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#43 美しさとは

人外×少女




 ──実を言えば、薔薇男爵にとって世界とは疾うの昔にセピア色でしかなかった。


 カルメンタリス島に発生してより優に一千年。

 はじめの三百年は何もかもが鮮烈で色彩豊かだった。

 しかし、続く四百年から先はどうにもこうにも世界が退屈で、島の何処を行き渡っても心が震えなくなった。

 何をしようと何を見ようと、ただ既知の積み重ね。


 精霊としての本能は、まず第一に世界へ己という己を刻み込むコトを優先する。


 仮に火の精霊がいたとすれば、その精霊は己の全存在意義を『火』として果たそうとするだろう。

 発生した時代と経緯にもよるだろうが、太古の昔であれば危険の象徴として山や森を焼くコトで。現代であれば文明の象徴として、間接的に人を助けようとするかもしれない。


 どちらにせよ、そうすることで世界に己の存在を証明し、第三者からの客観を得ることによって忘却の定めからは逃れられる。


 元が精神という形のないモノの結晶であるとはいえ、実際にこの世に生まれ落ちたからには生きていたい。それは命として当然の思考だ。


 ゆえに精霊はその生涯でまず己の存在証明(・・・・・・)へと明け暮れるコトになる。


 ──しかし、いかな本能といえども、個体により強弱の差は確実に存在する。


 たとえば、精霊女王のように『生命の源流たる水』を司るのならば、この世界でその存在は圧倒的に磐石だ。

 なにせ、生きとし生けるものすべてが死滅でもしない限り、女王が忘却される可能性はない。有機無機を問わず、万物には天寿が宿っている。

 死の概念が無いモノを除けば、生命という概念は不変にして普遍だ。

 したがって、女王はその強大すぎる力とは裏腹に、精霊としてはかなり本能が薄い。だからこそ、理性もそれなりに働いている。精霊なりの理性ではあるが。


 揺るぎなき信仰。不朽にして絶対の概念。


 薔薇男爵も同じだ。


 美しき大地。華やかな自然。風光明媚なモノへ対する感動。

 世界の偉大さと美しさとを感じた際に生じる精神の雫が一所に集まって、薔薇男爵はこの世に発生した。

 薔薇が中核になっているのは、発生した時代、薔薇が最も明媚とされていたからだ。

 けれど、世界は無論、薔薇の花だけを美しいと称賛するワケじゃない。

 万物が美しいと想うモノ。誰も彼もが華麗だと認めるモノそのすべてが、薔薇男爵のカラダを構成している。


 ゆえに、三百年も経てば自ずと気づくのだ。

 自分が頑張って世界()の美しさを証明しようとしないでも、世界は疾うの昔にその価値を弁えているではないかと。


 三百年もかかってそう悟ったのは、むしろ呆れるほどに遅い。


 結果、薔薇男爵にとって世界とは何があろうと決して小動(こゆる)ぎもしないほど安心な、絶望とも言える微温湯(ぬるまゆ)へと変わった。


 己の存在意義を果たすコトが本能(のぞみ)なのに、もはや世界はそれを必要としていない。

 不死である事実が殊更に鉛のような重みを伴って、世界から色を取り除いた。

 明媚である己が美しいのは当たり前。己が為すすべてが第三者から美しいと思われるのも当たり前。


 ──では。


(吾輩は、いったい何のために生きている?)


 居ても居なくても変わらない存在なのであれば、その価値は何処に。

 まして、たとえこの身が消滅したとしても、また新たな己が世界には発生する。

 ならば無意味だ。無価値でしかない。世界が精霊に強いるかくあれかし(・・・・・・)という認識は真実呪いそのもの。


 自身のカラダがよりたしかなモノとして存在強度を高めるその都度に、薔薇男爵の心は深い澱へと化していくようだった。


 ──そんなある日。


(吾輩は、ローズに出会った)


 今より五百年ほど前。

 未だ島の中央に小さな国々しか無かった頃、現在(いま)で言う帝国と魔国のちょうど端境に、奴隷の国と呼ばれる小さな……それは小さな国があった。


 国民のすべてが奴隷であり、奴隷商人である王が国民を使って商売を行い、国を成り立たせる。卑しくも愚かな成り上がりの国。


 奴隷の用途は多岐に渡り、日々の労働力や戦奴として、あるいは見世物用の闘奴。娼館に売り捌くための女奴隷など、実に人間らしい醜悪さを煮詰めたような場所だった。


(当時の吾輩は人間を醜い獣と考え、また下等であると考えていた)


 今もその考えが大々的に変わるワケではない。

 人間は醜いし善か悪かで言えば、間違いなく悪性よりの獣だと考えている。

 同種の命にすら貴賤の有無があると振る舞うなど、滑稽を通り越して哀れみを誘うほどだ。


 ──だが。


(試してみたいと思った)


 そんな人間たちでも、世界の一要素であるコトには変わりがない。

 であれば、一つ一つは芥子粒ほどの極小でも、己のカラダには人間たちの精神(こころ)がたしかに混ざっているはずだ。

 美しい自分を形作る信仰が、醜い獣である人間にも果たしてほんとうに備わっているのか。

 もし備わっていなければ、精霊はその存在からして欺瞞だ。嘘偽り、薄っぺらなモノ。

 そして、元より軽薄な存在が無価値であるのは当然至極。


 答えを求める好奇心が、人間の世界へ足を運ばせた。


 ──あら? あなた、とってもステキなお顔をしているのね。不思議。


 そして知る。


 ──少女よ……吾輩が恐ろしくはないのですかな?

 ──? どうして? こんなにステキなのに、あなたのどこを怖がる必要があるの?


 ローズという名の少女を。

 幼くして視力を失い、他者の助けなくしては満足に食事も取れなかった全盲の人間を。

 身に不具があるゆえ、女奴隷のなかでも底辺の値段で売られていた。

 ロクな売り物にならないからと商人から捨てられ、国の外に放り出されかけていた、己と同じ名を持つ小さく儚い存在。


 彼女は薔薇というより、どちらかといえば生まれたばかりの雛か小鳥を思わせるほど、ひどく華奢だった。


 しかし、人間でありながらも目が見えないという事実がそうさせたのか、ローズは他の人間どもとは違い、精霊を目の当たりにしても恐慌状態に陥ったりなどはせず、それどころか暢気に喜ぶような奇特な人間でもあった。


 ──いい香りがするわ。

 ──まぁ、あなた、お顔がわたしの名前と同じお花でできているのねっ!

 ──嬉しいわ。わたし、ずっと薔薇の香りを嗅いでみたいと思っていたの。

 ──え? 他のお花も咲かせられるの?

 ──わぁ、きれい……


 奇特だったのは性格だけではない。

 視力を失ったからか、ローズは代わりに匂いを感じ取るコトにも非常に優れていた。

 その嗅覚は、おそらく常人離れしていただろう。

 ローズにとって、世界は匂いによって構成されるものだった。


 曰く、人間とは違う香りがしたの。でも、嫌な匂いじゃなかったから、きっと悪いモノではないと思って。


 こちらが軽く頬を撫でれば、もうそれだけで呆気なく壊れてしまいそうな弱々しさで、堂々とそんなことを言ってのける。


(可哀想に。頭が足りていないのだ)


 もともと奴隷だったのだから当たり前と言えば当たり前。

 ロクな教育を受けていないし、世界の常識も何も知らない無知ゆえの勘違い。

 哀れな少女だと思ったし、そんな少女をただ無益だからという身勝手な理由で放逐する人間は、やはり醜い。


(……決めたぞ。この少女がこのまま哀れに無惨に死ぬ定めなのか。あるいは、人間によって救いがもたらされるのか。それを以って我が積年の命題に対する結論としよう)


 ローズが人間の悪性によって救いなく死ぬのならば、それは人間という生き物の度し難さを意味している。

 美しさを解する心など無い。あるのはただ、徹頭徹尾自己を利するための獣心のみ。


 さすれば、明媚たる己は醜さの化身というコト。


 泥水にワインが一滴入ろうと、その泥水は最初から最期まで泥水でしかないが、ワインに泥水が一滴入れば、そのワインはその時点で泥水と化す。

 微かであっても、醜悪な人間の精神力をたしかに糧としている以上は、我が身はどこまでも汚らわしく無価値なゴミクズだ。


 よって、ローズという少女を別の街まで連れて行き、そこで救いの手がひとつでも差し伸べられるかどうか。


 それを、己の最期にしよう。


 ──ええっと、つまりおじさまは、わたしが死んだら死んじゃうの?

 ──そうなりますな。なに、心配するコトはない。それが吾輩の望みなのだから。

 ──でも……ううん。じゃあ、わたし頑張らなくちゃいけないねっ

 ──ハッ! まぁ、どうせ街に連れて行く前にそなたは餓狼か何かに襲われ死んでしまうでしょうがな。言っておきますが、吾輩はあくまで道案内しかしませぬぞ。

 ──まぁ。ひどいわ、守ってはくれないの? 

 ──ひどい結構! 吾輩はそなたがこのまま生きるか死ぬかを、ただ見届けたいだけであるゆえ!


 儚く哀れなローズが旅の途中で死ぬのならば、それはそれでひとつの答え。

 何事もなく無事に街まで辿り着けたら、それもそれでひとつの答え。

 世界は美しいと、あるいは美しくはないと、そう答えを見出すには足る結末になる。


 しかし、


 ──ふふ。結局、何事もなく街まで着いちゃったわ。

 ──バカな。なぜ餓狼の一匹も現れなかった……

 ──よかったじゃない。わたしが死ななければ、世界はきれいだって思えるんでしょう?

 ──まだだ! まだ分かりませぬ! 人間はどうせそなたに手を差し伸べたりはしない! なぜなら! お前たちは醜いからだ!

 ──すいませーん! たすけてくださーい!

 ──! おい! あそこに女の子と、アレは……精霊か!? か、鐘を鳴らせぇぇッ!!

 ──ぬぅ!?


(ローズは……思えば意外と、したたかな子でしたな)


 旅とは言っても、所詮はひと月もかからない短い道程。

 しかしながら、目が見えないのをいいことに随分と体良く使われていた気がする。

 こちらが林檎や葡萄などの果物も自在に生み出せると知られてからは、あの花が見たいわ、あれは咲かせられる? まさかあれは無理でしょう? と。

 まぁ、ともかくそんな風に終始試すような感じで。


 せっかく作ってもらったんだから、食べないのは何だか申し訳ないわ。


 なんて、今にして思えば金の成る木ならぬ食糧の成る木と思われていたフシもある。

 街の衛兵に助けを求め、たまたま逗留していた当時の刻印騎士団がわんさか出てき、さながら悪しき魔物から乙女を救う勇者のようにローズを保護したときは、我ながら呆気に取られて仕方がなかった。


 けれど。


(恨む気持ちはない。苛立ちなども以っての他)


 なぜなら、


 ──ねぇ、おじさま? おじさまはご自分をみにくいとかけがらわしいとか、むかちだ、とか。とにかくそういうふうに思いたいのかもしれないけれど、そんなことは絶対にありえないのよ?


 だって、


 ──あの日、わたしを助けてくれたあなたが。旅の間、実はわたしが何かに襲われないようにずっと近くで見守ってくれていたあなたが。この街まで、優しく導いてくれたあなたが。


 醜いはずはない。汚らわしいはずも。無価値であるワケも。

 たとえあなたが、自分をどれだけ否定したいのだとしても。


 ──わたしにとって、あなたと出会えたあの瞬間は、とてもステキで()()()()()()()()()


 死んでなんてやるものですか。

 ローズは笑い、じゃあね、大好きよと言って背中を向けた。


 そして、そんな簡単な一言で、己はいとも容易く……


(──救われて、しまったのですなぁ)


 死の理由にしようとしていた少女から、最後の最後に生きる意味を与えられた。

 世界は残酷で度し難い。醜さは世にごまんと溢れ出している。


 しかし、それでも──


(美しいモノはたしかに、そこにあるのだと)


 生まれてからたかだか十数年の小娘にそう教えられた。


 そも、完全無欠の純粋なる美などこの世には存在しない。

 すべてが美しさしか持たないのならば、それはなにも美しくないのと同じだ。そんな世界では、きっと何もかもが等価値でしかないのだから。


 醜くて、おぞましくて。


 汚らわしすぎて思わず目を背けたくなるような糞の吐き溜めにも等しい世界だからこそ、美しいという事実が燦然と煌めく。


 ──であれば。


「吾輩の存在意義。吾輩の存在価値。吾輩が世界の信仰(いのり)を受けて為すべきはただひとつ!」


 それは


「この世界に! 吾輩という全存在をただ刻み証す! 薔薇(ローズ)に誓って!!」


 つまりは、精霊として正しくある。

 要はそれだけの、他の精霊と何も変わらない単純(シンプル)な話。

 巡り巡って出した結論。

 それが、こうも見事に出発点へと立ち戻ってしまったのだから、きっとこれほど恥ずかしい話も早々ないだろう。


「ですが、悟りを得た吾輩はこと自らを証明する機会にあって……あいにく、手を抜けるほど器用な精霊ではなくてですな」


 精霊の観劇。

 自分たちが演劇を観るのではなく、自分たちを世界に観せるという意味での劇場の構築。

 存在意義を盛大に披露する場にあって、本能を爆発させない精霊などいない。


「──乙女よ。残念ですが、いまの貴殿では決して吾輩には届かない」

「か、ハッ」


 ──“花園(フローラーリア)


 幾千万の花の苗床となり、海獣が大地に崩れ落ちる。


 三本勝負の二本目は、そうして精霊側の勝利で終わった。









tips:薔薇男爵


風光明媚の精霊。大自然の美、なかでも植物、花々による美しさを司る。

当人は木っ端精霊などと謙遜するが、実は“壮麗大地”における精霊のなかでは女王に次ぐ格の持ち主。

“壮麗大地”の呼び名のひとつ、残酷なる花園というのは薔薇男爵こそが由来であり、その気になれば一瞬で千の生命を花の養分に変えられる。

五百年前に出会った少女ローズとの出会いで、美しさの本当の意味を知った。

そのため、ローズに恥じない生き方を今も心掛けている。


✱✱✱


久遠に続く時の牢獄のなかで、たった一度。

しかしそれは、忘れもしない薔薇の微笑み。


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