#7 白嶺の魔女
──魔法とは、イメージである。
魔力持つモノが古の呪文を口にする際、その意味に込められる使い手の想像力。
あるいは、その概念を定義づける力によって紡がれる心象。それこそが魔法。
──魔力は、たとえるならば無色の絵の具だ。
それだけならば、何の色にも染まっていない。
感情や想いといった顔料を混ぜることで、初めてどういう色になるかが決定される。
──呪文は、筆だ。
色の定まった魔力を使い、魔法という名の絵を描くため使われる便利な道具。
その筆でどういう絵を描くかは画家の自由にできるし、そも、どんな筆を選ぶかは画家の好みによって様々。
ゆえに……COG世界の魔法使いは、ある意味で、一種の表現者と言えなくもない。
芸術家やクリエイターが己が魂を糧に全霊をかけて作品を生み出すように。
魔法使いは、己が魔力と想いを以って、魔法を完成させる。
“火”という単純な呪文でさえ、発揮される効果は実に多様だ。
明かりを求めて唱えれば松明として。
暖を取るため唱えれば暖炉として。
焼くことや燃やすことを狙って唱えるなら、燃焼力や引火性が増大した火を生み出すだろう。
だが、ここで面白いのは、魔法は使い手の意図した通りの効果を第一に顕現させるというコト。
松明として火を用意したなら、その火は明るさという点で十分以上の効果を持つ。
しかし、別の用途。
たとえば、熱で溶かすだったり燃やすという風に使おうとしたところで、元にしたイメージが光源なら、効果はあくまで副次的な範囲に限られてしまう。
火である以上、燃やすことや溶かすことも決してできないワケではないが。
魔法によって作られた火は、使い手の心象によって多大な影響を受けている。
単純な物理現象としての火と比べて、汎用性には優れない側面がどうしてもあるのだ。
ゆえに、だからこそこの世界ではイグニスの呪文が初歩中の初歩とされている。
新米魔法使いが扱う初めての魔法として、火は実にイメージしやすく。
また、生活に密接したものでもあるから、様々な概念を孕んでいる。
人類にとって火は、文明の象徴に他ならない。
一つの呪文から複数の用途……概念を見出すコトは、魔法使いにとっては永遠の宿命とも言えるだろう。
では。
魔法が使い手の心象・イメージそのものであるならば、自ずとその限界というものも見えてこないだろうか。
これは、悲しいかな人と魔の間であまりに歴然としている。
人の想像力には限りがある。
たとえどんなに空想力豊かな人間だろうと、識らないことは思い描けない。
まして抽象的で曖昧、複雑な事柄なら、 どうやってその用途を定義づけられる?
仮に、“叡智”という呪文で考えてみよう。
一言で叡智と言っても、その言葉の意味から浮かび上がるイメージは何だろうか。
頭がいいコト?
じゃあ、頭がいいって具体的には?
物知りであるコトか?
数学や化学に精通しているコト?
勉強ができて、たくさん本を読んでいるコト?
どれもこれも、正直しっくり来ない。
辞書を紐解けば、
【叡智】
すぐれた知恵。
物事の道理に深く通じる才知。
なんて言葉が返ってくるけれど。
じゃあ物事の道理って何だよ。
深く通じる才知って、結局は叡智と同じ言葉じゃないか。
煙に巻くのは止してくれ。
そう、愚かな僕は思ってしまう。
きっと大多数の人が同じだ。
叡智なんてモノの本質は、抽象性を伴う言葉でしか表現できない。
つまり。
人間の頭では理解しきれない物事。
また、その本質を解く言葉がそもそも無い──あるいは、まだ生み出されていない──のであれば。
魔法は、自らのイメージ性を最初からある程度損なうコトになる。
火は分かりやすい。
分かりやすいから効果も実にシンプル。
一方、叡智は分かりにくい。
分かりにくいから効果も実に判然としない。
端的に言えば、まぁそんな理屈だ。
だからこそ、大抵の魔法使いはそういう分かりにくい呪文を、自分が使いやすいようにあらかじめこういうものとして定義しておく。
そうでもしなければ、魔法なんてとても不便で仕方がないからだ。
単にいちいち頭を悩ませるのが非常にストレスだというのもある。
──とはいえ。
これはもちろん、人間の魔法使いにとってはの話であり、そうでないモノにはまた別の話だ。
当然ながら、人間に理解できないからといって、魔性のモノにもそうであるとは限らない。
中には人間などよりよほど頭脳に恵まれた存在もいる。
永き時を生きることで、自然と森羅万象を読み解くようになったモノもだ。
そういう存在にとって、魔法とはまさしく字義通り。
制約などなく、限界もまたあるはずなし。
己が魔力という根本的な縛りこそあるものの、それさえあれば何だってできる。
そして、人外・異形・怪異と呼ばれるこちらと境界を異にするモノどもは、その深度が深ければ深いだけ魔力も潤沢だ。
特に魔女などは、ほとんど万能である。
人間には理解できないコト。
人間では本質を捉えられず、どうあっても具体性を欠いてしまうモノ。
そうした呪文──『困難呪文』を、あちら側の存在は普通に唱えてくるのだ。
必然、発せられる効果だって向こうの方が上に決まっている。
同じ呪文で対抗しようにも、向こうの方が理解力も想像力も上なのだから、勝負は始まる前から一目瞭然。
ならば、人間にも分かりやすい概念で無理せず挑めばいいじゃないかと考えたとしても。
“火”には“炎”という上位概念があるように。
大抵は無意味と散る。
魔法使いが印によって呪文・概念の重ねがけをするのは、そうすることでしか対抗手段がないからだと言う他にない。
だが。
魔法使いは、ある一つの方法によってのみ、自身の理解力等とは何ら関係なく、簡単に困難呪文を使えるようになる。
自分ではその意味も本質も分からず、理解なんてまったくしていない。イメージするなんて以っての外。
けれど、その方法を以ってすれば問題なく扱える。
それどころか、あちら側の存在と真っ向からだってぶつかれるほどの力を、自由に引き出すことさえ可能に。
すなわち──使い魔である。
契約を交わし魂の癒着を進め、文字通り一心同体と化した彼らの力を借りることで、魔法使いは契約した使い魔の能力を我がものにできるのだ。
たとえ呪文の本質など理解しておらずとも、魔法使いは杖を介しパートナーに意図を伝え、後はただそのように効果を発揮させるだけでいい。
そうすれば、時に叡智の呪文を使うことでまやかしを暴き、真実を見抜くこともできるだろう。
──しかしながら。
しかしながら、例外というのは何処に行っても何にでもあるもので。
たとえ人外だろうと異形だろうと怪異だろうと。
彼らもまた、識っていなければ使えない呪文というのがどうしても存在する。
生まれながら足を持たず翼しか持たないモノがいたとして、そんな存在に歩くという概念は理解できるだろうか?
答えは、いいやできない。
つまり、何が言いたいのかというと。
命を落とす。
その本当の意味は、人も魔も、これまで生きてきたことしかない存在では、誰にも分からない。
命を奪うことは分かっても、自らがそうなったコトは一度だって無いがゆえに……
「────“死”」
その呪文は、生者には決して逆らえない魔法だった。
気がつくと、そこは地獄と化していた。
極寒の雪山で何を馬鹿なと言いたくなったが、そうとしか言い表せない光景が厳然と広がっていた。
パキパキと、ポキポキと。
ケタケタと、ズルズルと。
真っ先に分かったのは、それが真の姿をさらけ出している途中だったコト。
闇夜の雪山。
吹雪はいつの間にかやんで、雲の隙間から月と星の明かりがまるでビロードのように差し込んでいる。
しんしんと降り積もった白雪の上。
僕はマントのようなもので厚くくるまれ、笑えるほど呑気に寝かされていた。
「ひっ、ひゃあああッ!」
「狼狽えるな! 背中を見せれば死ぬぞ!」
「クソ、クソ、クソァ!」
「……数が、多い!」
「た、助け──」
鈍痛が頭の中で響く。
魔法によって眠らされ、その効果が恐らくまだ切れていない。
(……意識が、途切れる)
それでも目を覚ましたのは、付近が異常に騒がしくなっているからか。
もしくは、近くに忍び寄るあの気配に本能がそうさせたのだろう。
戦慄が背骨を震わせる。
恐怖が鳥肌となって全身を這いずっていた。
「……クッ」
ふらつく手足に力を入れ、何とか立ち上がる。
身体を包んでいたのは、やはりマント。
僕のものではない。
どこかで見た気がするが、誰のものだったか……
ハッキリしない意識に歯を食いしばる。
すると唇が切れた。
ジンジンとした痛みが、程よい刺激となって脳をクリアにする。
「ああ、そっか」
そこで僕は状況を完全に理解した。
自分が犯した失敗。
それにより始まった絶望。
もう何人だ?
いったい何人、僕のせいで死んだ?
分からない。
現在進行形でその数が増加していってることは分かるが、これまでを想えば到底数えてなんていられない。
空から差し込む月の光が、銀世界を嘘みたくキレイに照らしている。
そして、僕は見た。
この十年間なに一つ変わることのなかったママを。
「──違う。
コレじゃない。コレ? コッチかしら?
違うわね。違うな。ぜんぜん違う……。
私の子はドコ? 愛しい坊や、可哀想に、今ごろ寂しがってるのよ。
ねぇ、どこに隠したの。なぜ奪ったの。分からない、分からないぃぃッ!
教えろ。教えて。教えなさいよ。ああ、ぁあ、ああぁぁ……。
ここは寒い。寒い寒い寒いッ! どうしてこんなに寒いの?
……あの子がいないとダメなのに。あの子がいないとあの子がいないとあの子がいないとォォッ!!
ふ、ふふ、ふふふ。そう。そういうコト。もしかして、またなの? またオマエたちなの?
ひぃ、ふぅ、みぃ、こんなにたくさん……。
忌々しい悪魔ども! よくも私の前に姿を現したな!
──死ね。死んで死んで死んで死んで死んでェッ! 永劫呪われろッ!!!!」
その姿を、何と例えよう。
愛に狂った化け物。
悲しい怪物。
可哀想な女性。
僕はこれまで、彼女を色んな視点から眺めてきたけれど、どれも正しいようで間違っている。いつだってそんな気がしてならなかった。
それは彼女の真の姿を知っているからでもあり、白嶺の魔女の正体を知識として知っているからでもあっただろう。
これは恐ろしい存在だ。
人とは相容れぬ化け物だ。
殺し、喰らい、悲劇を生むだけのモノ。
だけど、最終的にはいつだって憐憫が勝った。
同情し、愛を感じて、しんどく。
僕はどうして、前世の記憶なんてものを持ったままなのかと、そう有り得べからざる『もしも』に想いを馳せもした。
しかし、これを見れば。
この姿を目の当たりにすれば。
そんな感覚も分からなくなる。
薄れて、消えて、気の迷いだったんじゃないかと。
自分を疑いたくなって仕方がなくなる。
だから目を背けた。
あの日はじめて、この両目にその姿を映した時から、ずっと。
……なのに、ああ。
「ムリ、だって、これは……」
背中から生えた無数の手。
氷ででき、枝のように連なり広がって、翼とすら見紛うおぞましき屍人の手。
それらは絶えず蠢き、増殖し、パキパキと音を立てながら獲物を探している。
我が子はどこか。
奪われた愛を必死に求めて、おびただしい量の手の群れが、命の熱を欲しがっている。
百か、千か、万か。
もしあの無限に増え続ける手のどれかに捕まれば、そこでおしまいだ。
資格なきモノはたちまち白嶺の魔女の下僕となってハイさようなら。
文字通り、手に落ちる、というやつ。
ほら、ちょうどこんな風に。
「やっ、やめ──うああああああああああああああああああああ、あああああ、ああ──」
パキパキ、ポキポキ。
屈強そうな男性だったのに、『手』に捕まった瞬間みるみる命の熱を奪われ凍死してしまった。
頭を捕まれ、空中に吊り下げられて。
まるでそういう果実かのようにぶら下がって。
「違う」
そして、たった一言で潰される。
グシャリと、白い雪肌を柘榴のように濡らして。
……なのに、それでもまだ終わりじゃない。
「お、のれ、白嶺……!」
「手に捕まるな! 捕まれば奴の奴隷になるぞ!」
「刻印騎士団の底意地を見せろ……!」
「くっ、わらわらと湧いてくるんじゃねえ──!」
動く凍死体。
白い肌、虚ろな目、青ざめた死。
もはやそれは、軍隊とすら呼べた。
それだけの数が、彼女の足元からズルズルと湧き続けている。
ケタケタと耳障りな笑い声をあげながら、山を作り。
白き山。
うずたかく積み上がった屍の。
──白嶺。
「ヒ、ヒヒ」
心なしか、周囲の気温が下がったようにも感じる。
冷たく、暗く、身体の中の肺腑すら凍えてしまいそうな冥府の風。
……これこそが、彼女の心象だ。
白嶺の魔女が恐れられる由縁にして、見るものに根源的恐怖を与える絶望。
死というモノへと抱く、嘆きと怨み。
僕は足元に転がっていたナイフを拾い、一歩一歩山の方へ近づいていった。
恐らく、この混乱の中、誰かが落とした武器なのだろう。
丁寧に研ぎあげられ、大事に扱われてきたことが、握る感触だけで伝わった。
僕は胸の中で謝り、それを自らの喉元まで近づける。
「ラズワルド君!? どうして起きて──いいえ。何してるの!! 戻りなさい!!」
遠くの方から声がする。
フェリシア。よかった。まだ生きてた。
きっと、彼女が僕を連れ出して、ここまで逃げ続けてくれたんだろう。
刻印騎士団の仲間とも合流して、もしかしたら皆んなで僕を守ろうとしてくれたのかもしれない。
──けれど。
「死は暗くて冷たい」
「ラ、ズ、ワ、ル、ド……?」
「帰ろう、ママ。それとも、僕が死んでもいい?」
「…………」
偽物のために本物が傷つく展開なんて、クソ喰らえだ。
ハッピーエンド以外は要らないんだよ。
僕は笑顔で、自分の喉をチクリと刺した。
血が一滴、浮かび上がる。
「ッ!!」
途端、ママが露骨に動揺するのを肌で感じ取った。
「さぁ、もう帰ろ? 僕はここにいる」
「ダメ! ラズワルド君っ、ダメよ!」
「アアァァ……ラズワルド。愛しい子。大変。怪我、怪我を。手当てをしなきゃ。急いで、急がなきゃ……」
「うん。じゃあ、手を繋いで?」
「! ……ええ、ええ! もちろんよ。さぁ、帰りましょうね。私たちの家に」
「白嶺ィィィィィィッッ!!!!」
フェリシアの叫びが聞こえる。
しかし、後ろを振り向くことはしない。
僕がここでママ以外を見れば、彼女は荒ぶる魂のままに再び殺戮を開始するだろう。
数多の手が、背中の中に消えていく。
動く死体の山も、雪山と同化するように沈んでいった。
そして。
最後に、幾人かの子どもの霊が。
ズブズブと、ママの影へと、溶け込んでいく。
「“闇”」
ママが呪文を唱えた。
「!? 視界が……!? ヴェリタス!」
「……ダメだ、フェリシア! ワタシも見えない。なんてことだいッ、これは全盲の呪いだ……!」
「な──」
風に乗って耳へと届く絶望の音。
僕は下唇を噛んで、振り返るのを堪えた。
血がドクドクと垂れる。
「大変! 唇から血が! 家まで、とりあえずこれで押さえて」
ママはドレスの袖を引き裂くと、優しく僕にそう言った。
明かりは消え、空は再びの曇天だった。