#3 祈りの印
白嶺の魔女には仲間がいない。
この世界の化け物は、ある一定の強さを持つようになると、自然と群れるコトを嫌う傾向にある。
ゴブリンやトロールといった、種族的に群れを成す存在でも、特出した強さを持つ個体はいずれ群れから抜けて、単独での行動を好むようになるのだ。
群れとは元来、個のみで生きるに適さない種が、外敵から身を守るため、子孫を残す可能性を少しでも高めるためにと作った効率的なシステムである。
ゆえに、外敵を恐れる必要が無いモノ。外敵などいないモノ。
個の力だけでヒエラルキーのほぼ頂点に君臨し、単純な力関係のみであるがままに在るコトを許されるモノは、基本的に群れるコトへのメリットを見出さない。
これは人や普通の動物なんかにとっても共通するコトだが、COG世界では異形や怪異などにも共通している。
……その昔、とあるホラー映画とホラー映画でVSもののコラボ作品が作られた時。
知人の誰かが「こういうのってさぁ、もし化け物同士で手組んで人間を襲ってきたら、どうすんの?」と純真な疑問を漏らした。
僕はそれを聞き、たしかにと頷いたことがある。
一体いるだけでもただでさえ恐ろしい化け物が、もしも手に手を取って複数体で襲いかかってきたら、希望なんてどこにも存在しない。
ホラーが苦手な僕は、自分からそういった作品へ手を出すことはなかったけれど、漠然としたイメージだけで十分にそれが恐ろしかった。
だが。
これもまたVSものにおける一つの結論らしいのだが、化け物というのは得てして人間よりも強い。
──当然だ。怖いことが前提のホラーで、人間より弱い化け物なんてのはまったくの無価値。その存在意義からしてまるで破綻している。
ゆえに、つまるところ。
人間よりも圧倒的に強くて恐ろしいことが当然の化け物にとって、自らと対等の化け物は果たしてどう見えるのか?
多くの作品がこの疑問にこう答えている。
すなわち──目障り。
言ってしまえば、自分の狩り場に邪魔者は要らない。
要はそういうことになる。
……こう言うと、なんだかまるで化け物には、自分こそが最恐だと自負する誇りみたいなものまであるように聞こえてくるけれど、恐らくそれに近い意識は少なからず持っているものだと僕は認識している。
このCOG世界に生まれ、ラズワルドとして拾われてから。
僕はママを──いずれ訣別すべき白嶺の魔女のことを、じっくりと深く観察してきた。
息子として母親を慕うフリをしながら、ときに魔法を教わる生徒として無知を装いつつ。
その行動パターンや、ふとした仕草。思考回路やクセなんてものまで、どんなに些細なものでも構わないからとひそかに観察を続けてきた。
その中で、僕が確信を持って分かったことが幾つかある。
まず一つ。
ママは毎夜毎夜、必ず山の中を見回りする。
今現在、僕が暮らしているのはCOG世界における北端。
通称『常冬の山』と呼ばれる極寒の雪山なのだが、ママはその性質から本能的に子どもを探すという決まったルーチンワークから絶対に逃れられない。
こんな人っ子ひとりいない雪山の奥深くで、子どもはおろか大人だってめったに現れるワケはないけれど、そういったマトモな考え方とは別に、化け物としての本能がママをそうさせるからだ。
しかし、これは当たり前のコトだが、如何にそうした習性があるといえども、夜になったら頭の中の全てが全て『子ども探し』へと染まってしまうワケではない。
ママにとっては現状、僕という最愛の坊やがすでにいるワケで。
幸か不幸か、彼女の中での最優先事項は、そのほとんどが僕関連へと直結する。
たとえば。
母親にとって子どもは、何より大切で真っ先に守らなければならない唯一のモノだ。
怪我をしたり病気になったら我が事のように心を砕くし、もしも傷つけるような存在がいればタダでは済まさないほどに怒り心頭する。
だから、当然、子どもを失った母親の霊の集合体である彼女には、その情動が大きく行動理由へと結びついている。
いや、むしろ。
僕の知る限りにおいて、白嶺の魔女には逆にそれしかないと言っても過言ではない。
なぜなら、ここCOGの世界では、他の創作物にもよくある設定と同じように、二つ名持ちはとても有名とされているからだ。
僕の記憶がたしかなら、ママはざっと三百年ほど前から存在する化け物として、この島国で恐れられている。
これまで九年間、何気なく偽りの親子関係を続けてきた僕と彼女だが、もしも僕が命にかかわる怪我や病気などをしていたら、ママのトリガーはいともたやすく引かれ……恐らく大量の死者が出ていたはずだ。
普段は比較的大人しく、温和とすら言っていい様子でも。
子どもに危険が迫るコト。
子どもとの時間を邪魔されるコト。
そして、子どもを再び失うかもしれないコト。
これらの要素を敏感に感じ取った時、白嶺の魔女はその二つ名の所以を盛大に発揮する。
具体的には、周囲の生物を虐殺しながら歩き回るといった形で。
たとえ子どもが自分の本当の子どもではなくとも。
一度でも彼女にそう認識されてしまえば後は関係ない。
白嶺の魔女が通った後には、白き死が山のように降り積もる。
かつて彼女の発生当時に、そうした地獄が生み出されたと、エルダースの図書館には文献が残されているはずだ。
以来、白嶺の魔女を討伐するべく幾人もの魔法使いが散ったとも。
今では『刻印騎士団』と呼ばれる精鋭中の精鋭魔法使いしか、その作戦に参加していない。
原作では、たしかそういう説明がされていたことを覚えている。
ゆえに。
1、白嶺の魔女は毎晩必ず山の中を散策にでかける。
2、散策中、魔女は本能から自分の子どもにできそうな彷徨い児を探している。
3、しかしそれは、同時に僕に迫る危険の排除をも兼ねた行動である。
これが、今現在、僕が確信を持って断言できる白嶺の魔女の行動パターンだ。
そして同時に、僕がここから逃げ出せる可能性が最も高い、唯一の希望でもある。
正直、半ば賭けに近いことは理解している。
だが、原作知識という僕だけが持てるアドバンテージを最大限活かすためには、現状、最低でも自分自身の命を賭けることが絶対に必須条件となるのだ。
キーワードは、刻印騎士団。
それと、僕がチェンジリングであるという点も考慮しなければならない。
ママは毎晩、自分が根城とするこの常冬の山に侵入者がいないかを警戒している。
それはたまに迷い込む哀れな人間だけでなく、僕の匂いに引き寄せられた他の異形や怪異も含めてだ。
本来、COGのラズワルドといえば、ドラマ版ではほぼ毎回と言っていい頻度で新たな人外と遭遇する運命を背負っている。
チェンジリングとしての宿命。
ありとあらゆる異形・怪異・人外に好かれる愛されカースがあるせいで。
それなのに、そんなラズワルドがシーズン1では唯一例外的にほとんど人外と出会さない。
登場する化け物は我らがママ一体のみ。
……この恐ろしい事実が、いったいどういう意味を持つのか。
気がついた時、僕はあまりの戦慄に鳥肌が立ったのを忘れない。
──そう。答えは、ママが全部殺していた。
たった一言でありながら、これほど恐ろしい背景があるだろうか?
VSもののホラー映画だって、もう少しパワーバランスというものを考えて作ってもらえる。
なのに、僕のママと来たらおよそ十年間に渡って常勝無敗の戦績。ナチュラルボーンキルゼムオールだ。
怖くて泣いちゃうでしょうよ、こんなの。
チェンジリングは愛されカースによって数多の化け物を惹き寄せる。
それは有害無害を問わない。
中には当然、白嶺の魔女と同格かそれ以上のモノだっている。
ドラゴン、精霊、吸血鬼。
他にも、およそダークファンタジーにおける定番と言える存在を、軒並み揃えているのがCOGだ。
しかし。
ママは──いや、白嶺の魔女は。
約十年。
それだけの時間、他の化け物どもから僕を独占し続けた。
チェンジリングを独り占めし、閉じ込め、自分だけで愛を注ぐ。
そこに邪魔者は要らないし、来るなら殺すだけ。
……ハッキリ言って、僕のママは最強かつ最恐だ。
魔女として有している死霊術の腕前も然ることながら、魔法を使う上で一番大切なエネルギー、感情や想念。
そうしたものがほぼ存在の核になっているため、生半可な化け物では彼女の魔法に打ち勝つコトができない。
火の玉なんて、それこそ一瞬で凍らされる。
──だが。
「十年間、この山にはたくさんの化け物が僕を求めてやって来た。十年。十年だ。それだけの時間があれば、誰かが気づく」
常冬の山には化け物を惹き寄せる何かがあると。
「そして、異変があれば調査が来る。調査が来れば、後は一目瞭然。刻印騎士団は白嶺の魔女の所在を掴む」
特別な力が籠った魔法の武器。
呪文によって刻印がなされた、魔法使いのための道具。
時に龍を殺し、魔を封ず。
人が化け物に対抗するためついに生み出した英智の結晶を携えて、騎士団がやって来るのだ。
そして、僕が首を長くして待ち侘びている少女こそ。
何を隠そう刻印騎士団の若き一員。
絶望という泥闇の中から僕を掬い出してくれる一等星に他ならない。
名は、フェリシア。
原作通りなら、くすんだ金髪をポニーテールにした、とても愛嬌のある顔立ちをした少女のはずだ。
──さて。
「それじゃあ早速、今夜も印を刻んでいくわね」
夜。
ママが日課のサーチ&デストロイに出かけた隙を突いて、僕は家の中でひとりそう呟いた。
一日の内、唯一僕が監視の目を逃れて自由に振る舞えるのが、ママが外出するこの時間。
昼間は魔法の勉強をしたりしながら、ママの機嫌を損ねないよう細心の注意を払わなければならない。
しかし夜。
夜だけは、家の中にいる限り僕は何をしていても誰にも気づかれない。
一歩でも外へ出れば、その気配を嗅ぎつけたママが爆速で戻ってくる。
だが家の中ならば、たとえ全裸になって逆立ちしながら腕立て伏せをしたとしても、バレない。夜更かしだってできる。
翌朝、ママの前で欠伸を零すことになって訝しまれても、とっておきの必殺技「ママがいないと寂しくて中々眠れなかったんだ」を食らわせれば問題なしだ。
そのため、この時間になるといつもより若干自分のテンションが変なことになってしまうが……まぁ仕方がない。
休息を挟みながらでなければ、十年間も化け物と一緒になんて暮らしていられないだろう。
オンとオフをきちんと切り替えられるのも、COG世界でうまく生き抜くコツだと僕は思う。
「というコトで、じゃじゃーん。
今日も服に“夜”の印を刻んでいきたいと思います」
独り言を漏らしながら、僕は早速衣装棚の中から一枚のシャツを手に取る。
そして、それをテーブルへと広げて、繊維の一本一本にまで深く染み込むよう、夜を意味する印を刻んでいく。
ちなみに、ここで言う刻むという表現は文字通りの意味ではない。
あくまで魔法的なニュアンスでの刻印だ。
COG世界では魔法使いが自身の魔力を使って物に呪文の効果を付与することを、刻印という。
これはいわゆる、その魔法使いにのみ使える専用アイテムを作るための行為で、一度でも印を刻んだアイテムならサッと魔力を流すだけでその効果を発揮してくれるという優れ物だ。
しかも、普段使っている魔法が一度に一つ。
呪文を唱えるというプロセスを絶対に経なければ効果を期待できないのに対し、印には重ねがけが可能という凄まじい利点がある。
たとえば。
夜という概念には「暗くて見えない」というイメージがある。
僕はこれを、一時的な目くらまし。姿を隠すための呪文として使うつもりだ。
しかし、現在の僕の力ではものの三秒程度しか魔法の効果が保てない。
イグニスを唱えても火の玉しか出せないのと同じで、ノクティスの呪文を唱えても相手の視界を三秒眩ませるだけなのだ。
これでは、いざ姿を隠す必要が出てきたとしても、ほんの一瞬の隙を突くことしかできない。
だが、印を使えばその効果は違う。
予め、何度も何度も、その呪文が定着してちょっとやそっとじゃ引き剥がせなくなるまで繰り返し魔法を込めた道具は、その努力の分だけ効果をより高めてくれる。
分かりやすく式で表してみよう。
夜×1=3秒
夜×夜=9秒
分かるだろうか。
つまり、同じ呪文を単純に重ねがけすれば一点特化の凄まじいアイテムが作れるし。
あるいは、異なる呪文を複合して重ねがけすれば──作成者のセンスにもよるが──一度に複数の魔法を組み合わせて使うこともできる。
どうだろう。実に夢が広がる話ではないだろうか。
さらに、印は原則どんな物にでも刻むことが可能だ。
仮に“火”と“剣”という印をそこら辺の木の棒に刻んだとしよう。
そうすれば、その棒はたちまち燃える剣と化して、ただの木の棒だと思っていた相手を心底驚愕させることもできる。
だからこそ、COG世界の魔法使いは印を必ず修得するのだ。
刻印騎士団が化け物どもに対抗できるのも、それが理由である。
……とはいえ。
印は即席ではほとんど無価値。
長年に渡って刻み続けた物でなければ、二つ名持ちにはとても敵わないのが常識とされている。
そのうえ、放置しておけば経年劣化で次第に刻印の効果が薄れていくというデメリットもある。
僕はこれまで、六歳になって魔法を使えるようになってからおのそ四年間。
正確には三年と五ヶ月だが、同じ服にノクティスの呪文を刻印し続けてきた。
すべては逃げるため。
それでも、貧弱な僕の魔力では、恐らく三十分程度しか効果は持続しないはずだ。
……三十分。分かっている。短い。山を降り切るのには全然足りない。
然れど──それでも三十分だ。
僕はこの時間を誇りに思う。
これは僕自身の命の時間であり、心血を注いで作り上げた現時点での最善だ。
それを笑う者は誰だろうと許さない。
たとえ姿を隠し、目くらましをするだけのチンケな魔法でも。
僕には命と同等の価値がある。
化け物の手元にいては最強には至れない。
エルダースに辿り着き魔法についてもっと知らなければ、僕はこの世界で一生怯えるしかなくなる。
そんな人生はゴメンだ。
刻印騎士団が来れば、ママは必ずその脅威を発揮するだろう。
生存者はゼロ。誰も助からない。
──でも、フェリシアは原作で、ママと刻印騎士団との戦いが始まる前にラズワルドと遭遇した。
だから僕は、原作でラズワルドが犯した過ちを二度と繰り返さない。
少女の手を取って、人の世界へと戻る。
できることなら、刻印騎士団だって引き返させるつもりだ。
ゆえにそう。
「──“夜”」
孤独な夜に、今日も呪文は紡がれる。