難もそうだし、立ち寄った町や村で食事や観光の娯楽もそうだ。

 アキラにとっては、たとえ苦難だとしても、そのすべてが新鮮だし、キラキラと輝いた物語の一部として切望していた出来事である。


 だからアキラは目を輝かせ、この数日、異世界の旅を謳歌していたのだが、つい先日、赤毛の少女より現実が突き付けられた。

 元の世界での生活や、孤児院にいたときは考えていなかった問題が、ついに深刻化したらしい。


 例え旅が、どれほど輝いていようと、世界の共通認識として、それはあった。


 先立つものが無ければ、旅は出来ない。


「ぜっっったいにおかしい!! このチーム分け!!」


 そんなこんなで、とうとうそこを尽きた路銀を稼ぐべく、アキラたちは魔物討伐の依頼を請けていた。

 世知辛くはあるが、それで初めての“お仕事”に胸躍り、うっそうと茂る森林の中へ向かったのだが、アキラは現状に気づいた。


 魔物討伐依頼といってもピンキリらしく、小さな村だと割のいい仕事などまず存在しない。

 結果、ふたつの依頼を手分けして請けることになり、そして今、アキラの目の前には苛立っているエリーと申し訳なさそうな顔しているサクがいた。

 これでは。


「あんたさぁ……、あたしたちのこと弱いとか思ってない?」

「アキラ様。至らぬとは思いますが、全力でお守りを、」

「そ、そうじゃなくて……!」


 いい加減拳が震えてきたエリーに、深刻に落ち込む様子のサクを見て、アキラは首を振った。

 最近の異常続きで、ふたりの戦歴は振るわないのは事実だ。だがそれでも、アキラよりはずっと強い。

 だからアキラが言いたいのは、そういうことではあるのだが、そういうことではない。

 上手く伝えるのが難しく、アキラは正直に言った。


「いやな、俺の外れた肩を、お前ら治せるのか……?」

「それは! ……、その…………、やったことないけど、こう、ぐっ、っとやれば」

「そのときが来ても絶対に近づくなよ」


 本気で身の危険を感じ、アキラは釘を刺した。

 組分けは難儀することが見えていたので、エリーが用意したくじ引きで行うことになったのだ。

 もうひとつの組は、マリスとエレナ。この樹海のいずこかで、あのふたりはもうひとつの依頼を遂行中だ。


「……てかさ、何なんだよ向こうのチーム。何あのチートコンビ」

「決まったことにぐずぐず言わない! 一発勝負って言ったでしょう?」


 そう言うエリーも組分けが決まったときに瞳が泳がせたのを、アキラは見逃していなかった。

 はっきりとは言わなかったが、この組分けは、戦力が大きく傾いていることを誰もが感じているのだ。


 まずマリサス=アーティ。

 下手をすれば彼女ひとりでふたつの依頼を同時にこなせそうなほどの無敵っぷりを誇っている。

 戦闘で彼女が負傷したところさえ、アキラは見たことが無い。

 その上、唯一の治癒魔術の使用者となれば、アキラにとっては特にライフラインである。


 そしてエレナ=ファンツェルン。

 つい先日仲間になったエレナだが、その日のことは未だに覚えている。

 エリーとサクがふたりがかりで殺されかけていた巨体の魔物を、彼女はその細腕で軽々と締め上げ、瞬殺してみせたのだ。


 一応、彼女たちの組にはふたりといえど、エリーは負担の大きい仕事を任せていたようだが、あれから1時間ほど経っている。

 コミュニケーションに問題はあるだろうが、すでに依頼が終わっている可能性すらあった。


 そうなると、アキラにとっての最善手は、あのふたりの依頼が終わるのを待って、それから一緒にもうひとつの依頼を請けにいくことのような気がしてくる。

 魔物討伐の依頼というものに胸躍っていたが、あそこまでの力を持つふたりがいれば、律儀にこの辺り下らない魔物の討伐など、やってられなくなるような気持も浮かんできてしまう。


「はあ……、もういいんじゃね。エレナがいれば、路銀はなんとかなるし」

「だから駄目だって言ってんでしょ!! あんたやっぱり毒されたわね……!!」

「お前だって気づく前はそうしてたじゃないか」

「うぐっ……」


 エリーが管理していた路銀が尽きたのは、昨日今日の話ではない。

 それでも今日まで旅を続けてこられたのは、エレナのお陰だった。

 共に旅をする仲間ということで、エレナから多額の資金提供があったのだ。

 エレナが同行することに最初難癖付けていたエリーだったが、懐事情を肌で感じていたせいか、そんな援助をしてくれるエレナを現金にも温かく向かえ入れた。


 だが、尽きることを知らないエレナの財源は、盗賊が現れたと騒ぐ村人たちによって一気に明るみに出ることになる。


 使ってしまった分はどうしようもなかったが、即座に資金をエレナに返し、アキラに対して今後一切エレナの差し出す金品に手を付けることを禁じたのだった。

 神に祈りを捧げるように手を組み、村人たちへの謝罪を呟いていたエリーは、どうしようもないほどの哀愁が漂っていた。


「なんなの? あたしたちは近くの村を襲う盗賊団?」

「まあ、それに近いことはしたな。村人たちにはこれからも世話になりそうだ」

「そのものなのよ……! ああ、駄目、やっぱりエレナさんと一緒にいると倫理観壊れちゃう……。“しきたり”さえ気にしてないみたいだし……」


 エリーが真面目なのかエレナが自由過ぎるのか。

 アキラはどちらものような気がしたが、自分たちが婚約したのも“しきたり”によるもので、それを自分たちは正当に覆そうとしていることを考えると、エレナの方がこの世界の常識から外れているのだろうとは思った。


「……ところで、アキラ様」

「ん?」


 足場の悪い森林をすいすいと先行していたサクが、振り返って話を変えてきた。

 彼女もエレナの資金の出所を聞いて憤慨していた人物だ。思い出したくもないのだろ。

 サクはアキラの姿を上から下まで見定めると、考えるように顎に手を当てた。


「どうやって戦うつもりなんですか? その……ボス以外に」

「へ?」


 サクは、少しだけ恥ずかしそうに、アキラにとって分かりやすい表現で聞いてきた。

 それは、と言いかけたところで、アキラも気づく。

 服の中に防具を仕込んでいる程度で、アキラはなんの武装もしていなかった。

 巨大ブルースライム戦で、アキラはすべての武器を失った記憶がある。


「まあ、そうね。防御膜も張れないし、武器もないとなると、戦い方を…………。あれ。ちょっと待って。むしろなんであんたここにいるの?」

「おい、失礼だろ。…………あれ?」


 本気で疑問を投げてくるエリーに、アキラも気づいた。


 武具は無い。魔力も使えない。魔物の知識もない。今どこを歩いているかすら分からないほど地理に明るくもない。

 そして今から討伐するのは、具現化など使う必要のない魔物らしい。


「…………もう一度、聞いていい?」

「やめろ、……やめろ」

「アキラ様。村で、その」

「待ってろって言うんだろ……!?」


 エリーが大いに頭を抱えた。サクも眉間に拳を当てる。

 アキラも、自分の行動を正当化できる気がしなかった。


「あたしたち何やってんの……!? 討伐依頼のはずが護衛依頼になってんじゃない……!! それもこれもあんたがずんずん進んでいくから……!!」

「だって魔物の討伐やってみたいじゃん!!」

「っぅう、あ、はい」


 逆切れしてみると、エリーは大人しくなった。そして憐れんでいるようにも見える優しい瞳を浮かべる。

 以前も経験した。共に戦う仲間から、ただの護衛対象として見られるこの惨めな感覚は。


「じゃ、じゃああれだ。俺に戦い方を教えてくれ、普通のやつ」

「普通のって……。じゃあなんで武器を持って無いのよ……! せっかく村長から……ぁ」


 エリーはむうと唸った。

 そして申し訳なさそうに目を伏せる。彼女も覚えているのだろうか。


「ほら、お前を助けるためにばらまいただろ、それで無くなったじゃないか」

「……そうね」

「なんだよ」

「ううん。台無しだなぁって思って。…………まあいいわ。じゃあ一旦リセットされたから改めて聞くわ。あんた、どうやって戦いたいの?」


 エリーのジト目に見られながら、アキラはふむと考える。

 扱える武器が特にあるわけでもなく、アキラは素直に定番の武器を選んだ。


「剣、かな。やっぱ」


 多くの物語の挿絵を想像すると、勇者が持つ武具は決まっていた。

 勇者は剣を振りかざし、仲間と共に巨悪に向かっていくのだ。


「前も選んでたけど、使ったことあるの?」

「あるだろ。俺と言えば剣だよ」

「ん? あたしの知らない世界の話している?」

「マーチュの巣とかで見たろ? 勇者の武器は、剣って決まっているんだよ」

「…………」


 エリーがまた、妙に悲しい瞳を浮かべていた。

 確かにあのときは、ぽきりと折れたが、今はそうならないという根拠の無い自信があった。


「なんだよ。それともお勧めとかあるのか?」

「あたしも詳しくないわよ。……いいんじゃない。イメージしやすいものを使うのは間違っていないわ」


 そういうエリーだが、アキラはやはり信用されていないようだった。

 迷いながら視線を泳がし、エリーはサクに助けを求めるような視線を向ける。


「……そうですね。剣、というか、刀の使い方なら教えることは出来ます」

「お、頼む」

「はい。では、村に戻ったら始めましょうか」


 方向性は定まってきた。

 サクはやや生き生きとして笑う。

 剣と刀の扱いの違いすらアキラには分からないが、ある程度通じるものはあるであろう。

 ようやく自分にも普通に戦う力を得る機会が訪れたとアキラは意気揚々と歩き出そうとしたが、ぐいとエリーが腕を掴んで止めてきた。


「で。差し当たって今どうするかだけど」

「あ、そうだったな。……じゃあ、殴り殺し方教えてくれるか?」

「……教えてあげましょうか?」

「しっ……」


 エリーが拳を握り締めた瞬間、サクが素早くふたりの前へ躍り出た。

 前方、やや右方に位置する茂みが、がさがさと不自然に揺れる。


「……着いていたみたいね」

「ああ。……アキラ様、下がっていてください」

「……!」


 アキラはふたりの背後に回り、身を強張らせた。


 茂みから、アキラの胸ほどの高さの魔物が現れたのだ。

 猿のようなその魔物は、間隔が狭いつぶらな緑の瞳を携え、全身も同じく緑色の体毛で覆われている。

 背丈の割に細身だが、手が妙に発達していて、直立しているのに足元まで伸びている。

 口角が釣り上がり、歯茎まで見えている顔付きはどこか禍々しく、野生動物にしても獰猛な様子が感じられた。


「ランドエイプ……。討伐対象ね」

「顔付きはあれですが……、私たちのことを怖がっているようですね」

「……あれで、か」

「ここ、もうランドエイプのテリトリーみたい。侵入者の様子を見に来た、ってとこかしら」


 アキラは、今になってようやく、ランドエイプが目の前の1体だけでないことに気づいた。

 木の陰から1体、また1体と姿を現し、木の上にも緑の瞳が怪しげに光っている。


 村の食料を漁りに来るから、という理由で討伐対象になっているらしいが、アキラの目には、村人が皆殺しにされてもおかしくないような光景に見えた。

 だが、エリーとサクは、きわめて落ち着いた様子で対峙する。

 やはりアキラは、マリスやエレナはおろか、エリーとサク、あるいは、この世界の標準の域にすら達していないのかもしれない。


「お、おい、多くね? 大丈夫かこれ」

「大丈夫よ。大して強くないから」

「ええ。エリーさんはアキラ様をお願いします……!!」


 アキラが初めて参加した魔物討伐の依頼。

 見ているだけのその世界に、サクが鋭く飛び込んでいった。


―――**―――


「ギ……、ギ……」

「あら。ほとんど魔力もないじゃない」


 エレナ=ファンツェルンの足元に、彼女がまとめて締め上げていたランドエイプが数体ぼとぼとと落ちていく。

 魔力をほとんど奪い尽くされた魔物たちは、息絶えると同時に爆竹程度の小さな破裂音を響かせた。


「ぺっ、まっず。……次は誰?」


 妖艶に笑うエレナを取り囲んでいたランドエイプたちが取った行動は、はっきりとふたつに分かれた。

 決死の覚悟で特攻を仕掛けるか、一縷の望みを託して逃げ出すか。

 しかしその瞬間、どちらかの行動を取ったランドエイプたちは、一種でシルバーの閃光に貫かれた。


「……えげつなわね」

「なぶり殺しにするよりはマシだと思うすんけど」


 マリサス=アーティは、ランドエイプたちが爆発するのを確認すると、半開きの眼をエレナに向けた。

 数日前から行動を共にするこの女性は、たった今まで魔物に取り囲まれていたとは思えないほど自然に歩き出す。


「てゆーかさぁ、ランドエイプはあっちの担当じゃなかったっけ? なんでこっちにもこんなにいんのよ」


 エレナは不満を漏らしながら自分たちの討伐対象を目指して進む。

 確かにマリスも少し気になっていた。目に留まったランドエイプたちは駆除しているが、やけに多く、これでもう3度目になる。下手をすれば向こうの組より遭遇している可能性すらあった。


「はあ、まったく。別に路銀なんて何とでもなるっていうのに」


 エレナという女性のことを、マリスは良く知らない。

 だが、少なくともひとつ分かったことがある。

 それは、見た目通りのお淑やかな女性ではないことでも、村から路銀を盗む極悪人ということでも無い。


「……あんた。あの夫婦がいないとほんとに無口なのね」

「…………」


 木々が日を遮るせいで、妙に薄暗かった。

 ふたりして歩く樹海の中は、幸運にもその進路から巣の位置が逸れた魔物たちが、必死に息を殺している。


「……その魔術」

「ん?」

「木曜属性の魔物相手でも有効なんすね」

「……はん。別に火曜属性相手だろうが変わらないわ」


 エレナが操る魔術、キュトリムは、魔力どころか生命力すら奪い尽くしていた。

 相手の属性が同じだろうが弱点だろうが問わないともなれば、生命体は彼女に触れることすら許されないということになる。

 その上、彼女はその細腕からは想像もできない腕力を持ち、魔物を数体軽々と締め上げてみせるのだ。

 この大陸の、いや、世界中の魔術師を見渡しても、彼女ほどの力を有する者はほとんどいないであろう。


 つまり、それは。


「というか、この辺の魔物なんてどうとでもなるでしょう。……あんたもそうよね。こんな片田舎でよくまあ満足していられたわ」


 マリスはそれを賛辞とは思わなかった。

 エレナもマリスと共通認識を持っているだけに過ぎない。


 エレナ=ファンツェルンについて分かった確かなことは、自分同様、別格の力を有しているということだ。


「ところであんた。アキラ君の力のこと、どこまで知ってるの? 勇者の力とかなんとか言ってたけど」


 薄暗い森の中、いたるところで不気味に蠢く茂みを、エレナは気にもしていなかった。

 やはり彼女もマリス同様、そうした魔物の“怯え”は、慣れたものらしい。


「ほとんど分からないっすよ。…………エレナさんこそ、何か分かるんすか?」

「ぜーんぜん。でも、ちょっとは感じたわ。不用意に“吸おう”としたら、ふ。こっちがオーバーフローしかけたけど」

「……っ」


 エレナが妖艶に微笑んだ。マリスは呼吸を整える。

 だが、毎朝毎朝みんなが騒いでいる経緯を概ね把握できた。

 エレナがアキラの部屋に忍び込んでいるのは、彼から魔力を奪おうとでもしているのだろう。

 ただ、そんなエレナでも、アキラの力については分からなかったらしい。


「……にーさんが日輪属性だからじゃないっすか?」

「かもね? でも、まあ、どうでもいいわ、味方なんだから」


 マリスの推測に、エレナは適当に応えてきた。

 しかし煙に巻かれたというよりは、エレナが本当にどうでもいいと思っているように感じた。


 日輪属性は謎に包まれている属性だ。


 破壊力に秀でた火曜属性。

 物理的な防御に秀でた金曜属性。

 身体能力の強化に長ける木曜属性。


 それらの属性は、理解しやすい特性があるのだが、日輪属性は何に秀でているのか明確に記す情報はまず無い。

 マリスも調べたことはあるが、その詳細は、明るく照らす日輪だというのに、闇の中である。


 とはいえ、マリス自身、さほど問題とは思っていなかった。


「ま、あなたもそんなに解き明かしたいとは思ってないんでしょう? ……月輪属性」

「……」


 こちらの声色にもエレナは気づいていたようで、それは図星だった。

 ヒダマリ=アキラの力は、不思議だと思うし、素直に興味もある。

 だが、それを躍起になって解き明かそうとは思わなかった。


 それはおそらく、自分の有する属性ゆえの思考だとマリスは感じていた。


 月輪属性も同じく、謎に包まれている。

 ただ、月輪属性は希少ではあるが、日輪属性よりは一般に把握されている属性だった。


 月輪属性は、“魔法”を操る属性なのだ。

 魔術と魔法の境目は曖昧で、混合して使われることもある。

 だが厳密に言えば、学問として習得できるのは魔術だけなのだ。


 人が魔力で何かを成そうとしたとき、手順を踏むのが魔術であり、その何かをそのまま実現できるのが魔法である。

 つまりは、魔法は空想上の存在で、それを手順に落とし込めたものが魔術となる。


 曖昧なものを曖昧のまま操る月輪属性は、手順に固執しない。

 ゆえにマリスも、出所不明のアキラの力をそのまま認めていた。


 姉は苛立っていたが、アキラの言う、勇者の血が目覚めたという言葉すら、マリスにとっては納得できる理由なのである。


「……はあ。それにしても面倒ね。私が何でこんなこと」


 すでに依頼に飽き始めているエレナは、欠伸を噛み殺しながら緩慢に歩いていく。

 マリスはその背中に、目を細めた。


 分からないものは不気味で、不気味なものは忌避するものである。

 エレナは、“魔術”を操る5属性の魔術師だ。

 それなのに、エレナが頻繁に謎多き日輪属性のアキラに詰め寄っている光景をマリスは見ていた。


 マリスは、サクのときのような疑問が浮かんでくるのを感じた。

 あのとき、サクがアキラに対していだく感情が“そういうもの”ではないと知って、興味が薄れたのを覚えている。

 マリスは自分の思考が分からなくなって、極力意識を逸らそうとした。

 だが少し歩くたび、今目の前にいる女性はどうなのか、と気になってしまう。


「エレナさん」

「なによ?」


 同じことの繰り返し。

 そう思ったときには、口に出していた。


「エレナさんは、にーさんのことどう思ってるんすか?」


 やはりサクのときと、同じ質問が口から出てきた。

 何故自分は、こんな審判のようなことをしているのだろうか。

 姉と婚約しているアキラに近づく女性に対する妹の感情は、こういうものなのだろうと思いたかった。


「好きよ」


 あっさりとした答えに、自分が想像以上にびくりとしたのをマリスは感じた。


「え、そ、それは、」

「ええ、分かってる。アキラ君が日輪属性だから。でも、それでよくない?」


 日輪属性は、人の感情を増幅させるという。

 悪意はどうしようもないとはいえ、基本的には好感度が上がる特性があるのだ。


 月輪属性はそれが特に顕著らしい。

 ゆえに、マリスもアキラに対しては好意的な印象を持っていて、それだけだ。

 そういうものだから、そういうものでしかないはずだ。


 しかしエレナはその特性も知っているようで、マリスが吐き出せなかった言葉を読み取り、その上で、肯定した。


「人を好きになる理由なんてさ、そんなんでもいいんじゃない? その人がお金持ってるとかでも」

「…………それ、なんか違うっすよ。その人が好きなのは、お金ってことになるじゃないっすか」


 さばさばと答えるエレナに、マリスは顔をしかめた。

 昔、エリーの部屋で見た本が思い浮かぶ。

 あれでなかなか少女趣味で、ファンタジーが好きな姉は、漫画をはじめ、色々な物語を読んでいる。

 その話の中には、少々過激な内容のものも含まれていたが、それでも、その物語の登場人物たちは一様に、人を好きになるべくしてなっている。

 彼女たちには、好きな相手を好きになる、確かな理由があった。


「大差ないわよ。じゃあそうね、例えばよく聞く、優しいから好き、なんて言葉あるじゃない?」

「……」

「じゃあ、その人よりもっと優しい人が現れたら、その人は乗り換える?」


 マリスは首を振った。

 そう言われると、好きになる理由とは、どこまでも、漠然としていると感じる。


「そんなもんよ。顔がいいとか、お金を持ってるからとか、優しいとか、そんなの所詮、スタートに過ぎない。良し悪しなんてないでしょう。そうなんじゃないの?」


 エレナは僅かに眉を寄せ、首を傾けた。

 その辺りのことは、エレナも漠然と思い描いているだけのようだった。


 だが、マリスには分からなかった。

 エレナの話を、理解してはいけないような気がした。


「だから私はアキラ君が好き。一発芸だけど強いから好き。利用価値があるから好き。……シンプルで、いいじゃない?」

「……」


 エレナの言う好きが、軽く響く。

 息が詰まりそうになりながらも、マリスは肩の力を抜いた。

 彼女とは話していると、捉えようのない別の概念に触れ、自分の思考がばらばらになりそうだった。

 自分の方が月輪属性だというのに。


「だからさ」

「?」


 エレナはくるりと振り返り、またゆったりと、妖艶に笑った。


「日輪属性に惹かれるっていうのは、人を好きになる理由でいいんじゃないの?」

「……、」


 マリスは言葉を返さなかった。

 ただ何故か、胸のつかえがひとつ取れたような気がした。


「……あなたも結構、美味しそうね」

「……!」


 いつの間にかエレナが目の前まで詰めてきていた。

 彼女はからからと笑い、また歩き出す。


 マリスが気を引き締め直したところで、ふたりは森の開けた草原に到着した。


―――**―――


 ヒダマリ=アキラは、ふたりの言いつけ通り、安全圏で身を隠していた。

 先ほどまでは適宜応援していたのだが、どうやら特にエリーには不評だったようで、口を開くのは止めることにする。

 ランドエイプたちの巣ももう幾度目か。退屈を紛らわせるつもりでもないが、その代わり、ふたりの戦いをぼんやりと眺めることにした。

 時折、大立ち回りをする彼女たちの衣服がはだけ、目の保養になっているのだが、それでもアキラは辛うじて意識を保ち、ふたりの動きを注視する。


 イエローの閃光が、瞬時にランドエイプを両断する。

 サクが操るその身にそぐわないほどの長刀は、まるで彼女の手足のように動き、相当使い込んでいることが分かった。

 そして、サクの圧倒的な速力を持つ居合切りが、ようやく、足に魔力を溜めての跳躍だということに気づく。


 スカーレットの閃光が、ランドエイプたちを容易く吹き飛ばす。

 エリサス=アーティは、身体に魔力を巡らし、臨機応変に立ち回っていた。

 日頃アキラに言っている通り、基本に忠実に魔力を維持し、そして敵を討つ瞬間に魔力をさらに高めて拳や蹴りを見舞っている。


 ふたりの戦闘を眺めているだけで、アキラの息が止まった。


 アキラにとっての戦闘は、今まで、訳の分からない内に終わるものがほとんどだった。

 魔力の仕組みどころか何もかもが分からず、気づけば自分の持つ力が終わらせてしまうものでしかなかったのだ。


 だが今、ふたりの戦いをこうして見ていると、エリーが朝さんざん言ってくることが、ようやく分かってきた。

 身体に魔力を発動させ、防御膜の展開や身体能力の強化を行い、技巧を駆使して敵を打つ。

 こうして見てみると簡単そうだが、そのプロセスのひとつも満足にこなせないアキラは、その難しさを知っている。

 しかし今、ようやくそれが、実感として認識できそうだった。


 ただ、度々乱れる彼女たちの服装が、その実感を数割ほど奪っていくのだが。


 異世界は素晴らしい。


―――**―――


 樹海の中に開けた草原で、エレナは目の前の光景を乾いた瞳で眺めていた。


「私さぁ、1匹だけって聞いたんだけど?」

「自分もそうっすよ」


 そこには、エレナの背丈をゆうに超える緑色の魔物が密集していた。

 緑の体毛に覆われた筋肉の野生の鎧に、人ひとり分ほどある野太い腕で威嚇するように分厚い胸板を叩いている。

 ゴリラのような姿をしているこの魔物は、クンガコング。

 エレナたちの組が担当する討伐対象だ。


 ランドエイプなどとは危険性もまるで違うこの魔物が森の中で目撃されたようで、おびえた村人が依頼を出したそうだが、どうやら数え間違えたらしい。


 2,30体ほどを、1体に。


「これだからまともに働くの馬鹿らしくなってくるのよ。いい加減な依頼を出す奴もいるんでしょう?」

「自分に言われても」


 ここはクンガコングの群れのテリトリーらしい。

 無遠慮に足を踏み入れたふたりを精一杯威嚇している。

 その様子を呆れたように眺めながら、ふたりは同時に、小さく息を吐いた。


「ま、始めましょ」

「っすね」


 じりじりと距離を詰めてきていたクンガコングの1頭が、その巨体からは想像もできない速度で飛び掛かってきた。

 エレナはそれを棒立ちのまま見ていると、手が届きそうになったので、右腕を突き出した。

 クンガコングの首を正確に捉えたその腕を、そのまま持ち上げ、群れ全体に見えるように高く掲げる。


「グ……グゴォォォオオオ……!?」

「最初に教えとかないとね。……どっちが上か」

「ガフッ」


 宙で悶えていたクンガコングから奇妙な音が漏れる。

 その手足はだらりと下がり、可哀そうなことにぴくぴくと痙攣し始めた。どうやら首を握り潰したのが良くなかったらしい。

 そしてエレナは、力づくで群れの中央に絶命した魔物を投げ込んだ。


「……さ。次は誰?」


 群れは、仲間の爆発を見届けなかった。

 今まで以上にいきり立ち、エレナを睨みつけてくる。


「あら。逃げないの? 面倒ね」


 流石にランドエイプよりも力が強いだけはある。

 自己生命よりも敵を滅することの方に思考の比重が置かれているらしい。

 逃げ出してくれれば、とりあえず1体倒したので、村に戻れると思ったのだが、エレナの目論見は外れてしまった。


「なら―――、……!」


 エレナが次の獲物に襲い掛かろうとしたところで、目の前のクンガコング数体が、上空からの光に貫かれた。

 見上げてみれば、シルバーに輝く飛行物体が草原全土を見下ろしている。

 マリスはマントをはためかせ、クンガコングが届きようもない位置から、次の標的に狙いを定めていた。


「レイディ―」


 マリスが呟けば、鋭い光が飛来し、クンガコングを容易く貫く。威力も申し分なく、むしろマリスはクンガコングの耐久性を計りながら、威力の調整を試みているようだった。

 数千年にひとりの天才と呼ばれた少女は、すでにこの戦いの結末を記している。

 あの場に彼女がいて、魔術を放ち続けていれば、遅かれ早かれクンガコングたちは何もできずに絶滅する。


「流石にあれは、チート、ってやつね」


 任せようとも思ったが、とっととやった方がとっとと帰れる。

 エレナは再び目に留まったクンガコングに近づくと、首を締め上げ魔術を放った。


「キュトリム」


 瞬時に生命も魔力も失ったクンガコングは、小規模な破裂音を残して消え去る。

 ランドエイプより多少マシな魔力だが、それでもエレナの魔力の総量から比すれば、微々たる回復にもならなかった。

 この程度では、たとえクンガコングが背後から全力で殴ってきたとしても、エレナの防御膜すら突破できはしないだろう。


「……」


 エレナは考える。

 そうなると、やはりアキラから感じた魔力は別格だった。

 それが“勇者様の力”とやらのせいなのかは分からないが、身体中が一瞬で満ちた感覚を今でも覚えている。街中であれだけ哀れな姿を晒すことになるとは思いもしなかったが。

 そして、彼が有する具現化が放ったあの一撃は、もっと覚えている。


「……」


 マリサス=アーティは、“完成され過ぎている”。

 また、エレナ自身も、彼女同様、次元の違う力を有している。

 そしてその上で、ヒダマリ=アキラの力はそのふたりの力をさらに超えているのだ。


 エレナは思う。

 何か、異常な力が集結していると。


 最終局面というのなら、それくらいの力は持っていなければ、とても魔王一派の魔族とは戦えないだろう。


 だが今は、話を聞く限り、旅を始めた直後だそうではないか。

 エリーとサクもそれなりに力を持ってはいるのだが、それでも自分たちと比べると天と地ほど差がある。

 だがエレナは思う。あのふたりくらいが、妥当ではないか、と。


 仮にこれが何かの物語を形作っているとすれば、自分たちは異物だ。

 試練が、敵が、何の障害にもなりはしない。


「……は」


 わざわざ掴むのも億劫で、跳びかかってきたクンガコングの禍々しい面を殴り付けてやった。

 それだけで身じろぎひとつしなくなったクンガコングは爆発を起こす。

 よく見る光景だが、空からの閃光は同じ光景をいたるところで引き起こしていた。


「…………」


 気にしていても仕方がない。深く考え込まないのがエレナのスタイルだ。

 だがそれでも、拭い切れはしなかった。


 自分たちは集うべくして集った、などという世迷言を言うつもりは無かったが、エレナはその運命のようなものを感じていた。

 それと同時に、その運命に不自然さも感じてしまう。


 そして、その運命の導き手は―――ヒダマリ=アキラの具現化。


「……ふう。あの娘にさんざん言っといて、私も気になってきたわ。……あの力の出所、とか」


 エレナは目の前のクンガコングを、全力で蹴り飛ばした。


―――**―――


「うおっ、できた……!! 見て、見てくれよこれ!!」


 ランドエイプの巣もこれでようやく2桁ほどになり、そろそろ依頼を切り上げても問題なさそうと思った頃、エリーの背後で、子供のように騒ぐ声が聞こえた。

 これまでも戦闘にさんざん茶々を入れてきて、少し前からようやく反省したのか大人しくっていたはずのアキラが、どうやら復活してしまったらしい。


「……って、え……」


 そう思い、怒鳴りつけようと振り返ったエリーは、そのまま固まった。

 アキラの身体に、確かな魔力の流れを感じ、今までよりもずっと安定しているように見えたのだ。


「これ、防御膜だろ? なあ、なあ……!!」

「え、ええ。ええ……。え、なんで」

「は……? え、ああ、アキラ様、それは確かに、え」

「驚きすぎだろ」


 奥から戻ってきたサクと一緒になってアキラの身体を注視すると、まだまだ微弱という評価をせざるを得ないが、エリーは確かに防御膜の存在を確認した。


「う、動いてみて」

「ん? ああ」

「…………、ちょっと、いい?」

「は? わっ!? 何しや……、あれ?」


 アキラが身動きしても、エリーがとりあえず殴ってみても途切れない。おまけに、朝方悶絶していたエリーの拳も、大して効いていないようだった。

 アキラは本当に魔力を習得している。


「な、何をしたのよ……!?」

「いや、なんかお前のを近くで見てたら、なんか、こうかな、みたいな」

「そ、それで……」


 確かに戦闘中、アキラの視線が妙にくすぐったい気がしていたが、まさか防御膜を学ぼうとしていたとは。

 思わぬ殊勲な心掛けに、エリーは目を丸くした。


「ほら言ったろ? 経験値は馬車にも入るんだって」

「そうね、そう、ね。良かったぁ……」


 この男はまた訳の分からないことを言っている。だが、それでも、エリーは素直に嬉しかった。

 アキラの防御膜を指導し続けていたのはエリーだ。ほんの数日なのに、数多の苦難があった。生徒の思わぬ成長に熱いものを感じる。

 間近で自分を見て学んだ、というものも、悪い気はしない。


「確かに、見学、という意味では、来ていて良かったですね」

「やっとレベルが上がった気がするぜ……。ええと、身体の一点に魔力を集めて……、広げる、だっけ? そしたらさ」

「…………」


 そういう教え方をしたのはあたしじゃない。

 エリーは冷めた目を向けたが、未だ興奮したアキラは無邪気に笑っている。

 少しだけ気落ちしたが、それでもエリーは、笑い返してやった。


「よし。じゃあ次は殴り殺し方だ」

「……ええ。教えてあげましょう」


 防御膜を覚えたようだから今まで以上の力でやってやろうか。

 拳に力を込めたエリーからアキラが慌てて飛び退いたが、それでも防御膜は保ったままだった。


 調子に乗る性格はどうにもならないのかもしれないが、事実、アキラの力は上がっている。

 妹のように天才というわけでもないが、それでも絶望的に才能が無いわけでもない。正当な学習と経験を積めば、当然それなりに成長するのだ。


 だが、今までの戦闘は、本人の持つ銃や、妹のマリス、数日前から同行するようになったエレナがすべて解決してしまっていた。


 逆に言えばその3つの要因が、アキラの成長を阻害しているとも言える。


 エリーは深刻に考える。

 マリスやエレナはともかくとして、あの銃は、何故、よりにもよってこの男の元にあるのだろう。

 確かにあの銃が無ければ、少なくともエリーは何度か死んでいる。だがそれでも、どうしても思ってしまう。

 やはりあの銃は、アキラが持つべき力ではない。


「……じゃあ、次に行きましょうか」

「ん……? あ、ああ。そうだな」


 エリーはサクに目配せし、次のランドエイプたちの巣を目指した。

 そろそろ切り上げようと思っていたが、アキラの成長のために、もう少しくらいはこの世界の標準の戦い方を見せるべきだろう。

 身の丈に合った戦いを経験すれば、アキラは成長するのだ。


 ふと思う。

 あの銃が無ければ、アキラはきっと、自分に合った武器を忘れずにこの場に持ち込んでいたはずだったと。

 そしてもし、マリスがいなければ。

 そしてもし、エレナがいなければ。


 やはり妙だ。特に、あの銃。そしてその―――送り主。

 勇者の力で済ませてきたが、そろそろ本格的に考えるべきではないだろうか。


「……ふう」

「ん? どうした、疲れたのか?」

「ううん、別に。それより、目を離さないでいなさいよ」


 エリーは頭を振って、嫌な思考を振り払った。

 謎解きはおしまいだ。今はピースが少なすぎる。

 エリーが気合を入れなおして進もうとした、そのとき。


「……!?」


 森が突如ざわめいた。不自然な振動が木々を揺らし、鳥たちが一斉に羽ばたいた。


「なっ、何だ、ボ、ボスか……!?」

「アキラ様、下がって」


 瞬時に警戒したサクはアキラを庇い、ふたりして周囲をきょろきょろと見渡す。

 しかしエリーは、その原因を最初に見つけていた。


「……違うみたい。ほら」

「あ」


 エリーは空を指差した。

 木々の隙間からシルバーに光る飛行物体がちらちらと見える。


「マリス? あれマリスだよな?」

「ええ、そのようですね」

「向こうの組に近いとこまで来ちゃってたみたいね」


 随分と騒々しいが、まさしくその“ボス”を任せた向こうの組が近くにいる。

 それなりに危険な地帯まで来てしまっているようだから、アキラを抱えている以上、離れるべきだろう。

 エリーはそう判断したが、サクの脇からするりとアキラが抜け出した。


「よし、様子見に行こうぜ」

「ちょっと……!」


 防御膜を習得し、気が大きくなっているアキラがずんずん進んでいく。


 今、そこに行くべきではない。

 エリーはそう強く感じたが、その背中を止めることが、出来なかった。


―――**―――


「あら? ボス猿?」

「みたいっすね」


 あらかた草原の見通しが良くなり、マリスはふわりとエレナの隣に降り立った。

 最初に見たクンガコングたちはあらかた倒したはずだったのだが、空から見ていたマリスは、まだまだ樹海からクンガコングたちがあふれ出してきていたことを知っていた。

 クンガコングたちの異常発生。国の魔術師隊にでも依頼すべき事態であろう。

 この依頼は、随分と元の内容から外れており、最早一介の旅の魔術師がどうこうしていい領域ではなくなっているようだった。


 その上で、さらにその奥から、今までの倍ほどのサイズのクンガコングが現れたのだ。

 仲間の度重なる死を受け、いきり立って大気を振動させるほど胸を叩き、威嚇してくる。


 だが、その程度だった。

 マリスもそのボス猿が現れるところは見ていたが、エレナに伝えようともしなかった。


 現れた巨大なクンガコングの唸り声を聞き、生き残っていたクンガコングたちが隊列を作り始めた。

 どうやら本当に、この魔物の群れを率いる存在らしい。


「あら。多少は知恵があるんだ。驚きね」

「そうっすね」

「じゃ、やりますか」

「了解っす」


 マリスが最も危惧していたのは、エレナが飽きてこの場を去ることだった。

 一緒に依頼に向かっていったのに、エレナだけ先に帰ったとなれば、過保護な姉のエリーとの喧嘩の種になりかねない。

 とりあえずエレナはまだやってくれるようで、これ以上の火種は避けられるようだ。


「上は楽そうね」

「そうっすかね?」


 マリスは首をかしげながら再び空を目指した。

 目標の高度に到達すると、すでに数体殴り殺していたエレナと目が合った。

 とっとと終わらせたいと思っているのは、エレナも同じのようだ。


「レイディ―!!」

「キュトリム」


 そして、始まる。

 ふたりの狩りが。


 マリスが空から遠方の魔物を貫き、エレナが陸で周囲の魔物をまとめてなぎ飛ばす。

 この森総てのクンガコングがこの草原に密集し、ふたりの外敵に抗ってくる。

 だが、どれだけ数を増やそうとも意味は無い。何もできず、何も残せず、クンガコングたちはバタバタと滅びていく。

 少し困ったことと言えば、延々と出てくる魔物のせいで、そろそろ向こうの依頼も終わる頃になりかねないということだった。


「いくっすよ―――」

「……!?」


 マリスは魔力を溜めた。

 エレナが睨みつけるように見上げてくるが、仕方がない。


「―――レディクロス!!」

「っ―――」


 マリスは上位魔術の詠唱と同時、空を両手で“ひっかいた”。

 空に、時空が歪んだかのように見えるシルバー“爪痕”が残る。

 そして、そこから無数の光の矢が現れ、雨のように草原中に降り注ぐ。


「んっ、……くっ、……は……!!」


 今まで単体目掛けて放っていたが、流石にもう付き合い切れない。

 一瞬で、マリスの眼下の草原は、シルバー一色に染まった。


「……、……、……、ちょ、ちょっと。あんた私も殺す気!?」

「エレナさんなら防げると思ったんす」


 またふわりと着地すると、マリスの攻撃範囲にしっかり含まれていたエレナが憤慨していた。

 マリスの攻撃も、彼女はその手で吸い取っている。苛立っているが、クンガコングとは比較にならない質の魔力の吸収に、エレナはここに来たときよりも回復していた。

 そんな彼女だからこそ、マリスも迷わず上位魔術を放ったのだ。

 彼女でなければ、凌ぐことすら不可能であったであろう。


 目の前の、群れのように。


「……むごっ」

「エレナさんのやり方よりはマシだと思うんすけど……」


 緑に覆われていた草木は焦土と化し、くすんだ煙が昇り、いたるところに陥没するような大穴が空いていた。

 焦土に転がる身体中が焼かれた巨大な炭の塊は、所々で爆発を起こしている。

 この草原で無事な空間は、円形に切り取られたようなエレナの周囲だけだった。


「あら?」

「……!」


 ただ、奥で何かが蠢いた。

 身体の大きいボス猿だ。仲間に庇われたのか、未だに息があるようだった。

 だが、いずれにせよ虫の息。

 放っておいたとしても、いずれは息絶えるであろう。


「ま。あれに止めを刺せばしゅーりょーってとこね」

「……! いや」

「…………はあ。何体いんのよ」


 溢れんばかりになだれ込んだりはしてこなかったが、樹海の中から、数体のクンガコングが現れる。

 樹海に潜んでマリスの魔術の難を逃れたようだが、それでも、あれで打ち止めのようだ。

 だが、動きがおかしい。


「よし。とっとと終わらせましょう……って何よ?」

「……何か、おかしいっす」


 今までいきり立ちながら現れていたクンガコングは、今にも息絶えそうなボスの周囲をぐるぐると取り囲み、こちらを遠方から威嚇してきた。


 もう止めてくれ。

 そんなわけが無いのに、マリスには魔物たちはそう言っているように感じた。


「ああ。どうせ庇ってんでしょ」


 エレナは何も気にしていないように、群れの生き残りに冷たい視線を向ける。

 だが、歩き出そうとして、ぴたりと止まった。


「あれ。何で庇ってんのか分かる?」

「?」

「ボスってのは、群れで一番強いやつのことでしょう? でもあの猿が、もう死ぬなんてこと、あいつらにも分かるでしょう。それなのに、よ」


 エレナの言葉は分からない。

 だがマリスは、何もかもが失われた草原で、その言葉を聞き洩らさないように耳を傾け続けた。


「好きなんじゃない? あのボス猿が。最初はあいつに負けて、群れの下っ端になった。だけど今は、それはもう関係なく、あの猿を守りたいと思っている。そういうこと、なのかもね」

「……」


 マリスは何も言わなかった。

 そしてとぼとぼと歩き出す。もう飛ぶ必要もない。

 無情ではあるが、あとは依頼の仕上げをするだけだった。


―――**―――


「っ……」


 エリーは見た。

 木々に隠れながらも、目の前の光景を。


 異物たちの共演。


「……こ、これは」


 サクも、同じように食い入るように見つめながら、まともな言葉を発せていなかった。

 魔術を少しでも習得している者であれば、いやむしろ知っているからこそ、目の前の光景がありえないと断言できてしまう。


 依頼内容からかけ離れた数の凶暴な魔物の群れを、突如現れた規格外のサイズのボス猿も、何もかもを平等に、容易く葬ったふたりの存在が、目に焼き付いて離れない。

 自分が今歩いている道をどれだけ進もうと、この次元には到達しえないと思ってしまう。

 日々鍛錬を積み重ねることが馬鹿らしくなるほどの、絶対的な力が目の前にあった。


 巨大マーチュのときも、マリスは自分たちを気遣って大幅に力をセーブしていたとしか思えない。

 いや、今目の前で繰り広げた蹂躙すら、彼女たちの力の一端に過ぎないのだろう。


 魔物たちは、自分たちにとって害ある存在である。

 だが、こんな光景を見てしまえば、ボスを庇うようにふたりに決死の特攻を仕掛けるクンガコングたちが、あまりに哀れに思えた。

 身近な人間の所業とは思えない。今までの常識が、粉々に吹き飛ばされるのを感じた。


「…………は。はは」


 ひとり、そんな中でもかえって士気を挙げている者がいた。

 アキラは子供のように目を輝かせ、戦闘ですらない蹂躙を見つめている。

 エリーは身体が震えた。

 マリスが放った魔術の威力を、いやそれよりもずっと高い威力の力をこの男も出すことが出来るのだ。


「……ふ。だ、だが。はっ、とろとろやってやがんな。よし、ここは」


 触発されるように、アキラが手のひらに光を集め始めた。

 暖かな色のオレンジの光に、エリーの背筋は冷え切った。


「だ、だめ」

「わ、え……?」


 エリーは思わず、その手を掴んでいた。

 もう何も考えられない。自分に何かを言う資格は、きっとない。

 だけど、彼を止めずにはいられなかった。


「お願い……、お願いだから。あんたはあっちに行かないで……!」

「…………」


 アキラは、静かに、手の光を収めた。


 それから、最後のボスの爆発音が響くまで、誰も動き出しはしなかった。


―――**―――


 アキラは宿屋のベッドで目が覚めた。

 今日はエレナは来ていないらしい。あるいは、早く起き過ぎたか。

 簡単に身支度を整え、アキラは部屋を後にした。


 昨日。

 あのあとマリスとエレナに合流し、みんなで村に戻るまで、エレナ以外ほとんど口を開かなかったと思う。


 『きゃあ、依頼と全然違って、私、怖かったよぅ……アキラ君』

 一部始終を見ていたことなど知っているだろうに、エレナはいつもの調子でそんな風に甘えてきて、むしろこちらが怖くなった。もしかしたらエレナは、アキラのことを馬鹿だと思っているのかもしれない。

 だが、事実可愛いとは素直に思ったので、彼女の推測は正しいのだろうが。


 マリスもマリスで、相変わらず半開きの眼のまま、とぼとぼと樹海を歩いていた。

 何も語らず、何も変わらず。

 ただ時折、アキラは彼女の視線を感じた。だが、それだけだった。


 アキラの目で見てきたふたりは、いつも通りだった。

 だがそれでも、そのほんの数分前に彼女たちが繰り広げた光景は脳裏に焼き付いていた。


「……来ないかと思った」

「なんでだよ」


 宿屋の庭に着くと、先客がいた。

 エリーはすでにもう走ってきたのか、息を弾ませて、身体を伸ばしている。

 エリーからの答えは無かった。目を細め、そのままぷいと顔をそむけた。


「……お前いつもこんな朝早いのか?」

「ううん、今日は早め。サクさんなんかもっとすごいわよ。日が昇ってなかったんじゃないかな。まだ走っているみたい」


 それはつまり、エリーもそんな時間から身体を動かしていたということだろうか。

 アキラの目が覚めたのも、もしかしたら物音を拾ったせいかもしれない。


「ちょっと背中押してくれない?」

「ああ」

「……変なこと考えないでね」

「分かってるよ」


 エリーの背中は熱を持っていて、鼓動が伝わってくる。

 そこでようやく、アキラは自分の身体が冷え切っていたことを知った。


 互いに多くは語らなかった。


 淡泊に準備を進めながら、アキラは呆然と、昨日のエリーの表情を思い出す。

 あの、どうしようもない現状を飲み込めていない、悲しい瞳を思い出す。


 だが少なくとも今、エリーは普段通りになっているように見えた。

 それがあの光景を受け止めたからなのか、置き去りにしたからなのかはアキラには分からなかった。


「今日は忙しいかもね。……ほら、あんたの武器とか買うんでしょ?」

「そうだな、そうしたい」

「ん」


 思えば彼女とこうして静かな会話というものをした記憶があまり無い。

 思い当たるのは、あのスライムたちの洞窟での会話くらいだ。

 もしかしたらこれがエリーの普通の様子で、アキラにとっての普通なのかもしれない。

 自分の身の丈に合った光景が今ここにある。

 アキラはそんなことを漠然と思った。


「……! あ」

「……邪魔をした、みたいで」

「ぜんっぜん」


 現れたサクに、エリーはばっと立ち上がる。

 サクは昨日の光景をどう捉えたのか。

 しかし少なくとも、彼女も日々の鍛錬を変える気はないようだった。


「ふう」


 アキラはゆっくりと息を吐く。

 マリスもエレナも、この時間はまだ寝ているだろう。


 自分たちが日々を積み重ねることにどれだけ意味があるのか。


 そんな黒い思考を振り払うようにアキラは身震いした。


「よし、やるか」


 昨日やった通り。

 さんざん教わった通り。


 アキラは身体に魔力を流し始めた。


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