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第11話『踊る、世界(後編)』

―――**―――


 ベックベルン山脈の麓にあるガリオールの地。

 現在その場所は、四方を囲うように旅の魔術師たちで守られていた。

 そして夜明けと共に、サルドゥの民たちによって打倒魔王を願うバオールの儀式が執り行われる。


 こうした儀式は、この世界にはいくつも溢れていた。

 魔王の被害を受けた者たちが縋るように執り行うそれは、単なる催しであったとしても慰めとして機能する。


 そもそも儀式の大部分は、客観的に言ってしまえば、大衆にとって、こうすると縁起がいいとか、これをしないと良くないことが起こるとか、そうした漠然としたもので、精々参加者たちの意識を変えるものに過ぎない。


 だが、そんな慰めのような数多の儀式の中にも、“本物”は存在する。

 研究の進む魔術と異なり、何の裏付けもない奇怪な儀式であっても、特定の時刻に、特定の場所で、特定の手順で執り行うことで、この世界に確かな“結果”を生み出す。


 そして。

 このバオールの儀式は、現存するサルドゥの民すらも理解し切れて無い、“本物”だった。

 そしてその効果は、打倒魔王に通じる、“魔王の力の減退”である。


 それが、“ルール”。


 “それはまずい”。

 今年は、“当たり年”なのだ。万全な状態にしなければならない。


 特に今は―――勇者がこの場で、“刻”を刻んでいるのだから。


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


「あいつが何を考えてんのか分かんねぇ……。……なんだよ?」


 ガリオールの地の南部。

 仲間と共に見張りを務めるこの場所で、アキラはメラメラと燃える焚火をぼんやりと眺めていた。

 空には元の世界では見たことも無いほどの満点の星々が輝いているが、いい加減に見飽きたし、そもそも今、そんな気分ではない。

 焚火の向こう、アキラの気分とは違い、イオリが何が面白いのか苦笑していてはなおさらだった。


「いや、同じことを言っているって思ってね」

「?」

「エリサスも言っていたよ。君が何を考えているのか分からないって」

「あいつに限らず色んな奴に言われるんだけど」

「…………今日に限って、だよ」


 アキラは面白くなくなって、焚火に集めてきた枯れ木を投げ入れた。

 この場の護衛をしていたもうひとり、エリサス=アーティは、ラースという男と共に夜の樹海へ消えていった。

 あれからどれくらい経つだろう。一向に彼女のスカーレットの光源は樹海の中から現れなかった。


「こっちの台詞だ」


 アキラは正面のイオリにも聞き取れないほどの声を、焚火の音に紛らわせて吐き出した。


 きっと今日の自分は、いつも通りだったはずだ。


 いつも通り、朝の鍛錬に参加して。

 いつも通り、依頼を請け。

 いつも通り、出逢いがあった。


 今回の出逢いは、“自分以外の勇者様”とだ。

 リリル=サース=ロングトン。

 小柄な彼女は、たったひとりで打倒魔王を目指し、旅を続けているという。


 そんな彼女に興味を持ち、ここまでの道中、アキラは馬車に乗る彼女の元を訪れた。

 サルドゥの族長から延々と長い話を聞かされはしたものの、リリルと話せて、僅かながらでも彼女のことを知ることができた。


 だがふと思い起こすと、妙な物寂しさをアキラは感じた。

 きっとあのとき、自分は内心、馬車でサボるなだのと、エリーが怒鳴り込んでくるものと思っていたのだろう。


 エリーがいる場で女性と会話が最後まで成立するというのは、もしかしたら今までの旅の中で無かったかもしれない。

 そしてそうなら、アキラにとっては好都合でしかないはずだ。

 それなのに、妙に面白くないのは何故だろうか。


「……そういやさ」

「なに?」

「さっきの人、誰だ?」

「……エリサスに言われてただろう。見てなきゃ分からない、って」


 イオリがまともに答えるつもりが無いことがすぐに分かった。

 だが、あえて反論するならば、アキラは、見ていたのだ。


 あの男は、港町でも見かけた覚えがある。

 ここまでの道中、まだアキラが馬車に乗る前に、イオリと会話しながらも、エリーの様子は伺っていた。

 普段アキラにあれだけ騒ぎ立てているエリーが、借りてきた猫のように大人しく、しかし楽しげに、あのラースという男と話している姿は妙に印象に残っている。

 先ほども、あの男が現れるや否や飛び出すように去っていったところを見ると、エリーは、彼をそれなりに信用しているような気がした。

 どうにもアキラには、エリーの行動の方がいつも通りでは無いように思えるのだ。


「複雑なんだよ。女性の心っていうのは」

「……語るなぁ」

「っ、アキラ。確かに君はいつも通りだね……」


 アキラは軽口を叩いた。だが、自分の言葉がいつも以上に軽いことに気づいた。

 アキラは目を伏せる。

 違う。もう少し、当たり前に、自然に出てきたような言葉を吐き出さなければならない。


「…………違う、だろ」

「?」


 今度の呟きはイオリに届いてしまったらしい。

 アキラは首を振って誤魔化すと、ぐいと胸を抑えた。


 “それこそ違う”。

 自分は、きっと能天気で、軽薄で、調子に乗りやすい、そういう人間だ。

 そこに作為的なものは無い。

 好きなものに近づいて、嫌いなものから遠ざかったのが、今アキラが立っている場所のはずなのだ。

 だから当然、“自分のキャラクターを守る必要なんて無いはずなのだ”。


「……なあ、イオリ」

「何かな?」


 不安に震えた声が、それこそ自然にアキラの口から出てきた。

 イオリは、その声色だけで内容が分かっているように、表情を崩さずにアキラの言葉を待っていた。


「お前の予知だと……。……、いや、悪い。いいや」

「……」


 どうしようもなく深い闇に捕らわれそうな気がして、アキラはすぐに逃げ出した。


 ホンジョウ=イオリは、未来を視たという。

 そこには勿論彼女も、そしてヒダマリ=アキラもいたのだそうだ。

 そしてそれは、彼女が言うに、世界のあるべき姿らしい。

 またアキラも、イオリの話を聞いて、今自分がいる世界の歪みを感じてしまい、彼女の説を、言うなれば肯定的に考えていた。


 だから、気になることがある。

 大分未来が変わってしまっているようだが、少なくとも。


 その予知の中のヒダマリ=アキラは、どういうキャラクターだったのか。


「……気にしないでいいよ、そんなこと」


 イオリがふいに呟いた。


「いや。僕に訊こうとしたじゃないか。予知で、アキラがどういう人間だったのか」

「え。なにお前。エスパー? すげぇな」

「……エリサスには悪いけど、君は分かりやすい方だと思うよ。すごくね」


 イオリが呆れたように毒づいて、焚火に枯れ木を投げ入れた。


「僕も似たような悩みはあったからね。自分がどういうキャラクターで、どういう立ち位置にいて、人にはどういう接し方をする人間なのか。その模範解答を、予知で視たんだから」

「……」


 想像することすら失礼なのかもしれない。

 だがアキラは、イオリがすでに経験したそれが、先ほど自分がすぐに逃げ出した闇そのものであるような気がした。


 自分という人間がどういう人間か、あらかじめ定められている。

 それはもしかしたら人によっては楽なことなのかもしれない。だが、アキラはそれに、恐怖を覚えた。


「そこまで気にしなくてもいいよ。流石に慣れた」


 アキラは自分がどんな表情を浮かべていたのか分からなかったが、イオリの表情は乾いて見えた。それは想像でしか分からないアキラと違い、重くも、そして軽くも捉えていない当事者しか浮かべられない表情のような気がした。


「まあ、自分はともかく、他者への接し方は難しいけどね。現に打ち解けられていない。どうやら僕は器用じゃないみたいだから」

「……魔導士にまでなった奴が何か言ってる」

「はは。そっちはなんとかなったけどね。まあ、僕の場合は、“バグ”を作ってまで突き進んでいただけだし」


 イオリの表情は変わらなかった。

 アキラは、その先にきっとあるはずのイオリの感情を感じ取ることは出来ないだろうと思った。

 そしてそれは、イオリに対しては、そしてもしかしたら、エリーに対しても、同じなのかもしれない。

 立つ場所も分からず、落ち着かず、ふらふらとした足取りで、自分のこともおぼつかないアキラには、誰かのことを分かろうとするのはあまりに難しいことなのかもしれない。


「まあ、そのうち分かってくるものだよ。自分の立ち位置ってものは」

「語るなぁ」

「……」


 イオリが呆れたようにため息を吐いたところで、アキラは星空を見上げた。

 輝く星々の光は数百年前のものだそうで、その頃から光は移動し続けているという。


 アキラにはまるで、自分の立ち位置が見つかる気がしなかった。


―――**―――


「そういえば、他にも4人いるんだっけ? クラストラスに?」

「はい。急にこんなことになっちゃって……。大丈夫だとは思うんですけど」

「災難だったね」


 エリーは同行するラースの同情的な瞳を受け、苦笑することしかできなかった。

 それぞれ少ない光源をかざして暗い森林を見回っているのだが、苦も無く歩くラースと違い、時折足を取られそうになるエリーは、歩幅を合わせてくれるラースに気まずいものを感じていた。

 居辛くなってラースについてきたのだが、足手まといになっているのでは笑えない。


 現在はアキラたちがいた南部から反時計回りに四方の護衛地点をめぐり、たった今折り返しの北部を超えたところである。

 見回りは至って順調であった。


 だがそのせいで、エリーは先ほど以上の居辛さを覚えていた。

 護衛地点に到着すると、泊りだと知らなかった魔術師たちにラースが労いの言葉と共に食料を配り、エリーはそれを遠巻きに眺めているだけである。

 魔物でも出れば役に立てるのであろうが、幸いにも遭遇せず、ほとんど何もできていないエリーは、むしろラースの進行速度を落としてしまっているだけだった。

 彼とていち旅の魔術師に過ぎないはずだ。昼から働きずくめで、さっさと休憩したいであろう。

 だが、ちらりとラースを盗み見ると、彼からはまるで疲労を感じなかった。

 馬車で休み続けていたあの男とはやはり雲泥の差である。


「……ラースさんって、水曜属性ですよね?」

「ん? ああ。よく覚えていたね」


 エリーは話題を振った。

 黙っていた方がラースも疲れないかもしれないが、彼はそういう心得もあるようでエリーが沈黙していると話を振ってくれるのだ。せめてそうした気は回さずに済むようにすることしかエリーにはできなかった。


「治癒も使えるし、ひとり旅には便利な属性だね。本当は、……月輪属性がベストなんだろうけど」

「! げ、月輪、ラースさん、月輪属性のこと詳しいんですか?」


 何の気なしの話のつもりだったが、ラースの言葉はエリーに関心を強く引いた。

 一般常識としても、そしてエリーが受けた魔術師試験でも、魔力の属性は基本的に5属性を前提としたものである。

 例外過ぎる妹のマリスと育ったエリーですら、月輪属性についてはほとんど知らない。

 “魔法”を操るらしいが、そもそも魔法についてはほとんど分からないのだ。

 何となくのイメージはあるが、少なくともエリーには具体的な言葉にすることは出来なかった。


「…………。まあ、長いこと旅をしているとね、色々と耳に入ってくるさ」

「お話、聞かせてもらえますか?」


 マリスすら多く語らない。そしてマリス以外では語ることもできない。

 博学多彩そうなラースにエリーは一歩距離を詰めた。


「“不可能なことは無い”」


 定義とするには曖昧な言葉を、しかしラースは断言した。

 エリーよりいくつか年上なだけのはずのラースの横顔は、それよりもずっと大人びて見えた。

 木々の隙間を縫う風が、エリーの背筋を撫でたような気がした。


「月輪属性の者に不可能なことがあるとすれば、魔力不足なだけ。……凄い属性だね」

「は、はあ……」


 その言葉自体は、マリスも言っていた。

 そしてエリーにとって、初めてマリス以外で出会った月輪属性を知る者も同じことを言ったのだ。

 魔力さえあれば不可能なことは無い、と。

 有識者が口を揃えてそういうとなると、エリーの想像できる領域を超えた力を持つ属性のような気さえしてくる。


 例えば、マリスは病気を治せないと言っていた。

 しかしそれは、月輪属性だからではなく、魔力不足だから不可能だということになる。


 そう考えると、エリーの背筋がより一層冷えた。

 現時点ですら膨大な魔力を有するマリサス=アーティが、もし今以上の魔力を手にしたら、果たして何が起こるのか。

 エリーの理外のその先で、進み続けるあの妹は、果たしてどうなってしまうのか。


「じゃ、……じゃあ」


 自分の妹に背筋を冷やされるのは慣れている。

 エリーは黒い思考を追い払って再びラースを流し見た。

 変わらずずっと大人びて見えるラースに、エリーは吸い込まれるようにもうひとつの例外を口にした。


「に、“日輪属性”のことって……。ラースさんは何か知っていますか?」


 ほんの少しラースの空気が変わった気がした。

 だがそれ以上に、エリーは自分の表情が曇ったのを感じた。

 先ほどの嫌な気分が蘇る。だが、あの男がこの世界に来てから、魔術の手ほどきをし続けてきたのはエリーである。


 ここはぐっと飲み込んで、情報収集に努めるべきであろう。


「……“不可能なことは無い”」

「?」


 一瞬、エリーは、ラースが言葉を聞き逃したのかと思った。

 しかしラースの瞳に迷いは無く、まさしく断言しただけだった。


「え、ええと」

「日輪属性と月輪属性は非常に似ている。だけど、日輪属性の者は月輪属性の者と違い、“特化”することが出来る」

「……と、特化……?」

「ああ」


 エリーが旅のいたるところで探し続けても見つからなかった日輪属性の情報を、ラースは確たる口調で語る。


「月輪属性に不可能なことは無い。しかしそれは、出来ないことが無いだけで、到達できない領域が無いわけではないんだ。……例えば君の火曜属性も、“特化”しているだろう」

「?」

「火曜属性は、他の属性に比して、破壊力に特化している属性だ。もし月輪属性がそれを真似しようとすれば、幾重にも強化の魔法を操る必要がある」

「…………つ、つまり」

「月輪属性は、“結果として不可能なことが無い”、属性なんだよ」


 エリーは頭の中を整理した。

 “結果として不可能が無い”。その意味は、他の属性が有する特徴を再現することは可能だが、効率的ではない、ということだろうか。


 エリーが学んだ5属性にはそれぞれ特徴がある。


 火曜属性は破壊力を有する。

 水曜属性は魔力の制御を得意とする。

 木曜属性は身体能力の向上を司る。

 金曜属性は物理的な耐久力に優れている。

 土曜属性は魔術的な影響を受けにくい。


 各属性はそれを活かした魔術を編み出し、それを操るのだ。


 そして月輪属性はそのすべてを操れる。

 だが、それを再現するためには、他の属性の者よりも、魔力をはじめとする多くの対価が必要となるのだろう。


「もし、魔力の量さえ補える月輪属性の者がいれば、器用貧乏どころか最強に近いだろうね」


 だからこそ、マリサス=アーティという少女は次元の異なる存在なのだろう。

 無限の手段と無尽蔵の魔力を有するマリスは、まさしく最強を名乗るに相応しい。


「だが、“近いだけだ”」


 しかしラースは、冷たさすら感じる声で、エリーの思考を妨げた。


「頂上決戦なら、どう足掻いても月輪属性は頂点になり得ない」

「……“特化”、ですか……?」

「そう」


 思い至った言葉を漏らすと、ラースは出来のいい生徒を褒めるような笑みを浮かべた。


「確かに、月輪属性固有の魔法もある。だけど、日輪属性の選択肢はそれこそ無限だ。“模倣ではなくそのもの”を操れる。月輪属性が到達できる限界点。そこからさらに歩き出せるのだから」

「……」


 そういう話をしていると、エリーは唯一知っている日輪属性の人間であるヒダマリ=アキラを思い起こす。

 ラースの話は妙に信憑性があるような気もするが、どうしてもあのアキラが治癒魔術や射出魔術を巧みに操り、果ては空まで飛ぶような姿を想像出来ないのだ。

 せいぜいしっくりくるのは、エリーと同じように、敵への攻撃時に魔力を流し破壊力を増す光景だった。


「……!」


 そこで、エリーは自分の拳を見た。

 ヒダマリ=アキラは、自分と同じように攻撃することができる―――“いや”。“自分と同じような攻撃しかできない”が正しい。


 “特化”が、始まっている。


「……もし」

「?」


 エリーは聞くべきではないと思った。

 嫌な気配を背筋に感じる。だが、目の前にも黒い闇が生じている。

 進むべきではない。だが、止まらなかった。


「もし。何も知らない日輪属性の魔術師がいて、そいつを育てることになったら……、ラースさんならどうしますか?」

「……他の属性の熟練者が、全員いる場合で?」

「はい」


 聡明なラースはすぐに意図を察し、僅かばかり目を閉じた。

 だがエリーは、彼の返答より早く、直感的に答えを見つけていた。


「まず、勘所の近い月輪属性の者に師事させるだろうね。それだけで飛躍的に力を増すし、いきなり“特化”させるのは日輪属性を活かせない」


―――**―――


「……!」

「仕事の時間みたいだね」


 アキラは転がしていた剣を拾い即座に立ち上がった。

 唸り声のような聲と共にじりじりと近づいてくる大きな影は、明らかにエリーが戻ってきたものではない。

 アキラにとっては初めてのヨーテンガースの魔物が出現した。


「よし。やるか……!」

「アキラ。一応言っておくけど、」

「“ヨーテンガースの洗礼”だっけ? 大丈夫大丈夫」


 ヨーテンガースは他の大陸と同じ基準で交戦したら命取り。イオリから再三注意を受けたことをアキラはもちろん覚えている。

 だが、この大陸に来てようやくの戦闘だ。エリーにはサボっているように捉えられていたようだが、馬車の中で座り込んでいたせいで、アキラは身体が軽くなるのを感じた。


 そして、ずんと気が重くなった。


「…………クンガコング、だっけ?」

「いや……。ガンガコング、だね。ほら、角が生えている」

「当然のように言われても」


 木々の闇から薄っすらと姿を現したのは、アイルークで見た魔物の同種のようだった。

 流々とした筋肉が緑の体毛で覆われた、ゴリラのような姿。全長も2メートルほどの巨体で、イオリの言う通り、醜い顔の額に2本の突起物が生えている。


「でも、強い魔物だよ。モルオールでは1体も見たことが無い」

「た……、たくさん見れて良かったじゃないか……」


 また1体。また1体と、奥の闇から巨体が姿を現してくる。

 屈強な魔物なのに、アイルークで見た同種と同じく群れる習性があるのだろう。

 ざっと見ただけでふた桁はいそうなガンガゴングとやらは、じりじりと距離を詰めてきて、アキラの遠近感も正気も狂わせてきた。


「……なんでいきなりこうなる」

「まずいね。この数だと……。テントを張ったのが、無駄になるかもね」


 イオリが鋭くガンガコングへ駆け出した。

 アキラは天を呪うのを後回しにして即座にイオリに続く。

 相手が集団となれば、背中を合わせるように戦うのがベストであろう。


「ゴォォォオオオッ!!」

「―――、」


 こちらの突撃に対し、ガンガコングが雄叫びを上げて迎え撃とうとしたその刹那、アキラは鋭く走ったグレーの閃光を見逃さなかった。

 しかし、イオリが放ったその投げナイフは、反射的に身を引いたガンガコングを捉え切れず、ほんの僅かに腕を掠めたに過ぎない。


 “だが、それで事足りた”。


「グォォォオオオッーーーッ!?」


 雄叫びよりも激しい悲鳴が上がった。イオリの攻撃がかすめた付近からグレーの魔力が稲妻のように迸り、ガンガコングはその巨体を痙攣するように震わせる。

 ホンジョウ=イオリの有する土曜属性は、魔術の影響を受けにくい特徴がある。だがそれを攻撃に使えば、魔術的な防御を許さず深刻な被害を敵に与えるらしい。


「らっあ!!」


 こちらも負けてはいられない。

 アキラは同種の叫びに怯んだ別のガンガコングに即座に詰め寄った。

 力いっぱい剣を振るい、攻撃の瞬間に魔力を強く籠める。

 それなりの数の魔物を葬ってきた攻撃は、樹海の闇を日輪で照らした。

 だが、アキラの手に残ったのは、剣で魔物を斬り裂いた感触ではなく、鈍器で岩でも殴り付けたような衝撃だった。


「づっ!? 硬ってぇ!?」


 辛うじて弾き飛ばすことは出来たが、アキラの一撃をガンガコングは防ぎ切った。

 痛手を負わせることは出来ただろうが、剣として、鎧のような筋肉を切り裂くことは出来ていない。

 手の痺れを庇う間も惜しんでアキラはガンガコングを追撃する。

 再び鈍い衝撃と共に弾き飛ばすと、ようやく最初のガンガコングは戦闘不能となった。


「アキラ!! 深追いしないで背後を守ってくれ!!」


 いつしかイオリと距離が開いてしまっていた。

 イオリの周囲のガンガゴングは、グレーの光に纏わりつかれ、順次倒れて戦闘不能となっていく。

 アキラが言われた通りにイオリの背後に戻ると、数体ほどのガンガゴングが戦闘不能になり、爆風でテントをひとつばかり吹き飛ばした。


 イオリの戦いを間近で見たことはほとんどない。

 ガンガコングは木曜属性の魔物のようだ。土曜属性のイオリにとっては相性の悪い相手だろう。

 だが、アキラが1体相手にするのもやっとの魔物を、イオリは群れを相手にしながら的確に立ち回っている。


「らぁあっ!!」


 痺れた手ごと強引に剣を握り潰し、アキラは接近を試みていたガンガコングに一撃を放った。再び衝撃が腕を襲い、感覚が手から消える。

 だがそれほど強く放った攻撃でも、ガンガコングを落とし切れない。


 攻撃方法が決定的にまずい。

 アキラは腕の感覚を確かめながら、眼前のガンガコングを睨んだ。

 力が上の相手に対して強引な攻撃をしても、こちらの方が消耗するだけだ。

 今までの旅ではそこらの魔物など、ほとんど一撃で撃破か瀕死に追い込めていたのだから、アキラの攻撃にはそれなりの破壊力がある攻撃のはずだ。だが、これが“ヨーテンガースの洗礼”とやらなのか、ガンガコングは即座に倒し切れない。

 そして即座に倒し切れないとなると、防御や回避などの立ち回りを要求され、アキラには無い経験や戦場での判断力が要求される。相手が群れとなればなおさらだろう。単純に耐久力のある相手は、アキラにとっては相性の悪い相手と言える。


 アキラは活路を探してイオリを盗み見た。

 もっと根本的な相性不利があるはずの彼女は、一体どうやってガンガコングを撃破しているのか。


「!?」


 アキラが一瞬だけ逸らした意識の間、その死角から、ガンガコングが特攻してきた。

 反応が遅れ、アキラは思わず地面に飛び込むように回避する。

 だが、即座にそれが誤りだったと気づいた。


 飛び込んできたガンガコングは、最初からアキラを見てはいなかった。

 多少の威力があるとはいえ、ある意味ガンガコングの得意分野で戦っていたアキラなどより、危険な魔術を放ち続ける強敵を撃破せんと突撃していく。


「―――イオリ!!」


 アキラの叫びで、背後の護衛がいなくなっていることにイオリが気づいた。

 身を翻して突撃をかわすと、イオリは倒れかけた体勢でナイフを放つ。

 ごろりと地を転がり、イオリが立ち上がる向こうで、グレーの光に纏わりつかれたガンガコングが悶え苦しみ始めていた。


「アキラ、後ろに……―――!?」


 アキラを咎めようとでもしたのか、呆れた表情で口を開いたイオリの顔が強張った。

 振り返ると倒れ込んでいるアキラからは見上げても見上げても捉え切れないほどの巨体が、発達し切った丸太のような野太い腕を振り上げている。

 こんな戦場で、いつまでも倒れ込んでいるような存在が、見逃されるはずが無かった。


「―――、」


 分かりやすい死が目の前にあるのに、アキラは妙に落ち着いていた。

 アキラにはそのすべてが、スローモーションのように見えていた。


 こんな感覚は幾度もある。

 絶対的な窮地の中にあるのに、まるで世界が自分の応えを待っているような感覚。


 例えば、あの巨大マーチュが強大な魔術を放とうとした瞬間。

 例えば、アキラが初めて魔物を倒した瞬間。


 あるいはこれは、日輪属性のスキルなのかもしれない。

 時間を超越した“刻”を刻むための、ヒダマリ=アキラだけの瞬間。


「―――、」


 今必要なものは何か。


 具現化。

 それも正解だろう。一瞬で総てを滅するあの力は、この必死の状況でも突破して見せるだろう。


 だが、他にも選択肢はある。

 例えば、そう。

 イオリのように、相手の防御を掻い潜る攻撃方法。


「ふ―――っ」

「グ―――」


 アキラは素早く剣を振った。

 今までのように直撃させるのではなく、ガンガコングのひざ元を掠めるように振り切る。


 問題なのは、魔力の使い方だ。

 衝撃を与えるときに注ぎ込むのではなく、触れた相手に、その魔力を残すようなイメージ。


「―――ガァッ!?」


 アキラが切り付けたガンガコングが呻いて身を引いた。そしてその巨体で大地を揺らして倒れ込む。

 立っていることが出来なくなったのだろう。

 鎧のような筋肉にすれば擦り傷にもならないその部位からは、未だバチバチとオレンジの光が漏れていた。


「クウェイル!!」


 イオリが倒れたガンガコングに詰め寄って、一対の短剣を突き刺した。

 グレーの光がガンガコングになだれ込み、悲鳴も上げられずにガンガコングは絶命する。

 アキラの中で、より、そういう魔力の使い方のイメージが湧いた。


「アキラ、無事か……!?」

「……あ、ああ。……は、ははっ」


 アキラは立ち上がりながら、身体の震えを抑え付けた。

 恐怖はとっくにどこかへ飛んでいってしまった。それ以上に、今自分が出来たことへの震えが止まらない。


 単純な威力は、今までの攻撃方法の足元にも及ばないだろう。

 だが、微々たる魔力で敵の動きを止められるこの攻撃方法は、アキラにとっては大きな価値がある。力押しが通じない相手ともなればなおさらだった。


 日輪属性とはここまで応用が利くものなのか。

 思えばアキラは、今までもこうして魔術を習得していた。


 火曜属性のような攻撃も、エリーを見て覚えたものだ。

 もしかしたらあの銃の反動を抑え込んだときも、エレナを見ていたから、木曜属性のような身体能力強化を真似られたのかもしれない。


 そして今は、イオリを見て、新たな攻撃を放つことが出来たのだ。

 かつてより多少は魔力も高まり、魔術というものに慣れてきたのだろう。今までよりも、人の魔術を理解するのが早くなってきている。


 このまま魔力も経験も増えていけば、ヒダマリ=アキラに、出来ないことは、


「……あ。あった」


 今日何度目か。胸の高まりが急速に萎んでいった。

 ガンガコングたちも動きを止める。

 天を仰ぐアキラは、その信じがたい光景を悟ったような目で眺めた。


 闇が支配する森林の上、満天の星空の元、突然巨竜が姿を現した。

 スカイブルーの鱗に覆われたそれは、竜種であろうにもかかわらず、鋭い爪も牙も持っていない。

 注視すれば温厚な顔立ちにも見えなくはない。

 だがアキラにとっては、巨大な害悪がこの世を滅ぼさんと現れたようにしか思えなかった。


「世界、終わったな……」

「……アキラ。いつもながらに諦めるのが早いね」


 イオリはガンガコングに注意を払いながら、指で輪を作った。

 アキラは縋るような思いでその仕草を目で追う。

 巨獣には巨獣。

 イオリが指を口に加え、小さく息を吸い、今まさに頭上の巨大生物に匹敵する召喚獣を現出させようとするとした、そのとき。


「ラッ―――、!?」


 上空から、小さな人影が飛び降りてきた。

 ガンガンコングが密集するこの地上に、何の抵抗も無く、流星のように降ってきたそれは、しかしふわりと着地する。


「……私さぁ。こいつら見飽き……、あれ? あんたら角、生えてたっけ?」


 ガンガコングなどよりも危険な存在の出現に、すべての魔物の命運は決定付けられた。

 そして。


「―――、」


 エリサス=アーティは、その光景を遠くから眺めていた。


―――**―――


「もう。泊ってくるなら言ってよね?」

「……」


 迫ってくるその両手を、アキラは思わず避けた。

 不満げに頬を膨らませるエレナは、その両手を大きな胸元で小さく握る。


「酷いなぁ」

「……あ、ああ、ごめん」


 アキラは自分の声に感情が籠っていないことを自覚した。

 つい先ほど、屈強なガンガコングを十数体も殴り殺したその腕に近づきたいとは思えない。


「まあ。それより」


 そんなアキラの心情はエレナにも伝わったようで、あっさりと甘い声を捨て、彼女は巨大な馬車に視線を走らせる。

 東西南北の護衛地点に守られる中央、ここガリオールの地とやらは、儀式の準備でせわしなくサルドゥの民が駆け回っていた。

 急な“来客対応”のせいで人手が足りなくなったせいかもしれない。


「なんで勇者が3人もいんのよ?」


 ガンガコングに襲われたせいで、より正確に言えばエレナが暴れ回ったせいで、アキラたちの護衛地点は凄惨たる被害を受けてしまった。

 そのままでは護衛どころか一晩を明かすこともできなくなり、サルドゥの民たちの元を訪れたのだが、問題は、エレナが語る、“もうひとり”。


「同じようなのじゃないでしょうね」


 エレナが苛立ちを隠そうともしないまま呟いた。


 彼女も、港町クラストラスで“勇者様”に出逢ったそうだ。

 アキラが運命を呪ったあの巨獣はその一派が操る召喚獣とのことで、エレナもそれに乗ってここまでこられたらしい。

 ただ、エレナが下りたあの後すぐ、あの巨竜は一足先にこの場に向かってしまい、結局アキラはどんな面々なのか見ることも出来なかった。

 エレナから話を聞こうにも、分かりやすく機嫌が悪くなる上に、つい口に出した“ここにもいる勇者様”の方に興味が向いてしまったらしい。


「アキラ君は行かなくていいの?」

「……ああ。いい」


 興味はある。

 だが、今あの場所に行く気にはなれなかった。

 今頃あの族長が“勇者様”を手厚くもてなしているのだろう。

 “もうひとり”は知らないが、リリルは勇者然とした人物である。今更名乗り出ることなど、アキラにはできようも無かった。


「…………あ。そうだ、あいつは?」


 アキラは極力馬車への意識を逸らしながら、広場を見渡した。

 中央には巨大な焚火が燃えており、その周囲にはものが散乱している。ベックベルン山脈の方向だろう、バオールの儀式を執り行うと目される祭壇が組み立てられ、数人の男たちがやぐらを担いで慎重に設置していた。手伝いに駆り出されているのか依頼を請けた旅の魔術師と思われる者たちも、何に使うのか分からない小道具を走って運んでおり、思ったよりも騒がしい儀式の場である。

 だが、しばらく見ていても、あの赤毛の少女は見当たらなかった。


「こっちにいるかもと思っていたけど、ラースさんとまだ見回っているんじゃないかな。置手紙を残してきて正解だったね」

「……そう、だな」


 イオリが譲り受けたらしい予備のテントを運んできて、足元に落とした。相変わらず行動が早い。先ほどかなりの数の魔物に襲われたばかりだというのに、流石に魔導士というべきか、彼女からは疲労を感じなかった。

 アキラは小さく息を吐く。

 その戦闘で、イオリを真似て特殊なことが出来るようになったというのに、少し、面白くなかった。


「なに。また喧嘩?」

「ちっ、違うって」

「まったく。妙な予感がしたから来てあげたってのに、あんたらどこでも変わらないわね」


 エレナが呆れたような表情を浮かべて、それもまた面白くない。

 だが、話したいことが出来たのに、その相手がいないというのはそれにも増して面白くなかった。

 これ以上ここにいても仕方あるまい。

 イオリが借りてきてくれたテントを運んで護衛地点へ戻ろうとアキラが身を屈めると、そこで、馬車がぐらりと揺れた。


「―――話になりません!!」


 バンッ、と馬車の扉が開いたかと思えば、小柄な少女が飛び出してきた。

 色白の肌を身に纏うオレンジのローブより高揚させ、沸騰するように大きく息を吹くと、アキラの姿を見つけ、小さく咳払いをして歩み寄ってきた。


「……誰?」

「さっき話した、もうひとりの勇者様……、リリルだよ」

「アキラさん、大丈夫でしたか?」


 リリルはちらりとエレナを見るも、まっすぐにアキラの瞳を捉えてきた。

 小柄だが、姿勢正しく、正面に立たれると少し大きく見える。あるいはそれは、体躯だけでなく、彼女の在り方という意味での姿勢が理由なのかもしれない。


「大丈夫って……、リリルの方こそどうしたんだ。なんかあったのか?」

「……、いえ。ええと、大した、ことでは」


 リリルは自分が飛び出してきた馬車に視線を走らせ、眉を寄せ、むっと口を閉じ、拳はぐっと握っていた。

 分かりやすすぎるほどだった。嘘の吐けないタイプだろう。

 アキラも馬車の様子を遠目で伺う。昼に話したときは、意思は固くとも温厚そうだったリリルがここまで憤慨する何かが、あの馬車の中で起こったらしい。


「……聞いてくれますか?」

「あ、ああ」


 隠し通すのは無理だと悟ったらしいリリルは、むしろ我慢できなかったのか、あっさりと口を開いた。

 そして馬車から出てきたばかりのときの表情を自然に作ると、また頬を膨らませ、盛大に息を吹いた。


「あのスライクという男。……まるで勇者の自覚が無くて……!!」

「……え?」


 スライク。

 それが、もうひとりの“勇者様”の名前なのだろうか。


「もうすでに“証”となる仲間も集まっているというに、魔王を倒すつもりなどさらさらないとまで……!!」

「は? “証”って……、え、何を言ってんだ?」


 顔を赤くして震えるリリルに、アキラは眉を寄せた。

 “証”とは、“七曜の魔術師”のことだろうか。リリルの話では、そのスライクという勇者はすでに今のアキラと同じ状況にあるらしい。

 魔王を討つ勇者は当然ひとりだ。レースをしているつもりは無いが、ある意味ライバルである存在が、同じ状況ですぐそこにいるとなると、流石に馬車の中が気になってくる。

 だが、そこまで来て、その男は魔王を倒そうと思っていないとリリルは言う。

 情報が多すぎて、アキラの理解できる範囲を超えていた。


「ええ。お仲間の女性は使命に準じているようでしたが、肝心の勇者があれでは……、せっかく、きっと……」

「……?」


 肩を震わせ、口元を歪ませ、リリルはまた、憤りを溜め始めた。

 リリルは勇者という存在に実直な女性だ。様子を伺うに、その勇者という存在を否定されたような気分にでもなっているのだろう。

 アキラは、未だ興奮収まらず、息を荒げるリリルから、悔しさのような感情を感じ取った。もしかしたらこういうとき、自分は傍にいない方がいいかもしれない。日輪属性は周囲の人間の感情を増幅させる影響がある。同じ勇者ではあるが、どうやらリリルにも作用してしまっているようだった。


「あなた。あのスライクって大男にキレてんの?」

「キレ……、え、ええ。憤りを覚えているのは確かです。……つい声を荒げて、一緒にいた小さな子を泣かせてしまいました」

「あら。こっちの勇者は話せるじゃない」


 どうやらその男は、リリルが憤慨するほど勇者の使命に従わないらしく、エレナが憤りを覚える存在らしい。

 アキラの中で、その勇者の像がある程度絞り込めてきた。細かくは知らないが、とりあえず、態度は大きそうだった。


「…………切り替えましょう。それより。アキラさん、先ほど魔物に襲われたと聞きましたが」

「ああ、それならもう大丈夫だよ。テントが壊れたから、これから張り直しだけど」


 エレナをちらりと見ると、その主犯は、可愛らしく小さな欠伸をしていた。

 アキラはすべてガンガコングの仕業だったと記憶をすり替え、改めてテントを担ぎ上げようとする。

 すると、神妙な顔つきをしたイオリと目が合った。


「待った」

「どうした?」

「いや。……ええと、僕たちが魔物に襲われたって、誰から聞いたのかな。口ぶりからするとずっとここにいたようだけど……。“勇者様”たちから?」

「あ、すみません。陽動の可能性もあると聞いて、私はサルドゥの民の護衛をしていまして」


 増援に来なかったことを咎められているとでも思ったらしく、リリルは肩を落とした。

 だが、アキラはイオリの様子に不穏なものを感じていた。そんな下らないことを責めるような人間ではない。イオリの魔導士としての感覚が、“何か”を感じ取ったのだろう。


「あ……、ええと。ラースさん、をご存知ですよね? 彼からそう聞きました。その、特に手助けも要らなそうだったと言っていたんですが、危険な魔物だったんですか?」

「……! あの人、ここにいるのかよ」


 アキラは鋭く馬車に視線を走らせた。

 広場に彼の姿は見当たらなかった。いるとしたら、“勇者様御一行”がいるあの馬車の中だろう。


「エリサス……、エリサスは、ええと、もうひとりいなかったかな?」

「エリサス? 護衛を受けた方ですか?」


 アキラは今度は森林に視線を投げた。

 どっぷりと暗い木々の隙間の奥には、勿論何も見つけられない。


「……! ああ。君たち。大変だったね」


 そこで、駄目押しとばかりに馬車からラースが歩み寄ってきた。

 彼はエリーと共に、樹海を見回っていたはずだ。


「あらかた片付いていたようだから報告を優先させてもらったんだ。ところで、今馬車から“勇者様”が……、って……あれ。あの娘は?」


―――**―――


 エリサス=アーティは視線を正し、淡々と歩いていた。

 星明りも遮られる森林の中、スカーレットの光を灯し、時折、足に纏わりついた蔦を勢いそのままに引き千切り、どこへ続くとも分からない道なき道を突き進む。


 “事件”が起きたのは、エリーたちが担当していた南部の護衛地点のことだった。

 特に問題も無く護衛地点を一周し、元居た場所に戻ってみれば、ガンガコングと思われる魔物の群れに自分の仲間たちが襲撃を受けていたのだ。

 流石ヨーテンガースの洗礼とも言うべきか、アイルークにいたときには考えられない獰猛で凶悪な魔物の群れの現出である。

 だが、どうやら自分の頼もしい仲間たちはその危機に見事に対応してみせ、そして、もっと獰猛で凶悪な仲間が現れたことによってエリーが手を出す間もなく事態は収束してしまった。

 共に行動していたラースは気を利かせてくれたようで、エリーをその場に残し、ひとりでサルドゥの民への報告へ向かってくれた。

 だが、エリーの足は、どうしても、仲間たちの元へ向かうことが出来なかった。

 原因は、その戦闘の中、ヒダマリ=アキラが見せた新たな魔術だ。


「“不可能なことは無い”……、か」


 ラースから聞いた日輪属性の特徴が頭の中を巡り続ける。

 エリーは、自分の感情が制御できていないことを自覚していた。


 端から見ても、アキラが放った魔術は、ホンジョウ=イオリの攻撃を模倣したものだということは分かった。

 認めるのは癪ではあるが、アキラは着実に力を付けてきてはいる。アイルークで、何かにつけては悲鳴を上げていたときとは雲泥の差である。

 そしてエリーは、彼の魔術の教師役である。だから、何も考えないようにすれば、きっと喜ばしいことなのだろう。

 だが、冷静に考えてしまうと、ひとつの可能性―――いや、最早事実なのだろうか、思い当たってしまうことがある。


 ヒダマリ=アキラが成長したのは、仲間が増えたからだ。

 見るべき、倣うべき存在が増えるほど、彼の力は伸びていく。それはラースから教わった日輪属性の特徴と合致する。

 不可能なことが無い日輪属性は、その可能性をそのまま活かせば、唯一無二の強力な属性なのだ。


 そうなってくると、昏い思考が脳を支配する。

 彼が今日までエリーと同じ攻撃しかできなかったのは、エリーだけが彼の教師をしていたからだ。

 もし彼が、ラースの言うように、月輪属性の妹を師事していたとしたら、今頃どうなっていたか。いや、そもそも、属性うんぬん以前に、エリサス=アーティとマリサス=アーティの能力差は歴然である。

 そうなると、自分が今までやってきたことは、果たして。


『力があるから、当面悩んでないだけ』


 ふと、エレナの言葉が蘇った。

 もし自分が、それこそ妹のような才能を持っていたら、こんな昏い感情は覚えなかっただろうか。ラースから何を聞いても、アキラが何をしても、些細なことだと笑い飛ばしていられただろうか。

 そしてエリサス=アーティは、“そう”ではないから、思ってしまう。


 自分がやってきたことは、彼の成長を阻害していた。


 最近とんと見なくなったが、自分が嫌っていた、あの銃の力とはまた別の意味で。あるいは、それ以上に。


「……」


 身震いして頭を振ると、迷いかけていたのか、自分の足が、いつの間にか南部の護衛地点へ向かっていたことにエリーは気づいた。

 淡々と歩いていたエリーは、ぐいと地面を踏み締め、くるりと振り返る。


 次は西部の様子を見に行こう。

 逃げるように、エリーは南部に背を向けた。


―――**―――


「いなくなるなんて……!!」

「ほんと悪い」

「あ、いえ、エリサスさんのことを言ったわけではなくて」


 ヒダマリ=アキラは、頼りない焚火を掲げながら樹海を歩いていた。

 中央の広場から西部のひとまず護衛地点へ向かい、それから北部へ向かっていくつもりだ。

 同行者は“勇者様”であるリリル=サース=ロングトンであり、目的は人探しである。

 姿が消えたエリーを見つけ出すのが第一であるが、それに加えて厄介事も増えていた。


「どんな奴だったんだ? そのスライクとかいう奴」

「……え、ええと」


 見るからに憤慨しているリリルは、最後の良心がせき止めたのか、言い淀んだ。手遅れであるような気もする。

 行方不明となったのはエリサス=アーティだけではなく、リリルをここまで昂らせたスライク=キース=ガイロードというもうひとりの“勇者様”もだという。

 先ほどリリルが馬車から憤慨しながら出たあと、いつの間にか消えており、そもそもラースはスライクを探して外に出てきたそうだ。

 おまけに、同行していた小さな女の子もいなくなったとかで、依頼とは別の面倒事にアキラたちは巻き込まれていた。迷子という表現を使うなら、おまけどころかその小さな子の方が本命かもしれない。


「ふぅ……」


 機嫌の悪そうなリリルを刺激しないように、アキラは小さく息を吐いた。

 アキラとリリルは西部の探索を、イオリは南部に戻って護衛依頼を、スライクという人物の同行者の残ったふたりは北部を担当してそれぞれ分かれたのがつい先ほど。

 面倒臭いと渋るエレナに何とか頼み込んで東部を担当してもらったときにもアキラは思ったのだが、件の勇者様が現れてから妙な気苦労をする羽目になっていた。リリルの様子からしても、きっとろくでもない奴に違いない。


 だからそれよりも、アキラにとって不可解なのはエリーの方だった。

 ラースの話では、彼女を南部に残して来たという。彼はあの空を行くスカイブルーの巨竜や、現れたエレナが魔物を蹂躙するところまで確認していたようだったのだから、エリーはすぐにでも合流できるほど近くにいたはずだ。

 それなのに、アキラたちはエリーを見ていない。

 どう考えても何かあったとしか思えなかった。


 だが、一方で、エリーは強い。魔物が強いと言っても、森林というだけはあってエリーにとって有利な木曜属性の魔物が多そうだ。彼女をどうこうできるならば、少なくともそれなりの規模の魔物の襲撃があるはずで、つまりは騒音があるはずなのだ。


 しかし、それすらも一切ない。

 それならば彼女は、ひとりで樹海の様子を見回り続けていると考えるのが妥当なのだろう。

 そうなると改めて、何故、という疑問にぶつかる。

 脳裏に過るのは、彼女がラースと共に見回りへ向かう際に見せた、妙に冷えたあの瞳だった。


「何考えてんだ……」

「え?」

「……リリルのことじゃない」


 アキラは悶々としながら、足元の枯れ木を蹴り砕いた。


 『見てなきゃ分からない』


 そんなふうに彼女は冷たく言った。

 だが、彼女にしては、随分と買いかぶっている。アキラは自分が、見ていても分からないほど、ろくでもない奴のように思えていた。


「……アキラさん。お仲間の方、心配ですね」

「そうだな」


 表情が固まっていたのだろうか。エリーよりもアキラを案じるようなリリルの声色に、アキラは頭を振った。

 心配はしている。だがもしかしたら、それと同じくらい、彼女に会い辛くも感じていた。

 彼女は今、一体何を考えているのだろう。


「! アキラさん」

「……?」


 今度のリリルの声は鋭かった。

 機敏にアキラを庇うように前へ出たと思えば、リリルは腰を落として目の前の大木を睨む。


「……どうした? 魔物か?」

「…………でしょうか。その木の向こうに」

「前から思ってたんだけど、みんなどうしてそういうの分かるんだ? 気、とかあるのか?」


 どうも自分は索敵には向かないらしい。何も感じない大木に向け、それでもアキラは剣を抜いた。

 実感は湧かないが、どうやら戦闘になるらしい。

 アキラは気持ちを切り替えて、じっと気配を探り続けた。

 すると。


「!」


 びくり、と肩が震えた。

 大木の向こうから、獲物を捕らえる猫のような金色の眼が鋭く光った。


「ち」


 臨戦態勢のアキラたちの前に、ゆったりとひとりの大男が姿を現した。

 完全な白髪に、離れていても見上げるような巨大で屈強な体躯。

 半面、ヨーテンガースの樹海とは思えないほどラフな服装のその男は、しかし見る者を威圧するかのような大剣を腰に下げていた。


「何しにきやがったんだ? お前ら」

「! あ、あなた、ここで何をして……!!」


 リリルの気配がより鋭くなる。その様子だけでアキラにも分かった。


 この男がスライク=キース=ガイロード。

 勇者様であるらしい、現在行方不明であるひとりだ。


「あ? やんのか?」

「……」


 未だ臨戦態勢を崩していなかったリリルは、その男の言葉にゆっくりと手を下ろした。

 それでも、彼女の瞳から敵意のような色は消えていない。

 端から見るアキラでも気づくその様子に、しかしスライクは欠伸をしながら肩を回した。


「はっ、下らねぇ」


 そう吐き捨てて、スライクは大木に背を預け、そのまま座り込んだ。リリルの肩がぴくりと震える。

 アキラは自分が思っていたこの男のイメージが、さほどズレていないことを確信した。


「……突然いなくなって。一体どういうつもりですか?」

「どこに行こうが俺の勝手だろう。お前だっていきなり出て行ったじゃねぇか、“勇者様”」

「っ」


 だが、イメージ通りだったからこそ、アキラは強い違和感を覚える。

 この男は勇者であるという。

 決して自分のことを棚に上げるわけではないが、リリルと比べると、お世辞にも勇者様とは言えない言動だった。

 アキラは、小刻みに震えるリリルを抑えるように前に出て、ゆっくりとスライクに歩み寄った。

 これ以上相性の悪そうなふたりを放っておくと、またいらぬ気苦労をする気がした。


「……あんたが、エレナを連れてきたのか?」

「あ?」


 座り込んだスライクが、ギロリと睨む。下から見上げられているのに、押し潰されるような重圧を味わった。


「エレナ……? ……ああ、あのアマか。……は、つーことはてめぇが、か」


 猫のような瞳が、僅かに鋭くなった。

 ゆったりと立ち上がり、今度はアキラを見下ろしてくる。

 頭ひとつふたつは高いその大男は、威嚇のように嗤った。

 松明を持ったアキラの手が、じっとりと湿った。


「マメな野郎が多いもんだなぁ、おい」

「……、は、話は終わってません……!!」


 リリルの大声で、スライクの顔がさも面倒そうな表情に変わるのを間近で見た。


「っぜぇなぁ、おい。喚くな。あの修道女と同じように騒ぎやがって……、こっちはこんなところまで連れてこられて、挙句あの人数。……群れて喚くなよ」

「……あ、あなた自身、お仲間と群れているようですが?」

「あん? はっ、勝手に付きまとわれているだけだ、知るかよ」

「ああ言えばこう言う……!!」


 アキラはやんわりとスライクとリリルの間に入った。

 スライクの態度に、リリルの怒りが徐々に臨界点を迎えつつある。

 アキラはちらりとスライクを盗み見た。相容れない部分があるのであろうが、リリルの様子が不自然なほど負の方向へ向かっている。これはもしかしたら、“あの力”が悪い方向へ作用しているのかもしれない。


 極力スライクから距離を取るようにリリルをさり気なく引き離すと、彼女は、僅かに落ち着いたのか、ふと、今気づいたかのように、今度は怪訝な表情をスライクへ向けた。


「……そういえばあなたは、こんな場所で何をしているんですか?」

「俺の勝手だろ」

「“勇者様”がいなくなって騒ぎになっている以上、あなたの勝手では済みません!」

「ちっ」


 また喚き出されると思ったのか、スライクは大きく舌を打った。

 そして親指で森林の奥を指し、誘うように歩き始める。


「……先に言っとくが、訊いたのはお前だぞ?」


 彼には見えているのか、光源も無く漆黒の森林を迷いなく大股で歩く。

 アキラはリリルを、あるいはリリルに背を向けたスライクを庇うように先行する。

 頼りない手元の唯一の光源を頼りにスライクの背を追っていると、ふと、アキラは異変に気付いた。

 おかしい。

 この場の光源は、自分が手に持つ松明だけではないはずだ。

 現在自分たちがいるのは、ガリオールの地の西部である。


 距離的にも、そろそろ西部を守る旅の魔術師たちがいる、エリアの光源が見えてきているはずなのだ。


「!」


 木々の隙間から一瞬だけ漏れた星明りが、火の消えた木炭を映した。

 それが何か頭では分かったはずなのに、アキラは松明で周辺を照らし、そして、後悔した。


「づ、づっ」

「な、な、な」


 背後のリリルにも見えたのであろう。アキラは空いている手で口を抑えた。

 荒らされたテント。捻じ曲がった大木。踏み散らかされたたき火の残骸を中心に、この地を護衛していたであろうふたりの男女が、“あった”。


「ぅ」


 良く見えなかったのが唯一の救いか。

 人の形をしていたであろうそれらは、不自然に身体がねじ曲がり、あるいは折り畳まれ、胴を中心にいくつかの何かが千切れて“散らばっていた”。

 生死など、確認するまでも無い。


「無抵抗に殴られまくればこういう感じになる。惨いもんだなぁ、おい」


 すぐ近くのスライクの言葉が、ずっと遠く聞こえた。

 アキラは震える手を強引に抑え、“それら”が可能な限り視界に入らないように顔を背けた。


「あっ、あなたが!?」

「おいおいおいおい。どうしてそうなる? “ヨーテンガースの洗礼”とやらだろう」


 スライクの冷淡な言葉がより一層遠く聞こえた。

 初めて見る、自然死以外の死体。


 遅れてきた鼓動が早鐘のように脈打ち、足から力が抜けていく。

 魔王の存在。魔物の脅威。そして、ヨーテンガースの洗礼。軽視していたわけではないそれが、ずっと現実感を帯び、視界がぐらつきながら離れていった。


「血の匂いがしたから来てみれば……これだ。つーことで、俺はこの連中の代わりにここで護衛してやってたわけだ。満足したか?」

「な、な、な」

「お前はそれしか言えねぇのか。……珍しくも無いだろ。……あん?」


 あっさりと引き返そうとしたスライクの前に、リリルが震えながら立ち塞がった。

 そして気を取り直すように頭を振り、より一層力を込めてスライクを睨む。

 未だ足元もおぼつかないアキラは、リリルさえも、遠く感じた。


「……この依頼を請けた魔術師たちは、屈強な者たちばかりです」

「あん? これでか?」

「っ、……そ、そうです! その魔術師たちがこんな被害に遭っていたというのに、あなたは誰にも知らせずにこの場にいたと言うんですか!?」

「知るかよ。そもそも俺はこの依頼を請けえてねぇんだからよ」


 死者の前で、我関せずを貫くスライクと、激昂するリリル。

 スライクの態度は決して勇者様のものではない。いや、それどころか人間として大切なものが欠落しているようにさえ見えた。

 ふつふつと浮かんだ、怒りにも似た感情に、アキラの足元はようやく重さを取り戻し始めた。


「……アキラさん。埋葬を手伝っていただけますか?」

「えっ、お、俺?」


 今にも張り詰めたものが切れそうなリリルの表情にあてられ、アキラはおずおずと、決して視界に入れようとしなかった“もの”に近づいた。

 改めて視界に入った“それら”は、この世界の“当たり前”をより一層現実的にしていく。

 だが、強い悔恨を浮かべるリリルの表情の方が、アキラにとっては見ていて辛かった。


「止めとけ。最近やたらと視界に入る修道女がやるだろ。……素人が手ぇ出していいもんなのか?」

「そ、それでも、このまま野晒しにはできません……!! あ、ああっ、私がいたのに……!!」


 リリルは何度も辛そうに言葉を吐き出し、泣きそうな表情で埋葬を進めていく。

 彼女は勇者だ。世界からの大きな期待と、そして重圧をその身に受ける覚悟をした勇者様だ。この目の前の光景は、彼女にとってはどう映るのだろう。

 アキラの及び腰の手伝いなど猫の手にもなっていないだろう。深刻そうに、泣き出しそうにしながら、延々と自分を責め続けているようなリリルは、アキラにとって、やはり遠い存在に見えた。


「……あんた。いい加減にしろよ」

「あ?」


 誰に対しての怒りかは、最早分からなかった。

 結局何もできていない自分に対してのものかもしれない。

 だが、リリルが何かに追われるように死者の埋葬を進める中、離れた場所で腰を下ろして欠伸をしているスライクが視界に入り、アキラは自分を抑えられなかった。


「せめて伝えに来いよ」

「だから依頼を請けてねぇって言ってんだろ。それに、護衛が“いなくなって”薄くなったここの守りを放棄してまでやることか?」

「っ、」


 まったく話が通じない。

 アキラはスライクの鋭い眼光を前に、それでも強く睨み返した。


「こんな“死”、そこら中に溢れ返っているだろ。倒れた奴のことなんか気にしている暇なんかねぇだろうが」

「そういう話をしてんじゃねぇよ……!!」

「アキラさん」


 詰め寄ろうとしたアキラを、リリルが止めた。

 泥だらけになりながら、しかし彼女は凛と立つ。

 スライクを睨むリリルの横顔は、ぞっとするほど冷酷な瞳を覗かせた。


「あなたは勇者ではあり得ません。誰が何と言おうと、それだけは確実です」


 それは、リリルにとって最大の侮蔑の言葉だったのかもしれない。

 彼女の怒りは最早憎悪に変わり、殺気すら感じる気配をそのままスライクへ向けている。


 スライクは、まるでいきり立つ小動物を前にしたかのように、やはりさも面倒臭そうに立ち上がると、煩わしさを隠しもせずに息を吐いた。


「はっ。誰が勇者だって? 俺は勇者を名乗った覚えはないぜ?」

「……は?」

「周りが勝手に騒いでいることだっつってんだよ」


 あっけにとられたようなリリルに、スライクはこきりと肩を回した。


「魔王を倒すつもりなんざさらさらねぇよ。やってられるか、んなもん。下らねぇ」

「っ―――」


 リリルが願い、目指しているそれを、目の前の存在が容易く放り捨てた。

 だから彼女の怒りは、臨界点を超えた。

 リリルは鋭く手をかざし、スライクに向けて突き出す。

 アキラがまずいと思った瞬間、彼女の手から、光が漏れた。


 しかし、その色は。


「シ、シルバー……?」

「レイディー!!」


 バヂン、と、スライクが突き出した片手で光が爆ぜた。

 リリルの攻撃を受け止め、そして握り潰したスライクの手からは、オレンジの光が漏れる。

 反射的にスライクから斬り割かれるような殺気が漏れるも、しかし彼は、その猫のような鋭い眼をリリルに向けるだけに留めてくれた。


「……月輪、か。劣化属性じゃねぇか」


 へたりとリリルは座り込んだ。

 激昂に任せて人に対して魔術を放ったことは、彼女にとっても浅慮だったのだろう。

 アキラの予想は当たっていた。やはり、リリルがここまで感情を露わにしていたのは、スライクの有する日輪属性の、“他者の心を開くスキル”が影響を与えてしまっていたかららしい。


「……申し訳、ありませんでした」


 少しは冷静になれたのか、苦虫を噛み潰したような表情で、リリルは謝罪した。

 さして気にもしていなさそうなスライクは、鼻を鳴らして気に背を預ける。

 アキラは座り込んだリリルに手を差し伸べた。


「月輪属性、なのか……?」

「……え。ええ。……日輪でなくても、“勇者”は名乗れます。“三代目勇者”、レミリア様のように」


 アキラは、神と逢ったヘブンズゲートでの話を思い出す。

 自分たちは、門番たちに神との面会を拒絶された。そしてそのとき、あのマリサス=アーティも言っていた。

 “日輪属性”自体は、勇者の証ではない、と。それはつまり、そうでない属性の者が勇者だったこともあるからだと。


「だから私は、“勇者”を名乗ります。名乗って、その責務を果たし続けるしかないんです。……日輪属性の者以外は、戦果によってしか、“証”を手に入れられないですから……」

「……」


 月輪属性であるリリル。自称するしかない、“選ばれなかった”属性の勇者。

 しかしアキラは、リリル=サース=ロングトンという人物が、より一層勇者に見えた。

 彼女の勇者然とした在り方は、属性など気にもならないほどキラキラと輝いて見える。

 だからこそ、また、リリルという人物が、ずっと遠くの存在に思えた。


「それなのに。あなたは、日輪属性なのに……、“そこ”にいるのに、こんな……」


 リリルは、アキラの手を借りずにゆっくりと立ち上がった。

 彼女にとって、日輪属性はどう見えているのだろう。

 嫉妬だろうか。羨望だろうか。安い言葉なら思いつく。

 だが、彼女の位置から見える本当の景色は、アキラにとってはあまりにかけ離れ過ぎていて、想像も出来なかった。


「こんなことを……!!」

「んだから俺がやったわけじゃねぇっつてんだろうがよ」


 スライクは、また舌打ちし、鋭い眼光をリリルにそのまま突き刺す。

 彼もまた、アキラにとって理解しがたい存在という意味では、同じだった。


「勇者を名乗るのは勝手だ、好きにしろ。恩恵も、期待も、責任も、重圧も、好きなように受けてりゃいい。俺はどれもごめんだ」


 まるで態度の変わらないスライクを見て、アキラもようやく分かってきた。


 このふたりは、決定的に価値観が違う。

 月輪属性のリリルは、勇者たろうとし続ける。

 日輪属性のスライクは、勇者を拒絶し続ける。


 対極のふたりは、しかし共通して、自分の立ち位置を、決めているのだ。

 スライクは、きっと今までも、その態度に、怒りをぶつけられたこともあることもあるだろう。少なくともアキラも、彼に好感は持てない。

 だが、立ち位置を決めているからこそ、揺るがないし、譲らない。


 そして、だからこそ、アキラからはずっと遠くに見えるのだ。

 リリルも、スライクも、ふわふわと狭間を漂うことしかしていないアキラにとっては、どちらも遠い存在に見えるのだ。


 ならば、自分は、どうあるべきだろう。


「はっ、もういいだろ。……そういや、おい、お前。アキラ、とか言ったか?」

「?」


 エレナから聞いていたのだろうか。スライクは緩慢な動作でさらに西部、ベックベルン山脈の方向を指差した。


「赤毛の女、知り合いか?」

「!」


 びくりとした。そして思わず、先ほどリリルが埋葬した旅の魔術師たちに視線を走らせる。

 静かな樹海だった。だから何も起きていないと思っていた。だが、実際に事件は起こっており、その上で、エリーは行方を眩ませている。


「まさか、」

「いちいち睨むな、面倒臭ぇしそうじゃねぇ。さっき、そんな女がふらふら山に向かっていったのを見ただけだ」


 この護衛の説明で、山脈には不用意に近づくなと言われている。近づけば近づくだけ魔物の危険度が上がっていくからだそうだ。そして、北部や西部を担当している旅の魔術師はそれなりに手馴れだったはずだ。

 しかしそんな彼らですら、“ヨーテンガースの洗礼”を受けている。

 アキラの理解が追い付いていなかったこの樹海の危険度が、一層増したように感じた。


「待ってください!」


 思わず駆け出そうとしたアキラを、リリルが制した。彼女も彼女でこの樹海に不穏なものを感じ取っていたのか、少しは冷静さを取り戻していたようだった。


「ま、まずは……、って、あ」


 その取り戻した冷静さが、何かを思い出させたようだった。

 そしてリリルはスライクに、アキラの知る限り初めて敵意の無い視線を送る。


「あの。見たのはその女性だけですか? キュールという少女は?」

「……あ?」


 スライクの表情が僅かに変わった。


「……あのガキ。消えやがったのか?」

「え、ええ。そうでした……、てっきり、あなたと一緒とばかり」


 アキラには、スライクの瞳の色が奇妙に見えた。

 億劫、焦燥、懸念、そうした色が入り混じり、しかしその奥に、それとは別の何かが入り込んでいるような、形容し難い何かだった。


 スライクは、背を預けていた木から立ち上がると、首をコキリと鳴らし、その鋭い瞳でベックベルン山脈を捉えた。


「ちっ、面倒臭ぇなぁ、おい」


―――**―――


「……そっちもだったわけ?」


 エレナは頭をガシガシとかき、“勇者様御一行”のふたりに向かい合った。

 どうやら彼らも、自分と同じ光景を見てきたらしい。


 ガリオールの地は、あるいは彼ら“勇者様御一行”が訪れていたとき以上の騒ぎに包まれていた。

 中央の巨大なたき火の前には5人しかおらず、他のサルドゥの民にテントの中での待機を命じた族長は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。


「カイラ。またお願いできるか?」

「……はい」


 杖を背負った男、マルドが静かに言うと、修道服の女性、カイラが粛々と応じる。

 北部へ行方不明者の捜索へ行っていたふたりは、エレナと同じものを見て、“処置”を施してきたらしい。

 カイラは、硬い表情を浮かべ、カタカタと震えながらも、歯を食いしばってエレナを見る。

 東部で“それ”を見たと言ったエレナに案内しろということなのかもしれないが、首を振った。冗談ではない。


 エレナとて、自ら好んで“力任せに殺害されたらしい人だったもの”をまた見たいとは思わない。


「……日が昇るまでは放っておきなさい。今はここを守った方がいいじゃないの?」

「そうはいきません。あ、あんな光景を見てしまえば……、わたくしがやるべきことは決まっています……!」

「私は行かないわよ。ひとりで行く気?」

「ええ。いずれにせよ、簡単にでも弔いが出来るのはわたくしだけでしょうし」


 エレナはまた頭をかいて、止めさせるつもりでマルドを睨んだ。

 しかし彼は困ったように笑うだけで止めようともしなかった。だが彼は、カイラについていくつもりはまるで無いように見えた。


「待った。先に西部の護衛地の様子を見に行った方がよくないかな?」


 今にも駆け出しそうになっていたカイラに、ラースと呼ばれていた男が口を挟んだ。

 遊撃担当だったのは彼にとって幸運だったのだろう。

 現在確認できているだけで、北部と東部の護衛地は全滅。南部はテントや寝具などの用具が“魔物のせいで”破壊し尽くされている。

 結果、東西南北と別れて護衛していた依頼を請けた旅の魔術師たちは、壊滅状態に陥っていた。


「2ヶ所もそうなっていたんだ。それに、君たちが担当した南部だって魔物の襲撃があっただろう? 今はすぐにでも西部の人たちの様子を見に行くべきだと思うんだけど」


 そちらはアキラたちが向かっていった方向だ。

 もしかしたら今頃彼らも、“何か”を発見し、こちらへ戻ってきているかもしれない。


「あと、イオリさん、だっけ。彼女にも伝えに行かないと」

「そっちはほっといていいでしょ。じゃ、私は西の方へ行ってくるから。あんたらここで護衛でもしてなさい」

「ちょっと。失礼ですけど、お仲間なのですよね?」


 ラースの言葉で、優先事項が死者より生者になったらしく、カイラが噛み付いてきた。

 エレナとしては、確かにあのイオリという人物は個人的に好かないのもあるが、それ以上に、とりあえず面倒なことが起こったらあのアキラを視界に収めておくことが最優先事項なのだ。放っておくとより面倒なことになる気しかしない。

 そして、そもそも、イオリを個人的に好かないとはいえ、根本的に、彼女を放っておいていい理由がある。


「問題ないわ。あの魔導士はあんたらより数段強い。動けるのって私らだけなのよね? そんなところに人員割いてらんないでしょ」


 流石に魔導士というだけはあり、イオリならば大抵のことはひとりで何とでも出来るであろう。もし彼女の手に余るようなことが起こったとしても、離脱や救援など必要に応じた動きが出来る頭もある。


 ゆえに、やはり、問題はアキラだ。

 嫌な予感がする。


「西部は特に危険だ」


 歩き出そうとしたところで、今度はサルドゥの民の族長、ヤッドが重々しく呟いた。依頼主として多くの犠牲者を出したことに、大きな体躯の割には焦燥した表情を浮かべている。


「……前にも、事件が起こったことがある」

「なにそれ?」

「俺がサルドゥの民になる前に、だが……。依頼を請けた魔術師たちが被害を受けたことが、前にもあったらしい」

「……今回みたいに? 全滅でもしたの?」


 ヤッドは首を振った。


「いや、今回みたいのは聞いたことは無い。そのときのは、西部の一ヶ所だけだ。“事故”、みたいなもんだったらしい。依頼を請けていたやつが、退屈凌ぎだか分からんが、ふざけて山脈へ近づいたらしい。だから俺たちは、依頼を請けた魔術師たちに必ず言うことにしている。山脈には近づくな、と」

「そういえば、俺も聞いたことがあるな。バオールの儀式の由来は、“山の逆鱗”を鎮めるためにも行うって」


 ラースが背後のやぐらを見ながら呟いた。

 エレナには、儀式の準備を進めていた者たちがテントの中に逃げ込み、今は白い布を被せられて鎮座しているだけの役に立たない物体にしか見えなかった。


「ただでさえ危険だっていうのに、こんな妙なことが起こっているんだ。西部に行くなら、十分に気を付けてくれよ」

「……」


 エレナは本格的に頭を抱えた。

 よりによってというよりは、案の定と言うべきか。エレナの嫌な予感は大体当たってしまう。そこにヒダマリ=アキラという厄介事を見事に引き当てる男が加わるとなると、不確かな危険が確定事項のように思えてきてしまう。

 エレナがふと顔を上げると、目の前で、同じ顔をしている男が目に入った。


「まず……いな」

「え、ええ」


 マルドが意外にも鋭い視線を西部に投げた。

 カイラも同じく、顔色が変わっている。


「スライクとキュール。……もしかしてあいつら、西部に行ってるんじゃないだろうな」

「そ、そんな」

「それに今、あの女性の勇者様も……、さっきの彼も向かっているってことか」


 役に立たないようにしか見えない巨大なやぐらを、力任せに叩き壊したくなった。

 あちらの懸念は、自分たちと同じような旅をしていたのかもしれない彼ら彼女らの懸念は、エレナの嫌な予感と同種のものなのだろう。

 “そういうものを引き当てる”人物が、アキラの他に、ふたりもいる。


「私はもう行くわ! そこの修道服も行くんでしょ!?」

「! カ、カイラです! スライク様のようなことを言わないでください!!」

「そこのふたりはここの護衛。あの魔導士が戻ってきたら、ここで待機するように伝えといて!!」


 カイラを無視し、マルドとラースに口早に指示を与え、エレナは樹海に駆け出した。


 杞憂で済むなら御の字だ。

 だが、現実離れした思考であっても、エレナは確信していた。賭けてもいい。


 何も起きないわけがない。


―――**―――


 エリサス=アーティの孤児院で培った経験は、何ひとつ活きなかった。


 ふらふらと樹海を歩き、随分と時間が経った。

 流石に頭の熱も冷めかけてきたが、今さらおめおめと戻るのも面白くない。依頼を放棄しているわけではなく、ラースと離れた別の遊撃として樹海を見回っているのだと理由を付け、延々と歩き続けていると、その遊撃が活きたのか、樹海の中に異常を見つけた。


 聞こえてきた微かな声を頼りに進んでいくと、一際大きな樹木の下、ひとりの小さな女の子がすすり泣いていたのだ。


 光源に乏しい樹海の中、木々の隙間から漏れる星明りが照らすその少女は、色彩の明るい髪も手伝って大層幻想的に見えたが、彼女が妖精かなにかではないことは、対照的にずっと暗い表情からすぐに察せた。


「え、ええと。迷った、のかな?」

「う……、うう」


 少女は怯み、一向に涙が止まっていない。

 先ほどからこんな調子で、ほとんど会話は成立しなかった。

 エリーは、アイルーク大陸の孤児院ではこうした子供の面倒を長年見てきたはずだったのだが、所変わればという奴か、彼女にはまるで通用しない。エリーの方が泣きたくなってきた。


「と、隣、いいかな?」


 単純に考えれば迷子だろう。だが、単純に考えれば、異常でもある。

 この樹海の近くに集落でもあるのかもしれないが、少なくともエリーはそんな話は聞いていない。

 こんな夜に、こんな危険な樹海で、こんな小さな子供がひとりきりでいるというのは怪談にでも巻き込まれたような気分になってくるが、しかし見過ごすわけにもいかなかった。

 身なりは思ったよりは整っているようで、子供には不釣り合いな防具が揃っている。窮屈そうにも見えるそれらから、依頼を請けた旅の魔術師の中の連れ子か何かのようにも思えた。だが、エリーはこの依頼を請けた旅の魔術師の中に、こんな子供はいなかったと断言できる。

 突如として現れた正体不明の少女の傍にエリーが腰を下ろそうとすると、彼女はびくりと震えた。


 明確な拒絶の意図を感じる。

 エリーは表情を強張らせた。

 怯え、不安を募らせ、しかし誰かに身を寄せず、外部を拒絶する。こんな子供を、エリーはまさに孤児院で見てきたのだ。

 何しろ孤児院だ、皆それなりの理由をもった子供たちが集まってくる。

 その子も気づけば皆と一緒に生活していたからあまり気にはしていなかったが、もしかしたらその最初の一歩は、エリーの母、エルラシアが手を焼いていてくれたのかもしれない。


 自分に母の真似事ができるかは分からないが、エリーは出来るだけ柔和に微笑み、ゆっくりと、彼女の正面にしゃがみ込んだ。


「ねえ。お名前は?」

「……」


 一定の距離を取ったエリーに最低限の興味を持ってくれたのか、彼女は恐る恐る顔を上げてくれた。


「……キュ」

「キュ?」

「キュー……」

「キュー?」

「キュール……、キュール……、マグウェル…………」

「そ、そう。キュールちゃん。あたしはエリサス=アーティ。エリーって呼んでね?」


 数分は経ったかもしれない。

 たどたどしい言葉を何とか拾い上げ、ようやく彼女の名前を聞き出すと、エリーはようやくできた会話らしい会話をつなぎとめようと必死に思考を凝らした。


「ええと、迷子になっちゃったのかな?」

「…………、」


 怯えのような、敵意のようなものを向けられた気がした。だが、キュールは諦めたかのように首を縦に振った。


「じゃあさ、あたしと一緒に逸れた人探そっか。どっちの方から来たか分かる?」

「っ、い、……や」

「……そ、そっか、いや、かぁ」


 ようやく意思疎通らしいものが出来たが、結局拒絶された。

 というより、徹頭徹尾拒絶されているような感覚が拭えない。


 こうなれば根競べしかエリーに残された手は無いのだが、何しろ場所が悪かった。


「……」


 エリーたちがいるのは、西部の護衛地点よりもずっと西である。

 ここから少し歩いただけで樹海は終わり、“岩肌”がここからでも見えていた。

 まるで境界線でも引かれているかのように樹海の木々も途切れ、そのすぐ先に、まるで壁のようにそびえ立つベックベルン山脈がある。


 エリーは知っている。

 ベックベルン山脈は、山というより、“檻”だ。


 ヨーテンガース大陸をぐるりと囲うこの険しい山脈は、内外問わず、通行を許さない。

 唯一の扉は、あの港町だけである。


 エリーは昔、ほとんどおぼろげな記憶だが、山に囲まれた小さな村で、こうして山脈の岩肌を眺めていた覚えがある。

 見ているだけであれば、どれだけ近づいても無害である。

 だがその“檻”に触れれば、たちまち“何か”が起こる。

 幼い頃、その山脈に足を踏み入れるなと厳しく言いつけられたことは、特に覚えていた。


 キュールは幼い。そんな禁断の場所の近くで、何をし出すか分からない子供といるとなると、落ち着きが悪い。

 エリーはさり気なくキュールと山脈の間に身体を入れて、じっとキュールの気が変わるのを待った。


「…………」


 キュールから、時折怯えたように、ともすればエリーを邪険に思っているかのように、すすり泣くような声が聞こえた。

 エリーには手が無い。いざとなれば強引にでも抱え上げようと考えていたが、それは何か負けた気がする。

 特に、こうした初対面の相手の心を開く力を持った、あの男のことを思い出してしまうとなおさらだった。


「……!」


 エリーは思考を放棄して、キュールの腕を強引に引いた。

 キュールは表情を強張らせたが、今は構っていられない。


「下がってて……!」


 ようやくキュールは言うことを聞いてくれたらしい。

 背後から感じた妙な気配から距離を取り、エリーが構えると、木々の合間で蠢く影が徐々にエリーが掲げたスカーレットの光に移され始めてきた。


「グ……」


 屈強な体躯、緑の体毛、額に尖る角。

 この、いや、“これら”の魔物は、先ほど遠目に見た、自分たちの護衛地点を襲っていたガンガコングだ。

 暗がりで、群れの全貌は見えていないが、問題ない。そもそもそのための見回りだ。


 流石にヨーテンガースというだけはあって、アイルークの魔物たちとは雲泥の差だが、相手は木曜属性のガンガゴングである。火曜属性のエリーとしては相性がいい。


 そして、木曜属性を不得手とする土曜属性のイオリは、召喚獣さえ使わずに撃破していたのだ。


「スーパーノヴァッ!!」


 強制的に開戦させた。

 エリーはガンガコングたちが自分を囲いきる前に突撃した。

 気負った拳は、魔物の腹部を鋭く捉え、轟音と共にその身体を吹き飛ばす。


「っ」


 ずしりとした痛みが拳に残った。木曜属性の身体能力向上をすべて注がれたガンガコングの身体は、鎧のように硬く、そしてしなやかだった。エリーの拳がクリーンヒットして吹き飛んだガンガコングも、呻き、よろめきながらも立ち上がる。

 エリーはこだわり過ぎないように下手に追撃を仕掛けず、背後に回ろうとしていたガンガコングを蹴り飛ばす。


「っだぁ!!」


 叫び、よろめいたガンガコングを力一杯殴り付ける。

 群れの隙を縫い、数度に渡って攻撃を繰り出すと、流石のガンガコングも戦闘不能となっていった。

 エリーを本格的に敵だと認識した群れは、超常的な身体能力にあかせて暴れながらエリーに突撃してくる。

 対してエリーも暴れるように拳や蹴りを繰り出し、ガンガコングを戦闘不能に追い込んでいった。


「……倒せる、倒せる」


 打撃音と爆音が響き、突如として熱気に包まれた魔物の群れの中、しかしエリーは心が冷えていくのを感じていた。

 拳は痺れ、足は痛み、それでも、躊躇なくガンガコングに打撃を見舞っていく。

 属性有利はあるが、確かに耐久力に優れたガンガコング相手は、特に群れを相手とするともなると、戦いにくさはある。


 “だが、この攻撃方法でも倒せるのだ”。


 エリーは、過剰なほどの魔力を込め、眼前のガンガコングに止めを刺した。

 そのとき。


「っ―――!?」


 突如地鳴りが響いた。

 エリーも、そしてガンガコングたちすらもぴたりと動きを止める。

 ガンガコングたちから怯えにも似た気配を感じ取り、エリーはびくりとして振り返った。


「!? 今すぐ逃げて!!」


 反射的に叫んだ先にいるのは、エリーが下がるように告げたキュールだった。

 彼女も地鳴りに驚いたのか、きょろきょろと周囲を見渡している。

 彼女自身、自分が何をしてしまったのか気づいていないのだろう。


 エリーは彼女がそこまで下がると思っていなかった。

 キュールは、エリーから大きく離れ、樹海の境界線を越え、“不可侵領域”に足を踏み入れていた。


 エリーもガンガコングたちも駆け出した。

 エリーはキュールの元へ、ガンガコングたちはエリーなど気にも止めずに我先にと逃げ出していく。

 キュールの背では、ぴしりと岩盤に亀裂が走り、今なお震え、バチバチとグレーの光が漏れ出した。


「こっちに!!」

「うっ……、っ」


 流石のキュールも事態を飲み込めたのか、一目散にエリーの元へ駆けてくる。

 岩盤の亀裂は広がり続け、そして。


「わっ!?」


 ゴオンッ!! と分厚い岩盤が容易く弾け飛んだ。

 転びそうになりながらも逃げてきたキュールを抱きかかえると、エリーは即座に木の陰に身を隠す。

 頭だけ出して除いた先、崩れ去った岩山から、のっそりと、カバのような巨体が姿を現した。


 四足歩行で、体躯は丸々と太り、大きさは馬車ほどもある。身体中は岩石そのものを身に着けているかのようにゴツゴツとし、キュールの身体よりもずっと野太い足で支えられている。

 最も特徴的なその顎は、ワニのように尖り、開けばエリーが隠れている大木ごと一飲みにできるほど巨大だった。

 身じろぎするたびに、バチバチとグレーの魔力を迸らせる、土曜属性の魔物。

 カバにワニの大あごを備えさせたその存在を、エリーは知っている。


「……ゴズラード、だ……」


 生物のようで、分類されるのはゴーレムのような種別になる、“ヨーテンガースの洗礼”の代表格の魔物だ。


 “そしてそれが5体”。


 現れたゴズラードたちは、普段地中にいるせいか、外の空気に触れて身体中を蠢かせるように震わせていた。

 この“檻”に住まうあの魔物たちは、見た目とは裏腹に、非常に頭がいいらしい。

 そして共通する習性として、自らの巣を、つまりはその“檻”の領域を犯したものを決して許さない。

 隠れようが逃げようが、どこまでも群れで追い続け、必ずせん滅すると聞く。

 匂いで追うのか音で追うのかは定かではないが、つまりは今、エリーとキュールが身を隠していることなどゴズラードたちは当然気付いていて、今にも襲い掛かろうとしているとことにもなる。


「……ふー」


 壁としては頼りない大木にキュールを残し、エリーは慎重に足を踏み出した。

 ゴズラードたちは、やはり気付いていたのか姿を現したエリーにさして驚いた様子も見せず、身体を蠢かせている。


 逃避に意味はない。キュールを守りながら援軍を呼びに行くのは不可能だ。サルドゥの民たちの元へゴズラードを連れていくわけにもいかない、

 未知数の魔物ではあるが、あくまでゴズラードは“檻”の入り口にいる“だけ”の存在であって、アイルークで出逢ったあのアシッドナーガやオーガースなどの、それこそ山脈の奥にいる“ボス”ほどではないはずだ。


 だが。

 キュールを守ること。依頼主を守ること。敵も最上級の魔物ではないこと。

 そうした理屈を取り払っても、エリーは戦わないわけにはいかなかった。


 魔王討伐を目指してこの大陸に来た以上、“ヨーテンガースの洗礼”など、超えられるくらいでなければならないのだから。


―――**―――


 一体何度振り切って走り出そうと思ったことか。


「お前、もっと急げよ……!!」

「はぁ~? 急ぎたきゃとっとと行きゃあいいじゃねぇか」

「お前も小さな子を探してんだよな……!?」


 くわ、と欠伸だけを返される。

 アキラは、背後をのんびりと歩くスライクにいよいよ苛立ちが隠せなくなってきた。


 この樹海では今、奇妙なことが起こっている。

 戻ってこないエリー、行方を眩ませたキュールという少女。そして、魔物に無抵抗で殺された旅の魔術師たち。

 だが、そんな奇妙な樹海の中でも、スライクは億劫そうに歩いているだけだった。一応彼も同行者のキュールという少女を探す気はあるようで、樹海での捜索に同行してくれたが、その動作はなんとも緩慢なものだった。

 アキラなど嫌な予感が頭から離れず、今にも駆け出したいというのに。だが、この奇妙な樹海の中で、これ以上逸れて行動するのは悪手ということだけは分かっていた。


「アキラさん、放っておきましょう。この男には何を言っても無駄です」


 同行するリリルも、樹海を索敵しながら慎重に歩いていた。

 先ほど激昂したお陰か、多少は冷静さを取り戻せてはいるようだが、言葉は乱暴だった。スライクのような存在が心を開く日輪属性となると、リリルとの相性はやはり最悪なのだろう。

 このふたりから目を離さないという意味でも、アキラはひとりで駆け出すわけにもいかなかった。


「……キュールって子、大丈夫なのかよ」

「あん?」


 焦りと気苦労で頭の中がぐちゃぐちゃになりながら、アキラは呟いた。

 いなくなったと聞いてから一層機嫌が悪くなったように見えるスライクは鼻を鳴らし、索敵のつもりなのか足元の藪を蹴り飛ばした。


「まあ、死にゃあしてねぇだろ。朝までに見つければ」


 何とも言えない答えが返ってきた。

 投げやりとも言える回答に、アキラは表情を険しくする。


 キュールという少女が小さな子供らしいということはともかくとして、同行する仲間がいなくなったというのは同じなのに、アキラはスライクの心境をまるで察せなかった。

 どうもスライクとは話が噛み合わない。これは立ち位置の問題なのだろうか。


 自分なら。


「……アキラさん? 何か見えましたか?」

「い、いや。何でもない」


 アキラはつい止めていた足を強引に動かした。


 自分なら、どう思うだろう。

 その先が出てこない。

 心配というのはある。だが、そんな単純なものだけだろうか。


 アキラはスライクのこと以上に、自分のことが分からなくなった。

 エリサス=アーティがいなくなったという事実を前に、アキラが思うべき感情は果たして何か。

 答えはあるのを感じていた。だが、思い描くことが出来ない。

 形にしようとすればするほど、アキラには焦りが生まれていく。


 きっとこれは、“あの出来事”のせいだ。だが、“それが理由だとすれば”。


「―――!?」


 地震が発生した。

 アキラたちは歩みを止める。


 樹海の木々が揺れ、隠れ潜んでいたらしい小動物も魔物も慌ただしく逃げ出していく。

 断続的に岩が砕けているような音が響いたかと思えば、揺れは次第に酷くなっていった。


「なん、だ……!?」

「! 行きましょう!」


 いち早くリリルが駆け出した。

 魔法を発動しているのか、暗闇の中で銀に輝き遠のいていくリリルの背に追いすがりながら、アキラは目を細める。

 今までの経験から、こういう場合、何もありませんでしたとなってくれたことはない。

 駆けていく先では、必ず“何か”が起こっている。

 そして直感的に感じる。“彼女”もその場にいる、と。


「……!!」


 樹海の木々が薄れていき、遠目に見ていても巨大だった岩山が眼前一杯に迫る。

 壁とまで表現できるその岩壁は、しかし土煙を纏って一部が崩れていた。

 とうとう樹海から飛び出したアキラは、突如リリルに腕で庇われる。

 ぶつかりながら足を止めたアキラは息を弾ませ、目を見開いた。


「……うっ、……え、は?」


 遮るものが無い星明りに、立ち昇る土煙。妙に幻想的に見える空間だった。

 無残に砕かれたらしいベックベルン山脈の岩壁の、その麓。


 そこには、姿はカバに近く、顎はワニのような、見るからに獰猛そうな存在たちが群れをなしている。

 だが。


「……なんだ、あれ」

「ゴズラード、ですね。……ベックベルン山脈に救う魔物だったかと。いったい何を……?」


 それらを刺激しないようにリリルと小声で言葉を交わす。

 そのゴズラードというらしい魔物たちは、何故か、スクラムのような陣形を組んでいた。

 群がり、その巨体を押し合い、ただ一点に延々と突撃なのか、のしかかりなのか、理解しがたい行動を繰り返している。

 この場に現れたアキラたちなど見向きもせずに、一心不乱に突撃を繰り返す。

 餌を取り合うひな鳥のような行動にも見えるそれは、はた目からは同士討ちをしているようにしか見えなかった。


「……?」


 その隙間からは、ときおり、イエローの光が見え隠れするのをアキラは見つけた。

 思わず思い浮かべた仲間のサクと比べてもずっと色濃く、そしてどうやらゴズラードたちはその光に群がっているようだった。


「……かっ。まぁた面倒なことを」


 あっけにとられていたアキラの背後から、そんな声が聞こえた。


「―――っ!?」


 次の瞬間、アキラとリリルの間を暴風が過ぎ去った。

 アキラがそれをオレンジの光を纏ったスライクだと視認できた頃には、彼は、ゴズラードの群れに躊躇なく詰め寄り、大剣を振り放っていた。


「ゴ―――ッ」


 冗談のような光景だった。

 馬車ほどもある巨体のゴズラード数体が、スライクが振るった剣に打たれ、軽々しく吹き飛ばされる。

 重量からは想像もできないほど軽々と宙を舞って岩壁に叩きつけられ、再び地鳴りが巻き起こった。

 一瞬で魔物の群れが吹き飛ばされる光景を、アキラはこの度の道中幾度も見てきている。

 “だがそれゆえに”、それが“異常”に分類される力だということが、アキラには理解できてしまった。


 そして、その上で。

 スライクが洗ったその空間に、“存在しているもの”があることにアキラは驚愕した。


「……ちっ、まとめてぶった切ったつもりだったが……、相変わらず硬ぇなぁ、おい」


 振り抜いた大剣をそのままだらしなく下げたスライクは、目の前の“球体”にうんざりするように毒づいた。

 色はイエロー。先ほどから見え隠れしていた光は、あの半透明の小さなドームのような形状のものだったらしい。


「“盾の魔術師”……。本当に彼女は盾の魔術師なんですね」


 状況を把握したらしいリリルが小さく呟いた。

 様々な異常が立て続けに起こり、それでもあの光が魔物の類ではないとだけは理解できたアキラは慎重に歩み寄る。

 だがスライクは、今度は拳で雑にドームを殴ってみせた。直後、光の中に見えた小さな影が、顔を上げたのが見えた。


「……あ、あああっ!!」


 スライクの剣でも傷ひとつ付かなかった光の球体が、嘘のように消失した。

 中にいた小さな女の子はスライクに跳び付こうとして、しかし頭を抑え付けられる。あの女の子がキュールという少女なのだろうか。彼女があのドームのような光を展開していたのだろうか。

 理解が追い付かない状況をそれでも何とか飲み込んで、アキラはキュールという少女の隣に駆け寄った。

 そこに、探していた人物を見つけたからだ。


「お、おい! ここにいたのか、何やってたんだよ……!?」

「…………」


 行方を眩ませていたエリーは、先ほどのドームの中で、じっとしゃがみ込んでいた。

 身体中土を浴び、服は所々割け、プロテクターは歪んでいるように見える。

 恐る恐る近づくと、彼女は憔悴しているのか、眉を寄せて目を伏せていた。


「あたしが知りたい」

「は? い、いや、それより立てるか?」

「立てない!!」

「お前は……、と、とにかく立てって!!」


 スライクに吹き飛ばされたゴズラードたちが蠢いた。

 思ったよりは気力のあるエリーを強引に掴んで立たせると、アキラは剣を抜き放つ。

 獰猛さも耐久性も優れているらしい魔物の群れは、いよいよこちらを敵と認識したらしい。


「な、なあ、あれ、やっぱやばい魔物なのか?」

「……そうそう。滅茶苦茶やばいわ、さっさとあの銃でも何でも使って倒せばいいんじゃない?」

「は?」

「言っとくけど、あたしみたいな攻撃方法じゃ身体に弾かれるわよ。とっとと倒して。勝手にいなくなったりしてこのざまよ」

「何を言ってんだよ……?」


 捲し立てたエリーを見ると、彼女は視線を外した。

 破損した装備や服以上に、エリーの様子が痛々しく見える。

 アキラが口を開きかけたとき、短い悲鳴が聞こえた。


「ガキ。うろちょろするなよ」

「わっ!? ああっ!?」


 小さな子供だが、人がひとり、頭の上を通っていった。

 スライクにしがみ付こうとしていたキュールが軽々と放り投げられ、樹海付近で落下する。

 その様子を、スライクは見ようともしていなかった。


「お、おい、お前何してんだ!?」

「いえ、アキラさん。今ばかりは」


 珍しくスライクの行動を咎めず、リリルはスライク同様、ゴズラードたちに向き合った。

 いきり立っているように見える魔物たちの背後、崩れた岩盤に、なおも亀裂が入り、グレーの光が漏れ出していた。


「……かっ、随分な歓迎だなぁ、おい」


 スライクの斬撃で、それぞれが凄惨な傷跡を残しながらも、ゴズラードたちは威嚇しながらじりじりと歩み寄ってくる。

 そして、いよいよ背後の岩盤がさらに崩れ、怪しく光る鋭い眼光たちが現れた。


「そ、そんな」

「びびってんならガキのお守でもしてろ」


 見えるだけでも同種の魔物、およそ10体。その奥でも、未だグレーの魔力の光が怪しく光る。

 自身よりもずっと巨大なその魔物の群れを前にして、リリルに冷たく言い放つと、スライクは表情ひとつ変えずにふらふらと歩み寄っていった。

 スライクを警戒するゴズラードたちが跳びかかるように構えるも、スライクの歩み寄る速度はまるで変わらない。


 だからアキラは、一瞬消えたと思ったスライクが、大剣の横切りで先頭のゴズラードを薙ぎ払ったとき、戦闘が再開したことにようやく気付けた。


「ぃ―――!?」


 ガンッ!! と吹き飛んだゴズラードが岩盤に叩きつけられる。

 視認できたオレンジの光の残滓が消えて、ようやく理解が追い付いた全員が息を呑んだ。


 何度見ても非現実的な光景だった。

 またあの巨体たちが軽々と斬り飛ばされている。

 身体が硬い岩ででもできているのだろうゴズラードは、暴風のような斬撃に身体を損壊させられて岩盤に叩きつけられた。


 あまりに静かで、あまりに苛烈な戦闘の再開に一瞬遅れたゴズラードたちは、雄叫び上げてスライクへ突撃していく。

 だが、スライクが大剣を振るえば、また容易くその巨体は斬り飛ばされていった。


「ゴッ―――ォォォオオオッ!!」

「―――はっ」


 不敵に笑うスライクの攻撃の隙を縫い、別のゴズラードが脇から突撃を仕掛けた。

 だが、スライクはまた消えたと錯覚するほどの速度で離脱すると、また即座に駆け出し、手ごろなゴズラードを斬り飛ばす。


 スライクが大剣を振ればゴズラードの巨体が飛び、ゴズラードが襲い掛かろうともスライクは容易く離脱する。

 軽々と身の丈以上の大剣を操り、スライク=キース=ガイロードは、戦場を縦横無尽に駆け回った。

 恐ろしく強引で乱暴なオレンジの光が戦場を奔る。

 それは、動きが鈍いゴズラードたちが捉えられるものでは到底なかった。


 獰猛で巨大な魔物たちが、成すすべなく倒されていく。

 そんな理不尽さすら覚える光景を、アキラは見たことがある。

 この、人の身で到達しえるとは思えないほどの身体能力にあかせた、強引な戦闘は。


「に、日輪属性。……も、“木曜特化”……!?」


 隣のエリーが呟いた。

 目の前の壮絶な光景のお陰か、ようやく表情に生気が戻ってきている。

 彼女はスライクの存在を知らなかったのだから、より一層驚愕しているのだろう。


 “木曜特化”。

 聞いたことが無い言葉だが、確かにスライクは、日輪属性でありながら、あの木曜属性のエレナのような規格外の身体能力を発揮している。


 グレーの光を迸らせて暴れ狂うゴズラードたちは、スライクが大剣を見舞うたび宙を舞い、順次戦闘不能の爆破を起こしていく。

 魔物たちが何をしようとも、スライクの勝利は動かない。


「……」


 アキラはぐいと胸を抑えた。

 放っておけば、いずれ、あの魔物たちは全滅するだろう。

 見るからに凶悪そうな魔物だ。近づくのは正気の沙汰ではない。

 ゴズラードたちは今なお続々と岩山から現れるも、『剣』の範囲に入ったものから容易く斬り飛ばされていく。

 迷いなく振られるスライクの大剣に任せておけば、自分たちはこの危機を安全圏から乗り切れるだろう。そう確信させるほどの力がスライクにはあった。


 そしてきっと、今のアキラの力は、あの魔物に届かないだろう。

 エリーの様子から、彼女も大きく苦戦したことが見て取れる。


 身体中がボロボロになるほど、彼女は傷ついていた。


「……リリル」

「は、はい。何でしょうか?」

「“ファロート”、俺に使えるか?」


 ファロートは、モルオールでマリスが使ってくれた、速度と認識能力が飛躍的に向上する魔法だ。

 そしてその反動も、アキラはよく覚えている。


「え。使えますが、あの」

「頼む」


 自分が何をしているかと問われたら、言葉にできないだろうとアキラは思った。

 スライクや、あるいはリリルなら、立ち位置を決めている彼らなら、すぐに形にできるだろうか。


 自分が今抱いている感情は何か。

 スライクに対する羨望、劣等感、あるいは、ゴズラードに対する怒りだろうか。

 足元がおぼつかないアキラには入り混じった感情を、すべて捉える言葉が出てこなかった。

 ただ今、どうしても、このままあの光景を眺めていることだけは出来なかった。


 それに、とっとと倒せと言われた気がする。


「……た、耐えてくださいね―――ファロート……!!」


 リリルが銀の光を放つと同時、アキラの周囲の時間が急激に遅くなった。

 経験済みの世界だ。自分以外の時間がゆっくりと流れる全能の空間。

 そしてそこから戻ったとき、この身体には発狂するほどの反動が訪れる。


 だが、構うか。アキラはゴズラードの群れを睨む。

 この葛藤は、あの銃の力を使っても解決しない。ただ、あの場所に飛び込めば、答えの片鱗くらいは見つかるような気がした。


「なんで」


 鋭敏になった感覚が、エリーの呟きを拾った。彼女もこの魔法の反動は知っている。

 理解しがたいだろう。見ているだけでも、遠くからあの銃を撃つだけでも解決する問題に、代償を払ってまで向かおうというアキラの行動は。

 だがアキラ自身も正確には分かっていない。感覚に身を委ねた結果だ。


「……俺は勇者だ」


 その言葉はリリルにも届いただろう。

 銀に覆われた身体と剣に魔力を展開させ、オレンジの光を帯びさせる。

 リリルから見て、あるいはスライクから見て、いや、世界から見て、ヒダマリ=アキラという存在はどう映るだろう。

 滑稽だろうか。期待がかけられるだろうか。失望されるだろうか。

 いやそもそも、取ってつけたような言葉しか吐き出せない、“立ち位置”も分からない、何も持たないこんな存在は、目に映りすらしないだろうか。

 魔物討伐すら、他人の力を借りなければ満足にこなせないほど矮小なのだから。


 だが、それは認めなければならないことでもある。

 何もしてこなかった自分は、強引にでも理由を付けて、この身体を動かさなければならないのだ。


「だから戦う……!!」


 アキラは振り返りもせずにゴズラードの群れに突撃した。

 スライクに群がり、容易く斬り飛ばされている魔物たちは、アキラの方を見てもいなかった。


 “今は、それでもいい”。


「らぁっ!!」


 魔力を込めて力一杯斬りかかったゴズラードは、不意打ちにも近い衝撃に身体を泳がせる。同時、アキラの両手にもずしりと重い衝撃が残った。ゴズラードの身体は岩石どころか鋼のような硬度を持っていた。

 だが、強化されたアキラの力はその鋼を砕き、ゴズラードに致命的な損傷を与える。

 ようやくアキラを脅威と認識したのか、別のゴズラードが回り込みながら突撃してきた。アキラは即座に離脱し、また別のゴズラードに重い一撃を放つ。

 今のアキラの移動速度は圧倒的にゴズラードを上回っている。この状態であれば、いくら隙を見せようが、ゴズラードに成す術はない。

 アキラは千切れそうな衝撃が残る両腕を強引に振るい続けた。


「お前、火曜特化か……!!」


 鋭くなった認識能力が、スライクの呟きを拾った。

 それに構わず、アキラはスライク同様に戦場を駆ける。


 攻撃の瞬間に魔力を込める攻撃方法。

 アキラが最も得意とする戦術だ。

 リリルによって強化までされているとなれば、その威力は常軌を逸しているだろう。


「かっ、随分荒いなぁ、おい」

「るせぇ!!」


 お前に言われたくはない。

 完全に声が聞き取れる距離までスライクに接近したアキラは、ゴズラードに攻撃をし続けた。

 破壊力に頼るアキラと身体能力にあかせたスライクの猛攻で、ゴズラードは完全に狩られる側の存在となった。


 暴れに暴れ続けていると、エリーとリリルの姿も戦場に見つけた。アキラとスライクに任せていれば何も問題はないというのに。

 彼女たちは、何の理由を見つけてこの戦場にいるのだろう。


「っだぁ!!」


 吠え、叫び、アキラは魔物の群れを撃破し続ける。

 そんな中、上がった認識能力以上に、目の前の光景がゆっくりと見えた。


 きっと自分は間違え続けてきたのだとアキラは思う。そしてその間違いを、下らない自尊心で隠してきた。


 全員が戦場に理由を持っているわけではない。

 スライクやリリルのように煮え切った存在たちは、迷わず答えを言えるだろう。

 だが、アキラのように、何かを探している者もいるのだ。


 そしてそれは、祭りを外から見ているだけでは、絶対に見つからない。今までのアキラのように、探す土台にすら上がっていない。“立ち位置”なんて、あるはずもない。

 おぼつかない手つきでも、ふらついた足取りでも、不格好でも、まずは歯を食いしばって飛び込まなければならないのだ。

 必死に足掻いて、藻掻いて、そしてようやく、自分の“キャラクター”を見つけられる。

 もし見つけたものが気に入らなければ、そこからまた、同じ足取りで歩き出せばいい。

 “間違えるならそこだ”。参加の是非だけは間違えるな。少なくとも今のアキラは、変に格好つけていても、何も変わらないことを良く知っている。


 踊る、世界。


 下手な踊りで結構だ。そんな世界で生きている。

 今駆け続ける自分に意味があるかなんて、後で考えればいい。そうすればこの足は、きっと確かな何かを踏み締める。


「っ―――、」


 最後の1体は、スカーレットの光が捉えた。

 最後に響いた戦闘不能の爆発で、ようやく全員が動きを止める。


「はっ、はっ、はっ」


 身体の動悸が収まらない。

 一体どれほどの数があの岩山から出てきたのか。大分前から数えることすら止めていた。

 だが、爆心地と化し、より一層足元が不安定になったのに、アキラは妙に居心地が良かった。


「スッ、スライク様!! キュールも!!」

「……ちっ」


 樹海から響いた鋭い声と共に、修道服を纏った女性が駆け寄ってきた。その背後には、長い杖を背負った男とエレナも見える。

 あれだけの大立ち回りでも息を切らしていないスライクが、うんざりするように片耳を抑えた。


「ちょ、ちょっとスライク様。ここで一体何が……。キュッ、キュールは怪我をしてないでしょうね!?」

「知るか」


 スライクは大剣を腰に提げ、迷わず樹海に向かって歩き出した。件の少女は小走りでその背を追っていく。

 カイラが何かを叫びながら付いていく光景を見ながら、アキラは身体を覆うシルバーの光が徐々に薄れていくのを感じていた。


 来るぞ。


「―――っ、ぐっ!?」


 シルバーの光が消え去った瞬間、世界が急速に動いてアキラの身体を飲み込んだ。

 血管が吹き飛んだように身体中に激痛が走り、視界が高速で白黒する。

 何かを思い浮かべようとしただけで、脳の奥が吹き飛ぶような激しい頭痛が襲ってきた。


 だが、アキラは大地を踏み締めて踏み留まった。

 総ての光景が歪む。上下左右も分からない。


 それでも、まだ舞台からは下りていない。今だけは、立っていなければならない。


「ちょっと、アキラ君?」

「……戻ろう、ぜ」


 誰かに話しかけられた。

 認識しきれず、アキラは樹海に向かって歩き出す。


 何かの声が聞こえる。誰かの姿がちらつく。

 何も認識できなかった。

 むくれ上がった大地を強引に踏み締めて樹海を目指す。


 樹海の中が明るいのか暗いのかも分からない。

 そしてそこに足を踏み入れたところで、アキラは膝から崩れ落ちた。


「…………」


 倒れたと思ったのに、アキラは身体が浮いているような気がした。

 意識が薄れていく。


「いいから掴まんなさい」

「……ほんっとよくやるわ」


 最後に、そんな声が聞こえた気がした。


―――**―――


「……状況を説明して欲しいっす」


 アキラが意識を取り戻したのは、港町のクラストラスに戻ってきてからだった。

 馬車から蠢くようにして外に顔を出すと潮風が頬を撫でてきて、肌寒い。

 どうやら、サルドゥの民も依頼を請けた旅の魔術師たちも、一旦最初の港に集められているらしい。


 違和感の残る四肢を動かし、ようやく馬車の外に這い出ると、半分閉じた眼の少女にかち合った。

 明るい場所で見れば際立つ色彩の薄い瞳が、無表情の中で、抗議するような色を帯びていた。


「おっ、アッキー!! おはようございます!! おっとと、寝不足ですかい!?」

「……アキラ様、何があったんですか?」


 マリスの隣にはいつの間にかティアが立っていた。瞬きをすると、今度はサクもいる。

 いまいち頭が働いていない。感覚が鈍化している。

 頭を揺すろうとすると、アキラの頭には鈍い痛みが走った。どれだけ寝ていたのか分からないが、復調には至っていないらしい。


 アキラは曖昧に微笑んで、馬車から降りる小さな階段に倒れ込むように座った。

 身体中に力が入りにくい。熱に浮かされたように頭がぼうっとする。

 経験済みのお陰で前回よりは混乱は少ないが、やはりファロートの代償は相変わらずらしい。


 視線を這わすと、港では、昨日から見た顔が点在していた。

 その中、小奇麗な黒の正装に身を包んだ見慣れない集団が駆け回っている。彼らは国の魔術師かこのクラストラスの護衛団か何かだろう。

 皆は、昨日の依頼で起きた事件の報告でもさせられているのだろうか。


「アキラ。目を覚ましたみたいだね。……ああ、みんなも来てくれたのか」


 遠くの集団から歩み寄ってきたのはイオリだった。

 マリスたちを見つけると小さく苦笑し、軽く目を伏せる。


「すまないね。こちらがここまで長引くなんて思わなくて。すぐ向かおうと思ってたんだけど、この通りつかまってしまっていてね」

「お前、報告とかしてたのか?」

「ん? ああ、そんなところだよ。……ほら、あの“勇者様”と一緒にね」


 イオリが抜けてきた場所で、リリルが何人かと言葉を交わしているのが見えた。

 あのときアキラは、彼女の前で、生意気にも勇者を名乗ったような気がする。彼女の瞳には、ヒダマリ=アキラという人物はどう映っただろう。


 考えるのも億劫で、アキラは視線をイオリに戻した。


「本当はあのラースさんが適任なんだろうけど、どこに行ったのかな? いつの間にかいなくて」

「…………そうだ、もうひとりの勇者は?」

「いや、彼らこそもういないよ。儀式が終わった途端飛んでいってしまってね。随分移動に長けた召喚獣みたいだ」


 リリル=サース=ロングトンという勇者。

 そして、スライク=キース=ガイロードという“勇者”。あるいは、“男”、か。

 鈍った頭の中で、おぼろげに昨夜の出来事が浮かんでくる。

 ヒダマリ=アキラと違い、そして両極端にいる存在たち。

 その出逢いは、アキラに妙な焦りを生んだ。

 果たして自分は、昨日、一時でも、何かになれたのだろうか。


「エリサスとエレナもふたりでどこかに行ってしまったみたいだ。……流石に徹夜だからね、疲れたんだろう」


 それならお前は、と言いそうになって、アキラは口を閉じた。

 イオリに言っても無駄というのはもう知っている。せめて何か手伝えればと思ったが、刻一刻と頭が働かなくなってきていた。


「イ、イオ、リ。悪いんだ、け、ど」

「ああ、アキラはもう少し休んでいるといい。何とかしておくよ」


 頭だけ下げて、アキラは肩の力を抜いた。

 また彼女に大きな借りを作った気がする。


 視線を落としていると、思考が波打ち際のように緩急をつけて流れてきた。


 昨日の自分の行動は、“何か”になったのだろうか。

 居ても立ってもいられずに動いたことは、果たして何になるのだろうか。


 はたしてエリーの機嫌は治ったのだろうか。

 結局倒れ込んだアキラを見て、失望したかもしれない。


 精一杯やったつもりだが、結局何に繋がったのかは分からない。

 だが、思ったよりも悪くない気分だった。


 だから、きっと、これでよかったはず、なのだ。


「……だから、」


 ジリ、と、足音が聞こえた。

 ゆっくりと顔を上げると、少しだけ色彩の強い瞳が近くにあった。


「状況を説明して欲しいっす」


―――**―――


「中々に役立つものを作ってくれるな、ガバイドは」


 クラストラスから離れた平原で、ゆったりと歩くひとりの男が呟いた。

 金の長髪を風になびかせ、先ほどまでより少ししわがれ声に変わったその男は、ラースと名乗って依頼に参加していた“存在”だった。


 その存在は、ローブの中から小さな石を取り出した。

 半透明でひし形のその宝石の中では、深いスカイブルーの光が小さく光っている。


 それは特殊なマジックアイテムだった。

 所有者の魔力を“変換”し、水曜属性の魔術を放出することが出来る。

 名前もまだついていない、発明されたばかりであるらしいそれを、男は、握り砕いた。


 手から零れる宝石の残骸を払い、歩き続ける。もう用はない。


 このマジックアイテムは、ほとんどの場合なんの役にも立たないだろう。

 所有者の属性を変えられる反面、その変換は極端に効率が悪い。普通の魔術を使うだけでも、膨大な魔力が必要なのだ。


 精々、 “目立ちすぎる色”を隠せる程度、か。


「……」


 男は、昨夜のサルドゥの民の儀式、そして旅の魔術師たちの死亡事件を思い出す。


 この依頼で男は、友好的に立ち回り、ある程度の信頼を得て、それでいて深い関係を築かず、つまりは、利害関係のない便利な男という自分の“キャラクター”を作った。

 それだけで、旅の魔術師たちは自分が分け与えた食料に警戒心を抱かない。


 “勇者様御一行”を除くすべての魔術師に配り終えた食料には、仕掛けをしておいた。


 見破られる恐れのある強い毒薬を混ぜたわけではない。

 検知される可能性が高まる魔術を使ったわけではない。


 あの食糧には、ただ単に、睡眠性のある薬物を含ませただけである。


 それだけで、“依頼が翌日まで及ぶと思っていなかった”旅の魔術師たちは、疲労も重なり、危険な森林で寝込むことになるのだ。

 依頼の時間を書類から削除するのも、どこか抜けているあの女性が担当になるようにするのも随分と根回しする羽目になったが、仕方あるまい。


 それよりも、儀式の地に新たな勇者が現れた騒ぎのせいで、本来の目的である、儀式のやぐらに細工をする方が苦難を強いられた。


 だが、すべて想定通りの結果を迎えた。


「……」


 手に残った宝石の欠片をこねるように握りながら、男は小さく笑う。


 バオールの儀式。

 由来やその効果は伝承によるもので、現代のサルドゥの民には正確には伝わっていないが、男は断言できる。


 あの儀式は、“本物”である。


 世界各地にある儀式は、それぞれ歪んだ形で伝わっていくゆえに、すべてが正しい効果があるものではない。

 だが、その中にも、稀に正当な手段と結果が伝わるものもあれば、歪んだがゆえに別の効果へ変わり、男にとって望ましくない結果を生み出す“本物”がいくつか存在する。

 バオールの儀式はその中のひとつなのだ。


 だが、今回介入したことによって、昨晩行われた儀式の作用は逆になる。

 魔王の力を奪うとされるバオールの儀式は、異なる力で完成された。


 効果は微々たるものではあるが、その僅かすら、今回は惜しいのだ。


 “何しろ結末が近づいている”。


「……3人、か」


 男は振り返り、小さく見えるクラストラスを眺めた。

 今頃あの町では、魔術師隊たちが、あの依頼で起きた事件について調査を進めているであろう。

 そして、認知されるだろう。“3人の勇者候補”が。


「……誰でもいい」


 男は呟き、手のひらに纏わりつくように残った宝石の残骸を、魔力で払う。


 誰が来てもいい。

 いっそあの3人でなくてすらいいのだ。


 “スイッチ”を押せるのならば。


「間もなくだ」


 男は煤と化した宝石を払い歩き出した。

 キラキラと零れる宝石の欠片は、オレンジの光で燃えていた。


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