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#52 魔法と魔術




 魔術師との戦闘において、注意すべき点はおよそ二つある。

 ひとつは時間。

 そしてもうひとつは、敵が持っている魔力量だ。


 人外や魔法使いが使う『魔法』とは違って、人が編み出した『魔術』は基本的に万人に扱える技術である。


 必要となる魔力・象徴の調達。術式の整合。

 準備に手間を要する分、魔法のような即応性・柔軟性には優れてこそいないが、きちんとした手順を踏んでしっかりとやるべきことをやりさえすれば、魔術は誰にでも扱える。

 そして、これは何事にも適用される当たり前の法則だが、準備に時間をかけた分、手間暇を惜しまずあれこれと用意周到に計画を練った分だけ、魔術というのは当然強力になっていく。


 術式──すなわち目的とする超常現象を起こすのに必要な動的プロセス──『疑似因果律』の現実に与える影響力が高まるためだ。


 分かりやすいところで例を挙げよう。


 雨乞いの儀式。

 これを聞くと、恐らくほとんどの人が「神様にお祈りを捧げて雨を降らせてもらおうとするモノ」と認識しているはずだが、もちろん、ただ祈るだけで簡単に神様が願いを聞き届けてくれるなら、そんなものは儀式とは言わない。


 目的とする超常現象=雨


 ならば、必要となる『象徴』に()は絶対に必要不可欠。

 そこに、『擬似因果律』として()()()()()()()()()()という行為を併せるのだ。


 シンプルだが、これで術式としての骨子は完成する。


 あとは、魔術師本人の暗示能力(トランス)、プラス必要な魔力さえ揃っていればいい。


 魔術の強度それそのものを上げたければ、水の撒き方を工夫したりだとか、雷鳴の再現として太鼓を打ち鳴らすだとかしてもいいだろう。


 要は、その魔術がどれだけ本物に近いか(・・・・・・)だ。


 超常現象。

 つまりは、現実を超えた普通なら有り得ない現象。

 虚構であり偽物。集団幻覚。気の迷いや錯覚、嘘に過ぎないモノ。

 しかし、その場にいる誰もが騙され、見事信じ込んでしまった暁には、その嘘は(まこと)と何ら変わらない。


 水が落下し地面が濡れた。

 ゴロゴロの鳴り響く雷のような音がする。

 であれば、これはもう雨が降ったのと等しいコト(・・・・・)だ。

 結果に相応しい状況が整っているのに、過程が足りていない事実は認められない。


 よって、雨は降る。


 一流の魔術師とは、そんな非常識を常識へと変えてしまう天性の詐欺師にして、生粋の浪漫家(ロマンチスト)でもなければならない。

 自分自身すら騙せない嘘つきは、やはり空虚でむなしさを伴うからだ。


 ……とはいえ、実際に雨乞い──天候を操れるほどの魔術を扱えるのは、無論、一流とされる者たちの中でもごく限られた一部の魔術師だけ。

 大抵の魔術師は、端から自分にはそんな大層なマネは出来ないと弁えている──人間の限界を知っている──何故なら、バケモノ被害が多発するカルメンタリス島では、人間はおよそ自らの無力さを思い知らされないではいられない。


 ──だが。


(敵を殺すのに、わざわざ天候を操る必要なんて無い)


 殴る、蹴る、絞める、折る、斬る、刺す、抉る、撃つ。

 求める現象はどれもとても身近なもので、やろうと思えば素手でだって簡単だ。

 言い換えれば、それは、求める事象がその魔術師にとって親しいものであればあるだけ、術の成功確率がググン! と飛躍的に跳ね上がるコトを意味している。


 現実から乖離していない現象であればあるほど、魔術は容易だ。

 なにせ実体験からくる輪郭(イメージ)が捉えやすい。必要な工程が誰に言われずとも明らか。

 そして、容易であれば容易であるだけ、実に簡潔に術式は成り立ってしまう。


 ──ちょうど、こんなふうに。


(フン)ッ!」

「ッ、チ──!」


 力強い気合いの掛け声と同時に、優にテニスボールほどはあろうかという種々様々な宝石が射出(・・)される。


 紅玉、金剛、翡翠、琥珀、真珠。


 ひとつひとつが掛け値ないほどに高価だと確信可能な煌めくばかりの輝石たち。


 しかし、魔術師はそれらを、何の躊躇いもなく『砲弾』として扱っていた。


 紅玉は爆発を、金剛は貫通を、翡翠は追尾し、琥珀は凝固、真珠は閃光となって行く手を阻む。

 厄介なのは、どの輝石もかなりの魔力が宿っているコトだ。

 圧倒的な物量戦法に近づくことすら叶わない。


「先ほどの一撃で、私を殺せなかったのは痛手だったな」

「……それはそっちも同じだろ」

「ああ。だが、時間が私を味方するのに対し、貴様ら魔法使いは戦いが長引くだけ、魔力が目減りしていく。憑依融合していようとその事実は変わらない」


 悠然と、こちらが言われずとも分かっているコトを初老の魔術師は語る。

 その面差しはまさに冷静沈着といったそのもので、感情の揺らぎがひどく見えづらかった。


 煌めく輝石が桜吹雪のように魔術師の手掌(しゅしょう)で蠢く。


「本来、憑依融合を可能とする魔法使いと魔術師が戦うとき、その決着は魔術師の敗北で終わることがほとんどだ。理由は分かるか、白嶺の子よ」

「……ベアトリクスを知ってたか」

「羚羊の骨面に喪服じみた黒衣とくれば、知らぬモノなどいない」


 それで、どうなのだ?

 続く質問に、僕は舌打ちしながらしぶしぶ答えた。


「魔力量だろ」

「正解だ。博識だな」


 褒めるような口ぶりとは裏腹に、声の調子は平坦極まりない。


「魔法使いと魔術師。互いに人間同士だが、魔法使いはその身にバケモノを飼い慣らせる。

 ゆえに、飼い慣らしたバケモノの魔力の分、魔法使いは自分の魔力に上乗せ(・・・)が可能だ」


 生まれつき魔力を持たない魔術師にとって、それは絶望的と言っていい戦力差になる。


「よって、魔法使いと魔術師の戦闘では、魔術師があらかじめどれだけの魔力を用意できているか。それこそが戦いの趨勢を左右するのだ」


 絶望的とも言える魔力差を覆し得る財力。


「すなわちは、金の力が勝負を決すると言ってしまっていいだろう」

「だから、大枚はたいて宝石のプールを作ったって?」

「学んだのだよ、商売をな。これでも帳簿はマメにつけている」


 おかげで、現にこうして白嶺の魔女とすら拮抗し得ている。

 そして、


「単純な物量で以って時間を稼ぎ、本命の術式の準備を整える。覚えておくといい。これこそが、私の出した魔術師としての結論。貴様ら魔法使いへ抱く嫉妬心の果てだ」


 綺羅綺羅と輝く無数の石礫。

 絨毯爆撃にも似た宝石の雲霞(うんか)を従えながら、低い声がチロチロと熾火を零した。


 ……カルメンタリス島の魔術師と戦わなければならなくなった場合、相対者は()()()()()()()()()()()()()()、それが最も注意すべき事柄になる。

 理由はたったいま語られた通り、時間を与えれば与えただけ、魔術師は強力な術式を構築してしまう恐れがあるからだ。

 加えて、資金力≒魔力に富み、貴重で高質な呪具をも敵が持っている場合、たかが人間と侮ることは決してできない。


 戦闘が始まりすでに十分。


 想像以上に攻めあぐねる状況に、僕は己の焦燥を隠しきることができそうになかった。




 § § §




 しかし、ラズワルドが思わぬ苦戦に歯噛みしている中、内心に焦りの念を抱えているのはリュディガーの方も同じだった。


(──ふざけているな。よりにもよって、白嶺の魔女だと?)


 “壮麗大地(テラ・メエリタ)”に生きたまま辿り着き、挙げ句、幽界狼の獣神をも退けた。

 その時点で、たしかに警戒の度合いは引き上げていた。

 なにせ、黒鴉神の口ぶりではあの精霊女王をも相手取って、なお勝ちを拾ったような存在だと言うではないか。

 ならば、同じ人間というよりもカテゴリはバケモノ。

 自分より数段上の存在として脅威のほどを認めていた。


 ──だが、よりにもよって白嶺の魔女?


 白き屍の山嶺と畏れられ、王国どころか島のあらゆる国々で忘れられぬ爪痕を残した。

 子ども攫い、子を喰らい、忌まわしき悪名は広く知られ、義憤に駆られた者たちが総じて帰ることがなかったことからも、一部の国では半ばアンタッチャブル扱いにされている恐怖の伝説だ。

 それが、まさか……


(──取り替え児の使い魔になっているとはな……!)


 迷える母親の魂が、ついに安息の地を見つけたとでも言うのか。

 大願成就を目前に控えたリュディガーにとっては、およそ障害としてこれほど呪わしい悪夢は実在しない。


 今回の儀式のために特別に製造した六百人の|培養混血児《ホムンクルス=カムビヨン》。


 安定した生産のためには、当然少なくない年月もの研究を必要不可欠としてきた。

 時には脱走され、時には反逆を起こされ……だから必然、仕方なく処分することだってあった……


 アノス、クゥナ、ネイト、ミレイ、ヨルン。


 いずれも他ならぬ我が子の骸を素体としているため、成長すれば、ああこんな風になっていたのだなと思いながら、けれど殺してきた。


 黒鴉神の望みは、獣神の身から龍へと生まれ変わり、大嵐の巨龍と雌雄を決するコト。

 そのためには、業魔転変を恣意的に起こさなければならない。

 悲劇と禁忌の象徴を黒鴉神に殺させ、血の惨劇を以って業魔としての資格を手に入れさせれば、あとはリュディガーの術式が自動的に転変を執り行う。


 ──分かってはいるのだ。


 たとえこの身が人間のままであったとしても、自分がこれまでに選んできた道筋が、十分に人でなしのソレであるコトくらいは。


 悪逆と非道の自覚は多分にある。


(ク──だが、その報いが、これか?)


 かつて我が子を喪った悲しみで魔へと狂い堕ちた母親たち。

 ホムンクルスとはいえ我が子を手にかけ、これから更に死なせようとしている。そんなリュディガーへの皮肉としては、これ以上ない痛撃だ。

 知らず、奥歯がギリギリと噛み削られていく。


「“(グラキエース)”……!」

「──元素魔法か。無意味だな」


 放たれた極大の冷気に、三百以上の紅玉()をぶつけることで相殺。

 表面上は優位を保てているが、余裕があるとはいえ、消費される宝石の速度に怒りとも恐れとも言える感情がふつふつと沸き上がった。


 魔法。魔法使い。古の呪文。力ある原初の言葉を使って超常を成す人類の希少種。


(ああ、貴様らは、いつだってそうだ……)


 魔術師が長年苦労して到達する頂を、たやすく踏み越え置き去りにしていく。

 たったいま打ち消した元素魔法とて、仮に同じ現象を魔術師が起こそうとすれば、いったいどれだけの時間と労苦とを割かなければならないだろうか。

 魔法使いはそれを、一瞬で叶えてしまう。


 恨めしい。羨ましい。妬ましい。ああ、素直に認められるとも。


 この身、この魂。

 すでに虚ろと成り果ててはいるものの、かつての残り火は未だたしかにこの胸の中で燻り続けたままだ。


「……もしやすると、貴様を殺せば少しは思い出せるかもしれないな」


 喜びや誇らしさ、どうだ思い知ったかと呵呵と笑い、人間らしい心の幸福を。

 ならば──


「火葬をくれてやる……」


 戦いながら砲弾に交えてひそかに配置した最高純度の火成緑石(ペリドット)

 とある火山の噴火に混じって人の手に渡ったと云われるこの石は、それ単体で十分に強力なシンボルと成り得る。

 手掌で以って形成するは山の頂。グツグツと煮え滾る溶岩の胎動。圧力を加え、限界まで引き絞り、そして──


「──解放。怒張しろ!」

「ッ!?」


 直後、取り替え児の足元から勢い良く大地の怒りが猛烈と駆け上がった。





 § § §





 紅蓮の火柱が瞬く間に少年を呑み込んだ。

 頬を焼く岩漿(マグマ)の熱が“壮麗大地(テラ・メエリタ)”を赤く照らし出す。


 その光景を、量産培養体──リュディガーが黒鴉神転変のためだけに用意した六百人の生贄たちは、どの個体も目を見張って、ただじっと言葉も発さずに見守り続けていた。


 創造主にして宗主であるリュディガーからは、この戦闘が始まってより待機を命じられている。

 儀式を成立させるのに重要な生贄役が、まかり間違っても巻き添えを食らって不要な被害を生まないように。

 儀式を執り行うリュディガーは元より、リュディガーと契約を結んだ黒鴉神直々のご配慮があったためだ。


 現在、量産培養体のすべては教団の六十人の構成員もろとも、黒鴉神の後ろで庇護(・・)されている。


「ククク……汝ら、くれぐれも吾の翼より前に出るではないぞ? 出れば命の保証はないと思え」


 本体ならざる端末から、喜悦を含んだ声が警告を発した。

 チェンジリングの来訪を目の当たりにし、黒鴉神は明らかに喜んでいる。

 滲み出る魔力の波動は先ほどからグングン高まっていくばかりだ。


 量産培養体のひとり──ホムンクルス=ネイト。


 左が黒で右が黄金。左右で異なる虹彩を持つダークブロンド。

 それ以外は、ほんとうに、十二歳程度の人間の少女と何ら変わらない人工混血児。

 自らを六百人いる内の百二十人。その内のさらにひとりでしかないと客観的に認識している単なる生贄(少女)


 個としての名を与えられてもいない無垢なる命。


 その瞬間、他のホムンクルスたちが目の前の現実にただ圧倒されているのに対して、彼女はただひとりだけ別の感情に苛まれていた。


 自分たち|培養混血児《ホムンクルス=カムビヨン》は、宗主リュディガーが黒鴉神をドラゴンへと転変させるために用意した生贄だ。

 だが、生贄として用意されたからといって、これまでの道すがらそれ以外の役目を与えられなかったワケでは当然ない。

 教団の役に立つための日々の仕事。宗主リュディガーから命じられた任務の遂行など、その役割は多岐にわたる。


 だからこそ、ホムンクルス=ネイトにはほんの少しばかり前に仕出かした自らの不始末が非常に心重たかった。


 半刻ほど前、ホムンクルス=ネイトは、自分たちと同様、黒鴉神転変のための生贄にするため、宗主リュディガーから生成りの神父を連れて来るよう命令を受けた。

 しかし、ホムンクルス=ネイトが命令を遂行しようといざ足を運んでみると、生成りの神父はどこにも見当たらず、命令を遂行するコトは不可能だった。


 宗主リュディガーは報告を受けても一言「そうか」と頷くだけで、ホムンクルス=ネイトを責めるコトはしなかったが……


(もしも)


 そう。もしも、今現在起きている不慮の戦闘行為そのすべてが、このホムンクルス=ネイトの失態によって引き起こされたモノだとするならば。


(わたしは……どうすれば)


 どうすれば、その責任を取ることができるのだろう。

 黒鴉神が昂りのままに少しでも気紛れ(・・・)を起こせば、培養体は元より、リュディガーを含む教団員皆が死ぬコトになる。

 腹心の臣下であった幽界狼を殺され、ただでさえ黒鴉神の機嫌は急高下しているのだ。獣の理性など信用ならない。

 それに加えて、


「──なんだ、あの怪物は……!?」


 隣にいた教団員のひとりが、愕然と一歩後退りながら(おのの)くように呟く。

 その眼差しの先にいるのは、魔女と一体化しているチェンジリングではない。

 チェンジリングの少年とともに茹だるような熱を放ちながらやって来た、見たこともない存在だ。

 儀式場から少しだけ距離の空いたところで、赤黒い湖沼が五十を超える獣神たちを絡め取って、殺そうとしている。

 獣神たちはいずれも己が権能を以って対抗しているが、悪魔のような角を生やした女の方が……いささか深度が大きい。


 黄金の瞳には魂の格が映し出される。

 残酷だが、そう時間をかけずして、黒鴉神の忠臣は全滅するだろう。


 しかし、そうなれば、リュディガーは更なる窮地に追い込まれてしまう。

 儀式を執り行うどころの話ではなくなり、最悪、今この場で死亡してしまう可能性も大だ。

 黒鴉神は巨龍との決戦を前に、微かだが無視できない消耗を迫られるコトにもなる。


「……」


 ホムンクルス=ネイトは微かに俯き、状況を分析する。

 生贄である自分たちが死ぬのは仕方がないが、黒鴉神の庇護のもと、明日も生きていくべき教団員、それに宗主リュディガーもが死んでしまうのは、自分たちの役目から考えて有ってはならない。


 しかし、人工混血児であるコトを除けばただの少女にしか過ぎないホムンクルス=ネイトが、正真正銘埒外の存在であるバケモノ同士の争いに割って入るなど……そんなのは到底不可能。足を引っ張ってしまうリスクの方が遥かに大きい。


(──なら)


 黄金瞳。

 ヒトならざるあやしの視界──貴種なる魔の特権を以って、ホムンクルス=ネイトは空を見た。


 そこに、自らが為すべき使命があると信じて。





 § § §





 まるで溶鉱炉にでも叩き込まれたようだった。

 ぐつぐつ、ぐつぐつ。

 じゅわじゅわ、じゅわじゅわ。

 全身が熱というものに包まれすぎて、自分とマグマとの境目、境界線が分からない。


 だが、ベアトリクスの衝動はたとえ融合状態でも……僕を守らんと必死だ。


 活火山の噴火にも等しい攻撃を受けたのにもかかわらず、僕の生命活動は終わっていない。

 高熱には低温を。

 灼けるような痛みには裂けるような痛みを。

 熱量など所詮はプラスかマイナスかの違いだけ。

 熱いのならば凍える寒さで対抗する。


 空高く吹き飛ばされ、溶岩の中を掻き泳ぐ新体験。


 身体中の至る所で負った火傷を、ベアトリクスの魔力で応急処置を施し邪魔な赤を突きっ斬る。新鮮な空気。気持ちがいい。虚空を突き裂く。身体は依然燃えている。


 然れど、関係ない。


 気が触れそうなほどの痛覚信号がけたたましく脳内を谺響(こだま)するが、気付けにはちょうどいいと敢えて頬を歪めた。


 どうせ後で治る。ならば構いはしない。


 眼下の魔術師を睨み、一気に空を滑る。

 大量の宝石による圧倒的面攻撃は、こちらを近づかせないための時間稼ぎだった。

 本命となる魔術は、たったいま行われた盛大な噴火魔術。


 しかし、敵はそれすら用いても僕を()()()()()()()


 戦況を有利に進め、その上で必殺を期したであろう攻撃を以ってしても、敵を殺し切れていない。


 ──つまり、勝機はいまだ。


 大規模な術式を発動した直後。

 ここからなら、如何に単純な魔術で即応しようにも、魔術であるからには数瞬の準備(・・)からは逃れられない。


 指を指す。両手を合わせ、拍手を打ち、擦り、鳴らし、握り締める。


 手掌による象徴的行為(疑似因果律)

 どんな魔術師でも最速で魔術を行うならそれしかないが、かけた時間が短ければ短いほどに、魔術は効力を弱める。


 なら──ダメだ。


 僕とベアトリクスを同時に殺すなら、とびきりの詐術を用意してもらわなければ釣り合わない。

 白嶺の魔女の刻んだ世界への恐怖。それに打ち勝つだけの相当なモノを用意してもらわないと──結果はコレだ。

 大地の灼熱すら薙ぎ倒し、氷雪の羚羊は反撃へと打って出る。


 とはいえ、それでも、眼下の敵は宝石による砲撃くらいはしてくるだろう。


 時とともに練り上げられた修練の結晶、実に敬服する。


 ──ゆえに。


「死霊術の怖さを思い知れ……」


 地上より迫る綺羅綺羅しい攻撃。

 それらを空中で喚び出した百の凍死体で全て防ぎながら、僕はダンッ! と着地した。


 彼我の距離は一メートル。この距離ではもう、砲撃は使えない。



「ク──おのれ……!」

「“(モルス)”」



 躊躇いはない。

 迷いもない。

 殺さなければ殺される。

 自分の中の殺意を驚くほど滑らかに出力し、呪文を唱える。

 背部より怖気の走る幾千の手(・・・・)は、それで、呆気なく敵魔術師へと流れ込むはずだった。
























 ──けれど。


「……………………」


 死の奔流は魔術師へと届かない。

 絶好の好機を、僕はみすみす見逃した。

 その事実に、瞳孔が開き全身から総毛立つ。


「ごめんなさい」


 目の前に、小さな女の子がいた。

 戦闘を開始する前に視界に入っていたから、もちろん知っている。

 同じ顔、同じ背丈、同じ服装。

 統一された容姿はまるでタチの悪い戯画のようで、否が応でも量産(マスプロダクション)の二文字を突きつけられた。


 美しい黄金瞳。


 片目だけとはいえ、それはまるでベアトリクスのようで。

 同時に、ホムンクルスであっても子ども(・・・)だと。


 この身が石化するには、あまりにも十分な不意打ちだった。



「……あーあ」



 そして、ありうべからざる僅かな停止。

 熟練の老魔術師にとって、あまりにも過分な致命的硬直。

 走馬灯のように遅滞(スロウ)になった世界で、パチン、と指の鳴る音がした。



「ッ……私の、勝ちだッ!!」



 苦々しげな勝利宣言。

 勝ったならもう少し喜べよ、と僕は胸の奥で舌打ちし、そうして見事全身が押し潰される。


 意識が、落ちた。





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