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第17話『オンリーラブ(後編)』

―――**―――


 “世界”という存在は、それそのものに感想を覚えるようにできてはいない。

 前提としてあるルールに過ぎないのだ。


 だから人は、見えている範囲を世界と呼び、その世界を輝かせようとする。


 時には、自分のために。

 時には、他人のために。


 誰もが願う。

 自分の世界は、キラキラと輝いていて欲しいと。

 だからこそ自分の世界を奔走する。何もしければ黒く淀み、世界が閉ざされることを教えられるまでも無く誰もが知っているから。


 世界は美しい。

 それは世界を輝かせようとする者たちがいるからだ。


 つまり。

 世界の輝きには、“対価”が必要となる。


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


「ど……、どうする、の……?」


 どれほどそのままでいただろう。

 ようやく、エリーから絞り出したような声が聞こえた。


 眼前に存在する“世界”。

 魔王の牙城であるルシルは、無音のままで静かに存在していた。

 アキラは、口に含んだ砂をそのまま呑み込んだ。


「ど、どうするもあるか……!!」


 アキラは言葉を何とか吐き出した。

 全員が見上げるルシルは、逃亡の様子さえ見せず、まるで最初からそこに在った山脈のように動かない。

 だが、もしルシルが自分たちを認識していたら、逃亡など無意味なことは全員が分かっていた。

 自分たちが1日がかりで進むような距離を、ルシルは1歩で移動できるだろう。

 月下、星空を突くようにそびえるルシルの連峰は、アキラが生涯歩いてきた距離を足し合わせても制覇し切れないかもしれない。


「……」


 徐々に浮かんでくる焦りを、ルシルの現実感の無さを利用して抑え込み、アキラは静かに様子を伺った。

 咆哮程度しか分からないが、ルシルは今、どうやらこちらを向いているらしい。その巨大さに建造物とさえ思えるほどの貌は、上顎が飛び出た鳥類のような造形をしている。両脇にある黒ずんだ瞳は、何を見ているのか、あるいは総て見ているのかすら分からなかった。


 幸か不幸か、威圧感も隠されたルシルからは“何も感じない”。

 だが、動きを止めているということは、自分たちを認識している可能性が高い。

 生物とは思いたくないような巨大な存在だが、そもそもルシルは、魔物というわけではなく、“魔王の牙城”だ。


 ならば攻撃するしかない。

 身じろぎひとつでアキラたちを容易くすり潰せるようなルシルが下手なことをする前に片を付けるべきだ。


 今度こそ躊躇わない。


「―――、」

「に、にーさん!」


 アキラがオレンジの光を右手に宿すと、マリスが焦って手を引いてきた。


「もしあの中に、エレねーたちがいたらまずいっすよ」

「……!」


 マリスの言葉でアキラは即座に光を抑えた。

 確かにそうだ。

 自分たちは今、このファクトルで離れ離れになっているのだ。


「そ、そうです。さ、3人ともあの中にいるかもしれません……!」

「じゃあどうすんだよ……!?」

「ちょっ、見て!!」


 問答していると、エリーが叫んだ。

 アキラも、あのマリスでさえも気付かなかった。

 ルシルが、やはり無音で、その嘴のような口を、大きく開き始めていた。


「いっ、マッ、マリス!!」


 攻撃の予備動作と判断したアキラは、すぐにマリスに視線を走らせた。

 マリスは腰を落とし、いつでも離脱できるように魔術を発動し始める。

 しかし、それは杞憂に終わった。


 ルシルの口は開き続ける。

 そしてそれは、通常考え得る限界値を超えて、まるで自分の顔を飲み込もうとしているように口が“裏返っていった”。

 ゴム風船を裏返していくような光景の中、見えてくるのはルシルの口、いや、喉の中、砂で汚れた黒い体内だった。

 早いのか遅いのか分からない速度で姿を変えていくルシルの口は、喉の奥が完全に見えるようになったところで動きを止める。グロテスクな光景と思いきや、それは巨大な洞窟の外観と大差が無かった。


「っ、!?」


 そして、その洞窟から次に現れたのは喉の奥から伸ばしたルシルの黒い“舌”だった。

 アキラは身体を強張らせ、しかし静かなルシルの動作に警戒しながら成り行きを見守る。

 すると、ルシルが伸ばした“舌”は、アキラたちの前方数メートルほどの至近距離にゆっくりと突き刺さった。


「いっ……」


 アキラは身体中が強張った。反応できたはずなのに、静かに見守っていただけの自分に恐怖した。あまりに当たり前のように動くそれが、もし攻撃だったとしたら、今ので死んでいたかもしれない。

 これほどの危機を前にしているというのに、何故か、ルシルの所作に、身体以前に気持ちがまるでついていかなかった。

 恐る恐る面々を見渡すと、彼女たちも妙に腑に落ちないような怪訝な表情を浮かべていた。やはりこのルシルという存在は、何か妙な感覚がする。いや、“感覚がしない”、が正しいのだろうか。


 ルシルが伸ばしてきた舌の幅は、家屋数軒分ほどはあるだろう。それを見て、小さいと思うのは感覚が壊され切ってしまったかもしれない。

 その舌は、唾液などで濡れてはおらず、ゴツゴツとした表面で、山道のような無機質なものだった。

 ルシルはカメレオンのように舌を丸め込んでいたのか、数百メートル前方で地に下ろしている頭からアキラたちのところまで伸ばし、まさしく道を作っていた。


「……な、なんだってんだ……」

「こ、来い、ってことじゃないの……?」


 エリーの言うことももっともだった。

 巨大な生物が攻めてこず、口を大きく開けて目の前に通路を作ったのだ。

 ルシルの“裏返った顔”は最早洞窟と化し、その喉はずっと奥に、つまりはルシルの体内へ繋がっている。

 魔王の牙城を名乗るのなら、その中には魔王がいることになるであろう。

 ルシルは今や、このファクトルの地に突如現れたダンジョンとも言えた。


 十中八九罠だろうが、侵入するチャンスでもある。


「だ、だが、むざむざ口の中に?」

「やっぱりあそこが入口なんすかね?」


 面々が警戒し、会話を続けても、ルシルはその体勢のままじっと動かない。

 あの巨獣の体内に入るというのはそれだけ出て抵抗がある。口から入るとなればなおさらだろう。

 サラサラと風が岩山をかき鳴らし、時間だけが過ぎていく。


「……い、行くぞ。罠だろうが、エレナたちが中にいるかもしれないんだ」


 どの道答えなどない。

 アキラは意を決し、足を踏み出した。

 恐る恐るルシルの舌に足を乗せ、軽く力を入れてみる。やはりルシルは動かない。

 自分たちを誘っているのは間違いないようだった。


 念願の魔王の牙城への第一歩は、あまりに現実離れし過ぎていて、自分の中にある感情にアキラは名前を付けられなかった。


―――**―――


 延々と続く、ルシルの“たった一部“、山道のような舌を延々と登り歩き、アキラたちは”体内“に侵入した。

 どれほどの時間がかかっただろう。その間もルシルは微動だにせず、入った途端にそのままバクリといかれるかと警戒していたのも杞憂に終わった。


 恐らく食道と思われる箇所に侵入し、入る前からずっと続く緩やかな登りの傾斜を進み続けると、周囲はゴツゴツとした岩壁になっていった。

 道というよりだだっ広い空間は、まさに洞窟という風貌なのだが、圧迫感をまるで覚えない。

 生物だというのに、その体内は無音で無臭であり、自然物のような気さえしてくる。

 だが、さらにしばらく進むと、ようやくここが、ただの洞窟でないのだと思い出させてくれた。


 食道だとしても、その半分も進んでいないであろう。

 岩壁が終わり、上下左右レンガのようなブロックが規則正しく並ぶ、四角い通路が姿を現した。

 だがやはり広く、天井は透けるほど高い。

 ご丁寧にも数十メートル間隔にマジックアイテムと思われる光源が左右対称に埋まり込み、アキラたちは自前の灯りを落とした。


「遺跡みたい……」


 エリーが呟く。久しぶりに音を聞いたような気がした。

 だがまさしく、洞窟の次は遺跡のようなダンジョンとなったルシルの体内は、それでもやはり、行き止まりが見えないほど延々と続いていた。


 ここは本当に生物の中なのだろうか。あまりにも無機質に思える。

 空気もあり、無臭で、ファクトルよりはずっと快適な空間だ。

 そしてレンガの壁も、質素ではあるが妙に精緻で規律を感じさせる。

 魔王の牙城。そんな言葉が、改めて頭に浮かんできた。


「……オレンジっすね」


 エリーの呟きが皮切りだったのか、今度は妹の方が声を出した。

 マリスは最も近い光源にとぼとぼと近寄り、凝視している。


「マリス?」

「いや、この光、マジックアイテムだと思うんすけど。……やっぱり、自分も知らないっすね。こんな光を出せるなんて」


 アキラも今までこの世界の発光装置を何度も見てきた。

 僅かに魔力を流すと灯るマジックアイテムは流通している。

 それはほとんど淡い色を出す程度のもので、もっと言うなれば紅い色の割合が多かった気がする。

 だが彼女の言う通り、オレンジの光を灯すマジックアイテムはみたことは無かった気がした。

 そして。


「オレンジ、ということは」


 サクがマリスに並び、呟いた。

 アキラもすでに、その色の持つ意味を知っている。


「“日輪属性”。……今回の魔王は、やっぱり日輪属性っすね」


 ピリ、とアキラの背筋に何かが走った。

 “日輪属性”。

 その属性の所有者をアキラが見たのは、自分以外ではたったの2度だ。


 1度目は“神王”アイリス。

 そして2度目は自分とは別の“勇者”スライク=キース=ガイロード。


 世にも珍しく、有するだけで勇者の可能性が高まるとさえ言われる希少な属性を、魔王も有している。

 そしてその日輪属性は、その多くが謎に包まれているらしい。


「と、とにかく、前へ進むぞ。みんないるかもしれないんだ」

「……そ、そうね」


 嫌な予感を払拭しようと声を荒げ、足を早めた。

 何より急ぐ理由がある。

 エレナ、ティア、そしてイオリ。行方不明の彼女たちが、ここにいるかもしれないのだ。


「でも不気味っすよね……。誰も、それどころか魔物も魔族もいないっすよ」

「つっても立ち止まってる場合じゃないだろ」

「分かってはいるんすけど……」


 マリスの懸念は、恐らく全員が感じていた。

 ルシルが、いや、恐らくは、“魔王”が、自分たちを中に招き入れたのだ。

 罠でないはずがない。


 驚くほど静かなルシルの体内には、口数の減った面々の足音だけが響く。

 確かな情報など何ひとつ無く、決して楽観できない“何か”が待っていると確信しながらただただ歩き続けるのは、死刑執行を待つ罪人の気分を味わっているような感覚がした。

 空間だけで言えばファクトルよりもずっと快適だが、あの過酷な環境の方がまだマシに感じてくる。

 アキラが忙しなく周囲に視線を走らせても、延々と続くレンガの壁の景色は何も変わらない。


 そのまままた、延々と歩き続けた。


「……無いのかよ、罠」

「それよりどうしますか?」


 投げやりに言ったら、投げやりな声で質問が来た。

 全員疲れが出てきているのかもしれない。


 襲撃どころか何も起こらず、ひたすらに進んだ面々は、ようやくルシルの道の突き当りに到着した。

 T字路のようなそこは、左右に道が伸び、そしてそのどちらもやはり先はずっと続いている。

 変化らしい変化ではあるが、どちらに進もうともまた同じ光景が続くのだろうと漠然と感じた。


「……4人、か」

「二手に分かれるのは正気の沙汰じゃないでしょう」

「わ、分かってるよ」


 アキラはふたつの道を注意深く見比べる。だが、やはり何の差も無く見える。

 一刻も早く行方不明の仲間を探したいのだが、ここまで広いとなると今までのように歩き回っても状況が動かないような気がした。

 だがエリーの言う通り、いくら4人いても、ここが敵の牙城である以上選べる道はひとつだけだ。

 そして道が分かれている以上、どちらかが罠というのは十分にあり得る。


「……マリス。何か分からないか?」

「分からないっすね……。どっちも何の気配もしない」


 頼みの綱のマリスも分からないらしい。

 そもそもこのルシルの出現は、マリスですら感知できなかったのだ。

 アキラが感じるのは違うのかもしれないが、ルシルという存在は、まさに異世界の存在のように思えた。


「あんたが決めて。……どうなっても恨まないから」


 こういう場合は“勇者”とやらが決めるべきなのだろう。

 アキラはエリーに促され、迷いながら右を選んだ。

 また長い道が続いている。


「なあマリス。……ここ、どう思う?」


 1度口を開くと緩くなる。

 気付かぬうちに不安に押し潰されそうになっているのかもしれない。

 アキラは努めて明るい声を出してマリスに意見を求めた。


「そうっすね。……イオリさんの言っていたこと覚えてないっすか?」

「ん? あ、ああ。ルシルは召喚獣の類、ってやつだろ?」


 現在行方不明のイオリは、ファクトルに入る直前、様々な推測を話してくれた。


「そうっす。自分もそうだとは思うんすけど、……変なんすよね」

「なにが?」


 マリスが眉を下げたのが分かった。

 彼女の思案顔は頼もしくもあり、不安も覚える。


「召喚獣は術者の魔力に比例してその力が決まるんすけど、もちろんその分、それだけの魔力が必要なんす」


 それはイオリも言っていた。

 魔力の総量が高いなら、それだけ召喚獣も強力になる。

 魔術攻撃と同じようなものなのだろう。魔力を多く使用して召喚すれば、それだけ召喚獣は強力になるのだ。

 イオリが以前見せてくれた小型の召喚獣のように、調節もできるらしい。


「これだけ巨大な召喚獣。維持するのに信じられないほどの魔力を注ぎ込まなきゃいけないはずっすよ。“具現化”と違って“生成時のみ”に魔力が必要なわけじゃないんすから」


 それが“具現化”と“召喚獣”の違いである。

 “具現化”はあくまで武具である。

 放っておけばいずれは消えるとは言っても、物理的に生み出したあとはそれを維持する魔力は必要無い。

 世の理を捻じ曲げて、恒久的な物体を生み出す具現化は、まさに魔道の集大成だ。


 だが“召喚獣”は、一応は生物なのだ。

 召喚した後も活動を維持するために魔力を流し続けなければならない。低レベルの者では呼び出せてもすぐに消失してしまうらしい。


「だから、“召喚獣”を呼び出す以上、“自分にできないこと”が出来る存在じゃなきゃ意味無いんすよ。そうじゃなきゃ、召喚なんてしないで別の魔術を使った方が消費は少ないんすから」


 例えばイオリの召喚獣は、イオリにできない“巨大な敵との交戦”や“飛翔による移動”が可能だ。彼女が魔力の効率を捨ててまで召喚獣を呼び出すのは、自分の不可能を可能に変えるためである。

 魔術を学んだ人間は、アキラのようにロマンがあるから、などということは考えないのだろう。

 イオリがティアにせがまれても、極力召喚獣を出したがらなかったのは、そういう意味合いもあったのかもしれない。


「それで、何が変なんだ?」

「いや、それがなんすけど」


 マリスは改めてルシルの体内を見渡した。


「“巨大生物生成”、“魔力探知不可”、“隠密移動”。どれをとっても一級品の能力っす。消費する魔力の量は尋常じゃないっすよ」

「“魔王”ってくらいだからな」

「だからそういう話じゃないんすよ」

「?」


 マリスは目を細めた。

 その瞳がほんの少し乾いたような気がしたのは、アキラの気のせいでは無いだろう。


「“召喚なんてこと”しない方が絶対に強い」


 アキラの脳裏に、あのときの光景が浮かび上がった。

 “魔族”サーシャ=クロラインの襲撃があった際、彼女は、“そういう意味合い”の言葉を口にした。

 “余計なこと”に魔力を割かなければ、下手をすればマリスは無傷であの局面を突破していたかもしれない。


 マリスの理解は、恐らくアキラとはかけ離れているのだろう。

 アキラにとってみれば、召喚獣と聞けば便利なイメージしかない。

 だがマリスにとっては、“そんな発想すら”存在しないのだ。


「……マリスは召喚獣出せるのか?」

「出せないっすよ。……練習すればできるかもしれないっすけど……、考えたことも無いっす」


 僅かな沈黙ののち、アキラは極力声色を変えないまま訊いてみた。

 返ってきたのは、きっとアキラが理解できない遥か先の存在からの言葉だった。


 召喚獣は、“工夫”でしかないのだろう。

 マリサス=アーティにとっては、そんなもの自体必要ではない。


 マリスは、小さく咳払いをした。

 これ以上マリス自身のことを深く追求するのは止めておいた方が良さそうだ。


「とにかく。“魔王”がルシルを召喚した以上、“ルシルは魔王にできないことが出来る”。日輪属性のことは分からないっすけど、これだけの魔力があるなら普通にどこかに牙城を構えていた方が効率的っすよ」


 マリスの話がようやく理解できた。

 ルシルはこのファクトルを闊歩し、誰にも居場所を掴ませないという。

 だが、それが実現できるほどの力があるのなら、“そもそも居場所を知られても誰も抗えない”、ということなのだろう。

 ならばこのルシルは、魔王にとっての不可能を可能にする力を備えていることになる。


「待って、え。あれ。でも、おかしくない?」


 今度はエリーが口を挟んだ。


「魔力があれば不可能なんてないんじゃないの?」

「?」


 アキラは珍しいものを見た。

 エリーの言葉にマリスが首をかしげている。

 そして、アキラはもちろん何も分からない。


「それって月輪属性の話か?」

「? え、日輪属性もでしょう?」


 会話がまるで噛み合っていない。

 不可能なことが無いのは月輪属性の代名詞だ。

 そして、日輪属性は謎に包まれている。

 少なくともアキラの知識はそこで止まっていた。


「日輪属性と月輪属性は不可能なことが無い。でも、日輪属性は“特化”ができる、って」

「なに言ってんだこいつ」

「ねーさん、なんでそんなことを知ってるんすか?」


 マリスの言葉で、全員の視線が不信の色を帯びてエリーに向いた。

 エリーは責められているような気持になったのか、おずおずと口を開く。


「あれ。話さなかったっけ?」

「聞いてねぇよそれ」

「あー、あ、そうか、そうね。あのときゴタゴタしてたから」


 エリーは申し訳なさそうにしながら、記憶を整理しているのか目を瞑って頭をコツコツと叩いた。

 日輪属性。アキラにとっては最も身近な力ではあるが、マリスですらほとんど把握できていない最も不可解な属性である。

 魔術の教師役のエリーも知らなかったのだが、今の彼女は何かを知っているのだろうか。


「覚えてる? ラースさんって人」

「?」

「……もういいわ」


 諦められたのが悔しくて、アキラも記憶を掘り返す羽目になった。

 確かにどこかで聞いた名ではある。

 旅を逆走するように日々を思い返してみると、思ったより早く見つかった。

 あの自分以外の“勇者様たち”と出逢ったあの事件。

 いつの間にか姿を消していた男がいたはずだ。


「その人が教えてくれたの。日輪属性と月輪属性はほとんど同じだって。だけど、日輪属性はその上で“特化”が出来るって」


 “特化”という言葉もどこかで聞いたような気がする。

 だが、エリーも思い出した勢いそのまま話しているようで、内容がほとんど頭に入ってこなかった。


「それって本当なんすか? 仮説とかだとあるんすけど」

「ええと、その仮説の話をしてたのかな……? いや、でも、ラースさん物凄く詳しそうだったし」

「そうだとすると、その人、」

「待ってくれ、マジでついていけてない」


 一応は自分事である。

 置き去りにされたまま話が進むのを止めたアキラは、迷った上でマリスに視線を向けた。

 彼女なら落ち着いて説明してくれそうな気がする。


「一説には、日輪属性と月輪属性は同じ、というものがあるんす」

「?」


 月輪属性のマリスは、落ち着き払った様子だった。


「“結果として”不可能なことが無い属性。それこそなんでも出来るんすよ。だけど、日輪属性は他の属性みたいに、力を“特化”することができる、という話っすね」

「?」

「“特化”というのは、そうっすね。例えば、“身体能力向上”。木曜属性のエレねーみたいに、自分も身体能力を上げることは出来るんすけど、回りくどいというか、いくつかの魔術を組み合わせて実現することになるんす。でも、日輪属性は、」

「“そのまま”使える、ってことか」


 追憶と共にアキラは呟いた。

 やはり“特化”という言葉は、あのふたりの“勇者様”に出逢ったときに聞いたのだ。


 人間とは思えないほどの身体能力を発揮した、日輪属性のスライク=キース=ガイロード。

 確かエリーは、『木曜特化』と呟いていた。

 まさにエレナのような暴力的な戦闘力を誇っていたスライクは、日輪属性でありながら、木曜属性の力を“そのまま”使っていたのだろうか。


「だから、月輪属性は“劣化属性”。固有の“魔法”もあるんすけど、それでもほとんど日輪属性の下位互換みたいなものっていう説っすね」


 説、という言葉を使うも、アキラは直感的に事実のような感覚を覚えていた。

 あのときスライクも“劣化属性”という言葉を使っていた。


 他の属性の“真似事”が出来る月輪属性

 一方で、他の属性と“同じこと”が出来る日輪属性。

 同じく不可能を超越する力でも、そのふたつは明確に違うのだろう。


「…………あれ。でもさ、俺は何ができるんだ?」

「やってんでしょ。あたしとか、イオリさんの攻撃とか」


 アキラが日輪属性の力を使ったと自信を持って言えるのは、唯一あの具現化の銃が放つ、“プロミネンス”という強大な光線だけだった。

 だが、言われてみれば、アキラも剣を使って魔術攻撃をしていることになる。

 威力を高めるエリーのような攻撃に、敵の動きを止めるイオリのような攻撃。

 もしかしたらそれは、この世界においては凄いことだったのだろうか。

 となると、無自覚とまでは言わないが、日輪属性の特異性を活かした戦い方をしていたことになる。

 何となく格好いいような気もするが、それ以上に実感の無さが強い。これ以上難しく考えると攻撃方法自体忘れてしまいそうな悪寒さえした。


「と言っても、そんなこと知っている人なんてほとんどいないはずっすよ。理解できる人も。よほど魔道に精通した人とか、それこそ、月輪属性か……あるいは、日輪属性でもないと」

「でもラースさんは、水曜属性だったわよ?」


 自分の属性を“劣化属性”と言い放ったマリスは、口調も変わらず考えを進めていた。

 マリスを見ていると、“劣化”という言葉は相応しくないように思える。

 属性としてはアキラが優れていたとしても、マリサス=アーティには数千年にひとりの天才と言われる所以でもあるのだろう膨大な魔力があるのだから、彼女にとっては些末なことなのかもしれない。


 サクの様子を盗みると、あまり話について来られていないようだった。そして、話を切り出したエリーもあまり深く考えていないように見える。

 日輪属性と月輪属性。

 その希少性ゆえに、旅の道中でもほとんど情報は無く、世界的にすら今なお謎多き属性だ。

 ふたつの属性の差など、理解が及ばな過ぎて考えることも出来ない問題であろう。荒唐無稽な話と言ってしまえばそれまでだ。

 一方で、マリスは黙考を続けていた。

 この場で、彼女だけが、その荒唐無稽な話を現実のものとして思考を進めることが出来る。彼女がそうした形の無いものを捉えて思考することができるのは、月輪属性だからなのだろうか。アキラが辛うじてでも話についていけているのは、もしかしたら日輪属性だからなのかもしれない。


「……そのラースという男は、あのとき港にいたか?」


 そうなってくると気になってくるのは、その件のラースという男だ。

 サクも同じことを思ったのか、またエリーに視線を向けた。


 足が浮くような、沈むような違和感を覚える。

 ルシルの体内という異常な空間にいるだけに、僅かな疑念でも大きく膨らんでいくように感じた。


「いつの間にか、いなくなって、た……」

「思いっきり怪しいじゃねぇかよそれ」

「あ、あたしに言われてもっ」

「もしそうだとすると」


 始まりそうな喧騒に、マリスの声が挟んだ。


「やっぱり変っすね。“不可能なことが無い”日輪属性。それが、“不可能を補うため”の召喚獣を使役するなんて」

「―――、しっ」


 マリスの言葉を遮り、サクが鋭く振り返った。

 マリスも気付いたのかサクに並ぶように歩み寄ると、じっと様子を伺い始める。


「今のは……?」

「何か聞こえたな」


 構えるふたりの呟きに、アキラも遅れて身構えた。

 無限を思わせるような長いこの道。今まで延々と進んできた後方から、振動のような音が聞こえたような気がした。


「ルシルが動いたのか?」

「口を閉じたかもしれないですね。……揺れてはいないみたいですが」

「“感知できない”んじゃないの?」


 ひたすらに歩かされて散漫していた集中力が戻ってきた感覚がした。

 ここは魔王の牙城である。


「……進もうぜ。このままここにいても―――なっ!?」


 じっと様子を伺いていた後方の道。

 そこが、“ぐにゃりと狭まり始めていた”。


「走って!!」


 誰が叫んだのかも分からなかったが、全員がそれに従った。


 どういう原理か。

 硬そうに見えていた壁が内蔵のように歪み、道が潰れていく。

 見た目はまるで違うが、起こっていることは洞窟の崩壊だ。今まで歩いてきた道があっという間に潰れていく。


 幸運にも後方だけが潰れていくようで、アキラたちは振り返りもせずに走り続けた。

 絞り出すように潰れていく道は空気を押し出し、アキラたちの背中を追い風のようにグンと押した。

 だがそれでも余裕を見せることは出来ない。

 足を止めれば崩落に巻き込まれるように、“道に呑み込まれる”。


「―――右だ!!」


 脇目も振らずに走り続けると、再び二手に分かれた道が見えてきた。

 方向感覚など何もない。だが、ほとんど山勘で叫んだ方向に全員が従って駆けてくれた。

 今度はすぐにまた分かれ道が現れ、アキラはまた適当に方向を叫ぶ。


 変わらず潰れていく背後の道の勢いは、収まりもしない。

 埒が明かない。


「っ―――」


 隣を奔るマリスが宙に浮いた。

 同じことを思ったのか振り返り、大きく腕を振りかぶる。

 倣って視線を投げた背後では、思っていた以上に“崩落”が近くまで迫ってきていた。


「レイディーッ!!」


 鋭く走った銀の矢は、潰れていく道に突き刺さった。

 これがルシルの“活動”なら何らかの効果が見込まれるかと思ったが、道は、何も変わらず潰れていく。


「っ、ダメっす!!」

「どっ、どうするの!?」

「っ―――左だ!!」


 また現れた曲道の行き先を叫び、アキラは右手を開いた。

 マリスの攻撃を受けても効果が無いとなれば、打てる手などひとつしかなかった。

 行方の分からない彼女たちが“その方向にいないと思うしかない”。


 アキラが駆けながら、マリスと同じように反転しようとしたところで、


「ちょっ、前!!」

「―――だっ!?」


 アキラの肩が何かに激突した。

 わけも分からず視線を走らせると、先ほどの道を曲がった先は、今までの整った遺跡のような空間ではなくなっていた。


 突如として姿を現したそこは、まるで樹海だった。


 アキラが激突したのは目の前の大木だったらしい。

 “部屋”というにはいささか巨大なその空間は、上下左右、コケや草木がびっしりと生えており、湿気のある空気が満たしている。

 日輪属性の魔力の光源も手伝って、空には太陽が浮かんでいるようにすら思えた。

 ファクトルに入ってから見たことが無い光景は、あるいはファクトルのすべての草木がこの場所に集められたかのようにさえ思える。

 あっけに取られて周囲を伺うと、正面は若干木々が開けているようで、その遥か向こう、このホールの向こう側に、アキラたちが今入ってきた道よりはるかに狭い出口のような道がいくつかあるのが辛うじて見えた。


「と、とにかく、走るぞ」

「そう、ね……、ってあれ?」

「……止まったんすかね?」


 息を切らせながら振り返ると、ルシルの“活動”は停止しているようだった。

 遺跡エリアとでも呼ぶべきか、今までの道は潰れてしまったらしく、背後は今までもそうだったように石壁になっている。

 そして、今は樹海エリアで木々に囲まれている。

 夢でも見ていたような感覚を味わうが、このファクトルに入ってからその辺りの感覚はとっくに鈍くなっていた。


「なんにせよ急ごう。いつまた潰れ始めるか分かったもんじゃ―――」

「アキラ様!!」

「―――、」


 一瞬自分が切られたのかと思った。

 目の前のサクの姿が消えたかと思うと、アキラの頭上を刀で振り抜く。

 恐る恐る様子を伺おうとすると、アキラの隣に、腕ほどの太さの緑色のツタが落ちてきた。


「な、なに、が」

「また来た!!」


 エリーが叫び、サクが跳躍した。

 ようやく目で追えたアキラは、サクが天井からぶら下がっている触手のようなツタを斬り割いているのが分かった。

 樹海のようなホールの天井には、数百数千のツタが蠢き、時折アキラたちを捉まえようとするように垂れてくる。

 やはりこの場所はルシルの何らかの器官なのだろうか。

 召喚獣の仕組みなど知らないが、あの触手たちは、アキラたちを栄養分と捉えているような気さえしてくる。

 もし今まで歩いてきた遺跡の道が食道なら、もしかしたらここはルシルの“胃”のようなものなのかもしれない。


「レイリス!!」


 マリスが垂れてきたツタを複数の銀の矢でまとめて切り飛ばした。

 アキラたちの足元にボトリボトリと落ちてくる。

 斬り割かれてなお不気味にも活動は停止していないが、1本1本は弱いらしい。

 だが、その数が。


「うっ、後ろからも来てる!!」

「走れ!!」


 マリスとサクが道を切り開き、エリーが脇から迫る触手を殴り飛ばし、今度は樹海の中を駆け続ける。

 アキラは歯噛みした。剣を手放してしまったアキラには、加勢することもできない。

 大木に激突して痛んだ右肩をさすり、先の道を睨んだ。

 ルシルに入ってから、アキラは敵の攻撃からひたすら逃げることしかできていない。


「こっちっす!!」

「先に行け!!」


 永遠を思わせるような樹海での疾走。その終盤、先陣を切っていたふたりが弾かれるように二手に分かれた。

 アキラたちの向かう先を予想していたのか出口を塞ごうとしていたツタに、マリスが銀の矢の魔術を叩き込んだ。

 出口に近づいたからか一層激しさを増すツタの攻撃に、サクが縦横無尽に駆け巡り、出口までの道を確保する。

 人が何人か通れる程度の小道らしい。

 マリスが魔術を放ちながら飛び込んだ出口に、続けてアキラも転がり込むように駆け込んだ。


「づっ!?」


 ふわりと着地したマリスの横に倒れ込んだアキラは、身体を石畳みに打ち付けた。

 樹海エリアが終わり、再び遺跡エリアになったのだろうか。

 途端に樹木の気配のない空間に入ったアキラは、ふらつきながら立ち上がった。

 どうやらツタは、この道には入ってこないようだ。


「早く―――っ!?」


 樹海エリアに向かって叫んだアキラは、一歩のけ反った。

 自分が通った目の前の道が、“ぐにゃり”と歪む。

 まるでそれは、この樹海エリアから獲物を出さないための仕掛けのように思えた。


「いっ、急げ!! 閉じ込められるぞ!!」

「!!」


 アキラの叫びと同時に、ツタを振り切ったエリーが飛び込んでくる。

 目の前の道は刻一刻と潰れていく。

 ツタを切り裂きながら向かってくるサクは、しかし大量のツタに阻まれ思うように進めないようだった。


 道は、もうほとんど閉じられていた。


「サ―――」


 手を伸ばすこともできず、ぐにゃりと歪んだ道は、気づけば壁になっていた。


「そ、そんな―――」

「下がって!!」


 銀の光が迸り、アキラの目の前に槍のような光が突き刺さる。

 しかし、やはり先ほどと同じように、マリスの攻撃でさえ、ルシルの壁には傷ひとつ付かなった。


 アキラの血の気がさっと引く。

 最悪だ。

 また、仲間と逸れてしまった。


「ど、どうしよう!? サクさんあたしたちを行かせるために、」

「サク!!」

「はい」

「ちっ、もうやるしかない。撃つぞ……―――、……? サク?」

「はい?」


 壁の向こうから、サクの落ち着いた声が聞こえてきた。

 断続的にツタが切れるような音も聞こえてくる。


「サク? 聞こえるのか?」

「ええ……、っと」


 またツタが斬り割かれる音も聞こえてくる。

 この壁を隔てた向こうで、サクは未だ戦っているようだった。


「だ、大丈夫なのか!?」

「え、っ、ええ。壁は困りましたが、っふ、ツタの方は落ち着き始めてますね。そもそも大して強くない」


 窮地というわけでは無いらしい。

 アキラは目の前の壁を殴り付けてみた。石壁のようにしか見えないのに、どういう仕組みなのか、アキラの拳をぐにゃりと呑み込むように押し殺した。

 マリスの魔術を受けても破壊されないこのルシルの体内の壁。

 どういう仕組みなのかは当然誰も分からない。


「ど、どうする?」

「サクさん、そっち、他の出口あったっすよね?」

「いや、同じように塞がっているな。……このツタをすべて倒せば開いたりするんだろうか?」


 閉じ込められた当人のサクは落ち着き払っている。

 いつまで経っても目の前の壁に変化は無かった。

 どうしようもないなら具現化を打ち込むしかないが、その方向に仲間がいないお祈りになるのが気がかりだった。


 そこで、サクが言った。


「3人とも。……先に行ってください」

「……。は? お、おいっ」

「いや、そこで立ち止まっていては、いつまた“潰れる道”に襲われるか分かりません」


 そう言われてアキラは周囲に視線を走らせた。

 今まで進んできた道よりもずっと狭い。

 3人で横並びになるのがやっとなほどである。

 もしこれが潰れ始めたら、あっという間に“呑み込まれてしまう”。


「不本意ですが、っ、別行動にしましょう。……どの道、他の面々の探索もしなければならないですし」

「ほ、本当に大丈夫なのかよ……!?」

「ええ」


 向こう側の様子はまるで分からない。

 機械的にツタを切り裂く音が届いてくるだけだ。

 サクは戦闘をしているが、先ほどまで駆け続けていたときよりは落ち着いている。このまま何かの拍子にこの壁が開くのを待つべきかもしれない。


 だが、自分たちはいい加減に学ぶべきなのかもしれない。

 何もしないままでいることが、どれほど危険なことなのかを。

 ここは敵の本拠地だ。逸れた仲間のことを思えば時間体猶予も無い。


「……分かった」


 いつしか握り締めていた拳が震えた。

 アキラは歯を食いしばり、最後に壁を強く殴る。無情なほど、何も変わらずぐにゃりと歪むだけだった。


「速攻で魔王倒して戻ってくるからな……!!」

「ええ。お願いします。―――では」


 それきり、壁の向こうからサクの気配が消えた。

 彼女はこの場を離れてツタと戦い始めたようだ。


「……行くぞ」

「ええ」


 アキラたちは再び長い道を駆け出した。

 先ほどまでよりずっと狭く、照明が弱いのか薄暗い。


 だが、先ほどまでよりずっと広く、そして、やはり暗く感じた。


―――**―――


 間もなく終わる“刻”が来る、今。


 “その存在”は笑っていた。


 “それ”に直面すると、はたしてどのような表情を浮かべるべきものなのだろう。

 漆黒の空間で、それは無駄なことだと分かり切っているのに、静かに思考する。


 “それ”は、万物に共通して訪れる。

 それを前にしたとき、浮かぶのは、恐怖だろうか。絶望だろうか。


 しかし、“達成”であった。


 誰も知らない。

 誰も分からない。

 誰にも悟られない。


 そうしたものを達成するときは、やはり自然なのは笑うことなのだろう。


 “見事に演じきってみせた”。

 もう誰にも止められない。


 間もなく終わる“刻”が来る、今。


 完成する。

 つまらないことに、想定通りに。


―――**―――


「!」


 進み続けてきた小道は、形容できないほどの不思議な道だった。

 上り下り、曲がり、うねるような道は、先ほどサクと分断されたときのように妙な弾力があり、大した距離を進んできたわけでは無いのに消耗する。

 ルシルの体内と考えると、何らかの臓器のような気もしてきた。


 胃の次は何になるのだったか、などとぼんやりと考えながら不気味な空間を進んでいくと、また、開けた場所に出る。

 円形で、十数メートル程度しかないそこは、床も、壁も、磨かれた大理石のように白く、滑らかだ。

 ルシルの巨大さを思えばあまりに狭いが、その分天井が視認できないほど高い。

 細長い塔の内部のような空間だった。

 そしてその中央には、塔の形に合わせているような白い円形の台が設置されている。


「な、なんだここ?」

「ね、ねえ、行き止まりなんだけど」


 エリーに言われて、アキラも気付いた。

 この塔のような空間の出入り口は、今自分たちが入ってきた道しかない。

 そして、あの樹海エリアからここまで脇道は無かった。


「外れの道だったってことか?」

「……かもね」


 あの樹海エリアには出口のような道が他にもあった。

 この道は、マリスがたまたま選んだひとつに過ぎない。

 外れの道もあってしかるべきなのだろう。


「戻るか」

「そうね」


 進むたびにサクの様子が気がかりになってきたアキラの判断は早かった。

 エリーも同じだったのか即座に同意する。

 この場所に来るにも随分と時間がかかっている。もしかしたらあの樹海エリアの道も開いているかもしれない。


「マリス、戻ろう。ああ言った手前手ぶらでサクに会うのは避けたいけど仕方ない」

「……あれ」


 マリスは、顔をほとんど真上に向けて、半開きの目で上を凝視していた。

 そして、だぼだぼのローブから腕を出し、ゆっくりと指を差す。


「あれって出口っすかね?」

「は?」


 マリスの指の先を追ってアキラも見上げたが、オレンジの光に包まれた空間しか見えない。

 エリーに助けを求めるように視線を投げるが、彼女も目を凝らして首をかしげているだけだった。


「なんか穴が開いているように見えるんすけど」

「視力どうなってんだ」


 アキラが、元の世界の視力検査の自分の結果を何となく思い出そうとしたとき。


『その台に乗るといい』


 塔に、どこかしがれた聲が響いた。


「!?」


 慌てて身構えるも塔の中では何も起きていない。

 聲は、空から聞こえてきた。


『その台で昇ってくることが出来る。罠ではないことは保証しよう』


 アキラたちの動揺をよそに、聲は淡泊に響く。

 老人のようにも聞こえ、それでいて、はっきりとした口調からは、荘厳たる印象を受けた。


「な、なに……?」

「ま、まさかとは思うっすけど、」

「魔王、とかじゃないだろうな……!?」


『そうだ、魔王だ。早く来てくれ』


 僅かな呟きさえ拾われ、あっさりとした回答が返ってくる。

 まるでちょっとした所用を頼むようなその口調に、アキラの感覚が狂った。


 その声そのものからは、ルシルのように、何の脅威も感じられない。


『急がなければならないのだろう?』


 魔王に促され、現状を把握するのも滑稽だった。

 だがその声の言う通り、自分たちに猶予は無い。


 アキラは目の前の台座を見た。

 これに乗れば上へ向かえるらしい。

 だが、所詮は敵の情報だ。

 十中八九罠だろう。


「どうするの……?」

「ど、どうするもなにも、行くしかないじゃねぇか」

「……フリオール」


 台の前で立ちすくんでいたアキラの身体を、銀の光が包んだ。

 アキラたちはふわりと浮かび上がり、透けるほど高い塔の内部を上がっていく。


 オレンジとシルバーの光が混ざる光景は、延々と続き、どれほど浮かんでいっても変わらない。

 どこまでも同じ造りのその塔は、何とも淡泊で、頭が痛くなってくるほどだった。


 どこまで登ってきたのだろう。

 アキラが足元の台座を視認できなくなって来た頃、向かう先、この淡泊な塔の壁に、ようやくアキラの目にもぽっかりと開いた穴が見えてきた。


 マリスの魔法で、アキラたちはそこに入り込む。

 入ったそこは、僅かな小道の先、輝く空間に続いていた。


 正方形だろう。1辺百メートルはある大広間だった。

 今しがた昇ってきた塔のように、すべての壁が白い石造りに見える。

 四方にはオレンジの光を宿す発光装置が煌々と輝き、高い天井にはシャンデリアのような意匠の光源まで付いている。

 空気も、砂と埃、あるいは植物の臭いが漂っていた今までの道と違って清らかで、妙な清潔感を覚える。


 だが、それ以外にはほとんど何もない。だだっ広く、殺風景な空間だった。

 ゆえに自然と、最奥の、最後の存在が目を引いた。


「罠ではないと教えたのだが、この高さを昇れるのか」


 王座のような巨大な椅子。

 そこにひとりの男が座っていた。


「そうか。“例えに出ていた”月輪属性の仲間が彼女か。相当優秀のようだ」


 座ったまま、“その存在”は呟いた。

 ブロンドの長髪に、総てを見透かしているかのような深い色の瞳。

 肩に金の刺繍が入った漆黒のローブを纏い、僅かに皺の入った肌色の表情からは優雅ささえ感じられる。


 “恐怖”はまるで感じなかった。

 ただの人間が、そこにいるだけなのだから。


 “恐怖”は覚えるべきだった。

 ただの人間が、そこにいるはずがないのだから。


 そして。

 自分たちはこの男に、会ったことがある。


「ラ、ラース、さん……?」


 エリーが呟く。

 先ほど話に出てこなければ、アキラは思い出せなかっただろう。

 あのときより年老いているようにも見えるが、港町の依頼で行動を共にしたあのラースに間違いはない。


「一応は自己紹介から始めよう」


 悠然と立ち上がり、礼を尽くすように右手を胸に当てた。


「ジゴエイル=ラーシック=ウォル=リンダース」


 言葉を紡ぎ、その男―――ジゴエイルは、僅かに笑った。


「“魔王”。と、呼ばれている」


 勇者と魔王の遭遇は、陳腐で、静かな邂逅だった。


―――**―――


 ファクトルの地を囲う複数の魔術師隊や魔道士隊支部。

 その内一つから派遣された全十名の魔道士の“ルシル調査”は、難航を極めていた。


 ファクトルの地を囲う支部は、ファクトルの未開エリアを軸とし、バランスを取りつつ魔術師隊の支部と魔導士隊の支部が設置される。

 彼らには、ファクトルから出ようとする魔物を安定して抑え込む義務があるのだ。


 だが、ルシルが確認させたときには蜂の巣をつついたような騒ぎになる。

 何しろ神出鬼没だ。

 今回のメンバーも緊急招集できた中でのベストメンバーに過ぎない。


 その上、昨日突如発生した砂嵐のせいで被害は甚大だった。

 直撃こそ避けられたが、勧めていた調査の準備を強引に止め、機材を馬車に投げ込み、馬や積み荷を守るために風下に大慌てで移動する羽目となった。

 これだけでも大仕事だったのだが、慌ただしい作業で水樽はまるまるひとつひっくり返し、食料を踏みつけ、半分は地面の餌になり、あっという間に計画が滅茶苦茶になっている。


 調査隊長を務めるその男は、毎日頭痛と戦う羽目になっていた。


 馬車の中、地図と残存食料を何度も確認しながら、調査隊長はしみじみと思った。

 ファクトルには、“慣れ”というものが存在しない。

 今までも幾度かファクトルに入った経験はあるが、その経験などほとんど何も活かせていなかった。

 唯一あるのは、発狂しないようにするメンタルコントロール程度だろうか。それすらいつ通用しなくなるか分かったものではないが。


 外に出れば凶悪な魔物の群れ。馬車の中でも眠る際も、いつ襲撃に遭うか身構え続けなければならず、身も心も休まる暇がない。

 食料が半分ほどふいになったのも、隊員の前では大いに嘆いてみせたが、それだけ早期に戻る理由が出来たと内心拳を振り上げていた。


 ファクトルに入って数日。

 この部隊の中でも、すでにふたりほど憔悴している。精神的なものだろう。

 珍しいことではない。


 あと数日はファクトルの調査を続けることになる。

 一体何名が無事にこの地を出れることか。


「隊長!!」


 馬車の分厚い布が千切れんばかりの勢いで開かれた。

 5つほど後輩の男が、顔面蒼白にして転がり込んでくる。


「ど、どうした!? 襲撃か!?」

「それっ、どころっ、じゃっ!!」


 喉が詰まり、ほとんど言葉が聞き取れない。

 後輩の男に促されるまま、調査隊長の男は外に出た。


 警戒するも、外では何も起こっていない。

 だが、後輩の男は身体中を震わせている。


「な、なんだ? 何を、」

「さ、さっき、爆音、あった、じゃないですか」

「ああ」


 確かに先ほど、怒号のような振動と、大気を揺する爆音が響いたのは知っている。

 だがそれは珍しいことではない。

 この辺りの魔物が師を迎えれば、それくらいの爆音は響く。

 “それがファクトルの日常”なのだ。

 常に戦場にい続ける羽目になるファクトルの恐怖でもある。


「い、一応俺、様子を見ようと、思ったら、あ、あれ……!」

「……?」


 後輩の男の指差す方を見て、調査隊長の男は眉を潜めた。

 何を指しているか分からなかったからだ。

 だが、そこで、背筋に不気味なほど冷たい悪寒が走る。


 “あんなところに、何で山脈があるのか”。


「っ、ルッ」


 叫び声を上げるのは何とか抑え込めた。


 ここに馬車を停めたとき、あんな山脈は無かった。

 だが、視認してなお信じられない。

 記憶の方を疑いたくなる。


 隊長自身、ファクトルには何度か入ったが、視認したのは初めてだった。


「―――全員を叩き起こしてくれ。小隊を編成する。5名でだ」


 声が震えそうになるのを抑え込み、少しでも察知されないように小さく呟いた。

 遠近感が狂いそうになるが、距離で言えば遥か遠方ではあるのだろう。

 だが、もし情報通り、ルシルが動き出せば、こんな距離は1歩で詰められてしまう。


「わ、分かり、ました。で、でも変、なんですよ」


 ようやく息が整ったのか、後輩の男は恐る恐るルシルを見上げながら報告を続けた。


「動き回ると聞いていたのですが……、ルシルが先ほどから、微動だにしていないんです」


―――**―――


「……、っ」


 エリーは目の前の存在に、明確な“恐怖”を覚えた。


 “魔王”。

 多くの人にとっては想像することしかできない、禁断の地を根城にする諸悪の根源。

 だが、目の前の、空想の世界の存在であるそれからは、想像と異なり、強烈な威圧感も、脊髄を切り裂くほどの殺気も覚えない。


 ゆえに、恐怖を覚えるのだ。


 “魔王”ジゴエイルは、あまりに“普通”だった。

 魔族としてではない。“人間”として、だ。


 エリーが出遭った魔族、リイザス=ガーディランは想像通り、想像の世界の住人だった。

 人の形をしているものの、巨大な体躯に凶暴な貌。振るう力は異次元そのもので、明確に自分とは違う存在だったのだ。

 だが、そのリイザスを従えていたはずの目の前のジゴエイルは、顔付きも体躯も、いや、もっと根本的なところで、“纏う空気”が人間そのものだった。

 それこそ、そのまま人の群れの中に入れば見つけ出すことも出来ないほどに。


 そして、実際にそれをしたことをエリーは知っている。

 “ラース”と名乗り、自分たちと同じ依頼を請けていたのだ。特にエリーは彼とよく話したと思ったが、何の違和感も覚えられなかった。

 自分とは明確に違う世界にいるはずの存在。それが、手を伸ばせば届くほどの距離に、当然の権利のように混ざり込んでいたのだ。


 自分の世界に存在してはならないはずの魔王。

 それが混ざり込んだ自分の世界が、足元から崩れていくような底知れぬ恐怖が脳を侵食してくる。


「……大丈夫だ」


 足元がふらついて、歩き出しかけていたのだろうか。

 身体の前に、アキラが割り込んできた。

 アキラは右手をすでに広げている。

 旅を始めるとき、最初から決まっていたはずのことを彼は遂行しようとしている。


「どうせすぐ終わる」

「う、うん」


 彼の言葉は、旅の初めからの決まり事で、真実だ。

 彼の持つ力は、この恐怖が膨らむ間もなく一瞬で“終わらせる”ことが出来る。


 エリー自身、何度も見てきている。

 だから、大丈夫。きっと、絶対に。


「……」


 いつしかエリーは、両手を強く握っていた。

 絶対に大丈夫。

 だが、そのはずなのに、何故自分はこれほどまでに祈っているのだろう。


「君が今回の勇者か。……正直なところ、一番遅いと思っていたよ」

「……?」


 ヒダマリ=アキラは、エリーとマリスを庇うように前に出て、眉をひそめた。

 だがそれが、アキラを、あのときのふたりの勇者と比較した言葉だと思い至り、奥歯を強く噛む。


「……仲間が優秀だからな」


 当たり前のように話す、当たり前の人間に見える、“魔王”。

 戸惑いを強引に拭って、アキラは強い口調で返した。

 いつまでも勇者様がびくびくしているわけにもいかない。


「確かに素晴らしい仲間を得たのだろう。……人数が少ないようだが、“七曜の魔術師”のパターンはそれが利点だ。勇者の力はどうでもいい」

「……」


 挑発、だろうか。

 ジゴエイルは対峙するアキラを一瞬追い越し、背後のふたりに視線を這わせる。

 出会い頭では柔和そうな表情を浮かべていたが、いつの間にか嫌味を含んだような顔付きになっていた。そしてそれもやはり、あまりにも人間らしい表情である。


「にーさん。……早くした方が」

「あ、ああ」


 マリスに急かされるも、手にじっとりと汗が浮かんできたのが分かった。

 安い挑発だ。まともに聞いても何も得しない。

 だがそう考えると、頭の奥がじんわりと蝕まれるような感覚がしてくる。


 これは一体何なのか。

 使命感を振りかざした勇者と、世界を脅かす強大な魔王の対峙。

 勿論経験したことは無いが、今はそうした場面のはずだ。

 だが、ジゴエイルは姿も纏う雰囲気も、すべてが異質に思えた。

 いっそ正面切って襲い掛かって来てくれた方が良かったと思えるほどに。


「……“あまりにあっけない”のもつまらないから話でもと思ったのだが、お気に召さないか?」

「……」


 まただ。

 またこちらをいたずらに刺激するような陳腐な挑発。

 ジゴエイルはあまりにも無防備に立っている。

 曲がりなりにもこのファクトルに突入してきた相手に、無警戒過ぎるような気もした。


 となれば、十中八九罠である。

 だが、どんな罠があろうとも、限度がある。

 この距離なら、ジゴエイルに何もさせずに決められるだろう。


「……ときに、ヒダマリ=アキラ、だったかな」

「……!」


 同じ依頼に参加したのだ。名前くらいは知っていたのだろう。

 “魔王”に名を呼ばれ、アキラの背筋がびくりと跳ねた。


「無駄に思考を働かせているようだが、時間が無いのだろう?」

「っ、」


 ジゴエイルに言われて思い出すのも妙な話だった。

 確かにジゴエイルの言う通り、この場で無意味な対峙を続けている場合ではない。

 だが、もう間違いはない。100%だ。

 ジゴエイルは何かの罠を張っている。

 見当もつかない今、挑発に乗るべきではないのではないか。


「いや、罠などないよ。……ほら、どこにも」


 ジゴエイルは、アキラの思考を読んだように両手を広く広げた。

 確かに何の仕掛けも見当たらない。躊躇する理由はどこにも無いように思えた。


 アキラはジゴエイルに睨みを利かせたまま、必死に思考を進めた。


 そもそもジゴエイルの“狙い”は何か。

 当然、こちらの全滅のはずだ。


 戦意も感じないジゴエイルが今やろうとしていることは、こちらに初撃を譲っているようにも思える。

 アキラにそれをさせることに何か意味があるのか。

 これほど強大な召喚獣を操れるジゴエイルの魔力など、想像もつかない。尋常ならざる力を有しているであろう。

 それならば言葉通り、こちらを侮り、遊びのつもりで攻撃を許しているのかもしれない。

 となればジゴエイルはこちらの“最強カード”の威力を知らないのだろうか。

 あの力こそ、それこそ遊びで魔族の1体や2体容易く葬ることが出来る。


 アキラは静かな瞳を携えるジゴエイルを睨んだ。

 その瞳の奥は見透かせない。

 ジゴエイルはこちらの力を知らないのかもしれない。

 だが、もし知っていた場合はどうなるか。


 “それすら含めての行動だとしたら”―――


「ふう……。……そういえば、君たちは“チェスゲームの終わらせ方”を知っているか?」

「……?」


 動かないアキラに退屈そうな表情を浮かべたジゴエイルは、まさしく退屈凌ぎとばかりに口を開いた。

 チェスゲーム。

 その遊びはアキラも知っている。

 元の世界にもあるゲームだ。この世界では実物を見たことは無いが、恐らく共通のものだろう。


 チェスのルールは詳しくはないが、終わらせ方は、将棋と同じである。

 相手のキングを取ることだ。


「……、」


 答えを返さず、アキラはジゴエイルを睨み続けた。

 何も見えてこない。

 確実にある罠が見抜けない。


「つれないな……。嗜んだことが無いのか」

「……」


 敵に遭って、無駄な会話をする意味とは何か。

 そう考えると、ひとつ思い当たる。


 時間稼ぎだ。


 となれば、もう想定するしかない。

 “罠があると思わせることが罠”。

 そう考えると、先ほどからの中途半端な挑発も、戦意を向けてこないのも意味のあるように思えてくる。

 マリスは言っていた。ルシルの召喚には途方もないほどの魔力が必要なはずだと。その結果、今、ジゴエイルは大きく魔力を消費しており、実は裏で回復に努めているのかもしれない。

 かなりリスクのある行動をしているようにも思えるが、目の前の魔王は、あのアイリスとかいう神様が言うところの、“英知の化身”。

 アキラの思考など容易く見通し、“最もアキラが行動に出にくい行動”をとっている可能性がある。


 だがそう考えても、右腕は動かなかった。

 “それこそが罠”の可能性もある。


 今更になって、この右手が操る銃の存在が不気味に思えてきた。


 もしジゴエイルの行動が、アキラに具現化をさせることだったとしたらどうか。

 イオリもこの魔王の仕業ではないかと推測していたほどだ。

 こんなことなら、それこそ徹底的にこの力の出自を調べきっておくべきだった。


「まだ始めないつもりかな?」

「……」


 時間を稼ぎたいのか。アキラに具現化をさせたいのか。

 もしくは、単純に油断からか。

 ジゴエイルの言葉からは判断できなかった。


 どうする。

 一旦具現化を控え、マリスに攻撃をしてもらうのが正しいだろうか。

 だがその場合も、確率は同じだ。

 正解の行動が見出せない。


「―――、そう、か」

「……?」


 ジゴエイルが、一瞬目を伏せた。

 そして僅かに含み笑いを浮かべる。


「煮え切らない君たちに、ひとついいことを教えよう。……きっと、始める気になる」

「……?」


 何かを感じ取ったような所作だった。どこかから、魔力を使った連絡でも入ったのだろうか。

 ジゴエイルは短くため息を吐いた。


「―--、」


 ジゴエイルの口が開く。

 その、一瞬。

 アキラの身体中を寒気が襲った。


 何故か。

 アキラは、“それ”を、知っていた。


「君たちが逸れた仲間だが―――全滅した。生死までは分からないが……、全滅だ。もう、助からない」


 あっさりと、告げられた。

 ここにいるのは、7人中、たったの3人だ。


 サク、エレナ、ティア、イオリは―――


「どうだ? 急いだ方がいいだろう」

「―――、」


 エリーから、声にならない何かが漏れた。

 マリスの気配が、鋭くなった。

 ジゴエイルは、笑い続ける。


 そしてアキラの世界から、音と色が消えた。

 これは、何だ。


 身体中が煮え滾ったというのに、ヒダマリ=アキラは平然としていた。

 何故なら、次に起こることを知っていたからだ。


「……」


 アキラの右手から、オレンジ色の光が漏れた。

 室内の、同色の光すら軽々しく塗り潰す、膨大な日輪属性の魔力。


 クリムゾンレッドのボディに、竜を模した黄金色の装飾。

 瞬く間に表れたのは、絶大な力を誇る、“終点の力”。


「……!?」


 ジゴエイルの表情が強張った。


 そうだ。

 これはお前のものなんかじゃない。


 現出して、改めて思い出した。

 これは、アキラの中に、他人に付与されたとは思えないほどの絶対的な信頼を生ませる。


 アキラは現れた銃をまっすぐにジゴエイルに向けた。


 仲間の全滅。

 今のは、こちらを挑発するためのジゴエイルの嘘かもしれない。

 依然として、ジゴエイルは何かを企んでいるのかもしれない。


 だが、何も関係が無い。

 魔王だろうが、罠であろうが、関係が無い。

 伏線すら、想いですらも、容易く蹂躙する。


 この最強カードは、最初から最後まで―――“最強だからここにある”。


「―――……」

「―――!?」


 総ての音と色が消え去った世界。

 アキラはただ、単純作業を行った。


 引き金を引くだけのその動作は、直後、銃口から、おびただしい魔力を放出させた。

 身じろぎひとつできなかった魔王を飲み込み、ルシルすらも体内から貫いていく。


 最初からこうしていればよかったのだ。

 イオリの言う通り、ファクトルに入る前に射出すれば良かったとさえ思えてくる。


 何も考えず、何も想わず、すべての障害を消し飛ばしていれば良かったのだ、自分は。


「っ、……、っ、っ、づっ」

「!?」


 下ろしかけた右腕を、アキラはびくりとして上げた。

 “蹂躙”が通り、夜空が見えるほどルシルにぼっかりと穴が開いた、その手前。


 “存在しているものがあった”。


「こ、こい、つ、まだ……!?」


 信じられない。

 流石に魔王というべきなのだろうか。

 この砲撃を受けてなお、ジゴエイルは立っていた。


「いや、にーさん」


 いつの間にかマリスが隣に並んでいた。

 彼女は、ほんの少しだけ、憐れむような表情を浮かべている。


「……もう、決まってるっす」


 マリスの半開きの眼が捉えているジゴエイルは、確かに、“終わっていた”。

 ローブは焼き切れ、ブロンドの髪はじりじりと焦げている。

 露出した肌も焼けただれ、身体がぼろぼろと崩れ始めているようだった。


 その姿も、被災地の人間のようだった。

 今の砲撃に消し飛ばされていないことが人ならざる者の証明ではあるが、今のジゴエイルは、生と死の狭間でぎりぎり踏み留まっているに過ぎない。


 やはり、あっさりとしたものだった。

 今、自分たちは“魔王を討ったのだ”。


「ふ……、ふ、ふ……」

「……?」


 ただ死を待つのみとなったはずのジゴエイルが、嗤った。


「い……、“一撃で倒してもらう”つもりであったが、……まさか、これほどとは、……な」

「―――なっ、なに……!?」


 その“振動”に最初に反応したのはエリーだった。

 足元が揺れる。

 ぱらぱらと瓦礫のようなルシルの一部が落ちてくる。


 まるで嗤うジゴエイルに呼応するかのように、ルシルが全身を震わせ始めていた。


「“魔王”が“勇者”に討たれるだけ。……繰り返される歴史。……つまらない、だろう? この、“下らないチェスゲーム”は……!!」


 ジゴエイルの言葉が、今になって分かった気がした。

 チェスゲーム。

 それは、この勇者と魔王の戦いのことだろうか。

 あるいは、神族と魔族の戦いのことだろうか。


 いずれにせよ、アキラには答えが分かった。

 チェスゲームの終わらせ方。

 相手のキングをとっても、並び変えられ最初から始めることができてしまう。

 ならば、その答えは。


「“チェスボードを破壊する”。駒も、何もかもを、だ……!!」


 アキラはジゴエイルの言葉を聞いてなかった。

 震え続けるルシル。

 部屋の照明は津波の前の引き潮のようにすっと落ち、辺りは薄ぼんやりとした夜空の光だけに灯された。

 アキラは、今から何が起こるのか、悪寒と共に確信していた。


 このルシルは、“爆発する”。


「―――、っ、……?」


 死の淵のジゴエイルは語る。

 だが、また音が遠くなった。

 総ての感覚が遮断され、アキラの頭の中で何かが叫んでいた。


―――“情報”が、頭の中に溢れ出す。


 ルシルの爆発。

 その規模は、世界総てを滅ぼすほどである。

 ルシルはそのために召喚されたのだ。

 ジゴエイルにできず、ルシルが実現可能なのは、蓄えられる魔力の“限界値の超越”。


―――これを何故、自分は知っているのか。


 この最後の瞬間のために、ジゴエイルはルシルに力を注ぎ込み、そもそも余力はほとんど無かった。

 ゆえに“勇者”の一撃を誘っていた。

 一瞬でジゴエイルを討てる力は、ルシルという規格外の爆弾の“スイッチ”となる。


―――聞いた、からだ。他ならぬ、ジゴエイルから。


 今、目の前で、ジゴエイルが声を振り絞り語るその諸悪の根源に相応しい台詞を、ヒダマリ=アキラは知っていた。


―――“だからとっとと終わらせろ”。


 だが、一体どこで聞いたというのだろう。

 まるでRPGのテキストを適当に読み飛ばすように、魔王の最期の言葉を聞き流す。


 この物語の終点にあって、しかしアキラはそこに意識を向けられなかった。


 ジゴエイルの言葉通り、ルシルの爆発は世界総てを滅ぼすだろう。

 絶対的な世界の危機だ。


 だが、“どうでもいい”。

 ヒダマリ=アキラは、“それが何とかなることを知っている”。


 何故、自分は。

 それより遥かに大切なことを思い出せないのか―――


「―――フリオール!!」

「!」

「づっ、ディセル!!」


 立て続けにふたつ、マリスの声が響いた。

 ああそうだ。“そうなっている”。


 闇に呑まれた部屋が、銀一色に染め上げられる。

 幾度となく見てきたマリスの澄んだシルバーが、“ルシル総てを覆い尽くした”。


「―――ぐっ、ぅ、に、にーさん!! 自分は―――」


 マリスが何をしたのかも“知っている”。

 外部干渉を防ぐ魔法を重ねがけし、“ジゴエイルとルシルを切り離した”。

 マリスは今にも爆発しそうなルシルを制御下に置いて、爆発を遅延している。


 頭は割れるほど痛み、身体が締め付けられるような感覚がした。

 この絶対的な危機の中、自分が覚えているこの“何か”は、一体何か。

 “勇者の目覚め”などという、戯けたものではない。


 ヒダマリ=アキラは、何かを“確信”している。


「にーさん、早く!!」


 マリスが絞り出すように叫んだ。

 ルシルほどの規模の相手を魔法で覆っているのだ。彼女に他のことをする余裕はない。


 今アキラがすべきなのは、ルシルの“魔力を破壊”することだ。

 ルシルが蓄えた膨大な魔力の貯蔵庫を、アキラの具現化で消滅させればよい。

 今ならばまだ、ルシルの魔力は“爆発”に変換されていない。

 魔力とは、別に、爆発物ではないのだ。


 頭を蝕む“何か”を振り払い、アキラは銃を構えた。

 マリスが辛うじて指差している方向が、彼女が探り当てたルシルの魔力の貯蔵庫であろう。

 今すぐに、この引き金を引かなければならない。


「―――ぐっ!?」


 今まさに放とうとした途端、誰かに当て身をくらわされた。

 アキラはその衝撃に飛ばされ、仰向けに倒れた。


「ぐっ、づっ……!?」


 手から零れた銃はからからと転がっていく。

 痛みを堪えて目をこじ開けると、ジゴエイルがアキラを抑え込むように倒れ込んできていた。


「いっ、一瞬でプロミネンスを放つ日輪属性の勇者。……ルシル全体を覆い尽くすほどの月輪属性の魔術師。……想定外はそう何度も起こせん……!!」

「がっ、あっ!?」


 死の淵にいるはずのジゴエイルは、それでも流石に魔族というべきか、万力のような力でアキラを羽交い絞めにしてきていた。

 暗がりの眼前に見えるジゴエイルの貌は、狂気に満ちている。

 最初に見た理知的な表情とは対極にいるその貌に、アキラは背筋が凍り付いた。


「世界を、そして私自身すらも、総てを破壊する……!!」


 “破壊欲”。

 これが、百代目魔王ジゴエイルの本性。

 このままでは、ジゴエイルの単純な腕力に、アキラ自身が破壊される。


 “いや、そうならなかった”。

 ならば次に、何が起こったのか。


「―――!!」


 バンッ、と目の前で爆発が起こったと同時、アキラの身体は解放された。

 目を焼かれたのはスカーレットの閃光である。


「が、ほっ、」

「早く拾って!!」


 暗がりの向こう、見知った人影が良く知る声で怒鳴った。

 エリーがジゴエイルを殴り飛ばし、アキラとの間に入ってくれる。

 アキラは慌てて、落とした銃を探した。


「―――ぐぐっ!?」

「!?」


 銃の転がった方向に視線を走らせたアキラの耳に、ジゴエイルのうめき声が聞こえた。

 思わず身構えるも、直後、それがジゴエイルの断末魔であることに気づく。

 死の直前で踏み留まっていたにすぎないジゴエイルは、エリーの一撃でいよいよ限界を迎えた。


 淡い銀が満たす世界を、今度はジゴエイル自身から漏れるオレンジの光が塗り潰す。

 “魔族の戦闘不能”―――すなわち、戦闘不能の爆発。


 アキラはそれを、リイザス=ガーディランのときに実際に見ている。

 魔族の魔力が爆発物と化せば、ルシルの一角くらいは容易く吹き飛ばすだろう。


「っ、“止めろ”!!」


 銃を拾うことも忘れ、アキラはエリーに叫んだ。

 だがその叫びは、ジゴエイルに駆けていくエリーの背中に届かなかった。


 マリスがルシルに全力を注いでいる今、それが唯一の手なのだろう。

 彼女が狙っているのは、“相殺”だ。

 火曜属性の力で、魔族の爆発を強引に抑え込もうとしている。


―――止めろ!!


 今度は心の中で叫び声が響いた。

 頭が、身体中が、煮え滾るように叫び始める。


 “知っている”。

 “ヒダマリ=アキラは知っている”。


 エリサス=アーティの、自分たちを救う唯一の方法は、“成功してしまう”、と。


「―――、」


 スカーレットとオレンジの光が眼前で爆ぜた。

 鈍い音が轟き、爆風が暴れ回る。

 どれほどの威力だったのだろう。

 壁も天井も吹き飛び、大広間はすでに原型を留めていない。

 しかしそれでも、アキラは転げるだけで済んだ。


 ジゴエイルの最期は、この部屋の半分を消滅させた。

 本来アキラたちを襲うはずだったその爆発は、目の前で、“相殺”された。


「ね―――、」

「っ」


 ルシルのことなど頭の外に追い払われた。

 爆風の余波で身体中が悲鳴を上げるが、それでも構わずアキラは駆け出す。


 半分消し飛んだ部屋の境目で、仰向けに倒れた少女に向かって。


「おっ、おい!!」


 すぐさま跪き、身体を抱え起こす。

 魔王の爆風を眼前で受けたその身体はどこまでも熱く。


―――そして、冷えていった。


「お、い……」


 呼びかけても、エリーは目を閉じたまま反応しない。

 分厚いローブは焦げ切り、身体は焼け、爆風で切ったのか額や頬から血が流れている。


―――“分かってしまった”。


 エリーは目を開かない。

 いくら揺すっても、微塵にも動かない。

 その事実に、世界が暗転していく。

 身体中がガチガチに固まっていく。


 “これを、どうしても避けたかったのに”。


―――“分かってしまった”。


 間もなく終わる“刻”が来る、今。

 アキラの身体中から力が抜けていく。

 吹き抜けた天井から覗く、月明かりの中、転がった銃が視界に入った。


 ようやく思い出せた。

 あれは、“自分からの贈り物”だ。


―――“分かってしまった”。


「俺は―――繰り返したのか」


“―――*―――”


 魔王ジゴエイルは“恐怖”を覚える敵だった。


 斬りかかったアキラの攻撃を難なく回避し、不敵に笑う。

 しかしそれでいて、向こうからは攻撃をしてこない。

 マリスの魔術攻撃すら避け続け、やはり嗤い続けるのだ。


 ジゴエイルの深い色の瞳が、語り掛けてくるような気がした。


『お前の本気はそれではないだろう?』


 “魔王”が“勇者”の力を待つ戦い。

 その異質さに、アキラは確かに“恐怖”を覚えた。


 その上時間が無い。

 地獄のようなファクトルや、正体不明のルシルの中で、仲間と逸れてしまっているのだ。


 だからアキラは焦っていた。

 今すぐにでも倒して、仲間を探しに行かなければならない。

 それなのに、相手はまともに戦わず、こちらの攻撃を避け続ける。


 “それでは不十分だとでも言うように”。


 魔王が避け続けるだけの戦いは延々と続く。

 だがそれは、“それ”を聞いて、終わった。


 “逸れた仲間の全滅”。


 その瞬間、アキラの“世界が止まった”。


 怒りからか。焦りからか。

 それは分からない。


 だが確かにその瞬間、世界はアキラの“応え”を待った。

 そして、“定番通り”、勇者の危機に生まれた、魔道の集大成。

 アキラの遠距離攻撃を大きく助成する、最強の銃が現出した。


 そしてその一撃は、物語の終点までの道を一直線に引いてしまった。


―――**―――


「俺は―――“繰り返したのか”」


 吹き飛んだ部屋は、最早部屋とは呼べなかった。

 散乱した部屋の残骸の中、ファクトルの乾いた風が頬を撫でても、まるで感覚がなかった。


 腕の中の彼女は、すでに冷え切っていた。

 身体中が震える。

 縋るように抱きしめても、エリーは応えてくれなかった。


 涙さえ出ない。

 それらしく、泣き叫んで彼女を揺することすらできない。

 ただただ覚えるのは、薄暗い月下、身体中から何かが抜けていくような虚無感だけだった。


「―――そうっすよ」

「……」


 エリーを抱え、座り込んだままのアキラに、同じ顔をした少女が歩み寄ってきた。

 月を背にして立つマリスは、いつの間にか砂対策の厚着を脱ぎ、いつもの漆黒のローブだけを纏っている。

 彼女の銀の長髪が風になびくが、アキラにはその色彩すら分からなかった。


「自分も今、思い出したっす。……自分たちは―――」


 ルシルの爆発を抑え込んだまま、マリスは静かに呟く。

 その緊急時でも、アキラの身体はエリーを抱えたまま動かなかった。


「―――ああ。“二週目”だ」


 苦々しく、呟いた。

 ジゴエイルを倒した“刻”をもって、“当事者たる”自分たちの記憶は解放されたらしい。

 もうほとんどおぼろげな、遠い記憶。

 だが、確実に覚えていることがある。


 胸の中の、感じ取れないぬくもり。

 これだけは、忘れようもない。


 この物語は、まったくもってベタなものだ。

 勇者が旅をし、失うものがありながらも、魔王を討つ。


 本当に、“よくできた下らない話”だったのだ。


「……にーさん。今すぐルシルの魔力の元を撃ち抜いて、みんなを助けに行かないと」


 マリスの提案は、もっともだった。

 ジゴエイルの言葉が挑発かどうかは分からないが、少なくとも安全ではないだろう。

 世界の崩壊を防ぎ、他の4人を今すぐ助けに行くべきだ。


 そして自分は、今度こそ、魔王を倒した本物の“勇者様”となる。

 だが、“だからどうした”。


「……こいつがいない」


 腕に力を込め、顔を埋める。

 自分はようやく泣くことができているのかもしれない。

 未来に辿り着いても、そこにエリーはいないのだ。

 “それだけは避けたかったのに”。


 思い出した記憶は、今の想いと二重になり、重くのしかかる。

 自分は何をやっていた。

 この銃があれば総てを変えられる。

 総てを蹂躙し、簡単に未来に辿り着けたはずだった。


 それなのに、何が意地だ。


「にーさん、」

「―――マリス」


 アキラは顔も上げずに呟いた。


 あのときはマリスが言った。

 双子の姉を救うため、彼女が提案したことがある。


 この世で最も信頼する、彼女に問う。


「―――“逆行魔法”。使えるな?」


 “結果として不可能なことが無い”月輪属性の固有魔法。

 その存在をアキラは知っていた。

 自分たちが、この“刻”から遡ることができたそれは、“総てを巻き戻す”。


「使えるっす」


 さも当然のように応じ、マリスはちらりと眼下に視線を向けた。その先には、先ほど彼女が指さした、ルシルの魔力の貯蔵庫があるのだろう。

 彼女にできないことがあるとすれば、魔力が足りないだけである。

 しかし現在、ルシルの膨大な魔力を一時的に支配下に置いている彼女には、不可能など存在しない。

 “一週目”、自分たちは、ルシルの世界を滅するほどの異常な魔力の“半分”を使い、世界の姿を変えたのだ。


「少し戻せば、“蘇生”も出来るっすよ」

「……は。それじゃ駄目だ」


 マリスの声は乾いて聞こえた。

 それが意味することを知っているからだろう。


 時間を少し戻せば、エリーが命を落とした“今”が、“無かったこと”になる。

 だが、それはジゴエイルもだ。

 僅かに戻ったところで、結局この“刻”に引き込まれる。


 頭に浮かぶのは、目の前の光景は、運命は容易には変えられないという、なんとも陳腐で、既知で、当然で、残酷な事実だけだった。


 だから、自分たちは総てを戻した。

 中途半端に戻ったところでこの“刻”に引きずり込まれる流れは変えられないだろう。

 ならばいっそ、まっさらな状態で、最初から旅を始めれば、避けられるかもしれないと考えたのだ。


 “そうしてもなお”、何も変わらなかった。

 “一週目”も“二週目”も、同じ“刻”に辿り着いてしまった。


 “一週目”の今。神話の終局。

 “具現化”が最初からあれば未来を塗り替えられると思っていた。

 自分が到達できた最強の力があれば、こんな結末にはならないと思っていた。

 過去の自分はあまりに弱い。アキラは過去の自分を信じられなかった。

 だから考えるまでも無く総てを超えられる力を授けたというのに、結局は同じだった。


「……ルシルの魔力は、あと1回分。失敗したら、今度は3倍悲しむことになる。……だから、ぅ、でも、」


 マリスが口ごもって目を伏せた。

 努めて冷静そうにしてくれているのだろうが、彼女も記憶を取り戻し、アキラと同じように、“一週目”と“二週目”の感情が暴れているのだろう。

 何しろ双子の姉を失ったのだ。

 アキラよりもずっと辛い思いをしているだろう。


 だが、それでもマリスは口を強く結び、肩で息を整えた。


「最後の1回に、賭けるっすよ。……その“具現化”に、もう一度」

「―――それじゃ、駄目だ」


 これは、あまりに利己的な旅だった。


 誰にでも戻したい時間がある。

 誰にでも戻したくない時間がある。

 時に逆らうことは、そのすべてを否定するようなものだ。


 自分たちはそれを犯したのだ。

 仮定はどうあれ、魔王を討伐したことは、世界中の人々にとっては大きな希望になるだろう。

 ヘヴンズゲートで見た、数多のものを奪われ、祈りを捧げることしかできなかった人々にとってみれば、この事実は小さな犠牲に過ぎないだろう。


 だが、それを理解した上でなお、アキラは冷たく笑った。

 どこまでも最低な自分は、目の前にぶら下がった、自分だけの希望に、縋りつく。


「―――“記憶”を、持っていきたい」

「に、にーさん、それは、」

「分かってる」


 “一週目”の今。

 アキラの出した願いは、同じようにマリスに止められた。

 だがアキラは、それでもまっすぐにマリスを見上げ続けた。


「……記憶を有したままの逆行は大罪っす。ルシルの魔力が仮に全部あったとしても、それは、」

「…………」


 知っている言葉だ。

 だから自分たちは、苦肉の策で“具現化”のみを持っていった。

 もしかしたらあのときのアキラ自身、自分の手の中に現れた強大な力に惹かれていたというのもあったのかもしれない。

 だが、今証明された。証明してしまった。

 “具現化”を持っていっても、この“刻”は避けられない。


「“具現化”なんて要らない。持っていくのは、記憶だけだ」

「……」


 マリスは、目をさらに細めた。

 アキラの声色を聞いて、思わず可能性を探ってしまったことを後悔した。

 そして、やはり、後悔することになる。


 “記憶を有した逆行”。

 それに“似た”ことなら可能かもしれないが、まるまる過去に影響を及ぼすとなると、このルシルの膨大な魔力ですら対価が足りない。

 ならばどこから対価を調達すればよいか。


「全員だ。……全員救う。時間が戻るってんなら、魔王は絶対に倒す。それに必要なことだけできればいいんだ」


 マリスは、アキラの声に応じて、考えを進める自分が怖くなってきた。


 月輪属性は魔法を操る。

 魔法には、なんの原理も根拠も無い。魔法を必死に解析して落とし込んだ魔術とは次元が違う。

 それでも、“数千年にひとりの天才”と言われるマリスは、そんな魔法を、魔法のまま自分に落とし込んでいる。

 だが、そんな中でも、“逆行魔法”は、まさに、何ら遜色なく“魔法”だ。

 マリスですら全貌を把握していないほどのそれを自分に落とし込んでいくと、開けてはならない扉を開いてしまうような気がしてくる。

 そして、そんな魔法を同じく操ることのできる日輪属性のアキラと話していると、その扉がずっと近づいてくる。


 悪寒がした。

 マリスは、扉の前で、しかし冷静さを装って、言った。


「無理っす。……対価が無い」


 無理、という言葉を使うのは躊躇われた。

 アキラの顔をまともに見られない。

 今まで彼の願いに応じ続けてきたというのに、最も重要な今、応えられない。


 だが現実問題、今自分たちにできることは、ふたつしかなかった。

 勝率の低い逆行を再び行うか、エリーをこの場に残し、アキラとふたりで他の面々を助けにいくかだ。


 マリスとて、アキラの腕の中で息を引き取ったエリーに目を向けられない。

 こんな事実は、今すぐにでも“無かったこと”にしたいほどだ。

 だがマリス思考は、未だに“可能性”を探り続けていた。


「―――なら俺の、命をやるよ」

「―――、」


 初めて聞く声色に、マリスの背筋が冷えた。

 一瞬、彼が何を言っているか分からなかった。

 アキラを見返すと、彼は祈るような瞳を向けてきていた。


「“勇者”の命だ。……安くは無いだろ?」


 魔術や魔法の対価は、“魔力”、“時間”、そして“生命”だ。

 今エリーが倒れているのも、ジゴエイルの爆発を防ぐために、エリーにとって過剰な魔術を使った結果、“生命”にまで対価が及んだ結果だろう。


「“魔王”を倒す“刻”をもって、俺は、いなくなる」


 自暴自棄になっているとすぐに分かった。

 マリスの悪寒が、より一層強くなる。

 それは可能性を探り続けてしまった結果だと、分かってしまった。


「に、にーさん。……今は自暴自棄になってるだけっすよ。一時の感情に流されて、絶対後で後悔する」

「出来るのか、出来ないのか」

「……っ」


―――“出来てしまう”。


 “勇者の命”。

 それがどういう存在なのかはまるで分からない。

 だが、論理ではない“魔法”は、対価に値すると判定している。

 可能性を探り続けて、それが手を伸ばせば届く距離にあることに気づいてしまったマリスは、唇を強く噛んだ。


 逆行魔法は特例中の特例だ。

 他の魔術のように“生命”を分割して使うようなことなど出来ない。

 もしそれを実現させたら、ヒダマリ=アキラは、確実に命を落とす。


「駄目だろ……、やんなきゃ。……折角のチャンスをふいにして、……今、やらねぇと、駄目だろ……」


 悲痛な声だった。

 アキラは目をきつく閉じ、まるで先のことが考えられていないようだった。

 だが一目見るだけで、自分が何を言っても彼を落ち着かせることは出来ないとマリスは確信してしまった。


 短絡的な思考と言ってしまえばそれまでだろう。

 ヒダマリ=アキラという人間は、決して聖人でないことを知っている。


 運命を受け入れる心の強さを持っているわけでもない。

 自分を騙して、心を乾かせる賢さも持っていない。


 彼は、どこまでも、どこにでもいるような人間だ。

 皆が思い描く、神話の勇者のような存在ではない。

 人にまで縋り、自分の捨てられるものならすぐに捨て、願いをただただ欲する人間だ。


 だが、だからこそ、どこまでも“勇者”なのかもしれない。


「あ、後で“何とかなる”なんてことないんすよ……?」

「出来るのか……!?」


 止めるつもりで、しかしマリスは思わず口を滑らせてしまった。

 アキラは瞳を大きく見開き、マリスをまっすぐに見つめてくる。

 この旅で何度も見た、強い信頼を寄せてくれる彼の瞳が、呪いのように胸を貫いた気がした。


「で、でも、」

「マリス……!!」

「…………」


 意味が無い。

 彼の言うように、この不可能を飛び越えて、仮に未来に到達しても―――“自分にとって、それでは意味が無いではないか”。

 マリスは叫び出しそうな言葉を強引に呑み込んで、精一杯アキラの瞳を見返してみる。

 彼の瞳の奥に、一縷の望みを見つけたという光を見つけて、やはり、後悔した。

 再び、彼に不可能だと告げることが出来なくなった。


 取り乱せない。

 自分は、彼に応じて不可能を可能にする“マリサス=アーティ”なのだから。


「―――、」


 アキラは、色褪せた世界が銀に染まっていくのを見た。

 この旅で、幾度となく自分を救った色だ。


 マリスの手のひらから強い光が漏れる。

 しかしそれは放出されず、確かな何かを形作っていく。


 身の丈ほどの白銀の棒。先端には、天使のような純白の羽が広がっている。

 先端には三日月のような形状の深い銀の鎌。

 それは、世界唯一、彼女の力に耐え得る杖だった。


「―――レゴルトランド」


 マリサス=アーティの“具現化”が現出した。

 その特徴は、“魔力増幅”。

 ルシルの膨大な魔力でさえ、逆行魔法の対価には及ばない。

 だが、規格外の増幅力を誇るその杖が操れば、不可能など無い。


 そしてその現出は、彼女の応えを表してくれていた。


「マリス……!!」

「ずるいっすよ」


 マリスは顔を伏せて杖を振るった。

 ルシルの“どこか”から、何かが急速に杖に集まっていくような気がした。

 先端の鎌はあっという間に満月を形作り、そしてなおも輝きを増し続ける。


「―――な人に、こんなこと」


 アキラには、マリスの呟きは聞こえなかった。

 煌々と光る杖の向こう、彼女は、いつも通りの表情を作って、アキラをまっすぐ見返してきた。


「……自分ももう、“わがまま”なことはしないっす」

「……?」


 彼女の声が遠く聞こえ―――そして、“唄”が始まった。


「―――、」


 いつもマリスが口ずさんできた唄。

 溶け入るようなそれは、心地よく、まるで夢の世界に誘われたような錯覚を起こす。


 アキラはずっと、その唄を聞いてきた。


 “いつこうなってしまったのだろう”。


 そんなときに、歌う唄だと彼女は言った。


「―――、」


 アキラは、その夢の中で、身体中に何かが纏わりつくような感触がした。

 前回の“逆行”ではなかった感覚だ。

 これが“対価”の影響なのだろう。


「―――、」


 アキラは腕の中をちらりと見た。


 “いつこうなってしまったのだろう”。

 自分はこんな人間だったのだろうか。

 見栄っ張りで、臆病で、世界のことよりも自分を優先するような人間だったはずなのに、あっさりと自分を投げ出すようなことを言う人間だったのだろうか。


 それはもう分からない。

 それを考えようとすると、逆行魔法の影響か、頭の中が熱に浮かされたように思考が上手く働かない。

 だが、今だけなのかもしれないが、不思議とそれでいいのだと心が告げていた。


「―--、」


 自分は、自分のためだけに、世界を変える。そんな人間だ。

 褒められることでは決してない。

 どこまでも利己的で、どこまでも醜い。


 今から始まるのは、そんな醜い自分の、想いだけの物語になるだろう―――


「―――、」


 腕に力を込めた。

 今度こそ、助ける。


 全部だ。世界も、物語も。


 全員だ。

 マリスも、サクも、エレナも、ティアも、イオリも。


 そして、エリーを。


 そのためだったら、こんな命惜しくは無い。

 それが、好き勝手に行動し、物語を崩壊させた自分が出来る、精一杯の“落とし前”だ。


 なんのことは無い。

 あれだけ恐れていた“バグ”の作り手は、ヒダマリ=アキラだったのだ。

 だから“力”はここに置いていこう。


 きっとそれで、世界はキラキラと輝く。


「―――、」


 不安が無いなどと嘘は吐けない。

 のしかかるのは、背負わなければならないのは、世界を救うという重圧。


 自分の好きなように世界を変えるのだ。

 それだけに、誰もが救われなければならない。


「―――、」


 視界が歪む。

 身体が浮き沈みする。

 ぼんやりと浮かび始めていた頭のもやが、さらに深くなっていく。


 いよいよ逆行魔法が完成する。

 つぎはぎだらけのこの世界を離れ、自分は今から“そこ”へ行く。


 自分が、この世界に最初に訪れた場所へ。


「―――」


 マリスの唄が終わった。

 彼女の“具現化”が銀の放つ光が、視界のすべてを埋め尽くした。


 唯一感じられるのは、腕の中の冷えていく温もりだけになった。

 それすらも、すぐに“無かったことになる”。


 “いつこうなってしまったのだろう”。


 もう何も見えない。

 それでもアキラは、視線を腕の中に落とした。


「……、」


 ああ、そうか。やっと分かった。


 この世界に落とされて、あの塔の下で出逢った、ひとりの女の子。

 風邪なんか、関係なかった。

 きっと、多分。


 “俺はお前に恋している”。


 それだけだ。

 だからお前に逢いにいこう。


「……、」


 “一週目”は、力も何もなかった。

 “二週目”は、力だけあった。


 それでは届かない。

 最も大切なものが無かったのだから。


 力は要らない。

 連れていくのは、この―――


―――想いだけ。


「いくっすよ!! にーさん!!」

「ああ!! 頼むマリス!!」


 銀の世界で響いたマリスの声に、強く応える。

 目の前の光すら霞み、暗転していく。


 さあ、行こう。

 世界を変える旅路へ。


 “三週目”の世界へ―――


―――**―――


―――** ―――


―――***―――


 プロローグ・完。


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