#66 第一の試練
「城塞都市リンデンに申し出があります。率直に言えば、取り引きをしませんか? 今度は公平に、対等の立場で」
その言葉を聞いた時、ルカの心に湧き出てきたのは「え? 何を言ってるの、この子は」という純然たる焦燥だった。
一年半前、鯨飲濁流という吸血鬼を見事打ち滅ぼしたチェンジリング。
常冬の山で生まれ育ち、白嶺の魔女によって魔法教育を施され、僅か十歳という身空にありながら躊躇なく悪鬼へと立ち向かった。
リンデンに暮らす一市民として、当然のように感謝はしている。
が、その生い立ち、魔女に拾われてからの境遇、読み取れる人格や、推察できる精神構造など。
実際に接してみた人たちからの所感や私見。
整理してみれば、あらゆる点で異色と言う他なく、一年半前は資料をまとめあげるだけでも気が滅入って来た。
王都の宰相が放った鶴の一声。
それによって死刑宣告にも等しい任務が与えられ、教会のハンターと共に最厄地へ向かわされたコト。
上司であるアムニブス団長は苦りきった表情をしていたが、正直、ルカとしては上層部の判断は何一つ間違っていないと感じていた。
たとえ非情だと、冷酷だと、残忍だと罵られようと。
国を守るため、国民を救うためには、小を切り捨て大を取らねばならない。
ルカは王侯貴族でもなければ、まして政治家ですらないが、下々の人間の中にだって、上に立つ人種の責務とか役割だとか、そういった事情を理解している者は存在している。
刻印騎士団に所属していれば尚更にそうだ。
仲間を囮にするとか、特攻紛いの自爆を選択しなければならない状況。
そういう時と場合は、往々にしてある。
ゆえに、自分たちを救った妖精の取り替え児を、情け容赦なく野へ追いやる。
リンデン市民だって皆が皆、根っからのひとでなしというワケではない。
誰だって、口にはしないだけで心奥では少なからず罪の意識を抱えていたはずだ。
申し訳ないコトをしたとは思う。身勝手な大人の勝手な言い分だとも。
けれど、どうにもならない。
妖精に拐かされたモノは人界では厄災なのだ。
過去、取り替え児の運命を憐れみ、情けをかけようとした人間が皆無だったはずがあるだろうか。
秘宝匠の神秘、魔術師や魔法使いの知恵、あらゆるアプローチがあった。
しかし、どの方策も歴史が告げているのは失敗の二文字。
人間の世界では、疾うの昔に結論が出てしまっている。
だからこそ、ラズワルドという目の前の少年もまた、素直にこちらの申し出を受け入れてくれたはずだ。
自分たちはたしかな相互理解のもと、一年半前、別れを告げたはず。
──それなのに。
「僕の一年と半年を語るのは、そこからです」
(もしかして、開き直ったの……?!)
お前たちの事情も分かっちゃいるが、汲んでやるかは別問題。無理難題に対する文句の一つや二つ、浴びせかけるくらいは許してくれや。
……実際にそう言われているワケではないが、明らかな態度としてそういう姿勢を感じる。やや下らない表現をすれば、八つ当たりにも似た響きが口調にあった。
──だが、だが。
そんな風なセリフを受け取って、人界の守護者たる憤怒の剣が黙っていられるはずはない。
ラズワルドに対して比較的同情的な刻印騎士団長といえども、彼はこの百年、ハッキリと上に立つ側だ。
ルカは恐る恐る上司の顔色を窺った。
「──ああん? ってコトは坊主テメェ、俺らが突き出した条件を、一度呑んでおいて、今更ながらに無かったコトにしようってのか。そいつはよぅ、テメェさんらが失敗したからそうしたいってだけじゃあねぇのか?」
(怖っ!)
威圧的な正対と身の竦むような重低音。
まだ失敗したとは一言も断言されていないにもかかわらず、アムニブスは確信したように言葉を返した。
並の相手なら、この時点で深く動揺を晒してしてしまうだろう。実際、ルカもそうだが後ろにいるシルバーもアワアワとしてしまって言葉を差し挟めない。
正真正銘の英雄が放つオーラは、常人には耐え難いプレッシャーを伴う。
「坊主。俺はテメェが嫌いじゃねえ。むしろどっちかつーと気に入ってる。鯨飲濁流を斃してもらった恩はとてつもなくデケェかんな。久しぶりに再会もできたってんなら、喜んで歓迎しよう。茶の一杯も馳走してな。崩れ去ったとはいえ、ここはそれくらいの猶予は保てる都市だ」
しかし、
「さっきも言ったがよ、今は時勢がとにかく悪ィ。そんな状況で、チェンジリングと腰を据えて長々とどうこうやってられる余裕が俺らにあると思うか?
……俺はな、坊主。正直に言やぁ、テメェさんらがもし失敗したなら、そん時は何処か別の場所で好きに生きて欲しかった。
だってそうだろ? わざわざ馬鹿正直に帰ってくるこたぁねえ。世界は広い」
なのに、よりにもよってどうしてリンデン……いや、王国になんぞ戻って来ちまったのか。
「もちろん、坊主たちにも理由があるんだろう。フェリシアの嬢ちゃんにはあの三つ目がいやがるからな。俺も何の考えもなしに戻ってきたとは思っちゃいない。仮に誠実さを貫いて、きちんと結果だけでも伝えに来たってんなら、それはそれで良しだ。ありがとう。ただ──」
だからと言って、それで対応が変わるワケもなし。
失敗したのなら尚更で、人々の意識がそう簡単に切り替わるものではないと、他ならぬチェンジリングは誰より承知しているはず。
「それを踏まえた上で」
──それを踏まえた上で。
「それでもまだ、俺らに何かを望むっつうなら……」
「望みます」
「──ハッ! なら、そうだな。せめて吐いた言葉の強さに見合うだけの、力を見せてもらおうじゃねえか」
グラディウスは口角を吊り上げ笑う。
一年半前、目の前の少年は自分の傍にあまりにも強大に過ぎる力を持ってはいたが、それに見合うだけの精神が足りていなかった。
気骨、気概、我の強さ。
賢く回る頭のせいかは知らないが、妙にお利口さんで、現実的な状況に素直に従ってしまう。
グラディウスとしては、それが唯一残念に思っていた部分だ。
──ゆえに。
「ちょうど今はひとりっきりみてぇだし、いっちょ証明してみてくれよ。坊主の言う一年半も含めてな」
「具体的には、何を?」
「テメェのケツを、テメェで拭えるか。意味合いは少し異なるが、よく言うだろう? 真に恐ろしいのは有能な敵よりも無能な味方。迎え入れた人材がゴブリンにも劣るカスだったら笑い話にもなりゃしねえ。だから、試金石には俺がなってやる」
「いいですよ。元よりそのつもりでした」
(ちょ、ちょっ!? この二人、まさか──!?)
動揺する常人らを差し置いて、英雄と取り替え児はどんどん話を進める。
背中を見せる二人は、今や揃って広場の方へと向かおうとしていた。
「な、なあっ、あんた。これってもしかして……そういう流れなのかっ? なっ、なぁ!」
「──」
騒ぐ中年オヤジに気を遣う余裕もない。
一般人であるシルバーは知らないだろうが、曲がりなりにも刻印騎士団の一員であるルカは当然知っている。
魔法使い同士の戦闘は、心のぶつけ合い。
そして、城塞都市リンデンに暮らす──否、カルメンタリス島に暮らすすべての人々にとって、鋼の英雄が如何に苛烈な心性であるかなど……語るまでもないのだ。
──下手をすれば流血沙汰になり得る。それは、マズイ。
「ま、待ってください団長……その子に怪我をさせるのは、一番やっちゃいけないコトですッ! ま、魔女が! 魔女が来ますよ!?」
すぅーっ、と血の気の引いた青い顔で、ルカは慌てて上司の背中を追いかけた。
§ § §
瓦礫街の路地をしばらく進むと、突如として開けた広場にたどり着いた。
「ここは……」
「さすがに分かるか。まぁ、そうだよな。ここはあの吸血鬼がデッケェ木になった時、その幹がちょうど突っ立ちやがった場所だ。あれから一年以上もの時間が流れても、ここだけは綺麗なもんよ」
瓦礫も何も転がっていない円形の広場。
老グラディウスは皮肉げに呟き、肩を竦めながら広場の中心へと向かっていく。
それに続きながら、僕はひとり「なるほど」と納得した。
鯨飲濁流の暴虐によって、城塞都市リンデンの黒鉄門と白鉄門は事実上の崩壊に至った。
瓦礫街と名を変え、黒と白の残骸を活用し、独特な街並みを再構築するに至ってはいるが、その道なりは奇妙なうねりを持っていて、歩いていると炭鉱などを連想する。
だが、それも一重に鯨飲濁流の轍を象っているからと思えば理解は容易い。
つまり、瓦礫街に存在する路は、そのすべて、かつて鯨飲濁流の根が張っていた場所なのである。
鯨飲濁流が森神と変身した時、当然だが、あらゆるものは押し退けられた。
あるいは潰され、物理的な意味で削られたとも言える。
ゆえに、あの悪鬼が変身を解き、元のヒトガタへと戻った時、城塞都市リンデンにはクッキリと、その輪郭が刻み込まれてしまった。
それはあまりに巨大で、人の視界ではすぐには気づけない規模の爪痕だったが、時を置いて少なからず街並みの整理が始まれば、自ずと気がつく者も現れる。
「この広場は、吸血鬼の爪痕を嫌って?」
「ああ」
問いかけに対する短い返答。
その声音には、意図して感情を押し殺したがゆえの鬱屈が滲んでいた。
なるほど。
力無き民衆にとって、瓦礫街はどこまでも吸血鬼に脅かされた事実を思い出させる。
そして、その象徴とも言うべき始まりは、言うまでもなくこの広場なのだ。
たとえ復興に適した有用な土地だと分かっていても、根や枝に比べ、幹からは悪鬼に穢されたというイメージがどうしても拭い切れない。
天使の活動が確認されたとなれば、余計に足を運ぶ者も少なくなるだろう。
人気のない閑散とした広場。
人々の暮らしを尊ぶアムニブス・イラ・グラディウスが、何故に街中での不要な戦闘行為を容認するのか。
少々疑問だったが、ああ、たしかに。ここであれば、誰にも迷惑はかかるまい。
僕はゆっくりと辺りを見回し、足を止めた。
「だ、団長ぉぉ、やめましょう? やめましょうよぉ! かすり傷ひとつでもつけたら、今度こそリンデンが終わっちゃいますよぉ!」
「ルカ、離れろ」
「いやですよぉ! 力試しなら、別に他にもやり方がありますってぇ!」
「ルカ、そんなものは無い。離さんと放り投げるぞ」
「う、うぅ……男ってのはいつもこれですよ……」
トボトボ、トボトボ。
身の丈二メートルを超えるグラディウスに比べ、恐らくはその身長が半分くらいしかない小柄な女性。
メガネの端から涙を零し、ルカさんはトボトボと僕らから距離を取る。シルバーさんはそんなルカさんを慰めるためか、やや迷った末に肩に手を置いていた。
「はは……一応言っておきますけど、別に骨折くらいなら問題はないですよ?」
「ん? そうなのか?」
「はい。そのくらいの怪我なら、まぁ、治してくれるヒトがいるので」
「ほう? なんだ、新しい女でも引っ掛けたのか? どんなヤツだ」
「“壮麗大地”の精霊女王」
「……………………そうか。なら、尚更試さんワケにはいかなくなったな」
背負いし大剣を枷より解き放ち、刻印騎士団の長はグルリと剣先を大地に突き立てる。
互いに未だ十分な言葉を交わしているとは言えないが、しかし、どの道こうした方が手っ取り早い。
察しの良い老グラディウスは、僕が一人で現れた時点で失敗を確信した。
その上で、次に僕が何を望んでいるのかも考え、自分以外の上層部を納得させるため、敢えて証人になろうとしてくれている。
僕が何を望んで再度リンデンまでやって来たか正確な内容までは分からないが、先ほどグラディウス自身が言った通り、単に失敗しただけならわざわざ馬鹿正直に戻ってくる必要はない。
人としての誠意には欠けてしまうが、元々帰ってくるコトを望まれていない任務でもあった。
帰らなくても、別に大きな問題にはなりはしない。
しかし、僕はこうしてリンデンに舞い戻り、人々にとっては新たな厄介事となるだろう事情を携え帰って来た。
ならば、最低限、城塞都市リンデンと交渉のテーブルに着けるだけの有用性──メリットを提示できなければ話にもならない。
アムニブス・イラ・グラディウスは、だからこそこちらの意図を察し、自ら試金石としての役を買って出てくれたのだ。
人界最強の英雄が太鼓判を押せる実力の持ち主ならば、単なる取り替え児ではなく、別の側面を以って人類社会での行動が可能になる。
無論、取り替え児である以上は魔を惹き付ける特性をどうにかしなければならないが、それについては既にこちらで対応策を用意してある。
ただ、いきなりそんな話を持ち出したとして、信じてもらえるワケがない。
──まずは取っ掛りを得るためにも、あの騎士団長サマと戦う必要があるだろうねぇ。
ヴェリタスはそう言って僕を送り出した。
なら、僕はそれを信じて粛々とすべきコトをするまで。
杖を抜いて全身の神経を戦闘用へと切り替える。
「──さて。それじゃあ、準備はいいな坊主」
「はい。いつでもどうぞ」
「そうか。じゃあ──そろそろ」
ザリ、と地面を擦り合う靴音を合図に。
「行くぞォォッ!!」
鋼の英雄という第一の試練が始まった。




