#21 死霊術の最奥
戦いとは、何だろう。
命の遣り取りとは、何だろう。
何をすれば勝ったと言えて。
何をしなければ負けてしまうのか。
──まずはじめに、僕はそれを考えた。
鯨飲濁流を殺害する。
あの吸血鬼は生かしておけば百害あって一利なし。
チェンジリングである僕にとって、叶うなら早々に摘み取っておきたい脅威でしかない。
放置しておけば、いつなんどき命を奪われるか知れたものではなく。
かと言って、困ったコトにベアトリクスにすべてを任せてヨシっと対処させても、相性的に難しい。
人の力は通用せず。
刻印騎士団は言っては悪いが、正直アテにするだけ無駄。
ならば、自分一人の力だけで頑張ってみる?
笑止千万。
僕のような臆病者がたった一人で鯨飲濁流をどうにかしようとするなんて、それこそ笑い話にもならない。
保有している魔力量も、使える魔法の種類だって、天と地を見比べるまでもないのだ。
現在進行形でお空は真っ暗け。足元は真っ赤っか。
地面は次第に黒ずんで、辺りにはヒドイ匂いが立ち込める。
これで彼我の実力差を理解できなければ、僕に明日の朝日は拝めない。万一拝めたとしても、遠からずしてハイさようなら。
しかし、そうは言っても殺さなければ殺される。
うん、これぞまさに無様極まったり。
立ち向かえばまず敵わないコトが確定しているのに、それでも諦めれば、即終了。
無理でも無謀でも何だっていいから挑戦しないといけないだなんて、今日も世界は侮りがたい。
僕は臆病で柔らかメンタルな、ストレス耐性の低いクソザコナメクジなんだぞ?
前世じゃホラーゲー厶も死にゲーも、とにもかくにも苦手だった。
そんな僕に、難易度の高いノルマを課さないで欲しい。
自分のキャパシティを超えたタスクをただ放り投げるように与えられても、どうしていいか分からないじゃないか。
スマホやパソコンをちょっといじれば簡単に正解に辿り着ける。こちとら良くも悪くもそういう時代に生まれた、ただの一般的な若者だったんだぞ? と。
答えの無い問題に対して解決策を自分で生み出せとか……頭をどれだけ使わせれば気が済むのか。
だいたい、そもそも、僕なんかに命の遣り取りとかすんなり出来るワケがないだろう。
精神的にもキツいし、肉体的にも僕はいま十歳なんだから。
明確な意思を持って何かを殺そうだなんて、そんなの……膝がブルっちゃって仕方がない。
カッコ悪いって?
黙っててくれ。スーパーの食肉売り場でパック詰めにされた生肉を買うのとは話が違う。
実際に屠殺場まで足を運んで牛や豚を縊り殺し、家畜のあげる断末魔を耳にした人間だけが僕を罵ればいい。
……今回の場合、相手は人間じゃなくて化け物だ。
けれども、それがいったい何だ? 何が違う?
殺害という行為に手を染める。
そこに備わった本質は何一つとして変わらない。
ましてアンデッド。
元は人間だったというなら、なおさら忌避感と嫌悪感に頭の中はぐちゃぐちゃだ。
しかもこの先、僕はこれに慣れていかなきゃいけない。
異世界に転生して特別な力をゲットしたら、そこで自分の人生が一気に花開く。
そんな風に信じていた時期がたしかに僕にもありました。
けれども。
(現実は困難で、気持ちのいい痛快劇とは違う)
痛みがあり、苦しみがあり、だのにそれらを必死で乗り越えていかなければ立ち行かない。
たとえ良好な仲ではなかったとしても、一週間以上も共に旅をして同じご飯を食べて道を進んだ。
そういう人たちが無惨に殺されるのを見て、僕は自分でも驚くほど平静を保っていられたが、別に芯から芯まで不感症ってワケではないのだ。
何より、フェリシア。
彼女が暴走し、まんまと食い殺される間、僕は何も出来ずただ呆然としている自分に、ほとほと腹が立った。
こんなコトが許されるのか?
立場の違いや境遇の差。
そこから生じる不理解と認識の相違こそ僕らの間にはあったものの、自分を案じ、ひたすらに歩み寄ろうとしていた少女へ、僕はまだ何も報いていない。
それどころか、過程はどうあれ一度は救えた命を、むざむざ掃き溜めに放り込んでしまった。なんという体たらくッ!
(嗚呼──まったく、目眩がする)
ひどい頭痛も、吐き気すら。
……これで正気を保てという方が、心底どうかしている。
誰もが常に最善を尽くして生きられるワケではなく。
出来る時に出来るコトをしなかったなら、その過去はいずれ怠慢という形で我が身へ降りかかる。
……もちろん、そんなコトは当然頭では理解している。
僕が苛立ち、殺意を覚え、負の感情に囚われているのも、言ってしまえば身から出た錆。
────それでも。
「後悔はまるで、亡霊のように付き纏う」
僕は常冬の山で、いつだって犠牲者の無念を感じていた。
亡者の姿なき姿を、この青い目で捉えなかった日は一日たりとてない。
それは今も変わらず、後ろを振り返ればたくさんの罪が待ち構えている。忘れなどしない。
だが、それでも──
「生きると決めた」
この世界でどんなに辛いコトがあろうとも、僕の人生は彼女の愛に溢れている。
なら、それだけで、僕のこれからは幸福を約束されたも同然だ…………それを。
鯨飲濁流。
あの悪辣な吸血鬼が下劣にも舌嘗めずりし、喜び勇んで台無しにしようというのなら。
……その、なんだ。
僕がいま抱えている葛藤とか恐怖とかは、不思議と気にしないで済みそうな気がする。うん。
いや、断言しよう。
お前に関してだけは、前世も今も何も変わらない。
意識的だったか無意識的だったかの違いだけで、僕は昔から平然と己以外の何かを犠牲にしていた。
犠牲の上に、胡座をかいていた。
奇しくも。
それは、食べるという行為によって行き着いた気づきでもある。
スーパーの食肉売り場でパック詰めにされた生肉。
常冬の山で来る日も来る日も毛を毟られた雪兎の虚ろな目。
この世界は自ずとそういう風に出来ている。
食べるというコトは生きるというコトで。
生きるというコトは、奪うというコト。
何かの犠牲なくしてこの世は回らない。
本質とは、つまりそういうコト。
まあ、なんだ。要はこんなにもシンプルな話であり、
(互いが互いを犠牲にしてでも生きようと思っているのなら)
それは、仕方がない。
命の遣り取りにも発展しよう。
喰らわなければ生きられないのだ。
鯨飲濁流は飢餓ゆえに。
僕は譲れぬ我執のために。
────したがって。
「結論。戦いとは生きるコト。そして生きるコトは、己一人のために周囲を食い潰すコトだ」
鯨飲濁流。飢餓の化身。狂える吸血鬼の王。
お前がフェリシアを喰い殺したおかげで、僕はそれに気づけた。
おかげでこの先も、どうにかやっていけそうな気がする────ほんとうに、あ り が と う !
「ゆえに死ね」
殺すから、死ね。
自らを深淵へと横たえるのにいささかの躊躇なども無い。
己のカラダへ使い魔を憑依させるのは、実を言えばずっと最初から頭の中にあった。
なぜなら僕は転生者で、この世界の事象をある程度把握している。鯨飲濁流と呼ばれる悪鬼についても当然既知。
そして、愛すべき使い魔には、疾うの昔にこの魂の全てを明け渡している。
そこから導き出される結論は、考えつく限りの最良だろう。
魂の癒着も、気にする必要はない。
正気を失っていると謗られようとも、僕の正気は僕だけが分かっていればいいのだから。
だから──だから!
「ッ、己が魂を代償にッ、人間では届かぬ魔法ッ、身体能力をも手に入れる……やはり、やはりッ! そう来たかッ!」
挨拶がわりの“死”をもらい、ガクリとよろけながら虚空に血涙を舞い散らす男が叫ぶ。
真紅の双眸に映るのは、果たして僕かベアトリクスか。あるいはその両方か。
魔法使いは杖を使うことで、契約を結んだ使い魔の力を引き出すことができる。
それはリンデンまでの道中、僕がベアトリクスに旅の安全を任せ切りにしていたように、直接その能力を発揮してもらう場合が大半だが。
時に、この世界の魔法使いは自身の肉体に使い魔を憑依させ、カラダの一部を変形──強化させるコトもある。
通常の魔法使いならば人外への忌避感・倦厭感情から魂の癒着を嫌い、めったにはやらない。
しかし、通常ではない魔法使い。
僕とベアトリクスのように互いが互いを離れ離れになりたくないと真に想い合っている場合は。
魂を、すべて明け渡している場合は。
一部どころか、全身すべて変形するコトも可能になる。
尋常の人間からは確実に枠組みを外れるが、だからなんだというにそんなもの。
黒い影みたいな外套に、骨のように白くなった肌。
羚羊の仮面。異形の角。黒い髪はそのまま、目だけが青から金色へと変化する。超カッコイイ。
裡より感じる魔力は、まさに膨大だ。
身体能力も、仰ぎ見るかのごとき大樹、その幹をほぼ垂直なのに余裕で駆け上がれた。
そして何より──ベアトリクスの想い。
僕を何が何でも護ろうと迸る深大な意志が、全身を内から外から溢れんばかりに満たし尽くしている。
使い魔の憑依を行うと、互いの意思疎通は出来なくなる。
表出させられるのは常にどちらか片方だけの意識。
思念や感情といった常時なんとなく感じられるモノも、よほど強くなければ希薄になってしまう。
恐らくは自他の境界が曖昧になり、それがどちらのモノなのか分かりづらくなるから。
けれど、互いの意思疎通が出来ずとも、ベアトリクスの想いはこんなにも明瞭だ。
僕は一瞬だけ目蓋を閉じ、そして開く。
目の前にいるヒトガタは本体ではない。
本体であれば、森神への変身は解除されていなければおかしいからだ。
恐らく五百年の内に溜め込んだ魂の幾つかを切り分け、“変身”を応用して端末として構築したのだろう。
先ほど刻印騎士団の長が人とは思えない形相で猛り狂いながら墜落していったが、どうせコイツのことだ。常のようにゲラゲラと嘲笑いでもしたに違いない。
──ともあれ。
鯨飲濁流は喰らった数だけ命をストックしている。
そして、喰ったモノの数だけ己以外の何かへ化けられる吸血鬼。
使える魔法は“変身”を基本としつつ、“日蝕”のように種族弱点をカバーする魔法も行使可能。
中でも流水を堰き止めるための元素操作……“土”の魔法は非常に油断がならない。
使いようによってはベアトリクスの“氷”のように、シンプルながら必殺となり得る攻撃を行ってくるだろう。
具体的には、地割れと埋め立ての凶悪コンボとかで。
「でも、それも今みたく変身してる間は無理なんだよな」
「……?」
喰らわれたとはいえ仮にも神の名を持つモノへの変身は、その霊格を含めて再現するのに多大な魔力を要する。
それは鯨飲濁流であっても例外ではない。
清澄な水と神聖な空気を尊ぶ森の貴婦人たちが、その長きに渡る時間の中で延々崇め続け、守り、育てる樹木の神だ。
身も心も邪悪な吸血鬼が、ここまで成り済ませただけでも、相当演技力があると評価しなければならない。
要は──君、無理してるみたいだけど、大丈夫? というヤツ。
僕も演技力にはそれなりに自信があるが、ここまでの大立ち回りは無理だ。身の丈を超えすぎている。
加えて、ここは城塞都市リンデン。
今や黒鉄門は崩壊し、白鉄門も九割方その機能を失ってしまったが、対吸血鬼に最も優れた機構を持つ……僕があれから、何もせずに真っ直ぐここへ来たと思ったら大間違いだ。
「騎士団は出払ってて思ったより時間はかかったけど、おかげで準備は整えられた」
「ん? んん? なんだなんだ? 馨しき子よ、俺のために何かしてくれるのか?」
「そうだよクソッタレ!」
事ここに及び警戒する様子もなくこちらをギタギタと粘つく視線で凝視する男へ罵声を返す。
チェンジリングの体質は、いついかなる時でも人外を惹き付けて止まない。
罵声を浴びせようと実際に歯向かおうとも、相手によってはニコニコ受け流す。
難儀で仕方がないが……少なくとも逃げられる可能性はほぼ無視できる。
ゆえに────喰らえ。
「油断したな。さっきのは挨拶がわりでもあったけど、同時にトドメでもあったんだぜ」
「────なに?」
「僕のベアトリクスを見て、その『前身』に思い至っておきながら、ドヤ顔でこんなデカくなったのは失敗だったなって言ってるんだッ! 足元、気づいてるかよ?」
「?」
僕の強気の発言に、鯨飲濁流がゆらりと自身の根元を見下ろす。
そこには、ベアトリクスがなにゆえ白嶺の魔女と呼ばれるに至ったかの由縁が、わらわらと。
まるで象をも殺す蟻の群れみたくして、巨大な根や幹へと群がっていた。
屍体の山。
冷たき白。
凍てつく屍。
幾千幾万の凍死せし冷骸が、穢れし森神の神体を今こそ埋め尽くさんとばかりに覆い尽くす──!
大食らいの吸血鬼。
お前にこれら疾うに失いしモノどもから、尚も奪える物があるというなら、いいだろう。やってみせるがいい。
ただし、ここに喚び出されし数多の屍、我が母の総軍!
その虚ろなカラダにリンデンより掻き集めた銀細工、銀食器、並びに聖堂に飾られし祝福儀礼済みの銀十字など、数え切れぬほどに埋め込んであるがな!
「最恐の屍体使い、その最たる力を思い知れよ」
「……ほう。これは、たしかに──!」
吸血鬼の顔から遂にせせら笑いが掻き消える。
僕は迷わず呪文を唱えた。
「────“爆発”ッ!!」
tips:死霊術
COG世界では主にアンデッドを使役する魔法の総称。
完全に使いこなすには前提条件として“死”が使えなければならない。
人間でも一応修得は可能──魔法としての階梯はもちろん落ちる──だが、普通の魔法使いなどより偶然魔力を持ち合わせた葬儀屋、墓荒らしなどの方が使用者は散見される。




