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第2話『今必要なのに、今の今まで』

―――**―――


 ヒダマリ=アキラの朝は早い。


 起床は日の出と共に速やかに。そして、簡単に身体をほぐしたあと、孤児院を出て緩やかに走り出す。


 コースはおおよそ村の4分の1ほどだ。

 村の地理を把握しつつもペースを一定に保ち、まだ静かな街並みを見て、活気づく昼頃の様子を想像しながら走り続けるのがお気に入りだ。

 孤児院に戻ると、温まった身体は更なるトレーニングを求めてくる。

 腕立て、腹筋、背筋、スクワットと、ひと通り行ったあと、それを3セット分繰り返す。


 汗ばむ身体には朝の涼しく爽やかな風が心地よい。

 その風を感じながら、剣を構え、素振りを繰り返す。


 村長からもらった最初の剣は惜しくも折れてしまったが、素振り程度ならその辺りの木材で十分だ。

 これから先、剣で戦うかどうかは分からないが、最低限の力は付けておきたい。やらないよりましだろう。


 身体を動かし終えたところで、ようやく孤児院も朝を迎え、朝食の匂いが漂ってくる。

 中に戻り、シャワーで汗を流し、食堂で経営主のエルラシアをはじめとする面々にようやく会う。


 それだけでは終わらない。

 このあと、マリサス=アーティに魔術の授業を受けるのだ。


 アキラはこの異世界に来たばかり。この世界での戦い方というものを学ばなければならない。

 打倒魔王を目指す勇者に、無駄にしている時間は無かった。


―――**―――


「……1日、だったわね」

「1日、だったっすね」


 エリサス=アーティは、“時間にして”マリスの授業が終わるころ、双子の妹と食堂で顔を突き合わせていた。


 1本にして背中に垂らした長い赤毛が特徴的なエリーは、その切れ長の瞳を、悟ったように色彩を失わせていた。

 つい先日、念願の魔術師隊への入隊が流れたが、今となってはそれ以上の問題がその身を襲っている。


 一方、目の前の、同じ姿形で、色合いだけが違う妹は、相変わらずというかのんびりとした様子で、眠そうに見えるほど半分眼を閉じている。

 エリーの赤毛と違い、透けるような銀の髪をそのまま背中に垂らし、落ち着いた様子で座っている。

 “数千年にひとりの天才”、とまで言われているとは思えない穏やかな最愛の妹は、色彩こそ違えどまったく同じなのに、エリーはその雰囲気から、鏡を見ているような気にはならなかった。

 エリーの顔がやつれているようになっているのも理由のひとつかもしれない。


 7,8人いる孤児院の子供たちは今、自分たちの育ての母でもあるエルラシアに午前の授業を受けている。

 成長したエリーたちも仕事を手伝っており、教鞭をとることもあるが、休憩中はのんびりと広いこの食堂にいることが多い。職員室とでも言った方がいいだろか。


 そしてその職員室には、主にエリーから発された憂鬱な空気が漂っていた。

 悩みの種は、もうずっと昔からそうだったかのように、当然、1週間ほど前に現れた“勇者様”だ。


「くわぁ……、お。おはよう、ふたりとも」


 空気をぴりりとしたものに変えた自覚がエリーにはあった。

 威厳も何もなく、余りある親しみやすさから手を上げたくなる件の勇者、ヒダマリ=アキラは、未だに眠そうな眼をこすって呑気に入ってきた。


「あ、マリス。朝食ってもう残ってないか?」

「ああ、あるっすよ。今……っ」


 甲斐甲斐しくも世話を焼こうとするマリスを、エリーは止めた。

 そして顎で目の前の席を指し、アキラを促す。

 本人はと言えば、食事にありつきそこねたせいで、やや不機嫌そうに座った。


「なんだよ?」

「……もう罪悪感も無いの?」

「は?」

「今、何時だと思ってんの」


 朝食の準備をするエルラシアや自分たちはおろか、孤児院の子供たちまでとっくに起き出し勉学に励んでいるというのに目の前の男ときたら。

 エリーは余りある激情を拳に乗せて、がんっ、とテーブルを叩いた。


「あんたねぇ!! トレーニングはどうしたのよ?」

「あ……、いや、えっとそれはさ」

「開始二日目になんて言ったっけ?」

「……明日は頑張る」

「そうよねえ。なんか身体を休めるのもトレーニングとかなんとか言って、1日だらだらと過ごしてたわよね」

「……はい」

「その休むトレーニングしか続けてないじゃない!!」


 いくら言っても結局張り切っていた初日以外、彼がまともな鍛錬をしているのを見たことが無い。

 この勇者様は孤児院の子供より手がかかる。

 皆聞き分けのいい良い子なのだ。


「……ま、まあ、勝てんだろ? 魔王なんて」


 それが免罪符と言わんばかりに、焦りながら、アキラは手のひらをかざした。

 光が漏れたかと思うと、その光は収束し、玩具の銃のようなものを形作る。

 だがその玩具こそが、先日出遭った巨大マーチュを山ごと吹き飛ばした武具。


 日輪属性のヒダマリ=アキラが有する、“具現化”だった。


「すごかったよなぁ、これ」

「ちょ、ちょっと、間違っても打たないでよ」


 その威力を目前で見たエリーは、特にアキラという人間がその銃を気軽に持っているのに言い知れぬ恐怖を覚えた。誤作動で孤児院が吹き飛びかねない。

 流石にアキラもそこまではおろかでないようで、引き金には決して触れないようにしているが、遊ぶように銃を出し入れしている。


 あのときのように、ピンチにならないと使えないという訳でもないようで、今そうしているように、扱いは自由自在だそうだ。

 未だに目の前の男がそんな技量を持っているようには見えない。


「ま、これで何とかなるんじゃね?」

「そうかもしれないけど……、あんた、それ撃つと肩外れるんじゃなかったっけ?」

「でも不思議っすよね」


 そこで、いつの間にかアキラに朝食を運んできていたマリスが呟いた。


「そもそも“具現化”が出来る魔術師なんてまずいないっすよ。……魔導士にも」

「やっぱすげえんだな、これ。魔術師だか魔導士が何かは知らないけれど」

「あんたがマリーの授業をさぼっている弊害が出てきたわね」

「それにあの威力……、いや、その半分も、世界中の魔導士を集めたって誰も出せないっすよ」

「だろ? くく、勇者の力、ってやつか」

「本当にそうかもしれないっすね」

「あれ。あたしがおかしいの?」


 楽観的なアキラに、全く否定しないマリスがいると、自分の方がケチを付けているだけの気分になってくる。

 だが身を振るい、自分の方が正常だと気を落ち着かせた。


 たちが悪い。

 魔術の知識どころかこの世界の常識すらないアキラに、マリスすら認める最強の力。

 何も分からない子供に大砲の火種を持たせるようなものだ。


 あるいはそれは、“具現化”に限らない。

 昔から、身の丈に合わない力を持った者の末路は、破滅と相場が決まっている。

 手痛いしっぺ返しが待っている気がしてならないのだ。

 無邪気に自分に目覚めた力を軽々しく捉えているアキラの行く末は、ろくなことにならないだろう。

 だからこそ、口を酸っぱくして言っているのに、この男の生活態度は変わらなかった。


「でも気になるんすよね」

「ん? どうした?」


 エリーに対するものとは違い、随分と明るく聞き返すアキラに苛立ちを覚えた。

 だがマリスは、そんな姉の様子にも気づかず、珍しく眉を寄せていた。


「あんな魔術……、いや魔法。なんの制約もなく放てるなんて」

「いや、覚えてるか? 撃ったら俺吹っ飛んで死にかけただろ」

「そうじゃないっすよ。魔力的な問題で」


 マリスが、朝食に手を付け始めたアキラの顔をじっと覗き込んだ。


「にーさん。この前2発も連続で撃ったのに、魔力の疲労は無かったんすか?」

「まず魔力の疲労がどんなのか知らないんだが」

「ええと、なんかこう、気だるげになる、というか」

「マリスみたいに?」

「にーさん」


 珍しくマリスがむっとした。

 最近エリーは、妹の珍しい様子をよく見る気がしていた。


「ま、まあ、そうだな。風邪のせいであんまり覚えてないけど、撃ったこと自体はあんまりに気ならなかった気がするな。身体が潰れかけたけど」

「うーん……」


 納得いかない風に、マリスは唸った。


 “具現化”については、魔術師試験を受けたエリーもあまり詳しくない。

 だがそれがどれほどすごいのかは知っていた。


 “魔力による永続的な物体の生成”。

 それは数多の魔術師がどれほど渇望しても片鱗すらつかめない事象だ。

 エリーの知る限り、“具現化”の使用者など存在どころか噂すら聞いたことが無い。


 それなのに、目の前の男はそれをやってみせた。

 異世界から来たばかりで、何も積み重ねていないアキラが、だ。

 魔術には根本的に対価が必要なはずなのだ。

 それなのに、何の代償も払わずあの力を操るのは、今まで信じてきた常識がすべて覆るようなものだ。


「……じゃあ、回数制限とかあるんすかね?」

「回数制限?」

「例えば、具現化を出せる回数とか」

「……え……」

「あんた今、5,6回は無駄に出し入れしてたわね」


 アキラはぴたりと動きを止め、具現化を完全にしまい込んだ。

 もし次出せなかったら、エリーは笑う自信がある。


「少なくとも。少なくともよ。撃ったら吹き飛ぶんでしょ? それくらいは何とかできるようになりなさい」

「そうしたいけどさ……、マリス、もしまた俺が吹っ飛んだら助けてくれるか?」

「いいっすよ」

「マリー、この手合いは甘やかしちゃダメ」


 妹の素直さにエリーは頭を抱えた。

 本格的にまずい。

 本人がこれなのに、自慢の妹と、強大な力を持つ具現化が揃い、完全に外堀が埋まっている。

 何の苦も無く魔王を討つ可能性すら出てきて、それは良いことのはずなのに、エリーは憂鬱になった。


「あ、にーちゃんだ!!」

「え、いるの?」

「あ、ほんとだ!」


 エリーがどうやってアキラを諭そうと頭を悩ませていると、幼い声が食堂に集まってくる。

 どうやらエルラシアの授業がひと段落着いたようだった。年齢はまちまちだが、皆幼く、幾人は預かられたときのことも思い出せる大切な家族たちだ。


「おう、お前ら」

「今お時間ありますか?」

「またお話し聞かせてください!」

「ああいいぞ。外にでも行くか!」


 周囲に子供が集まり、アキラは朝食もそこそこに子供たちと庭へ向かっていった。

 最近の日課らしい日課。

 子供たちの相手は、アキラは率先して行っていた。


「大人気っすね」

「精神年齢が近いからでしょ」


 子供たちと共に、わーっ、と駆けていく背を見送って、エリーは盛大にため息を吐いた。

 岩山まで行くだけで息も絶え絶えになっていたのに、あの元気はどこから来るのか。

 聞いたところによると、アキラは色々な話を知っているらしく、それが子供たちの間で大人気だそうだ。

 諸々の事情をなんとかかんとか飲み込めば、エリーにとっては数が多い子供たちの相手はかなり大変で、そういう意味ではアキラはこの孤児院に貢献しているとも言えた。


「微笑ましいっすよね。子供に好かれるっていうのは」

「マリー。何度も言うけど、あの男だけは止めなさい。正気に戻って」

「大丈夫っすよ、にーさんは、ねーさんのにーさんっすから」

「ち、が、う!!」


 最も頭を悩ます最大の原因。

 忘れようにも忘れられない、魔術師隊の入隊式だ。

 そこにあのヒダマリ=アキラが突如として表れたせいで、様々な事情が入り混じり、結果エリーと婚約関係になってしまったのだ。


 エリーにとっては惨劇以外の何物でもないあの事件を、マリスや、そして母も、ネタにしてからかってくるようになってしまったのは、自分が何か悪いことでもしたからなのだろうか。

 味方がいない。


 窓から見える庭では、木の下で子供たちと輪を作り、すべての元凶であるアキラが笑っていた。


「ねーさん。にーさん、子供の世話とか得意そうっすよね」

「それが、なに?」

「いや、ねーさんって結婚して夫婦で孤児院をやるとか言ってたじゃないっすか。……つまり」

「うなーっ!!」


 エリーは最愛の妹を威嚇した。

 考えたくもない。

 ゆえに、一刻も早く、目標を達成しなければならないのだ。


「あたしたちの目標はその婚約破棄よ。そうでしょう?」

「……まあ、自分も手伝うっすけど」


 この婚約も、神族が絡んだ“しきたり”のせいだ。

 正規の手順で解約するには、魔王を討った報酬として与えられる特権。

 神族が願いを叶えてくれるという話を信じるしかなかった。

 世界から見れば不純な動機でも知ったことではない。このままからかわれ続け、あまつさえ本当に結婚することになるくらいであれば、魔王でも何でも倒してみせる。


「それなのによ? なんであたしたち旅の準備もしてないのよ!?」

「それはほら、にーさんにこの世界の常識を教えないと、ってことで」

「話は通じるんだしそんなの今や後回しでいいわ。最初はごゆっくりおくつろぎください、って言っていた村長の視線もだんだん不審になってきてるじゃない!!」

「ねーさん。自分に怒らないで欲しいっす……」


 しょんぼりとした最愛の妹を見ても、エリーの憤りは収まらなかった。

 とにかく現状を打破しなければ、エリーの未来は暗いままだ。


「あら、ふたりとも」


 そこで、再びドアが開かれた。

 授業の後片付けをしていたらしいエルラシアがにこやかに入ってくる。

 これから母は昼食の準備を始めるのだろう。

 自分たちも手伝わなければ。


「みんなは? こっちに来なかった?」


 エリーが苛立ちながら窓の外を指すと、エルラシアは優しく微笑んだ。


「あら。アキラさんが見てくれているのね。本当に助かるわ」

「お母さん!」

「あ、そうよね。勇者様にお世話を任せるなんて失礼なこと……」

「そうじゃなくて!!」


 何が起こっている。

 エリーはここが本当に自分の家なのか疑いたくなった。

 母も、妹も、面倒を見ている子供たちも、やたらとアキラに肯定的なのだ。

 やはりおかしいのは自分の方なのかとエリーは不安になってくる。

 加えて村長までアキラ側に付いたら、この村の中ですら居場所がなくなるような気がしていた。


「最初はエリーをお嫁に出すなんて考えらなかったけど……。良かったわ、ああいう人で」

「大声で泣いていい?」


 人類史上初だろう、今目の前に魔王が現れて欲しいとエリーは願った。

 神族が与えてくれる特権とやらで、一刻も早くすべて無かったことにしたい。


「でも……」


 エルラシアの表情が憂いを帯びた。


「アキラさん、寂しくないのかしら。元の世界にはご家族もいるでしょうに」

「あんまり気にしてないように見えるっすけど、軽い記憶喪失は継続中らしいっす……。移動の前後も、どうも思い出せないらしくて」

「……」


 味方がいないのは、自分とアキラの果たしてどちらだろう。

 エリーはそんなことを少しだけ思った。

 だが、当の本人はけろっと笑って子供たちに話を聞かせている。

 周囲があまり気にし過ぎてもよくないことかもしれない。


「アキラさんのご両親に是非ご挨拶したかったわ。一応、家族になるかもしれないんだし」

「うわーんっ!!」

「あ、そうそう。マリー。お願いがあるのよ」


 人目をはばからず泣いてみたのに、全く気にされなかった。

 大きなショックを受けたエリーは、せめてアキラに精一杯の恨みを込めた視線を向けてみる。

 相変わらず、アキラは脳底気に笑っていた。


 今日もまた、過ぎていくだけの日を過ごすことになりそうだ。


―――**―――


「これくらい?」

「いいや、いいや」

「じゃあ、こーーーっれくらい?」

「いやいや。その10倍、100倍、いやもっともっと大きいマーチュだ」


 子供のひとりが精いっぱい手を伸ばすが、アキラは笑いながら首を振る。

 一番年下の子は無邪気にからから笑っているが、年長の何人かは少し身をすくませた。

 だがそれが事実なのだ。

 このやり取りも幾度目かだが、子供たちは飽きもせずに目を輝かせている。


「凶暴な魔物が埋め尽くす洞窟を抜けると、目の前に、岩山があった。見上げても見上げても頂上が見えない。だがな、それは急に動き出した。生物だったんだ。魔王が創り出した地上最強の生物。動くだけで大気が震え、大地が砕かれる。身じろぎひとつで山が崩れ始め、吐息ひとつで暴風が吹き荒れる」


 大体事実だ。大体は。


「何とか応戦できたんだが、流石に手ごわかった。何度倒しても、周囲の岩と融合を繰り返し、幾度となく蘇る。長く続いた戦いに、俺たちより先に山脈の方が耐えられないほどだ。そのとき、世界が崩壊しかけていた」


 そんな風な戦いだったような気がする。


「流石に俺も焦った。戦いの果てにすべてを失っては意味が無い。止むを得ず俺は、禁断の力……、勇者の力を使うことにしたんだ」


 子供たちから感嘆の声が漏れる。


「所詮魔王の前座でしかない敵にはあまり使いたくなかったんだがな……。そればかりは奴を褒めるしかない。復活を続ける敵を倒すには一撃で葬るしかなかったんだ。俺は具現化の銃を操り、最大の力を放った。そして狙い通り、死闘の果て、岩山ごと破壊の光に包まれた巨大マーチュは、ついに息絶え、世界の崩壊は未然に防げたんだ」


 余程娯楽が無いのか。

 数日前から孤児院の庭で子供たちに話を聞かせているが、同じ話をしても目を輝かせる子供の数は未だ減らない。


 どうやらこの世界には電気というものが無いらしい。

 つまりは、家電などの生活品や、テレビやパソコンなどの娯楽もないということになる。

 最初にそれに気づいたとき、現代っ子のアキラは深刻に悩んだが、夢にまで見た異世界に来てそういうものがあるのも無粋だと欲を抑えた。

 それに、意外にも、そうしたものが無くても、十分に日々を過ごせるのだと自分の適応力に感心した。一応、灯りや料理に使うコンロのような装置はあり、生きていく上での不自由は無いのも手伝いはしたのだろう。

 それらの動力は魔力らしいが、その辺りの原理はアキラにはまったく分からなかった。


 ただ、やはり娯楽は乏しいようだ。

 子供たちはしきりにアキラの話をねだってくる。

 元の世界の漫画や小説の話を聞かせていたりするのだが、最も人気なのは今まで見えていた山が消し飛んだ、対巨大マーチュの話だ。

 話すたびにマーチュの力も、そしてもちろんアキラの活躍も増えていっているのだが、子供たちの中にそれに気づくものは存在しない。

 結果、神話の世界のような激闘が生み出されているのだが、アキラも段々、本当に起こったことのように思い始めていた。


「だが、話はまだそこで終わらない。魔物は戦闘不能になると爆発する。もちろん、その巨大マーチュもだ。だから、」

「ア、アキラ様ーっ!!」


 門から、ひとりの男が叫びながら駆けてきた。

 話の腰を折られたアキラは、眉を寄せる。

 確か彼は、村長の付き人のひとりだ。サミエル、という名前だった気がする。


「し、失礼します。至急村長のところまでお越しいただけますか!?」

「へ? え、ええと、はい……?」


 勇者様には最大限の敬意を、というのが“しきたり”とやららしいが、年上の人にぺこぺことされるのもむず痒い。

 そしてその最たる例の村長に会うというのも、あまり気が進まなかった。

 だが、無碍にするわけにもいくまい。


「……、わ、分かりました。なあ悪い。エルラシアさんに出かけるって言っといてもらえないか?」

「えー……」


 不満げな子供たちにそう伝えると、アキラはサミエルに促されるまま歩き始めた。

 村長については巨大マーチュの件を少々根に持っている。だが、もちろん彼もあんな危険なことになるとは知らなかったのだから、水に流そうとは思っている。

 それに、即損壊したとはいえ武具まで提供してくれたのだ。

 可能な限り従うべきだろう。

 ついでに言うなら、村長の、いつ旅立つのか、という視線には気づいていたりする。


 アキラは旅立っていない言い訳を考えながら、孤児院を後にした。


―――**―――


「?」


 村長宅は随分と広く、あるいは孤児院より大きいかもしれない。

 広い庭で農作物を育てており、奥にある白塗りの建物は、3階はありそうだった。

 使用人も含めて住まわせているらしいが、裏手には、馬車が数台泊っていて、馬小屋もある。

 そもそもこの村は壮大な平原に囲まれているだけはあって、贅沢とも雑と言えるほど土地を使っている印象を受けていた。元の世界のアキラの近所は、密集し建つ小さな家や、複数階建ての建物をだらけだった。村長は小さな村と言っていたが、広さだけならそこそこある。悲しいことに、この世界で他の村や町へ行ったことは無いのだが。


 何度か来たことがあるそんな村長宅の前、ひとり、見慣れない女性が壁に背を預けて立っていた。足元には彼女のものだろう、ナップザックのようなものが置かれている。旅人だろうか。

 アキラは慌ただしく家の中に入っていたサミエルにここで待つように伝えられたのだが、彼女も同じように待たされているのだろうか。


 じろじろ見るのも悪いと思ったが、流石に目を引いた。


 インナーはエリーが着ていたような、身体に吸い付くような黒のスパッツにショートパンツだが、特徴的なのは着物のような深い赤色の衣を羽織っていることだろう。

 腰には、黒塗りの刀。種類で言えば日本刀なのだろうが、武器というより芸術品に見えるほど美しく、そして長い。

 だがそれよりも、もっと目を引くのは彼女の容姿だった。


 はっとするような整った顔立ちに、凛々しい表情。輝くような短い黒髪を後頭部で束ね、その美しい顔がはっきりと見える。

 年は、若いことだけは分かるが、正確には掴めない。

 触れれば切れるような熟練の鋭さも、たまに垣間見えるほんの少しの幼さも感じる。

 その姿に、アキラは目が離せなくなった。


「…………こんにちは」

「ああ、こんにちは」


 流石に目が合い、とりあえず挨拶をすると、凛々しい声が返ってきた。

 声色もしっかりしていて、姿から感じる印象のままだった。


「俺はヒダマリ=アキラ。君は?」

「私はサク、だ。ファミリーネームは、無い」

「?」


 サク、と名乗ったその少女は背に預けていた身体を立たせ、アキラに向かい合ってくる。

 姿勢がいい。視線もまっすぐとしていて、相対していて心地よさを感じた。

 背丈も女性にしては高く、アキラより若干低い程度だ。

 ほとんど同じ高さから見ると、分かりやすく、美人、と言っていいとアキラは思った。


「……」

「? ……すまない。私はあまり人と話すのが慣れなくてな」

「あ、いや、そうじゃない」


 正直に言って、見とれていた。

 そしてアキラはこの世界に、巨大マーチュ戦以来初めて感謝した。


 やはり異世界の生活はこうでなければならない。

 同年代の女性は皆美人であるというのがお約束だ。

 話しているだけでも気分が高揚してくる。


「変わった格好、だよな?」


 同年代のようには見える余裕から、アキラは気さくに話しかけた。

 村長の呼び出しを無視しなくてよかった。今日はいつもより幸せな日になりそうだ。


「ここはあまり旅人が来ないのか? 他の町では見向きもされないほど様々な人がいるぞ?」

「そうなのか?」

「ああ。機会があったら旅をしてみるといい」


 アキラの、この世界のまだ見ぬ街へ出かける気が上がった。

 孤児院の居心地が良くて薄れていたが、やはり勇者は旅立つべきだろう、と改めて決心する。

 あと数日はマリスに色々教わる必要がるかもしれないから、具体的なことは後で考えればいいが。


「アイルークは良いところが多い。町や村は広々としているし、自然に囲まれているというのはいいものだ」

「……アイ、ルーク?」

「この大陸はアイルークだろう?」


 声を出す前に思い出すことに頭を使うべきだった。

 少しは受けたマリスの授業。

 この世界は大きく5つの大陸があり、ここは東の大陸で、名前をアイルークス―――いや、アイルークだったか、そう言っていた気がする。

 アキラは、この世界における一般常識も知らないのだ。

 少々不審な目になったサクに事情を話そうかと思ったが、長くなる。先ほどまで、自分は散々語っていたのだ。今はサクの話を聞きたい。


「じゃあ、別の大陸から来たのか?」

「ああそうだ。色んなところを周っているよ」


 はっきりした口調で話すサクとの会話は、気持ち良かった。

 孤児院の同世代は、怒鳴ってくるエリーと、のんびりと話すマリスしかいない。

 そのせいなのか、サクとの会話は、妙に気が引き締まってくる。

 後回しにしようとしていたマリスの授業や旅立ちも、すぐにでも取り掛かりたくなってきた。

 サクの佇まいは、旅慣れているのが理由なのか、威風堂々とし、民間人にしか見ないアキラとはまるで違う。

 格好良いものは美しい。


「それにしても……。失礼だが、この村の村長は人を待たせるな。かれこれ半時ほどこうしているよ」

「そうなのか。俺はさっき呼ばれたばかりだけど、結構かかるのか」


 そう言いつつも、村長にはしばらく待たせてもらいたかった。

 同年代の女性と話すのはやはり楽しいし、サクほどの美女となればなおさらだ。


「村長に何か用なのか?」


 そうした内情を毛取られないように、努めて冷静に尋ねると、サクは小さく何かを呟き、遠くを指した。

 ここからも見える高い高い塔を超え、その方向は、見通しのいい青空を指しているようにも見えた。


「あそこには、1週間ほど前に山があったろう?」

「……あー」


 そう言われればもちろん分かった。

 1週間ほど前にアキラたちが巨大マーチュに襲われた方向だった。


「その1週間前だ。とてつもない爆発が起こった。お前も、この村にいたなら知っているだろう?」


 知っているとも。

 詳細を知りたいのであれば孤児院に来てもらえれば語れるほどだ。

 アキラがその当事者だと知ったらサクはどんな顔をするだろう。


「ああ凄かった。この村からでもはっきり見えたくらいに」


 悪戯心が芽生え、アキラは話を合わせる。


 真の実力者は実力を誇示しないものだ。

 大した事の無いように振る舞っていた方が、色々と格好がいいと思う。

 子供たちに要求されたときは例外だが。


「本当にすごかったよ……。たまたまその場にいた愚かな人物が、1週間ほど気を失うほどな」

「……え?」


 話が変な方向に進んでいった。

 サクは表情に影を落とし、澄んでいた黒い瞳をどんよりと曇らせた。

 妙な恐怖を感じる。


「たまたま通りかかった近隣の村の者が、“手厚く”看病してくれたが……、お陰で一文無しだ。それに……身体をあちこちと見られたり……」


 凛々しかった顔立ちが、彼女が纏う衣のように赤くなっていった。

 恥じる彼女の様子は、話していたときよりも幼く感じる。

 邪にも嗜虐心が僅かに顔を覗かせたが、相反するように青くなっていくアキラの顔が圧し潰した。


「……………………災難だったな。聞いたところによると、めちゃくちゃ巨大な魔物が爆発したそうだから」

「いや違う」

「へ?」

「その巨大な魔物というのは、マーチュなんだろう?」


 サクは足元のナップザックから便箋サイズの封筒を取り出した。


「これだ。巨大マーチュ調査の依頼。私はそのためにあの山に向かっていて……まあ、今となってはどうでもいい」


 サクはくしゃりと依頼状のようなものを封筒ごと握り潰した。

 余程悪しき記憶らしい。


 サクは旅をしていると言っていたが、その生計は、そういう依頼で立てているのだろう。

 まさにその発端となったマーチュの討伐も、もともとはこの村が困っているとのことで村長がアキラに頼んできたのだ。

 そうした魔物がらみの困りごとはいくらでもありそうだ。

 サクに限らず、アキラが旅に出たときは、そういう依頼を受けていくことになるのだろう。

 また少し、この世界の文化の一端を掴んだ気がした。


「だが、あの爆発は、少なくともマーチュのものではない」

「……そんなこと分かるのか?」

「分かるさ。マーチュは土曜属性だ。私が見たのは、グレーの閃光ではなかった」

「きっとあっという間の出来事だったんだろ? 色なんて見分けるの難しいと思うけど」

「そうでもないさ。どれほど危険でも、いや危険なときにこそ、目は開けておかなければ。おかげではっきり見えた。あの……オレンジの閃光。山ごと吹き飛ばされた私は、命からがら何とか逃げ出せたが、結局気を失って、そのあとは……!!」

「酷いな、その村の奴ら。許せないよ」

「……一応恩人ではあるからな……。そっちは、その、割り切る」


 まずい方向に話が進んでいる。アキラは何とか軌道修正を試みているのだが、どうにも上手くいかなかった。


「オレンジの魔力、となれば間違いない。見たこともなかったが、あれは日輪属性の魔力だったのだろう。そして意識を取り戻した私は聞いたんだ。最近この村に、“勇者様”が現れた、と」

「……」

「流石にもう旅立っているだろうが、行き先を知りたくてな。ここを訪ねてみたんだ。そうだ、アキラ、だったな。お前は知らないか?」

「…………行き先は、知らないな」

「そうか、ありがとう。やはり村長に訊いてみるよ」

「ちなみに、勇者様を見つけたらどうするおつもりで?」


 申し訳なさや恐怖やら何やらに支配されたアキラは、か細い声を出した。

 あの超常的な破壊の光。

 アキラは無邪気に、それこそ子供たちに何度も語り聞かせるほど勇者の力とやらに喜んでいたのだが、裏でそんなことが起こっていたとは。

 アキラがその勇者であるということを下手に隠していたのが裏目に出たのだろうか。

 胃がキリキリと痛んでくる。


「…………、い、一応、僅かにとはいえ“しきたり”違反になるから、あまり大きな声では言えないんだが」


 サクは周囲を警戒するように視線を走らせると、アキラの耳に顔を近づけてきた。

 また“しきたり”。

 エリーやマリスとの会話でもよく出てくるその言葉は、それほど生活に密着しているのか。

 はっきりとものを話していたサクすらこの様子になるのは、正直に驚いた。


「……決闘を申し込もうと思う」

「けっ!?」


 それよりももっと驚いた。

 異世界ではその言葉の意味が違うのだろうかと思いたかったが、物語のお約束の自動翻訳能力は優秀らしい。

 そのままの意味だろう。


「……勇者様に非礼は許されないが、正式に申し込めば許容範囲だろう。とにかく、その勇者と戦わないと、収まりが付かない」


 思っていた以上に物騒な性格をしている。

 アキラは改めてサクを見た。

 何度見ても美人だが、今はそうではない。その雰囲気も、佇まいも、そして腰に下げた長い刀も、そのすべてが熟練の戦士を連想させた。

 この村で育った民間人であるエリーとマリスとは、熟練度が違う。そしてアキラは、そんなふたりの足元にも及んでいない。

 決闘などしたら、戦いにもならない虐殺が始まるだけにしか思えなかった。


「……そんなこと、止めようぜ? しきたり? にも抵触するし、何より危険だろう」

「いや、もう決めたんだ。私は勇者と戦い、一連の不幸をすっきりと払いたい」


 サクははっきりと言った。

 融通が利かない性格らしい。



「まあ、そんなところだ。……あ。余計なことまで話してしまった気がするが……、不思議だな。お前と話していると、すらすら言葉が出てくるよ、アキラ」

「はは、よく聞き上手って言われるんだ」

「ああ、そうらしいな」


 サクは、可愛げに笑った。普段だったらアキラも嬉しくなっていただろうが、今はあの小さなマーチュが突撃を仕掛ける直前の表情が思い起こされた。


 一応、事前にサクにここで逢えたことは幸運だったのだろう。

 彼女から色々と事情を聞き出すことができたのだから。

 アキラは自分の会話テクニックを褒めたくなったが、残念ながらそうではないことを知っていた。


 マリスの授業で、教えてもらったいくつかのことがある。

 アキラの、日輪属性のことだ。


 世界規模でも有する者はまず存在しないと言われるほど希少なその属性。

 多くは謎に包まれているらしいが、マリスが調べてくれたことがある。


 日輪属性は、人を惹きつける力があるそうだ。

 その最たる例は、こちらも珍しいらしい月輪属性とのことだが、火曜属性のエリーも含まれるらしい。

 日輪属性は、人の輪の中心になるような存在だそうだ。


 そこまで強い力でもないだろうが、世俗にまみれた言葉を使えば、モテモテになれる。

 と、アキラは思ったのだが、そうではないらしい。


 特にエリーだが、敵意を向けようと思えばいくらでも向けられる。

 人を惹きつける力とは、何もすべてが好意的なものとは限らないのだ。


 好きの反対は無関心、とでもいうやつか、つまりは好意も悪意も増幅され、周囲の人間との関わりが深くなりやすい。

 だから例えば、今アキラに好意的に接してくれているサクが、怒りを向けることになると、そちらもしっかり増幅されることになる。


「馬鹿者っ!! 勇者様を外でお待たせするとは!!」

「す、すみません、やはり中へお通しした方が、」

「当たり前だろう!?」


 破滅の足音が怒号と共に聞こえてきた。

 サクもため息ひとつ吐き、ようやくと、いった表情で姿勢を正す。


 アキラは目を瞑った。


 もう素直に謝るしかない。

 巨大マーチュを倒すにはあれしかなかったとか、あそこまでのことが起こるとは思っていなかったとか、理由を丁寧に話せばサクも許してくれるはずだ。


 アキラが自分の正体を隠していたせいで、彼女の機嫌を損ねるかもしれないが、そのまま悪意の方へメーターが振りきれるかもしれないが、決闘とやらを申し込まれるかもしれないが、戦う術を持たない自分は下手をすれば殺されるかもしれないが、


「お待たせして申し訳ございません、勇者様!! 客人も長らく……。ん? サミエル」

「はい」

「勇者様はどちらに?」


―――**―――


「マリス!! マリスーッ!! どこだ!?」

「うるっさいわね!! 何事!?」


 アキラは、本の匂いに包まれた孤児院の小さな書庫に飛び込んだ。

 ここには授業で使われる教科書や、娯楽用の物語がいくつかおいてある。

 ひとつきりの窓から光が差し込める奥の本棚の下、小さくもくつろげるソファが、昼過ぎのマリサス=アーティの定位置だ。


「いない!? マリス!? おーい!!」

「っ、無視?」


 調べ物をしていたのか休憩していたのか、エリーが不機嫌そうに持っていた本に皺を作った。


「マリーなら、お母さんと一緒にお買い物。何かあったの?」

「うっ、嘘だろ!?」


 アキラは息を弾ませながら顔面蒼白になった。

 結局、なんか、色々怖い想像しかできなくなり、アキラは別れも告げず村長宅を逃げ出したのだ。


「じゃ、じゃあ、子供たちは?」

「……今日はもうおしまい。さっきみんな一緒に遊びに行ったわ」

「なら近所の食堂のおばさんだ!!」

「へえ。あたしの優先順位はそれより下ってわけ……?」


 顔の青いアキラの肩を、青筋が浮かんでいるように見えるエリーが力強く掴んできた。


「くっ、止むを得ない……!」

「あんのねえ……!!」


 苛立っているようだが、それでもエリーはアキラを引き、子供を叱りつけるようにマリスのソファに座らせた。

 正面に立つと、アキラを落ち着かせながら話を待ってくれる。

 孤児院に勤めているだけはあって、面倒見は良いようだ。子供の。


「じゃあ、決闘って何なんだ?」

「は? え、何ですって?」

「ほらぁ、やっぱ知らないんだろ?」

「ま、待ってよ、思い出すから!」


 エリーは額に手を当てうんうんと唸り始めた。

 聞き覚えはあるようだ。


 そうした様子を見ると、やはり、怖い。


 常識というのは、非常に優れたものだとアキラは思う。

 子供の頃から見よう見まねで教わるそれは、生活にとても重要なものだ。

 例えばハイタッチと暴力の違いは何か、と言われると、ほとんどの人はわざわざ言葉にせず、ただ違う、とだけ答える。常識だからだ。

 そしてアキラはこの世界の常識を知らない。知らないが、少なくともひとつ、戦闘的な意味での常識の片鱗は感じ取っていた。

 数日前、あれだけ凶暴な小さなマーチュに、エリーとマリスはアキラひとりで挑ませた。

 アキラが調子に乗っていたというのもあるだろうが、それは彼女たちが非情だったわけではなく、それくらいなら問題ないだろうという見立てがあったからだろう。


 日常生活上は元の世界の常識と大きく変わりは無いようだが、元の世界に存在しない戦闘となると話は違う。

 彼女たちにしてみれば、油断はできないとはいえ、マーチュとの戦闘には危険はないというのは“常識”なのだ。


 そして決闘。どう考えても戦闘だろう。

 戦闘となるとそういう“常識”がアキラにとっては脅威になる。

 あのサクという少女がどこまでやるつもりなのか知らないが、彼女が力半分で刀を振ったら、反応も出来ずにアキラの首が飛ぶかもしれない。

 そうなった場合、明日の新聞はどうなるだろう。勇者の死は、殺人になるのか事故になるのか。


「ええと、まあ、戦闘よ」

「情報増えてねぇよ!!」

「ま、待ってよ、思い出す、思い出すから」


 焦るアキラに、エリーの方も焦り出して頭を抱え始めた。

 最早エリーの方が困っているようにも見える。

 他人の問題なのに、ここまで本気で頭を悩ます彼女を見て、アキラの良心が痛んだ。


「ああ、そうよ。やっぱり聞いたことある。人と人との戦闘ね。身分も何も関係なく、純粋に戦うの。昔どっかの大陸で、治安が悪くなったことがあったらしくて、神族が人と人との争いにルールを設けたのがしきたりの由来ね」

「勇者様でも?」

「関係ないんじゃない?」

「ほらぁっ!! 止めろよそういう後付け設定!!」

「ど、怒鳴らないでよ……、ん? あんた、決闘受けたの!?」


 アキラはがくりとうなだれた。

 あまり当てにしていなかったが、勇者の看板は本当に役に立たないらしい。


「……まだ受けてない。でも、勇者に決闘を申し込むって奴に遭った。向こうは、俺がそうだとは気づいてなかった」

「へえ、そんな人が。でもそんなの、受けなきゃいいじゃない」


 軽く言ったエリーに、アキラは顔を上げた。

 エリーがいつも以上に頼もしく見える。


「出来るのか?」

「出来るも何も、申し込まれても、勇者様に無礼なことは慎め、とかなんとか言えばいいのよ。まあ、受けたらやらざるを得ないだろうけど」

「おお……!!」


 アキラには、ふふん、と得意げに笑うエリーに後光が差しているように見えた。

 エリーは変わらぬ表情で、アキラを勇気付けるようにぐっと拳を握った。


「だから相手が何を言っても無視すればいいのよ。確か決闘には“本人から直接聞いた名前”が要るの。自己紹介が行われてないなら、成立しない!」

「……う、うわぁぁぁあああ……!!」

「な、なに、なによ?」


 孤児院に、再び来客があった。


―――**―――


「……?」

「マリー?」

「いや……」


 ガタゴトと馬車に揺らされ、エルラシアは娘のマリスと共に隣町へ向かっていた。

 エルラシアは、やりがいこそあれ孤児院の仕事で忙しく、その上あの村長の相手もしなければならないという不運もあるが、その分恩恵もある。

 遠出するときには、村長が馬車を出してくれることもあるのだ。定期的な馬車を待たずに済むのは、時間が惜しいエルラシアにとってはありがたいことだった。


「なんか、変な感じがしたんす」

「え? 酔った? 大丈夫?」

「大丈夫っすけど……、うーん」


 マリスは座ったまま、ちらりと背後を見る。

 馬車の最後部の小窓の向こうには、ほとんど見えないが、自分たちの村がある。


「……ふふ。大丈夫よ、エリーも、アキラさんもいるんだから」

「そう、なんすけど」


 表情が優れないマリスを見て、エルラシアは小さく笑った。

 あのヒダマリ=アキラという青年の孤児院での生活は1週間ほどになる。

 その日々を思い起こすと、彼はいつも誰かと共にいたように思う。

 マリスは彼に特に懐いているようだから、彼を誘えば良かったと思っているのかもしれない。


 エルラシアは魔術のことはまるで分らない。マリスの魔力の属性が、特に彼の属性を好むと聞いたが、それだけなのだろうか。いずれにせよ、自分の娘は、随分と彼にご執心のようだ。

 いや、娘たち、だろうか。


 受験のストレスから、エリーは口数が減っていた。その試験がようやく終わっても、入隊式への緊張か、はたまた本来の自分を見失ったのか、自分を作っていたような気がする。

 そんな中であの入隊式の事件があり、彼女の思い描いていた未来は大きく進路を変えてしまった。

 エルラシアは、エリーの心が今度こそ塞ぎ込んでしまうのではないかという懸念が頭から離れなかった。


 だが今のエリーは、元の、自分が知っている明るく元気な子に戻っているように見える。

 いや、前よりもずっと、だろうか。それが彼女の成長なのか、それとも彼のお陰なのかははっきりとは言えないが、少なくともどちらかだけではないような気がしていた。

 勇者様に怒鳴りつけているのはしきたりとして問題なのだが、それよりも優先すべき親の感情に、エルラシアは毎日微笑んで見守っていた。


「じゃあ急いで買い物済ませましょうか。早めに帰らないとね」

「了解っす」


 またちらりと、マリスは後方の様子を伺う。

 微笑ましくも見つめていたが、その怪訝な表情を見て、エルラシアも眉をひそめた。


 エルラシアにはまるで分からない。

 マリスは何かを気にしている。


 自分は魔術のことはまるで分らない。

 だがこの自分の妹は、その道で、“数千年にひとりの天才”と評される程らしい。


 買い物は、本当に急いだ方がいいかもしれなかった。


―――**―――


 エリサス=アーティは、ヒダマリ=アキラのことを考える。

 自分の晴れ舞台をぶち壊しにした異世界の人物だ。


 最愛の妹をたぶらかし、口を開けば訳の分からないことばかり。

 小型の魔物とすらまともに戦えず、そのくせ、へらへら笑っているのだから始末に負えない。

 生活態度だって酷かった。

 早起きはしようと思えばできるようだが、続かない。日々の鍛錬もだ。

 子供たちの面倒を見てくれて、孤児院としては助かっているのだろうが、それはそれ。勇者だと自称しているのに、足りないものが多すぎる。そんなことをやっている場合ではないはずだった。


 だが、未だに覚えている。

 先日出遭った、あの巨大なマーチュ。

 彼は勇者の力とやらで、それを打ち倒してみせたのだ。


 それは決して、彼が子供たちに語っている武勇伝とは違い、見事な活躍ではなかった。

 エリーと共に、命からがら逃げ周り、それでも、もがくように掴み取ったその力が、あの岩山を消し飛ばしたのだ。

 自分にとっては、そちらの方がよっぽど大切な物語だ。

 そしてそのときは、まあ、少しは認めてやってもいいとは思った。


 だからきっと、自分が彼に対して考えているのは、色々あるのだろう。

 もちろん怒りもそうだし、羨望、侮蔑、あるいは共感か。

 一言では言い表せない。


 だが、ひとつだけ彼に伝えられるとするならば、エリーは言葉を紡ぎ出せる。


 安らかに眠れ。


「…………」

「…………」


 エリーは、目の前で向かい合うふたりを穏やかに眺めていた。

 村の表通りから外れると、畑が広がっており、その一部には、村で唯一と言っていいほど整備された公園がある。先ほど村長の側近たちが可哀そうなことに遊んでいた子供たちを追い出し、散らばっていた遊具設備を片付けていた。

 閑散とした公園は、流石にあの巨大マーチュがいた場所ほどではないが、エリーは、ここって思ったより広いんだ、と素直に感心していた。


 赤い衣を羽織った凛とした女性と向き合う、青白い顔をした男はちらりとこちらを振り返ってくるが、最前列で見ているだけありがたいと思って欲しい。


「まさかまだ村に留まっていたとはな……。だが先ほどの非礼は、詫びない」

「……ごめんなさい」


 彼女は、サク、という名前らしい。

 先ほど、孤児院に村長たちが訪れたときから一緒にいた、この村では見慣れない女性。

 よく声の通る、しっかりとした女性だった。田舎育ちのエリーからは、その佇まいだけで格好よく見える。

 一方、項垂れている男の方は、幽霊のように生気が無い。もしかしたらもうすぐ本当に幽霊になってしまうのかもしれないが。


「だが、名前を聞けて良かったよ。運が良かった」


 孤児院に飛び込んできたアキラが言っていた、決闘を申し込もうとしている人物が、あのサクだったのだろう。


 決闘。

 過去、人間同士で小競り合いがあったとき、それを整備するために作られた“しきたり”のひとつだ。

 殺人や暴行自体重罪だが、完全な否定をしてもこの広い世界、それでしか解決できない問題があるのも事実。手段の無い者にとっては原始的な手法も生きるためには必要になるのであろう。

 正当化する気はさらさら無いが、そうした小競り合いにも、一定のルールを定めたのがこのしきたりだ。

 行きずりに犯行に及ぶこと自体も加えて禁じることで、そうした事態をより抑制するのが趣旨らしい。

 互いに名を名乗り、互いが人間と認識した上で行うことも、冷静さを取り戻す要素ともなる。相手が自分と同じ人間だとすれば、故意に過剰な行為にはなりにくく、被害の防止にもなる。

 決闘と言うが、もともとはそうした小競り合い防止のためのしきたりのひとつだ。

 しかし解釈は人それぞれ。

 古いまま整備されていないしきたりを悪用すると、ああした光景になるのだろう。


「改めて名を名乗ろう。私は、サクだ」

「…………」

「…………聞いているのか? ヒダマリ=アキラ」

「……はぃ。ヒダマリ=アキラです」


 死刑宣告でもされたかのようなアキラの様子は変わらない。

 だが、エリーはようやくアキラが何を恐れているのか分かってきた。


 あのサクという少女だ。

 離れたこの場で見ていても、エリーには、触れれば切れるような鋭い雰囲気が感じ取れた。

 佇まいも、この村にいては見ることはないであろう、熟練者のそれだ。

 そして腰に下がる長い刀も、使い込まれているのがよく分かる。


 あの楽観的な勇者様が、あれほど身を震わせるのは、本当に正しい危機管理能力だと思う。


「決闘のルールは知っているか? どちらかの戦闘不能、もしくは棄権をもって決着とする」

「棄権でお願いします」

「ちなみに負けた場合、勝者の命令に従うことになる」

「何をさせる気だ……!?」


 慌てふためいているアキラを見ながら、エリーはほんの少しだけ、期待をしていた。

 あの巨大マーチュの一件以降、生活態度から何からすべて駄目人間のように過ごしていたアキラだ。この件が刺激になれば、少しは改善されるかもしれない。

 そしてもうひとつ。

 認めたくは無いが、確かに彼には“何か”がある。事実、追い込まれたあのとき、まさにすべてを消し去る力を手に入れたのだ。

 この件は、もしかしたら、彼の勇者の力とやらをさらに目覚めさせるきっかけになるかもしれない。


「では、行くぞ……!!」

「……」


 長刀に手をかけ腰を落とすサクに対し、アキラも構えを取った。

 エリーは剣の作法など知らないが、少なくとも、隙だらけのように見える。何しろ、彼の目の前には微塵にも隙を見せない、いいお手本があるのだから。


 エリーが、サクの構えに感心した瞬間、決闘が始まった。


「―――、」


 離れていたエリーもびくりと震えた。

 サクが地を蹴ったと思った、その瞬間―――


「きゃ……」


 エリーの口から思わず悲鳴が漏れた。後ろのギャラリーも遅れてざわめき始める。

 サクは、地を滑るように疾走すると、居合の要領でアキラに斬りかかった。

 狙いは首。

 そしてその刀の切っ先は、アキラの喉元数ミリといったところでピタリと止まっていた。


「…………何故止めると分かった?」

「……ふ」


 一瞬の出来事にアキラは笑って返した。するとアキラは、どこか達観したような穏やかな表情を浮かべた。


「何も分からないまま殺されそうになった。……それだけさ」


 ようやく時が動き出したと思えるほど、突如としてガタガタと震え始めたアキラは後ずさりする。

 怯え切った目はサクではなく、今まさに彼の命を奪い取ろうとした刀にくぎ付けになっていた。


「ちょっと、何やってんの!?」

「し、知るか!! これ死ぬっ、てか速っ!?」


 サクからどんどん離れ続けるアキラは、完全に戦意を失っていた。

 これはもしかしたら本格的にまずいかもしれない。

 サクは、相手の実力でも計ろうとでもしたのだろう。彼女からしてみれば、ヒダマリ=アキラは得体の知れない勇者だ。決して侮ったりはしてない。

 だが、エリーの知っている彼の、その戦闘力は、よくて民間人だ。

 下手をすれば魔力は宿っている自分の母より弱い可能性すらある。


「……、そ、そうだ。お前はそんなに悪い奴じゃない! 人を殺そうなんて思わないだろう!?」

「……何を言い出している?」


 最初にそう言えば多少効果はあったかもしれないが、震えながら命乞いのようにそんなことを言い出したらただの奇行だ。

 サクは怪訝な顔付きのまま、しかしやはりアキラの力を侮らないのか構えは変わらず鋭いままになっている。

 彼女の実力はエリーが思っていた以上にずっと高い。その彼女とアキラが戦えば、この決闘、下手をしなくとも怪我では済まないだろう。


「…………お前が戦うつもりが無いなら、別にそれは構わない」

「……お、そ、そうか?」

「なに。寝込むだけだ。ひと月ほどな」

「ヘルプ!! ヘルプ!!」

「アキラ様!!」


 アキラが今にも逃げ出しそうになったところで、エリーの背後の村長、ファリッツが叫んだ。


「お力をお見せください!! その無礼な女に、なにとぞっ!!」


 ファリッツからしてみれば、地元の希望の星がこんなところで土を付けられるわけにはいかないのだろう。しかも、勇者様に決闘を挑むような相手だ。

 だが、エリーは嫌悪に近い表情を浮かべた。

 おそらくここに集まった者の中で、状況が見えているのはエリーだけだろう。アキラは、現在勇者どころか孤児院の従業員。そんな一般人が、サクほどの実力者相手に何をしろというのか。土がつくどころか星は今にも消えてしまいそうだというのに。


「勇者様!! 今こそ、あの巨大マーチュを倒したというお力を……!!」

「!?」


 状況が見えていないのは、もしかしたらエリーの方だったのかもしれない。

 ファリッツの声援に、アキラが意識を取り戻したように顔を上げる。

 そうだった。あの一般人を追い込むと、まずいことが起きるのだった。


「そ、そうだ!! あるじゃん!!」


 アキラの手のひらから、オレンジの光が漏れる。

 太陽に溶け込むようなその色が、アキラの手のひらで収束し、確か形を作っていく。


「! 来るか、日輪属性……!!」


 サクの気配が今まで以上に鋭くなる。

 アキラは、現出させたクリムゾンレッドの銃を力強く握る。

 ファリッツの言う通り、あの巨大マーチュを討ち滅ぼした最強の力だった。


「……“具現化”……!! それがお前の力か。見せてもらおう!!」

「はっ、でかいことはこいつを受けてから言うんだな!!」

「駄目ーーーっ!!」


 途端余裕を取り戻すどころか態度が大きくなったアキラは、勇者というよりたちの悪いチンピラのようなことを言い出した。

 エリーは慌てて怒鳴りつけるように叫ぶ。

 全員の視線が自分に集まるのを感じたが、しかし引くことは出来ない。村の危機である。


「あんた、そんなのここで使ったらどうなるか分かってんの!?」

「え? ……あ」

「というかその人殺す気!?」


 村の裏手であろうが、あの力は山ごと消し飛ばすほどの砲撃を放つ。

 使えばサクはもちろん、この村ごと消し飛ぶことになるだろう。

 地図からリビリスアークの名が消える日の足音が、確かに聞こえてきた。


「なんであんた0か100しかないのよ!?」

「0は言い過ぎだろ!?」

「何の話をしている!?」


 いつまで経ってもまともな戦闘が始まらないからか、サクが苛立った声で怒鳴った。

 彼女には悪いが、エリーにも大切な村の危機だ。この男にその力を使わせるわけにはいかない。


「その力の威力は知っている。だが、放つ前に勝負を決めればいいだけだろう?」


 ものすごく自然な考え方だと思った。

 彼女はあの巨大マーチュ撃破の際に、あの力を見たという。そして見ていれば、あの力のおよその検討が“付けられてしまう”のだろう。


 魔術の対価は、魔力、時間、そして生命だ。

 その何かを対価に使い、魔術は生まれ、対価が多ければ多いほど力が増す。

 あれだけの力となれば、普通に考えて、対価として多くの時間が必要だ。


 そんな算段であろうサクの考えを読めてしまうからこそ、エリーは焦った。自分が見た限り、あの力には時間の対価は存在しない。魔力すら必要かどうかは分からない。

 サクの動きがいくら速かろうとも、指先ひとつ動かすだけのアキラの方が圧倒的に速度は上だ。

 それどころか、サクの動きに驚き、あの男がよろめいて引き金を引けば、関係のない方向に破壊の交戦が放たれ、無差別テロが完成する。



「今すぐその引き金から手を放しなさい!!」

「じゃ、じゃあどうしろってんだよ!?」

「大人しく斬られなさい!! 寝込むのひと月くらいなんでしょ!?」

「だからお前に相談したくなかったんだよ!!」


 比較的傷の浅い決着で手を打ちたかったのだが、どうやらアキラはお気に召さないらしい。

 エリーは頭をガシガシとかく。何でこんな面倒なことになってしまったのか。


「行くぞ!!」


 サクが再び地を蹴った。

 アキラは散々迷いながらも銃の引き金から指を話す。

 一応、言われた通りにはしてくれるようだ。


「―――っ、……え?」


 人体が切断される気持ちの悪い音の代わりに、ガギ、と、金属音が響く。

 サクの刀は、アキラの眼前で止まった。

 エリーは、大きく息を吐き出す。一応、準備はしてきてよかったと思った。


「何のつもりだ?」

「……エリサス=アーティ。それがあたしの名前」


 両拳に付けた防具でサクの一刀を止め、エリーはもうどうにでもなれという気持ちで名乗った。

 サクは小さく笑い、下がって間合いを確保する。

 転がり込んでいたアキラの目が、輝いたのをエリーは感じた。


「お、お前!!」

「決闘の途中参加はありよ。相手が認めた場合はだけど」


 エリーは表情を引き締め、長い髪を1本にまとめた。

 この決闘、正直どちらが勝つことになろうが、エリーにとって後味が悪いものになる。特に、アキラが勝った場合は魔王討伐の旅どころか村を滅ぼした犯罪者の逃亡劇になりかねない。


「は、はは、いいぞ、その後付け設定!!」

「…………。まあ、あんたはほっとくと魔王より早くこの村を滅ぼしそうだからね……」


 苛立ちを覚えたが、事実この男を放置するのは危険だ。

 夜も眠れぬ恐怖に日々に苛まれるくらいなら、サクと戦った方がまだ傷が浅い。


「いいわよね? そもそも戦いにもなってないし」

「……いいだろう。勇者に従者は付きものか」

「従者じゃない!!」


 怒鳴りながら、エリーは精神を集中させた。

 そして身体を魔力で覆う。属性問わず、最低限の身体能力向上と防御幕は操れる。

 それすらできないアキラでは、最初から勝負にもならない。


「……お前、大丈夫なのか?」

「大丈夫よ、勝てばいいんでしょ、勝てば!!」


 ガチリと拳を突き合せ、スカーレットの光を漏らす。

 少なくともアキラが戦うより、不慮の事故は起こらないだろう。


「火曜属性……か」


 サクは、そんな様子を見ながら、長刀を鞘に納め、本格的に魔力を操り始めた。

 僅かに漏れる色は、イエロー。

 彼女の刀にまとわりつき、雷のように弾ける。


「金曜属性……。武具強化型……!!」


 エリーは魔術師試験の知識を呼び起こす。

 金曜属性は、全属性中、物理的に最も硬い。

 そしてそんな魔力を、サクはエリーと同じように、武具に纏わせて戦闘を行うタイプのようだ。


「よしっ」


 相手のスタイルを確認して、エリーはサクに向かって駆け出した。

 サクがどうかは知らないが、エリーは遠距離での攻撃が苦手だ。どの道接近する必要がある。

 合わせるように、サクも疾風のように駆け出した。

 その速度に、それでもその姿を捉え続け、エリーも速度を上げていく。


「―――!?」

「っ、……」


 かす、った。

 勢いの乗ったその一刀を拳で受けるのは危険と判断したエリーは、即座に身をかがめた。

 今度こそ振り抜かれたサクの刀は、大分余裕を見て回避したはずなのに、髪を掠める。

 サクの方も決まると思っていたのか、見上げた先、動きが一瞬止まっていた。


「っっ、って、てい!!」

「くっ―――」


 金曜属性が防御を売りにするなら、火曜属性はその破壊力を売りにする。

 エリーは振り上げる形で眼前のサクの腹部にスカーレットの拳を放った。しかし、身体をコマのように回したサクは、再びイエローの輝きを放つ刀を放ってくる。

 今度こそ懐に潜り込むのは無理であろう。エリーは即座に後方へ跳んだ。

 やはりサクは速い。だが、反応できないほどではない。それが分かっただけでも、今の攻防はエリーにとって価値があった。


「ふぅ……、ふぅ……」

「お前強いじゃん!!」

「うっさいわね!! あんたが弱すぎんのよ。あたしだってこれくらいは……!!」


 もう少し下がっていろとアキラに言いそびれ、エリーは再びサクに突撃していく。

 戦い方は決めた。まず、刀を回避する。そのあと、隙を見つけて拳を放っていくことになる。


 エリーも、魔物の駆除を手伝うなどして、戦闘経験が無いわけではない。

 人相手、というのはほとんど経験が無いが、一応、魔術師試験にも実技がある。

 筆記よりどちらかというとそちらの方が得意だったくらいだ。そして合格しているのだから、魔術師隊としての及第点の実力は認めてくれているということになる。

 あの巨大マーチュや、それを滅ぼしたアキラの銃。そして、エリーの妹が例外中の例外だけで、そもそもエリーの戦闘能力は決して低くはない。


 エリーは全神経を集中させてサクの動きを追った。

 大きく回避すればそれだけ攻撃の機会が減る。だからこそ、彼女の刀の軌道を読み切る必要がある。


「うりゃっ!!」


 サクの基本戦術は、その居合いのようだ。

 あまりにも鋭く速く、一瞬で相手との距離を詰め、刀を放つ。そしてそれが回避されれば、基本的には離脱し、再び構える。


「ていっ!!」


 先ほどから隙を探しているが、なかなか見つからない。だが、けん制の意味でも拳を放ち続ける必要はある。

 刀の方が危険に思えるが、エリーの火曜の力を宿らせた拳もそれに勝らぬとも劣らない凶器だ。

 おそらく、戦いは一撃で決まる。


「たぁっ!!」

「うるさーっいっっっ!!」


 割と本気で集中しようとしているのだが、先ほどから届く妙な声に集中力がごっそりとそがれる。

 安全圏にいるとなればいつもの調子を取り戻したらしいアキラが、エリーの真似なのか両拳を握って構えを取っていた。


 あたしはあんたの操る格ゲーとやらのキャラじゃない。

 そんな怒気を足に込めてサクに突撃を繰り返す。

 サクの刀には大分目が慣れて、エリーも、サクも、互いに決定打を与えられない攻防が続いた。


「……はあ、……はあ」

「……思った以上にやるな。流石に勇者の仲間か」

「おお……、思った以上に本格バトルになってきたな」

「黙っていなさい」


 もっと下がれと言い忘れていたが、もうどうでも良くなってきた。

 なんで自分がこんな男のためにこんな目に遭っているのか。自分でももう分からなくなってくる。

 サクは、想像していた以上にずっと強い。

 下手をすればその辺りの魔術師よりも戦闘能力は高いだろう。

 ひと通り相手をして、決闘を有耶無耶にしようと思っていたが、思った以上に熱が入ってきた。


「だが、あまり戦闘経験はなさそうだな。何故最初の攻防、2撃目を回避した直後、襲い掛かってこなかった? センスはあるが……、荒削りだな」

「まずい、敗北フラグが立った! どうする!?」

「サクさん、だっけ? ちょっと待っててくれる? 後ろの奴の口を塞ぐまで」


 本当にそうしてやろうかと、エリーはアキラを睨みつける。

 しかしそのアキラは、怪訝な表情を浮かべた。

 遠く離れたギャラリーたちが、自分たちの決闘を見ている中、アキラだけが、その表情のまま、虚空を見つめ始める。


「…………なあ。なあ」

「今度はなんだ?」


 決闘に茶々を入れているだけだったアキラの言葉を一切無視していたサクが、観念したように応じた。

 もはや憐れみ始めているような気さえしてくる。


「……あれ、何だ?」

「はいはい」


 エリーも子供に応じるように、魔力を抑え、とりあえず彼の見る方向を眺める。

 すると空に、何かひとつ、影のようなものが見えた。

 その影は、弧を描くように旋回し、村を目指して降りてくる。


「―――!?」


 ズゥンッ、と衝撃音が響いたときには遅かった。

 その“何か”は、丁度エリーとサクの中間に降り立ち、身震いするように身体をうごめかせた。


 高さは、エリーが丁度ふたり分ほど。丸々と太った身体に、背中にしまわれた翼は、その巨体を持ち上げるゆえか身の丈ほど巨大で逞しかった。

 身体中は濁った土の色で、毒々しい膿のような起伏部がいくつもあり、細く短い鋭い棘に覆われている。

 太い両手両足に備えた鋭利な爪もさることながら、突き出た先からばっくりと割れた大きな口の牙は、それが決して友好的な存在ではないことを示していた。


 その姿は、太った竜のように見えなくもない。

 エリーの顔がさっと青くなる。


「う、うそでしょ……、ア、アシッドナーガ!? せ、正式名称は、」

「そっちはいい!! まっ、魔物だろ!?」


 アキラが叫んだと同時、今まで見物に徹していたギャラリーたちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 だが、それはまったくもって正しい。


 アシッドナーガは、世界レベルの戦場最前列にいてもまず見ないと言われる魔物だ。

 絶対にごめんだが、魔界に乗り込むことがあって、ようやくその姿を見かけるほどだろうか。噂でしか聞いたことが無い、伝説の魔物と言って差し支えない。

 下手に動き回られようものなら、こんな辺鄙な村など瞬時に消し飛んでもおかしくなかった。


「あ、あの魔物、や、やばいのか!?」

「やばいなんてもんじゃ……、ど、ど、どうす、れば……!?」

「ふたりとも落ち着け……!!」


 流石に決闘なんて言っている場合ではないだろう。

 サクは慎重に回り込んでくると、刀をしっかりと握って構えた。彼女も、この魔物の危険性は理解しているようだ。

 何故こんな化物が、こんな村に現れたのか。

 あまりの事態に頭が上手く働かない。

 だが例え、冷静に考えても、何も思い浮かばないだろうという絶望的な状況だった。


「グルルッ、あー、あー」

「……!?」


 3人で様子を伺っていると、降り立ったアシッドナーガから、野太い声が漏れた。

 そしてその巨体をのそのそと動かし、エリーたちに向かい合ってくる。


「あー、あー、お、前、ら、魔、術、師、か?」

「しゃっ、しゃべった!?」

「“言葉持ち”!?」


 アキラはただ驚愕しているだけだが、エリーもサクも、さらに青ざめる。

 “言葉を話す魔物”の意味を、エリーは知っていた。


 エリーが学んだ魔術師試験でも、“言葉持ち”の危険性は存分に記載されていた。

 知性があるということに付随し、“魔術の詠唱が可能”ということが特に危険らしい。

 確かな技術をもとに魔術を操れるほど、このアシッドナーガは成長した存在ということだ。


「魔、術、師、か?」

「……そ、そうよ」


 恐ろしいことに表情まであるらしいアシッドナーガが、不満そうに顔をしかめたのを感じ、エリーは返答した。

 下手に機嫌を損ねれば、次の瞬間この村がどうなっているか分からない。


「そ、う、か。俺、は、魔、王、様、直、属、の、ガ、バ、イ、ド、様、直、属、の、ゲ、イ、ツ、だ」


 聞き取りにくいが、確かに聞こえた。

 魔王。

 微妙に縁多い気もしたが、相当の地位にいる魔物なのかもしれない。


「そ、そんなあなたが、ここに、何の、用?」


 エリーは声を絞り出した。

 背中はぐっしょりと濡れている。見た目もさることながら、異形との会話が強い違和感を覚えさせた。


「俺、は、探、し、て、い、る。キャ、リ、イ、を、殺、し、た、奴、を」


 その異形の感情の一端が感じ取れた。

 ゲイツ、と名乗ったこのアシッドナーガは、怒りを覚えている。

 だが、意味は分からない。

 キャリイ。

 何かの名前なのだろうが、聞いたことは無い。


「キャ、キャリイ、って、誰? というか、何?」

「俺、は、知っ、て、い、る。こ、の、村、に、い、た、奴、が、キャ、リ、イ、を、山、ご、と、吹、き、飛、ば、し、た、こ、と、を」


 エリーはサクに目配せして、そして背後のひとり残ったギャラリーに視線を向けた。

 アキラは眉を寄せ、ぽんと手を打つと、これ以上なるとはエリーは思わなかった、顔がさらに青くなる。

 再びふたりしてゲイツに向き合うとき、サクから呪詛のような声が漏れた。


「せっ、か、く、育、て、た、の、に。キャ、リ、イ……!!」

「あ、あの! そいつを見つけてどうする気?」


 おそらく悲哀と思われる表情を浮かべたゲイツに、エリーは慌てて会話を続けようとする。

 今、村の命運は自分に託されているのだ。

 ゲイツの気を紛らわせ続けなければならない。


「殺、す」


 そう聞いて、行動に移したのはサクだった。

 ゲイツの危険性を正しく理解したサクは、なんだそれなら、とでも言いたげに、1歩退く。

 だが。


「こ、の、村、も、殺、す。こ、こ、に、い、る、奴、ら、も、全、部、殺、す」


 いい解決策だったのだが、どうやらそうはいかないらしい。

 エリーがサクに視線を投げると、彼女は諦めたように刀に手をかけた。

 ちらりと周囲を伺う。十分に広い。逃げ出した村長たちが避難勧告でも出したのか、人が来る気配はなかった。


「……どうする? 外に連れ出すか?」

「いいえ。ここで」


 サクの言葉に、エリーも構えながら返した。

 移動させるにも、村の中を駆け回ることになる。

 下手に陽動しようとして、村が損壊したら元も子もない。ならばむしろ、ここでやりあうべきだろう。ここで駄目なら、どこで戦っても村の存亡は変わらない。


「ガ、バ、イ、ド、様、も、悲、し、ん、で、い、る。俺、も、悲、し、い」

「相手に魔術を放たれるのは危険だ」

「ええ。近接戦に持ち込み続けましょう」


 先ほど実力を計った同士、最小限に言葉を交わす。

 例え危険な相手でも、背を向けられる状況ではない。

 ふたりで戦えば勝機はある。


 ただ問題なのは、足手まといが避難しきれていないことだが。


「……いない……だと……!?」

「……いや、あっちにいるわね」


 意識はゲイツに向けて振り返ったサクの視線の、さらにその先、いつの間にか広場の遊具設備が片付けられた物陰に、アキラはちゃっかり移動していた。


「……ある意味利口だな。あれが本当にキャリイとかいうのを倒したのか?」

「信じられないけどね」


 エリーは苛立ち交じりに返した。

 まったくもって正しい行動をとったアキラだが、何となく、こちらが言う前にそうされていると腹が立つ。


「……エリサスさん、だったか」

「エリーでいいわ」

「そうか。随分落ち着いているな」

「そう見える?」


 ゲイツが、いよいよギロリとこちらを睨んできた。

 巨体から漏れる魔力だけでも、うっとするような圧を感じる。

 ここが自分の村でなければ、自分だって逃げていたかもしれない。


「もしあたしがそう見えるなら」


 だが、意外にも、自分の足がすくんでいないことに気づいた。

 どうしようもない相手でも、きっと、何かは出来るような気がしてくる。


「1週間前のお陰かもね……!!」

「?」


 ゲイツが、大きく嘶いた。


―――**―――


 強い。

 いや、弱い?


 ヒダマリ=アキラは、エリーとサクの戦いを安全地帯で眺めながら、数日前の巨大マーチュ戦と比べていた。


 しばらく見ていて、ふたりがどうやら徹底した近接戦を行っているらしいことには気付けた。


 サクの速度はアキラの目から見ても常軌を逸しているのだが、エリーも相当に速い。

 魔力を強くしているのか、エリーの身体から漏れるスカーレットの光が軌跡を残し、巨大なゲイツの周囲を縦横無尽に駆け回る。

 側面、背後、あるいは虚を突いて正面から、エリーが幾度も放つ拳は、敵との距離は違えどマリスが巨大マーチュ相手に行った戦闘機のような動きを思わせる。


 そして、その速度で動くエリーがいるからだろう、サクの速度が一層際立って見えた。

 戦うエリーとゲイツの周囲に、疾風、あるいは雷のようにイエローの閃光が走り続ける。

 人間という種が踏み入れてはならない速度の領域で、サクは長刀を鋭く放ち、ゲイツを追い詰めていた。


 そんなふたりに囲まれたゲイツは、アキラから見ても防戦一方だった。

 速度はふたりに大きく差を付けられているのか、エリーの拳やサクの刀を硬そうな爪で弾き、致命を避けている。

 だが、あのふたりに囲まれ続け、攻撃を防ぎ続けているというのはそもそも異常事態なのかもしれない。

 見るからに禍々しく、巨大なゲイツは、しかしその太い手を機敏に操り、それだけで近接戦に対応している。

 もしあの翼や、岩をも溶かす炎を吐き出しそうな巨大な口まで駆使し出したら、たちまちこの村が火の海に沈みそうだった。


 だからふたりは徹底的にゲイツに近接戦を仕掛け、そうした余裕を生み出さないようにしているのだろう。


「ノヴァ!!」


 隙を見つけたのか、エリーが一層力強い拳を放った。

 防ぎ続けていたゲイツの爪のひとつに、ガラスが砕けるようなひびが入る。

 呻きながらもゲイツは応戦を続けていく。


 刹那、ほんの少しだけふたりの攻撃が緩んだ気がした。

 何故、と思いながら考えていると、アキラの脳裏に数日前の巨大マーチュ戦が呼び起こされる。

 危険な魔物を撃破すると、爆発する。

 ゲイツの力がどの程度か分からないが、村の中で撃破すると、やはり危険なのだろう。

 ふたりは、撃破しない程度に手負いを負わせ、追い払うのがベストだと考えているのかもしれない。


 自分の手持ちの情報でそこにようやくそこに辿り着いたアキラは、そこまで考えていたふたりに感心し、そして同時に自己嫌悪した。


 少しだけこの世界に慣れたからか、おぼろげに分かることがある。

 あのゲイツは、巨大マーチュより弱い。身体のサイズが根本的に違うのだから当然で、脅威の範囲も極小だ。

 ゲイツは巨大マーチュを育てていたようなことを言っていたが、猛獣に首輪をつける者が必ずしも猛獣より強いわけではない、ということだろう。

 そしてその対戦相手となったマリサス=アーティの力も、今この場にいる誰よりも高いと感じた。


 つまりこの戦いは、巨大マーチュの戦よりも低レベルなのだ。


「……」


 その“低レベルの戦い”なのに、自分はここにいる。

 この安全圏で、ぼんやりと、目の前の戦いを見ていることしかできない。


 このもどかしさはすでに味わった。

 数日前の巨大マーチュとの戦いでも、自分は確かに、悔しさを覚えた。


 いや、数日前という曖昧な表現は違う。1週間前だ。

 “1週間もあったのに”、今の自分はあのときとまるで変わらない。


 あの戦いのあと、風邪で寝込んでいる間、もどかしかった。

 完治したら本格的に身体を鍛え、魔術も習い、“勇者になりたい”と心の底から確かに思ったのだ。

 だが、決めたはずのトレーニングは、三日坊主にすら及ばなかった。


 アキラは、今も必死に戦い続けるエリーを見た。

 彼女は自分とは違った。

 たまたま目が覚めた早朝、窓から見た彼女は、アキラがいるべき場所に立って、身体を動かし始めていた。

 気恥ずかしさや気まずさから、アキラはベッドの中で息を潜めた。

 時間をおいて、恐る恐る窓から顔を出すと、すでにエリーは姿を消していた。きっと、走りにいってしまったのだろう。


 エリーは、アキラと同じように、巨大マーチュ戦を通して、自分を鍛えたいと思ったから、行ったのだ。


 もしアキラが、あのときにエリーの後を追っていたらどうなっていただろう。

 今、ふたりと共に、剣を振りかざし、ゲイツを攻めることができていただろうか。


 いつも、後悔は今にしか襲ってこない。

 いつも、必要な力は今存在しない。


 今必要なのに、今の今まで。


「何をやってたんだ、……俺は」


 異世界に来たばかりで慣れるのが必要。

 人はいきなり変われない。


 そんな自分への言い訳は、アキラは聞き飽きていた。

 だがそれはあまりに甘美で、何度でも身体の中に入っていく。


 きっと自分は、そんな風に生きてきて、これから先も変われないのだろうとアキラは思った。


 自分には、“力”がある。

 小回りも効かない、使えばアキラ自身が瀕死になりかねない、使い勝手の悪い“力”が。

 下手に強力なせいか、きっとこれも、自分への言い訳になってしまうのだろうとアキラは思った。

 そしてきっと、また、自分は次の戦いで後悔するのだろう。


「っ、」


 ドン、と強く胸を叩いた。

 諦めてしまう原因は、もう十分すぎるほど考えた。

 だがそれは、諦める理由にはならないと考えなければならない。


 今のこの悔しさは、絶対に忘れないように心に刻まなければならないとアキラは強く感じた。

 僅かに滲んだ景色の先、ゲイツと戦うふたりを、網膜に焼き付けるようにアキラは睨みつけた。


「……!」


 アキラが叫べていれば、もしかしたら何かが変わったかもしれない。

 ふたりに対して立ち回り続け、アキラに背を向けたゲイツのでん部周辺が、不自然に蠢いた。

 ふとアキラは疑問を浮かべた。ゲイツは竜を模した魔物だ。何故、尻尾が無いのか。


 ゲイツが、ぐるりと身体を回した。


「ぐっ!?」

「―――きゃっ!?」


 ほぼ反応できない速度だった。

 今まで身体に埋め込んでいたのか、ゲイツは突如棘だらけの尾を飛び出させ、鞭のようにしならせてサクを打った。

 軽々しく吹き飛んだサクは、砲弾のようになって後方から突撃してきたエリーに衝突する。

 ふたりして抱き合うようになってアキラの方へ転がってくると、土だらけになってようやく止まった。


「ふー、ふー、……ぐ」

「はっ、はっ」


 呻きながら立ち上がろうとするふたりを見て、アキラに悪寒が走った。

 波状攻撃を仕掛けていたふたりを、ゲイツはまとめて吹き飛ばしたのだ。

 距離は、ゲイツとアキラの距離のほぼ中間。

 この距離は、“十分すぎたのだろう”。


 アキラが睨む先、ゲイツが、グレーカラーの光を身体に纏い始めていた。


「ま、まずい!! なんかやってるぞ!!」

「ク、ウェ、イ、ク!!」


 ドンッ、とゲイツが野太い両腕を突き出したと思ったら、空気が震えた。

 真空派とでも表現できそうな空気の歪みが襲ってきたかと思えば、立ち上がりかけていたふたりに衝突し、ふたりは再び宙を舞って吹き飛んだ。

 瞬間的に出したのか、ふたりは一瞬だけスカーレットとイエローの光を帯びたが、グレーの振動にかき消されるように地理、淡い光となってふたりの吹き飛ぶ軌跡を形作っただけだった。


「ごっ、えっ……!?」

「ぶ、ぐ、げはっ!?」


 とっさに身をかがめたアキラの前に、地面を滑るように倒れたふたりが飛ばされてきた。

 恐る恐る様子を伺うと、ゲイツの攻撃をまともに受けたふたりは目をきつく閉じて激痛に悶えている。

 ゲイツの攻撃のせいで、ふたりの上半身の衣服は強引に引き千切られたような有様で、エリーは淡いピンクのブラが、サクは胸に巻いた白いさらしが引き締まった身体と共に覗いている。


 普段なら注視していてしまっていたかもしれないが、流石に茶々を入れる気にはならなかった。

 徐々に青あざになっていくふたりの身体には、未だにグレーの光がバチバチと漏れ、そのたびにふたりから苦痛のうめき声が上がる。


「お、おい、大丈夫か!?」

「はっ、はっ、ぐ……」

「けっはっ、あ、あんた、な、何でここ、まで!?」


 エリーに言われ、気づけば自分が随分と広場の中に入っていたことにアキラは気づいた。

 戦闘を見ようと思うあまり、自然と足がこの場に向かってしまっていたのかもしれない。


「……、み、見るな……!!」

「そんな場合じゃないだろ!! 大怪我だぞ!?」


 目がいかなかったと言えば嘘になる。

 だが、顔を赤らめ胸元を抑えるサクは、それでも未だに身体が芯から揺さぶられているかのような衝動に苦しんでいた。そんな彼女を前に、何もできない自分がどうしようもなく辛かった。


「くそっ、マリス、マリスはまだ」

「そ、それはダメ!!」


 同じようにあられもない姿で呻いていたエリーが、強引に身体を動かすように立ち上がった。

 ほとんど反射だったのかもしれない。

 エリーも巨大マーチュ戦を経験した人間だ。ふたりがかりでも倒せない相手とはいえ、ゲイツは巨大マーチュより弱いと感じているのだろう。そしてアキラと同じく、“それすら”超えられないことは、どうしようもなく辛いのだろう。


 だが、アキラの目から見ても、決着はついていた。

 ふたりはもう、戦闘不能だ。そして今この場には、ふたりの負傷を治せる者はいない。いや、いたとしたら、その人物はゲイツをすでに撃破している可能性すらある。


「は……」


 きっと同じことを思っている、その人物の姉の表情が、今まで必死に見ていた戦闘よりも、アキラの心に焼き付いた。


「ちょ、っと」


 アキラは、ふたりを庇うように、1歩踏み出した。

 何の策もない。

 目の前には、文字で追うよりもずっと禍々しい凶悪な存在が立っている。

 きっとアキラは、真っ先に逃げていった村長たちと共にこの場を去るべきだった。

 もしかしたら、今もふたりを囮に逃げ出せば、何とか生き永らえることが出来るかもしれない。

 それが、アキラの出来る最善手だ。


 いや、違うかもしれない。きっとアキラの最善手は、あの巨大マーチュ戦を乗り越えたあと、真摯に研鑽を積むことだったかもしれないのだ。

 そうしたら勇者の力とやらが本格的に目覚め、この場も何とかなったかもしれない。


 そんな空想に取りつかれ、しかしアキラは首を振る。

 さっきも、何度も思った。自分は、そうした立派な人間ではない。

 喉元過ぎればすぐに忘れる、自分のために努力が出来ない、どうしようもない人間だ。


 だが、今がまさに喉元なのかもしれない。

 だからだろうか。アキラの足は、恐怖以外の感情で、この場から離れなかった。

 アキラの力ではどうにもならないことが頭では分かっている。ふたりを庇ったところで、ゲイツの力を前には緩衝材にもならないかもしれない。

 だが何故か、こうしなければならないという衝動が、溢れんばかりに湧き上がってくる。

 少なくとも、そんな表情を浮かべる女の子を置き去りにすることは、アキラにはできない。


 もう熱は、治まったはずなのに。


「グ、ル、ルッ!!」


 眼前のゲイツは、今まで以上に激しく身震いした。

 グレーの光は雷のように暴れ吹き出し、ゲイツの身体中を染め上げる。


 確か、巨大マーチュでも見た、土曜属性の上位魔術とかいう攻撃の予備動作だ。

 広大な岩山を耕すように滅ぼしたあの力を前に、明確な死の匂いが漂ってくる。


 アキラは、動けない。動かない。


 自分のために努力が出来ない自分は、そのせいで、何の力もない。

 だが、いや、だからこそ、自分が勇者でいられるのはこの場所だけだった。


 誰かのために、何かを成そう。


「た、多少は、時間を、」

「く、ら、え!!」


 稼ぐ。

 アキラが思った以上に震えていた自分の声がそう言おうとしたとき、ゲイツが吠えた。

 ちらりと振り返って見えたサクの顔が青ざめる。


 ついに魔術を放ったかとアキラがゲイツを再び睨むと、ゲイツはその巨大な翼を広げ、虚空へと舞い上がっていた。


「ま、まずい!! 空から……!!」


 もはやゲイツは、この3人を攻撃対象としてすら認識していないようだった。

 あるいは、エリーとサクの猛攻が、ゲイツの逆鱗に触れたのか。


 村ごとの破壊を目論むゲイツは、放つ上位魔術の範囲を広げるべく上空で魔力を最大放出する。

 掲げた太い両手に、目に見えるほど色濃い光の塊が圧縮されていく。


「お」

「あ」

「は……?」


 思わずアキラとエリーから漏れた声に、サクが怪訝な声を上げる。

 村ごと滅ぼす破壊の光が降り注がんとする今、サクだけが、焦っていた。


「ギ、ガ、ク、」

「バカめ飛んだなっ!!」


 その瞬間、地上に勇者が誕生した。

 ゲイツが放とうとしていた上位魔術とすら比較にもならない破壊の光が、過剰なまでの範囲で虚空を貫く。

 余韻ですら膨大な軌跡を残す光の中、爆発が起こった。

 今なお大気を揺らし続ける破壊と比較にもならないが、ゲイツが戦闘不能の爆発を起こしたのだろう。


 一瞬前に村を滅ぼしかけていたゲイツは、次の瞬間、消滅した。


「……ぎ、ぎ、ぎ、いっ、いっっっでぇぇぇええええーーーっ!!!!」

「結構、余裕ありそうね……」


 ゲイツの最期を見届けている余裕はアキラにはなかった。

 とてつもない衝撃ののち、激しく痛み出した肩を抑え、アキラは広場を転がり回っていた。

 未だにゲイツの攻撃が響いているのか、エリーが顔をしかめながら、それでも皮肉めいた笑みを浮かべて言ってくる。

 そっちの顔の方が、見ていて安心した。


 サクは、唖然とした表情で見下ろしてきていた。

 あんな威力のものを彼女に放とうとしていたのだから当然で、それについてはいくら追い詰められていたとはいえ、アキラもどうかしていたかもしれない。

 そしてサクは、ため息交じりと共に、小さく気を吐き出した。

 苦悶に歪む自分の表情がどこまで無様かはアキラには分からないが、サクもこの騒動で怒りを収めてくれたのかもしれない。


 お約束にも、異世界に来たばかりで、2度も異常事態に巻き込まれたが、どうやら今回も乗り越えられたようだった。

 ゆっくりと意識を手放すことは、肩の激痛が許してくれなかったが。


―――**―――


「……状況を説明して欲しいっす」

「マリッ、マリス!! マリス来た!!」


 孤児院のベッドで悶絶し続けていたアキラは、待望ののんびりとした声に今まで以上の涙を流した。

 うごめきながら顔を上げると、相変わらずの眠たげな眼がこちらを不審に見つめてくる。

 口をパクパクと動かし、必死に救助を求めたが、その視界をエリーが遮った。


「あ、マリーおかえり。早かったね」

「村の空が光ったから、何かあったんじゃないかと思って急いだんすけど」

「久々の外出なんだからゆっくりしてくればよかったのに。お母さんは?」

「まだ馬車に乗っていると思うんすけど」

「その世間話今要らないだろ!? が、ぎ、……マリ、マリス……!!」


 姉と言葉を交わしながら、ちらちらとこちらを見てくるマリスの視線を逃さないよう、アキラは必死に目の力を強めた。


「うるさいなぁ。応急処置はしたでしょ?」

「マリス……!!」

「りょ、了解っす」


 ようやくマリスが歩み寄り、肩に手をかざしてくれた。

 シルバーの光に包まれ、アキラの肩の痛みが少しずつ和らいでいく。

 応急処置とやらをされたときも和らいだが、それと比較してもずっと楽になる。この世界の魔術とやらは、やはり別次元のものらしい。


「前にも言ったっすけど、痛みは少し残るっすよ」

「……お、おう、いや、でもももう、い、いや、やっぱ痛い……」


 脱臼の癖でもつき始めているのか、右肩の感覚は未だ不安定で、力を籠めると鈍く痛む。

 それでも何とか身体を起こせるほどにはなれた。


 右肩を庇うように起き上がったアキラは、ようやく息を吐こうとし、目を丸くした。


「……じゃあ、状況を、」

「?! お、お前っ!!」


 起き上がったアキラの目に飛び込んできたのは、部屋の隅で背を壁に預けているサクだった。

 エリーから借りたのか、見覚えのある白い上着を羽織っている。


「……今気づいたのか」


 サクの凛とした声に、肩の激痛とエリーからの嫌がらせに耐えていただけのアキラはびくりとした。

 彼女の手が、長刀にかかったのだからなおさらだ。

 しかし彼女は、両手でその刀を差し出すようにすると、しっかりとした姿勢で頭を下げた。


「決闘のしきたりにより、私はヒダマリ=アキラ様に仕えさせていただきたく思います」

「…………は?」


 サクからすらすらと出てきた言葉に、アキラは耳を疑った。

 今、彼女は何と言ったのか。


「……え。にーさん、決闘を、」

「はっ、はあ!?」


 怒鳴るような大声を上げたのはエリーだった。

 正気を疑うような目でサクを見て、そして恐ろしく怪訝な表情でアキラを見下ろしてくる。

 一応勇者様ということになっているアキラには、その視線は腑に落ちない。


「決闘のしきたりをご存じでしょう。勝者は敗者に従うと」


 だがサクは、そんなエリーの様子も意に介さず、頭を下げ続ける。

 アキラは目を丸くしながら、なんとか状況整理に勤めていた。


「決闘って、あれ、うやむやになったじゃない。だから、」

「……う、うやむやになっても、私が始めた決闘だ。きちんと筋は通さなければならない……!!」


 少しだけ顔を上げたサクの表情は、真っ赤になっていた。

 融通の利かないというかなんというか、サクはそういう性格のようだ。


「それに、お前は勇者なんだろう。勇者様に仕えるというのも悪くない。……命も、救われているしな」


 サクはアキラと正面に向き合って、まっすぐ目を射抜いてきた。

 彼女に向かい合われると、アキラは、痛んだ身体でも背筋がまっすぐに伸びるような気がした。


「先ほどまでの非礼は、“詫びない”。だが、これからは、従者として貴方に仕えよう、アキラ様」


 ようやく理解が追い付いてきたアキラは、かすれた声で呟いた。


「すごい……。すごいぞこの世界」


 何かあるたびに女の子と縁ができるなんてことは、元の世界では考えられない。

 これほどまでに自分に優しい世界は、まさしくアキラが求め続けていたものだ。

 しかも今回は、サクという美少女が、自分の従者とやらになるとは。


 やっと見え始めてきた世界の優しさに、アキラは身を震わせて感動した。


「よかったわ、ね!!」

「づ、っでぇ!?」


 そんなアキラに、エリーから激励が届いた。

 パン、と右肩を張られ、アキラは一瞬、また肩が外れたと思ったほどだった。


「てめぇっ!!」

「もう治ったんでしょ。いい加減起きなさい」

「大丈夫ですか? アキラ様」


 ひとり分賑やかになった孤児院の門が、開く音がした。

 どうやらエルラシアも帰ってきたらしい。


 今度こそは真面目に鍛錬を始めようと思っていたが、アキラは、今日だけは身体を休めようと決めた。

 痛みが引くと、自分が空腹だということに気づいたからだ。


 そんな中、また、のんびりとした声が、少しだけ寂しそうに聞こえてきた。


「だから、状況を説明して欲しいっす」


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