003 湖の洋館
部屋の書斎で本を閉じたフェネは、只ならぬ魔力に肩を竦めた。
何か、恐ろしいものが近づいている、そう直感し、館の外へ出ようとした時、書斎の扉が叩かれた。
「フェネさま……、お客様です…」
冷静を装っているが、決して動揺を隠しきれていない弟子のエルムの様子が、ただ事ではないことを色濃く示していた。
フェネもまた、冷静を装い、問うた。
「どなた?」
「それが……」
エルムが言い淀んだことが、さらにフェネの心を圧迫した。
「それが……?」
フェネは、エルムに早く言うように促し、紡がれる言葉に耳を傾けた。
「カネレさまです」
「え?」
「カネレさまです!」
カネレ?……何故、カネレがこんなに濃い魔力を発しているのだろうか。
その想いは、別に、カネレを侮辱する為のものではない。別に、カネレは、これほどの魔力を有しているし、これ以上あっても不思議ではない。……不思議なのは、その魔力を、出したままにしていることだ。普通、魔力は、敵にその量を悟られないよう、常に抑え込んでいる。それを放出するのは、余程の時でなければする事はないのだ。
フェネは、嫌な予感に身震いし、直ぐに玄関に走った。そして、そのまま、扉を押し開ける。
「カネレ!」
……だが、近づいてみて、フェネは改めて理解した。魔力を放っているのは、カネレの横の、蒼髪の少女だと言うことを。
「カネレ、その、女の子は……」
「ええ、取り敢えず、中に入れて。説明する」
カネレはそう言い、少女を屋敷へ入れた。
フェネも、その少女とカネレを自分の書斎へと案内した。
「エルム、お茶菓子と紅茶」
フェネは、エルムにそう頼み、書斎のソファに腰掛けた。
連れて来られたのは、大きな洋館だった。
湖のほとりにあり、由緒ある家の館、と言う雰囲気だが、「カネレさんの友人」が住んでいるとなると、どうも家族で住んでいるわけではないような気がした。
「ここが、大魔道師フェネ・シードゥストラの館。私の、古くからの友達よ」
カネレさんはそう言い、館の入り口に向かっていった。
入り口の扉にはノッカーが付いていて、カネレさんがそれを鳴らしてしばらくすると、背の高い女性が出てきた。
カネレさんがエルム、と呼んだので、どうやらフェネさんではなさそうだ。口調からして、お手伝いさん、と言う所なのだろう。
エルムさんは、かなり青い顔をしながら、館の奥の方にフェネさんを呼びに行った。
……はて、なんで青い顔なんだろうか。
しばらくすると、ドタドタという足音が聞こえ、扉が荒々しく開かれた。
出てきたのは背の高い女性で、以外にも黒い髪だった。背中あたりまである綺麗な黒髪を緩くまとめ、ブラウスにロングスカートを着、上から灰青色のローブをまとっている。
たが、その人も顔を青くして荒々しくそこに立っている。さっきから一体何だと言うのだろう。
「カネレ!」
その人は出てくるや否や、そう言った。だが、直ぐに表情を変え、一瞬私の方に視線を向けた。
「カネレ、その、女の子は……」
その人は、驚きを表情として浮かべた。
え、私?と思ったが、口には出さない。口に出したら、面倒なことになるのだ。
「ええ、取り敢えず、中に入れて。説明する」
カネレさんがそう言うと、その人は幾分か落ち着いた様子で私達を中に入れてくれた。
その人は、さっきのエルムさんにお茶菓子と紅茶を持ってくるよう頼み、私達を奥の部屋へ入れてくれた。
その部屋は、本棚が所狭しと並んでいる部屋で、手前側に接客用のテーブルと向かい合ったソファが置いてある。奥には、執務用なのか、明らかに上等品のデスクとチェアが置いてあった。デスクの上には、本が4冊積まれている。どれも分厚く、読み解くのに半日以上かかりそうなものばかりだ。
紅茶とお茶菓子が運ばれてくると、全員紅茶に一回口をつけ、話を始めた。
「えっと、じゃあまず、自己紹介から。私は、フェネ・シードゥストラ。フェネさん、で構わないわ」
出会った時は荒々しく出てきた時だったのでそれほど感じなかったが、元々優しい人なのだろう。その性格が良く出ていて、カネレさんと友人だというのにも納得がいった。
「あの、千葉水月って言います」
私も自己紹介をすると、フェネさんが、かなり奇怪な物を見たような目になり、カネレさんに問うた。
「カネレ、どういうこと?」
「それがね、私もあの件しか合点が行く状況じゃないの。まず名前。それから出身地。言葉。死に方。全てが奇怪なの」
死に方が奇怪だと言われたのが癪に触ったが、そんなんで切れていては話にならない。
「全て、説明してもらえるかしら」
「まず名前はさっきの通りチバミズキ。出身地はニホン。……言葉は、聞いたことない言語だった。死に方は、まんしょんから飛び降りたって、本人が言うには」
そのカネレさんの言葉を聞くと、フェネさんは、さっきから寄せていた眉間のしわをさらに深めた。
そして、私の方に向き直った。
「チバミズキさん、まず、うちの猫が死んじゃいそうだから、その魔力を抑えてもらいたいのだけど」
……魔力?
……当然だが、そんなものを出した覚えは全くない。自然に出ていたとでも言うのだろうか。
「魔力?」
「前世でも、聞いたことくらいはあると思うんだけど、魔法を使うのに必要な力ね。抑え方は、皮膚の内側に結界を張る感じ。わかる?」
皮膚の内側に結界を張る?
いや、意味はわかるが、一体どうやるのだろうか。
「んーと、人には、皮膚があって、汗腺がある。まあ、魔術師は厳密には人じゃないんだけど、魔術師にも汗腺があると考える。そして、汗腺から出てくるのを汗じゃなくて魔力と考える。すると、皮膚の内側に結界を張ってあげれば魔力の流出は防ぐことができる。わかりそう?」
私は、少し頷く。
「それで、結界の張り方ね。結界は、魔力を防御壁へと変換したものなの。魔力は、普段は見えないけど、それを具現化させると微かに見えるようになる。これが、防御壁の役割を持つの。つまりは、魔力を見えるようにすればいい。……ここまで大丈夫?」
「はい、なんとか」
「あなたの体内にある魔力を感じれる?……目を閉じて、集中すると心臓のあたりにもやもやしてる物があるのがわかるはず」
「……はい」
「それが出来たら、後は速いわ。その魔力を動かしてみて。魔力は、イメージで動かすの。こう動け! って思えばそう動く。そう言うものなの」
イメージか。
えい。
私が動け、と念じると、何と魔力はその通りに動いた。面白いものだ。
「出来ました」
「後は、それを、体の外に動かす。そうすると、勝手に具現化される」
私は、多少もたついたが、無事魔力の具現化に成功する。魔力は、なんかプルプルしたゼリーのような物体だった。
「そして、その魔力を皮膚の少し内側に埋め込む。ちょっと気持ちのいい話じゃないけどね」
皮膚の下に埋め込むって……。そういうのに耐性はあるつもりだったが、自分がやるとなると、かなり気分が悪い。
だが、これで好きな動物ランキング1位の猫が救われるのなら軽いというものだ。……後でたくさんモフらせて貰おうじゃないか。
私は、そんなことを考えながら、じわじわと魔力を移動させ、皮膚の少し下で止めた。……1つ疑問なのだが、せっかく具現化したのに埋め込んだら解けたりしないのだろうか。……後で聞いてみよう。
私が魔力を抑えるのに成功すると、フェネさんは少しため息をついた。
「カネレ、中々こんな10分足らずで魔力抑え込める子なんていないわよ。魔法学最初の関門とまで言われてるのに。少なくとも私は見たことはないわ。最悪1年くらいかかる子もいるのに」
「ええ。驚いた。だって、本当にできると思ってなかっんだもの」
え⁉︎1年⁉︎
私が隠れて驚いていると、フェネさんとカネレさんは、また真剣な表情を浮かべていた。
「カネレ、レイン・ウェールの話、聞いたことあるかしら?」
「知識として持ってるだけだけどね」
「この子は、それ以上よ」
「……何となく、予感はしてたわ」
2人の表情がどんどん険しくなっていく。
「評議にかけるべきかしら」
「……いや、貴族に荒らされたら困るわね」
「……それもそうね」
なんか私の知らないところで意見交換が進んでいるが、具体的な知識が全くないので意味がわからない。だが、口を挟んでいいような雰囲気では決してない事だけはわかる。
「あの、チバミズキさん」
「あ、はい」
「1つずつ説明するわ」
どうやらいつの間にか私の知らないところで意見がまとまったらしい。
「……はい」
「まず、あなたは、恐らく異世界転生者だと思う。私たちの知らない世界で死んでしまって、魂だけこっちの世界に渡ってきた。……正直言って、天文学的確率よ。何せ、前回の例が3万年前だもの」
さ、3万⁉︎は⁉︎
「その例が、さっき出てきた、レイン・ウェールなの。確か、イングランドの出身だって言ってたって文献があるわ」
イングランド……?……3万年前なのに?
「あの、3万年前にイングランドは無いです。そもそも国家自体無いと思います」
「んー、多分ね、こっちとあっちだと時間の流れ方に差があるんじゃないかしら。多分、こっちの方がゆっくり流れてる」
「……なんでですか」
「さあ。神様がゆっくりなタイプだったんじゃないかしら」
なんだそれ。
「レインは、前世の出身地と時代以外のことを生涯語らなかったって言われてるの。ちなみに、時代はエリザベス女王陛下が統治していた、って話ね」
エリザベス一世は、確か1550年くらいか。……結構昔だな。
「あの、レイン・ウェールは、どんな生涯だったんですか」
「長くなるわよ?あと、あんまり平和な話でもない」
「全然平気です。寧ろ知りたいです」
「そう、じゃあ、話しましょうか」
史上最も悲劇的な魔術師の生涯を。