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#18 最悪を経て




 大気が死んでいた。

 粘ついた魔力の波動がドロドロと溢れ出し、まるで腐った熔岩のごとく呼吸を犯す。


 ぐらり、ぐらり、ぐらり。


 ふと足が震えた。

 目眩がして世界が揺れる。

 肺は重く、息を一つ吸う度、血中に行き渡る酸素が、何か別の穢らわしいモノへと変換されていく。


 ……そんな、吐き気を催す錯覚さえ、頭の中をどろりと駆け巡った。


「嗚呼、美しい。なんて綺麗なの……ッ!」


 ──それなのに、鬼が笑う。

 少女の形を再現した鬼が、少女にはあるまじき喜悦の表情を浮かべ、心底嬉しそうに涎を垂らしながら頬を歪ませる。

 そこにかつての少女は見当たらない。

 旅の道中、しきりに微笑みを見せてくれた心優しい少女の姿は、もはや完全に見る影も無かった。


「すべての生物には感情があります。たとえ爪先の一欠片にも満たない矮小な存在であっても、すべての命には魂が宿っているから。魂は万物に先立つ命の血染花。魂なき虚ろなんてこの世には存在しない。けれど、人間。あなたたちは中でもとりわけ……極上(・・)なの」


 フェリシアの顔で、フェリシアの口で、フェリシアでないモノがフェリシアのように滔々(とうとう)と唄う。

 僕はそれを、一転して奇妙なほど凪いだ心持ちで正視していた。


 鯨飲濁流はシリーズ最悪の敵として名高い。


 それは、鯨飲濁流がシリーズ屈指の難敵として幾度も主人公の前に立ちはだかり、一向に勝てると思わせない理不尽なまでの強さを持ち合わせているからでもあるが、それだけなら他の異形や人外だって変わらない。


 この世界は薄氷だ。

 人類はほんの少しボタンを掛け違えただけで、容易く黄昏へと導かれる。

 恐れるべき脅威は鯨飲濁流だけではない。


 では、鯨飲濁流は何ゆえCOGに於ける『最悪』の王冠を戴くに至ったのか。


 答えは一つ。


「フッ、フフ。イイ。イイよ、その()。その美しき色ッ! 素晴らしいッ! 怒り、憎しみ、恨み、これより先、たとえ百億の夜を超えて呪い果たさんとも決して飽き足りぬという刹那に渦巻く混沌の激情……おぉ、おおぉおッ! 味わえばさぞや甘露なんだろうなッ!? 想像しただけで舌が震える!」

「……ゲスが。()が出てるわよ」

「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」


 鯨飲濁流は、真性の悪魔であるから。

 種族としての悪魔という意味ではなく、魔性としてこれ以上ないほどに属性が悪に傾いているという意味で。


 そも、この世界の吸血鬼はその発生理由からして、個体差はあれど必ず飢餓衝動を持って産まれ落ちてくる。


 血を啜る。肉を喰らう。骨を噛み砕き髄を呑み、生きとし生けるものの(はらわた)を口いっぱいに頬張って歓喜に震えながら命を咀嚼する魔物。


 吸血鬼になったから飢えているのではない。

 生前に飢えていたから吸血鬼になるのだ。

 自分以外の何かから、その命を根こそぎ奪ってでも満たされたいという欲求ただそれのみを源にし。


 アンデッドは人から転じた魔。

 落陽に近いこの世界では、人が絶望に沈み魂を堕とすコトなど有り触れている。


 ゆえにこそ──


「許せ。許せ白嶺の魔女。俺は──いや、わたしは好きなんです。久遠(くおん)に欠けたるこの身が、一時とは言え誰かの(オモイ)独占(・・)しているというのが、お腹の底からたまらないんです。もはや記憶もなく、なぜそうなるのかも分かりませんが」


 今なお持ち得るモノが、失ったこの身にまるで羨望も斯くやという眼差しを向けて本心から身を焦がしている。


「ましてそれが、我らがチェンジリングのものとなれば、ねぇ? こうお腹の底からじんじんと昂る熱が……ほら、あなたにも分かるでしょう?」

「気持ち悪い」

「……なぜ?」


 ──このように、自らを悪とも理解していない真性の悪魔が生まれてくる。


「わたしはただ、どうせ食べるならより美味しく食べたいと思っているだけです。人間は素のままでも悪くはないですが、魂が最も輝いている時に食すと、なんとも言えない極上の味がします」

「だから、できるだけ神経を逆撫でしてから味わおうというワケ?」

「ええ。むしろ感謝して欲しいくらいです。この地上で、わたしほど正しく人間の価値を理解している化け物はいません」


 お前たちは闇に堕ちている時こそ素晴らしい。

 怒りや憎しみ、怨嗟に染まった魂には深みが出る。

 喰らうモノとして、どうしてそれを止められようか。

 許せないのだろう?

 殺したいのだろう?

 ならば怒れ──憎悪を燃やせ。この身を打ち砕かんと猛ってみせろよ高級食材!

 お前たちが真に輝くためならば、ああ、己は何一つとして手間を惜しみはしないとも……!


 鯨飲濁流はニコリと清純に笑い、ゲラゲラと下劣に舌なめずりした。


「──しかし」


 ジッ、と視線が注がれる。


「さすがは魔女の子と言ったところか? 感情を殺す術に長けているのか……あるいはそれほど、親しくもなかったんですか? どちらにせよ、先ほどの一瞬より明らかに質が落ちた……もったいない」


 ガクリ、と肩を落として気落ちする鯨飲濁流。

 己の快・不快がダイレクトにテンションに直結しているのか。

 それとも、最初からマトモに模倣するつもりがサラサラ無いのか。

 声質はフェリシアのままなのに、口調がさっきから一定していない。


「やはり仕切り直しだ。最高級の食材は最高の調理を経て食すべき。俺は好物は最後まで取っておきたいタイプでもある」

「私が、みすみす逃すとでも? ラズワルドを狙うオマエを」

「そこでだ。一つ、この街の人間たちを使って賭けに興じるとしよう。今より俺は()()()()()()

「……?」

「俺が喰らいし数多の命。その中にはかつて都市を呑んだと云われる巨大な樹木(トレント)も居てな。ハ、ハハハ、ハハハハハハハ。白嶺の魔女、貴様にこの意味が理解できるか?」

「……まさか」

「そうともッ!!」


 ベアトリクスが何かを察した瞬間だった。

 それまでも十分に狂態を振り乱していた鯨飲濁流から、より一層の狂気が迸る。

 それとともに、たちまちの内に粘性を帯び始める空気。

 肌に伸し掛る魔力。背筋を伝う怖気が危険信号を訴えんと這いずり回る!


 この瞬間、僕を含め、無力な人間に抗う術は一つたりとて無かった。


 それほどの差。

 それほどの断絶。

 種としての規格が根本からして異なる力の歴然を、ありありと突きつけられていた。

 ベアトリクスさえ、無意識にか半歩後退る。


 つまりは──大魔法の前触れ。


 魔法使いだから何だ。

 魔女だから何だ。

 そんなもの、目の前の魔性が五百年に渡って積み重ねた貯蔵の前では塵芥同然。


 黒鉄門の内側に暮らす市民たちは元より、白鉄、赤鉄の二門に暮らす富裕層、支配者階級さえもがリンデンの空を見上げた。


 賢明な刻印騎士たちは、己が魔力のあらん限りを以って、自分たちが暮らす街の頭上に結界を張ろうと試みた。


 本部に御座す騎士団長は、剣を握り空を睨み据え、渾身の一閃を放たんと構えを取った。


 しかし、しかし────!






「“変身(メタモルポセス)森神(シルウァヌス)”」






 吸血鬼がその奈落に刻んだ原初の呪文(イノリ)

 足りぬ己ではなく満たされた他者へ成り代わりたい。

 この身が永劫餓え続けるならば、永劫喰らい続けて新生しよう。

 血も肉も骨も髄も、喰らったモノで形作られる。

 然らば、己は『変身』こそを目指すのだ。たとえそれが、永劫叶わぬ夢幻だとしても。


 さぁ──刮目せよ、我が供物ども。


 これぞオマエたちを呑み込み喰らう大晩餐会。

 血と命が百花と咲き乱れる繚乱の檻。舞踊って咽び泣け。

 そして……正体を見失うほど闇へと堕ちろッ!





「俺の枝は、どこまでも貪欲にオマエたちの血肉を求めるぞ?」





 鯨飲濁流がそう発した直後、城塞都市リンデン・黒鉄門に、一本の巨大な大樹が突如として聳え立った。

 大樹はリンデンを囲う三層の壁よりなお高く、その幹はほとんど二層目……白鉄門へと達するほどに太かったと云う。

 黒鉄門は事実上の崩壊。

 赤黒く邪悪に蠢動する吸血大樹によって、黒鉄門に暮らしていた人々はほとんどがその養分とされた。


 街路を埋め尽くした巨大な根。

 空より降り注ぐ意思持つ枝。

 リンデンを照らした日輪はすでに穢され黒へと堕ちている。


 その日、人類史上最高の対魔都市と謳われた城塞都市は、たった一体の吸血鬼によって歴史に残る窮地へと追いやられたのだった。

















 そして。


 そして。


 気がついた時には、僕とベアトリクスを除く周囲の存在は何もかも殺されていた。


「…………」


 二十五人の騎士は、その原型すら分からぬほどに磨り潰され、あるいは幾本もの根によって串刺しにされていた。

 火傷顔(フライフェイス)・ベロニカはいったい何がどうなったのか、すべては推測に過ぎないが、恐らく最後の最後で最大限足掻こうとしたのだろう。

 彼女の遺体は真っ黒に炭化していたが、その周辺はわずかに空間を残し、チロチロと舞うわずかな火の粉が、彼女が最後に使ったであろう何らかの魔法の残滓を伝えていた。


「……ラズワルド」


 ベアトリクスが肩に手を置いてそっと呟く。

 僕は辺りを見回し、次いで空を見上げた。


 太陽は影に蝕まれ、空は不気味に蠢く無数の枝に覆われている。

 大地は根に侵食され、やがて足元から城塞都市は崩れ去るだろう。

 生きとし生けるものは大樹の伸ばす貪欲な吸血を受け、供物となることを強制される。


 ……これが、鯨飲濁流。


 己がネガイのためならば、あらゆる命を鯨のように呑み込み、蚕一匹すら逃さず平らげる。

 その勢いはまさに荒れ狂う濁流のようであり、気づいた時には舌の上。

 しかも、吸血鬼はまだ幾多の変身を可能としている。


 これまで喰ってきた命。

 これまで奪ってきた命。

 これまで嗤ってきた命。


 すべてを己に取り込まんとし、けれど本当の意味では叶わない。

 変身は所詮、魔法が生み出す泡沫に過ぎないから。

 その絶望を糧とし、幾億の(悲劇)を産み続ける。


 ──だが、まだだ(・・・)。まだ僕は諦めていない。


 闇へ堕ちろ。

 闇に染まれ。

 あの鬼は己が嗜好を優先し、僕を自分好みに仕立て上げてから味わおうと画策し、そのためだけに今こうして黒鉄門を地獄に落としたつもりだろうが────分かってない。何もかも、履き違えている。


 怒りはある。

 憎悪はある。

 殺意も今はこの胸に。


 けれど、それらは別段、魂を捧げるほどのコトじゃない。



「でもまぁ、おかげで覚悟は決まったかな」

「……ラズ?」

「行こう、ベアトリクス。みんな死んじゃったけど、本部には行かないとね」

「……」



 この世界で二人が生きていくために。

 僕の目的は変わっていない。


 群青の空は夜明け前の瑠璃色だ。

 決して、夜に沈む日没ではないのだから。



















 邪魔をするなら、どうするかなんて決まっている。


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