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#49 欲する先へ




 ──精霊女王曰く、“壮麗大地(テラ・メエリタ)”のパワーバランスには実は大きな偏りがあるのだと云う。


 緑化、夜光、大嵐。


 東の最厄地における、もはや言わずと知れた三大。

 三大などと言えば、いかにも均衡を保ったパワーバランス──三竦みが成立しているかのように思えてならないが、正確な実態はいささか異なるのだと女王は語った。


「まず初めに申しておきますと、三竦みというのがそも大きな誤りになります。我が身の無力を晒すようで恥ずかしい限りではありますが、この“壮麗大地”では彼の災い──大嵐の巨龍こそが一強なのです」


 島の人類史に伝わる御伽噺や伝承では、水精と夜羽、巨龍の三体は互いに相克する関係だと記されている。

 しかしそれは、ある条件が大前提となっていなければ決して正しいとは言えないらしい。


逆天に微睡む龍(・・・・・・・)

「──はい。彼のドラゴンが眠っている(・・・・・)コト。それこそが、私と黒鴉神が曲がりなりにも彼の災いに比肩し得るとされる絶対条件なのです」


 それはなぜか。


「私ども精霊が世界によって産み落とされるモノならば、黒鴉神ら獣神もまた、世界にその存在を依存しています」


 世界の信仰が一箇所に凝固して生まれる精神霊。

 死して後に自然霊となり霊格を高めるコトで権能を得た環境神。

 どちらも鶏が先か卵が先かと問うたなら、まず真っ先に世界が先だと答えられる。

 よって、精霊も獣神もその始まりからして世界()を殺すような真似は、基本できない。親殺しのパラドクスになってしまうからだ。


 ──だが。


「ドラゴンは、世界を殺します」


 伝説の災禍。怪物たちの暴王。破壊の化身

 カルメンタリス島の動物たちが、生きながらに業を重ねる──主な例としては他種族を殺戮する──コトで、地龍へと変生する可能性を秘めているのに対して。


 生粋のドラゴン。


 つまりは、発生当初から徹頭徹尾なんの混じり気もなく()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 単純な力の脅威。すべての獣の頂点に立つ種としての強さも然ることながら、真に歳経た個体は『終末』をも可能にすると言えば分かりやすいだろうか。

 要は、カルメンタリス島を海に沈めたり真っ二つに割ったりするイカれた規格(スケール)の怪物だと考えてもらえばいい。

 イメージとしてはまんま怪獣だ。


「島の自殺細胞(アポトーシス)であるドラゴンは、基本的にカルメンタリス島そのものへの絶対的殺害権を持っているんでしたね」

「はい。ゆえに、この島でドラゴンの殺意に抗えるモノは、神の聖遺物を除けばほとんど存在しないでしょう」


 灑掃機構を除けば同じドラゴンすら殺し合えばどちらかが必ず死ぬ。

 とはいえ、だからといってそれで抵抗が無意味というワケではもちろんない。

 城塞都市リンデンがかつてドラゴンを撃退した伝説を持つように、ゼノギアがその鱗をクロスボウの鏃としているように。

 ドラゴンを退かせるコトも死なせるコトも、めちゃくちゃ頑張れば辛うじて可能だ。

 無論、大いなる犠牲と多大なる代償とをまとめて支払うコトにはなるだろうが、決して無理ではない。


 ──しかし。


「“壮麗大地”の巨龍は、その寝返りや身動(みじろ)ぎだけで、貴女や黒鴉神と拮抗しますか」

「ええ。なにせ──大嵐(・・)ですから」


 巨龍とは、文字通りの意味で、ほんの少し揺れ動いただけで世界に甚大な影響を及ぼす存在を指す。

 大地は捲れ上がり(・・・・・)、空は押し潰され(・・・・・)──超巨大積乱雲(スーパーセル)と同位か、それ以上の天災が島を蹂躙するのだ。

 “壮麗大地”の巨龍とは、そういう滅びの在り方を備えた破壊の化身である。

 嵐の轍には、凄惨の二文字しか許されない。


 ゆえに、


「私と黒鴉神は、古くから“壮麗大地(テラ・メエリタ)”の南──彼のモノの眠る地を避けた西と北とを、己が領域とする他にありませんでした」


 眠っている巨龍を叩き起こす馬鹿はいない。

 下手な騒ぎを起こして大嵐を目覚めさせてはならないと、縄張り争いもせいぜいが小競り合いで済ませる暗黙の了解が、この地にには古くからある。

 精霊も獣神も、厄介な目の上のたんこぶを常に気にしながらも、互いに大人しく、慎ましやかに暮らしてきた。

 けれど。


「けれど、もしかすると黒鴉神は──あの古王は、そんな状況をずっとどうにか打開したくて、内心堪らなかったのかもしれませんね」


 今は昔、“壮麗大地”がまだ最厄地とすら呼ばれずにいた太古の頃。

 ある一羽の闇夜鴉が、憎き太陽と戦うため、遥か東へと飛び立った。


 ──忌々しい光の王め。貴様がいなければ、吾はもっと何処までだって飛んで行けるはずなのだ!


 それは無知なる願い。

 生まれながらに世界の半分しか知るコトを許されず、白く明るい世界に踏み込めば刹那の内に焼け死ぬ鳥の強欲。

 太陽さえ無ければ、明るさなどという概念さえ存在しなければ、自分はもっと自由に空を飛べるのだと。

 そう、怒りを抱えた小さな王様。


 彼は東へ、ただ東へとひたすらに羽ばたいていき、当然のように道半ばで死に絶える。


 忌々しき太陽。憎々しい日輪。

 夜の闇の中でしか生きられない一羽のカラスは、陽光というのがいったいどんなモノなのか想像すらできない。

 しかし、それでも、己が自由を不条理にも侵害しているモノには、その存在から断じて許せはしないと、尽きせぬ願いのままに、最期はその身を羽毛の一片まで燃やし尽くした。


 その生き様は、たまたまそれを見ていた気まぐれな神が、思わず慈悲を与えてしまうほどに鮮烈だったと云う。


 本来、その身体を塵も残さず消滅したカルメンタリス島の獣は、島へ還るコトが叶わない。

 よって、通常の闇夜鴉が死ねば自然に島の夜へとひっそり溶けゆく(・・・・)ところを、そのカラスは何の恩返しもできないまま無意味に死ぬはずであった。


 ──そう、神の気まぐれさえなかったなら。


 死後の魂を幸運にも拾われ、その生涯を愉快だと気に入られた小さき王。

 彼は島の夜の一部となり、そこから何百年とかけて霊格を高め、ついには念願の『自由』を掴んだ。

 昼も夜も関係ない。カラスが望めば何時だろうと何処だろうと必ず夜になる。そういう絶大的な権能(チカラ)を手に入れたのだ。

 忌々しかった太陽も、もはや敵ではない。


 深き森の夜の王。冥夜の渡り鳥。夜光。黒鴉神。夜羽の獣。


 時代によって様々な呼び名を他の獣神たちから与えられながら、名実ともに『獣の王』となっていった。

 獣の中でも小さく、また非力で、たった一羽の闇夜鴉でしかなかったモノが、多くの獣たちを支配する獣神になるコトができたのだ。


 まさに──絶頂。


 だが、


 ──なん、だ……あれは……あやつ(・・・)はなんだ!?


 栄光は長くは続かない。

 高貴なる冠など、はじめから王である存在には必要無いコトを、カラスは知る。

 なぜなら、獣神となり、数多の獣を統べ、ついには太陽すら呑み込んだカラスの前に、本物の王(・・・・)が姿を現したからだ。


 その足の一歩は大地をひっくり返し、その翼の羽ばたきは山を削る。

 その大顎から放たれる咆哮は天を震わせ、そのカラダの硬く鋭い鱗の一枚一枚はあまりにも優美だった。


 巻き上がる地面。

 押し迫る黒雲。

 突風は吹き荒れ、雷雨が島の地形を撫でるように変えていく。


 カラスの“夜”は引き剥がされた。


 すなわち──大嵐。


 世の終わりを司る、忌まわしくも煌びやかな絶望のカタチ。

 巨いなる威容と巨いなる破壊を以って、巨龍はカラスの王国を物理的に()()()()()()()()


 嗚呼、なんということだろう!


 あの太陽をも捩じ伏せたというのに、カラスは、ちっぽけな鳥は、本物の獣王からすれば一瞥にも値しない何ともくだらない存在だったのだ!


「……以後、黒鴉神が彼のモノに対して、相当な情念を抱えていたとしても、何らおかしくはありません」


 敵意、殺意、害意、悪意。

 恐怖、畏敬、激怒、嫉妬。

 少なくとも、ただでさえ狭められてしまった自らの領域が、更に狭められても。

 黒鴉神は精霊との全面的な殺し合いを避け、それどころか、巨龍に下手な刺激を与えぬよう忍耐を重ねている。

 軽はずみな行動を取った配下には、じきじきに手を下すほどだと言えばその慎重ぶりがどれほどのものか知り得よう。

 太古の昔より、延々と巨龍を意識(けいかい)し続けているのは間違いない。








 ──であれば。


「果たして、偽りの王がその胸裡に懐く想いとはなんなのか」


 千年を超えて──否、千年以上前から何も変わらない自由への渇望(・・・・・・)があるとして。

 獣としては小さく非力な、たった一羽の闇夜鴉でしかなかったモノが、巨いなる真王に向けて懐く狂わんばかりの激情とは?

 わざわざ魔術師(にんげん)と手を組んでまで、何を求める。

 そして逆に、魔術師たちは何を企み黒鴉神に近づいているのか。


「──当ててやるよ」


 推理でもなければ憶測ですらない。

 カース・オブ・ゴッデスを知っていれば、誰だろうと導き出せる簡単な想像。

 うなじを掠る翠緑の毒牙を、全身を半ば折り畳むようにして躱しながら、僕は言ってやった。


「お前たちの王は、ドラゴンに成りたい(・・・・・・・・・)んだ」

「GRRrrrrrrrrrrrr──!!」


 象ほどもある顎から、身の竦みそうな唸り声が大気を掻き鳴らす。

 幽界狼の獣神は、苛立ちも露に逃した獲物(こちら)へ鋭い眼光を飛ばしていた。

 無論、即座にかかる追撃。

 それを、遅滞した時の中で再び躱し、今度は大きく距離を取って対峙する。

 異界の毒気、翠緑の毒光がポタポタと濡れそぼり、すでに周囲は蠢く木乃伊の森。

 視界の端で薔薇男爵が大いに嘆いていた。


「なんてことを! ──なんてことを!」

「可哀想に。精霊と獣神は暗黙の了解で殺し合わないんじゃなかったっけ?」

「痴れ言を」


 幽界狼は短く、しかしハッキリとした言葉で告げた。


「元より“壮麗大地テラ・メエリタ”は我らが王の縄張り。これまで寛容と慈悲とを与えていたのは、ひとえに羽虫をいちいち相手にするのが馬鹿らしかっただけのこと」

「害獣が。よくもまぁ嘯くものですね」

「害獣? ハ、吠えるなよ毒婦。見境なしの破壊者め、貴様の淫蕩ぶりには我ら獣とて頭が下がるわ」

「ならば蕩かして差し上げましょう。私の翅は生命の泉。原初の海に還るは、あなた方の本望でしょう?」


 湿り気を帯びた女の声が、幽界狼によって異界化された花畑を即座に修復(回復)させる。


「おお! ──おお! 美しい!」


 男爵の歓喜。

 精霊と獣神の真っ向からのぶつかり合いが、目の前に顕現していた。

 僕はそれを、気を抜けばすぐにでも心の中に湧き出てくる絶大的な万能感に必死に蓋をしながら注目した。


 使い魔との憑依融合。


 女王の庭城に幽界狼が現れたその時から、僕はすでに全力だ。

 力の出し惜しみも温存もしない。

 今回の旅の総決算は、もはやすぐそこまで来ている。


 ゼノギアは取り戻した。怪異化も、まだ様子を見る必要はあるだろうが現状は落ち着いている。

 “壮麗大地”で起こっている異変。魔術師たちの企みも、黒鴉神の過去が女王によって明かされたことで想像がついた。


 カルメンタリス島のバケモノは、一度そう(・・)と生まれ定まってしまった以上は、自らの在り様をそうそう簡単には変えられない。

 深大な存在であればあるほど、強大な力を秘めていればいるほどに、世界にそのカタチがくっきりと縁取(ふちど)りされてしまっているからだ。定義付けられていると言い換えてもいい。


 地図を例にすれば分かりやすいだろうか。


 仮に世界地図に一人の人間を描けと言われても、そんなことは普通できない。

 どんなに大柄な人間であっても、地図に描こうとすれば豆粒よりも極小の点。有るか無いかも分からない、そんな有り様になってしまう。


 けれど、大陸や海溝、山や森、湖ほどの規模になれば地図には描ける。


 つまり、“壮麗大地”の黒鴉神ともなれば進化も容易でない(・・・・・・・・)


 ならば、もしも黒鴉神が巨龍に打ち勝たんとどんなに強く望んでいたとしても、そも、龍と鳥というあまりにも歴然としている種族差は、埋めようと思っても埋められない。悲しいかな、霊格のスタート地点が離れすぎている。


 ──だが。


(ひとつだけ、その断絶を埋める方法がある)


 奇しくも、それは獣神ならざる地龍にこそヒントが宿った転変(・・)の可能性。

 死して自然霊となり、環境神と至った獣神。

 対して、地上を彷徨う龍は、生きながらに業を重ねて荒ぶる獣。


 数多の贄と、数多の惨劇。


 それこそが──如何なる魂をも更なる奈落へと突き落とす『業魔転変』の仕組みだ。


(……腕の立つ魔術師なら、人為的に叶えるコトも難しくはないだろう)


 常軌を逸した思考回路と、人の世界を捨てる覚悟が必要になるが、要は大量殺戮さえ実行する意思があればいい。

 そして──


(このタイミングで僕を狙いに来たってことは……)


 悲劇の象徴──カムビヨンの仔ら。

 禁忌の象徴──ホムンクルス。

 厄災の象徴──チェンジリング。


 世界中からありとあらゆる負の表象を一点に掻き集め、数だけでなく、質においても術式の確度を高めに来ているのか。


「──天才の発想だ。イカれてることを除けばな……!」


 最厄地のバケモノにどうやって取り入ったのか、ここに来るまでまったく分からなかった。

 だが、事ここに及び疑いの余地は無い。


「……契約したな? 自らを転変させる代わりに、『召喚契約』を結んだ! 違うか!」

「そこまで察しがついているなら話は早い。我が王の贄となれ──!」

「させません!」


 激流が虚空を鞭のように縦断した。

 翠緑の狼は自らを淡いに溶かし、瞬くように視界を跳ね回る。

 僕は大きくその場から離れた。


(っ……マズイ。マズイマズイマズイぞコレは!)


 もともと、僕が“壮麗大地”にやって来たのは、紆余曲折はあったものの、リンデンから異変の調査を頼まれたコトが切っ掛けだった。

 原作には無い展開で、何が起こるかもまったく分からない。

 しかし、まだ名前も知らないし姿も見ていないが、これほど大胆で度胸のある企てを実行する魔術師が、およそ準備を疎かにしているはずがない。

 チェンジリングの到来は、あくまで棚から落ちてきた餅みたいなもの。望外の幸運。

 きっと、魔術師がすでに構築しているだろう術式からすれば、別に組み込まなくても構わない象徴(ファクター)のはずだ。大方、契約相手の黒鴉神のわがままで仕方なく、と言ったところではないだろうか。


 だとすれば、急がなければ本格的にマズイことになる。


(幽界狼の帰りが遅くなれば、この手の魔術師はいざとなったら躊躇せずやる(・・)ぞ)


 たとえそれで黒鴉神の意思を蔑ろにするコトになったとしても、術式自体には恐らく何の問題もないのだ。

 契約成立の条件はあくまで、黒鴉神を転変させるコト。

 それさえ済めば、あとは魔術師の好きなように召喚……契約の対価が支払われる。

 問題は、魔術師のその先。召喚契約を結んだ先に待つ目的がいったい何なのかという点だが……


「──その前に、黒鴉神は確実に巨龍に挑むよな」


 長年抱えた想いの果て。

 一言では表せないあまりにも積もり積もった深き激情。

 雪辱は、大嵐が夜光の前に沈むことでしか果たされない。

 しかし、戦いが起これば終末は間違いなく覚醒する。

 巨いなる龍は不遜な鳥へ、必ずや怒り狂うだろう。


(……クソ)


 奥歯を噛み締め、拳を握り締める。

 ベアトリクスの力が全身に漲っているというのに、これほど恐怖で膝が震えるなんて。

 羚羊の仮面で顔を隠せているのが幸いだ。少なくとも、精霊たちに内心の動揺が伝わることだけはない。


 着地し、息を吸う。


 すると、


「大丈夫。ラズワルド君は、たとえ何があってもわたしが守るよ」


 さすが、僕の動揺を察したらしいフェリシアが、すかさず傍までやって来て、優しくこちらの肩を抱き締めてきた。

 幽界狼の生み出した異形木乃伊の群れを任せていたのだが、どうやら薔薇男爵に押し付けてしまったようだ。

 遠くから男爵の大袈裟な──余裕のある──悲鳴が聞こえる。


 が、


「────違う」

「……え?」


 膝を叩き、自分で自分を叱咤する。

 僕が欲しているのは、こういうのではない。



 “──群青の空は夜明け前の瑠璃色だ。

 決して、夜に沈む日没ではない──”



「……ありがとう、おかげで勇気が出た」

「ぇ、ぁ、ラズワルド……君?」


 抱擁を(ほど)き、前へと出る。

 そして──


フェリシア(・・・・・)

「────! っ、ぁ?!」

「僕は弱いから、守ってくれなくていいとか、そんなことは口が裂けても言えない。けど」


 頬に手を添え、その柔らかさを覚える。


「貴女が僕を守るため、その命を平然と懸けられるように。

 僕もまた、僕を好いてくれる貴女を守るためなら、この命を喜んで差し出せる」


 互いが互いを、失わせたくないと想い合う。

 もしもこの二つの想いが両者を今後も生かし続けるなら、喪失による悲しみは永遠に訪れない。

 なら──


「遠慮しなくていい。取り繕わなくていい」


 フェリシアへ語りかける。

 ……いい加減、僕もそろそろ分かって来た頃だ。

 夜族となり魔に堕ちたフェリシア。

 新種の脅威。異なる三つの因子。いつ均衡を崩し暴走を開始するかも分からない恐怖。

 誰もがこの少女をそのように危険視した。


 だが、ここまでの旅路におけるフェリシアを振り返れば、いったいどうだ?


 天使との遭遇。薔薇男爵との二度の戦い。

 その他、影に潜るだとか未来視をするだとか、いろいろ能力を発揮してもらう場面は数多くあったものの、どれも言うほど()()()()()()だっただろうか?

 こんな風に言うとアレかもしれないが、戦闘の仕方も魔法の使い方も、どれも小さくまとまった実に人間くさいやり方に終始してはいなかったか?


 吸血鬼ならばこれができる。

 叡智の魔法ならこんな風に使えば便利なはずだ。

 海獣に変身すればわたしは強い。


 ──違う。違う違う全然違う。バケモノというのは、まったくそういうんじゃないだろう。


 思い出せ。

 人から転じた魔。白嶺の魔女も、脳吸いも、鯨飲濁流も、いちいちそんな理屈臭いコトを考えていたか? 否だ!


 妄執、激昂、渇望、狂気、強欲、悲嘆、絶望、飢餓、孤独、憧憬、羨望、愉楽、苦悶、忘我、衝動、嫌悪、後悔、歓喜、本気、滅却、傲慢、恐怖、我意、奔放、利用、放蕩、熱望、拒絶、自壊、殺意、恩讐、愛情、執着、怨恨、悔悟、呪詛。


 人間でありながら、魔物の心を宿してしまった。

 だからこそ、皆その魂が奈落に堕ちた。だからこそ、二つ名が与えられるほどに人々を幾年も震え上がらせた。


 人から転じた魔の強さは、願いの強さだ。


 フェリシアにはそれが足りていない。

 なまじ強大な力を手に入れてしまったばかりに、自分自身の心の在り方が不透明になってしまっている。

 薔薇男爵も言っていた。まずは己と向き合うべきだと。


 ──ゆえに。


「……我慢しなくていい。人間らしさなんて、もう貴女に意味は無いんだから」


 僕のことが好きだと少女は言う。

 もはやそれだけが生きる目的で、それ以外に意味は無いのだと。

 ならば、その恋情に理性のタガは必要ない。

 押し留めようとする窮屈は、少女の想い(つよさ)を殺してしまう。

 人間だった頃の記憶が、もしそれを悪いコトだと思わせているなら、一緒に道を踏み外そう。

 僕は別に、刻印騎士でもなければ善人でもない。そうあれたらと望んでいるだけの単なるエゴイスト。

 ヒトデナシを愛せる人間は、たぶんこの世じゃ僕だけだ。

 人外を、ただ人外という理由で拒絶なんかしたりしない。

 だから、


本心を(・・)教えて(・・・)

「で、でも……!」

「いいんだよ。こんな東の果てで、このままじゃ後悔を残したまま一緒に死んじゃうかもしれない。そんなの、イヤでしょう?」

「っ!」


 顔を近づけ、目と目を合わせる。

 頬に添えていた手は、そのまま這わすように指を唇まで導いた。


 入れる。


 口の中は温かい。

 無意識だろう。ぬめらかな歯と舌べろが、僕の指を味わうように動いた。


「ぃ、いひの……?」


 期待と葛藤の狭間で揺れ動く瞳。

 熱く潤みながら、答えを求める。

 僕は、指をゆっくりと引き抜き……糸を引かせた。

 吸血鬼の飢餓でも、魔女の渇愛でもない。

 フェリシア自身の想いを、思い切り刺激するように。


「……欲しいって、言え」

「────────────────────────────────────────────アハ!」


 弧を描く。

 堰を切る。


 ──そして、




「ああ、もう……溢れちゃうよ」




 ──トプン、と『羽化』が始まった。





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