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第4話『視界はかすみ、輝きは遠く』

―――**―――


「そう。そうやって腰を落として」

「こ、こうか?」

「そうです。集中力を切らさないように」


 アキラはサクの言われるまま、手元への集中力を高めていった。


「にーさん。大切なのはイメージっす。手元から離れて、どういう軌道を描くのか想像するといいかもしれないっすよ」

「……、よし」


 マリスのアドバイス通り、アキラはイメージを固めた。


 音が遠くなる。

 自分が集中しているのを感じた。肩にも変に力が入っていない。


 これなら。


「行くぞ……、よし―――」

「何やってんの!! あんたたちは!!」


 エリーの怒号に、アキラは持っていたすべてのボールを落とした。


「あ、あああ……!!」


 弾んで転がっていたボールを、未練たらしくアキラは追いかけていった。


 間もなく昼を迎える頃、アキラたちは今、当面の目的地としていた大きな町に到着していた。

 この町の詳しい話をエリーから聞いた気もするのだが、この世界の文化をまるで把握していないアキラは、残念ながら話の半分も理解できなかった。

 ただ、町に入り、少し歩いただけで、ここが商業街なのだということはすぐに分かった。

 大自然とは違った疲れを覚える賑やかな街並みを進んでいくと、そんな旅人の心理を読んだように巨大な公園が姿を現す。

 雑踏から切り離されるように周囲は木々で覆われ、街路よりもずっと涼しげな風がさらさらと流れていた。

 町の中にあるそのいささか巨大な自然に、走り回っている子供も、遠くのベンチで仲睦まじく寄り添って寝息を立てている男女も、みな穏やかな表情を浮かべていた。


 そんな場所で、昨日巨大なスライム戦で破損した武具の修理にいったエリーを、アキラたちは魔術の特訓をしながら待っていたのだった。


「まさか遊んでいるとは思わないじゃない」

「いやさ、ふたりともジャグリングできるとか言い出したんだよ」

「聞いたのはにーさんなんすけどね」


 アキラは不満げにボールを拾った。

 今、もしエリーが怒鳴り込んでこなければ成功していたかもしれないのに。


「だから、なに?」

「ほら、このボール。そこに落ちてたんだよ。俺、3つならジャグリングできるんだ。……あ、信じてないな」

「信じられない」

「嘘じゃないぞ」

「勘弁してよ……、あんたまともに防御膜も張れないんだからっ……!!」


 悲痛な声を上げ、エリーはしゃがみ込んだ。

 恐る恐る近づくと、エリーはアキラの手からボールをひったくり、大きく振り被った。


「ちょ、ちょっと待て……!!」

「ふざけてる場合じゃないでしょ!! あんた次に町の外出るまでにマスターしないと本当に死ぬわよ!?」

「ま、まあ、いいじゃないっすか。ここまで歩いてきて疲れているだろうし」

「確かい、到着直後に特訓、というのも」

「ふたりとも、甘やかしちゃダメ」


 エリーはびしりとアキラを指差してきた。


「忘れたわけじゃないでしょう。そんな調子で、あたしたちがどれほどの間旅に出ていなかったかを……!!」

「ははあん」

「あん?」


 アキラが嘲るように笑うと、恐ろしくガラの悪い返答が来た。

 なんとか怯まず、アキラはボールを差し出した。


「さてはお前、出来ないんだろ、これ」

「へ? ……ふふ、出来るわよ」


 思った以上になんてことの無い様子でエリーはアキラから残りのボールを受け取った。

 そして自然にボールを宙に投げ出すと、エリーの手元で面白いようにくるくる回り始める。


「お、まじか」

「ほら、こんな……あっ」


 数回転程度で、エリーの手元からボールが落ちてしまう。

 アキラが視線を外すと、エリーは手早くボールを拾い集める。


「待って。前はちゃんと出来たのよ」

「分かった分かった。何回でもやっていいぞ」

「うん。……ええと、これが、こうでしょ。だからこういって……うん、よし。…………って違ぁぁぁあああうっ!!」


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


―――クロンクラン。


 リビリスアークの北部に位置するこの街の巨大さは、その辺りの村の比ではない。

 太く大きな通りがいくつも並列して走り、その通りのほとんどが飲食店や宿泊施設で埋め尽くされており、たまに空いたエリアも、昼は露店が立ち並んでいるほどだった。

 供給過多かと思えばそうでもない。

 この街は、この近辺の村に住む者も、馬車を使ってでも集まるほどで、この地方の経済の中核を成していた。

 リビリスアークからも山を周らなければならない位置にあるというのに、定期的に馬車が出ているほどで、エリーやマリスも幾度も訪れたことがあった。

 もっとも、その山も、連日の加減できない砲撃で、すっかり開通して見通しが良くなってしまっているのだが。


「そういやさ、直ったのか?」

「今日の夕方には直りそうだって」


 先ほどの公園で、結局アキラの口車に乗せられ、昔の感を取り戻すまでボールを投げ続けていたエリーだったが、どこからか戻ってきた子供たちにボールを返すように言われるという最も恥ずかしい形でその幕は閉じた。

 エリーの不満は募ったが、その様子をいつの間にか素知らぬ顔で遠くに離れていたアキラに怒鳴ったことで、臨界点からようやく降りてきている。

 無情にもアキラと同じように離れていたふたりは、エリーからやや距離を取って歩いて着いてきていた。

 あのふたりにも一言言いたくはあったが、エリーにはそれよりも気になることがあった。


「気になるなら、武器屋なんだし、あんたも来ればよかったのに。遊んでいるよりずっと良かったんじゃない?」

「……い、いや、俺は良いよ」

「ふーん……?」


 気を付けて歩かないと人込みに飲まれてしまいそうだ。

 エリーは極力アキラと離れないように歩くが、時折アキラがふらふらと距離を取ってしまう。

 こういう場所を歩き慣れていないのかと思ったが、そうではないようで、一定の距離離れるとまた近づいてくる。

 だが、エリーの方が少し近づくと、アキラは思い出したようにまたふらふらと離れるのだ。


「武器屋にさ、剣とかあったわよ? あんたの好きそうなやつ」

「そ、そっか」

「……」


 この男が挙動不審なのは今に始まったことではないが、ここ数日は特に感じる。

 マリスやサクとは普通に接しているように見えるのだが、エリーのときだけ、その度合いが増すような気がするのだ。

 何気なく会話していると、突如思い出したように視線を外す。

 ともすればエリーは避けられているような気がした。


「……」


 エリーは息を吐き出した。

 まあ、まったく。何の問題もない。

 自分たちの目的は婚約破棄である。

 魔王討伐という荒唐無稽な手段を取ることにはなっているが、最低限のコミュニケーションだけ取れればそれで足りるのだ。

 ハーレムだとか訳の分からないことを言い出す勇者様とは、魔王討伐と共に、さようなら。

 一応、多少は助けてもらったりとかしたこともあったりとか、そういうところはあったりするが、それはそれだ。

 気にしない気にしない。


「きゃっ!?」

「あ、すみません」

「……何やってんだよ、ほら」


 通行人にぶつかり、転びそうになったら、アキラの腕に起こされた。

 柔和な物腰の通行人の男性は、微笑ましいものを見るような瞳を浮かべて去っていく。


「すみませんでした」


 その後ろ姿にエリーが頭を下げたところで、アキラがばっと手を離した。

 そしてアキラは再び視線を泳がせ、また歩き出した。


「むぅ……。あのさ、」

「なあ、やっぱ滅茶苦茶人多いよな?」


 アキラが、後続のふたりに声をかけた。

 エリーは恨みの籠った視線を向けてみたが、アキラはエリーの方を見ようともしない。


「そうですね。私がここを通ったときは、これほどでは無かったですが」

「あれのせいじゃないっすか?」


 マリスがだぼだぼのマントから手を出し、雑踏の中を指さした。

 その先には、大きな立て看板が遠目に見え、巨大なテントと派手な衣装をまとった人間が描かれた板。


「……サーカス?」

「ここはそういう催しをよくやっているみたいですね。前も何かをやっていたような気がします」


 サクがそう言うと、アキラの目が輝いた気がした。

 性格通りというかなんというか、こういう娯楽には目が無いらしい。


「よし。じゃあそれ見ようぜ。場所は、……どこの公園だ?」

「さっき自分たちがいた公園っすね。組み立て中のテントみたいのあったじゃないっすか」

「そうなのか。公共物かなにかかと思ってた」


 何やら置き去りにされている気がするエリーは、胸の中で何かがもやもやと膨らんでいく、いや萎んでいくような感覚を覚えた。

 エリーは振り払うために、通行人を避けるふりをしてアキラに軽く体当たりしてやった。


「でも、結構高いっすよ。前にねーさんと見たときも、かーさんは遠慮しようとしてたくらいっすし」

「え、そうなのか」


 ようやく、アキラは諦めたようにエリーの方を見てきた。

 この旅の路銀は、基本的にエリーが預かっている。


「……無理。払えない」

「まじか」

「あたしの防具の修理、結構かかっちゃって」

「…………そっか、じゃあしょうがないな」

「……………………」


 何か言うかと思えば、アキラはそのまま黙り込んでしまった。

 またもやもやした何かが浮かんできたエリーは、咳払いする。

 エリーは、きっと自分は、久しぶりの大きな町に来て、浮かれているのだろうとしっかり自己分析して、雑踏に負けないようにはっきり言った。


「まあ。見る方法が無くも無いわね」


―――**―――


「クロンクランなら、魔物討伐の依頼なんていくらでも来てるはずよ!」


 エリーは、どんっ、と構えた酒場のような建物を正面から見据えた。


 両開きの木の扉が付いているその建物は、無法者のたまり場のようにもただの倉庫にも見える。

 通称依頼所と言われるこの建物は、クロンクランほどの規模ともなれば各所にある。

 その中のひとつは、エリーの記憶通りの場所にあった。

 エリーが前にこの町に来たとき、大通りからやや外れた場所にあるこの場所に迷い込んで、妙に怖くなった思い出がある。


「魔物の討伐依頼とか、護衛依頼とか、そういう、旅の魔術師への依頼が集まる場所よ。もちろん報酬も出るわ。サクさんも、そうやって旅を続けていたんでしょ?」

「ああ、その通りだ」


 経験者がいるのは心強い。

 魔術師隊への入隊を目指していたエリーは、ある程度そうした知識がある。

 目の前の依頼所がそうかは知らないが、魔術師隊の仕事でも人手が必要なものは、旅の魔術師へ依頼することもあるのだから、切っても切り離せない関係だった。

 そうした上で、魔術師隊の魔術師と、旅の魔術師の違いは、試験科目以前の基礎知識として学んでいるのだ。


「サーカスの開園時間は夜だから、あたしたちはそれまでに必要なお金を稼げばいいわけ」

「でも、そんなに大きな依頼、来てるんすかね?」


 マリスが眠たげに見える眼で建物様子を伺っていた。

 エリーもそれは少し気になっていた。何しろこの辺りは危険な魔物は出ない。

 巨大マーチュや巨大ブルースライムなど、特例中の特例だろう。

 今来ているのは、精々小さなマーチュの駆除や隣町までの運搬物の護衛依頼程度で、人数分のサーカスのチケットは購入できない可能性が高い。


「まあ、このまま町でうろついているよりは建設的よ。あたしも入るの初めてだし、ちょっと興味あったのよね」


 とはいえ、ものは試しだ。何しろほかに手段が無いし、そもそも路銀も心もとない。

 それに、町の中を散策しているより、アキラの気も紛れるだろう。


「それに、あんたも実戦経験積んでいかないとね……!」


 くるりと振り返り、エリーはアキラを指差した。

 しかし、その指は、雑踏の中で標的を失った。


「…………って。いねぇぇぇえええっ!?」

「!? にーさん!?」


 つい背後にいると思っていた男がいなかった。

 マリスすら気づいていなかったようで、珍しく目を大きく開いている。

 サクは鋭く周囲を伺っているが、その瞳は驚愕を抑えきれていないようだった。


 様子がおかしいとは思ってはいたが、自分たちが気づくことなく消えるなどという芸当があの男にできるとは思えない。

 いやそもそも、消える理由が無かった。


「ちょ、ちょっと……、どこ……!?」


 慌てて駆け出そうとしたが、通行人に阻まれ思うように進めない。

 エリーはもがきながらその姿を探すが、いつものようにふざけた悪戯ではないようだった。


 忽然と、アキラは、消えた。


―――**―――


 どんっ、と女性にぶつかった。

 そして、いきなり口を塞がれ、どこかあどけない顔を間近で向けてきた。

 甘い香りのするウェーブのかかった甘栗色の髪が鼻をくすぐり、胸元を強調した服から覗く胸を、押し付けられた。

 そして、鼻と鼻が付くほど距離で、くるりとした瞳を潤ませ、耳元で、『私と一緒に逃げて?』と囁かれた。


 その状況で、彼女の腕を振り払える男がいるだろうか。

 いや、いない。


 そんなこんなで、アキラは酒場のような建物の前で突撃してきた女性と、大分離れた路地裏に駆け込んでいた。

 彼女に手を引かれるまま雑踏を駆けると、あれだけ歩きにくかった人混みをまるで苦も無く進めたのだから不思議だ。


 アキラを連れてきた女性は、柔らかそうな頬に愛らしい表情を浮かべ、しかしどこか大人びた雰囲気を持ち、息を整える仕草も、汗を払う姿も、その一挙手一投足が可愛らしく、つまりは完璧な美人だった。


 道を歩いていて、人にぶつかる経験など実際にはほとんどない。

 しかもそれがこれほどの女性ともなれば、元の世界でその機会は一生訪れないだろう。

 これぞ異世界、という展開に、アキラは女性の甘い香りも相まって、脳が解けるようにくらくらした。


「……はあ、はあ、ええと、あの」

「しっ」


 アキラが何か言おうとすると、女性は細く長い指を可愛らしく紅いリップに当て、人混み賑わう大通りを覗いた。

 その仕草に、短めのスカートがアキラの眼前に来て、思わずアキラは目を背けた。


「……、あっ、もう、やだ」

「ご、ごめんなさい」


 年上だろうか。

 声の調子は甘いが、その身体つきはエリーやマリスはおろか、アキラの知っている同世代の女性よりもずっと発達しているように見えた。

 というより、こんな雑誌から飛び出してきたようなアキラとは別の世界線にいるような女性は、アキラの知り合いに存在しない。


「……もう大丈夫みたい」

「は、はあ」


 表通りの様子を伺っていた彼女は、はっと気を吐き、ようやくアキラと向き合った。

 正面から見た彼女は、やはり、この路地裏でも、いや、この賑わうクロンクランの街並みの中でも、周囲が切り取られているかのように美しかった。


「ごめんなさいね。巻き込んじゃったりして」

「あ、ああ、ええと、何に……、あ、そういや」


 しどろもどろになりながら、アキラはようやく自分がエリーたちと離れたことに気づいた。

 だが何やら訳ありの女性を放っておくわけにもいくまい。

 誰にするわけでもなく精一杯の言い訳をしながら、アキラは自然と目が行く彼女の胸元から視線を外し、強引に口を開いた。

 決して不順ではなく、邪な気持ちは精々9割程度だが、本能がこの女性とお近づきになれと言っているような気がしたのだ。


「お、俺はヒダマリ=アキラ、です」

「え? ああ。私はエレナ=ファン……、エレナ=ファンツェルン。…………。ええと、アキラ君、でいい?」

「あ、はい。じゃあ、エレナさん?」

「…………ふふ、エレナ、って呼んで?」

「~~~っ」


 彼女が屈託なく笑うだけで、身体中が痺れる。

 少なくとも、その笑顔はこんな路地裏で浮かべていいものではない。

 脳髄が蕩け切ったアキラは、足元が浮かび上がったような錯覚を覚えた。


「じゃ、じゃあ、エレナ、は、何を、」

「しっ!!」

「ぎっ!!」


 突如ぐいと身体を引かれた。

 路地裏の飲食店だか何かの店のものらしい樽に、強引に身を潜ませられる。

 細枝のようなエレナの腕とは思えない力で引かれ、アキラは舌を噛んだが、そのまま彼女の胸に顔を埋める形になり、痛みは一瞬で消し飛んだ。

 辛うじてエレナの視線を追うと、大通りで、作業着を着た男たちが数人駆けて行った。


「……あいつらから逃げているのか?」

「ええ」


 エレナがこくりと頷く。

 索敵でもするように身を潜めながら大通りの様子を見るエレナは、今度は少しだけ、凛々しく見えた。


「ど、どうして?」

「え? ……そ、それは……」


 男たちは過ぎ去っていったのだろう。

 ようやく表通りから視線をアキラに戻したエレナは、途端顔を蒼白にさせ、子犬のように震え始めた。

 まるでそのまま倒れ込んでしまいそうな表情を浮かべ、瞳を潤ませ、アキラに顔を近づけてくる。


「そ、の。…………。……私、実は、聞いてしまって」

「な、何を?」

「ええと、……そう。あの男たちが、金庫を奪う、って。……サーカスの」

「へ?」


 エレナは、今目の前でその恐るべき光景が繰り広げられているかのように、身体中を震わせ始めた。


「そしたら、たまたま通りかかった私を、いきなり襲ってきて」


 聞いている限り、犯行の計画をエレナは知ってしまった、ということなのだろう。

 そして口封じのために、あの男たちがエレナを追っている、らしい。


「じゃあ、すぐにサーカスの人に知らせないと……!」

「それはダメ!!」

「わっ!?」


 立ち上がろうとしたアキラを、エレナが再びぐん、と引いた。

 倒れ込んでまた彼女の胸に顔が埋まったが、アキラは誘惑に耐え切り身体をすぐに起こした。

 エレナが震えているのだ。遊んでいる場合ではない。


「……そ、そう。もし知らせたら、きっとあいつら、今度こそ私を……」

「そう、なのか」

「う、うん。だからサーカスの人には悪いけど、このまま聞かなかったことにしたいの」


 犯罪が行われそうとはいえ、報復を恐れるエレナの意に背くのも躊躇われる。

 もっと言うとサーカスに興味はあったが、エレナの方にはもっと興味がある。


「ところで、な、なんで俺を?」

「……え? ああ、その恰好、旅人、なんでしょう? とにかく誰でも……、誰かに助けて欲しくて、たまたまあなたが目に入ったの」

「……ほう」


 彼女と出逢った衝撃から徐々に我に返り始めたアキラは、ようやく事態を飲み込めた。


 これが勇者の特権というやつなのだろう。

 今まで少々狂っていた部分もあったが、ここは異世界で、これは異世界来訪もの物語だ。

 街を歩けば、これほどの美人の目と容易く知り合える。

 なんと優しい世界なのか。

 その上、このエレナ=ファンツェルンという女性は、文句の付けようもない美女だった。

 久しぶりに垣間見たこの異世界の素晴らしさに、アキラは胸と目頭が熱くなってきた。


「じゃ、じゃあ、そうだな、これからどうする?」


 エレナをおもんばかって聞いてみたが、3人と逸れたままというのもまずいだろう。

 それに話を聞く限り、恐らくアキラといるよりエリーたちと合流した方がエレナにとってもありがたいはずだ。

 何も告げずに逸れてしまったが、まだ酒場のような建物の前にいてくれるだろうか。


「とにかくここにいても仕方ないし、よかったら、」

「じゃあ、しばらく一緒にいてもらえないかしら……?」

「ああ」


 考える前に口が動いていた。

 怖がる女性をひとりで守れもせずに、何が勇者か。


「ならとりあえず、……あ、ちょっと待って。…………少し向こうを向いていてくれる?」

「え? わ、分かった」


 エレナの手が足元に転がっていた小型のバックに伸びて、アキラは即座に背を向けた。

 背後から、ばさばさと衣服のこすれる音がする。

 今すぐにでも振り返りたい欲求が湧き上がってくるが、エレナに嫌われることだけは避けたかった。


「ええと、これ、で。いいわよ」


 許可が出た瞬間に振り返ってしまったアキラは、自分の軽率さに少しだけ嫌気が差す。

 残念ながら、当然彼女は着替え終わっていた。


「ふふ。私の髪とか服装とか見られてるし、……どう、かな? 私に見える?」


 その辺りで売っていたのか、エレナはサーカスのロゴが入ったキャップの帽子を被っていた。

 長い髪は器用に仕舞われ、その代わりに覗くうなじがなんとも扇情的に見える。

 スカートだった下半身は、ジーンズに変わっており、それもまた、彼女の形のいいヒップの曲線や、長く細い足を強調していた。

 変装のつもりなのだろうが、アキラからすれば、無駄のように思えた。

 エレナは何を着ても似合うし、何を着ていても惹かれてしまう。

 だから素直に、答えた。


「超似合う」

「……ふふ。ありがと」


 エレナが望んだ答えではなかったろうに、彼女は顔を赤らめて答えてくれた。

 もう、言葉もなかった。


「じゃあ、私と、デートしてくれますか?」

「ああっ!!」

「しっ!!」

「……ごめん」


 またアキラの目頭が熱くなっていく。

 アキラはデートに向かうべく、エレナと共に路地裏を後にした。


―――**―――


「あれ? サクさん?」

「……!」


 ヒダマリ=アキラが疾走して数時間ほど。3人手分けして広い街での捜索を行っていた。


 エリーはとにかく広範囲を調べようと街中を駆けずり回っていたのだが、結局アキラは見つからなかった。

 ここまで探していないとなると、何らかの事件に巻き込まれた可能性が高い。

 他の面々の探索に一縷の望みをかけ、今度はふたりも探していると、路地裏で、半身だけ出して表通りの様子を伺うサクを見つけた。


「エリーさんか」

「? え、どうしたの? 見つかった?」

「…………その、ええと」


 珍しく歯切れの悪いサクが、また一瞬表通りに視線を投げたのをエリーは見逃さなかった。


「いたの?」

「まあ、いたにはいたのだが」

「! いたの!?」


 エリーがサクを追い越し、表通りに出ようとすると、サクは僅かばかり身を動かし、それを遮った。


「なに?」

「…………ああ、その。苦手だ。私はこういう状況が」

「?」


 サクに勢いを止められて、エリーは同じように路地裏から様子を伺ってみた。

 目に鮮やかな街並みの中、通りの向こうに、白いテーブルと椅子が数組並んでいる店を見つけた。オープンカフェとでもいうのだろう、テラス席のある店らしい。

 若いカップルから会話に花を咲かせる女性たち、そして雑踏に疲れた買い物帰りの子供連れの親まで見え、そして。


「…………ぇ」


 エリーはぴたりと視線を止めた。

 見知った男が、呑気に座り込んでいるのが見えた。


「あい、つ……?」


 出ていこうとして、エリーは、また、ぴたりと止まった。

 アキラが座っているテーブルには、帽子を被った同席者がいる。

 遠くてよくは見えないが、その女性の横顔はエリーの目に妙に焼き付いた。


 柔和のようで、どこか含みのある表情をして、ふっくらとした唇で飲み物に口を付ける様子も、笑いながら口に小さく手を当てる仕草も、通行人の足が緩まるほど艶やかに見える。


 嫌な表情だとエリーは直感的に思った。


「…………」

「……あのような場合、声をかけていいものだろうか」

「…………サクさん。作戦を話すわ。あたしがあの女の気を引くから、サクさんはあの馬鹿の首を力任せに強引にねじ切って」

「それは作戦ではないだろうが、断るよ。一応私の主君だからな」


 自分の感情が制御できない。

 エリーは手をかけた壁が軋むほど身体をわなわなと震わせた。

 せっかく、人が心配して、必死に探し回っていたというのに、あの男は、どこぞの女性とデートしているとは。

 エリーは想像以上に惨めな気持ちになった。

 目を引くその女性の一挙手一投足に、目に見えてアキラがどぎまぎしているのも、本当に気に入らなかった。


「へえ。エレナは俺のひとつ上、なのか」


 アキラは、物陰からエリーとサクが様子を伺っていることにも気づかず、エレナとの甘い時間を過ごしていた。


「もう、駄目だよ? 女性の年齢の話を広げちゃ」

「ああ、悪い悪い」


 エレナとの会話は、アキラの想像以上に楽しかった。

 わざとらしくお姉さんぶって振る舞ったり、かと思えばあどけない表情を浮かべてみて、その都度アキラはエレナのことを知ったり、逆に分からなくなったりと、そんな気持ちが浮かび、気分が高揚していく。

 この異世界に来てから、怒鳴りつけられたり、殺されかけたりとろくなことが無かったが、ついにアキラは理想の旅が出来ているという実感が湧いてきた。

 もしかしたら自分が落ちたあの村の周囲が異常だっただけで、世界はもっと優しさに満ち溢れているのかもしれない。

 そんなことならば、さんざん言われ続けていた通り、とっとと旅に出るべきだったとさえ思った。


「じゃあ、そうだな。エレナも旅をしてるのか?」

「え、ええ。ふふふ、と言ってもほとんど旅行者みたいなものだけどね。アキラ君は旅の魔術師、なのよね? 私はそっちは全然。戦えなーい」


 おどけて可愛らしい力拳を作ったエレナは、小さく舌を出す。

 どんな表情を浮かべても、どんな仕草をしても、エレナには恐ろしく似合った。


「じゃあ、路銀とかはどうしてるんだ?」

「それは……、その。……ふふ、アキラ君。女性に質問ばっかりしちゃだめよ? ひとつずつ知っていかないと、ね?」

「おう!!」

「しっ!!」


 エレナに鋭くたしなめられたが、振り返った通行人には優越感を覚える。

 この異世界は本当にすごい。

 エレナ=ファンツェルンはひとつの理想の女性の形なのだと、アキラは感動に打ち震えた。


「それより。アキラ君のこと聞きたいな。出身はどちら?」

「俺?」


 質問されて、アキラははたと考えた。

 無難にリビリスアーク“ス”とでも答えればいいのだろうかと思ったが、最近その辺りを下手に隠そうとして、面倒なことになった記憶もある。


「……ええと、言いたくないならいいわ。じゃあ、どうして旅をしているのかしら?」


 答えに窮していると、エレナはすぐに話題を変えた。

 つまらない奴だと思われただろうか。だが、彼女の方も、さほど興味が無かったように感じた。


「旅の理由、か。……そうだな。せ、世界を救うために、旅している」

「……へえ、素敵ね」


 エレナの目がジト目になり、含みのある笑みを浮かべた。

 信じてはいないのだろうが、多少はエレナの関心を引くような会話が出来たのかもしれない。


「じゃあ、エレナはどうして旅をしているんだ?」

「……もう、アキラ君。だから駄目だって、そんなに質問ばっかりじゃ」

「いいじゃないか、教えてくれよ」


 アキラも人のことは言えないが、よくよく考えると、エレナから聞いた彼女の話は差しさわりの無いような年齢くらいだった。適当にはぐらかされていたような気もしてくる。

 彼女もアキラと同じような、複雑な事情があるのかもしれない。

 そんな考えが顔に出ていたのか、エレナは流石に語らなすぎるのもどうかと思ったらしく、微妙に視線を外して答えた。


「……そうね、探している奴がいるの」

「人を探しているのか」

「……ううん、奴、よ」

「?」


 エレナの表情が歪んだ。

 見目麗しい様子の表情だったのに、しかめた表情は、何故か今まで見た表情のどれよりも彼女の像に合うような気がした。


「……ええと、何を探しているんだ?」

「ガバイド、って奴」


 エレナの唇がきっと閉じる。

 言い過ぎたと顔に書いてあった。

 確か依然、サクのときもそうだった。それほど強制的なものではないらしいが、日輪属性は、人の感情を増幅させる。

 長く話していればつい口を滑らせることもあるのだろう。


 聞かなかったことにしてあげるのがいいような気がしたが、残念ながらアキラには聞き覚えがあった。

 確か、どこかで。


「…………」

「! 知っているの?」


 ぐいとエレナが身を乗り出してきた。

 彼女のふくよかな胸が眼前に押し出され、アキラは本能に逆らって何とか視線と身を離そうとしたが、エレナはアキラの肩を掴んでくる。


「ど、どしたどした」

「知っているのか、いないのか。答えなさい」


 力強い声だった。

 雑踏の中でもよく通るその声と、肩を掴むその腕が、アキラの脳髄を揺さぶった。


「エ、エレナ?」

「いいから、」

「いっ、いました!! あの女です!!」


 エレナの声は、男の声に遮られた。

 アキラもそちらに視線を投げると、エレナの背後にはいつの間にか先ほど見た作業着の男たちが数人並んでいる。

 その中央の小太りの男が、力強くエレナを指さし、表情を険しくしていた。


「……お、お早いお目覚めね」

「エレナ、こいつらさっきの奴ら、だよな?」

「仲間もいたのか!!」


 アキラは男たちを見定める。

 屈強な身体つきをしている者が多く、目つきはギラギラとして、危険な匂いがした。

 彼らがサーカスを襲う計画を立てていた者たちということだろう。

 口封じにエレナを狙う連中が、こんな大っぴらに襲ってくるとはアキラも思いもしていなかった。


「ち」


 舌打ちが聞こえた気がしたが、恐らくアキラの気のせいだろう。

 エレナは素早く席を立ち、アキラに詰め寄ると、胸の辺りで瞳を潤ませた。


「お願い、あの人たちを倒して……!!」

「え、いや、俺は、」

「守って、くれないの?」

「任せろ!!」


 アキラは腰を落とす。

 対峙した男たちは剣を下げたアキラを警戒しているのか、同じように腰を落としてこちらの様子を伺ってきていた。

 6人。アキラはしっかり相手の数を数えた上で。


 迷わず駆け出した。向かう先は、当たり前のように先に逃げたエレナがいる方向だ。


「…………ちょ、は!? なんであんたまで走って来てんの!?」

「悪いが、俺は、こんなんだ……!!」


 犯罪をたくらむ男たちを許せない正義の心はあるつもりだし、正直に言えばエレナに恰好いいところを見せたい気持ちも勿論あった。

 だが、街の中でのアキラの戦闘力は現状ゼロに等しい。

 結果として、アキラにとって、エレナを守るとは、彼女と一緒になって逃げることだけなのだ。


「ちっ、多少は時間を稼いでもらうわ」

「うっ、わっ!?」


 いつの間にか、隣を走るエレナの手が、アキラの胸倉を掴んでいた。

 ぞわりとした。

 彼女の手が、何故か、アキラの、いや生物の本能的な恐怖を呼び起こさせる。


 絶対的な危機が、アキラの身を、


「……ひっ、ひゃぁぁぁあああーーーんっっっ!!!?」


 襲わなかった。

 代わりに、雑踏の中、エレナの嬌声が響いた。

 今日一番の可愛い声を上げたエレナは、足からがくがくと崩れ、ぺたりと座り込む。


 彼女が被った帽子がぽとりと落ち、甘栗色の髪が垂れ、彼女の粗い息遣いが聞こえてくるまで、アキラは身動きひとつとれなかった。


「なに……、なに…………、なに、よ」


 震えた声を出すエレナは、どうやら立ち上がれも出来ないようだった。

 事態にまるで追いつけていないアキラだが、少なくとも、この場所から逃げなければならないことだけは分かる。


 即断を求められたアキラは、パニックのまま昨日エリーにしたようにエレナを抱えると、人混みに突撃した。

 エレナの身体は身体つきの割には軽く、丁寧に扱わなければ壊れてしまいそうなほど弱弱しく感じた。


 追ってくる男たちと、自分の煩悩を置き去りにするように、アキラは駆けた。

 しかし、浮かび続ける疑問だけは置き去りにできない。


 一体何が起きているのか。


―――**―――


「そうっすか」

「ああ、悪いね。気にはしておくけど、期待はしないでくれよ」


 マリスは、先ほどアキラたちとエリーを待っていた公園を訪れていた。

 ここには大きなテントがあり、夜にはサーカスが開かれる。

 その職員の作業着を着た男に、聞いてみたのだが、どうやらアキラはここにも訪れていないらしい。

 アキラが興味ありそうな場所を探しているのだが、今のところすべて空ぶりだ。

 探す場所をまた考え直さなければならない。


「にーさん、どこに行ったんすかね」


 とぼとぼと公園を歩くと、先ほどのボールが同じ場所に落ちているのを見つけた。

 子供たちがまたも飽きて、投げ出していったのだろう。


 マリスはおもむろに5つほど拾い上げると、アキラに教えていた通りのコツで、投げ始めた。

 くるくると、ボールは回る。


「……」


 マリスの頭の中も、くるくると回る。

 最近ずっと、こんな調子だ。


 アキラと、姉のエリーが賑やかに言い合っているのを見ると、何故かマリスは困ったような気持になる。

 だが、いつもそうだと言われると反論は出来ないのだが、今日はアキラの調子がおかしい気がした。

 エリーに対する態度が、いつもと微妙に違う気がする。

 そういう様子を見ても、やはりマリスは困ったような気持になるのだ。


 あのふたりは現状婚約者で、仲がいいのは大いに結構なことだろう。

 だがその距離が近すぎても、そして遠すぎても、言語化できない気持ちが、不思議とマリスを悩ます。

 これは一体、何なのだろう。


「お、おい!? 何があった!?」


 先ほど話をしていたサーカスの職員の叫び声が聞こえた。

 マリスの手からぽとぽととボールが零れる。

 振り返れば先ほど立ち寄ったテントの前に、同じような作業着の男たちが集まっていた。

 みな一様に腕をだらりと下げたり足を引きずったりと満身創痍で、公園にいる民間人も遠巻きに何事かと眺めていた。

 何が、と思ったのも束の間、マリスは集団の中に、見知ったふたりもいたことに気づいた。


「……ねーさんにサクさん。ええと、何が」

「マリー。ここにいたんだ」

「? にーさんは見つかったんすか?」

「…………そんなのどうでもいいでしょ」


 エリーは乾いた瞳を浮かべて吐き捨てるよういった。

 状況が掴めずサクを見ると、彼女は気まずそうに立っている。


「マリー、ごめん。ちょっと治療をお願いできる?」

「了解っす」


 腑に落ちないが、少なくとも呻き声まで聞こえてくる職員たちを無視するのもはばかれる。

 マリスはとぼとぼと歩み寄っていった。


―――**―――


 どうわぁっ、と、アキラはエレナを投げ捨てた。


 人の合間を駆け続け、路地裏に逃げ込むように入った瞬間、アキラの手と足はピークに達し、しまいには自分の足を蹴って転がり込んだ。

 人ひとり担いで走ることはアキラにとっては難しい。妙に重いカバンも一緒にとなるとなおさらだ。

 粗く浅い呼吸を繰り返しながら背後の様子を伺うと、ここに転がり込んだアキラたちに足を緩める通行人はいたものの、あの男たちは追ってきてはいないようだった。


「はっ、はっ、わっ、悪い、はっ」

「…………」


 エレナは、うつぶせに倒れたまま動かない。

 アキラはよろめきながら立ち上がり、エレナの肩に手を伸ばした。


「っ!!」

「いっ!!」


 伸ばした手が、ばちんと弾かれた。

 残像が見えるほどの速度でアキラの手を払ったエレナは、ようやく顔を上げていた。


 しかし、アキラの知っている顔ではなかった。

 恐怖に引きつり、身体は震え、じりじりと地面を張って怯えたように離れていく。

 依然として熱に浮かされたような呼吸を続けるエレナは、目の焦点が合うと、まるでたった今アキラが目の前にいることに気づいたように、熱い吐息を吐き出した。


「ど、どうした? 怪我とか、」

「……何だってんだよ。……くそ、くそ」

「エ、エレナ……?」


 ごっ、と地面を拳で殴り、エレナは身体をぐるりと立たせた。

 座り込んだまま壁に背を預け、アキラをギロリと睨んでくる。

 片膝を立てて、形の良さが分かるヒップが浮き彫りになったが、今度こそ、アキラはそれに目を奪われることは無かった。


「あんたには、いくつか聞かなきゃいけないことがあるみたいね……」


 こっちの台詞だ。

 アキラは口を開きかけたが、エレナの表情が鋭く変わり、まるで甘くない、危険な空気を纏っていた。

 どうやらエレナ=ファンツェルンは年上の優しい女性ではなく、裏表が激しいタイプの女性だったらしい。

 そうしたキャラクターというのは知識として知っていたが、目の前でやられると恐怖だった。


「まず。あんた、何者?」

「え? ……ええと、ゆ、勇者?」

「…………属性は?」

「に、日輪?」

「何でさっきから首を傾げんのよ……!!」


 風邪でもひているかのように熱に浮かされた様子のエレナは、また拳でがんと地面を殴る。

 憤慨している様子だが、しかし、アキラには彼女がどこか不安を覚えているように見えた。

 それを見下ろしていることに抵抗を覚えたアキラは、反対側の建物に腰を下ろし、目線を揃える。

 すると、エレナの表情が僅かに楽になったような気がした。


「な、なあ。今度こそ事情を話してもらえないか? 俺も色々分かってないんだよ。さっきの男たちのこととかさ」

「あんなんどうでもいいでしょう。それより、追ってきてないでしょうね?」


 改めて周囲を伺うが、表通りはいつも通り賑わっているだけで、荒だった足音や怒声は聞こえてこない。

 大して離れていないと思うのだが、どうやら上手くまけたようだ。


「……ねえ。取引しない? あんたは知っていることを全部話す。私もそうする。嘘は無し」

「ああ、頼む」


 妙な腹の探り合いをしても事が進展しないとエレナは思ったのだろう。

 アキラも同じことを考えていた。最もアキラは隠しているというより、整理が出来ていないだけなので、彼女の方が隠し事をしないというなら好都合だ。


「……あんた、日輪属性で、勇者なのね」

「そうだ」


 復調し始めているのか、エレナの声色が徐々に落ち着いてきた。

 そして自分の手のひらを見つめると、眉をひそめる。

 エレナがこんな様子になったのは、あの男たちとは関係ないように思えた。アキラの胸倉をエレナが掴んできて、嫌な予感がしたと思ったら、逆にエレナの方が悲鳴を上げて倒れたのだ。

 何をしようとしたのかと聞こうと思ったが、息も絶え絶えになったエレナが不憫に思えて、言葉が出てこなかった。


「じゃあ、“ガバイド”について知っている?」

「さっきも言っていた奴のことだよな?」

「いいから答えなさい」


 エレナの剣幕に押され、アキラは必死に記憶を辿った。

 ガバイド。

 恐らく人名か何かのそれを、アキラは確かに聞いた覚えがある。

 だが異世界に来たばかりのアキラが、探し続けているらしいエレナより、“それ”を知っているとは思えない。

 では、いつどこで聞いたのか。


「…………」

「……知っているの? 知らないの?」


 急かすエレナの声を聞かず、アキラは考える。

 自分がこの異世界に来たのは半月ほど前だ。

 聞いたとすれば、それ以降のはずである。

 エリーたちとの出逢いがあり、巨大マーチュに襲われ、その後は孤児院で生活し、サク出逢った。

 そして。


「あ」

「知っているのね?」

「そうかそうか、ゲイツだ、ゲイツ」

「は?」

「そうそうあいつが言ってたんだよ、いやいや、完全に忘れてた……!」

「いいから答えろって!」


 エレナは乗り出すようにアキラに迫ってきた。

 胸がせり出されるような悩ましいポーズのような姿になったが、今のアキラには、その彼女の真剣な瞳の方が脳髄に焼き付いた。


「俺も詳しくは知らない。だけど言ってたんだよ、この前リビリスアーク“ス”に現れた魔物が。……アシッドナーガ、だっけ? 確か、魔王様直属のガバイド様直属のゲイツだって」

「……その魔物は?」

「いや、倒した、けど」


 そう、とエレナは目を伏せて、再び壁に背を預けた。

 やはりそれがエレナの探している存在なのだろう。


「なあ。ガバイドって奴を知っているのか?」


 エレナは音が聞こえるほど歯を食いしばった。

 今まで以上に苦々し気に表情を歪ませ、怒りに震えているような唇をゆっくりと開く。


「……ガバイドはいかれた研究者よ。“魔族”の中でも指折りの変態野郎」


 人というのはどこまで恨みをため込めば、このような表情が出来るのだろう。

 エレナがパキリと片手を鳴らすだけで、路地裏の空気が凍り付いた。


「そいつを探しているのか?」

「ええ。殺すためにね」


 初めて、本当の意味でその言葉を使っている人間に出会った。あるいは、本当の意味でその言葉の音を聞いた。

 アキラなどでは覗き込むことすらできない深い憎悪が、形として目の前にある。

 アキラの背筋が震えた。


「……それより、リビリスアーク……ス? にアシッドナーガが出たってのは本当なのね?」

「そうだけど」

「何で現れたのかは知っているの?」

「あ、ああ。さらにその前、信じられないだろうけど山みたいにでかいマーチュが山にいてな、そいつを討伐した奴を探していたとかなんとか」


 そのどちらも撃破したのはアキラだ。

 だがそれを自慢げに語る気は、アキラにはなかった。

 事情は知らないが、エレナはどうしようもなく必死だ。そんな様子の人間を前に、事実だとしても自慢話ができるほど、アキラは自分を持っていなかった。


「……ガバイドって奴は、そんな変な魔物を創っているのか?」

「ええ。あいつの専門は生物創造。……色んな生物を実験台にしては、いかれた研究を続けているのよ」


 エレナの言葉で、次にアキラの脳裏に浮かんだのは、昨日遭遇した巨大スライムだ。

 決して自然発生しない、異常事態という認識はあったが、その裏で糸を引いている存在がガバイドという魔族ということなのだろう。


「とにかく、私はガバイドを探している。そして目を付けたのが、あのサーカスだったの」


 整理が終わったのか、エレナはようやく話を戻してくれた。

 鋭くは知った視線の先、大通りの向こうに、ここからでもよく見える巨大なサーカスの看板があった。


「あのサーカス。最大の見物は、“魔物の芸”、とか言っているのよ。最近始まったらしいけど、魔物ってね、そういう風に人間がどうこうできる存在じゃないはずなのよ」


 魔物は、マーチュのように自然動物のように生きているものもいる。

 だが、根本的に魔族が生み出したとされる魔物と、人間たちは相容れないはずなのだ。

 漠然と捉えていてはそういうこともあるだろうとアキラは思っていたが、マリスに聞いた基本的なことを、そしてエレナが語ったガバイドなる魔族の存在を考えると、確かにきな臭くなってきた。


「そんなわけで、私はサーカスに探りを入れていたの。で、まあ…………、ちょっとドジっちゃって、さっきの連中に追われてたわけ」

「……まずい、な」


 アキラは思わず立ち上がった。

 のんびりサーカスでも見たいと言っていた自分が恥ずかしい。

 先ほどの男たちは必死にエレナを追っていた。サーカスの職員がそうするとなると、ますます怪しくなってくる。


「じゃあもう間違いないじゃないか。探っていたエレナを、必死に追ってくるなんて、どう考えても、」

「いや、まあそれは自然よ」


 エレナはなんてことの無いように立ち上がると、服の砂を払った。

 足元が微妙にふらついているが、どうやら復調したらしい。


「何を言ってんだ?」

「ふふ」


 気づくと、エレナはいつの間にか、また元の調子に戻っていた。

 そしてちろっと舌を出し、悪戯でも思いついたような表情を浮かべている。


「私の路銀、どうやって稼いでいるか知りたいとか言ってたわよね?」


―――**―――


「この有様ですよ」

「すみませんでした……!」

「申し訳ないことをした」


 エリーは、サクと並んで深々と頭を下げた。

 サーカスの劇団員に通された簡易に建てられた控室は、みんな出払っているようでもの悲しく、そして最奥にあるごっそりと中身の減っているらしい金庫の様子はもっと悲しい。

 背後では、エリーとサクが叩きのめした劇団員が、マリスに治療を受けている。


「うちの資金、ほとんど取られちゃって。今日の公演どうしましょう?」

「一応、公園の使用料は前払いはしてあるから」

「でも前売りチケットの売り上げも無いんでしょう?」


 金庫の前で投げやりな様子のマネージャーらしき人と、団長と思しき男が途方に暮れた様子で悲しい会話を続けていた。

 エリーの胃がますます痛くなる。


「で。ふたりとも、何でこんなことをしたんすか?」

「いや、一応、主君が襲われていたから、助けなければ、と思い」

「あたしはサクさんが向かっていったから、とりあえず……」

「わ、私だけの責任か?」

「ぅぅ……」


 事情を聞けば、どうやらこの金庫を空にした犯人は、あのアキラと共にいた女性らしい。

 しかしそんなこととはつゆ知らず、エリーたちは、アキラたちを襲う暴漢にしか見えなかったサーカスの劇団員を見事に蹴散らしてみせたのだった。

 エリーは色々とため込んでいて、民間人に対するにはいささか過剰な拳を見舞ってしまったような気がしていて、先ほどから背後の呻く男たちの様子が気になって仕方がない。

 マリスが治療してくれるのであれば心配しないでいいのかもしれないが、後遺症でも残ったらどう償っていいのか分からなかった。


「ま、まあ、過ぎたことは仕方ないですよ。それにおふたりも、お仲間が盗賊にかどわかされているということなのですし」


 団長がそう言ってくれて、僅かに救われた気持ちになったエリーだが、そのかどわかされた仲間とやらを思い浮かべるとまた拳に力が入る。

 どうやらあの男は、件の盗賊の隠れ蓑だか弾除けだかに使われているということなのだろう。

 あの男のことだ、お姫様を守る使命に燃えているところだろうが、酷い捨てられ方をされればいいとエリーは思った。


「謝るのは私の方ですよ」

「アキーム……!」


 マリスの治療の最後尾で待機していた小太りの男が話に割り込んできた。

 自らの怪我も忘れたように必死に歩み寄ってくると、悲痛な表情で寂しい金庫を見つめる。


「私が金庫番だったのに……。道に迷ったとか言っていた女性を案内しようとしたら、いつの間にか気を失っていて」

「いや、いい。こんなことになるなんて誰も思わない。お前が無事でよかった」


 仲間想いの団長なのだろう。

 悔しさを噛みしめるアキームという男の肩に手を当て、同じように眉を寄せた。


「今回で注意してくれればいいんだ」

「だ、団長……」


 こんな団長がいるからだろか。

 金庫番だったしいアキームの失態に、他の団員たちも敵意を向けてはいないように思えた。

 続々と怪我直っていく団員たちは、口々に盗賊への苦言を吐き続ける。

 聞いてしまった以上、そして邪魔をしてしまった以上、エリーももう他人事ではない。

 しかし、彼らはそろそろ開園の準備を始める必要があるだろう。


「……とりあえず、魔術師隊……、いや、護衛団に連絡か。……いや、しかし」

「? どうかしたんですか?」


 魔物討伐ならともかく、人探しとなるとエリーたちが協力するより、街の護衛団にでも任させた方がずっといい。

 正直アキラ捜索に関してエリーのモチベーションはだだ下がりになっているのだが、事実そうだ。

 しかし団長はまた困ったように頭を抱える。


「いや、実はこのサーカス、あまりいい目で見られていないんですよ。……私のせいで」


 答えたのはアキームだった。

 気まずそうに言い出すも、団長はそんなことは無いと首を振っている。


「それはどういう?」

「いい、アキーム。私が話そう。ご存知でしょうか? 我がサーカス団の目玉のひとつを」


 団長が奥に積まれていたパンフレットをひとつ持ってきた。

 今夜のプログラムがざっと並んでおり、空中ブランコや綱渡りなど、エリーが昔見た曲芸の演目が並んでいる。

 しかしその中にひとつ、目立つように、“魔物の芸”と書いてあった。


「ま、魔物が芸をするの……?」

「ええ、ええ。これが私どものメインイベントです」


 途端、商業用の口調に変わった団長は、アキームに腕を伸ばして肩を抱いた。

 照れくさそうにしながらも、決して卑屈になることは無く、アキームも背筋を伸ばす。


「猛獣使いのアキームが行う、魔物の芸。これがもう大反響で」

「ああ、あれってやっぱり魔物が入ってるんすか」


 盛り上がりつつあった空気をのんびりとした声が通過していった。

 いつもそんな調子だと知らない人には気だるげにしか見えない治療を片手間に、マリスは窓から見えるひときわ巨大なテントを睨むように眺めている。

 治療を受けている団員たちにはマリスの態度は不穏だろうが、事実痛みが薄れていっては文句のひとつも出てこなかった。


「でも、一体どうやってやってるんすかね」

「はは、それは企業秘密というやつですよ」

「危なくないのか?」

「ええ。私の前ではすっかり大人しくて」


 口々に出てくる疑問に、アキームもさらりと回答する。

 エリーも危険な気がするのだが、対応馴れしているアキームの様子に、妙な納得感を覚えさせられた。

 どうやらこのアキームという男が、このサーカスの目玉を担う責任者、ということなのだろう。

 そう考えると、サーカスの面々の辺りが柔らかかった理由もそこにあったのではないかとエリーは邪推した。


「まあただ、護衛団にはいい顔はされていなくて。護衛費と称して、公園の利用料も随分と吹っ掛けられましたよ」


 護衛団は、この街に存在する町の治安を維持する団体だ。

 大体は魔術師隊が兼ねることが多いのだが、こうした大きい街だと人手が回りきらないのだろう。エリーの故郷、リビリスアークでは、魔術師隊の支部がひとつぽつんとあり、魔術師はひとりかふたりいる程度だった。


 そしてそんな彼らからすれば、必死に守っている街に魔物を素通りさせるなど許されざることなのだろう。

 とはいえ金で解決しているようだから、大人の汚い部分を垣間見た気がした。


「そんなわけで、彼らはあまり協力的ではないんですよ」

「なるほど……」


 団長が相談しにくい理由も分かる。

 下手に騒げば、金品が奪われたというのに、護衛団からさらに何を要求されるか分かったものではないのだろう。

 エリーの憧れる魔術師隊とは違い、そういうグレーゾーンの団体もあるらしい。


「じゃあ、別の件で探してもらえばいいんじゃないっすかね」

「別の件?」


 治療がひと段落着き、マリスが歩み寄ってきた。

 我が妹ながら妙な威圧感を覚えたエリーは、1歩後ずさった。

 どうもマリスは機嫌が悪いらしい。延々と治療に没頭させられたせいだろうが。


「その人、にーさんをさらった、ってことなんすよね?」

「……まさか」


 サクが声を漏らし、遅れてエリーも気づいた。

 マリスが切ろうとしているカードが分かったからだ。


「“勇者様を誘拐した”。そう言えば、警護団も動くんじゃないっすか?」


―――**―――


「ふんふっふ~ん」

「なあ、俺たちとんでもないことしてないか?」


 町はずれの森の中。すっかり調子を取り戻したエレナは上機嫌に髪飾りを触っていた。

 服も一新し、今度は黒いタートルネックの上着に白いパンツ。茶色のトレンチコードを纏い、鼻歌交じりにアキラに持たせた鏡の前で服をチェックしている。

 先ほどの服は、転んだときに汚れたからという理由だけで廃棄しており、彼女の足元には他にも買い物袋がずらりと並んでいた。

 髪飾りはお気に召さなかったらしく、口を尖らせてぽいと捨てる。

 およそ贅沢の限りを尽くしており、自然や廃棄物に詳しい者には怒られそうなエレナの行動の財源を、アキラは先ほど聞いてしまった。


「エレナ。お前これ、盗んだ金で、」

「もう、アキラ君ったらぁ。そんな些細なこと気にしてたら女の子にもてないわよ?」


 甘ったるい声で得エレナは囁く。

 どこまで計算ずくなのか、やはり輝いて見えるエレナに、アキラは力強く首を振った。


「騙されるかぁっ!! お前マジ、これ、え、どうなってるんだ? この世界の法律って」

「へ?? きゅ、急に落ち着かないでよ……」


 頭を振り、意識をはっきり持つ。

 この異世界に明るくないとはいえ、エレナの行動は色々問題がありそうだとアキラは自信を取り戻し、エレナを睨む。

 しかし彼女は瞳を潤ませ、身体を抱きかかえた。この現場を外から見ると、か弱い女性を森まで連れ出した犯罪者は、アキラの方になってしまうかもしれない。


「ふーっ、ふーっ、ふ-っ」


 甘い声を何とか振り払い、アキラは正気を保った。


「あんまり大声出さないで? ……私、怖い」

「俺も怖いよ」


 街で手早く、というか雑に買い物を繰り返し、かと思えば今度は素早く町の外に出てきたのは、すべてエレナの指示だ。

 彼女の感覚では、そろそろ街の中で本格的に盗賊であるエレナの捜索が始まる頃だという。少し街から離れ、ほとぼりが冷めるのを待てば、再び自分たちはこの町の景色の一部に溶け込めるとのことだった。

 そんな立ち回り、アキラは知りたくなかった。

 このままエレナに好き勝手やらせていたら、勇者様から犯罪者へのジョブチェンジが見えている。


「なあ、街に戻ろうぜ? 魔物だって出てきそうだし」

「だから言ったでしょう? 今頃私たちを探して護衛団やら何やらが街中駆けずり回ってるわよ」

「つってもよ、いい加減俺は戻んないとまずいんだって。一緒に旅してた奴らがいるし」

「ええ~」


 駄々っ子のように身をくねらせたエレナは、鏡を降ろしたアキラに詰め寄ってきた。


「そんなのどうでもいいじゃない。私と一緒にいても、楽しくない?」

「ぅ、お」

「それに、私、あいつらに追われているの。……捕まったら何をされるか分からない」


 間違いなくわざとだろうが、エレナはアキラの腕に胸を当てるようにしがみついてきた。

 事情はどうあれ、少なくとも、この細腕は、あの男たちが粗雑に扱えば、小枝のように折れてしまうだろう。


「ねえ。このまま逃げない? 私とだけ」


 ふっと耳に息を吹きかけられるように言われた。

 エレナは妖艶に微笑んでいる。

 もしかしたら彼女がこの金品を盗んだときも、同じように相手に取り入り、隙をついたのかもしれない。

 こんなことをされたら、きっと誰だって彼女の言うがままになってしまうだろう。


 だが、アキラの身体はガチリと止まった。


「? アキラ君?」

「…………」


 あれだけ心地よかった彼女との時間に、アキラは別の意味で眩暈がした。

 エレナ=ファンツェルンは表裏はどうあれ、今でなお理想の女性だと感じている。

 だが、そのたったひとりを見ようとすると、アキラは胃が掴まれたように動きが止まるのだ。


 視界はかすみ、輝きは遠く。


 輝くひとりを見るだけで、近づこうとするだけで、何か得体の知れない何かが周囲を取り囲み、離れていってしまう。

 アキラの身体も、思考も、それが蝕んでくる。


 だが、その先に、誰かがいる気がした。


「ねえ、どうしたのよ?」

「……、……」


 言葉にできない。

 何も分からない。だが何故か、その先に、“彼女”が。


「! なにあれ」

「……うぇ?」


 アキラはエレナの鋭い声で我に返った。

 いつしか腕のぬくもりは消え、エレナは町を指差し、眉を寄せている。

 そのするりと長い指は、街から上がる数本の大きく野太い煙を捉えていた。


「……サーカスの催し、とか?」

「あんな禍々しい煙上げたら誰も見に来やしないわよ」

「じゃ、じゃあ、火事か?」


 エレナと並んで遠目に見た街並みは、いつしか様子が完全に変わっていた。

 いつしか日も落ちていたようで、街の灯りだけがぽつぽつと浮かび、この街にとっては長い夜が始まるように煌びやかに見えた。

 だが、立ち昇る黒煙が、それをすべて飲み込むように、立ち込めていた。


「……あっちって、サーカスの方か……?」

「行くわよ」

「あ、ああ!!」


 エレナは買い物袋もそのままに駆け出した。

 彼女がサーカスを探っていたのは事実だ。そこにあからさまな異変が起こったとなれば黙っていられないだろう。

 そしてアキラも、エレナに送れて走り出す。

 サーカスの話題を出したのは自分だ。“彼女たち”が巻き込まれているかもしれない。そう思うとさんざん駆けまわって疲れ果てていた足に活力がみなぎった。


 またも、何かが起こっている。


―――**―――


 いつまで経っても見つからず、正直やる気も起こらず、街の護衛団の人海戦術も始まり、感情的な問題もあってアキラ捜索をついにサボりたくなってきたエリーの目にも、それは飛び込んできた。


 始まった異変は、街のどこにいてもはっきりと見える、黒煙。

 方向は、昼に寄ったサーカスがある公園だ。


 そして、異常はそれだけではなかった。


「ねーさん、そっちは任せたっす!!」

「ええっ!!」


 眼前の魔物に、エリーはスカーレットの拳を打ち込んだ。

 サーカス目当てで人が余計に集まっていたのだろう。怒涛の勢いで大通りから押し寄せてくる人々の合間を縫い、その通行人たちを襲う魔物を撃破していく。


 人と混ざるように現れたその魔物は、リトルスフィアという種だ。

 まるまるとした黒い球体の身体に、小さな耳と手がつき、そして背中にも同じく小さな羽が付いている。

 足は無く、パタパタと羽ばたいて移動するが、浮かぶ、と表現した方がいいほどのんびりとした魔物だ。

 民間人も避けながら走れるほどで、速度もほとんどなく、攻撃能力も大したことは無い。


 愛らしい姿と言えば姿だが、その数が。


「ノヴァ!!」


 詠唱を付して、拳で魔術を放つ。

 リトルスフィア程度にはやや過剰な威力であるが、弾き飛ばして民間人から離さなければ危険だ。今のところ被害も大きくはない。

 だが、顔を上げると、うっとするほど黒い球体が浮かんでいた。

 多くは道の隅を走る民間人に対し、大量のリトルスフィアは、我が物顔で中央を川のように進んでくる。

 攻撃の力は低いと言っても、体当たりされれば木刀で殴られるほどの威力はある。

 民間人を守りながらだと、より一層思うように前へ進めなかった。戦闘不能の爆発までケアしようとするとなおさらだ。

 次第に人はまばらになってきたとはいえ、陸路を進むエリーは、空路を進む我が妹が本当に羨ましい。

 すでにマリスの姿はシルバーの軌跡を残し、エリーの目には米粒のようになっていた。


「ふっ」


 今度は蹴りで、リトルスフィアを弾き飛ばす。直してもらった武具は問題ないようだ。

 依然として大通りを埋め尽くすように現れるリトルスフィアに歯噛みしながら、エリーは力強く魔物を殴る。


 今回の件で、でもないが、割とはっきりしたことがある。

 あのヒダマリ=アキラという男は、確かに勇者様かもしれない。

 平穏に暮らしていたエリーたちのもとにあの男が現れてからというもの、巨大マーチュに“言葉持ち”のアシッドナーガ、そして昨日の巨大ブルースライムにこの騒ぎと立て続けに異常事態が発生している。


 彼が“原因”ではないだろうが、彼の存在が“理由”であるのは間違いないように思えた。

 そのくせあの男は、基本的に街中で戦えない。


 エリーは目の前で能天気に浮かんでいるリトルスフィアたちを睨む。

 この異常に、また彼は巻き込まれているだろう。

 もしくは、自分の力量も甘く捉え、この異常に飛び込んでしまっているかもしれない。


 はっきり言って、迷惑だ。

 だからエリーは、力いっぱい魔術を放った。


「だから離れんなっての!!」


 叫んだエリーの背後で、小さな爆発が響いた。

 振り返ればエリーと同じスカーレットの光や、スカイブルーの光が走っている。


 この街の護衛団か魔術師隊が来てくれたのだろう。

 流石に戦いなれているようで、目に見えてリトルスフィアの数が減っていく。


 エリーは迷わず駆け出した。

 街や民間人は、彼らが守ってくれるだろう。

 ならば自分は、探索に戻る必要がある。


 魔物の出所、あのサーカスの公園が、彼が呼び寄せているような異常の温床だ。


 彼も来ているかもしれない。

 だがもしかしたら、あの女も一緒にいるかもしれない。


「……」


 エリーは進路を阻害してもいなかったリトルスフィアを殴り飛ばし、ひたすらに走った。


 街の中で、こんな風に魔物が大量発生することはまず無い。

 少なくともこれほど大きい街なのだから、魔物対策は万全だろう。せいぜい数匹紛れ込むこともあるが、いずれにせよ魔術師隊が即座に対応するのだ。

 ならばこの魔物たちはどこから来たのか。向かっている方向には、魔物が芸をするというサーカスがある。

 しかしあの善良な団員たちが何かを企てていたとは、実際に会ったエリーには考えられなかった。

 もしやあの女が首謀者ではないだろうかとエリーが邪推し出したとき、逃げ惑う群衆の中に、見知った顔を見つけた。

 ピエロか何かの化粧途中だったのか、文字通り顔を真っ白に染めて、慌てた様子で駆けている。


「団長さん!?」

「あ、あなたは……!!」


 向こうもエリーを見つけて駆け寄ってくる。

 途中、転んだ子供を助け起こしながら向かってくる様子は、やはりこの件に関わっているとは思えなかった。

 どうやら団長はこの場所で、逃げる観客たちの避難に尽力していたようだ。


「こ、これ、何がどうなってるんですか?」

「わ、私にも分からないのです。で、ですが、突然テントから魔物があふれ出して」


 団長は声量を落としてそう言った。

 やはり異変の中心はサーカスで間違いないらしい。

 だが、慌てふためく団長も、この事態をまるで把握できていないようだった。


「そうだ、アキームを見ませんでしたか?」

「アキーム? アキームさんって、ああ、あの猛獣使いの?」

「え、ええ、そうです。逃げていった顔の中に彼はいなかったようで……」


 エリーも、そのアキームとやらを探す必要があると感じた。

 テントから魔物があふれ出したとしたら、彼が何かしらの失敗をした可能性がある。

 すぐにでも話を聞く必要があった。


「あ、あたしはとにかく行ってみます」

「えっ、危険です……が、行くのであれば、」

「分かりました。そのアキームさんを探してみます」


 団長が心配そうにサーカスのテントを眺めた。

 エリーもようやくここまで進んできて、燃えているのはやはりサーカスのテントだということがはっきりと分かった。


「責任感の強い男です。もしかしたら、魔物を止めようとしているのかも」

「行ってきます」

「お願いします!!」


 騒音の中でも、団長の声ははっきりと聞こえた。舞台の演者らしい声量に後押しされ、エリーは一直線にテントを目指す。

 やはり魔物を使役するなどということには無理があったのか。この暴走もそれが原因なのかもしれない。

 それに、以下にリトルスフィアが弱い魔物だとはいえ、暴走している上にこの数では、民間人どころか魔術師隊でも危険だ。

 アキームというあの平凡な男では、もうすでに取り囲まれ、生死の境をさまよっているかもしれない。


「っ!?」


 もう僅かで到着というところで、突撃してきたリトルスフィアを殴り飛ばしたエリーは、背後からの脅威を感じた。

 慌てて振り返って迎撃しようとすると、それと同時、今度は上空からリトルスフィアが飛来してくる。

 エリーの反応が遅れる。

 死角からの連続攻撃に、息が止まった。


「ふ―――」


 エリーの眼前で、イエローの光が走った。

 反射的に距離を取り、いつしかエリーを取り囲んでいたリトルスフィアたちをすぐに蹴散らす。

 危なく袋叩きにされるところだった。


「エリーさん、無事か!?」

「サクさん!! 良かった」


 合流できたサクも目指す場所は同じのようで、ふたりしてテントに向かって駆け出す。

 だが、エリーは、そしてサクも、不穏な空気を敏感に感じていた。


「サクさん、これ」

「ああ、“戦われている”な」


 今まで以上に慎重にリトルスフィアたちを撃退してエリーたちは進んだ。

 基本的に魔物は、あまり賢くない。

 生きるための術は心得ているようだが、戦闘となると個の力を頼りにする節がある。つまりは、群れの利を生かさない場合がほとんどなのだ。

 だからこそ単純な罠にかかることもあるし、村の入り口などに設置してある魔物対策の仕掛けも機能するのだ。

 事実、このリトルスフィアたちも、暴走しているだけで、破壊行為を意図して行っている様子は無かった。


 だが、今。

 明らかにエリーを迎撃しようとリトルスフィアたちは“知恵”を使った。


「司令塔が近いのかもしれない」


 サクがリトルスフィアを切り裂きながら鋭く言った。

 エリーも全く同意見だ。

 急に戦いにくくなったリトルスフィアたちは、何らかの支持を受けて動いているような気がした。


「じゃあ、やっぱりサーカスにいるのね。リトルスフィアの……ボス」

「……ふ」

「なによ」

「いやあ、どこに行ったのかと思ってな」


 思わず口走ってしまったとはいえ、エリーも聞き覚えのある表現だった。

 面白くなく、リトルスフィアに力いっぱい蹴りを見舞う。

 想像以上に時間がかかったが、なんとか公園の入り口が見えてくると、うようよといるリトルスフィアたちが、これ以上は進ませまいとより一層陣形を整えているように見えた。

 やはり近そうだ。リトルスフィアたちの、その、ボスが。


「おふたりとも!!」


 リトルスフィアたちの陣形を崩しながら進んでいくと、ふたりは小太りの男に呼び止められた。

 血相を変えた件の猛獣使い、アキームが、慌てた様子で駆け寄ってくる。

 どうやら無事だったようだ。


「アキームさん、ですよね!? これ、何が起こっているんですか!?」

「た、大変、なんです」


 そんなことは見れば分かる。

 額に脂汗を浮かべたアキームは、顔面蒼白にしてふたりの前で蹲った。


「だ、団長が心配してましたよ?」

「え、ええ、ええ、本当に、」

「とにかく事情を話してください」


 余程慌てていたのか、粗い呼吸をしながら身体を震わせるアキームに、エリーは話を急かした。

 今から飛び込むこの公園。少なくとも何がいるかくらいは聞いておく必要がある。


「いったい何がいるんだ?」

「それが、ああ、それは恐ろしい」


 身体を震わせ続けるアキームは、声を絞り出して続けた。


「それはそれは恐ろしい、魔女が」

「魔女?」

「私のペットを殺そうとする、魔女がいる」

「……―――」


 遅かった。

 あるいはあのアキラ以上に何も感じなかったアキームから、突如として魔力の波動を感じた。

 気づいたときにはエリーはどん、と腹部に痛烈な衝撃を感じ、軽々と吹き飛ばされる。


「―――ぐっ、が、はっ!?」


 エリーは背中から地面に落ち、肺の中の空気が強制的に吐き出される。

 腹部の激痛を庇いながら身を起こすと、異様な光景が目に飛び込んでくる。


 アキームが突き出した腕が、鉄球のような巨大な拳を作っていた。

 人間の身にはあまりに不釣り合いなその腕は、しかし、そこから侵食されるようにアキームの身体すべてを作り変えていく。

 全身が隆起した筋肉と共に肥大化して土色に染まり上がり、両手は鉄球のようにさらに肥大化し、2メートルは越すかという巨体に変貌したアキームは、ぎょろぎょろとその瞳でエリーとサクを捉えていた。

 背中まで伸びた茶色い立て髪に、捻じ曲がった太い角を生やすその貌は、もとのアキームどころか人間のそれではない。


 エリーは、その姿の魔物を知っていた。


「オ……オーガース……!?」

「貴様、まさか、擬態を……!?」


 エリーはふらつく足を強引に立たせ、即座に臨戦態勢に入る。

 この悪魔や鬼を模したような姿のオーガースは、当然ながら、こんな平和な大陸にいるはずのない魔物だ。

 そして、サクの言う通り、人に擬態をしていたらしいが、これほどの精度の擬態など、理外である。エリーの知る擬態とは、せいぜい遠目に見ると、人の集団に見えなくもなくなる程度のもので、村や町へ一定距離警戒されずに近づけるくらいの能力だ。

 まじかで見て、何の変哲もない人間に化けられるものは、最早擬態とすら言えないように思えた。


 その上。


「……ち。生きていたか」


 アキームは、仕留めそこなったエリーを睨み毒づいた。

 そのこと自体が問題だった。


「こ、“言葉持ち”……!!」


 それも、以前リビリスアークを襲ったゲイツよりも流暢に話している。

 “言葉持ち”の危険性を理解しているエリーは、背筋に冷たいものを感じた。

 そもそも、オーガースという魔物は、特に知力の少ない魔物だという。

 戦場に合って、敵味方を問わずに暴れ回ることもあるらしく、その分討伐も比較的楽に済むらしい。

 だが目の前のオーガースは、明確な知力と意思を持つ、“言葉持ち”。


 ここまでの異常事態を目の当たりにして、しかしエリーは腰を落とす。


「勇者はどこだ?」

「……!」


 エリーとサクの臨戦態勢に、しかしアキームは警戒せず、地鳴りのような声を響かせた。

 オーガースの狙いはアキラらしい。

 もしかしたらこの騒動も、アキラをおびき出すために起こされたことなのだろうか。

 となると魔王の息のかかった魔物なのかもしれない。


 エリーはちらりと焼けただれたテントを見る。

 このサーカス自体がそうした集団なのかと邪推したが、ここまでの騒ぎを起こしているとなると、このアキームが、単身サーカスに潜り込み、各地を回って調査していたのかもしれない。


「もう1度聞く。勇者はどこだ」


 サクが、ふっと息を吐いた。

 エリーもこの緊急事態を前に、同じく息を吐く。


「……答える筋合いはないな」

「ええ。大体それ、あたしたちが教えて欲しいくらいよ……!!」


 瞬間、イエローの一閃が鋭くアキームの首筋に放たれた。

 アキームの両拳が受け止めると、やはり鉄球のようになっているのかギンッ、と金属音が響く。

 丸太のような腕が振るわれ、サクが弾き飛ばされるが、それを見越してエリーはアキームの懐に入り込んだ。


「ノヴァ!!」


 完全に狙った通りに攻撃は放たれた。

 反応される前に、お返しとばかりに腹部に強烈な拳を叩き込んだエリーだが、しかし、アキームはその鎧のような筋肉を盾に、その場から微動だにしなかった。


「クウェイク!!」

「いっ!?」


 アキームは、エリー目掛けて両拳を振り下ろしてきた。

 グレーの光を纏わせた拳を辛うじてかわしたエリーだが、アキームは勢いそのままに地面に叩きつける。

 その力は、ドンッ、と大地を揺さぶると、小隕石でも墜落したかのように地面を陥没させてみせた。


 そして、それだけでは終わらなかった。


「跳べ!!」


 サクの声に、エリーは何も考えずに大地を蹴った。

 直後、アキームの腕からおびただしいグレーの光が雷のように弾けると、エリーの足元の地面が歪んで砕ける。

 クウェイクという魔術は、直撃を避けても地面を走り、攻撃を届かせることも出来る土曜属性の魔術だ。

 だが、オーガースがこんな器用な戦い方をするはずがない。

 下手な先入観にとらわれてせいで、エリーは危なく身体中にその魔術を浴びるところだった。

 これが、“言葉持ち”の脅威ということか。


「ガァァァアアアーーーッ!!!!」


 アキームが地獄の底から響いてくるような方向を上げた。

 両拳に溢れんばかりのグレーの光を纏わせ、腰を落とす。


 エリーの頭に警告音が鳴り響いた。

 拳をガチガチをと合わせるオーガースの行動は、この魔物が起こす行動で、最も警戒すべき予備動作だった。


「ォォォオオオオオオーーーッッッ!!!!」


 グレーの魔力を身体中にたぎらせ、アキームが爆走した。

 無茶苦茶に腕を振り回し、進路に遭った周囲に漂っていたリトルスフィアすら殴り飛ばし、その巨躯からは想像もできない速度でサクに向かって突撃していく。


「サクさん!!」


 見境なく攻撃を繰り出すオーガースのこの行動は、対峙する魔術師にとってはありがたい。知力の低いオーガースがそうすれば、少し離れるだけで、ほとんど無駄な消耗で終わるからだ。

 だがこの“言葉持ち”は、明確に意味を持って暴走する。


「っ―――」


 周囲のリトルスフィアの存在もあって、大きく距離取れなかったサクは、それでも攻撃を辛うじてかわした。

 しかし、アキームの攻撃が大地を打つと、そこから跳ぶように離れざるを得ない。

 その隙を、アキームは見逃さなかった。


「がっ、はっ!?」


 先ほどのエリーの比ではないだろう。

 鉄球のような拳で身体を打たれたサクは、荷馬車に跳ねられたように軽々しく吹き飛んだ。

 身体中がバラバラになるような衝撃を受け、サクは離れた家屋の壁に激突し、ピクリとも動かなくなった。


 サクは金曜属性だ。弱点の土曜属性の魔術攻撃となると、まともに防ぐことは難しい。

 エリーが青ざめながら駆け寄ると、サクは頭からも血を流し、激痛に顔を歪ませていた。

 呼吸困難に陥っているように呻くサクは、生きてはいるようだが、このままでは長く持たない。

 一刻も早く治療をしなければ。


「ククク……あの魔女を探しているのか……?」


 エリーの視線が空を追ったのを見たのだろう、アキームはサクを殴り飛ばした場所から動きもせずにせせら笑った。

 しかし次に、その禍々しい瞳をさらに歪ませると、公園の方に視線を投げる。


「あの魔女なら、私がガバイド様から賜った魔物を殺そうとしている。貴様らが終われば、次はあの魔女だ」

「……!」


 ガバイド。

 またその言葉を聞いた。

 ゲイツが言っていた、魔王直属の魔族。

 アキームも、そのガバイドの配下の魔物ということなのだろう。


 そのガバイドとやらは一体どんな魔族なのか。

 巨大マーチュやゲイツ、そして目の前のアキームも、同種の魔物と一線を画す怪物だった。

 やはり、目の前の存在を、オーガースと考えない方がいいらしい。


「そして貴様らは、もう、終わる」

「……!」


 動きもせずに笑うアキームは、エリーとサクを嘲るように見えていた。

 攻撃してくると身構えたエリーは、しかし何の動きも見せないアキームに、身体中をこわばらせる。

 何を仕掛けてくるつもりなのか。


「エ……、エリー、さ、ん」

「っ―――」


 息も絶え絶えにサクが何かを呟いた瞬間、エリーの鼻からつんと衝撃が抜けていった。

 後頭部に鈍い痛みが走る。

 くらりと倒れ込んだエリーの目に、ぱたぱたと飛ぶリトルスフィアの姿が映った。


「……か、う……」


 リトルスフィアが突撃したらい頭は、まともな思考をしなかった。

 いつしか地面に付していたエリーは、ちらつく視界の中、悠然と歩み寄ってくるアキームの足を見つけた。

 まずい。


「終わりだと言ったろう」


 いやらしく貌を歪ませ、目の前まで来たアキームは、鉄球の拳をわざとらしく見せつけてくる。

 脳震盪を起こした頭は、何も考えられない。

 これは、まずい。


「最後に、良いものを見せてやろう」


 アキームがそう呟くと、それが合図のように燃え上がっていた巨大なテントが崩れ落ちた。

 その向こう、サーカス用に明かりが灯された公園で、“それ”は、浮かび上がるように現れた。


 透き通るような水色の、巨大な球体が最初に目に入った。

 サイズは、たった今崩れ落ちたテントにさえ相当する。

 そこから映えているようにさえ見える上半身は、竜種のような顔つきをし、大きな翼を羽ばたかせ、黒煙をさらに高く押し上げていく。

 上半身から延びる太い腕は、自らの腹部に回すように、大切そうに球体を抱いていた。


「マザースフィア。……ああ、何と美しいことか」


 アキームが、うっとりした声を吐き出す。

 呆然として見ていたエリーだが、そのマザースフィアが、今もなお、その球体からぼとぼとと、リトルスフィアを落としているは見えた。

 このリトルスフィアの大量発生に合点がいった。あのマザースフィアが、産んでいるのだ。


 そして、そのさらに上空。

 見知ったシルバーの光が走っているのが見えた。

 だが、その光は、火の手が民家に広がらないようにしているのか、離れては近づき思うように飛べてないようだった。


「それなのに、あの魔女は……!!」

「ぎっ」


 苛立たし気に、アキームはエリーを踏みつけてきた。

 魔物の力がそのまま加わり、身体が千切れそうなほどの激痛が走る。

 これは、本当に、まずい。


「勇者の餌はあの魔女で十分だ。……さあ、死ね」

「がっ、あああっ!!」


 ついでのように、アキームは足に力を入れた。

 それだけで、エリーは思考も呼吸もまともにできなくなる。

 アキームとの絶対的な力の差を感じ、もう、打つ手は無かった。


 だから、まずいと、エリーは思った。


「あ……は……」


 これほどの窮地なのに、エリーは自分が壊れてしまったのかと心配になった。

 なにせ、“絶望していないのだから”。


 確信があるわけでもない。

 信じているわけでもない。

 現実逃避したわけでも、多分ない。


 だが、エリーはぼんやりと、思っていたことがある。


「―――!?」


 ドォォォオオオン!! と砲撃音が鳴り響き、アキームの力が緩んだ。

 暗転し変えていたエリーの視界も、鮮やかな一色に染まる。

 視線を向けると、先ほどまでいた、神話から飛び出てきたような巨大な魔物が、オレンジの閃光に飲み込まれていた。


 ほうら、やっぱり来てくれた。


「いっっっでぇぇぇえええーーーっ!!!!」


 あの感じは上手く受け身が取れなかったときの悲鳴だ。

 エリーはぼんやりとそんなことを思った。


「そんな……馬鹿、な……」


 エリーは死力を振り絞り、サクを抱えて呆然とするアキームから距離を取った。

 ここまでボコボコにされた魔物相手だが、エリーは少しだけアキームに同情した。

 申し訳ないこと、ああいうことしかできないのだ、こちらのボスは。


「貴様らか!? 貴様らが……!!」


 思い出したように、アキームがエリーたちを睨みつけてきた。

 エリーは構えを取る。

 すると、サクも愛刀を握りしめながら立ち上がった。


「サクさん、大丈夫なの……?」

「は、駄目だ、なんて言っていられないだろう……。主君が来たんだ」


 息も絶え絶えになりながら、それでもサクは構えを取る。

 エリーも頷いた。

 一応はあの男が働いたのだ。こちらも何かはしないと格好がつかない。


「あとはこいつだけね……!!」


 周囲のリトルスフィアは、マザースフィアの指示で動いていたのか、すでにまとまりなく漂っているに過ぎない。魔術師隊たちに討伐されるのも時間の問題だろう。

 残る脅威はこのアキームのみとなる。


「私がガバイド様から賜った宝を……、許さんぞ……!!」


 来る。


「ねえ。あんた今ガバイドって言った?」


 そう思ったとき、冷たい女性の声が聞こえた。


「ひー……、ひー……、肩……、あ、やば、やばい感じの外れ方してるかも……」

「ち、うるさいわね」


 その女性は、共に現れた男を投げ捨てる。

 地面に蹲って悶える姿を、エリーはよく知っていた。


「ようやく見つけた……」

「アキラ様!!」

「なあ、なあ、マリスは? さっきあっちに飛んでように見えたけど、マリスは?」


 口を開けば妹のことばかり。

 エリーはアキラのあまりの働きぶりに、肩を叩いて激励してあげた。

 さらに叫びそうになったアキラだが、エリーたちの様子を見て、口を噤んだ。

 どうやらこちらがどれほど苦労していたか、少しは察してくれたらしい。


「ったく。一発芸過ぎるでしょ」


 アキラと共に現れた女性が、吐き捨てるように言った。

 そしてその女性は、目の前の異形に無防備にも歩み寄っていく。

 エリーは叫ぼうと思ったが、何故か、喉の奥を抑え込まれているように、言葉が出てこない。というよりも、あるいはアキーム以上の何かが、圧迫するようにエリーを抑え込んでいた。


「見つけたぞ……、そいつが勇者か……!!」

「今は私と喋ってんでしょ」


 憤慨するアキームの様子を気にも留めず、女性は冷ややかで抑揚のない声を出した。

 そしてなおも近づいていく。


「……!! 貴様、昼の……!!」


 ようやく女性を目に止めたアキームの表情が歪んだ。

 この女性は、サーカスの金品を奪ったとされる盗賊だ。アキームも人間の姿のときに会っているのだろう。


「まあいいわ。口が利けるなら、知ってること全部話してくれる?」

「ふざけるなぁっ!!」

「エレナ!!」


 アキラが叫んだのとほとんど同時、一瞬の出来事だった。

 アキームはエリーにそうしたように、鉄球の拳を繰り出した。

 防御膜を張っていたエリーも軽々吹き飛ばしたその一撃に、最悪の事態がエリーの脳裏をよぎったが、しかしそんなグロテスクな光景よりも、信じがたい光景が眼前で起こった。


 アキームの拳は、ぴたりと、エレナの眼前で止まっていた。

 その拳には、添えられるようにしか見えないほど、優し気にエレナと呼ばれた女性の手が触れている。

 だが、ぐいぐいと力を籠めるように見えるアキームの拳は、そこから微動だにしない。


「グ、グ、グ、きっ、貴様、何を……!?」

「今は私が聞いてんでしょ」


 エリーの目には、エレナのその細腕が、アキームの筋力を超えているように見えた。

 そんな馬鹿なと思いつつも、しかしアキームは必死で拳を放とうと力を籠め続けているのに、エレナが添えているだけに見える手に抑え込まれ続けている。

 エレナも魔力による強化が出来るのだろうが、それでは説明が付かないほどの力の差が生まれている。それも、筋肉隆々のオーガース相手にだ。


「エ……、エレナ……?」


 その光景には、アキラも我が目を疑っているようだった。肩の痛みも忘れ、呆然と眺めている。

 あっけにとられるというのはこのことだろう、エリーもサクも、目の前のひとりと1匹の様子を伺うことしかできなかった。


「エレナ……? 貴様、エレナ=ファンツェルンか……!!」


 腕に力を込めながら、アキームが唸った。

 エレナの眉が歪んだのが分かった。


「ふっ、逃げ出した実験素材の分際で……、直属の私に歯向かうなど……がっ!?」


 エリーは目で追うことが出来なかった。

 気づいた瞬間、エレナの片腕が、アキームの首を締め上げている。

 そしてそのまま片腕だけで、岩石にも勝りそうな重量の身体を持ち上げ、首を吊り上げる。


「女性の秘密は……、暴くもんじゃないでしょう」


 これ以上ないと思っていたエレナの声がさらに冷えた。

 そして首を掴む彼女の手から気持ちの悪い音が聞こえたかと思うと、アキームの顔を玩具のように眼前に持ってくる。


「ガバイドに伝えなさい。今なら殺れる。……必ず殺す、って」

「がっ、はっ、がっ!!」


 聞こえているのかいないのか。

 もはやアキームの首は、変な方向に曲がっているようにすら見える。


「分かった? 分かったら行っていいわよ」

「が、き、き、き―――」

「あら。ちょっと力が入り過ぎたかしら? まあいいわ。そういえばお昼にも見せてあげた“これ”、全力でやったらどうなると思う?」


 エリーには、首を絞められたアキームの瞳に、生気が無いようにすら見えた。

 だがそれすら興味なさげに、エレナは手のひらにさらに力を込めていく。

 すると、その手が輝き始めた。


 色は、ライトグリーン。


 その光が強まると、ただでさえ半死半生のアキームから生気が失せていく。


「……キュ、キュトリム……、だ。木曜属性の」


 辛うじて思い当たったエリーは呟いた。

 エレナは、特に身体能力に秀でるとされる木曜の力を有しているらしい。

 そしてキュトリムは、相手の魔力を、そして生命力すらをも奪い自らの力にするとされる、木曜属性の上級魔術だ。

 木曜属性も、そしてキュトリムの使い手も滅多にいない。少なくとも、“触れただけで殺す魔術を操る存在”など、エリーは聞いた覚えもなかった。


「……まっず」


 魔術を発動し終えたのか、エレナはそれだけ呟くと、ぽいと、巨体をチリ紙のように乱暴に放り投げた。

 魔力という魔力を吸いつくされたのか、下手をすればリトルスフィアよりも小さな爆発を起こしてアキームは消滅する。

 渋い顔をしたエレナは、その光景を下らなそうに眺めていた。


 これで、街を襲ったすべての異常は解決した。

 そのはずなのに、エリーには、まるで感慨が浮かんでこなかった。

 エレナの様子が、横顔が、今日自分たちを襲った災難など、あまりに矮小なことだと言っている気がして。


 彼女のその瞳は、ぞっとするほど冷たかった。


―――**―――


「と、いうわけで」

「!?」


 昨日の騒ぎが収まり、アキラたちが宿屋を出たところで、甘ったるい声の女性にかち合った。


「私は、あなたたちの仲間になったのでした!」

「どっ、どういうわけよ!?」


 清算を済ませたエリーが飛び出してきた。

 昨日、エレナはアキームを倒した直後、街の闇に消えていってしまい、アキラはその身を案じていたのだが、どうやら余計な心配だったらしい。

 アキームに凄惨な最期を迎えさせたとは思えないほど、エレナはにこやかな笑みを浮かべ可愛らしく頬に手を当てていた。


「?」

「ほら、昨日話した」

「……ああ、あの人が、っすか」


 街の防衛に一番尽力していたはずのマリスが、一番事情を把握していないというのは悲しい。

 サクが小声で説明すると、マリスは昨日説明しているときにも見せた、やや不服そうな瞳をアキラに向けてきた。

 エレナはにっこりと微笑むと、ポケットに手を入れ、握り潰したらしい紙くずを乱雑に広げ始めた。


「どういうわけはこっちの台詞よ。何よこれ、街中に貼り付けてあったわ」

「あれ。これ、エレナ、か?」


 アキラの前にかざされたのは、勇者様誘拐と記された手配書のような紙だった。

 ご丁寧に、意外にも似ているエレナの似顔絵と、特徴まで細かく記載されている。

 アキラは自分が姿を消してからの動向を聞いてはいたが、ここまで大事になっていたとは初めて知った。


「こんなんじゃ身動き取れないわ……。ねえ、アキラくぅん」

「うおっ……、あ、いや、おいおいおい」


 しなだれかかってくるエレナにアキラは思わず身を任せそうになるも、背後でエリーの拳がゴギリと鳴った気がした。

 エレナは知らないだろうが、昨日、あの凶悪な魔物たちを撃破して街の平穏を取り戻し、見事ハッピーエンド、となったわけではないのだ。

 だが、それでも、エレナに密着されると、本能的な部分が抑えられなくなる。


「私たち、デートしてただけよね?」

「あ、ええと、ああ」

「私の無実、晴らしてくれるよね?」

「こ、ほ、ん」


 アキラの顔を、あるいはエレナ以上に冷ややかに見つめる瞳があった。

 それほどだらしない顔を浮かべていただろうか。

 エリーはずかずかと歩み追ってくると、ぐいとアキラの腕を引いてきた。


「デレデレしない。あんた、昨日話したこともう忘れたの?」

「知らない人に、ほいほいついていくな」

「そう、そうよ」


 子供のしつけのような言葉だった。だがその言葉は、今でもエリーの声量口調もそのまま思い出せる。

 エリーはアキラに釘を刺すように睨むと、努めて冷静に、エレナに対面した。


「あの。誘拐の件ならちゃんと説明しますから、それでいいでしょう?」

「それだけじゃないのよ」


 エレナは鋭い目つきでアキラだけに視線を投げてきた。

 その目は、分かるだろうとでも言いたげだった。

 アキラも小さく頷く。


 彼女の目的は、ガバイドを探すことだ。

 そしてそのガバイドは、魔王直属の魔族らしい。

 そういう意味では、彼女にとって、勇者であるアキラと行動を共にする意味があるのだろう。


「ね?」

「……分かったよ。じゃあエレナ、その、改めてよろしく」

「はーい」

「むぅ」

「なんだよ」

「こっちの台詞よ」


 不機嫌そうなエリーだが、諦めに近い表情を浮かべていた。

 どうやらエレナが同行することを、渋々ながら了承してくれるらしい。

 そのままずんずんと歩き始めるエリーの背は、はたから見ても怒っていた。


「はあ……、だから悪かったって」


 とりあえず今、エリーの機嫌をこれ以上悪くすることは避けるべきだろう。

 アキラは、エリーについて、色々と考えていたことを一旦放り出し、その背を追った。

 謝りながら、笑いながら、並んで歩く。


 昨日の騒ぎから徐々に回復していく町並みは、あるいは今まで以上に賑やかだった。


 今日も暑くなりそうだ。


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