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#14 静かな緊張





 人生の岐路(きろ)に立っている。


 常冬の山を発ち数日が経ち、僕の脳裏にあったのは常にその実感だった。


 朝目覚めてから日が沈み、夜が来るまで。

 黙々と歩き続けながら、食事をする時も、用を足しに行く時でさえも。

 僕の頭の中には、片隅で、絶えずその実感が響き続けている。


「今日はいいお天気ね」

「うん、そうだね」

「陽気もポカポカして、とても気持ちがいいわ。なんだかあくびが出ちゃいそう」


 こんな風にベアトリクスと穏やか会話をし、周囲を牧歌的で非常にのどかな草原に囲まれているというのに。

 別に、身に迫った危険をヒシヒシ感じているワケでも、特別な予期せぬ出来事が巻き起こったというワケでもない。


 ──だが、だからこそ。


 僕は、()()()()()()()に、密やかな緊張感を抱かずにはいられなかった。


「ウチの本部までは、あともうちょっとだね。このペースなら、たぶん今日のお昼過ぎには到着できるんじゃないかな」

「フェリシアさん」

「……子鼠」


 背後から聞こえてきた声に反応すると、ベアトリクスが軽く苛立ったように声を低くする。


 ここ数日、フェリシアは折を見ては僕へ声をかけてくる。

 そのせいで、ベアトリクスはすっかりフェリシアのコトを邪魔物として認識してしまったようだ。

 さしずめ、母と子の二人の時間に無遠慮にも割って入ってくる目障り極まりない小動物と言ったところだろうか。

 子鼠という呟きからも、なんとなく考えていることが分かる。


 しかし、問題はそんなコトではない。


「城塞都市、リンデン。こうしてみると、案外、常冬の山から近かったんですね」

「ははは。ラズワルド君的にはやっぱり、そう感じちゃう?」


 苦笑を浮かべるフェリシア。

 それに頷きを返し、僕は改めて今現在の状況を整理する。


 普段は選べない道。

 危険な獣や、恐ろしい怪物が棲む森や沼。


 今回の旅が始まって、僕とフェリシアたち騎士団は、すでに幾度となくそういった危険のある場所を抜けて来ている。

 本来なら決して選ぶコトのない最短ルート。

 胴体が無いがゆえに常に腹を空かせている餓狼の森や、一度でも足を踏み入れたが最後、象よりもデカい触手の群れに陵辱される沼地。

 その由来と呼び名を聞けば、絶対に通りたいとは思わない場所を、何の躊躇もなく真っ直ぐに進んで来た。


 それもこれも、すべてはベアトリクス。

 僕の使い魔が旅の伴として一緒にいる。

 ゆえにこそ可能とできた離れ業だ。


 慎重に慎重を期し、たとえ回り道をしてでも旅の安全を確保する。

 それが、この世界の人間にとっては何よりの当たり前。

 旅をするなら急いではならず。

 急いで近道でもしようものなら、絶対に目的地には辿り着けない。

 なぜなら、人の作った道を外れてしまえば、そこはもう化け物どもの領域。

 哀れな人間は餌か玩具か、とにかく末路は決まっている。


 だから、僕と騎士団も、最初は至極真っ当な道を選んで進むつもりだった。


 常冬の山からリンデンまでは歩いて二十日ほど。

 もちろん、その道は遠回りであるし、二十日も歩き通しになるのは精神的にも体力的にも辛いものがある。

 とはいえ、道中の安全を、たかが遠回り程度で買えるならば、やはりそれに越したことはない。

 僕も騎士団も長旅は覚悟の上だった。


 だが。


「ただでさえ慣れない旅なのに、二十日も歩いていたらラズワルドが疲れちゃうじゃない」


 ベアトリクスが放ったその一言。

 僕を(おもんばか)る意思と騎士団への嫌がらせが多分に混じった発言により、僕らの今回の旅路は実に大幅なショートカットを為すことになった。

 二十日かかる旅路はその半分へ。

 およそ十日ほどの距離に変わっている。

 そして、今日は旅の最終日。ついに訪れた十日目だった。


「惹き寄せられる蛾は、お前たちの分も私がどうにかしてあげる(・・・・・)。だから道案内は、最も近いルートを選びなさい」


 とは、ベアトリクスが火傷顔の人に向かって放ったもので。


「……いいだろう。

 だが勘違いしないコトだ。我々は化け物の指図は受けない。これはあくまで、貴様の主を気遣ったからこそ、一使い魔の提言(・・)を採用するだけだ」


 それに対する反応は、とても肝が冷えて仕方のないものだった。


 だが、これは別にどうでもいい。

 彼女たちの対立は今に始まった話ではないし、僕が間に入って仲を取り持ったところで、功を奏し得るはずもない。


 だから、僕が今真に心を砕いて気を配っているのは……そう。


(原作の筋道を完全に外れた)


 今さらながらに深く実感する、この厳然とした事実に他ならない。


 カース・オブ・ゴッデス第二巻。

 及びドラマ版のシーズン2では、本来、僕ことラズワルドはエルダースへと向かう。

 常冬の山を降りて出会った髭もじゃの老人──後の師匠ウッドペッカーの勧めを受けて。

 一枚の推薦状とともに、魔法使いのための学び舎。

 その門を叩くところから物語は始まっていくのだ。


 同年代の仲間との出会い。

 開花する魔法の才能。

 呪いを解くための冒険。


 ……ああ、どれもこれも、まぶたの裏で思い浮かべるただそれだけのコトで、こんなにも胸がワクワクする。


 だが。


 騎士団は全滅せず、白嶺の魔女は使い魔になった。

 すでにこれだけの乖離(かいり)、原作崩壊が起こってしまっている以上、僕が騎士団の目を逃れてエルダースに駆け込むのは、非常にナンセンスと言わざるを得ない。

 というより、この場合は許されないと言う方が実際には正しいだろう。


 刻印騎士団からすれば、自分たちの作戦がどうなったのかを本部へ説明しなければならない。

 加えて、僕やベアトリクスをあのまま放置するワケにはいかない。


 そして、僕の方としても自分たちの今後の身の振り方を考えると、やはりエルダースへ行くのはまだ優先度が低かった。


 当然だ。


 白嶺の魔女を使い魔にした十歳の少年とか、何処に行ったって危険視される。

 それなのに、使い魔との関係性を熟知している魔法使いの巣窟に向かえば、待っているのは村八分どころの騒ぎではないだろう。

 迫害されるコトは無きにしても、最低でもアンタッチャブル扱いは確実に受ける。


 実際、原作ではチェンジリングであるという理由だけで少なくないイジメが発生していたし。

 さすがに、ベアトリクスの目の前で水を被せられたりはしないだろうが……


(氷漬けになった生徒が発見されたら、僕、普通に人類の敵にカテゴライズされるだろうからなぁ)


 なので、そういう可能性がある内はエルダースに行けない。

 だからこそ──


(足場作りをしなくちゃいけない)


 この世界で生きる一人の人間として、僕にはまだ身分と言える身分が無い。元々の戸籍がどうなっているかは分からないが、王国の法律上、社会的には()()()()()()()となっているはず。


 つまり、人として生きていく上で必要となる拠り所が、一切無いのだ。


 あるのは人間世界にとって厄災の象徴であるチェンジリングとしての体質や、白嶺の魔女と契約した少年という、およそマイナスイメージしか湧かないであろう事実だけ。


 他人から見た今の僕は、『凄まじくおっかない不気味な子ども』以上の何者でもなく。

 また、人が恐怖心からとにもかくにも遠ざけたいと思う厄介者でしかない。


 だからこそ。


(刻印騎士団に身元を保証してもらう)


 人界の守護者。

 人間世界の盾。

 化け物を狩る者。


 この世界で刻印騎士団ほど人々の生活を守っているモノはいない。

 少なくとも、刻印騎士団と言えば人類の味方という認識が大半を占めている。


 どうだろう。


 そんな組織から、もしも、じきじきに太鼓判を押してもらえれば。

 僕とベアトリクスはこの先、とても生きやすくなるのではないか?


 しかし。


(そうは言っても、刻印騎士団が易々と僕とベアトリクスに無害認定を下すはずがない)


 化け物憎し。

 化け物への怒りを原動力に、人々を守ろうというのが刻印騎士団である。

 使い魔契約も、毒をもって毒を制すという考えが下敷きになっているから不承不承認めているのであって。

 僕のように、共に生きるために魂を結び合わすのは……到底理解できない価値観。

 ともすれば、気持ち悪いとさえ思うに違いない。

 これは刻印騎士団だけでなく、一般人を含め大勢の人間に共通する考え方である。


 ──では。


 それでは、僕とベアトリクスがこの世界で最低限の平和を享受するためには。

 果たして、僕はいったいどうすれば良いのだろう?


 僕は考え、そして一先ずの答えを叩き出した。


 すなわち……


(行動で示す。僕とベアトリクスが人を救えば、騎士団も認めざるを得ないはずだ)


 言葉をどれだけ尽くしたところで、端から疑いの眼差しを向けてくる相手を納得させるのは難しい。

 こちらが何を言ったとしても、向こうはそれを信じようとは思っていないからだ。

 適当な理由をつけて何がなんでも否定されるのがオチになる。


 しかし、言うは易く行うは難し。


 仮に、こちらにたしかな実績があったとすれば、たとえどんなに荒唐無稽な言葉であっても、一定の信憑性は必ず出てくる。

 人の心に、もしかしたらという可能性を想像させるには、逆を言えば実際にその目で見てもらって認めさせるしかない。


 刻印騎士団は人類の味方だ。


 なら、僕が人間にとって害ではなく、逆に救いの一助になりうるコトを証明できさえすれば。

 僕とベアトリクスにはきっと、最低限の保証が与えられるだろう。

 それすなわち、今後訪れるであろう様々な面倒事を回避するコトにも繋がっていく。

 具体的には、先ほども考えたエルダースでの扱いとか。


 そのためには──


「ね、ね、知ってる? ラズワルド君。

 リンデンはね、この王国の中で一番人口が多いの。何故かって言うとね?」

「人ならざる存在への対策が、最もしっかりしているから、ですよね」

「…………そう!」


 城塞都市リンデン。

 刻印騎士団の本部があり、ゴブリンやトロールといった普遍的な怪物は言うに及ばず、二つ名持ちすら退けたコトがあるという鋼の街。

 人々が史上最も安心して暮らせる堅固な都として、現在のリンデンには多くの人々が住んでいる。

 そして、


「じゃあ、これも知ってるかな。リンデンはね、なかでも吸血鬼への対策が凄いんだよ」


 ……吸血鬼対策。

 街の外縁に水路を引いたり、銀製品を多く用いた装飾品を特産にしたりと、リンデンはアンデッドへの警戒が一際強い。

 街の中には至る所に柵が設置され、いざという時のために杭として流用できるよう用意がされているとも云われる。


 無論、僕は知識としてそれを把握している。


 ──だが同時に。


「なんだか、聞けば聞くほど不愉快そうな街なのね。風も銀臭くなってきたし、嫌だわ。私、我慢できるかしら」

「……言っておきますが、リンデンでは使い魔は緊急時を除き許可なく姿を現すコトを禁じられています。ラズワルド君の滞在中、あなたには淡いの異界で待機してもらいますから」

「嫌よ」

「嫌よじゃない……!」


 睨み合う二人を横目にしながら、僕は密かにゴクリと唾を飲み込む。

 フェリシアは、騎士団は、まだ知らない。

 だけど、僕は知っている。

 この時期、本来であればラズワルドがエルダースへと入学を果たす頃。


 城塞都市リンデンは、ある吸血鬼によって壊滅してしまうのだ。


 刻印騎士団は崩壊し、リンデンは死都へと生まれ変わる。


 人界の守護者。

 人間世界の盾。

 化け物を狩る者。


 人々の希望は奈落へと落ち、絶望が歓喜の産声をあげて地上へと訪れる。


 つまりは、闇の時代の到来。


 その旗頭となるのは──『鯨飲濁流』


 夜の王。

 ノーライフキング。

 大食らい。

 数多の呼び名を吸血鬼という種へ還元していく稀代の怪物にして、シリーズ最悪の敵とも名高い男。


 フェリシアの弟を殺した張本人である。






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