#36 水と毒と薬
──問題点を整理しよう。
霊骸柩楼で迎えた爽やかな朝。
清水が苔の上を伝って中央の泉へと流れ落ちていく音を背景に、僕は森豚の干し肉をひとりしゃぶりながら、凪いだ心地でそう考えていた。
「今日と明日の分です」
どさり、と地面に死んだ沢鹿を置き、ゼノギアがトボトボと離れていく。
昨日の時点で三日が経ち、森豚の肉は今まさに僕がしゃぶっている干し肉が最後の残り。
たった一晩ではさすがに元気溌剌! というワケにもいかないだろうとは思っていたが、どうやら旅の役目を忘れず、きっちりと仕事をこなす程度の余裕は多少出てきたらしい。
依然として憔悴した様子ではあるものの、ゼノギアは少しだけ正気を取り戻しつつあるようだった。
「……とはいえ、食欲はまだそんなに無い、と」
せっかく獲ってきた獲物を解体もせず、調理もしない。
あの村に着く前であれば、積極的に自ら腕を振るおうとしていたはずだが、やはり生きる気力に乏しくなっているのか、ゼノギアは陰鬱な面持ちで石の上に座り込んだ。
「……ふむ」
食べるコトは、生きるコトだ。
僕やフェリシア、ベアトリクスに任せれば、出てくるのは簡素な焼肉か塩などで煮込んだスープ。残念ながらまったく美味しくはない。
悲しいかな、ゼノギアと僕らでは、その料理スキルに圧倒的差がある。
だというのに、最低限の役割だけこなして後は任せ切り。
別に、その態度を責めたりするつもりは一切ないが、旅の仲間としてやや心配だ。
この世界、下手をすれば栄養失調で死ぬコトも容易にありえる。
というか、食事を摂らなければ免疫力だって普通に下がってしまうから、たとえ大人であっても、風邪などの病気にかかる可能性を無視できない。拗らせて肺炎にでもなったら最悪だ。
(……後で様子を見て、それでも食事を摂っていないようであれば、無理やりにでも流し込むか)
あまり、大の大人を羽交い締めにしたり、強制的に何かを飲み込ませるような、そんな拷問じみた経験はこちらとしても積みたくないのだが。
しかし、そうは言っても、護衛対象に死なれてしまっては何のためのこの旅なのか。徒労も徒労。
やれやれ、と嘆息を零し、懐から取り出したナイフで淡々と沢鹿の解体を開始する。
──さて。
(うひゃぁ、ちべたいね)
沢鹿は小川や湧き水の近くに棲息する鹿なので、毛皮や角は半ば苔むした石のようになっている。
手を押し当てると、チロチロとした水が表面を滴るのが特徴的だ。
なので、まずは刃が滑らないよう注意しながら、イケそうなところでナイフを差し込む。
「よいしょっ、と」
「私がやるのに……」
僕が静かに作業を進めていると、背後からベアトリクスの寂しげな声が聞こえてきた。
ジッと注がれる視線が背中に突き刺さる。
しかし、僕もいつまでもベアトリクスや周囲に甘えっぱなしというワケにはいかない。
COGは西暦2000年以降の先進国ではないのだ。
中世ヨーロッパライクな世界で生きている以上、貴族の出でもなし、自分ひとりでこういったコトが出来るようにならなければ行き着く先は知れている。
それに、幸いなコトに今回の旅で、ゼノギアが担当していた作業は何度も見る機会があった。手順を思い出すのは、そう難しいコトではない。
(次は……血抜きか)
記憶を反芻させ、体に染み込ませるようにしながら、ゆっくり丁寧に太い血管を切り裂いていく。
──と、そこで。
(問題点。そう、問題点だ)
僕は作業に集中しながら、そもそもの話を思い返した。
今回の旅は、東の最厄地である“壮麗大地”まで向かって、そこで起きている何らかの異変を調査するのが目的として始まった。
グラディウス老の話では、どうも魔術師が絡んでいるっぽいとのコトだったが、最厄地である以上、やはり人間がそこで何かをしているとは考えづらい。
そのため、妥当な線で考えてみれば、これはいわゆる『試験』と捉えるのが正しい認識のはずだ。
要するに、魔術師云々は建前であり、チェンジリングとその一行が人間に害を為さないコトを表向きに証明するための試金石。
神父であるゼノギアを無事にリンデンまで帰すコトを合格ラインに設定し、こちらがクリアできれば教会からの信頼、人間世界での無害認定を勝ち取れる。
不合格の場合は、いちいち考えるまでもない。
あとは──認めたくはないが──都合良く“壮麗大地”で僕らが死んでしまえば、王国の政治家たちからすれば万々歳、みたいな考えも当然のようにあるだろう。
たとえ共通の脅威があったところで、人間という生き物は同族争いをいつまで経ってもやめられない。ある意味、逞しい種族とも言える。
加えて、政治家というのは国と民の利益を守るべく働くモノで、大前提として、それによって周囲から特権を約束された身分だ。
本来であれば、チェンジリングなんて発見即刻即処分でいいところ。
僕が鯨飲濁流を殺して結果的にリンデンを救っていなければ、寄って集って石をぶつけてやっても構わないとすら、そう考えていたはずだ。
ゆえに、
(今回の旅において、一つ目の問題点とは、ゼノギアの身の安全を何としてでも確保しなければならないコト)
それが、最も優先順位の高い問題である。
道中の危険、最厄地での危険。
大別して二種類の危険があるワケだが、それらから絶対にゼノギアを守り通さなければならない。
チェンジリングという厄介な事情とも合わさって、非常に神経をすり減らす難題と言える。
……しかし。
(この問題を更に複雑にしているのは、そんなゼノギアに恐らく死にたがりの気があるコトだ)
如何に上層部からのお達しがあったとしても、そも、普通の人間であれば最厄地に向かう旅なんかに同行を望んだりはしない。
魔力を持たない人間。魔術師でもなければ、傭兵でもなく、秘宝匠ですらない。
そんな人間に向かって“壮麗大地”まで行ってこいなど、もはや死刑宣告と同義だからだ。
常識的な人物なら、何としてでも断ろうとするだろう。
だからこそ、当初、僕はゼノギアを警戒した。
この男、無害を装った暗殺者なのでは? と。
だが、実態は大きく異なり、ゼノギアは自ら志願し、大樹海まで行くと決めたと云う。
自らの罪と信仰のため、如何なる苦痛も艱難辛苦も喜んで受け入れると。
天使との遭遇時には、目を見張って我をも自失するほどだった。
今現在、ゼノギアの中でどのような心境の変化が生まれているかは分からないが、恐らく、今後も根本的な姿勢に変化はあるまい。
あれほどまでに思い詰めている人間が、そう簡単に自分自身に許しを与えるとは思えない。
これからもチャンスさえあれば、贖罪という名の自殺行為に諸手を挙げて手を突っ込むはずだ。
(ここまでが一つ。二つ目は……)
続く問題点。
これは、突如として予想外の方向から降り掛かってきた、地味に頭の痛くなる問題だ。
(理想の少女像。灑掃機構三番。壊れた白金人形)
ラズワルドである僕が東に向かうとなった途端、本来の時間軸を無視して突如目覚めてしまった南の厄ネタが一機。
こうして見ると、やはり何らかの因果を感じざるを得ないように思える。
蝶の羽ばたきが竜巻を生むなど信じたくはないが、しかし、聖遺物の封印が解かれたとなると、カルメンタリス島全土にはそう遠からずして極めて見過ごせない問題が浮上してくる。
(魔性の活性化)
当たり前だが、生き物というのは窮地に追いやられれば追いやられるだけ、その分必死になって絶滅の恐怖に抗おうとする。
人も獣も、魔性だってそれは変わらない。
この島の頂点はこれまで魔性だった。
だが、魔法を弾く──抵抗力を持つ──神の工芸品が活動を再開したとなれば、そのパワーバランスには小さくない変動が生じるだろう。
翻ってそれは、成長と進化を促すコトに繋がってしまう。他ならぬ原作がそうだった。
鯨飲濁流によるリンデンおよび刻印騎士団の崩壊。
それが招く闇の黄金期。
王国から各国へ、次第に広がる人の世界の落陽。
追い詰められた人類。
狂信者は勢いを増し、やがて大神殿へと向かう。
そこで灑掃機構は千年の封印を解かれ……人間は一時の勝利を収めるが、
(結局、状況は悪くなる)
成長し進化した魔性。
狂い果てた神の玩具。
二つのバケモノによる争いの巻き添えを食らって、人類はさらに黄昏へと近づいていくコトに。
原作のラズワルドは、そうした暗黒の時代を駆けながらも、自身の呪いを解かんと奔走していた。
そうして、最後には──
(呪いをかけた張本人と対決したはずだ)
が、まぁ、それについては今はいい。
問題なのは、
「今の僕、めちゃくちゃ弱いんだよなぁ……」
使い魔と義姉(仮)にこそ恵まれているが、自分自身の能力という点で分析すると、恐らく原作のラズワルドより数段は劣っている。
というのも、僕はあれから魔法について全然勉強していない。
エルダースに入学もしていなければ、原作での師匠にあたるウッドペッカーにも会っていない。
無論、ベアトリクスに請えばそれなりの授業は受けられるが、魔女と人間とでは種としての規格に差がありすぎる。
仮に、ベアトリクスが恐竜だとしたなら、魔力量という点でも理解度という点でも、僕は蟻だ。虫けらである。
高望みをしているワケではない。
ただ、同じ尺度で物を測れる適切な教師が欲しい。
フェリシアはダメだった。頭が色ボケし過ぎていて、下手に教えを授かろうとすれば、何を強請られるやら知れたものではない。
……もちろん、憑依融合をすれば高度な呪文も難なく使えるようにはなる。
が、それは僕自身が本当の意味で成長……強くなったコトにはならないし、ヴェリタスのように融合を解除できる魔法の使い手に出くわしたら何の意味にもならない。
勘違いは禁物だ。鯨飲濁流を殺せたのは、深淵の叡智によるお膳立てがあったからこそ。
……なので、そろそろ。
(困難呪文の修得。あるいは、印具に何を刻むのか)
そのあたり、いよいよ以って決断する必要があるだろう。
魔法は呪文への理解度と感情の強さがモノを言う。意思の輪郭がハッキリしていればしているだけ、武器としての信頼性は高い。
僕が今、自信を持って使いこなせると言える魔法は二つ。
“火” それと “夜“
他は呪文を知っていても、熟練度の面で劣っている。付け焼き刃感は拭えない。
もしかすると、“死“であれば憑依融合をせずとも使えるかもしれない可能性があるが、とはいえ、僕にとっての『死』は通常とは異なる。
僕にとって、『死』は断絶であっても眠りのように、目を醒ませば再び始まっているモノだ。
殺した、と思った相手が次の瞬間──何食わぬ顔で復活している、なんて。
そんな滑稽な悲劇、実際に目の当たりにしたら凹むどころの話では収まらない。
──だから、己が生涯へ、永遠に刻むとするならば。
(それは、自分にとっていつまでも不変で、決して揺らぐコトのない確たる信念が望ましい)
無論、何に刻むかは決まっている。
あの日、雪と氷の揺籃で、はじめて愛を自覚したそのときから。
手離したくない。
ずっとそばに居て欲しい。
想いの象徴は不意打ちの贈り物。
片時も離さず、いまも服の内側にあり、絶えず感触を意識できるようにしている杖。
黒と瑠璃。持ち手の羚羊模様。まったく……これほどまでに想いの篭った呪具があるだろうか?
(……困難呪文は、まぁ、修得しようと思って修得できるモノでもないしね)
機会があれば、そのうちいつか身に修めるコトもあるだろう。
焦らず、無理をせず、今はただ自分にできる唯一の精一杯を。
何事も積み重ねることでしか、強くはなれないのだから。
今後は暇を見つけてはボチボチやっていくしかない。
「笑っちゃうほど、地味だけどね」
「?」
独り言にコテンと首を傾げたベアトリクスに、なんでもないよと苦笑する。
魔法使いの強さは、想いの丈だ。
刻印はその最も代表的なモノ。
いずれ察せられるのは避けられない非情だが、包み隠さぬ心の有り様を映し出してこそ、魔法使いは強くなれる。
──願わくば、それが誰の目にも恥じざる祈りの結晶であればよいのだが……
その辺はとにかく、自分の努力次第だ。つくづく、怠けさせてはくれない世界である。
(ともあれ、それが二つ目。こっちはまだ対処のしようがあるからいいけれど)
三つ目の問題点は一つ目と同様、解決策がパッと見いだせない。
僕が今、この旅で一番頭を抱えているのが実はコレだ。
ゼノギアや天使、自身の無力さよりも更に憂慮すべき現実。
──すなわち。
(マズったな……体調が悪い)
先ほどのゼノギアへの懸念は何だったのか。穴があるなら入りたい。
ここまでなるべく、意識しないよう騙し騙しやって来ていたが、さすがにどうも限界を超えていたらしい。
……考えてみれば、というか。よくよく考えずとも。
(僕、十歳だもんなぁ……)
リンデンで多少健康的になったとはいえ、長旅を続ければ当然疲労は溜まる。
そして、カルメンタリス島はリゾート地とは到底言い難い過酷な島。
人里離れた森や林道を歩き続け、猛獣もビックリな怪物たちと毎日遭遇していれば、大人であっても疲弊する。
そのうえ、絶えず舞い込む面倒事に頭まで悩ませているのだ。てんてこ舞いである。
(気のせいだと信じたかったけど、もうダメだ。完全に発症した)
恐らく、霊骸柩楼を見つけて休めると思ってしまったのが決め手だろう。
張り詰めていた緊張の糸がゆるっと緩み、僕のカラダを知らず知らず蝕んでいた『病』が、ここぞと言わんばかりに猛攻を仕掛けて来ていた。
だが、これは普通の『病気』ではない。
頭痛や吐き気、ダルさなどは一切無く、喉の痛みも無ければ鼻水も無し。
言うまでもないが、そんな症状がチラリとでも現れていれば、我が使い魔が気づかないはずもなく。
僕自身としても、体調がキツくなれば当然しんどいコトを隠せない。
契約による繋がりは、互いの精神状態を定かではなくとも曖昧に伝えてしまうからだ。
ゆえに──『晶瑩結石』
今現在、僕のカラダに巣食っている病魔の名はそれになる。
名前から分かるように、尋常の病ではない。
この世界がファンタジーであるがゆえの、幻想病。
COG……いいや、カルメンタリス島における三大奇病の一角にして、大地の呪いとも呼ばれている。
その症状と、病名の由来は──
(肌の表面が、次第に何らかの宝石となっていくコト)
俗に、人間宝石ともあだ名される奇病中の奇病だ。
痛みは無い。
しかし、放置しておけば病状は進行し、三年もすればやがて全身が宝石となって死に至る。
右側の腋の下。
背中と腹部とのちょうど境目に、小指の第一関節ほどの大きさの蒼石ができていた。
我ながら美しく、また売りに出せば確実に高値がつきそうな素晴らしい石だが、それゆえにマズい。
晶瑩結石を発症した人間は、富に目の眩んだ人間によって乱獲される。
わざと病気をうつして宝石を生み出そうとする犯罪組織や、宝石と化した人間を芸術として愛でるようなイカれた変態もおり。
カルメンタリス島では発症したが最後、きちんと治療し切るまでは誰も信用するなと囁かれる悪夢のような病だ。医者すら信じられない。
……幸い、まだ初期段階で幾許かの余裕はある。
治療法も明らかとなっていて、そんなに絶望的ではない。
けれど。
(治療のための薬。錬金術による霊薬を作るのには……)
生命の水──精霊の涙が必要不可欠。
しかし、
「ぶっちゃけ、もうイロイロ手一杯で余裕とか無いんだよなー」
「手伝うわよ?」
「いや、解体じゃなくて」
爽やかな朝とは裏腹に、僕の心はどんよりと重い。
まったく、返す返すもハードモードすぎてイヤになる。
難易度選択のメニュー画面はどこにありますの?
僕がそう、トホホ、と独り言ちた瞬間だった。
「ラーズーワールードくぅーん! なんかこんなの見つけたよ!」
泉の中を泳いでいたフェリシアが、やおら騒々しく名を呼んだ。
(今度はいったい何ですの……?)
振り返り、そして──




