#71 大看板の秘宝匠
ザッ、ザッ、ザッ。
外に出ると、すでに路上ではあちこちで雪掻き作業が行われていた。
北方特有の街並みらしく、幾人もの男たちが慣れたようにそれぞれのシャベルを振るっている。
砂熊、砂梟、砂羊。
誰もかれも、面白いくらい着膨れし、なんだかずんぐりむっくりとした装いだ。中にはエールを片手に仕事をしている者もいる。
「昨夜は割と、降ったみたいですね」
「そう……みたいですね。瓦礫街にも『暖気灯』は置かれてるので、こんなに積もることも滅多にないんですけど……」
「たしか、地面を暖めてくれる街灯でしたっけ? 秘宝匠製の」
「はい。正確には、足元の空気を暖めてくれる街灯ですね。積雪や路面の凍結を防ぐ効果があるので、被災後、瓦礫街では真っ先に敷設が急がれたモノのひとつです」
「ふぅむ。電気もガスも使わない床暖房……いや、この場合は街灯だし、どっちかっていうとストーブとかヒーターが近いのかな」
「スト……ヒータ……? え、えっと、すみません。よく分かりませんけど、暖気灯は灯火のロゥが手掛けた作品です。優しいおじいちゃんで、普段はとってもステキな蝋燭台なんかを造ってるんですよ? 値段はまったくステキくないんですけど」
「へー!」
ルカさんの説明に、僕は素直に感嘆の息を吐いた。
(最後に追加された一言はともあれ、さすがはリンデンだ)
神の恩寵が宿った工芸品の話をさせれば、街のふとした景観の一部でさえ、目を見張る逸品と来ている。
以前滞在したときには半ば軟禁状態だったというのもあるだろうが、こうして自由に外を出歩いてみると、予想以上に 工夫が多いことに気づく。
「リンデンと言えば、前は銀が特産のイメージでしたけど……ま、そりゃそうか。魔除けのお守りがいくらあったって、現実的な寒さはどうにもならないですもんね」
人々の暮らしを助けるとは、何も魔物を退けるコトだけを意味していない。
人類文明を愛している神だからこそ、人間の営みや生活に役立つ奇跡をも提供する。
秘宝匠には、言うなれば社会インフラを安定させ、整える役割も期待されているワケだ。
よく見れば、通りすがりの男たちが手に持っているシャベルなんかも、一部は妙に神々しい。ピカピカと光り輝いている。何に役立つのかはパッと見、わからない。
まぁ、それはさておき。
「……敗れたりとはいえ、腐ってもリンデン、か。
なんか、こういうのを見ると素直に感心します。人間って結構、神経が図太いですよね」
「? それは……どういうところを指して、です?」
「いや、仮にも神様の奇跡を目の当たりにしているのに、それを生活の一部にしているっていうか。下手したら家電扱いというか……。まぁ、ここじゃあそれが当たり前なんでしょうけど」
「か、かでん……?」
神のご加護やご利益だろうと、便利なものなら構わず受け入れる。
そういう姿勢は、恐らくかつての世界で言うところのテレビやスマートフォン、電化製品の類に対するものと同種のものだ。
正確な仕組みなんかほとんど分からないし、どういう原理で成り立っているかも完璧には説明できないが、それでも使える。使えるから、疑問も持たない。
カルメンタリス島の人々にとって、神の祝福や恩寵、奇跡といった代物は、そういう在って当然のもの。
(いちいち驚くのも変なのかもしれないけど)
改めて、この世界はファンタジーなんだなぁとしみじみ実感する。
超常現象が基本的に現実として存在しているから、僕からすれば紛うことなき超常現象でも、僕以外にとっては何ら目を見張るべき超常の現象ではない。
神様のありがたみが実際に目で見え、触れ、体感できる。
(そりゃあゼノギアみたいな熱心な信者が生まれるワケだし、あれほどの信仰心が育まれるのも必然な土壌ってワケだよね)
「神は《《いませり》》。灑掃機構の件もそうですけど、ここで暮らす大勢の人にとって、神やその眷属は、何らその実在を疑うものじゃあない。教会の力が広く及んだのも、こういうたしかな証拠があってのことなんでしょうね」
点々と立ち尽くす暖気灯。
それに軽く一瞥を送りながら、僕は前を歩くルカさんの後をしずしずと追う。
元より、こと更に大声を出して自分から目立とうという気もまったくないが 、降り積もった雪が自然と音を吸い取るためなのか、そう意図しなくとも、何処となくくぐもったような空気が鈍い静けさを生んでいた。
ルカさんはチラリ、と後ろを振り返り、一度迷ったような雰囲気を醸し出しながら、やがて言った。
「……えっと。もしかして、ラズワルド君は……その、神様を信じていないんですか?」
人目を憚るような小さな声。
しかし、どうやら道行きの雑談に乗ってくれる程度には、緊張も解けてきたのかもしれない。
あるいは、図らずも《《先輩》》となってしまったとはいえ、与えられた仕事はきっちりこなす性分ゆえか。
どちらにせよ、ここからしばらくは共に過ごす時間も多くなる。
諦めと切り替えの表情が垣間見えた。
「信じていますよ。ただ、教会の言うような人類の庇護者だとか、そういう宗教的な見方はしてません」
「じゃ、じゃあ……いわゆる混沌神論の方を? 教会の教えとは別の、外縁の魔法使い、魔術師たちが信じてる……」
「ああ。まぁ、どっちかって言うとそうですね。けど、だからといってそっちだけ、ってワケじゃあないです。僕自身としては、まぁ、正直なところ半々が近いですかねー」
「そ、そうですか……でも、少し安心しました。団長も言ってましたが、この頃は天罰令の噂もありますから。宗教関連はただでさえ慎重な対応が必要になるので、ラズワルド君がガチガチの異端者じゃなくて良かったです」
「ははは。余計な火種がこれ以上増えなくて?」
「はい。後で話しますけど、今のリンデンには実はもうひとつ面倒な問題があるので……刻印騎士団の一員になったラズワルド君には、いろいろ事情を把握しておいてもらいたいですから……」
「──分かりました」
頷き、大人しく了承する。
ブラックジョークを交わし合うには、どうやらまだまだ絆が足りないようだ。
ははは、と笑った僕に対し、ルカさんの即答には暗にお前も問題のひとつなのはちゃんと分かってるんだろうな? という響きが滲んでいた。
(距離感って、ムツカシイよなー)
すん、と肩を竦めて先輩の意に従う。後でと言うからには、後で話を聞こう。
とはいえ本題。
「──ルカさん。いや、ルカ先輩」
「うっ。な、なんですかラズワルド君。言っておきますが、私は誰かに先輩と呼ばれるほど大した人間じゃあないですよ。これまでも、数多の後輩の後塵を拝してきました。そんな私を先輩と呼んだところで、どうせ君もすぐに私より出世します。むしろ、今のうちに呼び方を固定しておいた方がいいかもしれない。ベロニカなんか、あっさりと作戦隊長になりましたからね。なので、ラズワルド君。いやラズワルド隊長。私のことは先輩と呼ばず、単なるルカと呼び捨ててくれても構いませんが?」
「いや…………なんか、地雷踏んだなら謝りますけど……僕が訊きたいのは、あとどのくらいで着くのかです。
たしか、夜までにはまだ時間があるから、宰相閣下と会う前に、昼の内に騎士団の仕事を少し経験してみましょう、って話でしたよね」
「──ごめんなさい。大人になると、人は誰しも心の中にひとつやふたつ、闇を抱えてしまうものなんです……」
「ツラい話はいいので。それで、行先を聞いてませんでしたが、どこに向かってるんです?」
さらりと受け流すと、ルカさんは「この子、辛辣……!」と泣きそうな顔で呻いた。
が、黙って見つめていると瞬時に真顔に戻って、やがて重い口振りで説明を開始した。
「じゃあ……教えます。
今現在は赤鉄と瓦礫のちょうど狭間に位置する職人たちの家。
かつては覇権たる『聖銀』の大看板が飾られ、しかして今は慈父なる『灯火』が後を代わった……この都市で最も欠かせない心の臓──リンデン秘宝匠組合」
今日はあそこで、改めて先日の件の聞き込み調査を行います。
特徴的なグラデーションヘアーから微かに爽やかな柑橘系の香りを漂わせ、先輩は立ち止まると、眼鏡の奥から視線で目的地を指し示した。
──果たして。
そこには、世にも珍しい奇妙な複合建築物。
瓦礫街の継ぎ接ぎのような、言うなれば応急処置的家屋ともまた違った、厳かだが雑味を帯び、且つ洗練された様相の、まるでパズルのような小砦が建っているではないか。
思い浮かんだ一言は素直にこれ。
(芸術って、よく分かんない)
ただ、すごいなとは感じたので、僕は「おおー」と童心に返ったように感嘆しながら、先輩とともにゆったり歩を進めた。
パッと見ただけでも、明らかに異なる建築様式が複数同居している。
職人と言えば頑固なイメージが付き物だが、これを見ればたぶん誰でも分かるだろう。
きっと、中にいる人間は、想像しているより遥かに一癖も二癖もあるに違いない。
魔法使いと秘宝匠ってことでも本来相性はあまり良くなさそうだし、軽く怒鳴られるくらいは覚悟しておこう。
(いや、憂鬱だな)
素直にそう思った。
§ § §
──さて。
ときにだが、ここでひとつ秘宝匠について話をしよう。
秘宝匠とは、神の祝福を得て恩寵を授かり、奇跡の宿った工芸品を造り出す職人を指す言葉だが、ここから先の話をするにあたり、いくつか整理しておかなければならない事項がある。
ひとつ。秘宝匠になる人間は皆が神を信仰している。
創造神カルメンタは、自身に似せて創った人間が、自分のなかから特に何かを創り出す力を受け継いでいると知り、結果として人類文明を深く愛するようになった。だから、神は人間を庇護するようになったと教会も謳っているからだ。
そして事実、神は一流の中でもさらに神がかった腕の持ち主に対して、より特別なギフトを授ける傾向がある。
つまり、リンデンに留まらず、カルメンタリス島に存在するすべての職人たちは、自らが職人としてどれくらいの域にいるのか。それを、秘宝匠になることで初めて、最高だと証明が可能である。
生きていくため、暮らしていくため。
神から押された太鼓判があれば、およそ職人として生涯食いっぱぐれることはない。
ゆえに、いつの頃からか職人たちは、揃って教会の教えを守るようになった。
無理のない流れである。
神を信じ、その善性を敬い、日頃から感謝を忘れなければ、それだけ自身が秘宝匠に選ばれる可能性もきっと上がるだろう。
信仰の有無が明確に効果を期待できるかどうかは、その実、誰にも分からないけれど。
研鑽を積み、修練を重ね、来る日も来る日も修行の毎日。
職人として当然の苦労だと言われても、多少、報われたいと望む心は誰しもに共通で、風の噂に「敬虔で有名などこどこの誰々が秘宝匠になったそうだ」などと聞いてしまえば、皆、自分だってと思ってしまうもの。
第一、秘宝匠になった当の職人からすれば、神への歓喜と感涙は防ぎ得ようがない。
自らが手がけた作品に人智を超えた奇跡が宿り、それが魔物を遠ざけ聖なる威光に包まれていると思えば、神へと向ける敬愛と感謝は天井知らず。熱心な信徒にも、そりゃなろうものだ。
だが、ここにひとつ困った事実があった。
神の愛は思いのほか、広く注がれていた点である。
秘宝匠になり、職人としてこの上ない腕前を持つといざ実際に証明されたとしても、人間の数は多く、千人規模の街に行ってみれば、だいたい五十〜百人前後は自分と同じ秘宝匠がいた。
しかも、同じ秘宝匠でもその腕前によって与えられる恩寵は異なり──不遜な言い方にはなるが──奇跡にも質、程度の差が存在したのだ。
そうなると、秘宝匠同士でも自ずと格の違い……看板力の違いが生じてくる。
自らが生涯をかけて辿り着いた至高の逸品。
神の奇跡が宿ったからには、以降、職人はその作品に特化した道を選択する。
一種の求道と言い換えてもいい。
極めれば極めるほどに、聖なる力が己が作品に宿る充足感は、いっそ麻薬依存にも似た生き方とも表現し得る。
しかし、よく言われるが、如何なる道も極めようとして極められるものではない。
才能の限界。運否天賦。個人によって到達できる臨界点は悲しいかな違うためだ。
結果、同じ秘宝匠同士でも、神の祝福と言ったカタチで腕の差は歴然と浮き彫りにされ、大衆は残酷に現実を突きつける。
──おまえの作品より、あいつの作品のがすごいじゃん。
一生懸命、一生懸命。
犠牲にしてきたものは多いはずなのに、それでも届かぬ至高の極み。
悔しさと妬ましさと憎らしさから、過去、秘宝匠による殺人事件が起こったコトは各地で大量にある。
よって──『秘宝匠組合』
事態を憂慮した大昔の秘宝匠が、自分たちの生き方には互いが互いを尊重し合うためのルールが必要だと話し合い、以って創立されたのが、このギルド組織だった。
課されたルールは主にひとつ。
秘宝匠は、ひとつの街に同業者を置いてはならない。
たとえば、同じ鍛治職人でも、祝福を授かったのがとりわけ『剣』なら──その街に二人目の『剣』は居てはならない。
斧や槍であればいい。
しかし剣だけはダメだ。
不幸を招く。悲劇を呼び起こす。憎悪と悲嘆がやがてやって来る。
ゆえに、秘宝匠組合は基本的に秘宝匠同士の連携を密にし、住居や転居、移住といった事柄をまとめあげ、それぞれに合った『看板』を発行する役割を持っている。
俗に言う、『看板発行制』である。
無論、その他にもたとえば組合単位での仕事の引き受けだったり、あるいは新人を適切な顧客の元へ売り込む斡旋業なども行ってはいるが、一番大事に優先されているのはこのルールを置いて他にない。
──なぜなら、職人にとって、秘宝匠になるのと同じくらい夢に思い描くのが、自らの店を構えるコトだからだ。
どの職人も、はじめは使い走りの小僧から始まり、見習い、弟子入り、独り立ちへと道を進んでいく。
仮に秘宝匠にはなれずとも、小さな店でもいい、自分だけの居城を構えられたら、どんなに幸せなコトか。
ゆえに、秘宝匠となって組合に認められ、自分だけの看板を発行、名実ともに自分自身が屋号そのものに等しい価値を持つとその名を背負って立った時。
職人は、誰あろうと万感の想いに取り込まれる。
秘宝匠にとっての看板とはそういう代物で、だからこそ、すべての秘宝匠はまず組合へと籍を置くのだ。
また、もちろん、これには管理の面での効率化も図られている。
基本的に同じ看板を発行する秘宝匠はいない。
皆、誰だって自分がオンリーワンだと強く自負しているし、同じ街に自分と完全に同業の秘宝匠は存在しないから、発行時に組合で保管される看板の写し──看板目録によって、看板・屋号の重複といった、気まずい事態を避けるコトにも繋がるためだ。
──そして、話を戻すが。
秘宝匠にも格の違いは存在し、組合はあまねく職人たちの家となるべく、一つの街に一人の秘宝匠という基本ルールを掲げ、それぞれに合った看板を発行する。
組合の長に選ばれるのは、その街の各秘宝匠の中から五年単位でのくじ引きによって、神の祝福、恩寵、奇跡とは一切関係なく選出。交代制で役割を回す。
しかしながら。
神の愛を授かる奇跡の体現者といえども、店を持つからには商売人であることに変わりなく、人間は名誉や栄光だけでは生きていけない。金は天下の回りもの。
組合は基本街単位で、同じ街に暮らしていれば仲間としての連帯感も生まれる──一方で。
別の街、別の国──ひとたび外へと目を向ければ、ああ、ライバルはうじゃうじゃゴロゴロと!
したがって────『大看板』
秘宝匠組合には、その街で最高の職人を意味する屋号・看板が代表として飾られる。
これは果てしない名誉であり、街単位にも等しい組合の看板ともなれば、その名は国境を越えて世界に轟く。
組合の名が売れれば、街の名が売れるも同義。
かつて、城塞都市リンデンと云えば銀が有名だった。
人類最高の退魔都市にて造られる銀細工は、おおっ、なんたる素晴らしさか。
精巧な造形、見事なまでの意匠、そしてなによりこの聖なる輝きといったら!
悪しきモノ、不浄なるモノを退け散らし、万障討ち払うまこと希望の光よ。
聖銀のシルバー、銀の都の大看板。
鋼の英雄、憤怒の剣と肩を揃え、リンデンは安泰だ。
その名は遠い、南方にまで響いていたと云う。
だが。
──ハハハ、ハハハハハハ!
──すごいな! そろそろ俺の枝に抗う輩も種切れかと思っていたが。
──まだオマエのような戦士が残っていたか! おぉ、おおおぉお! 美味そうな目をする!
悪夢があった。
自信も、矜持も、これまでの経験も。
何もかもを嘲笑され、塵芥のようだと見向きもされなかった純黒の悪夢。
赤鉄門より疾走を開始、並み居る悪鬼の種子を軒並み斬り倒し進み、怒濤の勢いで天を覆う紅蓮の大樹へ突撃した最強の英雄。
刻印騎士団は持ちうるすべての力を駆使し、都市に備わった数多の蓄えをふんだんに消費して──それすなわち、秘宝匠が用意しておいた聖なる武器なども利用し──吸血鬼の対処に当たった。
……それでも。
──残念だなぁ! あともう少しだったのになぁ!
──んーむ。惜しい! ゆえに言わせてくれ。ひょっとしてなんだが……
英雄の刃は悪鬼に届かず。
悪鬼の悪辣は、あまりに容易く人々の安寧を陵辱した。
最大の侮辱と、最悪の悪意を以って。
──憤怒が足りていないんじゃあないか? オマエの刃。
──ちゃんと研いでおかなきゃダメだろう──クッ、クハ、クギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ──!!
あの瞬間、地上でひとりの男が絶望に沈んだ。
この世には人間のあらゆる気高さや高貴を台無しにする『悪』がある。
それを悟ったとき、聖銀の輝きは鬼の血染華に呪われて、泥のごとき闇が、男の精神へ恐怖という名の病を根付かせのだ。
以後、彼の手がけた作品には何の奇跡も宿らない。
恐怖に囚われた男の手には、如何なる銀も洗練さを欠いていた。
光は失われ、黒く炭のように曇った灰色──呑んだくれで働かずのシルバー、黒ずみだらけの灰銀。
大看板どころか、自分の店すら今は瓦礫と変わり。
栄光は、瞬く間に地へ墜落した。
あとは酒に溺れ、女房に管を巻き、日がな組合を外から眺めて、恨めしげに悪態をつく。
「……ひっく」
だから、今日もそう。
シルバーは地べたに座り込み、酒瓶を三本も腰にぶら下げながら、赤くなった顔で組合の看板を見ていた。
そこにあるのは、もう聖銀の二文字ではなく、灯火の二文字。
本来ならとっくに引退してるはずだった老爺の看板だ。
偉大なる先達であり、年長者として敬いもするが、全盛期からは遠く衰えたはずの御仁に自分の不始末を埋めてもらっている。
西の宝国を差し置いて、一時は覇権とまで褒めそやされた過去を想えば、なんと情けない体たらくだろう。
酒が無ければ、到底、自らを慰められようもない。
けれど、謎の怪物に襲われて、ひとひとりが殺される凄惨な事件現場を目撃しても、シルバーの心は依然としてあの日に囚われたままだった。
あんなにもショッキングな出来事だったのに、ちょっと時間が経てば元のロクデナシ。
ひょっとすれば何かが変わるかもしれない──とも期待したりもしたが、気づけば酒を呷って、あの日から何ら変わらない毎日を送っている。
「……どうして、こうなっちまったんだか」
我ながら、あまりの惨めさに自嘲が湧き出て止まりそうにない。
挙句の果て、未練たらしくも連日のように組合の近くまで歩いてきては、こんな風に夜まで居座る気でいる。
「しかも、座ってんのは暖気灯の真下だしな」
寒さには勝てないから仕方ないと自分を誤魔化すべきか、とうとう最低限の誇りすら捨てたかと更なる自己嫌悪に酒杯を傾けるべきか。
どちらにしてみても、情けないのは同じだった。
シルバーはハァァァァ、と長く酒精の籠った嘆息を吐き、酒瓶に手をかける。
──そのとき。
「あれ、たしか貴方は……シルバーさん、でしたっけ? こんなところで座り込んで、もしかして具合でも悪いんですか?」
「……酒臭い」
背後から、変声期前特有の少年の声と、やや蔑みの籠った女性の声がした。
どちらも別に、振り返らずともアタリはつく。
つい最近、件の怪物騒ぎで見知った顔ふたつだ。
ひとりは珍しい女の刻印騎士で、もうひとりはもっと珍しい厄災の子。
前者はもう少し歳が近ければ粉をかけたかもしれないそこそこの女だが、後者は小さい頃から寝物語で恐ろしいと聞かされ育っているので、間近に立たれると背筋から鳥肌が駆け巡る。
エールで温まったはずの体内に、氷柱をぶっ刺される感覚と言えばいいだろうか。
鋼の英雄が太鼓判を押し、詳しい理屈はよく分からないが何やら魔術的なシンボルで安全性を保っているらしいが、出来うるならあまり関係を持ちたくない。
助けられた恩はたしかに感じているが……ガキの頃から染み付いた感情は、理性より先に身体に反応をもたらしてしまう。
「勘弁してくれ……」
「臭っ!!」
シルバーは小便を漏らした。




