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#30 小川の傍で




 緑の丸がある。

 ところどころに濃い茶色があり、そこから短いながらも幾つかの突起を生やした楕円の塊だ。

 突起には更に幾つかの突起が生えており、そこには下地となる茶色を半ば以上覆うようにして、ワサワサとした緑がぶら下がっている。


 ──枝と葉。


 わざわざ遠回しな形容をせずとも、互いに一言パッと一文字で説明できる植物の特徴である。


 だが、それは決して植物などではなかった。


「……」


 ジリリ、ジリリ。

 ゆっくりと、しかし確実に歩行(・・)を開始する緑の球体。

 四本の足で、緑に囲まれた森の中を、やたら慎重すぎるほどに時間をかけて移動する。


 その正体は──豚だ。


 正確には、森豚(・・)というこの世界に固有の野生動物。

 自然の恵みを糧にし、自らが生まれ育った森で丸々と肥え太っては、背中や胴体から森の一部(・・・・)を生やし始め、物の見事に環境へ溶け込んでしまう擬態のスペシャリスト。

 木陰や密林でじっとされれば、見分けるのは相当に難しい。

 発見したならば、見失わない内に即座に動く必要がある。


 けれど、


「──」


 男は静かに、片手を挙げて静止を求めた。

 ……ゆえに、こちらもジッと押し黙り、逸る気持ちに必死に蓋をする。

 すると、


「────」


 腰元から小さなクロスボウを取り出し、男はそれを目標に向け────(おもむろ)に撃った。

 スッ、と空気を貫く一条の死線。

 数瞬後、地面にドサリと獲物の倒れる音がする。断末魔すらない完全無音狩猟(サイレントキル)


「……ふぅ。なんとか、今夜も当てられました」


 視界の悪い夜の闇の中、星明かりさえ届かぬ木々の天蓋。

 都合三日ほどの食料を難なく用意してみせた金髪の男は、その顔と態度からは想像できぬほど、命を奪うコトが巧妙だった。









 二週間が経った。


 僕とベアトリクス、フェリシアにゼノギア。

 有史以来これほど奇妙なメンツが旅の伴になるなど早々ないと思われる四人行脚(あんぎゃ)は、すでにある程度の法則性を生み出しつつある。


 島の北部である王国から、東部に位置する帝国までの道のり。


 リンデンから大樹海まで最短経路で行くには、帝国領内にある幾つかの村々を通過し、その途中にある森や川などを超える必要があった。

 そのため、人気のない自然道を通る時はまだしも、衛士や門兵など、その他人目から逃れる必要のある際、ベアトリクスやフェリシアは姿を隠し、僕は魔法でチェンジリングの特徴を誤魔化すコトがルーチーンとなっていた。


 また、護衛対象であり要警戒対象でもあるゼノギアだが、その柔和な風貌とは裏腹に、道中の食事の世話という点で思わぬパフォーマンスを発揮するコトが判明した。


 旅の当初より腰にぶら下げていたクロスボウ。


 最初は自衛のための武器かと考えていたが、本人曰く「神はわたくしに、魚ではなく魚を獲るための術を与えて下さったのです……」とのことで、この旅が始まってから以後、思わぬ形で役に立つコトが分かった。


 おかげで、リンデンから渡された路銀を無駄に費やす必要もなく、旅の最中に飢える心配もなくなった。


 ベアトリクスはその気になれば自力で獲物を狩って来れるし、フェリシアは日に一度、僕からほんの数滴血を提供(指から)するだけで、元気一杯になる。

 ベアトリクスは毎晩歯軋りしまくりだが、貧弱な人間──それも片方は子ども──二人程度であれば、ゼノギアの卓越した狩猟技術によって十分に食いっぱぐれずに済みそうである。


 なので、道中の安全はベアトリクスとフェリシアが。

 食料問題や、人里での最低限の折衝などは、大人であるゼノギアが。

 僕はこのアンバランスなパーティメンバーの間で仲介役兼要石をするといった形で、なんだかんだうまいこと歩みを進めている。


 ──しかし。


(ぜんぜん分からないな)


 ゼノギアという神父。

 細身で金髪ロン毛、丸メガネを装備した如何にも荒事とは無縁そうな出で立ちであり、実際に接してみても、その印象はまったく覆らない。

 一般的な成人男性。強いて評価するなら、やや臆病な性質か。

 しかしそれも、僕やベアトリクスを前にしたなら当然の反応。

 原作知識にも引っかからないし、ほんとうに単なる一般人なのでは──と、通常ならばそう思う。


 けれど、昨夜もそうだが、ゼノギアというこの男。


 一介の神父にしては、いささか無視できないほどにクロスボウの扱いが巧い。上手いのではなく、巧い。

 仮に本人の自供通りに狩猟の才能に恵まれているのだとしても、アレは常日頃から獲物を獲り慣れていなければ、到底不可能な所業に思える。


 必殺必中。


 旅の伴としてはありがたいことこの上ない技術だが、聖職者がなぜクロスボウなど扱えるのか。

 クロスボウ自体も、見たところ、この旅のためにわざわざ新調したというワケでもなさそうで、いささかばかり古びている。


 ……もしや、神父とは仮の姿で、実際は暗殺者なのでは?


 厄災の象徴を密かに始末するために送り込まれた教会からの刺客。

 そうであれば、武器(クロスボウ)の扱いに慣れているのも素直に頷ける。だが、


「ふふふ、昨晩の森豚ですが、まさか背中にキノコまで生やしていたとは……思わぬ収穫でした。このキノコは素晴らしく美味いのです」

「へぇ、そうなんですか?」

「ええ。ですので、もうしばらくお待ちを。いまコイツをスープにしてしまいますので」

「……」


 朝。

 日が昇り、ほのかに暖かな光が森の中を照らす。

 小川のほとりで、当の本人はやたらと嬉しそうに朝食の準備を進めていた。

 背中を晒し、コトコトと焚き火で鍋を煮込むため、膝を着いてしゃがんでいる。

 僕はそれを、ベアトリクスの膝の上で首をひねりながら観察していた(ちなみにベアトリクスは寝ている。フェリシアは影の中から辺りを警戒中だ)。

 二週間も経てばお互いに、そりゃあ多少の気安さも生まれてくるものだろう。

 だが、それにしたってこの無警戒ぶりはない。


(人が良すぎる)


 とてもこの世界で長生きできるような人種には思えない。

 背後には厄災の象徴とその使い魔がいるのだ。

 普通の人間なら、恐怖から気をずっと張りつめていなければならないところ。

 それなのに、目の前の優男は美味しいご飯の方にすべての意識を割いてしまっている。演技だとしたらまったく大したものだ。

 もともと人を見る目にそう自信があるワケではないが、ゼノギアに関しては暗殺者というより、純朴な家庭人という気がしてならない。


(……まぁ、端から疑って見てれば、何でも疑わしく見えてくるものだけれど)


 あまり不必要に警戒しても仕方がないかもしれない。

 小さな疑念を軽く頭の隅に置いておくとして、引き続き様子を見ていこう。


 ──それはそうとして。


(森豚とはいえ、一撃で仕留められるクロスボウ……)


 ゼノギアの腰元にぶら下がっている小さな(いしゆみ)を見ながら、僕は確信を持って問いかけた。


「そのクロスボウ……いや、矢の(やじり)かな。何でできてるんですか?」

「え?」

「いえ。ただの矢にしては、さすがに殺傷力が高すぎるなと思ったので」

「あ、あー……ははは。やはり、お気づきになられましたか……」


 苦笑し、たはは、と後頭部に手を添えるゼノギア。

 急な問いかけに、一度驚きからこちらへ振り返るもののの、すぐに鍋の方へ視線を戻す。

 その反応から、僕は自分の確信が正しかったコトを知った。


 森豚──否、森豚に限らない話だが、この世界の動物は大抵が()()()()()()()()()()()()()


 雪兎。砂梟。海猪。岩漿熊。

 その他にも種々様々いろいろな動物が存在しているが、これまでにも幾度か名前だけなら登場していたように、どの動物もその名の通り、自らが生命活動を行う環境下に沿った生態を獲得している。


 雪兎が雪の降る極寒の地で新雪のような毛皮を持つように、砂梟であれば南の砂漠で熱砂のような羽毛を持っている。

 海猪は海中で珊瑚のような牙を生やすし、岩漿熊は活火山で脈打つような岩肌を持つ。

 基本的にどの種も周囲の環境に擬態するのがとても上手く、ファンタジー世界の動物と言えばらしい(・・・)動物たちだ。


 しかし、COGの世界において、食物連鎖のトップカーストは言うまでもなく人外・異形・怪異。


 人間を含め、どんな動物であってもそのルールからは逃れられない。

 ライオンがドラゴンに勝てるかという、実にバカバカしい話になってしまうからだ。


 ゆえに、人間が秘宝匠や刻印などの力を以って対抗手段を得ているように、この世界の動物たちも独自の進化を辿るコトで絶滅を免れている。


 それが──『森羅還元擬態』


 カルメンタリス島における独自の生態環境なのか。

 あるいは、この世界全体を通しての共通項かは知らないが、動物たちはある一定の成長を得ると、自然界の特徴を露骨に帯びるようになる。

 その環境、その地域、その場所における、最も生存確率の高い姿かたち。

 まるで自然と同化するように擬態能力を高めていき、死ねばそのまま自然と化してしまう特質のコトだ。


 森豚であれば、天寿を全うしたなら樹木や草花に。

 雪兎であれば、溶けて蒸発し、またいつか雪へと。

 海猪であれば、珊瑚と化した骨が海底に残る。


 このように、生きている間は自然環境に擬態するコトによって生存確率を上げ、死んだ後はまるでそれまでの恩を返すように自然の一部となってしまう生態が、この島の動物たちの共通点。


 分かるだろうか。


 言うなれば、この島の動物たちは生きながらにして、別の存在へと変化する準備を整えられる生き物だというコト。

 種族差や個体差はあるにしても、当然、普通の動物とは狩りをするにしても勝手が変わってくる。


 矢を撃ったところで、獲物が体表を木や岩に変えていたら?


 普通の威力ではまず仕留めきれない。

 鏃が刺さったとしても、すでにそこは獲物本体ではなく自然の一部と化している部分になるからだ。

 痛みはないし、傷はついたとしても問題ない。

 自然界そのものを鎧に纏っていると考えていい。

 雪兎のように擬態特化で鎧を持たない動物もいる(だからこそ食用にされがち)が、そういった種は逆に稀だ。


 ──つまり。


(ゼノギアの使っているクロスボウの矢には、普通の鏃ではない別の何かが(こしら)えられている)


 僕の見立てでは、それは鉄などの鉱物によるモノではない。

 恐らくは……


「仰る通り。このクロスボウで撃ち放っている鏃は、実はある怪物の鱗から造られたモノなのです。鉄よりも硬く、黒曜石よりも鋭い、偉大なる……」

「──ドラゴン」

ええ(・・)まさしく(・・・・)


 伝説の災禍(わざわい)。怪物たちの暴王。破壊の化身。

 ドラゴンであるならば、たとえ猫ほどの大きさだとしても、一国を滅ぼせると思え。

 ……そう云われるこの世界で、ドラゴンという響きが持つ重みは計り知れない。

 仮に本物だとすれば、森豚どころかおよそ霊格で劣る存在はすべて傷つけるコトが可能だ。


 ドラゴンの持つ特権とは、それだけ桁を外している。


 ベアトリクスや鯨飲濁流だって、真に歳経たドラゴンには苦戦するだろう。地龍ならば問題ないだろうが、純龍となると個体差も激しい。

 反則的な魔法や種族特性としての不死が無ければ、敗北は必至だ。


(なのに、その鱗だって? いよいよ胡散臭くなってきたな……)


 別にソレを加工し道具にしているのはどうでもいい。

 秘宝匠の鍛える武器では、聖性が備わり退魔や破魔の力こそ宿っても、獣を狩る道具としては役に立ちにくいコトもしばしばだと知られている。


 問題は、ゼノギアが教会の人間でありながら魔性の道具を何の抵抗もなく使っているコトだ。


 教会はどの国でも秘宝匠組合とベッタリであるため、通常、組合があまり好ましくないと思っている呪具の類──魔法使いの印具も含まれる──は使ったりなどしない。


 だから、


神父なのに(・・・・・)、と思っていますね」

「はい」


 ゼノギアの確認にも、包み隠さず素直に頷いた。


「……ははは、まぁ、そう思われるのも無理はありません。わたくしは、神父としては恐らく生臭ですからね」

「というと?」

「ふふ、単純な話です。この世は神に選ばれた職人でもない限り、羊皮紙に記されたインクの文字を読んでいるだけでは救われず、しかして敬虔な信徒も、パンや肉は普通に欲しいという、それだけの話でして」


 ──少し、個人的な話をしましょうか。


 ゼノギアはポツリ、ポツリと、昔の話を始めた。


「これは、わたくしがまだ、世界の残酷さを識る前の話です──」







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