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#54 黄昏と黎明




 ──信じられないコトが起こっていた。


 リュディガーによって倒されたはずのチェンジリング。

 魔女と融合し、恐るべき意思力と、それによる圧倒的且つ驚異的な魔法で以って、勝利を掴む寸前まで進んだ。

 土壇場で発生したホムンクルス=ネイトによる咄嗟の介入が無ければ、リュディガーは恐らく負けていただろう。

 ともすれば、この数十年あまりで最も分厚い障害だったかもしれない。


 しかし、現実はリュディガーの勝利で終わった。


 魔法と魔術。

 文字通り噴火のごとく熾烈を極めた戦いは、奇しくも『子ども』によってその戦局を左右するコトになったからだ。


 片や、我が子をも殺し業を積み上げ。

 片や、我が子に焦がれ業を重ねた。


 リュディガーと白嶺の魔女との間に横たわる皮肉としか言えない対称性。


 魂の軋む音がする。


 然れど、


「っ、私は……!」


 幸せにならなければならない。

 喜びも楽しさも、取り戻すにはもうそれしか思いつかないから、だから必死に歩み続けてきた。

 今さら躊躇も逡巡も有り得ない。

 きっと、いいや間違いなくたしかに殺したはずなのだ。


 魔法使いと使い魔の関係は知っている。


 魂を溶け合わせ、互いに一心同体となる特殊な契約形態。

 片方が傷ついたところで、もう片方が同時に傷つくことは無いが、片方が死ねば必ずもう片方も死んでしまう。

 器である肉体ではなく、存在としての定義を記した魂を結び合わせているためだ。


 ──ゆえに、たとえ憑依融合状態だろうと魔法使い(チェンジリング)が絶命したのなら、使い魔(白嶺の魔女)も同時に死ななければならない。


 それがこの世界の法則というモノであり、乱れてはならない絶対のルール。


 都合のいい理想や希望は通らない。


 魔法や魔術が如何に超常を起こすといえども、不可能は必ず存在する。


 失われたモノは戻らない。数が引かれ、一度ゼロになってしまったら、そこからイチになるコトは決してないのだ。

 だからこそ、死者は蘇らず、引き裂かれし日常は想起とともに絶えず激痛をこの身に刻み込む。


 目的を叶えるために何を揃え、何をする必要があるのか。


 魔術師として、もはや呼吸と同じくらい慣れ親しんだ思考回路。

 長年体に染み付いた論理の楔。

 それがあるから、余計に目の前の現象が容認できない。

 弾劾の叫びとともに脳が沸騰する。


 ──ふざけるな。ふざけるな。そんな不合理が叶うなら、どうして……ッ!!


「っ、なぜ、息を吹き返せる……!!」

「然り、然り……! どういうコトだ魔女め!」


 歓喜の絶頂から叩き落とされた黒鴉神が、激怒も露に儀式場を睨んだ。

 そこには、いまや氷雪の吹雪を渦巻かせ、ケタケタとこちらを嘲笑っている理解不能の怪物がいる。

 業魔転変の儀式は、たしかに成功した。

 術式を構築した魔術師として、その手応えに偽りはない。

 ラベルは書き換えられ、黒鴉神は獣神からドラゴンへと転生したはずだ。していなければおかしい。


(そうでなければ、いったい……何のための外道と殺戮だったのか!)


 魔術は信仰基盤を利用している。

 象徴と因果律。

 暗示によって世界を騙すと簡単に言うが、騙すにもある程度の土壌がなければ説得力は生まれない。

 カルメンタリス島全土で共通の認識や、強く信じられている事・物を下敷きにし、その上ではじめて魔術というモノは機能する。


 悲劇の象徴。

 禁忌の象徴。

 厄災の象徴。


 子殺しや虐殺と言った一般的に外道な手段も含めて、リュディガーの魔術はこの島のおよそ最も暗黒と言える部分を掬い上げて成立させたモノだ。

 辺境の民間伝承や、秘境の部族に残された口伝の言い伝えごとき貧弱な基盤とは違う。

 正真正銘、世界常識と呼んで何ら遜色ない大信仰基盤を利用した。

 それが──


「なぜだ。何をしたッ?! 答えろッ、白嶺!」


 己の術式に不足は無かったと。

 何より揺るがぬ矜恃と強迫観念がために、リュディガーは歯を食いしばりながら絶叫した。


 すると、


「──フ、フフ、フフフ、フフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ!!」

「っ」


 主である少年と未だ融合状態を解かぬまま、まるで愛おしむように自身の両肩を抱き締め、骨面の奥から魔女が笑う。

 その様子は不気味であり、得体の知れない未知のおぞましさが自然、空気を重くした。


 魔女は答えない。


 ただ、狼狽えるこちらを確実に嘲笑いながら、ゆっくりとこう唱えた。



「──“(モルス)”」

「「ッ!?」」



 瞬間、思わず身構えたリュディガーらを完全に無視し、少年の影から幾百もの()が空へ跳び上がった。


 響く硬質音。


 ジャラジャラと耳障りな音を立て、まるで雨が逆さまに振るかのごとく、大小様々な『鎖』が土砂降りと化して黒鴉神のもとへ突き進んだのだ。


 だが、夜という概念。


 引いては、冥界そのものとも言える黒鴉神に向けて、如何な魔法といえども、生半な攻撃では意味も生まれない。

 物理的にもそうだし、概念的にも、上位に立つのは黒鴉神だからだ。

 死を束ね、死を治め、死の監獄となる冥界からすれば、死は明らかに下位の位相。

 黒鴉神が咄嗟に行った翼の羽ばたき(・・・・)で、魔女の魔法は実にアッサリと打ち払われるかに思われた。


 ──しかし。


「ッ、なん……だと!?」


 愕然と声を震わす冥府の神。

 黒き鎖が狙っていたのは、そも、黒鴉神などではなかった。

 愛する子どもの喪失により狂い果てざるを得なかった幾多の魂。

 偉大なりし母親たちが願い、求め、欲するのは、今も昔もたったひとつの真実だけ。


「──バカ、な……バカなバカなバカなバカなバカなッ!! この盗人め! 吾の『夜』より奪うというのか!? 吾が最後の誇りとした絶対の権能に唾を吐きかけると!? おおぉっ、ォォおおおッ! よせ、やめろ……やめろォォォォ──!!」


 けたたましいカラスの叫び声。

 然れど、此処に冥界があり死者の霊を手繰り寄せる最高峰の死霊術者(ネクロマンサー)がいるのなら、


「──返してもらうわ」


 漆黒の鎖が意味するモノとは、すなわち、黄泉の国より強制的に魂を呼び戻す強権の発令。

 邪法外法の究極が、奪われし子どもたち(・・・・・)を現世へと取り戻す!


 無論、黒鴉神は抵抗した。


 両者の力は最初拮抗し──しかし、最終的に想いの強い方が勝利を掴む。

 総勢六百の魂。

 生贄とされた培養混血児……ホムンクルス=カムビヨンは、供物としての運命からこの瞬間、ついに解放されたのだ。


「グぬぁあああァァァァァァああァァ……!!」


 生贄の消失。

 積み上げたはずの業が掻き消え、ドラゴンへと成りかけていた黒鴉神は退化(・・)の錯覚に苦痛の声を轟かせた。


 術式が砕け、業魔転変の儀式が破綻する。


 リュディガーはわなわなと震え、それでも諦めなかった。


「……まだだッ!」


 もはや大半の宝石がその光を失い、残っている魔力は心もとない。

 理解不能の事態に頭の中はぐちゃぐちゃで、まともな術式論理を組むコトさえ難しいだろう。


 ──だが、それでも……!


「死霊術で魂を呼び戻したからなんだ。履き違えるなッ! もう死んでいる事実に(・・)変わりはないだろうッ(・・・・・・・・・・)!!」


 そう。失われたモノは戻らない。数が引かれ、一度ゼロになってしまったら、そこから再びイチになるコトは決してないのだ。


 ──死者は、蘇らない。


「ならば……まだ術式は再構築できる!」


 事実として黒鴉神がホムンクルスを殺したコトに変わりなく、魂を奪い取られたからと言って死霊は死霊。

 第一、すでに奈落に堕ちたバケモノが、死者を生者に変えるコトなど絶対にできはしない。生者にすら不可能なのだ。死せるバケモノが生者を復活させるなど、たとえ天地がひっくり返ろうとも有り得ない。

 であれば、むしろ、死者の魂をいたずらに弄ぶ死霊術という新たな記号を使って、先ほどより、ずっと強度の高い真の大魔術式を成立させよう。


 魔術師として修めた全身全霊。

 リュディガーはダンッ! と一歩足を踏み込み、再度、業魔転変の儀を執り行おうとした。


 ──そこに。


「あら、へぇ……」


 突如、ヒュンッ! と風を鳴らして弓の音が届く。

 正確無比な狙い。

 どこかから放たれた一本の禍々しい矢。

 ()には矢文のように、小さな、まるで清水(・・)のように透き通る水晶が括り付けられて──


(──まさか)


 その瞬間、リュディガーの脳裏に直観的な確信が過ぎった。


 嫌な確信。


 培養体(ホムンクルス)は魔術だけでなく、錬金術の分野にも踏み込まなければ製造できない。

 専門家ではないが、長年に渡り研究をしてきたリュディガーだからこそ、その瞬間ハッと脳裏に閃くモノがあった。


 ──『精霊の涙(アクア・ヴィテ)


「ッ、やァめェろォォォォォォォォォォォォォォッ!!」


 叫びと同時、儀式の再構築よりも敵の粉砕こそを最優先とし、リュディガーは最速最大の威力で衝撃魔術を繰り出した。が、



 ──パキッ



 希望、信仰、愛情、幸福──そして復讐。

 魔術師の渾身は凍てつく吹雪に遮られ、四葉の白詰草は呆気なく噛み砕かれた。

 零れ出す生命の水。生命回帰の神秘。精霊の涙はあらゆる死相を退ける。

 虚ろだったホムンクルスたちにも、その変化は連鎖した。

 死者が次々と復活していくありうべからざる光景。



「ぁぁ……おかえりなさい、群青の空(ラズワルド)

「──ただいま。祝福の運び手(ベアトリクス)



 光り輝く最美の中心で、融合を解いた親子は抱擁を交わしそっと華やいだ。

 リュディガーはガクリと膝を着く。


「これは夢だ」


 とびきりの悪夢。

 そうとしか思いたくなかった。












 § § §












 ──では、此処に奇跡の種明かしを始めよう。


 魔術師が犯した致命的失敗。

 黒鴉神が見過ごした取り替え児の真実。

 多大なる犠牲と余りにも長い時をかけて計画された、驚天動地の大儀式。


 男は正気を焼き払い、人間性を棄却し、かつて自らの幸福を奪ったすべてに対して復讐を(こいねが)った。

 闇夜に舞う黒鴉は、獣としての誇りと自由への渇望、巨龍へと向ける嫉妬とたしかな憧憬ゆえに更なる強さこそを望み。

 人と人ならざるモノが、互いに奇妙な共感を覚えながらも、手に手を取り合って前へと進んでいた。


 魔術師としては人界最高峰に立つだろう人間と、“壮麗大地(テラ・メエリタ)”の三大の一角が、自覚の有無はどうあれ、絆を結んでいたのだ。


 者皆轢殺する復讐者と、夜羽の獣。


 止められるはずが無ければ、止めようとする者もいない。


 しかし、本来ならば決して起こり得るはずが無かった最大の誤算。

 およそ八百年ぶりに“壮麗大地(テラ・メエリタ)”へ足を踏み入れたチェンジリング!


 白嶺の子。魔の寵児。夜の伴侶。


 ただのチェンジリングならば魔術師たちの勝利は微塵も揺るがなかっただろう。

 黒鴉神もまた、魔性として取り替え児に惹かれてしまう本能よりも、自らの渇望の方を優先できていた。

 贄とするのに躊躇いはなく、転変のための供物に取り替え児を含められるなら、およそこれ以上の喜びは無いとまで断言し。


 実際──ラズワルドは敗北した。


 互いが抱える複雑な因縁が、まるで捩れるように絡み合った末のアレは純粋な決着だった。


 ──だが。



「そういえば、僕らはまだ互いに名乗ってもいなかったな」



 ……そう、魔術師が犯した致命的な失敗とは、つまりコレ。

 魔術とは、その土地その時代の信仰基盤に拠って立ち、その下敷きの上、呪的に意味を持つ(・・・・・)特別な記号を操作しなければ、術式として用を成さない。

 象徴と因果律は、世界にその意味を納得させ信じ込ませるための布石なのだ。

 雨を降らせたいのに火をつける?

 そんなデタラメな記号を使うバカはいない。


 ──では、



「僕の名前はラズワルド。そっちは?」

「……リュディガーだ」



 名前という、有史以来最もはじめに象徴となった最強の呪的記号。

 それが備えている呪的価値は、魔術に触れたコトがある者なら誰でも知っている。


 ましてそれが、『群青の空』ともなれば。


 まったき夜を象徴する黒鴉神に対して、とてつもないアンチシンボル。

 夜羽の獣を転生させ、より強大な存在とならしめるための業魔転変。


 なのにそこに、とんでもない猛毒を仕込んでしまった。


 ……無論、名前の持つ象徴的強度が如何に強かろうと、リュディガーほどの魔術師ならば側面の抽出を行い、今回ならば『厄災』としての面を強調できる。


 しかし、それでもなお夜を明かす群青が勝ったのは……ラズワルド自身の生き方が、その名前に何ら劣るところのない本物であったからだ。


 リュディガーとの戦闘の直前に、精霊たちの『観劇』があった。


 あの場で魅せた、チェンジリングとしてでなく、あくまでラズワルドという一個の人間としての存在証明。

 夜を這い進む瑠璃の閃光に、世界はその(まなこ)を奇しくも輝かせたばかりだった。


 リュディガーの魔術は、ゆえにその始まる前からして、すでに減衰の宿命にあったと言える。


 ……だが、厄災が潰され術式に綻びが生じようと、まだ悲劇と禁忌が残っている。


 カルメンタリス島に深く染み付いた、培養体と混血児への負の表象(マイナスイメージ)

 仮にひとつ欠けようと、もともと二つあれば十分とされていた術式に、その程度の瑕疵は問題にすらならない。


 ──では、死者の蘇生。


 それを可能とするのに、最も決定的となったモノとは……?



「っと。やっぱり剥がれたか」

「! それは……!」

「欲しい? ならあげようか。もう何の魔力も宿ってないだろうけど」

「────」



 ポイッ、と投げ渡される蒼い石。

 そう。リュディガーは知らなかった。

 黒鴉神も、否、ベアトリクスやフェリシア、ゼノギアに精霊女王、薔薇男爵。

 今回の旅が始まってから、ラズワルドがカルメンタリス島の三大奇病のひとつ──身体が次第に宝石と化していく晶瑩結石(しょうえいけっせき)に罹っていただなんてコト、当人を除けば誰も知っているモノはいなかったのだから。


 真実を暴き立てる叡智の三眼。


 あのヴェリタスでさえ、主が羽化を迎えるまでは気づかなかった!



「精霊女王から黒鴉神と巨龍との因縁を聞いて、幽界狼が僕の前に現れたとき。もしかしたらと思って治してもらわないでいたけど、結果的に正解だったな」



 精霊の国での三本勝負に勝った時点で、ラズワルドはその気になればいつでも病を治すコトが可能だった。

 それを放置し、わざわざ悩みの種を抱えたまま戦闘へと臨んだのはただひとつ。



「この世界の魔術師なら、魔力(宝石)を使わないはずがない」

「──魔法使いめ」



 加えて、万が一ラズワルドが負けるようなコトがあっても、リュディガーが術式に厄災を組み込むコトだけには確信があった。

 黒鴉神がそれを望んだという事実もあるが、厄災の象徴は放置するにはあまりにも惜し過ぎる。術式に組み込めるチャンスを目前に、それを放置できる魔術師など数える程もいまい。


 そして。



「だからこそ術式は破綻した。

 だからこそ、死者は蘇った。

 貴様が奇跡を起こせたのは、そういうカラクリか」



 もはや言わずとも分かるだろう。


 魔術師が魔術を行うために必要とする絶対不可欠のモノ。

 自身の身には備わっていない。

 だから必ず用意しなければいけない輝石たち。

 リュディガーは大量に集めた。


 しかし、その中のたったひとつ。


 最後の最後に、意図せずして使ってしまったのだ。

 ラズワルドという取り替え児の肉体に巣食っていた、小さな蒼玉(サファイア)を。



「……人間やあやしのモノどもが備えている魔力は、まず先に本体の情動や想念が優先される──なるほどな」



 たったひとつ。

 然れど、無色なるは魔術の大前提。



「群青の空は夜明け前の瑠璃色なんだ。夜に沈む日没じゃあない」

「ならば、私が敗れるのは必然だったか──!」



 冥き夜を否定する曙光の先触れ。

 黄昏を望んだモノに、黎明を臨むモノのその姿は……あまりにも眩しく鮮烈だった。





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