025 到着
遊び。
インベルにとっては取るに足らない事でも、相手にとっては死活問題。
正にその状況が、今、目の前で起こっている。
互いの拳と拳がぶつかり、いい勝負のように見える。
そう。
見える。
それは、いい勝負に見えて、決してそうではない。
ただ、インベルが、手加減しているだけの話。
研究者によって出された最適演算結果を、司書が整理し、提示していく。
それに狂いはない。
「ははっ……。俺、家族に絶対帰ってくるって言っちまったんだよな……」
半ば諦めの声で、イラルドが言った。その後、小さな声で「ごめんな」と呟く。
イラルドとて、決して弱いわけではないのだ。
弱いわけでは、ないのだが……。
やはり、異世界転生者であるインベルに敵うわけもない。
インベルが実力の一割も出していないのに比べ、イラルドは全力戦闘。もう体力も底を尽きようとしていた。
お終いか。俺の人生も。
そう思ったイラルドは、インベルの攻撃を防御することをやめた。
ごめんな、と、故郷で帰りを待つ家族に謝りながら、死の時を待つ。
…………。
またか⁉︎
そう思い、イラルドは顔を上げた。
思えば、こういう状況で、 本当に死んだ試しがない。
いや、まあ死んだらここにいない訳だが。
ただ……。
イラルドは、自分が死なないことよりも、目の前の少女が急に動きを止めたことに意識が向いた。
さっきまで、狂ったように攻撃してきていたものを。
よく見ると、少女の手が小刻みに震えている。
そして、その刹那。
地に、水滴が溢れ始めた。
……雨?
いや、違う。
それは……。
涙、だ。
目の前の少女は、狂気に満ちた目から、大粒の涙をこぼしていた。
その感情の抜けた顔に浮かぶ愉悦の笑みは抜けないのに、その目はそれに反するように涙をこぼしている。
「……殺せない」
少女の口元が動いた。
いつのまにか、愉悦に歪んでいた口元が元に戻っている。
「やっぱり、殺せナイ」
そして、再び歪んでいく。
「……コロス」
なんなんだよ!
と、イラルドは心の中でツッコミながら、再び来るであろう攻撃の嵐を待った。
しかし、それも無駄だったようだ。
少女の師、フェネ・シードゥストラが、到着したのである。
「……インベル」
狂気に染まるインベルに、フェネはいつもと変わらない調子で話しかけた。
インベルの首が回り、フェネと目が合う。
「……し、しょう?」
インベルが、絞り出すようにして、その言葉を口に出した。
「そう。師匠。……ねえ、インベル」
「なに……?」
「……おうち、帰ろう?」
諭すようでいて、そうではない。
選択を迫っているようで、そうではない。
一言で言うなら、それは、紛れもない「愛」か。
インベルは、うんとも、嫌だとも言わなかった。
未だ狂気に満ちた目で、虚空を見つめている。
その目には、何が写っているのか。
「ししょう、わたし、おうち、かえ––––ッ!」
虚空を見つめながら、インベルが「帰る」と言おうとした。
言おうとした。
《ッ……。警告。主人の自我の干渉が薄れました。只今の物質世界干渉率……0.3%。そして、三十分以内に主人の自我が暴走意思に呑み込まれ、完全消滅する可能性……99.7%。十三分以内に消滅する可能性……0%。リミットの限界は十三分と推測。それ以上は消滅の可能性があります。十三分以内に主人の意識を失わせることができれば、自我は保たれます》
そして、司書は、ある言葉を口にする。
それは、フェネの涙を流させるには十分であった。
《主人より、自我が薄れる直前の時のメッセージがあります。「私の能力のすべての権能を一時的に師匠にお貸しします。また、「師弟」の契約を弄って私の精神の器と師匠の器を繋ぎました。私の魔力を使ってください。高火力術式は、司書が知っています。師匠、どうか私を––––」ということです。これにより、主人の能力はすべて使用可能となりました》
フェネは、泣いた。
泣いて、泣いて、最終的にはインベルと同じ、愉悦の笑みを口元に浮かべた。
失くしては、ならない。
二人目の雨の子、そして、三番目の弟子を。
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