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第3話『天上は、遠く座す』

―――**―――


 ヒダマリ=アキラの朝は、普通だ。


 無理をしない程度、ほんの少しだけ早い時間に起床し、のそのそとベッドから這い出る。

 そのまま頼りない足取りで洗面所に向かい、顔を洗う。

 部屋に戻って身支度を整えたところで、ベッドを惜しむようにまた倒れ込む。

 それでも、うごめかすように手足を伸ばし、パキパキと気持ちのいい骨の音を響かせながら身体をほぐしたあと、強引に身体を起こす。


 そして。


「アキラ様、起きてますか? “奥様”はもうお待ちですが」

「う、うがぁぁぁあああ……!!」


 部屋の外からの声に、もう一度ベッドでのたうつのだ。


――――――


 おんりーらぶ!?


―――――――


「はああああ……」


 盛大な溜息を吐き出しながら、アキラは孤児院の廊下を歩いていた。


 隣には、先日アキラの従者となった、サクという少女が付き従うように歩いている。

 女性にしては長身で、目立つ赤い衣を羽織り、短くも綺麗な黒髪を後頭部で縛っていた。

 その髪が、歩くたびにピコピコと揺れているのが妙に可愛らしいが、彼女の佇まいは凛としていた。

 聞いたところによると、年は、アキラよりふたつほど下とのことだが、眠気が残りよたよたと歩くアキラと違い、早朝でも美しさすら感じるほどまっすぐに歩くサクの様子を見ると、どちらが年下か分からないような気もしてくる。


 そんな彼女は、繰り返すが、アキラの従者となっている。信じられないことではあるのだが。


「……着物、直ったんだな」

「ええ、エルラシアさんには感謝しています。ここまできちんと直るなんて」


 袂に手を入れ、機嫌良さそうにぶんぶんと振る仕草には、サクの中に年相応の可愛らしさを垣間見ることができた。


 その仕草も、また表情を正して歩く様も、はっと息をするほど美しく見える。

 この異世界にはどういう人種がいるのかアキラは知らないが、サクはアキラが親しみを覚えやすい和風の顔立ちをしていた。

 贔屓目無しに見ても、サクは、美人だ。


 異世界での冒険は、こうでなければならないとアキラは思う。

 そんな彼女が自分に仕えてくれるともなれば、思い描いていたハーレムという状態も、夢ではないような気がしてくるのだ。


 だが、最大の障害はある。


「今日は昨日の復習から始めると言っていましたよ。“奥様”が」

「う……。そ、それ禁止だ! 言わないでくれ……」

「? は、はあ」


 本気でハーレムを目指すとなると、アキラは致命的な問題を抱えている。

 今現在、アキラはとある少女と婚約中ということになっているのだ。

 出逢ったときとは違い、サクはアキラに優しくしてくれてはいるが、道理に反するようなことは嫌う、融通の利かない彼女の性格は変わっていない。むしろ変わっていないからこそ、アキラの従者になっているようなものだ。

 そうなってくると、色々とまかり通らない可能性が高い。


 ただでさえ、熱に浮かされ件の婚約者に口を滑らせたときは、ゴミを見るような目を向けられた覚えがある。

 できれば婚約自体もサクには知られたくなかったのだが、いつの間にか知ってしまっていたのだからアキラにはどうしようもなかった。


「! ようやく来たわね……!! きゃっ!?」

「あ、ねーさん。大丈夫っすか?」


 アキラとサクが庭に着くと、同じ顔のふたりが出迎えた。

 髪や瞳の色合いが違うだけで、髪の長さもその背丈も全く同じ姿の双子の姉妹は、仲良く鍛錬に励んでいたようだ。


 ぞっとするほど鋭い魔術を飛ばしていたのは、妹のマリサス=アーティ。

 誰が言い出したのかは知らないが、数千年にひとりの天才と言われており、この異世界に疎いアキラでもその評価が誤りではないことを確信できるほどの力を見せてくれた。

 だが、当の本人は日常にいると、そうは見えない。

 マントを肩からすっぽりと被り、銀の長い髪をそのまま垂らしている格好だけは立派な魔術師なのだが、だぼだぼに見えるマントも、色彩の薄い眠たげな眼も、どうにものほほんとした印象を受けた。


 一方、マリスの魔術を機敏にしゃがみ込んで回避したのは、姉のエリサス=アーティ。

 この双子の差異は色合いと覚えるのが一番早いと思っていたが、しばらく共に過ごして、ふたりの見分け方はその目つきだとアキラは思うようになっていた。

 妹との帳尻を合わせるように切れ長の目付きは、サクほどではないが鋭く、活発そうな印象を受け、そして怒ると怖いことをアキラは知っていた。

 妹のマリスと違い、身体を動かしやすそうなシャツとジャージのトレーニングウェアを身に着けており、そちらも彼女の特徴を表しているように思えた。


 そして、そのエリサス=アーティの方が、双方納得がいっていない、アキラの婚約者ということになっている。


「にーさん。おはようっす」

「ああ、おはよう。マリスもいたのか、珍しいな」

「たまたま目が覚めたんすよ。せっかくだから参加してみようかな、って思って」


 マリスの半分閉じた眼を見ると、どうにも覚醒しているようには思えないのだが、今となってはこの緩んだ表情も見慣れたものになってきた。

 アキラは感心したように唸って、身体を伸ばしながら空を見上げた。

 形のいい雲がいくつか浮かんではいるが、今日も晴れそうな、爽やかな朝だった。


「今日はマリーまで頑張ってるのに……。あんたは……」


 ため息交じりに頭を抑えるエリーを見ると、彼女が身に着けているシャツが汗で濡れているように見えた。

 アキラの身体にようやくエンジンがかかる前に、彼女はとっくに起き出して、身体を動かしていたのだろう。


 改めて見ると、エリーも、マリスも、そしてサクも、やはり魅力的な女性だった。

 思った以上に、異世界物の定番であるハーレムの道を歩んでいるようにも思えるのだが、やはり婚約という壁が立ち塞がる。

 それでは他の女性に目移りすることは許されないのだと、アキラはこの光景を前にしても、ため息が先行してしまうのだ。


 そのためにも、まず、やるべきことがある。


「ほら、時間無いわよ。始めるんでしょう?」

「うし、やるぞ!!」

「返事だけは良くなったわね……」


 数日前、この村は滅亡の危機にさらされた。

 なんとか乗り切りはしたものの、序盤役に立てなかったアキラにとっては今度こそはと思える出来事だった。

 つまりは、この異世界における“強さ”を手に入れたいと心から思ったのだ。

 その日以来従者となったサクに頼み、朝起こしてもらうという完全に人頼みの手段を使い、アキラは朝の鍛錬を再開していた。

 最初は懲りずに日の出とともに起床と思ったのだが、エリーにはっきり不可能だと断言され、しぶしぶ継続できそうな軽めなものに妥協することとなった。

 それさえ眠気が勝りかけているのだから、エリーの判断は正しかったとアキラは認めざるを得なかった。


「まず、身体の中で血が流れているのを感じるのよ」

「わ、分かってるって……!」


 アキラは言われた通り、身体中に神経を張り巡らせる。

 こんな血行を促進させるようなイメージ、もちろんしたことは無かった。


 だが、出来なければ話にならないらしい。

 そして、その血が、血管から溢れるような状態を想像するのが、昨日までにアキラが習った鍛錬だった。

 これを行うことで、身体中に“防御膜”を張ることが出来るらしい。


「……」


 詳しい用語は、アキラには分からない。

 だが、アキラは今、基本中の基本らしい、“魔力”について習っているところだった。


 魔力には属性というものがあり、例えばエリーは火曜属性、マリスは月輪属性で、サクは金曜属性だという。

 そしてアキラの有する力は、日輪属性に分類されるらしい。


 だが今習っている防御膜は、属性に関係なく行えるそうだ。

 名前の通り、自分が有する魔力を身体中に身を守るために展開させる。

 魔術が飛び交う戦場では、大前提となる技術だ。

 生身では即死の攻撃も、ある程度防ぐことが出来るらしい。

 話を聞いて、今までこれすらできないまま戦場に立っていたアキラは、自分の行動が後から怖くなった。


「…………にーさん」

「……ん?」

「身体中から噴き出すのが難しいなら、指先とかどこでもいいんすけど、1点に集中させて、そこから広がるイメージでやった方がいいっすよ」

「あ、ああ」


 やはり上手くいかず、棒立ちをし続けていたアキラを見かねたのか、指を立てたマリスから助言が届いた。

 アキラは言われた通り、一番イメージしやすい、唯一自分が魔力らしい何かを発した右の手のひらに力を集中してみる。

 すると、血液ではない、何かが集中し始めたような気がした。

 手のひらが一層熱くなってきたことを確認すると、腕に、そして身体までにそれが広がっていくように想像してみる。

 すると、身体中を何か温かなものに包まれたような気がした。


「それが、防御膜っす。にーさん、出来てるっすね」

「あ、ああ、これで、いいのか。マリス、ありがとう、お前すげえな」


 マリスの助言のお陰で、アキラは初めて“具現化”以外の力を使えた。

 この場にいる他のみんなは当然できていることなのだろうが、アキラは自分がようやく一歩を踏み出せたことに、身体中が震え始めた。


「いや、すご……。すごいぞこれ。マリス、まじで助かった。どっかのガーっとやるとか言ってた奴とは全然違う」

「じゃあ試すわよ」

「どわっ!?」


 眼前に飛び込んできたエリーの拳を、アキラは寸でのところで回避した。

 その拳が、大岩を砕いたところをアキラは見たことがある。

 獲物を仕留め損なった拳がまた襲ってくるかと身構えようとしたが、下手に動いたせいでアキラの身体から魔力が散ってしまっていた。


「危っ!? お、お前なんてことを……!!」

「役に立たなきゃ意味ないでしょ? ほら、こっち来なさい」

「でも今のは、……わ、分かったよ。やってやる」


 ぐいと腕を掴まれ、アキラはエリーに庭の中央まで引っ張られていった。


「マリサスさん」

「……マリーでいいっすよ」


 サクは、アキラたちを見送って、その様子をぼんやりと眺めているように見えるマリスに声をかけた。

 長身のサクが横から見ると、マリスの眼はほとんど閉じているようにしか見えない。

 だが、こんなのんびりとした様子の少女だが、サクの知る限り、彼女ほど魔力に精通した者はいなかった。


 サクは、アキラほどではないが、魔術に関してはまともに学んではいない。

 旅で必要な知識を、旅の中で習得した程度だ。

 だが、本と向かい合っていただけの者とは、少なくとも見てきた魔術師の数が違う。

 その中でも、このマリサス=アーティは異質だった。


 詳しくはないとはいえ、魔術というものがどういう制約を持ち、どういう限界があるのかはおぼろげに把握している。

 だが、この数日、ほんの少し見せてもらっただけで、マリサス=アーティはサクの常識というものを軽々しく塗り替えてみせた。

 魔術の知識は豊富。操れる魔術は多種多様。空中浮遊や光弾に、他者の能力を引き上げることすらできていた。

 その上魔力の量が無尽蔵ともなれば、まさしく子供が想像するような魔法使いそのものだ。

 サクの知る限り、そのうちどれかひとつでも彼女の域に達している者はいない。

 この数日で、サクにとっては主君であるアキラが、色々な魔術を見てみたいという急に思いついたようなリクエストに、マリスは事も無げに応えてみせたのは未だに震えを覚えていた。

 数千年にひとりの天才。彼女はそう呼ばれているらしい。


「それではマリーさん。……あのふたりはいつもああなのか?」

「いつも、そうっすかね……。仲はいいっすよ」


 ただ、少しだけ拗ねたようにアキラとエリーを眺めるマリスを見ていると、そんな風には見えない。

 怒鳴り合いながらも、あれやこれやとエリーが指示し、防御膜の鍛錬を賑やかに続けていた。


「でも、にーさんもねーさんも婚約は破棄するつもりらしいんすよ」

「! そうなのか?」

「自分もそれに協力というか、なんというか」


 サクにとって、一応、マリスは主君の義理の妹ということにもなる。そして今は、宿を提供してもらっている孤児院の者でもある。

 無言でいるのも失礼だろうから多少は世間話でもと思っただけだったのだが、思った以上に、拗れているような気配を感じた。

 話題を変えた方がいいかもしれない。


「アキラ様の力について訊かせてもらってもいいか?」

「……」


 マリスが小さく唸った。

 肯定と取ってよいものかと迷ったが、サクにとっては主君のことだ。妥協するのも許されないだろう。


「アキラ様は、その、あのように、」

「……魔術どころか魔力も使えないっすね」


 言葉を濁したサクの言いたいことは伝わったらしい。

 この数日、ヒダマリ=アキラという人物を見てきたが、ある意味マリサス=アーティと対極だ。

 彼がサクにとっての主君となった今、言うのも気が引けるが、サクが今まで出会ってきた魔術師の誰よりも力が低い。

 魔力は操れない、魔術も知らない。おまけに、異世界来訪者らしく、この世界の常識にも疎いときている。

 下手をすれば民間人以下の力しか持っていないというのに、彼は勇者様らしい。

 だが、それなのに。


「“具現化”。私も見たのは初めてだ。……それも、威力は常軌を逸している」


 サクが、彼を主君と理由は、決闘のしきたりに倣ったというのもあるが、彼があの力を有していたからというのも否定できない。

 威力もさることながら、具現化を出現させてからあの強大な魔術を放つまでの時間もまるで必要としてないようだった。

 マリスと同じくらい、いや、それ以上に、サクの常識を超えた力をあの主君は有しているのだ。


「私の見分が狭いのかな。世界中の魔術師や魔導士にも、あれだけのことが出来る者はいないだろう。それなのに、魔力も操れないアキラ様は、」

「……勇者の秘めたる力が覚醒した。そういうことっすかね」


 のんびりとした表情になって、まさしくサクの主君が言いそうなことをマリスは言った。

 ただの冗談だったのだろう。マリスはすぐに少しだけ神妙な顔つきになり、半開きの眼でアキラを捉えた。


「自分が思うに……、にーさんの身体の中に、膨大な魔力が眠っている」

「……そう、なのか」

「そう考えるしかないっすよ。そしてにーさんは、その使い方を知らないだけ、とか」


 サクにとって、マリサス=アーティは最も魔術に詳しい人物だ。

 だが彼女の言葉が、曖昧な推測に過ぎないことはすぐに分かった。


 この世界の常識を覆す力が、アキラの中に眠っている。

 そんな超常的な問題は、当然マリスですら分からないらしい。


「……怖く無いのだろうか。アキラ様は、そんな力が」

「怖いっすよ」


 マリスはそう言って、一歩踏み出した。


「分からないものは怖い。そういうものじゃないっすか」


 そう言われて、マリスの有する月輪の力のことをサクは思い出した。


 月輪属性。

 アキラの日輪属性ほどではないが、圧倒的に希少な属性だ。


 エリーの火曜属性は、破壊力に長けた属性で、サクの金曜属性は、防御に長けた属性だ。

 だが月輪属性は、魔術の知識が無いアキラが頼んだ通りのことをマリスが容易く実現してみせたように、得手不得手が見えない、捉えどころのない属性だった。

 空を飛び、魔術を放ち、傷を癒し、果ては予知能力まであると言われるその属性は、日輪属性と共に、謎に包まれているという。

 術者にすらその真髄が見えないという月輪属性を有するマリスも同じように、眼前に深い闇が広がっているのだろうか。

 それゆえに、月輪属性の者は日輪属性の者を好むのかもしれない。自分と同じ悩みを持ち、もしかしたら、その闇を明るく照らせる太陽を。


「まあでも、にーさんは大丈夫そうっすよ」

「?」

「自分と違って、にーさんは明るいっすから」

「……言ってしまえばそれに尽きる、ということか」

「…………あ、大丈夫じゃないっすね」


 マリスがだぼだぼのマントを翻し、駆け出していった。

 向かう先にはエリーの拳を避けきれなかったのか、アキラがうずくまって痙攣している。


 朝の鍛錬は、そろそろ打ち止めだろう。


―――**―――


「信っじらんねぇ、この女。2連打だぞ2連打。避けられるかぁっ!!」

「あんたが受けないで避け回るからでしょ!? 防御膜を途切れさせたあんたが悪い!!」


 ヒダマリ=アキラは、最近、自分の成長を肌で感じていた。

 それは朝早く起きられるようになったことでもなく、魔力を操ることでもなく、マリスの治療でも残る鈍い痛みを、徐々に感じなくなってきたことだった。

 痛みに対する耐性が出来た、というのもあるかもしれないが、それ以上に、攻撃を受けたときの被害を抑え込めているということなのだろう。

 まったくもって不名誉な成長の証ではあるが、アキラにとっては大事な1歩でもある。


 だが、今日の朝、台無しにされた。

 未だに、腹部で鈍いどころか痛烈な痛みが自己主張していた。


「……あ、やば、まだ痛い……。なんか動きにくいし……」

「にーさん、ちょっと見せて欲しいっす」

「甘やかさないで! そんな強くやってないわよ。それに」


 アキラの目の前で、ともに朝食を囲んでいるエルラシアがにっこりと微笑んだ。


「アキラさん。おかわりは?」

「あ、じゃあください」

「元気じゃないの」


 この孤児院の主であるエルラシアは、エリーとマリスの育ての母でもある。

 恰幅のいい女性で、特にエリーとは違い、アキラにいつも優しく接してくれる。

 アキラが異世界に来て、最も幸福な時間は、もしかしたらエルラシアと共にこうして朝食を囲んでいるときかもしれない。


「サクさんはどうする?」

「いや、もう大丈夫だ。ご馳走様」

「そう、遠慮しないでね。マリーは?」

「少しだけ」

「はいはい」


 大人数相手の世話は慣れたものなのか、手際よくパンを配るエルラシアに、アキラは感心した。

 もう少し経てば、ここで世話をしている子供たちも起き出し、もう一度同じように世話をすることになる。

 毎日毎日そんなことを繰り返しているのに、それでもまったく疲れた様子の無いエルラシアに、大人の凄さというものを垣間見たかもしれない。

 食堂の朝は、穏やかに時間が流れていく。

 こうした時間を積み重ねていけば、自分もいつか、大人になれるのだろうかと、アキラはおぼろげに思った。


「……って、そうよっ!!」

「エリー。静かに」

「ああ、ごめん。……、いや、そうじゃないのよ!」


 しかし、その時間は赤毛の少女が立ち上がらんばかりの勢いでテーブルを叩いて壊してしまった。

 エルラシアにたしなめられるも、それでもめげなかったエリーは、首を回すように大げさに集まった面々を見て、唇を震わせた。


「ふっ……、不自然。ここ孤児院よね!? 何でこんな戦力集まってるのよ!?」


 勇者であり、素の実力はどうあれ超常的な力を有するアキラ。

 数千年にひとりの天才と言われるマリス。

 目で追えないほどの速度で駆け、刀の扱いに長けたサク。

 そして、今癇癪を起しかけているエリーは、魔術師試験をパスしている。


 エリーに言われて、改めて見ると、なかなか凄いことになってきているとアキラも思った。


「前にも言ったじゃない。とにかく魔王でも何でも倒しに行かないとって! 今すぐにでも旅立つわよ!」

「おいおいおい。今日は子供たちにとっておきの話をする日なんだぜ」

「私はアキラ様と行動を共にするだけだからな」

「自分はにーさんの準備が済めばいいと思ってるっすよ」

「エリー。そんなに慌てることないじゃない。まだ式も挙げてないんだし」

「うるさーいっ!! そしてやっぱりあんたが原因じゃない!! そのことだけに関しては味方だと思ってたのに……」


 テーブルに突っ伏したエリーの頭から、悲壮な空気が漂ってくる。


「冗談はともかく。エリー、本当に旅に出るの?」

「お母さんには悪いと思うけど……、あたしたち、旅に出ないと。マリーから見て、魔王相手でも何とかなりそうなんでしょ?」

「にーさんの具現化っすよね。……多分」

「ならとっとと行ってさっと倒して終わり! それでいきましょう」


 相変わらず暴走しやすい女の子だとアキラは思った。

 魔王とやらのことは知らないが、最も信頼しているマリスが太鼓判を押したとなると、アキラも自分の力に自信が持てる。

 どういう旅になるかは分からないが、異世界物の定番の冒険に出るのは、アキラにとってもやぶさかではない。


「だけどさ、なんか村の人たち優しいし」

「巨大マーチュにアシッドナーガ。村の危機を2度も救ってるっすからね。実はにーさん、村でもかなり人気みたいっすよ」

「え。まじ?」

「うなーっ!!」


 奇声だったが、エリーが威嚇してきていることはアキラには分かった。

 これ以上この女を追い込むと何をし出すか分からない。

 旅に出ない理由をこれ以上探すのをアキラは止めたが、そこでサクが口を挟んだ。


「村人たちにとっては、アキラ様がいた方がありがたいだろうな」


 エリーが涙目でサクを見たが、彼女の口調はいたって冷静だった。


「この前のゲイツ。あの魔物は、巨大マーチュの敵討ちに現れたと言っていた」


 ピクリとエリーが肩を揺らした。

 エリーもその場にいてその話は聞いていたのだ。この村が滅亡の危機に瀕した数日前の出来事は、巨大マーチュのことが発端なのだと。


「“言葉持ち”の魔物というのも問題だが、それよりも、魔物同士でつながりがあるとなると放ってはおけない。ゲイツの敵討ちに魔物が現れないと言い切れないんだからな……、まあ、あまり考えられないが」


 エルラシアがいることに気づいたのか、サクが表現を改めた。

 だが、確かにアキラもあまりいい予感はしていなかった。

 エリーはこの孤児院に過剰なまでの戦力が集中していることを嘆いたが、細かな事情まで知らない村人たちにとっては、村の防衛機能が高まっているだけなのだ。

 過剰であろうが、いや、過剰だからこそ、この村の平穏は約束されている。

 魔王討伐のためにいずこかへ旅立たれるより、この村で暮らしてもらった方が彼らにとっては都合がいいのだ。


「でも、実際頃合いっすよ」


 食事を終え、手を合わせたマリスは、次に、懐に手を入れ、ごそごそとあさり始める。

 取り出したのはやや折れ曲がった茶色の封筒で、金の蝋でぴっしりと印がされている。

 封筒の端が破れているのは、マリスがそこから取り出したからだろう。


「なに、そ……」


 顔を上げたエリーの表情が凍り付いた。

 動かないエリーに変わり、アキラはマリスが差し出してきた封筒を受け取ると、金の印を眺める。

 竜の牙のような物々しいロゴが描かれているが、マリスの扱いを見るに、ただの手紙らしい。


「見ていいのか?」

「いいっすよ」


 端から出るかと思ったが、折れ曲がっているのか出てこない。

 ならばとアキラは、何の気なしに、印をビリと破ってみた。


「ああああああっ!!!!」

「わっ、な、なんだよ!?」

「そ、それっ、それっ、国っ!! 国の!!!!」

「ばっ、止めろ!! その振り上げたナイフをどうするつもりだ!?」

「あんたはっ、何で!? なんでそんなに無神経なのよ!?」


 鬼気迫る表情のエリーから、アキラは椅子を引いて距離を取る。

 どうやら反射的に防御膜とやらを張る練習は必要そうだとアキラは思った。

 安全圏まで下がると、アキラは中身を取り出す。

 マリスの扱いは雑だったが、質感のいいオレンジ色の便箋だった。


「ええと、親愛なるマリサス=アーティ嬢」

「ぁ……」


 エルラシアから小さく声が漏れた。


「貴女の救援要請を受け、リビリスアークを指定危険区域と設定。魔導士および魔術師3名を派遣……」

「え!?」


 恐らく、もう子供は全員起きているであろう。この食堂で何度大声が響いたことか。

 だが、今度のエリーの声色は今まで以上だった。


「まっ、魔導士!?」

「魔導士が来るのか……!?」

「自分が頼んだんすよ。にーさ……勇者様と魔王討伐のために旅に出るから、リビリスアークを守って欲しい、って」


 この世界の文字が読めるが、常識には疎いアキラはまったくついていけない。

 だが、エリーどころかサクすらも驚いているところを見ると、何やら凄いことが起こっているらしい。


「マリスがまたなんかしたのか」

「あれ。自分怒られてるんすか?」

「いや、そうじゃない。なんかすごいことしたんだなあ、って」

「……にーさん、後で色々教えるから、無理しないでいいっすよ」


 食堂の空気が一変したのに自分だけが付いていけないというのはなかなかに寂しかった。

 憐みすら感じるマリスの視線に、アキラは抵抗なく頭を下げた。彼女から習うことはまだまだたくさんあるらしい。


「今日来るつもりらしいっすね。だから、その人たちが来たら、自分たちは出発出来るっすよ」

「じゃあ、いよいよ、か」


 エリーをからかっていただけだったのか、マリスはとっくに準備を進めていたらしい。

 どうやらいよいよこの村から旅立つ日が来たようだ。

 アキラはまだ見ぬ冒険に思いを馳せる。最後に子供たちの様子でも見て、さっさと出発の準備を整えなければ。


「じゃあ、あたし準備あるから。……ごちそうさま」


 そこで、エリーが手際よく食器を片付け、すっと立ち上がった。

 少しだけ早足で離れていく背中が、アキラには妙に小さく見えた。


「…………俺も、準備するか。エルラシアさん、ありがとうございました」

「私も準備をしないとな」


 アキラとサクもそれぞれ席を立ち、食堂に残ったのはエルラシアとマリスのふたりになった。


「ねえ、マリー」

「?」


 エルラシアは、最後に席を立とうとしたマリスを呼び止めた。

 振り返ったマリスの瞳は相変わらず半分ほど閉じていて、奥が見えない。


「さっきの、マリーらしくないわよ?」

「……何がっすか?」


 座り直して、正面に向かい合ったマリスは、少しだけ顔を背けていた。

 たまには親らしく、話を聞かなければならないとエルラシアは思った。

 彼女たちがこれから先向かう旅に、自分は付いていけないのだ。


「……ああ、かーさんに言うの忘れてたことっすね。自分も旅に出るんすよ。ここ、大変っすよね」

「それは、いいの」


 確かに、孤児院は忙しくなるだろう。

 エリーもマリスもこの孤児院で預かっている子供、ということになるのだが、年々、色々なことを手伝ってくれている。

 そしてそれ以上に、育て続けた我が子がいなくなるのは辛い。

 だが、それについてはエリーが魔術師を志した頃から覚悟はできていた。

 同じように、そう遠くない未来、マリスもいずれ巣立つときが来るだろうとも思っていた。

 アキラが来てからの半月ほどでも、長くいてくれただけでもありがたい。


「……ああ。魔王討伐は、確かに危険っすよ。ねーさんが考えているよりも、ずっと。でも、大丈夫。勇者様が一緒にいるから」

「それも、違うのよ」


 このアイルークという大陸は平和そのものだ。その魔術師になるよりも、魔王討伐を目指すのはずっと危険だろう。

 だがその旅は、きっとふたりにとっても辛いばかりの旅ではないだろうという予感はあった。

 そしてエルラシアの子供たちは、それを望んでいるのだ。親としては快く送り出すべきなのだろう。意義があることならばなおさらだ。

 エリーが魔術師を目指したときも、エルラシアは反対して、しかしそう思うようになっていた。


 だから、そうではないのだ。


「マリー。なんでその手紙、エリーの前で出したの?」

「…………」


 マリスは答えなかった。

 やはり少しだけ顔を背けている。


 魔術のことに疎いエルラシアでも、マリスが類まれなる才能を持っていることは知っていた。

 ふたりが子供の頃、観光で大きな町に行ったとき、魔術師への勧誘も兼ねたイベントをやっていたことがある。

 最初は、子供も受けられるような遊び半分のそのイベントだった。

 実際に魔導士を間近で見て、憧れたエリーと共に、マリスもその試験を受けたのだ。


 そこから騒ぎになったのは今でも覚えている。

 魔導士とは、魔術師の上位の存在だ。

 一般に魔術師とは、自己の生計を立てることを生業とする旅の魔術師と、村や町を守る職に就く魔術師隊の魔術師に大別される。

 つまりは、資格の有る無しという差こそあれ、能力的には大して違いは無い。極論を言ってしまえば、誰でもなれる職業である。


 だが魔導士となると別格となる。

 エリーが受けた魔術師試験など入口にもならないような最難関の試験をパスした者が、魔導士と名乗ることを許される。もちろん、実技も含めた試験で評価されるのだから、知識だけでは到底突破できない。

 そんな魔導士が、マリスが試験を受け始めた途端慌て始め、遠くから本格的な試験用具を持ち運んできたのだ。

 多くの大人たちに囲まれるマリスを、エルラシアはエリーと並んで遠巻きに眺めていた記憶がある。

 そしてその瞬間、双子の間に明確な壁が存在していることを強く感じた。


 エリーは、あるいはエルラシア以上にそれを感じただろう。

 それからというもの、マリスが先ほども取り出したような仰々しい手紙がこの孤児院には届いていた。

 定期的に、魔術師がこの孤児院を訪れ、マリスと話をしていく。

 そのいずれも、昔は教育を国に預けないかという打診、昨今は良待遇で魔術師隊へ迎えたいというもの。魔術師を志す者には喉から手が出るほど欲しいそれを、マリスは興味が無いと断り続けていた。

 対して、エリーに届いた正式な手紙は、昨年の不合格を告げる手紙と、今年の合格を告げる機械的な手紙だけだった。


 仲のいい姉妹だ。きっとエルラシア以上に、お互いのことを分かっている。

 だからマリスは、そんな手紙や来客を、極力エリーの目に触れないように立ち回ってくれていた。

 朝一番に郵便受けに向かい、その手紙を自分の部屋の奥底にしまい込むのだ。


 それなのに今日は、堂々と、エリーの前で手紙を取り出していた。


「……話の流れで、っすよ」

「……」


 双子とはいえ、エリーとは違い、マリスは昔から感情表現が下手なような気がしていた。

 賢く聡いマリスだが、時折、言いたいことが言えずに黙り込んでいるような姿をエルラシアはよく見てきた。

 だから、今もそれが、マリスが本当に思っていたことではないとエルラシアには分かった。

 エリーより、むしろマリスの方が、エルラシアは心配だった。こんな調子で旅立たせることになるのは不安が尽きない。


「……分からないんすよ」

「マリー?」


 じっと見つめていると、マリスが申し訳なさそうに目を伏せた。

 いつでものんびりとした表情を浮かべているマリスが、なにか、もやもやとした感情をそのまま浮かべている。


「にーさんとねーさん見てたら、ああしたくなった、というか……」

「……え。マリー、あなた、まさか、」

「……じ、自分も準備しないと。かーさん、後でも言うと思うんすけど、行ってきます」


 少しだけ瞳を大きくして、マリスは珍しく足早に食堂を出ていった。その後ろ姿が、先ほどのエリーと重なり、エルラシアははっと息を吐く。


 様子がおかしい気がして話をしたが、もしかしたら過保護すぎたかもしれない。

 物静かで、何を考えているか分かりにくいマリスだが、あれは女の子らしい行動というやつだったのだろうか。

 それならばエルラシアが出来ることは、見守ること、になるのだろうか。娘のことではあるが、エルラシアも馬には蹴られたくない。

 彼らの旅がどういう形になるかは分からないが、少なくとも悪いものにはならないだろう。


 安堵と、期待と興味を胸に抱き、エルラシアは厨房へ向かった。

 仕事の時間だ。まもなく子供たちが起きてくる。


―――**―――


 上着をベッドに投げ捨て、行儀悪くその上に座り込んでズボンも脱ぐ。

 桃色の下着姿になったエリーは、僅かににずれたそれを直し、正面の姿見をぼんやりと眺めた。

 魔術師試験やら最近の騒動やらで、それなりに鍛えた身体は引き締まっているし、出るところは出ている。

 そういう趣味は無いが、割と悪くないスタイルだと思いながら顔を見ると、それを台無しにするほど曇った表情が浮かんでいた。

 無理やり口を釣り上げて笑ってみても、鏡の中の自分から受ける印象は変わらなかった。


「……なーにやってんだろ、あたし」


 そう呟いて、下着姿のままクローゼットの正面へのそのそと歩き、ゆっくりと開く。

 勉強やら孤児院の手伝いで慌ただしい日常を続けた結果、ほとんど衣服が入っていないその中には、ひとつだけ、目を引く服が入っていた。


 興味本位で買ってみた、淡く明るい赤のワンピースだ。

 髪と同化しかねないから、色は抑えめにしなければならないが、エリーは赤い色が好きだった。

 見せる相手もおらず、ファッションセンスを磨く機会は残念ながら訪れなかったのだが、それならと開き直って好きな色の服を買ってみたのだ。


 だが、服が泣いているという表現を使うなら、この服がそうであろう。

 なにしろ、防虫対策だけはしてあるものの、大きな町での購入時に試着しただけで、それ以来ずっとクローゼットの隅がこの服の定位置だ。


 それでも、自分以上におしゃれにというものに興味が無いマリスも持っていない、自分だけの特別な服だ。

 少しだけ迷ったが、魔王討伐の旅に出るのだ。娯楽は必要ないだろう。


「……ええと、準備ね、準備」


 とにかく今は準備を進めなければならない。

 その服や普段着を視界の隅から追い出し、エリーは数着用意してある外行の服を、つまりはいつもの戦闘服を取り出した。

 身体に吸い付くアンダーウェアに、半そでのローブとハーフパンツ。簡易に見えて、それなりに魔術の技術が用いられている丈夫な服だ。

 あとは急所や拳を守るプロテクターを身に付ければ、そのまま村の外へ向かっても問題ない。

 慣れた手つきで身支度を整え、エリーは次に手荷物の準備に移った。


 部屋の隅に置いてある、魔術師隊へ入るために準備していた肩掛けのバッグは、この数日でいくつか日用品を取り出してすっかり萎んでしまっている。

 過去の記憶を掘り返し、元あった場所に元あったものを戻していくと、皺が付かないようにタオルで丁寧に挟まれた手紙を見つけた。

 先ほど食堂でも見た、金色の封がしてある封筒だ。

 それは、この孤児院に届いたときには力いっぱいマリスを抱きしめてまで喜んだ、魔術師試験の合格通知だった。


「……分かってたこと、でしょう」


 気を逸らしきれなかった。最も身近なことなのだから当然だった。


 姉のエリアス=アーティは、凡才。

 妹のマリサス=アーティは、天才。


 例えばエリーが数週間必死になって習得するようなことを、マリスは瞬時に習得してしまう。

 そんなマリスが誇らしくある、というのはエリーの偽らざる気持ちだ。

 だが、それと同時に思ってしまうことはある。


 何度も視界に移る大きな姿見は、当然、何度も自分の姿を映す。

 顔も、背丈も、全く同じ妹。

 それなのに、マリスはどれほど姉とかけ離れた存在なのだろう。


 エリーが魔術師試験の結果に一喜一憂するのに対し、マリスは依頼ひとつで魔術師どころか魔導士を動かせる。

 こうなってくると、エリーが魔術師試験を突破したのはマリスの影響があったのではと邪推してしまう。だがその辺りのフェアさは、去年試験に落ちているお陰で、悲しくも立証されてしまっているのだが。


 マリスはエリーにとって、大切な妹だ。

 マリスのためなら、もしかしたら命すら投げ打てるかもしれない。

 だがそれなのに、自分を支配するこの感情をエリーは抑えることが出来なかった。


 同じ親から生まれて、同じ境遇で、同じ場所で育って、それでも、違う。違うのだ。


「…………そうだ。色々挨拶回りしておかないと」


 自分の声にまったく感情が乗っていないことをエリーは自覚した。

 それでも身体を動かさなければ、思考が妙な方向へ行ってしまう。


 顔を弱く張って、エリーは部屋のドアを開けた。


「きゃっ!?」

「……うぉっ!? な、なんだよ急に」

「え、え、え。は? え。……あたしの台詞でしょ!!」


 エリーの心臓がどくりと跳ねた。絶対に恋ではない。

 ドアを開けた瞬間、エリーの目に飛び込んできたのは、珍しく神妙な顔つきをしていたアキラだった。

 この男は、人の部屋の前で何をやっていたのか。


「お前な、開けるなら開けるって、」

「だからあたしの台詞よ。いるならいるって……ん? というより女の子の部屋の前にいるなって言いたい」

「いやさ、聞いてくれよ」


 アキラは、何やら不服そうな表情を浮かべていた。

 エリーがはっきりと、自分が苛立っていることを自覚した。


「よくあるだろ? こう、落ち込んでいる奴の部屋をノックして、なんか声をかっこいい言葉をかけるようなやつ」


 この男が言っていることを正確に理解できたことは今まで1度でもあっただろうか。

 エリーは頭を抱えた。これで片頭痛持ちになろうものなら治療費はこの男に請求すればいいのだろうか。


「でもさ、いざとなると思いつかなくて、なんて言おうか考えてたんだよ。そしたらお前出てくるし……。台無しだよ」

「あれ。あたし怒られてる? いいわ、その喧嘩買って……、って誰が落ち込んでるって?」

「えっ? 違ったのか? ……じゃあ俺何してるんだろうな?」

「知るかぁっ!!」


 色々と悩んでいた自分が馬鹿らしくなってきた。

 エリーは頭に浮かんでいた雑念を振り払い、新たに湧いてきたこの男を村の外へ放り出したいという欲求を抑え込み、大きなため息だけ吐き出した。


「……それより、それ何?」

「え?」


 アキラの足元に、妙に大きいカバンがふたつほど置いてあった。見覚えのある孤児院の備品だ。子供たちとピクニックに行くときに使った記憶がある。


「何って旅の準備だよ。エルラシアさんに言ったら用意してくれて」

「……旅行じゃないのよ? こんな大荷物運べるわけないでしょ」

「ああ。だから荷台とか使うことになりそうだな」

「なんでここで半月しか暮らしてないあんたの方が荷物多いのよ……」


 試しにひとつ持ち上げようとしたら、やはり重い。書物でも入っているような気もする。

 エリーもしたことは無いとはいえ、アキラの方が旅というものを根本的に勘違いしていると確信が持てた。


 どうやら、やることができたようだ。お礼にもなる。


「これ、あんたの部屋に運ぶわよ」

「は? どうすんだよ」

「必要なものだけ選び直すの。やるわよ」

「え、そんなんいいよ。俺がやればいいんだろ?」

「あんたがやった結果がこれだからでしょう……。さっさと行く!」


 ぐいぐいとアキラの背を押し、エリーは廊下を進んでいった。

 半分ほど進んだところで、アキラに先に行くように伝え、エリーは駆け足で部屋に戻った。


 仮にも勇者様のあの男が、あれほどまでに呑気で、気楽で、打倒魔王を目指す旅へ緊張感がまるでない。

 それなら自分も、ひとつくらいはいいではないかとエリーは思う。


 閉じ終わっていたバッグを開き、エリーはクローゼットを見た。


 バッグにはまだ、空きがある。


―――**―――


「な、ん、で、言わなかったのよ!?」

「いやお前が、ん? 俺が、その、……分かったごめん」

「うっ……、いやいや、ごめんで済まないでしょう!?」


 サクは、目の前の喧噪をぼんやりと眺めながら草原の中を歩いていた。

 特に整備もされていないが、それなりに踏み荒らされていて、歩きやすい。このアイルークの大陸には、こうした道が多い。数日前は、この道を通って、リビリスアークへ向かったことを思いだす。


「はあ。色々ちゃんと挨拶したかった人もいたのに……。まさかすぐに出ることになっていたなんて」

「いやいや。俺はそれを伝えに行ったのに、お前が荷物整理するとか言い出すから」

「あんたが大荷物運び出そうとしていたからでしょう……」


 サクがひとり旅をしていたときは、こうした道でも魔物の襲撃に備えて神経を尖らせていた。

 ひとりで静かに歩いている時間は慣れたもので、それほど辛くはなかったが、人と歩くだけで随分と楽になっているような気がした。もしかしたら、彼や彼女が特別賑やかしいからだけかもしれないが。

 今も索敵は続けているが、油断をしていると彼らのペースに巻き込まれ、危機管理が疎かになりかねない。

 ただ、不快ではないし、その上、現在その警戒は必要なさそうだった。


「まあ、自分が悪いんすよ。国の魔導士たちに会うの、苦手なんす」


 サクの隣を歩くマリスが、相変わらずのんびりとした声で言った。村の中にいたときとまるで様子の変わらない彼女は、平然とした様子でとぼとぼと歩いている。

 それもそのはず。人を襲う習性がある魔物だが、このマリサス=アーティという存在がいるだけで、まるで嵐が過ぎるのを待つように草木の中でじっと身を潜め続けるのだ。


 現在は、昼を少し過ぎた頃。

 朝決まったばかりの出発を急いだのは、マリスの都合があるらしい。


 詳しい話はサクには分からないが、マリスは、魔導士や魔術師に熱烈な勧誘を受け続けていたらしく、どうやら苦手意識を持っているとのことだった。

 昼前に早くも到着した魔導士たちを遠目に見て、会えば長い話が始まるとマリスの表情が曇り、急いで村を出ることになったのだった。

 その言伝をアキラが引き受けてエリーの部屋へ向かったはずだったのだが、様子を見に行くと、ふたりはアキラの部屋で散乱した荷物と格闘していた。


 もしかしたらでもないが、サクの主君は、あまり要領というか頭がよくないのかもしれない。

 そう思ったが、自分は従者だと言い聞かせ、悪しき思考を頭の外へ追いやった。


「とりあえず、どこか落ち着けるところについたら手紙書かないと。……お母さんに、子供たちに、あと村長とか、お隣さんとか」

「お前偉いなぁ。でも子供たちには話しといたぞ。めっちゃ泣かれたけど、分かってくれたよ」

「自分も近所の人たちには言ってきたっすよ。かーさんも手伝ってくれたっす」

「あたしだけ常識無いみたいになってない……?」


 どんよりと肩を落として歩くエリーを眺めながら、サクは遠くを見据えた。

 飛び出すように村を経ったせいで馬車の時間とかみ合わず、寝耳に水の魔導士隊の対応に追われていた村長にも頼れず、結果ひたすら広大な草原を歩くことになっていた。

 このまま何も考えずにリビリスアークを北上していくと、小規模ではあるが山岳地帯に入っていくことになる。


「ところで、アキラ様。これからどちらに向かうんですか?」


 計画性の欠片もない一行の足は、形だけ動いて前へ進み続けていく。

 そちらの方向には、サクにとってあまりよくない思い出の、“手厚い”看病を受けた村がある。

 あまりそちらの方には近づきたくないというのがサクの本音だった。


「そうだなあ。じゃあ、あの山を登ろうか」

「目に入ったものに飛びついていくの止めてくれない?」

「……ノープランだ。というか案内してくれよ。俺は他の村を知らないんだぞ?」

「でも、にーさんの言う通り、山を登った方が早いっすね」


 事情を知ってか知らずか、マリスはサクの行きたくない村を避けるルートを提案してきた。


「多少険しいっすけど、抜ければ大きな町があるから、とりあえずそこに行ってみるってことでいいんじゃないっすか?」

「……なあマリス。あの山に付いたら、俺たちを飛ばして山を抜けることとかってできるのか?」

「出来るっすよ」

「マリーに頼らないで! というかあんたは少し身体を鍛えなさい!」

「いや険しいって言うから……」

「あのねぇ……!!」


 またふたりの言い合いが始まった。

 この数日行動を共にしているが、サクはこうした光景をよく見る。

 いい加減な様子のアキラに、それを正そうとするエリーの様子は、怒号が飛び交う騒ぎが起きるが、何度も見ていると、険悪な様子には見えない。

 というより、あれだけ性格が合わなそうなふたりなのに、その間に壁が無いような気がするのだ。


「…………やはり、婚約破棄をしようとしているように思えないんだが」

「……でも、するって言ってるっすよ」


 騒がしいふたりに、物静かなふたりが付いていくような構図になった。

 サクが小さく呟くと、やはり小さな声が否定してきた。


 マリスは無表情のままとぼとぼと歩き、速度は一定で、汗ひとつかいていない。

 彼女が有する力も相まって、並んで歩いているというのに、サクには全く現実感の無い存在に思えた。


「しかしマリーさん。本当に魔導士を呼べるなんて、やはり相当な力があるんだな」


 サクが旅してきた中で、村中からもてはやされていた存在を何人も見てきた。

 偉大な先祖がおり、強大な魔力を持ち、世界を救う存在だと崇められていた彼ら彼女らは、しかしほとんどの場合井の中の蛙だった。

 実際に手を合わせたエリーの方がずっと実力があったとサクは思う。

 しかし、リビリスアークでサクはついに本物に出逢ったと思っていた。

 目の前の実力もそうだが、村の外でも認められており、それどころか魔導士にすら評価されているマリサス=アーティという少女は、次元が違う。

 エリーが言っていた通り、あんな小さな村の孤児院にいていい存在ではない。


「失礼だが、ご両親は?」

「……、多分、名前を言っても分からないと思うっすよ。一応自分も調べたんすけど、別に有名じゃないっす」

「……そうか。あ、なら、先祖の方が何か関係しているのかもしれないか」


 マリスの遠い先祖に、偉大な魔導士がいたのかもしれない。

 そしてその遺伝子が、マリスの代に覚醒した。

 そう考えるのが、サクにとっては最も自然なことだった。


「“自分が一代目”」


 だがそれは、凡人の発想だった。

 マリスの一言に、サクは背筋が凍るような思いをした。


「遺伝なんかじゃないっすよ。この力は、誰かから引き継いだものなんかじゃない」


 マリスの強い口調を、サクは初めて聞いた。


「自分が天才なんすよ」


 本物から出てくる本物の言葉は、ここまで凛々しく聞こえるのか。

 口にすれば、驕りでしかないその言葉は、本物が言えばただの事実でしかないと思い知らされる。


 相変わらず半分ほど目を閉じて、マリスはとぼとぼと歩き続ける。

 ヒダマリ=アキラと主君として、自分の周囲には特異な変化が起きたのだとサクは改めて自覚した。


「……確かに、そう思うべきなのだろうな」


 サクはその天才と共に、未だ言い合っているふたりに続いて歩き続けた。


―――**―――


 てくてくてく。

 足音みっつ、聞こえてくるよ。

 てくてくてく。

 足音みっつ、元気に登る。

 てくてくてく。

 足音みっつ、だんだん速く。

 てくてくてく。

 足音みっつ、駆け出した。


 てくてくてく。

 足音ふたつ、聞こえてくるよ。

 てくてくてく。

 足音ふたつ、急いで登る。

 てくてくてく。

 足音ふたつ、どんどん速く。

 てくてくてく。

 足音ふたつ、震え出す。


 てくてくてく。

 足音ひとつ、聞こえてくるよ。

 てくてくてく。

 足音ひとつ、怯えて登る。

 てくてくてく。

 足音ひとつ、だんだん遅く。

 てくてくてく。

 足音ひとつ、とうとう止まる。


 疲れちゃった? はい、捕まえた。

 も~う、おしまい。


 足音ひとつも聞こえない。


「―――これが、私が聞いた唄です。迷い込んだ旅人たちの消息が途絶える様子を唄った、呪いの童歌」

「こっ、怖っ……。なんで童歌に呪いの要素必要なんだよ……!?」


 正直恥ずかしかったが、山道を登りながらサクが披露した唄を、主君はお気に召さなかったらしい。

 数日前、“手厚い”看病を受けた村にいたとき聞き及んだのは、今まさに登っている岩山にまつわる唄だという。

 この岩山は、馬車では大きく迂回するらしいが、時折自分たちのようにそのまま突っ切ろうとする旅人がいるらしい。

 そんな旅人たちが何やら消息不明になることがあるらしく、そんな唄が広まったということだった。

 だが、サクが周囲を伺いながら歩く限り、特に危険は感じられなかった。

 山を登ったり下ったりと歩きにくいが、それほど高度でもなく、おまけにここ数日は晴れていて、土砂崩れの心配もない。

 それこそ巨大な砲撃が山ごと吹き飛ばすようなことが無ければ、マリスが言った通り、ここを突っ切った方が迂回するよりも早く進めるだろう。


「まあ、よくある替え歌よね」

「お前ら怖くないのかよ? ……替え歌?」

「そうよ。なんかこう、近づくなー、的な感じの唄。元の唄は有名だしね」

「この世界にはそんな危険地帯がいくつもあんのかよ……」


 うねったような山道は、数人程度なら横並びになって歩けるほどだった。

 こちらも草原と同じく、人が何度か通っているようで、踏み慣らされていて道がよく分かる。

 念のために縦1列になって歩いているが、戦闘をいくエリーが振り返りながら歩けるように、それこそ“元の唄の方”とは比較にもならないほど危険は無さそうだった。


 とはいえ、この山道もそろそろ中腹に差し掛かるだろう。このままぐるりと山を周ることになるだろうから、先は長い。

 サクは気を引き締めた。

 いかにマリスがいようとも、魔物の巣に近づけば話は別だ。

 最後尾ではマリスが目を光らせてくれているが、突然魔物に囲まれてもおかしくはない。


「あれ?」


 ふと、先頭を行くエリーが声を上げた。

 その瞳は、自然なようにも不自然なようにも取れる、山肌にぽつんと空いた洞窟のような空間を捉えていた。


「なんだろ? この洞窟?」

「結構深そうだな」


 早速洞窟の中を覗き込んだアキラとエリーの声が、洞窟内に小さく響いた。

 その背中越しにサクも奥を覗こうとしたが、日当たりの関係か、全く中を見ることが出来なかった。

 せいぜいふたりが並んで歩ける程度で、高さもアキラの背丈ほどしかないその穴は、どうにも自然にできたようには見えなかった。


「もしかしたら、山の反対側に続いているのかもしれません。私が介抱を受けた村の者が、この山にはそうした穴が多いと言っていました」


 サクは思い当たったことを口にした。

 山の向こうには大きな町がある。

 馬車では大きく迂回することになるのも不便で、自分たちのようにこの山に足を踏み入れる者も多いそうだ。


「じゃあ、ショートカット出来るんじゃね?」

「とはいえ、外れも多いと聞きましたよ。真剣に道を作った人なんて、ほとんどいないだろうと」

「とりあえず行ってみるか? このまま山道歩くより楽できるかもしれないし」

「でも、なんかの巣とかだったりしたら……」

「うおっ、思ったより中広いぞ」

「って待てぃっ!!」


 迷っていると、アキラが松明に火をつけ、あっさりと足を踏み入れてしまった。

 なかなかに危険な行動に見えるが、サクも特に洞窟の中に脅威は感じなかった。


「ちょっと。防御膜覚えて調子乗っているんじゃないでしょうね。さっきまで童歌に怯えてたくせに」

「勇気ある者。だから勇者。そう習わなかったか?」

「やっぱり調子に乗ってる……」


 頭を抱えながら、エリーもアキラの後を追った。

 確かにこのまま山道を歩き続けるよりも、少しくらいは探索した方が気も紛れるだろう。

 とりあえず簡単に探索することを決めると、サクは荷物袋から松明を探し始めた。


「私たちも入ろうか」

「そうっすね」


 足を踏み入れかけているだけのエリーの姿も、これだけ近い距離にいるのにほとんど見えなくなった。

 先行しているアキラの姿などとっくに見えない。

 随分と闇深い洞窟に、サクはマリスと共に近づいていこうとした、そのとき。


「あれ? なんか足元濡れてるぞ」

「え? あ、ほんとだ。あんた転ばないようにしてよ」

「―――、」


 中のふたりの声が聞こえてきた瞬間、マリスの気配が変わった。

 サクも瞬時に理解する。

 こんな岩だらけの荒れた山に、水など湧くはずもない。現に、雑草すら生えていなかった。

 そしてここ数日、天気は崩れていないのだ。


「にーさん!! ねーさん!! 今すぐ外へ―――」

「え?」

「なに……、ってきゃ!?」


 叫ぶが早いかマリスが駆け出そうとした。

 しかしそれと同時、突如として山が震え始めた。

 あまりの揺れに、サクは思わず落石を心配したが、この揺れはどうやら地震ではなく、目の前の洞窟の入り口だけが震えているらしい。


「っ、」


 サクも駆け出そうとしたが、もう遅い。

 洞窟の入り口が軋みながら歪み、サクの眼前で崩れ落ちた。

 中のふたりの声ももう聞こえない。

 突如として、アキラとエリーから、サクとマリスは分断された。


「今の揺れは……!?」

「下がって!!」


 マリスは崩れたばかりの入り口に躊躇なく近づくと、壁に手を当てた。

 僅かな銀の光が漏れたかと思うと、マリスは渋い顔をした。彼女の表情がここまで大きく変わるのを、サクはほとんど見たことが無かった。


「……まずいっすね。結構奥まで岩が落ちてる。……にーさんとねーさんは……とりあえずもっと奥に行ったみたいっす」

「そ、そうか……。どうする」


 岩を破壊してどけようにも、洞窟がさらに崩れるかもしれない。

 中がどうなっているかは分からないが、少なくとも刺激を与えたらアキラとエリーが益々危険になり兼ねなかった。


「……この洞窟はどこかに抜けているかもしれない」


 緊急事態だ。

 それでもサクは冷静に思考を進める。

 主君であるアキラを守れなかったという後悔は、とりあえず後回しだ。急がねばそれこそ命に関わりかねない。


「そうっすね。自分たちは先に行って、洞窟の出口を探さないと」


 口早にそう言って、マリスは腕を振った。

 すると、突如としてサクの身体はシルバーの光に包まれた。

 まったく反応できないほどの速度で展開されたこの魔術は、アキラがマリスに見せてもらっていた、空を飛ぶ魔術だ。


「飛ばすっすよ」

「あ、ああ。頼む―――」


 ぐんっ、と身体が引かれ、サクはマリスと共に宙を舞った。

 そして、歩いていたのが馬鹿らしくなるほどの猛スピードで、疾風のように山道を飛んでいく。


 これほどの速度で空を行く魔術を、サクは見たことが無かった。

 そしてそれと同時に、マリサス=アーティの魔術がここまで乱暴に展開されたのも、初めて見た。


―――**―――


「調子に乗り過ぎました。本当にすみません」

「…………」


 アキラは深々と頭を下げたのだが、エリーからは何も返ってこなかった。

 ただ手に魔力を集め、スカーレットの光で洞窟の中を照らして見渡している。


 アキラが持参した松明は、先ほどの落石騒ぎでどこかに行ってしまっていた。

 洞窟内は入口の小ささと違い、ある程度の広さはあるようで、唯一の光源であるエリーと分かれたら元居た場所に戻ることすらできなくなりそうだった。


「なあ、悪かったって」

「……いいわよもう。あんたなんか」


 刺々しくはあるが、ようやく言葉を返してきたエリーは、アキラの方を見もせずに歩き出した。

 申し訳ない気持ちでいっぱいだが、アキラはエリーについていくことしかできない。


「荷物持とうか?」

「あたしより体力無いでしょ」


 せめて自分にできることはないかと提案したのだが、無情な現実を突き付けられた。

 アキラは二の句も継げなくなり、今まで以上に遠く見えるエリーの背を追った。


 また自分は、彼女の機嫌を損ねてしまった。

 いや、そんな可愛い表現では済まないだろう。

 初めての旅で、調子に乗っていた。

 その結果、危険かもしれない洞窟にずかずかと入り込み、閉じ込められた。エリーも巻き添えだ。


 エリーは今、相当怒っている。

 いつも怒鳴り散らしているエリーだが、彼女が本当に怒るとこうなるらしい。

 エリーがそうした様子であることが、アキラはどうしようもなく耐えられなかった。


「なあ、そういえばさっきさ」

「なによ」


 返事だけはしてくれるエリーを呼び止め、アキラは無理やりにでも話題を探した。

 だが、思いついたことは、それなりに重要そうな気もしている。


「閉じ込められる直前だけど、マリスが叫んでたろ?」

「……ええ」


 スカーレットの灯りに照らされたエリーの表情が、少し曇ったような気がした。


「多分だけど、揺れる前にマリスが叫んでた気がするんだよ。なんか察したのかな、って」

「…………分からないわ。……ごめんね、あたしとで」


 また自虐的な表情を浮かべた。

 エリーの劣等感の深さを、アキラは知らない。

 だが、彼女がそんな表情を浮かべていることが、やはりアキラの心を蝕むような感覚がするのだ。

 アキラとエリーは、互いに婚約破棄をするためだけの関係だというのに。


「いや、お前なら分かるだろ?」

「……あのね、双子って別にテレパシーとか使えるわけじゃないからね」

「そうじゃなくて」


 アキラは足元を軽く蹴った。入り口もそうだったが、妙にぬかるむ足場が続いている。


「マリスが叫んだのって、確か足元濡れてるって言った俺らが直後だろ? だからさ、それで叫んだと思うんだよ。そこから何か分からないか? お前頭いいんだし」

「褒められても嬉しくない」


 拗ねた様子で、それでもエリーは口に手を当てて考え始めた。


「マリー、外に出て来いって言ってた?」

「……ええと、そう、だったっけか」

「じゃあ外で何かあったわけじゃないのよね……。やっぱりこの水?」

「だと思うんだけどな」

「ここって最近雨降ってないわよね?」

「え? 村とここの天気が同じなら」


 うんうんと唸りながら、エリーはしばらくじっとしていると、何かに思い当たったように瞳を大きくした。


「……ま、まさか」

「あんまりいい思い付きじゃないみたいだけど、どうした?」

「こ、ここって」


 エリーが手の灯りで遠くを照らした。

 僅かに見えた洞窟の全貌は、どうやら小さなドームのようになっており、いくつかアキラたちが入ってきたような小さめの穴が開いている。アリの巣のような形状をしているのかもしれない。あの穴に入っていくと、またここのようなドームが広がっているのだろうか。


 そして、今アキラたちがいるこの空間の中央、見たこともない“物体”が、数カ所で不気味に蠢いていた。


 てかてかとエリーの灯りを反射し、脂ぎったような濁った色の身体を縮こまらせる。

 だが、形という形は存在しなかった。

 地面にへばり付いたガムか何かがそのまま命を持ったように姿を変化させ、地面に広がったり、湧き上がるように上部へ延ばしたりと、蠢き続ける。


「ス、スライム……、ここ、プロトスライムの巣だったの……!?」

「スライム!? あれ、スライム!?」


 間違いなく最も有名なのは、澄んだ青の手のひらサイズの身体で、にやけた表情を浮かべる、愛らしい姿だ。

 だが目の前のそれらは、おぞましく、醜悪な毒々しい身体で、当然表情など存在しなかった。

 動きはそれほど早くはないようだが、それでも人が歩く程度はあるようだ。

 まったく感情の読めないまま、プロトスライムたちは徐々に距離を詰めてきた。


「に、逃げるわよ、1体ならともかく、……4,5……7体もいたら……!!」

「こっちだ!!」


 ほとんど勘だが、エリーも文句は言うまい。

 先ほど照らされた中に、何とか走ったまま入っていけそうな小道を見つけておいたアキラは、エリーを先導させて駆け続ける。

 足音がぴちゃりと鳴ること今まで気にしていなかったが、あの存在たちを見た後だと、足元の液体は汚物のように感じられた。


「な、なあ、あいつらやっぱ強いのか!?」

「え、液体の身体じゃ厄介なのよ。すぐくっつくし……、特にプロトスライムは水曜属性。あたしじゃ相性悪いの!!」

「じゃあ何なら効くんだよ!?」


 油断は禁物だが、先ほどの集団はなんとか撒けたらしい。

 徐々に足を緩め、息を整えながら、アキラはしきりに背後を警戒した。

 飛び込んだ道は曲がりくねっていて、枝分かれもしている。アキラにはこの洞窟が迷宮のように思えてきた。これほどの洞窟を、あのスライムたちが作ったのだろうか。

 これから先も遭遇は避けられそうにない。

 洞窟の中だからか酸素も薄く、急に走ったせいもあり、頭がぼうっとしてくる。

 なんとか打開策を考えなければ本格的にまずそうだった。


「プロトスライム相手なら……。……魔術攻撃か、水曜属性の弱点の金曜属性」

「……」

「ごめんね。よりによってあたしとで」


 アキラは後悔した。

 自分に少しでも知識があれば、エリーにまたそんな表情を浮かべさせずに済んだというのに。


「……えっと、まあ、気にすんなよ」

「そういう言葉、かえって傷つくって知ってる?」


 前を照らして歩くエリーの表情は見えなかった。


「正直に言ってね。……あんたもマリーがいれば良かったって思ってるでしょ?」

「……まあ、多少は」

「そうよね。それに、あんたが“具現化”を使えないのも、ここじゃまずいからでしょ?」

「…………」


 正直に話してしまえば、エリーの言葉には肯定しかできなかった。

 アキラの具現化の力は、この洞窟が崩れ去ることすら許さず、スライムだろうが何がいようが一瞬で消し飛ばすだろう。

 だがその反動は強い。

 こんなゴツゴツとした岩の壁に囲まれている今、あの力を使えば、反動で身体が打ち付けられ、肩が外れるでは済まない負傷を追うだろう。最悪死ぬかもしれない。

 その怪我も、マリスがいれば解決する。

 いやそもそも、マリスがいれば、あんな魔物が何体現れようと、何の被害もなく討伐できてしまう。


「……あたしも、マリーにいて欲しいって思ってるくらいだもの」

「そりゃ俺よりはずっといいだろ」


 息が整えきれない。やはり酸素が薄いようだ。意識が強く保てない。

 それでもアキラは、少しでもエリーの気を逸らそうと、言葉を返し続けた。


「はっきり言うとさ。あたしさ、やっぱりマリーに嫉妬してるんだ」


 分かっていたことだった。

 だが、エリーの口から聞くのは初めてだった。


「マリーのことは大切だけど……、ああ、何度思ったろ、なんであたしじゃないんだろう、って」


 エリーも酸欠で、まともに考えられていないのかもしれない。

 それに加えて、もしかしたらアキラの持つ日輪属性の、相手の感情が増幅する力も働いてしまっているのかもしれなかった。


「でもさ、才能なんて欲しがってもどうしようもないから、あたしは結構頑張ったわけよ。こう、努力でその差を埋めてやる、みたいなこと思ってさ」


 もしこれが、自分の持つ日輪属性の力が原因なら、アキラは初めて勇者の力とやらを嫌悪した。

 日輪は、闇を払うだけの力ではなく、闇を作り出す力でもあるのだろう。

 自分はこの先、こうした闇を、幾度も見ることになるのだろうか。


「だけど今日のは堪えたわ……。魔導士を呼びつけられる人物の姉は、魔術師試験に落ちてるのよ? そう考えるとね、あたしって何なんだろう、って」

「……その辺にしておけよ」


 この先も例えそうであっても、アキラにはこの闇を見続けることは出来なかった。

 それを照らす力は、今の自分に備わっていないことを、アキラは自覚してしまっていた。


「……へ……、あ、ごめん」

「いや」


 振り返ったエリーの顔は、驚くほど表情が無かった。

 自覚なくつらつらと呟いていて、ただアキラがいただけなのかもしれない。

 それが妙に辛かった。


「お前さ。そういうのあんま考えるなよ」

「……分かってる。でもなんか、不思議と口にしたくなったのよね……。マリーには言わないで」

「言えねぇよ」


 言えるわけもない。

 この異世界では最も付き合いが長いとはいえ、エリーとマリスの姉妹関係のことを、アキラは一端しか知らないのだろう。

 ふたりの関係がどういうものか分からないが、所詮部外者に過ぎない自分が口を出していい話ではないような気もした。

 だが、ここまま、エリーがそんな表情を浮かべているのを、見過ごすことは出来なかった。


「……まあ、お前が駄目なら俺はもっと酷いけどな」

「?」

「“具現化”を使えないなら、俺は民間人だし」

「……そうね。民間の方に失礼かもしれな……、あ、ごめん続けて」

「おい。俺は勇者様なんだぞ。色々、こう、条件が揃うと」

「ふ。あんた何が言いたいのよ」


 落ち込む人への接し方は、大まかに分けて3つある。

 その人物より高いところに立ち、聖者のように導くこと。

 その人物と同じところに立ち、親族のように支え合うこと。

 その人物より低いところに立ち、道化のように笑わせること。


 今のアキラには、高いところは無理だ。同じ高さすら届かない。

 だが、低いところにはいける。

 アキラは、今だけはそれが得意で良かったと思った。


「ともかく頼むぜ? 俺が生き残るには、お前に頼るしかないんだから」

「…………はあ。あんたと話してると、本当に」


 エリーは歩く速度を上げた。

 途端離れた光源に、アキラは慌てて駆け寄っていく。エリーと少しでも離れると、一瞬で闇に包まれてしまう。離されるわけにはいかない。


「なあ、何だって?」

「疲れる、って言ったのよ!」


 少しだけ強くなったスカーレットの光へアキラは急いだ。


―――**―――


 マリサス=アーティは、久方ぶりに焦りを覚えていた。


 ヒダマリ=アキラと、自分の姉であるエリサス=アーティが得体の知れない洞窟に閉じ込められてから半時ほど経った頃、マリスはサクと共に同じ岩山の反対側まで回っていた。

 ここから背後の樹海に入り、半日ほど進めば当現在の目的地である街に着く。

 もしマリスが最初から全員を運んでいたら、何事も無くこの岩山を突破できていたであろう。

 今さら後悔しても遅いのだが、現状を鑑みるとどうしてもそうした悔恨の思いが浮かんだ。


 山の反対側には、探し求めていた洞穴が岩山にいくつか開いていた。

 サクと共に迷わず飛び込もうと思ったが、そのマリスを出迎えたのは温泉でも吹き出すように現れた大量の液体生物だった。


「―――っ、何体いるんだ……!?」


 イエローの閃光を残し、疾風のような速度で大量の魔物を切り裂くサクが吐き捨てた。

 接近して攻撃しては離脱するという、正しい魔物の対処を繰り返しているサクだが、離脱と同時に穴から土砂のように液状の魔物たちは出続ける。


 このプロトスライムという魔物は、さほど脅威な存在ではない。

 見かけによらず力は強く、取り囲まれれば当然危険ではあるが、そもそも動きが遅い。

 基本的に敵に近づかないし近づきすらもさせないマリスや、圧倒的な速力を持つ上に、水曜属性に有意な金曜属性であるサクならば、何の苦もなく倒せる魔物だ。

 だが、洞穴の前に立ち塞がるとなると話は違う。


 魔物は戦闘不能になると、有する魔力を爆発させる。

 少量程度なら問題ないが、特にここのような岩山で、大量に爆発されると落石の危険もあり、洞穴が塞がってしまう。

 結果、止めどなく溢れ出てくるプロトスライムたちを、ある程度穴から距離を取らせて撃破するという手間を強いられていた。


 その上。


「……何が起こってるんすかね」


 マリスは探るように岩山を見る。

 嫌な感じのする場所だった。

 何故か魔力による索敵もやり辛く、どうにも思うようにふたりを救い出せない。


「……あまりいい予感はしないな」


 ひと通りスライムを撃破し、サクがマリスの元まで引いて戻ってきた。

 また歯がゆくも、のっそり動くスライムがある程度洞穴から離れるのを待つことになる。


「私がこの山を通ったとき、プロトスライムには遭わなかった」

「……そうっすね。それにそもそも、日がある内からこんなに積極的に活動するのも見たことが無いっす」


 プロトスライムは、地下の濁った水をもとに生み出されている魔物だ。

 スライムのような魔物は他にもいるが、少なくともプロトスライムは日の光を嫌う習性があり、洞窟のような場所から出てくることは無い。

 当然、魔物たちの住処を脅かせば積極的になるではあろうが、今のように外まで出てくることなどまずないはずなのだ。

 この魔物たちは速度が遅く、獲物を追うことは得意としない。誘い込むのが基本的な戦い方だ。むしろ、マリスやサクは洞窟に入ろうとしているのだから、プロトスライムたちにとって望ましいはずなのである。

 ならば何故、侵入を拒むのか。

 そう考えると、先ほどアキラとエリーが閉じ込められたときの落石も、マリスの侵入を避けようとしていたとすら思えてきた。


「あの唄のもとになったのは、プロトスライムたちのはずだ」

「自分もそう思うっす」

「だが、何故こんな妙な行動をする……?」


 マリスも、先ほどからサクと同じ疑問が浮かび続けている。

 この辺りを飛んだ限り、プロトスライムより危険な魔物は存在しなかった。

 動きが遅いと言っても力は強い。民間人が夜にこの辺り、背後から襲われでもしたらまさしく足音は消えるだろう。

 唄になるほどとなると、それなりに長い期間、そんな事件が発生していたのだろう。

 魔物の正体がある程度割れてきたら、魔術師隊か旅の魔術師が討伐に向かってくることになる。

 つまりは、このプロトスライムたちは一定程度正体を隠しながら行動していたことになる。

 隠密行動ができる魔物だから、それ自体は不自然ではないのだが、そうなるとやはり、巣穴に近づいただけで噴き出すように現れるほど積極的に行動していることと矛盾する。


 マリスは自分の手のひらを見た。

 魔物に怖がられるマリスは、おびえて潜む魔物を多く見てきた。巣に入れば襲ってくるが、巣穴の前を通るくらいなら、魔物たちは息を潜めてやり過ごすのだ。


 つまりは、今のように溢れんばかりに現れて、マリスを撃退しようとしているというのは、この魔物たちが“そうせざるを得ない状況になっている”と考えられる。

 素の外で、マリサス=アーティにさほど強くない魔物が挑む理由として考えらえられるのは、それより強い外敵が現れたときか、“統制者”が存在して指示を受けたとき。


 いずれにせよ、この岩山は、やはり嫌な予感がする。


 マリスは表情を曇らせた。

 今この場にいるマリスとサクは、プロトスライムを問題なく圧倒できている。

 だが逸れたのは、水曜属性を弱点とする火曜属性のエリーと、そして、戦うことがそもそも難しいアキラだ。

 それを考えると、マリスは今までまったく脅威を感じていなかったプロトスライムたちが、そして岩山に潜んでいるかもしれない更なる“何か”が、たまらなく怖くなってきた。


 姉のことは、当然心配だ。

 だがそれと同じくらい、マリスはあのヒダマリ=アキラという勇者様の身を案じている自分に気づいた。


 昔、マリスは日輪属性について調べたことがある。

 その中に、月輪属性は日輪属性に惹かれるというものがあった。

 それ自体について、特に嫌悪感は覚えなかったし、そういうものなのだろうとマリスは深く考えていなかった。何より自分の義理の兄になるかもしれないのだ。険悪な仲よりはいいだろう。他者と関わるのがあまり得意ではないらしい自分にしてみれば好都合だ。


 そう考えて、深く考えなかったことが、最近、妙に気になってきてしまった。


 今、彼は、無事でいるだろうか。

 自分たちの旅は始まったばかりなのだ。こんなところで終わっていいはずがない。


「アキラ様たちは、まだ出てこれないのか……!!」


 サクが苦々しげに呟いた。

 焦りを浮かべるサクは、待ちきれないとでも言わんばかりに、魔物たちに飛び掛かれるよう腰を落としている。


「……サクさん」

「どうした?」

「……いや。サクさんは、にーさんのことどう思ってるんすか?」


 緩慢なスライムたちが洞穴から距離をとれるまでしばらくかかる。

 マリスは焦る気持ちをぐっと堪えていると、ふと、隣で同じように焦りを見せているサクのことが気になった。


「? 主君、ということか?」


 数日共に暮らしたとはいえ、このサクという女性のことを、マリスはよく知らない。

 聞いた話では、アキラとサクは決闘をしたらしい。

 その結果、サクはアキラの従者となったという。

 だが、結果がそうなったとしても、心まで動くわけではない。

 それなのにこの数日、サクはアキラの従者として立ち振る舞っている。


 そのことは、ずっと気になっていた。


 マリスは、アキラのように楽観的にご都合主義がどうのこうのと考えられない。

 アキラがそういう思考なのは別に構わないが、旅が始まった今、自分だけは冷静に見定めなければならないとマリスは思っていた。

 共に旅をする仲間が、形だけの関係ではなく、本当に信頼できる相手であるのかを。


「…………確かに、あの男は弱い」


 マリスがじっと見ていると、答えに満足していないことを察したのか、サクははっきりと言った。


「あまりこの話をしたくないが……、私の家は、もともと誰かに仕えることを生業としていた」

「……」


 サクは遠くを眺めるような目をした。

 彼女の故郷をマリスは知らない。知らないが、その瞳は、マリスがリビリスアークの孤児院を思い浮かべるときには決して浮かべられないだろうと思うほど、冷たかった。


「だがある日。私はその使える対象から逃げ出した。どうしても、仕えることが出来なかった。だから旅に出たんだよ、もうここにはいられない、と」

「……それで、“ここ”を選んだんすか?」

「……ああ」


 サクははっと息を吐いた。


「あの男は……、いいや、アキラ様は、弱いが、強い。その力に、過程はどうあれ命を救われている」


 絶対的な力を持つアキラの具現化。

 絶対的なものは、あらゆるものを惹き付ける。サクは、それに魅せられた、ということなのだろうか。


「仕えることから逃げ出したというのに、勇者様との出逢いとなれば、天命なのだと思ったよ。それに、……アキラ様の力になりたいと思った。それに、彼はもっともっと強くなれると、強くなってもらいたいと感じたんだ。不思議と、な」


 月輪属性が顕著なだけで、日輪属性は人を惹きつける。

 サクのその感覚も、きっとアキラの日輪属性の力の影響なのだろう。

 そう言おうと思ったが、マリスは何故か、言葉にすることが出来なかった。


「そんなついでのようなもので仕えるのはどうかと思うかもしれないが、私が決めたんだ。決闘の筋を通すために。是か非か、強いか弱いか、そんなことは関係ない。私が正しいと思ったことだ」


 この世界は、無数にある“しきたり”に縛られている。

 非公式な場では軽んじる者もいる一方で、厳格にそれを守る者も多い。

 サクはどうやら、厳格にそれを守る者のようだった。

 この数日過ごして、サクはそうした種類の者であることはマリスも感じていた。そして今の言葉に嘘も無いと思えるほど、彼女の声は凛々しかった。


 少なくとも、サクという人物は、共に旅する上で、信頼できる人物であるのだろうと感じた。

 そして、そういう理由ならば。


「満足してもらえたようだな」

「……!」


 サクが小さく笑う。

 マリスはよく無表情と言われるが、今は表情に出ていたかもしれない。

 サクがアキラに向ける感情が、“そういうものではない”と感じた途端、マリスはそれが“どうでもなった”のを感じてしまった。旅の仲間を見定めようとしていたはずなのに。


 マリスは表情を引き締める。

 もしかしたら、自分は、変かもしれない。


「とにかく、ふたりを助けよう。行くぞ……!!」

「…………了解っす」


 そろそろ魔物位置が頃合いになってきた。

 マリスは魔力を展開する。


 とにかく今は、ふたりを救出しなければ。


―――**―――


「―――きゃぁぁぁあああ!?」

「いっ!?」


 事態が一変した。

 ふたりで並んで慎重に歩いていたのに、アキラの隣で突如エリーの姿が消え、逆さになって宙に浮かび上がる。

 勢いよくエリーのバッグが落ちたところで、アキラはようやくその事態に思考が追い付いた。


「っ―――」


 宙づりになったエリーから漏れるスカーレットの光が、ゼリー状の物体を照らした。

 その物体は、道の壁のいたるところに空いている狭い穴から伸び、彼女の足首にまとわりついて持ち上げている。


「っ、ぁあっ!! うぅっ……」


 片足を持ち上げられたエリーは、逆さまのままうめき声を上げている。

 その液体の姿からは想像もできない万力のような締め付けが、エリーの足首を襲い続けていた。


「掴め!!」


 目の前のエリーの手を慌てて掴んだ。

 ようやく全貌を捉えられたそのプロトスライムは、今まで見てきたものより大きい。

 獲物を逃さんとするかのように、ロープ状に姿を変え、エリーの足首縛り上げ、元の穴に引きずり込もうとしていた。


「ぐぅぅぅっ、ああっ!!」


 アキラとプロトスライムでエリーを引き合う形になったが、エリーは激痛に顔を歪める。

 このプロトスライムは、引き込む力はさほど強くないらしいが、締め付ける方は相当に強いらしい。獲物を締め上げ、弱らせてから連れ去るのが習性なのだろう。

 その結果、足首は骨が軋みを上げるほどの力が加わり、その激痛にエリーはまるで動きが取れない。

 エリーですらこうなるのであれば、もしアキラが捕まっていたら一瞬で身体がねじ切られていただろう。


「そ、そうだっ!!」


 アキラは腰に下げた自分のバッグを引き千切らんばかりの勢いで開けた。

 村長からもらった投げナイフを見つけると、躊躇せずに手を突っ込む。

 数本ばらばらと足元に落ちたが、辛うじて1本つかまえると、逆手に持ち、エリーの足首に伸びているロープ状の液体に振り下ろした。


「っあ!?」


 思った以上に手ごたえの無い攻撃はどうやら成功したらしい。

 エリーの足首に残った物体は、力を失ったように液状になって散らばった。

 だが本体は、再びエリーを捉えようとすべく、また近づいていてくる。


「に、逃げるぞ!!」

「っぅ、……、え、ええ!!」


 顔をしかめるエリーの手を引き、アキラはスライムから距離を取った。

 持ったナイフをやみくもに投げ、エリーのバッグを拾い、今すぐ駆け出そうとしたところで、


「ま……、まず……」


 アキラの隣で、エリーが力なく座り込んだ。


「ど、どうした!?」

「た、立てない!!」


 恐怖に歪んだエリーの表情を見た瞬間、アキラは迷わずエリーを抱き上げた。

 アキラが投げたナイフはどうやら運よくプロトスライムに命中していたようで、今まさに、濁った液体の中で無残に握り潰されている。

 あんなものに捕まったら、間違いなく命は無い。


「行くぞ!!」

「ちょ、ちょっと!!」


 人生でお姫様抱っこをしたのは初めてだった。

 女性と密着するのも経験はほとんどない。

 だが、もう少しムードがある、具体的には命の危機が迫っていないときに起こって欲しかったとアキラは思いながら、即座に駆け出した。


「はっ、はっ、お、俺だって、や、やるときはっ、はっ、はっ」

「息切れ早っ!?」


 早速限界が来た。振り返ればまだあのプロトスライムは近くにいるだろう。

 だがアキラの体力では、女性ひとりとふたり分のバッグを担いでいるだけでも、すぐに限界が来る。


「あ、あんた、荷物なんて捨て、」

「い、いや、なんか、勿体、なく、て、」

「わ、分かった、分かったから!!」


 下手に刺激しない方がいいと判断したらしいエリーは、スカーレットの灯りを突き出し、進行方向を照らしてくれた。

 自分で出来る限界の全力疾走をし続け、迷宮のようにも思えてきた道を幾度となく曲がり、アキラは最後に、大きな道へ飛び込んだ。


「はっ、はっ、も、もう、……わ、悪い……」

「へ? きゃあっ!?」


 アキラは駆けながら、盛大に倒れ込んだ。

 エリーを放り出し、飛んで行った方向では、泥水に飛び込んだような可哀そうな音がした。


「は、は、は、ひゅー、ひゅー、ごほっ、ごほっ」

「…………さ、さいってー」

「だ、から、悪い、って、ごほっ、言った、ろ、はっ、はっ」

「……でも、ありがと」

「ごほっ、ああ、はっ、はっ、はっ」

「聞けって!!」


 やはり酸素が薄いようで、呼吸が辛かった。嫌な臭いのするこの洞窟で、大きく息を吸うのは避けたかったが、そんなことも言ってられないほど身体が酸素を求めている。

 しばらくそうしていて、ようやく落ち着き始めたアキラは、ゆったりと立ち上がった。

 大した距離を走ったとは思えないが、それだけで、足と腕ががくがくと震える。


 そして、エリーの方はもっと酷く見えた。

 顔面蒼白で、壁に背を預け、右足にまったく体重をかけられていないようだ。

 身体中が泥だらけになっているのは、アキラが彼女を放り投げたからだろう。


「……き、決めたぞ……。俺は、朝、走るっ」

「それならあたしが強引にでも起こしてあげるわ。あんた体力無さすぎ」

「結構頑張った方じゃね!?」

「よしよし。頑張った頑張った」

「もう少し感情込めろよ」


 アキラは背後を確認して、あのプロトスライムが追って来ていないことを確認すると、エリーに手を差し出した。

 少しだけむっとした表情を浮かべ、エリーは片足だけでアキラに近づいてくる。


「……肩、貸してくれる? 泥だらけだけど」

「お、おう。俺も似たようなもんだし。……ぉう」


 服の汚れを気にしたのか最初は遠慮がちだったエリーだが、アキラが肩を引き寄せると、ぐらりと身体を預けてきた。

 エリーの思った以上に足の具合は良くないらしく、そしてアキラの思った以上に身体が密着する。

 丁度鼻の辺りに来るエリーの髪も、押し付けられる形になったエリーの胸も、体温も、息遣いも、アキラには刺激が強すぎた。

 マリスにもたらかかられたことはあったが、エリーがそうすると、アキラは意識が全く遮断できなかった。


「…………助けておいてもらってなんだけど、変なこと考えてないでしょうね」

「か、考えてない……」


 邪な気持ちが無いと言うと嘘になる。

 本当にラブコメみたいな経験をしていた。

 この異世界は、アキラにとって、確かに優しい形をしているようだ。


「足、やっぱまずいのか」

「……うん。下手すると折れてるかも……。ひとりだったらもう死んでたわ」


 冗談めかしてそう言いながらも、エリーが、マリスのように瞳を半分閉じて、顔をしかめた。痛みが酷いのだろう。

 同じ姿で、同じ顔なのに、色合い抜きで、アキラにはふたりの区別がはっきりと付いた。

 いやマリスと比較して、というより、他の誰と比較しても、かもしれない。

 アキラは、妙にエリーが気になるのだ。


「…………」


 駄目だとアキラは思った。

 自分とエリーは、不本意にも婚約中で、今はそれを取り消すための旅が始まったばかりなのだ。

 そんな風に外堀が埋まっている中、アキラがエリーに好意を持てば、婚約成立にまた1歩近づいてしまう。ふたりの夢にとっては、そういう感情は障害にしかならないというのがアキラとエリーの共通認識だ。


 それなのに、どうしてもこうも、彼女のことが気になってしまうのだろうか。


「……とにかく、早くマリスに治療してもらおう」

「そ、そうね。マリーなら、ね」

「あ、ああ」


 エリーの腕の力が少し強まる。

 誤魔化すためにそう言って、アキラは少し後悔した。


 自分の口からは本当にろくな言葉が出てこない。

 エリーが暗い顔をしていると、アキラはすぐに励ましたくなる。

 しかしエリーが笑うと、駄目だと感じて話題を変える。

 アキラが変えた話題で、彼女はまた表情に影を落とした。

 何度同じことを繰り返しているのだろう。


「……でもさ。頼るところは頼ろうぜ。マリスにもできないことだってあるだろ」

「あるにはあるだろうけど、少なくとも“それ”はあたしにもできないわよ」

「あのな……」

「うそうそ、冗談。もう大丈夫よ」


 わざとらしくからからと笑い、エリーと共によろよろと洞窟を進む。

 暗がりでよく見えない彼女の表情は、きっとまた、曇っているのだろう。


 アキラは同じことを繰り返しているが、エリーも、いや、きっと誰もがそうなのかもしれない。

 目指した何かがあり、それと離れていて、それについて何度も悩む。

 理想が高ければなおさらだ。


 天上は、遠く座す。


 エリーもアキラと同じことで悩んでいる。

 だが唯一違うのは、すぐ隣に、その天上がいたかどうかだけの差だ。

 だからこそ、何度も比較をしてしまい、エリーはより一層悩んでしまう。


 だが、アキラはそれが、むしろ羨ましいと思った。

 悩むという行為は、諦めと真逆に存在する。

 彼女は、遠くとも確かにそこに在る天上を見続けているのだ。

 そして、そうだとしても、いや、それだからこそ、そんな彼女には、少しでも明るく笑って欲しいと、やはりアキラは思ってしまうのだった。


「……今は、お前がいてくれてよかったと思ってるよ」

「は?」

「とりあえず今、お前がいないと、俺はスライムたちに殺されるからな」

「……こんな足でも?」

「なら、ほら、暗くなる」


 もう少しマシな言葉は無かったものか。

 結局道化になるしかないアキラは、自分に苦笑した。


 今まで読んだ物語の主人公たちは、こういうときはしっかり決めていたというのに。

 口から出るのは何も考えていない言葉で、何を考えたとしても、それをうまく伝えられない。

 この異世界に来てアキラは、今まで漠然と感じていた自分の未熟さが、浮き彫りになったような気がしてきた。


「……じゃあ、そうね。魔物が出たら、あたしを抱えて逃げてくれる?」

「結構きついけど、やるよ。じゃあ作戦はこうだ。お前は照らして、俺は運ぶ。ひたすら逃げる」

「ふ。勇者様御一行の行動とは思えないわね……」

「そんなこと言っても、…………ん?」


 アキラは、足元が今まで以上にぬかるんでいることに気づいた。

 エリーに手を高くかざしてもらい、周囲を見渡すと、足元に限らず天井も壁も、まるで先ほどまで水が溜まってでもいたかのようにぐっしょりと濡れていた。

 目の前には、今までよりもずっと大きい穴が開いており、そこも同じように水浸しになっていた。

 今まで精々腰の高さ辺りまでしか濡れていなかったことを考えると、この辺りの濡れ具合は異常だ。


「……なんか、通ったばっかり、とかか?」

「それにしちゃ濡れ過ぎよ……」


 エリーが目の前の穴を照らすが、奥まで光が届かない。

 暗闇の先は、不気味なほど静かだった。


「……どうする?」

「どうするも何も、戻ったら……」


 先ほどエリーを襲ったプロトスライムと鉢合わせになるだろう。

 アキラもエリーも嫌な予感はしているものの、基本的に前進以外の選択肢は持ち合わせていなかった。


「……これは結構前にスライムの群れが通った跡。今はどっかに行っちまった」

「ポジティブって言った方がいい? 能天気って言った方がいい?」

「じゃあどうすんだよ」

「……………………ポジティブにいきましょう」


 あの中型のプロトスライムの力を、エリーは身をもって知っている。

 ここで棒立ちしていても、ほど近い未来またあのプロトスライムに襲われることになるのだ。

 アキラはエリーに小さく頷くと、足取り重く歩き始めた。


 アキラは、あるいはエリー以上に嫌な予感がしていた。

 こういうとき、何事もなく済むという物語を、アキラは一切見たことが無い。

 小説しかり、ゲームしかり、上乗せするなら以前の巨大マーチュしかり、“出現する”タイミングのような気がする。


 このスライムの巣の、“ボス”が。


「…………」

「…………ほらぁ」


 悪態も吐きたくなる。

 大きな通路を抜けて、アキラとエリーはぴたりと立ち止まった。

 通路の先は、小学校の体育館ほどの大きさや高さの広間になっており、天井は薄ぼんやりとしか見えないが、ドームのような形状になっているらしい。


 そして、その、中央。


「思った通りだな……、は、は」

「また、なの……?」


 巨大マーチュと違い、その物体は声を上げない。

 ただ、洞窟中の空気ごと、ぶよよんっ、と身体を震わせるそれは、この空間のほとんどを埋め尽くすほど巨大で、この洞窟の主だということを雄弁に語っている。

 エリーのスカーレットの灯りに照らされるそれは、汚水のようなプロトスライムと違い、綺麗に透き通るような青をしていた。


「ブ、ブルースライム……!? お、大きすぎ……」

「だから何で真ん中のサイズの奴いないんだよ……!?」


 こちらを認識しているのか定かではない、ブルースライムなるそれは、アキラとエリーの目の前の身体の一部を光らせ始めた。

 スカーレットの色に混ざるように発されたのは、スカイブルー。

 痛烈に、嫌な予感がした。


「い!?」


 アキラは頭に鳴り響く警鐘に素直に従い、エリーを抱きかかえて走り出した。

 その直後、アキラの踵を怒涛の水流のような光がかすめ、ふたりが入ってきた通路になだれ込んでいく。


「う、わっ!?」

「へ……!?」


 最早そうすることを決めていたように、アキラは走り出した直後エリーを放り出した。

 足を庇って受け身を取ったエリーは、今度は文句も言わず、ブルースライムが放った光を睨んだ。


「シュ、シュロート!! 水曜属性の魔術……!!」

「立てるか!?」


 エリーをぐいと引き寄せ、アキラは攻撃の跡を横目で見た。

 自分たちが通ってきた穴は、随分と広かったはずなのに、ブルースライムの魔術でさらに拡張されていた。

 まともにどころか僅かにでも受ければ、流されるというより圧し潰されそうな威力を誇っている。

 旅が始まったばかりの初日だというのに、何故これほど危険な魔物に遭うのかとアキラが絶望しながら身構えると、ブルースライムは再びアキラたちに一番近い身体の一部を光らせる。

 目がどこについているかは知らないが、最早アキラたちを敵または餌と認識してしまっているらしい。


「またやるからな!?」

「なんでもいい!!」


 即座にエリーを抱え、瞬間的に走り出すと、再びエリーを放り投げる。

 痛む足に無理をさせている自覚はあるが、今のアキラがブルースライム攻撃からエリーを守る方法はこれしかなかった。


「も、……もう少し頑張れない?」

「頑張ってる……、いや、頑張る」


 投げ出し方が悪かったのか、今度は頭から泥水に投げ入れられたエリーが足を庇いながら立ち上がる。

 エリーの足ももう限界だろう。その上、アキラの体力も限界で、人ひとりを抱えて走ることは出来そうになかった。


「くそ……、なあ。マリスは近くにいると思うか?」

「? なによいきなり、って」


 運というものが徳を積んで得られるものだとすると、自分の場合、あまりいい結末にはならないだろうとアキラは思った。

 だが、もう止むを得ない。


 アキラは右の手のひらを光らせ始めた。

 スカーレットとスカイブルーが照らす洞窟の中、それらを上書くように、あるいは溶け込ませるように、オレンジの光が洞窟内を支配する。

 その光は収束し、アキラの右手で形を成す。


 クリムゾンレッドの銃が、現出した。


「やるぞ……!!」

「ちょっとちょっと、それっ」

「ぜっっったい痛いと思うけど、ゲイツのときは何とかなったし……。マリスがすぐに治療してくれれば」


 アキラは背後を決して見ないようにした。

 この洞窟内は、壁も足元もごつごつとした岩肌だ。

 銃の反動で吹き飛びでもしようものなら、身体のどこを打ち付けるか分かったものではない。頭でも打とうものなら、死ぬ可能性すらある。

 だが、またもや身体を光らせ始めているブルースライムの魔術を防ぐ術は、最早これしかなかった。


「自分に、グッドラック」

「ったく!!」


 祈りながら、アキラは引き金を引いた。

 途端、ブルースライムの魔術とすら比較にもならない膨大なオレンジの光が射出される。


 アキラはブルースライムの命運など気にもしていなかった。

 この力を使った結果は、等しく滅亡。


 そしてそれは、その反動が襲い掛かるアキラにも訪れる―――


「っ、ノヴァ!!」


 吹き飛びかけたアキラの背中に、ドンッ、と衝撃がぶつかった。

 振り返ればエリーが、身体中にスカーレットの光を灯し、アキラを身体中で支えている。

 地面に痛む足ごと魔術を放ち、アキラの身体が吹き飛ぶのを防いでいた。


「ぎっ、ぎっ、ぎっ―――あっ!?」


 収まり始めたオレンジの光の中、エリーもついに限界を迎えた。

 衝撃にふたりで転がるように吹き飛ばされると、ずっと優しく洞窟の壁に激突する。

 結局頭を打ったアキラだが、反射的に防御幕を張れて良かったと思った。

 だが。


「……」

「や、やった……、やった、の……?」

「…………」

「は、はは……。見てよ、山を撃ち抜いてる。こんなことなら、最初からやっておけばよかったわね。…………眩しい」

「……………………」

「あれ。防御膜ちゃんと張れてるじゃない。良かった良かった」

「ぃぃぃいいいい……!!!! でぇぇぇえええ……!!!!」


 アキラの肩はしっかり外れていた。

 何度経験しても慣れることは出来ない痛みが、泥水の上で蠢くアキラを襲う。


「恰好付かないなぁ」

「マリスッ!! マリスーーーッ!!」

「呼んだっすか?」

「!!」


 痛みで幻聴でも聞いたのかと思ったが、泥だらけになりながらも微笑んでいるエリーの隣に、同じ顔を見つけた。

 エリーもびくりと身を引くと、その後ろに、シルバーの光に包まれたサクも降りてくる。


 ふたりは山を貫通した光の穴から降りてきたようだ。

 アキラの砲撃は、自分たちの居場所を知らせることにも役立ったらしい。


「マリス……!! 助けて……」

「了解っす。……ちょっとじっとして」

「その前に急いで出るぞ!!」


 サクが叫んだ。

 すぐにアキラに駆け寄ってくると、身体を強引に立ち上がらせた。

 肩の痛みがより酷くなった気がしたが、アキラも遅れて、サクがまったくもって正しい行動を取っていることを思い出す。


 アキラに撃ち抜かれた巨大なブルースライムの亡骸が、バチバチと、スカイブルーの魔力の光をほとばしらせている。


「マリス!!」

「了解っす!!」


 即座に4人の身体をシルバーの光が包んだ。

 身体全身が宙に浮かび上がり、山を貫いた穴の向こうの空へ向かって飛んでいく。


「いっ」


 アキラの身体すべてを日の光が包み込んだところで、背後から山中に衝撃音が轟いた。

 唯一の出所である大穴からスカイブルーの光が天を衝くように溢れたかと思えば、柱を失った家屋のように山全体が崩れ始める。


 空を舞いながら、4人並んでみるそれは、まるで現実感の無い、壮絶な光景だった。

 あの洞窟は、いったいどれほど広かったのだろう。もしくは、あの岩山すべてが、スライムたちの巣だったのかもしれない。

 推測すら立てられないアキラは、思考の放棄を選択した。


「すごいな、これは」

「……え、ええ。はは。山を消しながら進んでいるみたい……」

「い……だ……だ……。マリス……マリスゥ……」

「お願い。今だけは黙ってて」


 肩の激痛に耐えながら、アキラはゆらゆらと地面に近づいていくのを感じた。

 自分がもう少しだけ痛みに強ければ、皆と先ほどの壮絶な光景をゆっくり見ることが出来たのだと思うと、アキラは無性に悔しかった。


―――**―――


 マリスの話だと、この辺りにいるスライムたちで最も気を付けなければならないのは、魔力ではなくその力だという。

 エリーを襲ったプロトスライムを見ているアキラには、まったくもって異論はなかった。

 ただ、サイズは違えど、あのブルースライムという種も、どうやら魔力ではなくその力の方が危険視されているらしい。

 そう考えると、あのブルースライムが魔術のみを使っているときに、とっとと勝負を決めたのは正解だったと言えた。


「はあ。いつつ……」


 そんな解説を後付けで聞き、アキラは倒れた木に座りながら腕を回した。


 目の前で焚火がゆらゆらと揺れる。

 日はもうどっぷりと沈み、今日は山の麓の樹海で野宿らしい。

 マリスとサクも、昼は大量のスライムたちと戦っていたらしく、流石に疲労も溜まっているだろうというエリーの判断は、洞窟内で気力をごっそり奪われたアキラにとってもありがたかった。


 初めて野宿というものを経験しているのだが、どうやらこの辺りは旅人がよく通るらしく、アキラが座っているこの木も元々座れるようにこの場にあったものだ。

 真新しい焚火の跡もあったので、この場所は旅人たちに幾度も使われているようだ。

 そう考えると、元の世界のキャンプ場とほとんど変わりないように見えた。

 野宿慣れしていないアキラにとっては、いきなりサバイバルが始まるよりも、こうした練習のようなことができるのはありがたい。

 魔物の方も、そういう風に出現してくれるとありがたいのだが。


「まだ肩痛むの?」

「…………お前の足はどうなんだ?」

「それなりね」


 背後から聞き慣れた声が近づいてきた。

 少しだけ違和感のある足音が背後で止まる。


「サクさんは?」

「見回り行ってくるってさっき……」


 振り返ると、近くの川ですっかり汚れを落としたエリーが立っていた。

 だが、その服装は、アキラは見たことが無かった。


「何よ」

「……マリスは?」


 エリーが振り返って、簡易なテントを指さした。誰かが横たわっているような気配を感じる。


「隣いい?」


 腰をずらして、アキラはスペースを開けた。

 エリーはやはり違和感のある動きでアキラの隣に座ると、手持ち無沙汰に集めてきていた枯れ木を焚火に放り投げた。

 少しだけ拗ねているように見えるのは、アキラの気のせいではないだろう。

 アキラは改めて、エリーの服に視線を向けた。


「……なあ、それどうした」

「バッグごと水浸しになっちゃってたのよ。この服だけは大切にしまっていたから、これしか着るもの無いの」


 いつもの戦闘服と違う、淡く明るい赤のワンピース。

 野宿には不釣り合いな服装だが、エリーの引き締まった身体によく映えているとアキラは思った。


「お前さ、俺に無駄なもん持ってくるなって言わなかったか?」

「必要だったでしょ。今着てるもん」

「そういうもんか?」

「そういうもんよ」


 視線を外しながら、ぎこちない会話しかできなかった。

 今日は洞窟内であれほど密着していたのに、今も隣にいるだけで身体が震えてしまう。

 これ以上エリーを見ていると、アキラの中で、危機感が登ってきてしまいそうだった。


「……こほん。で、感想は?」

「そうだな、ええと、」

「…………ま、いいわ。あたしももう寝るわ。見張り、お願いね」

「定期的に木を投げ入れればいいんだっけ?」

「そうそう。何かあったらすぐに起こしてね。……おやすみ」


 立ち上がったエリーを横目で見ると、少しだけ残念そうな表情を浮かべていた。

 勘違いかもしれないが、そうした表情を見ると、やはりアキラは何かを言いたくなってしまう。


「な、なあ」

「なに?」


 エリーを呼び止め、アキラは頭をかいた。

 きっと自分はまた不毛なことをしようとしていると、アキラは珍しく事前に気づいていた。


「今日、支えてくれてありがとな。てかさ、これから先もあれでいけんじゃね?」


 エリーは呆れたような表情を浮かべて、それでも、微笑んでくれたようにアキラには見えた。


「お役に立てたなら光栄よ。“勇者様”」


 それだけ言って、エリーはテントへ向かって離れていった。

 彼女の声の様子からして、アキラは、どうやら及第点は勝ち取れたような気がした。


「…………って、何やってんだぁ、俺」


 アキラは小枝で地面をがりがりとかいた。


 アキラは、婚約者であるエリーに対して強い好意を持つわけにはいかない。

 それは、特別な感情を意味してしまう。

 特別な感情を、アキラは持つことは出来ないのだ。


 たったひとつを選ぶ。

 それは、他の物語が潰えることを意味するのだから。


「……ハーレム、ね。理想が高すぎるのかな……」


 エリー、マリス、サクと、状況だけ見れば理想に近づいているもの、結局最大の障害は変わっていない。

 そのはずなのに、何故かエリーを放っておくことがアキラには出来なった。


「アホだな、俺」


 アキラは我ながらまったくもって正しい結論を出したと思いながら、手に持った小枝を焚火に投げ入れた。


 相変わらず堂々巡りの今日が終わる。

 見上げた空は遠く高く、もちろんアキラでは届きようもなかった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] せっかくなろうに転載していただいたので読み直し中ですー。 ありがたや。 [気になる点] 読んでる中で誤字を見かけたら誤字報告機能から報告していくようにしてるので、参考になると幸いです。(1…
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