#42 三本勝負開始
青と白の波動だった。
その瞬間に起きたのは相反する魔法による不可視の激突。
精霊女王から放たれた“生”
ベアトリクスの放った“死”
生と死という互いに対をなす概念のぶつかり合いは、僕の眼の前に片や水飛沫にも似た破砕を生み、もう一方には蒸気にも似た霧散を生んだ。
しかし、それらはどちらも現実ではない。
魔力という形なきモノを雄弁に捉えてしまう視覚。
チェンジリングに備わった向こう側を見通してしまう視力が、あくまでイメージ的な補完として脳内処理しただけだ。
実際には、水飛沫も蒸気もどこにも発生していない。
ただ、破砕と霧散はたしかにあった。
その証拠に、女王が悲しげに顔を曇らせ呟く。
「あぁ……邪魔をされてしまいました。やはり、お母君の前で成長を促すのは無理がありましたね」
「殺すわよ」
言葉の通り、殺気も露にベアトリクスが告げる。
女王とこちらとの間に横たわる空気は一転して下降していた。
塔内の空気が急激に底冷えしたものになる。
僕は冷や汗をかきながら、そっと使い魔の後ろに隠れた。
なお、背後ではフェリシアと薔薇男爵がすでに睨み合いの状況になっている。
(──危な!)
たったいま起こった出来事を理解し、心臓がバクバクと鼓動を打ち鳴らす。
額に浮かぶ汗を袖で拭い、ベアトリクスの背で顔を隠しながら深呼吸するが、危うく即死しかけた事実に身体の方はなかなか落ち着いてはくれない。
女王は知らないから、それこそ気軽に僕を成長させようとしたのだろうが、今の僕には奇病──晶瑩結石がある。
ベアトリクスが咄嗟に守ってくれなければ、危うく全身サファイア人間になるところだったかもしれない。
晶瑩結石については、ベアトリクスやフェリシアにも教えておらず、あれからずっと秘密にしたままの状況だ。
ベアトリクス的には僕の命がどうこうというより、我が子に降り掛かった怪しげな魔法を事前に打ち払ったという認識だろうが……危なかった。
もしもここで僕が宝石になってしまっていたら、使い魔であるベアトリクスも当然道連れ。フェリシアは精神のバランスを崩し、ほかの魔物と何も変わらない災厄の化身となっていただろう。
忘れていたワケではないが、今さらながらに強く実感する。
自分の命が自分ひとりだけのモノではなく、その死滅が他者への不幸せにもなり得てしまう責任の重大さ。
人間的な常識で物事を考えていたら、この世界では生き残れない。
──深く息を吸い、言葉を選ぶ。必要なのはこの場を収める言葉。
「女王」
「はい。なんですか? 愛しいひと」
「貴女の望みは、僕を失わないコトだと思っています」
「ええ。ゆえに私は貴方様を、私という生命の雫で生まれ変わらせてさしあげたい」
「そのためなら、貴女は夫の人生に一度しかない幼年期を、奪ってもいいと考えているようですね」
「──お気に召しませんでしたか? お許しください。人間はただでさえ儚い生き物です。私は貴方様に、一瞬でも長く精強であって欲しいだけで……決して害意があったワケではないのです」
「けれどそれは、貴女の都合だ」
「? いいえ? 夫婦になるのですから、私と貴方様、双方にとって好都合な話のはずです。貴方様は承諾しました。私の愛を、私の想いを、私のこの狂おしいほどの渇愛を。はやく結ばれたい。結婚したい。絆を育みたい。────そして、貴方様は承諾した」
ならばそこに誤解も行き違いもありはしない。
女王は静かな、然れど強い口調で断言する。
だからこそ、
「つまり、貴女は夫となる僕を弱いと。そう決めつけているワケだ」
突破口はここにあると、僕はベアトリクスの背から身を晒し、一歩前へ出た。
「ラズワルド。下がって」
途端、ベアトリクスが僕へ言う。
我が子を守りたい母親の立場からすれば、息子に近づく毒婦は到底許せない存在だろう。
僕も普段であれば素直に従っているところだ。
「悪いけど、それはできない」
「下がりなさい」
「ダメなんだ。ごめん」
「……どうして」
なぜなら。
「女王の言い分は、今の僕がすでに十分な強さを持っているコトを証明できさえすれば、折れる内容でしかない」
人間は弱い。子どもは弱い。チェンジリングはすぐ死んでしまう。
それが耐えられないから女王は僕を結婚という手段で不死にしたいのであって、どちらかといえば夫婦関係を築くコトよりも人間を捨てさせる方に重きを置いている。
なにせ、不死にしてしまえば後はもう無限の時間が保証されているのだ。
同じ時を生きるモノとして。
生命の源流たる精霊女王の寵愛、その眷属と転生させた後ならば、こちらはもう生きるも死ぬも女王の自由自在だ。
首輪を嵌められ、久遠の檻に閉じ込められるにも等しい。
だが、
「僕が今のままでも簡単には死なず、うっかり殺されたりしないほど強かったら?」
女王は僕を不死にする必要がない。
引いてはそれは、インモラルな婚儀へと踏み切る必要もないということに繋がる。
「……なるほど。理のある言い分ですね。ですが、たった今お母君の背に隠れてしまったお方の言葉でもあります。信じるのには、いささか難がありますが?」
「いきなり魔法ぶっぱなされたら、そりゃ誰だって驚くでしょう」
「あら、驚いていらしたので? ふふふ、申し訳ありません。私てっきり怯えてらしたのかと──であれば」
女王はゆっくりと目蓋を閉じ、クスリ、と肩を震わした。
「貴方様の強さを、何を以って証明してもらいましょう。私としても、夫となる男性がまさに男らしく強いというのであれば、妻として喜びこそあれ悲しみはございません。そうですね……では、三本勝負というのはどうでしょうか?」
「三本勝負ですって?」
女王の愉しげな提案に、ベアトリクスがどういうコトだと視線を放つ。
僕はやはり、そう来るよなと内心覚悟していた発言にゴクリと唾を飲んだ。
「貴方様のその健気な姿勢と可愛らしい虚勢に敬意を表して。また、良き妻としてときには夫を立てるという意味でも。ここは、貴方様との賭けに興じたく思います」
「賭け!?」
女王の発した言葉に、それまで奇妙なほど押し黙っていた薔薇男爵が堰を切ったように声を発した。
「賭け! 賭けですと!? さては我らが『観劇』にて! 婿殿を試す気ですかな女王!?」
「──ふふふふふ。珍しく黙っていると思ったら、やっぱり我慢していましたね、男爵? 正解です」
「おお! おお……! お褒めに預かり恐悦至極! 吾輩空気の読める薔薇を自認しておりますれば! 婿殿と女王の逢瀬にて、こちらの乙女と背景に徹しておりました! しかし! 観劇の時間とあらば黙ってはいられません!」
フェリシアが小さく「は? 誰が背景よ」と言ったが、男爵の大声はそれを余裕で掻き消した。
「悠久の時を生きる我ら精霊! 暇と退屈と忘却こそは毒にして病! 精神の結晶たるこの身を倦ませ膿ませるのは常に無感の果てでありますれば! 血湧き肉躍る熱狂の宴! 精神を震わす静と動! すなわち──!」
──感動。
「童話、寓話、御伽噺、喜劇にしろ悲劇にしろ。
私どもは精霊。精神霊。世界の心が生んだモノ。貴方様だけに限らず、森羅万象のあらゆる想いが凝縮されてカラダが形作られる。
しかし、それは翻れば、世界の認識という実に曖昧で不確かなモノだけが頼りということです。同じ個体が二度生まれるコトはなく、忘却されてしまえば露と消えるばかり」
ゆえに、精霊は世界にその存在・概念を覚えていてもらうため、物語や逸話は何より好む。
観客は地面に転がる石ころから木も花も獣も人も月も星も何ででも。
周囲にいるすべてが自分たちの噂を広め、遥か遠方まで語り継ぎ、記憶に残してくれればそれでいい。
感動はその最たる手段。
そして、現実に繰り広げられる本物のエンターテインメントには、世界は常に飢えている。
「此度の主演は貴方様方。
演目は精霊女王と妖精の取り替え児の三本勝負と言ったところでしょうか」
どうか存分に魅せる戦いを。
「一本目は先ほどの。お母君と私のほんの戯れに過ぎませんでしたが、女王である私の一手を防ぎ得たその事実を以って、勝ちを譲ります。少なくとも、貴方様の守りは十分のようです。
しかし、続く二本目三本目。これより演じてもらいます戦いでは……はてさてどうなることでしょうか」
無論、最終的に勝った方の意思が通されるのは言うまでもない。
ゆえにこそ、これは賭けなのだ。
精霊女王の無聊を慰め、見事、満足の得られる感動を世界にもたらせられればこちらの勝利。
この場合、世界にもたらす感動とは弱者による強者の打倒を指している。
勝てないと思われる戦いに波乱が起きるときこそ、世界は震えるからだ。
そしてもちろん、三本勝負に敗れた先に待っているのは望まぬ婚儀。
「お強いのでしょう? ならば雄々しく高らかにその勇姿をお見せになって? ──男爵、二本目はお前に任せます」
「は! 喜んで承りましょう!」
女王の決定が下り、薔薇は歓喜に咲き誇る。
「勝手なことを……!」
「そもそもわたしらは、アンタとラズワルド君の結婚に賛成なんかしてないっての!」
声を荒らげるベアトリクスとフェリシア。
その声音は明らかに納得とは程遠い色を宿している。
が、
「分かりました。どのみち“壮麗大地”で安全を確保するには話の通じる貴女を頼るしかない。僕は強いですからね。まったく問題ないですよ」
「な──ラズワル、ド……?」
繰り返そう。
僕らの旅に時間的な余裕は一切ない。
一刻も早くゼノギアの行方を突き止め、その変生を止める。
魔術師を見つけ、その悪しき行いの内実を解き明かす。
こんなところで足踏みしている暇など無いのだ。
三本勝負? いいとも、受けて立ってやるともさ。
「悪いですが、三本目は無いと思って欲しいですね。三本勝負なら二本取ったら勝ちだ。一本譲ったのを後悔しないでくださいよ」
「ふふふふふ、期待しています」
「して、婿殿よ。吾輩のお相手は?」
「それはもちろん、僕が──」
「わたしがやるわ!」
名乗りを上げようとした僕の声を、フェリシアが遮った。
「薔薇頭。要はアンタを倒せばラズワルド君は結婚しないで済むし、そこの濡れ女ともどもアンタたちはわたしらの言いなりになるってコトでしょ? なら、わたしがやるわよ。お義母様が盾なら、わたしはラズワルド君の敵を滅ぼす矛でいい」
「──敵、ですか。まぁ、吾輩は構いませんが……女王?」
「よいでしょう。お母君の力は私にも比肩しますが、姉君はいまいち分かりませんからね。謎の怪物対男爵。それもまた世界はおもしろいと感じることでしょう」
「ならば!」
底冷えのした空気の中に、一気に花の香りが充満する。
「乙女よ。いざ、力試しといきましょうか!」
──此処に、精霊との第二戦が開幕した。




