#59 英雄賛歌の龍
──思うに、戦闘とは如何に相手の常識を上回れるか、その一点に集約される。
単純な攻撃力……パンチやキックなどの打撃。
関節技や絞め技、武器の扱いなどを習熟して手にする洗練された技巧。
素早さや俊敏さ、適切な身体の動かし方を学んだり、純粋なタフネスなんかも重要に違いない。
ちょっとやそっとの脅しには怯まないだけの胆力や、精神的な優位性を保つための努力。
その他、罠を見抜くための冷静な判断力や、何を犠牲にしてでも相手を打ち負かしてやるといった執念も当然忘れてはならない。
戦闘。
その二文字を想えば、こと荒事に向かない性格をしている僕でさえ、実にこれほどまでの必須要素が頭の中に浮かんでくる。
しかし、
(いずれにおいても、相手の常識……すなわち発想を上回ってさえいれば)
存外、勝利を掴むのは難しいコトではない──と、僕はそう思う。
単純な攻撃力……つまりは肉体を利用した打撃については、要は戦闘が始まる前から、体格なり筋肉量なりで予測がつく。
仮に、生まれてからこの方、ずっとカラダを鍛えたコトが無いという引きこもりがいて、そいつがもしも戦場を渡り歩いている軍人と戦うコトになったとして。
その場合、軍人の肉体は身体能力という点で、遥かに引きこもりの常識を超越している。戦おうなどとは、間違っても思ってはいけない。
なぜなら、決着がついているから。
戦闘が始まる前の段階で、そも引きこもりと軍人とでは誰が見たってマトモな勝負にならない。
──けれど。
(もし、引きこもりが化学兵器を隠し持っていたら?)
その化学兵器が、たとえば触れただけですぐにも死に直結してしまう猛毒の類だとしたら?
タップリと瓶に入れられ、ほんの少しの衝撃で飛び散ってしまう液状のようなモノだったら?
引きこもりを単に引きこもりとして下に見て、侮りからうっかり、パンチの一発でもお見舞いしたとしよう。
引きこもりは当然ブチのめされるが、しかし軍人も相当に危険だ。
なぜなら、殴るというコトは近づくというコトでもあり、どんな人間でも殴れるだけの至近距離に近寄れば、一瞬、ほんの一瞬ではあるものの反撃を受けるかもしれないリスクを負う。
だから、ブッ飛ばされる刹那のチャンスに、引きこもりが化学兵器を軍人に向かって叩きつける──あるいは地面に落としただけであったとしても──勝負はそこで逆転を開始しかねない。
割れた瓶から猛毒が飛び散り、それが軍人の皮膚に一滴でも付着してしまえば、引きこもりにとってはそれで十分すぎるほどに十分だからだ。
(──とはいえ……)
無論、これは単なる例え話であり、現実的に考えればそう都合よく化学兵器を持っている引きこもりがいるはずもない。実際は軍人の圧勝だ。
だが、
(そういう突飛な発想。常識的に考えればありえない状況を作れた時──)
目の前で現実が犯された事実に、敵は必ず動揺し、狼狽え、思考の鈍化、硬直が発生する。
よく奥の手とか切り札とか必殺技とか呼ばれる代物があるが、ああいったものが有効的に働くのは、ほとんど初見だった場合だ。
一度でも既知に取り込まれてしまえば、対策され、さらなる『上回り』を以って逆に窮地を招きかねない。
もちろん、だからといって常に突飛なコトをし続ければ良いという話でもないが、突き詰めていくに、コレは限りなく真理に近いだろう。
カース・オブ・ゴッデスにおける魔法とは、そういう意味でも一筋縄ではいかない。
なにせ……
「使うヤツによってッ、同じ呪文でも効果がまったく違うからなッ!」
「|LAAAaaaaaaaaaaaaaaa──!」
「ッッッ!!」
背後から飛ばされてくる嵐を寸でで避ける。
豪風、轟雷、豪雨、降雹。
物理法則を無視し斜め下から逆巻くように襲い来る天災群に、僕はただただ先ほどから「そんなんアリかよ!?」を心の中で繰り返していた。
というのも、ここまで前置きしておいて何だが、敵は呪文すら口にしていないからだ。
ただの咆哮。
ただの叫び。
殴ったり蹴ったり、噛み付こうとしたり尻尾グルングルンしたり。
とにもかくにも、ただの身動きひとつひとつが魔法を生んで、さっきからこちらを危機に追い込んでいる。
──曰く、“壮麗大地”は神が作った魔法。
しかし、ドラゴンもまた女神の直系である以上、親元と似たようなデタラメは、何の制限もなく可能というコトらしい。
(おかげで、逃げ続けながらも常に後ろを注視していなきゃいけない状況だ)
大嵐は現在人型──といってもおよそ三メートル近い──だが、その分各パーツの小回りがいい。
手首のスナップや腰のひねり、走るための膝の屈伸運動など、そういった細かい動作から逐一余波が発生し、結果として無視できない規模の『災害』が周囲にもたらされている。
分かりやすく表現すると、自転車による交通事故が自動車事故に連鎖して、最終的に列車事故どころか航空機爆発まで繋がってしまったみたいな。現実的に考えれば超絶的にありえないけれど、ともあれ、そういう感じ。
「嵐と嵐の隙間を縫うとか、人間として理解していい体感じゃないだろ!?」
先ほどから連続している我が身の紙一重に思わず愚痴が溢れ出る。
寿命とか運命力とか、これは間違いなく消費している。
すでに両手で数えられる死線は優に上回った。
逃げる、躱す、避ける、生きる。
思考を先鋭化しそれだけに特化させていて、なお完璧には成功しないこの非合理。
大嵐はまだ真の姿を晒しておらず、遊びに耽っている段階だというのに……!
(完全には躱し切れない……範囲がデカすぎる……ッ)
相手は天災なのだから避けられないのは当たり前だが、しかし、それにしたってスケールが巨き過ぎる。
指向性を持った竜巻が背後から解き放たれるその度に、カラダが煽られ宙へと吹き飛ばされそうになる。
一度でも絡め取られてしまえば、そこから先は嬲り殺しになるだろう。
濁流のような雨で溺死させるのも良し、雷で滅多打ちにするのも自由。バレーボールくらいのドデカい雹をさながらショットガンみたくして全身に叩きつけたっていい。怪物の王として原始的な暴力に訴えるのもアリか。
(……今はまだ憑依融合のおかげで皮膚が裂かれる程度で済んでるけど──)
そのうち向こうのボルテージが上がってくれば、現状、打つ手のない僕はされるがままにボロ雑巾だ。
「La・la・la……!」
「グッ、ぅぅ……上機嫌に歌いやがって……ッ」
まさに上位種族。高次元の生命体。
否が応でも人間は下等種族なのだと突き付けてくる──気に入らない。ああっ、気に入らない……!
「──だけどまだだッ!」
「……」
反撃に打って出るのはまだ、まだ先……今の大嵐は舐めクサってる。ゆえに、付け入る隙は必ずそこにある。そこにしかない……なら、
(命懸けて仲間を信じる)
額に流れる汗を置き去りにし、僕は次の死線へと飛び込んだ。
§ § §
──気持ちがいい。
木々が倒壊し雷火が爆ぜ、巻き起こる炎が土砂降りの中で苦鳴を挙げる。
ミシミシとボキボキと、時にドカンと轟音を発生させながら、古き樹海が面白いように形を変えていく。
破壊による混沌と無秩序。
自らの魔力が満ち満ちる終末の光景で、ソレは久方ぶりの上機嫌を自覚していた。
風と水、雷と火。
分解すれば、ひとつひとつは極単純な元素魔法にも似た小さな現象群。
しかし、『大嵐』にして『巨龍』たる己が操れば、世界はこうも簡単にひしゃげ歪んでいく──脆い脆い。
目覚めた当初こそ、不遜な騒乱を感じ、胸の裡で僅かな苛立ちを覚えたものだが……それも、ちょっと己が首をもたげて身を起き上がらせみれば、何てことはない。
黒き夜鴉──矮小矮小。
蒼き水精──軟弱惰弱。
何もかも、眠りに着く前と何ら変わらぬ雑魚の戯れ。
こちらがひと撫で、あいや、ふた撫でしただけで万物皆吹けば飛ぶ。
ドラゴンの眠りを妨げる力はあった。
だがしかし、それ以上の力はまったくの不足。世界の滅びを、ただいたずらに早めただけ。
──つまらない。ああ、つまらない。
けれど、
「La・la・la……!」
「グッ、ぅぅ……上機嫌に歌いやがって……ッ」
妖精の取り替え児。
魔の寵児。夜の伴侶。青き眼をした至上の慰み。
永き眠りから覚め、そのすぐ後に『祝福』があるというのは……素晴らしい。最高に気が利いている。
おかげで苛立ちも消し飛び、こうして戯れがてら愛情を表現するコトも可能だ。不機嫌なままではこうはいかない。見渡す限り一瞬で破壊してしまう。
楽しみはなるべく長く味わいたいのだ。
そのためなら、相手がたとえ苦痛に身を捩り、絶命の間際まで泣き叫んでいたって構いはしない。
むしろ、何度も何度も、できるだけ長くそれが続くように、ジックリ時間をかけて壊れゆく様を観察しよう……
加減をするのは難しいが、脆弱な人間が必死になって、こちらを何とかどうにかしようと足掻きのたうち回る姿には、何にも代えられない価値がある。取り替え児であるなら尚更にそうだ。
この身が絶大で、揺るぎなき存在であればあるほど、一矢報いんとする勇者の雄々しさが堪らなく愛おしくなる。
古き時代……かつては多くの英雄、益荒男たちがいた。
彼らは不撓にして不屈であり、まさに惚れ惚れするような強者たちばかりだった。
剣を振るいこちらの爪を止め、槍を投げて翼を縫い止める……なかには弓矢によって目や口腔内を攻撃してくるモノもいたし、賢いヤツは知恵を巡らせ毒や罠を仕掛けてくるコトもあった。
そうした人間たちの間には、いつしか『龍殺し』と呼ばれる偉業中の偉業を成し遂げた者さえ……
だからこそ──
「──だけどまだだッ!」
「……」
心の奥でニタリ、と舌舐めずるのが止められない。
魂が悦びに打ち震え、ともすれば一瞬で台無しにしかねないほどの感情が昂っては膨らんでいく。
眼前の取り替え児はイイ。かなりイイ。
引き攣った頬や時折り覗く情けない怯え。
卑屈な性根がチラホラと見え隠れしているが、逃げに徹しながらもどういうワケか諦めていない。
この大嵐が先ほどから無造作に放っては遊ばせている破壊の渦を、紙一重で掻い潜っては生存している──勇者の気質十分にありだ。見込みがある。成長性がある。
ゆえに、
「──Lou・loulou・|louuuuuuuuuaaaaaaaaaa──!!」
「ガ、ッ、ァアァアァッ!!??」
頑張れ頑張れ。
負けるな負けるな。
──雹は耐えられる?
「グッ! ごフッ!!?」
──雷はどう?
「かハッ──」
──まだまだ。次は竜巻を試してみよう。
「ぅ、うぉおおおォオオォオオオオオ──ッ!」
「La・la・la──!」
素晴らしい。素晴らしい素晴らしい。
人類はやはり最高だ。最高の宝箱だ。
我が肉体、我が精神、我が魂のいずれも他の追随を許さぬ最強なれば、孤高なる地平に友は非じ。
しからば、我が視座に足をかけようとするのはいつの世も『敵』だけだった。
同じ獣では話にならない。
同じ怪物でも語るに及ばず。
前者はそもそも獣の摂理において勝てぬ戦いには挑まぬし、後者は挑んで来たとしても単純に地力に差がある。
女神の因子を色濃く受け継ぐ龍の魔力は、島のあらゆる場所で酷く馴染みやすい。
つまりそれは、たとえどれだけ名を馳せた魔性の土地であったとしても、ドラゴンがほんの少しその気になれば、容易く支配権を乗っ取れるというコト。
加えて、アポトーシスとしての使命から任意の殺害権までドラゴンは持ち合わせている。抗えるモノなど早々いない。
だが、人間だけは話が別だ。
人間は繊細で、とても貧弱で、殺害権など行使せずともただ息を吹きかけただけですぐにでも死んでしまう非常に儚い種族だが……不思議なコトに、追い込めば追い込むほど、追い立てれば追い立てるほどに、妙な覚醒劇だったり復活劇だったりを演じてくれる。少なくとも、その場合がある。
過去の例で言えば、致命傷を浴びた後に突如としてこちらの鱗を切り裂く剣技に目覚めたりだとか、愚かとしか思えない特攻なのに何故かそれが成功したりとか。
とにもかくにも、人間というのはドラゴンに比べてあまりにスケールが小さすぎて、何を仕出かすか分からない予測不能を有している。ともすれば、逆にこちらがハラハラしてしまうほどに。
……だからかは分からないが──
「“氷”……ッ!!」
「La──」
氷の巨壁を尾の一振りで粉砕しながら思う。
破壊の暴王。終末の大嵐。巨いなる天災と畏れられてきたかつての日々。
目覚めたばかりのこの世界が今どうなっているかなど知らないが、恐らく、人間たちの在り方にそう変わりはないだろう。
目の前の愛し子が頑張っているように、迫り来る滅びに抗わんと、きっと、人間だけがこの身を『本気』で打ち斃そうとしてくれる。人間だけが、その可能性を秘めている。
……それは素敵だ。とても嬉しい。
滅ぼし壊し眠ってはまた繰り返し。
ドラゴンの永き時の中では人間たちだけが唯一の希望であり絶望。
滅びてくれるな──滅ぼすけども。
矛盾する思考に魂は亀裂した。
しかし、だからこその妖精の取り替え児。
我ら魔性の魂を慰撫し洗滌する█からの贈り物は、とても甘やかで見過ごし難い。
──ゆえに、さぁ……!
願わくば我が身を組み伏せ雄々しく哮って魅せるがよい。
英雄よ、益荒男よ、勇者よ人間よ。
新たな伝説を此処に打ち立てろ。
さもなくば、いささか時期尚早だが幕引きと知れ。滅びの唄に耳朶を震わせる覚悟はいいか。
────“大嵐”
魔力で編まれた積乱雲。
それも超巨大積乱雲ならぬ超巨大魔障積乱雲とも言うべき代物を、巨いなる期待とともに龍咆に変えた。
頑張れ頑張れ。
負けるな負けるな。
血反吐を吐いて臓物撒き散らし脳漿ブチ撒けなお不屈。
壊れゆき死に向かうその刹那において、人間の輝きはまさしくこの世の至宝である。
弱くて弱くて脆くて脆くて、それでも足掻くその無様。
いじらしすぎて──嗚呼、狂おしいほど愛おしい。
だから頑張れ。
足掻いてみせろ。
覚醒するのだ、今こそ壁を越えて。
勇者の卵よ、英雄の雛よ、殻を脱ぎ捨て立ち向かえ。
いったいいつまで背中を向けている?
我が破壊を躱してくれるな。寂しいじゃないか。真正面から受け止めて飲み干すくらいの気概を魅せろ。
──欲しいのは、英雄賛歌の叙情詩だけ。
「La・la・la……!」
求愛に対する返歌を、大嵐は茹だるような想いで待ち望んだ。
そして──
「“夜這う──瑠璃星”ッッ!!」
「!!」
龍咆の渦を正面から穿ち、ソレが来た。
──快感が、ゾクリと総身を這いずり回る。




