#67 英雄の驚愕
熱光する大剣が横薙ぎに振るわれ、空間が一気に膨張した。
刻印騎士団長アムニブス・イラ・グラディウスは轟音を振り撒きながら、一切の手加減なく本気の一撃を繰り出してくる。
華美ではなく、優麗でもない。
その踏み込みと逡巡無き一閃は、正真正銘、血風吹き荒ぶ戦場でのみ鍛え抜かれた、どこまでも実践的な軌跡。
全身鎧という如何にも鈍重になりがちな装備に身を包んでおきながら、まるで重さというものを感じさせない。
否、正確には立ち回りの混成が熟達の極みにありすぎて、僕ごときの視点では少しの『隙』も見いだせないのだ。
縦横無尽に、時に回り跳ねて。
その動きの滑らかさと、間断なく移行する技の連続。
一つ一つの身体駆動が決して無視できない必殺となり得ていながらも、尚不足を訴えるかのように敢行される怒涛の連撃。
それは、明らかに一つの信念。一つの信条。経験から活きる確立された戦闘技法に違いなかった。
──すなわち、お前たちには殺し過ぎるくらいでなければならない──という。
バケモノ殺し。
刻印騎士団が常日頃から掲げ、また、その背中にしょった人界の守護者たらんとするための鋼鉄の誓い。
およそ百年にも渡って体現し続け、未だ存命中でありながら、間違いなく伝説に成り上がった男のそれは、まさしく人々の希望そのもの。
吟遊詩人が唄う通り、誰もの期待も裏切らない。
雷霆が如く、
噴火が如く、
鋼鉄が如く。
まるで躍動する重機関車。
あるいは、独りでに戦場を駆け巡る一振りの剣のような不気味ともいえる迫力を湛えて、憤怒の剣閃は繰り広げられる。
「ウオオォォァァァッ!!」
「……っ!」
見開かれた猛禽の眼光。
間近に迫った英雄の雄叫び。
気圧されまいと気を張っていても、尚気圧される歴戦の重み。
身をひねり、避けて躱し、大きく距離を取ろうとしても、すぐさま空いた距離を詰められる。
それは、無論、大人と子どもという体格差もあるのだろうが、それ以上に経験の差から齎される圧倒的な技巧値の違い。
これまでの人生において、いったいどれだけの時間を生死の境界線で過ごし続けて来たか。
掻い潜った死線の数それそのものが、いったいどれだけの教訓を与えて来たのかを、端的に明示していた。
魔法がどうのこうのという話ではない。
それ以前の、戦闘者としての格の違い。
初めから分かり切っていたとはいえ、実際に目の当たりにすると、余りにも深く広がる断絶に意識が遠のくような錯覚すら覚える。
──だが、
「“夜”」
「ッ、さっきからソレばっかしだな!」
杖に刻んだ片方の呪文。
夜の暗闇を対象の感覚器官に直接叩き込む僕お馴染みの小手先の技によって、グラディウス老の卓越した身体捌きにも一瞬の淀みが生じる。
現れる効果は単純な目眩しだが、一般人相手ならベアトリクスの“闇”のように今では好きなだけ視覚を奪えるステキな呪文だ。
相変わらず抵抗力のある魔力持ちには容易に解呪される程度の代物でしかないが、なに、嫌がらせとしては申し分ない。
おかげで僕のような戦闘弱者でも、刻印騎士団の長を一手遅らせるコトが適う。
だからこその、離脱と接近。
先ほどから繰り返されている僕とグラディウス老との攻防は、対照的なまでにその役割を演じ分けている。
攻めるグラディウス、防ぐ僕。
すでに舞台となっている広場では、幾多の傷跡が刻まれつつある。
今しがた、僕は魔法云々ではなく、それ以前の問題として彼我の実力差を痛感したばかりだが、とはいえ魔法だってバカにはできない。
“誰かのための怒りの剣”
その魔法は、刻み込まれし想念は、彼が手にする刀剣類を尋常ならざる『憤怒』へと変えてしまう。
怒りの感情が持つイメージとは何か。
多くの場合、それは烈火だとか雷火、煮え滾る熱湯などを連想させ、荒ぶるモノ、鎮まり切らぬモノと結びついてきた。
ゆえに必然、アムニブス・イラ・グラディウスが振るう大剣それには、並々ならぬ『暴』の力が宿っている。
空を裂けば大気を灼く雷霆となり、
地に突き立てれば大地を沸騰させる噴火となり、
そして、討ち滅ぼすべき邪悪の前では、不撓にして不屈の鋼鉄となる。
折れず曲がらず砕けぬ熱光。
それが、刻印騎士団長アムニブス・イラ・グラディウスの魔法の怖さ。
(……食らえば死ぬ、なんて話はこれまでにも散々出てきてきたけれど)
正直、グラディウス老の魔法はたとえ爪先一つ、髪の毛一本でだって味わいたくない。
これがもし敵として相対していたらと思うと、気がおかしくなりかねないほどの心的重圧だ。
走り、跳んで、身を低くして、必死になって回避に専念していてもコレである。
一対一の殺し合いとなったら、僕は即、泡を吹いて気絶するだけの自信があった。
が、
「──オイ、逃げるな」
「ッ、分かってますとも!!」
そう。避けて躱して逃げ回って、それも戦いにおいては十分に大切な技能といえども、やはりここで重要なのは打って出るコト。
元より、人類最強の男とタイマンで勝てるなどとは驕っていない。
グラディウス老もまた、僕に対してそこまでの実力は端から期待していないだろう。
今、こうしてこの場で機会を設けてくれたのは、僕の成長具合を見定めるため。
わずか十二歳のガキが、城塞都市リンデンにとっていったいどれだけ役立つ戦力となるのか。
その、保証のラインを、果たしてどこまで引くべきなのか。
刻印騎士団の長という、城塞都市リンデンにて長らく上に立ってきた者として、グラディウス老は知っておく必要がある。
ならば、僕は与えられたチャンスに対し、その厚意に報いるためにも、やるべきコトはたった一つしか有り得ない。
「──行きます」
「オウッ、かかって来いやァ!!」
気持ちのいい大銅鑼にフッと口元を緩めつつ──行った。
§ § §
漆黒の外套が速度を増す。
それまでひたすらに防御へと集中していたラズワルドだが、どうやらようやく攻勢へ転じる気になったらしい。
泰然と待ち構えるグラディウスの元に、少年はフードを被ったまま踊るように飛び込んで来た。
──さぁ、魔法か武器か。
何を出してくるにしろ、生半可な代物であれば一刀のもとに蹴散らしてくれる。
刻印騎士団の長として、城塞都市リンデンひいては人界の守護を担う一人の男として、グラディウスはこの試合で一切の妥協をするつもりがない。
厄災として知られる妖精の取り替え児を迎え入れるコトの是非。
そんなものを問いだせば、答えなど初めから明らかにされている。
しかし、それでも尚、ラズワルドは自分のワガママを押し通そうとしているのだ。
人としての寿命も疾うに超え、百三十二年といういささか妖怪じみた年齢にまで達した老いぼれも老いぼれ。
老グラディウスだとかグラディウス翁だとか、自他ともに認めるジジイだからこそ、未来ある子どもには人生の大先輩として道を示してやらなければならない。
ラズワルドは自らを戦力として売り込むつもりだ。
ならば、曲がりなりにも人類最強の冠を戴くグラディウスにとって、これほど打って付けの好機はない。
目の前の子どもがどこまで理解しているかは分からないが、そのような道を一度でも進むと決めた以上、この先に待っているのは、多かれ少なかれグラディウスと似たような人生になるだろう。
──助けてくれ、助けてくれ。
──戦えるんだろう? 戦えよ。
──アンタらの価値は、だって、そういうコトなんだから!
勝っていればいい。
救えていればいい。
だが、負けて敗れて取り零して。
その果てに、身勝手な民衆からキツい言葉を送られるのは……グラディウスをしても辛い時がある。
ならば、未だ幼いラズワルドには、この身を辿り着くべき理想、とまでは言わないにしても。
せめて、目指すべき指針の一例、ぐらいには捉えて欲しい。
人類の突然変異。
妖精の取り替え児。
自分たちの違いなど、ほんの少しのボタンの掛け違えでしかないとグラディウスは思うがゆえに。
誰だって、なろうと思えば英雄になれる。
(俺を目標にしろなんつーのは、さすがに口が裂けても言えねぇが)
けれど、それくらいの強さを持っていなければ、到底やっていられない。
特殊な事情を抱えているとはいえ、十二歳の子どもが本当にそれを理解できているのか──教えてやるためにも、グラディウスは本気で大剣を振り被る。
そして──
「──アアッ!?」
グラディウスは見た。
振り下ろした大剣が、ラズワルドの両腕によって見事に受け止め切られたのを。
濛々と吹き上がる水蒸気。
熱光するグラディウスの刻印を、魔氷の腕が食い止める──否。
「ッ、押し返して、きやがるだと──!?」
「ウオオォォァッ!!」
奔る驚愕に息を飲み、直後、グラディウスは大きく宙へ舞った。
突き飛ばされたのだ。だが──
「甘いッ」
グラディウスはすぐさま体勢を持ち直し、跳ね返された大剣の反動を利用。
空中でクルリと身体を回転し、再度猛攻を開始する。
たった今起きた出来事が一度だけの『取っておき』なのか。
それとも、二度三度と続く『通常』なのかを知るためだ。
依然として、杖以外には何の得物も握っていないラズワルド。
然れど、その肉体は今や、グラディウスの推測が正しければ────!
「──!」
「ッ」
弾かれる。
弾かれる。
弾かれる。
一合、二合、三合と超え、十や二十と大剣をぶつけても、ラズワルドの両腕は砕けない。
硬質な金属音にも似た響きを伴わせ、濛々と水蒸気をも吹き上げながら、しかし正確にこちらの剣筋を捉えて跳ね返す。
人間の反応速度とは思えない。
だが、フードの隙間から覗く双眸は──青いまま。
──つまりは。
「テメェの中の魔女を、完全に操ってやがるのかッ!!」




