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#69 想起死憶




 自分の意思でベアトリクスの因子を制御する。

 口にするのは容易いが、それは至難を極める行いだった。


「グラディウス翁もご存知の通り、僕のカラダは一度、致命的なまでに壊れてしまいました」


 右腕、右足の切断。腹部に空いた風穴。背中と肩、脇腹には深すぎる裂傷が走り、全身の至る所から血が大量に流れ出る。

 あの時のコトを思い出すと、我ながら、よく死ななかったものだと今でも驚愕する。

 普通は即死していておかしくない致命傷だし、ベアトリクスとの契約が無事結ばれるまで、よく生命(いのち)が保ったものだと未だに少し信じられない。


「過去、使い魔契約によって死の淵から回復した人間は、一人もいない」


 この世界の普通の魔法使いは、あちら側の存在に対して必ず一線を引いているから、僕のように完全に魂を明け渡してしまう真似は、通常なら絶対に有り得ない。


 魂は許しても、心は許すな。


 魔法使いの間には古くからこの格言が伝えられ、魔法使いが魔性ではなく、あくまでも人間である証は、その人間としての気高さ(・・・)であるとも古い唄には綴られていたりもするほどだ。


 ゆえに、僕のような例外中の例外。


 自分の魂を完全に明け渡し、向こうもまた同様に魂を差し出し、そんな状態で使い魔契約を結ぶという何もかも前代未聞な行いは、ハッキリ言って異常。


 未だかつてない非常識として、世間では目される。


 そうなると、当たり前だが誰ひとりとして僕のカラダを理解できるモノはいない。

 過去の歴史を紐解いても、人は当然として、あちら側からしても相当珍しい話となるからだ。

 妖精の取り替え児(チェンジリング)という時点でもかなりレアなのに、そのうえまた、人魔関係なく共通で、僕は非常に稀有な存在と化してしまった。


 今さらの事実!


「なので、僕の訓練はまず、自分自身について調べるところから始まりました」


 第三の腕はどういう時に出てきて、何をしたら引っ込むのか。

 思えばこれまで、特に向き合うことなく何とはなしに放置するのを選んできてしまっていたが……やむを得ない。

 憑依融合を封じられたとあっては、ついに真剣になる時が来てしまった。

 今後の死活問題にも直結するため、僕は考えつく限りの状況を片っ端から試し、時には迷走としか思えないコトもたくさんトライしながら──逆立ちしながら森兎のスープを食べる(ベアトリクスのアイディア)とか──どうにかこうにか、答えと思しきモノへと辿り着くコトに成功。


 だいたい、二ヶ月くらいはかかったと思う。


「二ヶ月。二ヶ月ですよ? さすがにそれだけ試行錯誤していれば、僕もいいかげん何となく、コレがそうなんじゃないかなー? て思えるパターンが見えてきます」


「ふぅん……? まぁ、それは分かったが……坊主にしては随分と冴えなかったんだな。脳吸いには頼らなかったのか?」


「冴えないですね。僕、頭悪いですし。あと、ヴェリタスは遅い知恵熱で寝込んでいたので」


「……知恵熱ぅ?」


 主人(フェリシア)から日々強いられた過重労働と、大嵐の巨龍に対する最適解の演算。

 魔力の不足しがちな状況で何とか答えを出してきたものの、短期間の内に頻発した高負荷に、ヴェリタスは体調不良を起こした。

 そのため、オーバーヒートした頭脳を休ませるべく、ヴェリタスはあれからしばらくかなりの睡眠を必要としてしまったのだ。

 フェリシアの呼びかけにも応えられず、約三ヶ月ほど完全に寝込みっぱなしだったと言えば、その疲労具合も十分推し量れるだろう。


 心傷も、少なからずあったと思う。


「まぁ、いつもいつも深淵の叡智に頼りっぱなしというのも人間として情けないですしね。もともと僕の問題なんですから、自分の問題は自分で解決できるようにしないと……ってなワケで、ちょいと頑張ってみたんですよ」


「そうか……なるほど。そいつは見上げた心意気だ」


「ええ。で、まぁ、僕が見つけたパターンについてなんですが……」


 そこで、いったん間を開けてハイと実演。

 両腕の『半魔女化』を解除し、背中から第三の腕を顕在化させる。

 すると、


「ほう」


 軽い感嘆の声。口笛でも吹き出しそうな感心した顔。

 ややあからさまなそれに僅かに苦笑しながら、今度は腕をもう一度カラダの中へ戻す。


「これまで、この第三の腕が僕の意図通りに動いてくれたコトは、実は二回ありました。もしかしたら、本当は他にもあったかもしれないんですけど、僕が明確に記憶している限りでは、少なくとも二回、僕はこの腕を自力で制御できていたんです」


 記憶に新しい方から遡れば、それは“壮麗大地”での一回。

 そして、もう一回は奇しくも、ここリンデンで。


「鯨飲濁流を倒す決め手──文字通り、それは本当の意味で『手』だったワケですけど、僕はあの日、この広場の付近で、ヤツに自分の腕を食らわせた」


 第三の腕という、ベアトリクスの因子がこれでもかというほど詰まった結晶体。

 あの時、僕は間違いなく自分の意思で腕を操っていた。

 そうでなければ鯨飲濁流は殺せていない。

 極限状況下ゆえに意識的ではなかったかもしれないが、それでも、たしかに作戦通り罠に嵌めるため、狙ったタイミングでそれを行っていたのだ。


 つまり、


「その時の感情、その時の精神状態を思い出してみて、僕はひとつの共通点を発見したんです」


 どちらの時も、僕は心から怒っていた(・・・・・)と。


「この腕は、どういうワケか僕の『怒り』の感情に最も呼応して顕在化するんです」

「…………」


 一度目は鯨飲濁流にベアトリクスを貶されて、頭の中が真っ白になるほどブチ切れていた。

 二度目は、ぐちぐちと後ろ向きな大人に這い上がってもらいたくて、止むなく怒りをぶつけることになった。

 そのどちらにおいても、第三の腕は僕の意図した通りに動き、繊細な力加減すら完全にコントロールされていた。


「とはいえ、どっちも無意識にやってたコトなので、もしかしたらこの仮説も間違っているかもしれない。

 なので、僕は試しにその時の状況を正確に思い出してみたり、何か新しくムカつくコトがあれば『腕』を出せないかと、イロイロ実験してみました」


 結果、


「一番効果があったのは薔薇男爵──精霊女王の家臣で今じゃ“壮麗大地(テラ・メエリタ)”の実質的支配者になった精霊なんですが──に丸一日付き纏わられる密着生活、ってのをやってみたところ、これがまさかの大正解でして」


 朝、日が昇ると同時に真っ先に「オッッッッハヨォォオォゴザイマスッ! 我らが朝露の君よ!」と大声で叩き起される。

 昼、樹海中の植物について延々と蘊蓄含めて講釈が続き、こちらの一挙手一投足に対して常に大袈裟且つ芝居がかったリアクション。

 夜、暗くなって少しは落ち着くかと思えば「オヤスミの時間にはまだ早いですぞ婿殿! さぁ、女王の寝所へ参りましょうか! きっと今行けばオモシロイものが見れましょうぞ!」「殺すわよ」「やや! これはお母君!?」と、ちっとも静かにならない。


 向日葵から始まり種々さまざまな花が一日中ポコポコと咲きまくるし、薔薇の花弁は男爵の身振り手振りに合わせて何故か華麗な演出を施す。


 頑張って二日耐えたが、三日目でウザさが限界突破した。


 ──う、うるせええぇぇぇッ!!

 ──ぬフォッ──!?


「薔薇男爵のカラダは薔薇の(くき)でできているので、服の上からでも普通に殴ると、まずこっちが痛くなるんですが、あの時ばかりは『腕』のおかげで結構なダメージを与えられたと思います」


「なぁ、これはもしかして冗談なのか?」


「いえ。冗談みたく聞こえるでしょうけど、残念ながらホントの話です」


「……そうか……」


 僕が無表情で答えると、老グラディウスはそこで初めて苦虫を噛み潰したような顔になった。

 怒りの感情にまつわる話なだけに、僕としてもかなり居た堪れない。


 ……けど、仕方がなくない?

 薔薇男爵が絡むと、話が途端に喜劇(コミカル)になってしまうんだもの。


 ある意味、男爵は最強の精霊だ。


「ウッウン──ともあれ」


 第三の腕──もとい、僕の中のベアトリクスの因子は、怒りの感情との親和性が非常に高いコトが分かった。


 よくよく考えてみれば、当たり前の話ではある。


 ベアトリクス……白嶺の魔女にとって、()()というのは、どう考えても象徴的だ。

 背中から伸びる、おびただしい数の母親たちの衝動。

 子を失った女たちが、狂おしいほどの憎しみと嘆きを抱え、必死に手を伸ばすあの姿。

 そこにあるのは、自らの大切を奪い去った死という悪魔への凍てつくまでの激情だ。


「僕の生命(いのち)(おぎな)ったモノ。

 僕の存在定義(たましい)に溶け合ったモノ。

 白嶺の魔女から流れ込み、ラズワルドという人間に不可逆の変化をもたらした因子とは、白嶺の魔女におけるどういった(・・・・・)部分だったのか」


 その答えは、第三の腕という何よりも明白なカタチで現れていた。


「──そこからの進歩は、自分で言うのも何ですけど、割と早かった方だと思います」


 なにせトリガーが分かったのだ。

 自分の中の感情と向き合って、分かりやすい言葉と結びつけてあげれば、あとは『魔法』と変わらない。

 ひとつの呪文に対して、様々な意味をその時々で決められるのと同じで、この呪文を(・・・・・)使う時は(・・・・)この意味で(・・・・・)使う(・・)と、ひたすら自分自身に覚え込ませるだけだ。


 たとえば、僕の場合、“夜這う瑠璃星(ラピス・ラーズリ)”という呪文を使う時には二種類の効果が期待できるワケだが。

 それは元をたどれば、“(イグニス)”と“(ノクティス)”というそれぞれの呪文に、予めそういう(・・・・)意味(・・)を込めておいたからとも言える。

 ただ、刻印魔法には魔法使いの情動や想念がひたすら刻み込まれているコトからも分かるように、予め意味を決めておいただけじゃ用はなさない。機械じゃないのだ。正しい値を当てはめれば正しい結果を出力してくれる数式とは違う。


 ──どんな暗闇に叩き落とされようと、這ってでも前へ進む。


 それが、“夜這う瑠璃星”を成り立たせる一番の(かなめ)

 僕はこの呪文を唱える時、いつだってその想いを再確認している。


 ゆえにだ。


「名前をつけたんです。呪文と同じように」


 分かりやすく言えば、ルーティーンである。


想起死憶(メメント・モリ)──死を忘れるな。死はいつでもそこにあり、すぐそばで見張っている。

 ……弱さゆえの自己嫌悪は、今に始まった話じゃなかったですからね。幸い、自分自身に抱く怒りの感情なら、腐るほど持て余していました」

「────なるほどな」


 グラディウス老は得心がいったという顔で頷いた。

 剣を背中に担ぎ直し、フンと鼻を鳴らす。


「よりにもよって、『怒り』と来たか。チッ、何も別に、そこまで俺と同じじゃなくてもいいだろうに。

 ──しかしまぁ、そういうコトなら……他ならぬ俺が認めねぇワケにはいかねぇな」


 ようこそ、と。

 刻印騎士団団長はゲシゲシと頭を掻きながら、こちらに右手を差し出した。


「今ここに、アムニブス・イラ・グラディウスの名をもって、魔法使いラズワルド──テメェを城塞都市リンデンを守る臨時の刻印騎士として、受け入れよう。給料は応相談だが」


 ニィッ、と、歯を剥き出しにして笑う老いた英雄。

 僕は喜んで、その右手を握った。

 長くなったが、これで何とか良い方向に話を進められる。


(………………)


「──ん? 刻印騎士?」

「人手不足なんだ」


 グラディウス老は強く、強く、僕の右手を握った。




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