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#6 地獄の釜が




 その少女は、平凡な少女だった。


 くすんだ金髪にブラウンの目。

 顔立ちは程よく、美人ではないが不細工でもない中間。


 強いていえば、クラスで三番目くらいに可愛い女の子ってところだろうか。

 自分に自信のない男子が、もしかしたらこの子ならとワンチャンアタックをかけて、そんで、結局普通にフラれて苦い思い出だけを作りそうな。


 言ってしまえば、そんなごく普通の少女だと僕は思った。


 髪は長くて、後頭部で一つに結ばれ。

 ニコリと微笑まれると、素朴な魅力が見る者の心を満たす。


 まるで、ポニーテールの村娘が、お祭りの日に魔法使いの仮装をしている。


 そう説明を受けてしまえば、ストンと納得しかねないほどに、少女はただの人間だった。


 年齢は二十歳を超えていない。

 記憶の通りに、知識の通りに、十代半ばか後半。

 さすがに身体付きや衣装まではきちんと覚えていないけれど、漠然としたイメージでは一致していた。


 ──フェリシア。


 刻印騎士団の一員。

 若き魔法使い。

 僕が待ちに待ちに待ちに待ちに待った唯一の希望にして、この十年間における最大の拠り所。


 彼女が窓からこちらを覗き、やがて戸を叩いたその瞬間!


 僕は感動から、込み上げる様々な感情を必死に抑え込むのに、凄まじい精神力を必要とすることになった。

 声は喉を突き破って、張り裂けそうなほど叫びたがったし。

 涙は目尻から溢れ、頬を滂沱と濡らす勢いで視界をたわませた。


 だが、まだ何も始まっていない。


 まだ誰も救われてなんかいない。


 原作がきちんと始まったくらいで、胸を撫で下ろすのは気が早すぎる。


 僕は自分をしっかりと保つよう意識に働きかけると、息を深く吸い、そっと吐いた。


 そして『笑顔』を浮かべるようにして、カチリと歯車を嵌め直す。




「あなたを助けるわ」




 ──結論から話すと、僕の計画は幸先が良かった。


 フェリシアとのコンタクトに成功し、自己紹介を済ませ、十年間の状況を伝える。


 赤子の頃に拾われたコト。

 ママの子どもとして育てられてきたコト。

 チェンジリングであるコトへの理解や、山を降りたらエルダースに入りたいコト。

 そのために、刻印騎士団には可能なら、下山が成功するまで僕のコトを保護してもらいたいコト。

 戦って勝てる見込みはない。

 最低限、逃がしてくれるだけでも構わないからと。


 僕はフェリシアに向かい、懇々(こんこん)と言葉を尽くした。


 結果、フェリシアは僕の半ば想定していた通りに、その意思を固めてくれたようだった。




 ──しかし。


 パチパチと爆ぜる火の粉。

 暖炉の前で互いに緊張した面持ちを向かい合わせながら、僕はフェリシアを見上げ、フェリシアは僕を見下ろす。


 ……そうしながら、僕は不思議と、自分でもよく分からない謎の焦りを覚えていた。


「わたしね、弟がいたの。生きていればちょうど、今のあなたくらいの年齢かな……うん。だから、そうだね。フェリシアお姉ちゃんが約束してあげる。あなたはわたしが、絶対に助けてあげるわ」


 心の籠った言葉だった。

 フェリシアは安心させるように微笑むと、膝を着いて僕を抱き締めた。


「これまでよく耐えたね。頑張った。偉い子だ。わたしはあなたを誇りに思うよ」

「……フェリシアさん?」

「ずっと一人で、辛かったよね。怖かったよね? ごめんね、助けに来るのがこんなに遅くなって……」

「──」


 震えながら僕を抱き締める少女。

 その声はグッと何かを堪えるように重たく、間違いでなければ、まるで心の底から自責の念に駆られているように窺えた。


(なん、だ?)


 湧き上がる違和感。

 何かがおかしい。

 何もおかしくなどないはずなのに、何かが非常にマズイまま進んでいる。

 頭の隅で打ち鳴らされる警鐘。

 しかし、それが何故なのかが分からない。


 僕は戸惑いながら、冷静を心がけ状況を観察した。


 月はまだ中天に達していない。

 時刻はたぶん夜の十時前くらいだ。時間的な余裕はある。

 フェリシアとのコンタクトにも成功した。

 逃げたいというこちらの意思も伝え、後はただフェリシアたち刻印騎士団が想定通りに動き出してくれるだけで、僕の目論見は半ば以上達成される。


 フェリシアの言動に異常はない。


 平凡な少女は僕が覚えている通りに善良だ。

 いたいけな子どもが恐怖を訴え助けを求めれば、それに応えようとする正義心がある。

 僕に対する同情も、弟のコトを思い出したのか予想以上に強い。


 フェリシアはきっと、この後すぐにでも仲間たちと合流し、騎士団を二手に分けるだろう。


 救出組と討伐組。

 すなわちは、僕が助かるための作戦を開始するために。


(……なのに、僕はどうしてこんなにも焦りを感じているんだ?)


 自分が何かとんでもないコトを見過ごしているような感覚がする。

 たとえるなら、残り時間数秒でマークシート試験の解答欄が一つずつズレていること気がつくような。

 そういう最悪の絶望感に近い何かが、背筋を伝っていた。


 少女の腕は力強い。

 痛いほどに抱き締められている。


「あの、フェリシア、さん? 痛い。ちょっと痛いです」

「…………ぁ、ごめん!」


 僕がやや顔を歪めて伝えると、フェリシアはパッと体を離した。


「ごめんなさい。わたしってば、つい感情的に。大丈夫? 怪我してない?」

「は、はい。それは大丈夫です」

「ごめんね。わたし、昔から馬鹿力なんだ。村の男の子にも腕相撲で負けたことないの」

「……」


 それは暗に、腕相撲で相手に怪我をさせたことがあるという告白なのか……?


 僕は少しだけくだらないことを考えたが、すぐにそれが少女の誤魔化しなのだと気づいた。


「ラズワルド君って、痩せてるんだね」


 フェリシアが痛ましげな顔でこちらを見ている。


「……そう、ですか?」

「うん。わたしね、仕事柄いろんな場所を旅してるんだけど、あなたはまるで貧困窟(スラム)の子どもたちと同じくらいに痩せてるよ」

「……食べ物に困ったことはないですよ」

「だと思う。白嶺は子どもには優しいから。でも──」


 あなたはこれまで、一度でもお腹いっぱいにご飯を食べたことがあるの?


 その問いは、フェリシアの口から飛び出ることはなかった。

 しかし、少女の視線は雄弁に語っていた。

 僕のこれまでを想像し、悲しんで。

 同時に唇を引き結ぶのは、耐えようのない怒りからだろうか。


 僕は答えず、黙ったままを貫いた。


 食べてもどうせ吐くから無意味だったなんてコト、わざわざ口に出したところで今さら何にもならない。

 哀れみはもう十分に買われている。


「……ぁぁ」


 そんな僕の反応に何を思ったのか。

 フェリシアは小さく、少しだけ苦しげな息を漏らすと、徐に顔を俯かせた。


 そして杖を取り出す。


「……フェリシアさん?」


 白い杖。

 柄には梟の装飾がされ、オニキスの目が嵌っている。

 ──瞬間、僕はまたしても得体の知れない焦りを感じ取った。

 今度のは強い。

 ゾワゾワと、全身が総毛立つような感覚もあった。


「許せない」


 ポツリ、と。

 それはハッキリとした呟きだった。

 少女の口から発せられ、僕ではない誰か。この場にいない何かへと向けられた粘つく情念。

 ……こめかみを、一筋の汗が垂れる。


「許せない。許せない許せない許せない。化け物め。化け物め。この子が何をしたと言うの? お前たちは何故そんなにも残酷なのよ……」


 俯く口から溢れる慟哭。

 フェリシアはゆっくりと、それでいながら迷いのない動作で、僕の額に杖を向けていた。


 カラダは気がつけば、金縛りにあっている。


(なん、だ? なにが起こって? いやそれよりも、なにをされて──!?)


 僕は愕然と目を見開くことすらできなかった。


「ふぇっふぇふぇっ! 賢い坊や。かわいいねぇ、愛しいねぇ。けれど、ワタシはあいにくフェリシアのモノだからねぇ」


 知らない声が響く。

 少女の目を借りて、ナニかが僕を見つめていた。


 誰だ? いや、何だ?

 ふざけるなよ、知らないぞ。僕はオマエのことなんて!


「目が覚めたら、きっとすべてが良くなってるから──“(ノクティス)”」


 直後、僕は何もかも分からないまま、そうしていとも容易く意識を奪われた。













 ──さて。


 それでは、ここで少年の犯したミスを教えよう。


 少年はここまでで幾つかの過ちを犯した。


 同情に値する失敗。

 嘲笑われて当然の愚考。

 注意していれば取り返しがついた選択。


 本来は然して気に留める必要もないごく些細なものから、あらかじめ想像しておいて然るべき必然のものまで、少年は実に様々な失敗を重ねてきた。


 その中で、これだけはどうしても看過してはならないという致命的なものが、一つだけある。


 分かるだろうか?


 もし分からなければ、ぜひ振り返ってみて欲しい。

 答えはすでに各所で明らかにされている。


 ヒントは矛盾の二文字。

 人が人である以上、決して避けられはしない精神の問題だ。


 十年間、赤子から少年へと至るまで、来る日も来る日も続いた自我の連続。

 三千六百五十日もの間、おはようからおやすみまで、途切れることなく延々と繰り返された雪山生活。

 その心根が生来臆病だった彼は、毎日が恐怖と共にあった。


 白嶺の魔女は人間ではない。


 首から上が羚羊の頭蓋骨で、首から下は女の屍体でできている。

 端的に言えば、アンデッドの亜種のような外見だ。

 だが、問題はそこではない。

 外見ももちろん恐ろしいコトに変わりはないが、それよりもよほど背筋の凍る事実が彼女にはあった。


 子どもを失った母親の霊。


 不慮の事故や、流行り病。

 あるいは身の毛もよだつ不快な事件によって、愛する子どもを殺された。

 経緯の違いはあれども、そういった特定のパターンによる悲劇を経験した魂が地上を彷徨い続けて。

 やがて、おびただしい量の怨念を纏いながら一所(ひとところ)に集まって悪霊と化してしまった。


 狂える魔性は、夜毎に慰めを求めて我が子を捜し。


 我が子がいなければ、その怨念を晴らさんと必ず荒ぶった。


 命の喪失によって生じた心の穴は、同じ命によってでしか埋められぬと言うように。

 母なる彼女らは三百年間、幾多と骸の山を築き上げていた。

 それはこの十年間においても、何ら変わらなかった。


 袖を通すシャツやズボンには、死者の嘆きや恨みが染み込んでいるようで。

 与えられる食事を見る度、なぜオマエのためにと怨嗟が耳朶を震わせた。


 聞こえず、見えず、触れられず。


 然れど、()()()()()()()()()亡者の怨念。


 この世界ではオバケが実在し、自分はそれを見て取れるチェンジリング。

 COGのラズワルドという呪いが、彼の精神を絶えず苛み続けた。

 地獄だった。


 だのに、彼は心のどこかで白嶺の魔女のコトが決して嫌いになれなかった。


 憎んでもいい立場に置かれ、恨んでも構わない境遇にもかかわらず。

 怖くて恐くて、一瞬すれば気がどうにかなってしまってもおかしくない永き時。


 ──それでも。


 そこに愛はあるのだと識っていて、実感さえもしてしまった。


 偽りだと言い聞かせ、利用するだけだと何度も自己暗示をかけ、機嫌をうかがいながら坊や(・・)のフリを続けるだけだったはずが。


 いつの間にか歪な親子関係に愛を感じ、『ママ』とさえ呼ぶほど彼女に歩み寄ってしまっていたのだ。


 それはある種の無意識。


 かつての世界では、ストックホルム症候群とも呼ばれたものに違いなかった。


 ──だからこそ。




「逃げたいと願いながら、この子は白嶺をママと呼んだの。ねぇ、こんなにおかしい(・・・・)話が他にある……!?」




 余人を前にした時、その異常は浮き彫りになった。

 ともすれば、もう壊れていると思えてしまうほどに。

 ……少なくとも、若き少女魔法使いフェリシアにとって、ラズワルドのその歪みは到底看過できない悪に他ならなかった。


 フェリシアはかつて、弟を吸血鬼に殺されている。


 奇しくも、ラズワルドと同じチェンジリングの弟だった。

 夜を梳かしたような黒髪に、深き水底のような青い瞳。

 可愛い弟だった。

 ほっぺたをつつくと、くすぐったそうに笑ってこちらに微笑みかける、とても愛らしい子だった。


 吸血鬼は弟の腕を(もぎ)り、そこから溢れ出る血をドクドクと飲んだ。


 弟はまだ一歳だった。


 フェリシアは生まれつき魔法を使える才能があったのに、学ぼうとしないダメな姉だった。


 後悔している。


 一生続く後悔を。

 忘れることは許されない永遠の罪を。

 化け物は殺す。

 魔法使いにはその力がある。

 奴らを殺すことで、救われないかつてのわたしを少しでもマシな人間にできるなら、喜んでこの命を賭ける。


 失わせない。

 奪わせない。

 もう二度と許してなるか悪魔ども。




 ──ゆえに。


 少年の犯したミスは、この世界をどこか虚構と認識したままだったコト。


 目の前に生きる人間(フェリシア)を目の当たりにして、なお、そのバックボーンを知らぬがゆえに軽視してしまったコト。

 人間一人いたならば、その人にはその人の人生があるのだという当たり前の事実に、思いを馳せなかった。いいや、馳せられなかった。


 たった一つの希望に縋り続けたあまり、知らず視野狭窄(しやきょうさく)に陥っている自分に気づかなかったのだ。


 計画も。

 覚悟も。

 決意も。


 そんなザマでは無用の長物。

 てんで役には立ちやしない。


 なぜかって?


 想定が甘い。

 予測が足りない。

 物事を悲観して備えているクセに、そうして頑張っていれば報われると楽観視している。


 ……つまり、その、なんだ。




 僕の目論見は、ものの見事にご破算になった。




 要はそういうコト。


 敗因はフェリシアで、彼女の手を取るまでは良かったはずなんだけど、問題はその取り方が少しばかり杜撰(ずさん)だったってところにある。


 偽物の僕とは違って、少女は本物で英雄だった。


 ……きっと、こういうのを身から出た錆と言うんだろう。


 あれほど慣れ親しんだノクティスの呪文に、こうも簡単に眠らされるし。

 僕って奴は、呆れてほとほとものも言えない。


 あーあ。




















「私の子をどこに連れて行く気なの?」



 死ねよ、僕。



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